ジャック・ニコルソンジャック・ニコルソン縁の人

イージー・ライダー

さすらいの二人

郵便配達は二度ベルを鳴らす

黄昏のチャイナタウン

スタンリー・キューブリック

1928年7月26日、ニューヨークのブロンクス区にポーランド系ユダヤ人の開業医の子として生まれ、タフト・ハイスクールを卒業。10代初期でカメラ好きとなり、16才のときにはルーズベルトの死を扱った、組み写真がルック誌に買い取られ、フォトグラファーとしての第一歩を踏み出した。
17才でルック誌の社員となりカメラマン生活をする中で、彼の関心は映画へと移っていく。フィルム・ライブラリーに通いつめて映画の勉強をするかたわら、ライブラリーで知り合ったアレクサンダー・シーガーにすすめられて「挙闘試合の日」という短編を作ったのが病みつきとなって映画熱にとりつかれる。
53年、戦争映画「恐れと欲望」を自費で製作から監督、脚本、撮影もかねて作り、アート・シアターで公開。ついで「非常の罠」を発表したが、その頃、ジェーム・B・ハリスと知り合った。ハリスと組んだ「現金に体を張れ」で一躍脚光を浴び、これを第一作にハリス=キューブリック・ピクチャーズを創立。恐るべき才能と映像感覚は、映画の概念を変えた革命的なものだといわれている。80年にジャック・ニコルソンを主演に迎え「シャイニング」を撮る。1999年3月7日死去。


フィルモグラフィー
拳闘試合の日(1951年)
空飛ぶ牧師(1951年)
海の旅人たち(1952年)
恐怖と欲望 (1953年)
非情の罠(1955年)
現金に体を張れ(1956年)
突撃(1957年)
スパルタカス(1960年)
ロリータ(1962年)
博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(1964年)
2001年宇宙の旅(1968年)
時計じかけのオレンジ(1971年)
バリー・リンドン(1975年)
シャイニング(1980年)、ジャック・ニコルソン出演
フルメタル・ジャケット(1987年)
アイズ・ワイド・シャッ(1999年)









ジャック・ニコルソンの館

カッコーの巣の上で

シャイニング

チャイナタウン

お気にめすまま