プロフィール
本名:ジョン・ジョセフ・ニコルソン。彼の人生にはさまざまな名前が出てくる。(ニックネーム、芸名、養子先の名前に偽名など)姓もニコルソンではなくドウとしたほうがいいのかもしれない。ジャックの家系図は謎に包まれている。一族に受け継がれてきたものは、秘密、放浪癖、アルコール中毒やドラッグ中毒。また、ジャックには出生の秘密があった。実の母親を姉として、祖母を母親として育てられている。
生年月日:1937年4月22日。出生場所はニューヨークのセント・ビンセント病院とか、ベルビュー病院とか、あるいはネプチューン・タウンシップのジャージー・ショア・メディカル・センターとか記事によってさまざまだが、出生に関する確かな証明書は見つかっていない。10代の頃の夢はスポーツ・コラムニストかラジオのアナウンサーになることだった。そんな彼が突如、ハリウッドを目指す。1954年9月、17才のジャックはロサンゼルスの地を踏みしめる・・・・。
当初は姉であり母でもあるジューン・ニコルソンの小さなアパートに転がりこみ、おもちゃ屋でアルバイトをして当座をしのぎ、ビリヤード場に入り浸っては海岸をぶらついていた。そんな彼にジューンは、将来役立ちそうな仕事に就くようにと、口うるさく言ったらしい。何度かの言い争いのあと、ジューンはジャックをアパートから追い出してしまう。
1955年7月には、ジャックはもう「ただ遊びに来ている」だけではなくなっていた。この月に父親と信じていたジョン・J・ニコルソンがガンで亡くなっているが葬儀には出席していない。ちょうどその頃、ハリウッドで最も権威のある映画会社のひとつ、メトローゴールドウィンーメイヤー(MGM)でメッセンジャー・ボーイ(使い走り)の仕事に就いたばかりで故郷へ戻る旅費も時間もなかった。
1956年初春のある日、ジャックはプロデューサーのパステルナークにスクリーン・テストを受けてみないかと声をかけられる。しかしテストはうまくいかなかった。ニュージャージー特有の、高い調子でしゃべる癖が禍したのだ。スクリーン・テストで大失敗したあと、19歳になったばかりのジャックは初めておそるおそるプロへの道を探りはじめた。マネジメントを代行してくれるエージェントと契約し、いくつかのオーデションを受ける。その頃、リングという劇団に入り、演技の勉強を始めている。リングに入ると、学びたいという思いや、演技をしたいという気持ちが募り、演技への絶対的な熱意と愛情を深めた。ジャックが出演した最初で最後のリングの舞台は、ブロードウェイで大ヒットしてその年の初めにMGMで映画化された「お茶と同情」。(映画版へは出演していない)
クライ・ベイビー・キラー宣伝用ポスター
初主演映画は「クライ・ベイビー・キラー」(1958年)。これはティーンエイジャーもので、今もって真価を認められていない作品のひとつである。続いて同様に低予算で10代のトラブルをテーマにした「Too Soon To Love」(1960年)、「ワイルド・ライド」(1960年)、メジャー・スタジオでのデビュー作となった「スタッズ・ロニガン(1960年)」に出演している。(いずれも日本未公開、DVD未発売)以下、当サイトでレビューしている作品リストです。
出演作品(製作年度順)*クリックで作品情報&感想に飛びます
リトル・ショップ・オブ・ホラーズ(60) 大鴉(忍者と悪女)(63) 古城の亡霊(63)
旋風の中に馬を進めろ(66)銃撃(66)
爆走!ヘルズ・エンジェルス(67) 聖バレンタインの虐殺/マシンガン・シティ(67) 白昼の幻想(67)*脚本のみ ジャック・ニコルソンの嵐の青春(68)
イージー・ライダー(69)
晴れた日に永遠が見える(70)
ファイブ・イージー・ピーセス(70) 愛の狩人(71) キング・オブ・マーヴィン・ガーデン(72)
さらば冬のかもめ(73)
チャイナタウン(74)
さすらいの二人(75)
Tommy/トミー(75)
おかしなレディ・キラー(75)
カッコーの巣の上で(75)
ミズーリ・ブレイク(76)
ゴーイング・サウス(78)
シャイニング(80)
郵便配達は二度ベルを鳴らす(81)
レッズ(81) ボーダー(81) 愛と追憶の日々(83)
女と男の名誉(85)
心みだれて(86)
イーストウィックの魔女たち(87) ブロードキャスト・ニュース(87) 黄昏に燃えて(87)
バットマン(89)
黄昏のチャイナタウン(90)
お気にめすまま(92)
ア・フュー・グッドメン(92)
ホッファ(92) ウルフ(94)
クロッシング・ガード(95)
マーズ・アタック!(96)
ブラッド&ワイン(96)
恋愛小説家(97)
プレッジ(01)
くたばれ!ハリウッド(02)
アバウト・シュミット(02)
N.Y.式ハッピー・セラピー(03)
恋愛適齢期(03)
ディパーテッド(06)
最高の人生の見つけ方(08)
その他出演映画
ザ・ブロークン・ランド(62) ミスター・パルバー(64) バック・ドア・トゥ・ヘル(65) フライト・トゥ・フューリー(66) レベル・ルーザーズ(67)
*2 ザ・モンキーズ HEAD! 恋の合言葉(68) ドライブ・ヒー・セッド(71) ア・セーフ・プレイス(71) *3ラスト・タイクーン(76)
チャイナ・タウンでのジャック・ニコルソン
ジャック・ニコルソンとアメリカン・ニューシネマ
1967年12月8日号のタイム」誌が「俺たちに明日はない」を特集し、その見出しにニュー・シネマという言葉を使ったときが、ジャーナリスティックな意味でのニュー・シネマの登場であり、風俗的には1969年の「イージー・ライダー」、質的には1969年の「ファイブ・イージー・ピーセス」で頂点をむかえたとするのが一般的なとらえ方である。となれば、ジャックはアメリカン・ニューシネマの申し子と言えよう。あれから40年、時代とともに評価されてきた演技の質。どの役柄においても、既に彼の分身となっている役を彼自身が演出しているかのようだ。その圧倒的な存在感をもって今なお第一線で活躍していることをファンとして誇らしく思う。
ジャック・ニコルソンが出演を断った映画
70年代初めに断った役の中には「スティング」の主役、「ゴッドファーザー」のマイケル・コルレオーネ役、「華麗なるギャツビー」のジェイ・ギャツビー役なども含まれていた。その中でも彼が最もひかれたのはギャツビーだった。「ボブ(ロバート)・レッドフォードだったら俺の方が似合っていたと思うね。」数年後、残念そうに言った。「彼は特権階級の人間って感じがするじゃないか。どんなものでもなぎ倒して自分の道を切り開いて、這い上がろうとする奴には見えないよ。それに、あの容姿なら必死になってカッコつける必要もないし」。
ゴッド・ファーザーについては慎重だった。おそらく監督が「古城の亡霊」を撮ったフランシス・フォード・コッポラ(ロジャー・コーマンと共同監督)だということを心配したためと思われる。それにイタリア訛りが必要なことも気になった。一方、「スティング」の場合「時代背景は好きだったが、本当に自分の力が必要とされている映画にエネルギーを注ぎたかった」と言っている。
結婚と離婚
ジャック・ニコルソンとサンドラ・ナイトは1962年6月17日に結婚した。式はユニテリアン・ユニバーサリスト派の牧師によって執り行われている。サンドラ・ナイトはペンシルベニア生まれのカリフォルニア育ちで、テレビや映画で脇役ながらいくつかの目を引く役を演じていた。『Thunder Road』でのロバート・ミッチャムの娘役もそのひとつである。結婚から1年後には娘が誕生。2、3年の間は結婚生活は順調だったが、やがてお互いの矛盾というものを認めるようになり別居、離婚している。
*2ザ・モンキーズ HEAD! 恋の合言葉 製作:ボブ・ラフェルソン、ジャック・ニコルソン 監督:ボブ・ラフェルソン(一部ジェームズ・フローリー) 脚本:ラフェルソン、ニコルソン 撮影:マイケル・ユーゴー レイバート/コロンビア映画 上映時間:86分 *3ラスト・タイクーン(ビデオ&DVD未発売作品) 製作:サム・スピーゲル 監督:エリア・カザン 脚本:ハロルド・ピンター 原作:F・スコット・フィッツジェラルド 撮影:ヴィクター・ケンパー パラマウント映画 上映時間:122分
☆更新情報☆ 縁の人にショーン・ペンを追加 縁の人にアンジェリカ・ヒューストンを追加(2.27) 縁の人にマーロン・ブランドを追加(3.24) 縁の人にトム・クルーズを追加(4.17) TOPIX追加(4, 28) 縁の人にカレン・ブラックを追加(5.14) クライ・ベイビーキラーを追加(5.17) Too Soon To
Love を追加(5.21) ワイルド・ライドを追加(5.25) スタッズ・ロニガンを追加(6.1) TOPIX追加(6.4) ザ・ブロークン・ランドを追加(6.7) ミスター・パルバーを追加(6.23)
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