ジャック・ニコルソンジャック・ニコルソン語録

イージー・ライダー

シャイニング

女と男の名誉

さすらいの二人

アバウト・シュミット

マーズ・アタック

ア・フュー・グッドメン

イーストウィックの魔女たち






「クライ・ベイビー・キラー」
俺は自分自身に言い聞かせたね。まさしくこれだ!俺は俳優になるべくしてなったんだ・・・・とね。とてもスリリングな気持ちだったよ。

リトル・ショップ・オブ・ホラーズ
あの映画の作り方なんて、もう先史時代の映画かと思えるようなものだったんだ。現場に入って照明のプラグを差し込み、カメラをまわして撮るだけなんだよ。


古城の亡霊
俺がやったのはアンドレ・デュヴィアリエっていうフランス軍人だった。23歳であの手の役はちょっとつらいところなんだ、わかるだろ、言ってる意味。マーロン・ブランドがナポレオンやったとき(デジレ)の衣装でさ、肩幅が広すぎてね。ほんと、うんざりするくらいひどかったよ。


ロジャー・コーマンについて
彼は他の誰も俺を雇おうとしなかった時に仕事をくれたし、彼がいなければ俺は生き残れなかった。だから俺たちは皆、彼に対して永遠に感謝するだろう。もっとも彼だって我々に十分な賃金を払わずに済ませたことについて我々に対して永遠に感謝するだろうけれど。


さすらいの二人」アントニオーニ

この映画の基本的なテーマはひとりの人間が自分と他人がすり変わるといったことだろう。明日からでも、まったく今までの自分とは違う他人になりたいという、人間本来の幻想や願望、さらに現実との境目を描こうとしている。つまり私は出演した者としてこの映画が成功するかどうかは、そのテーマが描き切れているかどうかだと思う。
アントニオーニとの仕事は初めてだった。事実、大変にきつかったが、今までの映画出演の中で収穫の多い経験だった。撮影中、アントニオーニと私の間に緊張した時間が多くあったが、これはこのような映画を撮っている時にごく当然のことだと言えるだろう。映画監督の中には、まったくの偶然で良い映画をつくってしまった人や、批評家がほめすぎて評価された人も多くいるが、アントニオーニの映画に関しては、その作品はすべて表現されているといっていいと思う。

アントニオーニは、俳優に演技らしい演技を要求しない。俳優は台本に書いてある台詞を言い、必要な動作をすれば良いのだ、とも言った。彼にとって大切なのは、ドラマチックな芝居の構成ではなく、人物の配置なのだ。
俳優が勝手に自分の役の性格分析を行い、オーバーな演技をすることをアントニオーニは大変に嫌うし、人物の配置のバランスを崩すと言う。私はそれを十分に理解するまでに多くの戸惑いを感じたが、それを学んだことは大変なプラスになった。

(サイト・アンド・サウンド誌・1974年夏季号)

シャイニング」とキューブリック
彼は一つのシーンを50回は演らせる。部屋を歩くにしても、朝食をオーダーするにしても様々な仕方がある。スタンリーのアプローチの仕方は、どうすれば今より良くなるかということなのだ。それができなければ、その俳優は彼にとって不必要な俳優にすぎない。(ニューズウィーク誌)

黄昏に燃えて
ジャック・ニコルソンにフランシス役を打診したところニコルソンが既に原作の小説を読んでいて非常に興味を示してきたおかげで、プロデューサーのバリッシュが乗り出してきて晴れて製作の運びとなった。ニコルソンいわく「この企画に対するバベンコの入れ込みようがあったからメリルも俺も参加する気になったのさ」

黄昏のチャイナタウン」(監督、主演)
監督をすることの良さ、充実感というのは、まず自分を自分でコントロール出来るのが嬉しいということ。それに、出演するだけよりも円熟味を感じられるということだ。
この映画にこれほど惹かれていなければ何か別の役を引き受けていたかも知れない。とにかく全ては脚本だった。ロバート・タウンは素晴らしい脚本を書いた。この映画の主役は”ロサンゼルス”なんだ。「黄昏のチャイナタウン」に取り掛かったとき、出演者とスタッフに言ったのは、すべてに意味がある、ということだった。実世界と同じで、この映画の中では誰も完璧な行動をとらない。複雑なんだ。殺人は起こるけれども、黒い帽子を被った殺し屋が出てくるわけじゃない。映画に写る殺人は、10インチの白黒テレビの画面で見えるだけだ。
するに、映画だからといって、観客をバカにするようなナンセンスは嫌いだ。例えば、映画の中のカー・クラッシュ。どうしてだか、分かるかい?警官たちが街中を、二、三人の麻薬ディーラーを追って走り回り、罪もない人々を巻き込んでおいて、誰も気にしないからだ。映画の仕事というのは、あまりにもタフな仕事なんで、ほとんどの人が本領を発揮する前にやめてしまうんだ。このゲームは簡単だと思い込みそうになると、僕はみんなにつらく当たられた昔のことを思い出す。やられても、立ち上がって、笑顔を返さなければいけないんだ。

愛の狩人
ウーマン・リブ運動家からの攻撃に対し、脚本にあった通りの演技をしただけだと反論した。「俺自身が付け加えた箇所は無いんだ。俺はただ自分の仕事をしていただけなんだ。それにいずれにしたってこいつは当世の男のとる態度としては筋の通った表現だと思うぜ。俺自身はフェミニズムについての会話なんてゴメンだよ。そいつはすべからく人間性の否定なのさ。」


「ミシェル・フィリップス」について
俺は彼女に最初にこう言ったんだ、「なぁ、この関係がどう発展していくかなんて決めちゃいたくはないんだ。臨機応変でいこうぜ」とね。そしてこれはとても素晴らしい関係となったんだ。つまり俺は完全に独身でいられる時間を享受できた上に、俺の成功を俺自身よりも喜んでくれる人と一緒にいられた訳だからね。人と気持ちを分かち合うって事が好きなんだよ。それからまた、俺は性的な発展というものはたくさんの相手と関係を持つことではなくて、誰か特別な相手と継続的に関係を深めていく事によってこそ得られるものだという事を発見したよ。


「取材を受けて」
困ったことに、たいていの人は俺のことをただの馬鹿だと思っているんだよ。ビルの上からでも喜んで飛び降りるような奴なんじゃないかってね。まぁ、俺の場合、個人としての生活と公の場での自分とは区別するようにしているんだ。



ジャック・ニコルソンの館TOP

カッコーの巣の上で

チャイナタウン

ディパーテッド

郵便配達は二度ベルを鳴らす

心みだれて

黄昏に燃えて

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