ラスト・タイクーン
原題:THE LAST TYCOON
監督:エリア・カザン
製作:サム・スピーゲル
原作:F・スコット・フィッツジェラルド
脚本:ハロルド・ピンター
撮影:ヴィクター・ケンパー
音楽:モーリス・ジャール
上映時間:112分
1976年/アメリカ
出演:ロバート・デ・ニーロ、トニー・カーティス、ロバート・ミッチャム、ジャンヌ・モロー、ジャック・ニコルソン、イングリッド・ボルティング、ドナルド・プレザンス、ダナ・アンドリュース、アンジェリカ・ヒューストン、テレサ・ラッセル、ジョン・キャラダイン
ラッシュ・フィルムのモノクロ画面が時代を伝える。おそらく、30年代だろう。映画会社の試写室で、若手敏腕プロデューサーのモンロー・スター(ロバート・デ・ニーロ)が、テキパキと編集の指示を与えている。「最後が残虐すぎる カットしろ」モンローの仕事は夜遅くまで続く。彼の帰りを待つ人はいない。かつて妻と暮らしていた豪邸には使用人がいるだけ。女優の妻は若くして亡くなった。家庭の不在がモンローの旺盛な仕事欲を生みだしているのだろう。華やかな世界だけに、誘惑も多いだろうが、モンローの心には今も亡き妻がいる。
映画の所々に織り交ぜられたロドリゲス(トニー・カーチス)とディディ(ジャンヌ・モンロー)の撮影シーンが、ハリウッドの内幕を私たちに教えてくれる。スクリーンの中では、堂々たる男っぷりを見せているロドリゲスの意外な私生活や、ディディの大女優にありがちなわがままぶりを見ていると、映画は虚構の世界だということを再認識せざるをえない。一癖も二癖もある連中が集う撮影現場は、さまざまな立場の人間の思惑が行き交う小さな戦場。モンローはそこでも、自在に立ち回り、優秀な指揮官ぶりを発揮している。
ある夜のこと。大きな地震がスタジオを襲い、施設内の貯水タンクが破裂し水が噴き出してしまった。濁流がセントをのみこむ。小道具にしがみついている女性を見たモンローの顔に、驚きと戸惑いが走った。女性は亡き妻に生き写しだったのだ。モンローは必死になって、彼女の行方を追う。謎の女の存在が、仕事一辺倒だった彼を変えていく。モンローの心が息を吹き返したと言っていいだろう。今までの冷徹な表情が消え、その口元には笑みがこぼれている。モンローは仕事よりも彼女を優先した。しかし彼女には婚約者がいて、手紙を残して彼の元から去ってしまう。謎の女・キャスリンを演じているのが、新人のイングリッド・ボルティング。これはミスキャストのような気がする。演技が素人っぽすぎで、モンローの愛の対象となりえておらず、神秘性にも乏しい。
キャスリンを失ったモンローは荒れる。そんな時に会ったのが、映画作家組合の脚本家・オルグ・ブリマー(ジャック・ニコルソン)だった。ジャックの出番は後半のわずかな時間のみ。ストーリーに絡む役とは言い難く、ゲスト出演といったところか。だが、ロバート・デ・ニーロとのツー・ショットを拝めるだけで、ファンは嬉しい。ジャックの演じるブリマーは共産党員。反体制的な役柄はお手のものだ。こういうシチュエーションにおいて、ジャックは知的に振舞ったりはしない。出されたクッキーを無遠慮に食べる様は下品でふてぶてしく、彼が一筋縄ではいかない男であることを強く印象付ける。
大スター二人のケレン味あふれるセリフの応酬を期待していると、なぜか卓球を始めた(笑)。ロングショットでラリーを写している。(おそらくスタント)仲良く卓球していればいいのに、酒に酔っているモンローが、ブリマーに殴りかかった。が、そこは我らのジャック!スルリとかわし、逆襲のパンチをモンローの顔面にみまう。この様子を見ていたモンローの上司ブラディ(ロバート・ミッチャム)は役員会議を開き、彼に長期休暇を言い渡す。すなわち、お払い箱。ブラディは、かねてよりモンローのワンマンぶりを快く思っておらず、失脚の機会をうかがっていたのだ。モンローは、一人の女を狂おしいまでに思いつめ、そして全てを失った。本作は「華麗なるギャツビー」のF・スコット・フィッツジェラルドの未完の大作をもとに脚本が書かれている。二つの作品の主人公は、ともに愛した女性への追憶に生きている。男性の方が女性よりもロマンチックなのかもしれない。
|