ジャック・ニコルソン縁の人 | ||
ミケランジェロ・アントニオーニ 1912年北イタリアのフェルラーラ生まれ。最初、新聞や雑誌の映画批評を書いていたが、42年に映画界に脚本家として入る。続いて名匠監督の助手になり、43年から49年に短編映画を撮る。50年に「ある愛の記録」で長編映画の監督となる。 アントニオーニは、映画界最高の巨匠とみなされることもあれば、世界で最も退屈でもったいぶった映画作家のひとりだと評されることもある。彼はマルクス主義寄りの知識人だった。彼のテーマは常に現代の愛の不毛と挫折にあると言われていたが、73年、中国に渡って撮った3時間半のドキュメンタリー「中国」以後、変化したと言われている。 映画監督としては、個性的で謎めいた映画の作り手として知られ、評論家や観客のあいだでは評価は両極端に分かれていた。初めて英語のダイアローグを使った66年の作品「欲望」は、彼の作品のうちアメリカで最も知られると同時に最もヒットした作品となった。 ジャック・ニコルソンとの仕事は「さすらいの二人」。アントニオーニはトップ・シークレットだった新作の企画「さすらいの二人」について話すために「チャイナタウン」の撮影開始よりも前にジャックに電話をかけている。人を不安にさせる独特の寒々しい世界を描いた一連の秀作によってその芸術的手腕を高く評価され、さらには一風変わった作品、「欲望」で商業的成功を収めた男からの申し出をジャックは受け入れた。 2007年7月30日没。 フィルモグラフィー ある女の存在証明(1982)監督 さすらいの二人(1974)監督、ジャック・ニコルソン出演 砂丘(1970)監督 欲望(1966)監督 赤い砂漠(1964)監督 太陽はひとりぼっち(1962)監督 夜(1961)監督 情事(1960)監督 さすらい(1957)監督 女ともだち(1956)監督 ある愛の記録(1950年)監督 ジャック・ニコルソンの館 |