岡崎俊哉氏のオーディオ生活


岡崎氏からの伝言 

サザーランドのアンプをお使いの方、情報交換などいたしませんか?

くわしくは okaza@green.ocn.ne.jp まで

1999年夏の様子

  

スピーカー:Wilson Audio Watt3+Puppy2
パワーアンプ:Sutherland A1000
プリアンプ:Sutherland C1001
CD トランスポート:Esoteric P2s → Wadia WT2000s
DD コンバーター : dCS Purcell
DA コンバーター:Apogee DA-1000E-20 → Stellavox ST2
アナログプレーヤー:Transaudio Oracle → GOLDMUND STUDIO
カートリッジ:Lyra Parnassus d.c.t
フォノイコライザー:Adyton Chorus → GOLDMUND PH01


  

   ケーブル類はMITその他を使用


「気を悪くしないで聞いて欲しいんだけど、今、山本さんが使ってるオーディオ機器のほとんどは僕が自宅で試聴して×をつけたものばかりなのです」(赤は岡崎さんの発言)

「すると僕のは廃品回収再利用的オーディオなんでしょうかね?」(黒は山本の発言、全然怒ってはいない)

「CECのトランスポートは傳さんが雑誌であれだけ誉めるから2回も借りてきいてみたけどボコボコのねぼけたような音だったし、オーディオカレントのパルティータC1も借りたけど(当時はML-6だったから)どうにもピンとこなかったし、KEFのスピーカーなんて最初から興味もなかったし、mm6も8も我が家ではイマイチだったわけです」

「KEFの105は半年ほど倉庫に置いてあったのを知っていて、18万で安いし不良在庫風だったから僕が救い出してかわいがってあげようと思ったんだけど、パルティータもそうだったんですか?」

「あのプリアンプは山本さんが買うけっこう前から"SIS"に置いてあったけど、誰も買わなかったんですよ」

「僕はGOLDMUNDのmm2とパルティータを比べて、(mm2は高くて買えなかったけど)パルティータの方が神経質な感じがなくて良いと思って買ったんですよ、もっともその時試聴に使ったスピーカーがボレロ・グランデだったからmm2だとちょっと神経質な方向へは振れがちだったんですけどね」

「ボレロ・グランデのフォーカル製ツィーターも、僕が使っているWattのスキャンスピーク製も、魅力的なんだけど同時にうるさい方向にも行きやすくて、そこらへんの匙加減が難しいところではあるのです」

「そうかあ、サウンドステージ最優先ってあたりは僕も岡崎さんも共通してるんだけど、随分違う判断をしてるんですね」

「にもかかわらず、山本さんのスタジオで音楽をきかせてもらうと、ちゃんといい音なのですごく驚いたと言うか、機器のバランスの妙みたいなものを感じたわけです」

「じゃあ、岡崎さんが×をつけなかった機器でのサウンドがどういうものかをきかせてもらって、僕のHomePageで紹介するってのも面白いですね」

             以上、1999年7月の深夜、電話でのとても笑っちゃう会話でした。

岡崎宅に初めてお邪魔したのは98年の1月だった。その頃はWatt3&Puppy2をSONYのTA-ER1+マークレビンソンのML-2L(モノラルアンプ2ペアによるマルチはすごく邪魔)で鳴らしていた。岡崎さんがきかせてくれたCDはどれもすごい鳴りかただったが、特定のCDが良く鳴るように合わせ込んだようなところがあって、僕が持参したCDはどれも妙にキンキンした音で鳴った。床が震えるほど低い音が出ているのに、一番低音らしい帯域の低音がゴッソリ欠落していた。僕は「床とスピーカーの間に何か重たい物を置いて振動を直に伝えないようにした方が良いのでは」と言った覚えがある。

1年8カ月ぶりの岡崎サウンドは、精密で手に取れるような音像に変わりはなかったが、同時にものすごくマトモな音になっていた。前回きかせてもらった時は、パッチリした目に濃いアイラインを引き、睫毛も伸ばし、細いウエストをさらに締め上げたような、ややエキセントリックとも言えるサウンドだったのだが、そういった印象は消え、僕が持参した2枚のCDは両方とも調子が狂うぐらい良い感じで鳴った。音量を上げれば部屋が揺れ(床が震えるんじゃなくて)、小音量でも楽しめるし、岡崎さんの目指している「高解像と鮮度感」を満たした上での自然体と言える状態だった。スピーカー中央のみの超ピンポイント定位は相変わらずで、富田徹さんと僕は真ん中の席を交代しながらきかせてもらった。

このように変化した理由は何か? 機器の事を言えばパワーアンプが「ML-2Lのマルチ」→「エアーV3MarkII」→「サザーランド」になり、プリアンプも「TA-ER1」→「GOLDMUNDのmm2」→「サザーランド」になったのだが、その事は今僕が感じている変化の要因としては半分以下だろうと思う。機器の買い替え、スピーカーの下に置いたTAOCのボード、部屋の響きをコントロールするQRD、機器の下に挟んだコーンやボード類、それらの一つ一つに対して音は変化する。岡崎さんが使用しているようなハイエンド機器は、そういったものに殊の外敏感だから、解像度や鮮度を追求するあまりギスギスしたサウンドにもなりかねない。こんな感じにしたいというイメージがあれば、そうなった時にそれを良しとしてそこに留まる事が出来るのだが、そこがもっとも難しい。バランス良く音楽が楽しめるようになった理由、それは「岡崎さんがそういう音にしたかったから」としか言いようがない。じゃあ、どうしたらそういうイメージが持てるのかだが、それは「演奏会に行く」とか、「同レベルのオーディオファイルの音をきかせてもらう」のが一番だ。

岡崎さんが可愛がっているパワーアンプに、僕は「ウナギイヌ君」という名前をつけた

僕のオーディオは「やや低め安定の穏やかな路線」からスタートして、どこまで厳しい部分を表現していけるかという方法だが、岡崎さんのアプローチは違う。たとえて言えば、「美人でスタイルも良いけど、ワガママで一筋縄では付き合えないタイプの女性に早寝早起きを習慣づけて、家事も上手に出来て、教養を得るためのお手伝いもする。で、しかも完全な良妻賢母におさまるなんてことはなく、必要に応じてきわどい遊びの相手も出来る人にする」というような路線だ。もちろん男の方もそれなりに学習したり、自分も教養を身につけて、相手に見合った人格を形成する必要があるのは言うまでもない。クルマで言えば、僕は乗り心地の良いセダン的なオーディオだが、岡崎さんは「公道を走れるレーシングカー」が好きらしい。飼い慣らされた狂気は快感となるが、中途半端だと傷つきもする。

当然ながら一番のポイントはスピーカーだろう。僕は今までに何度かオーディオ店でWatt&Puppyの音をきいたが、いつもシャカシャカと人工的な印象で、良いと思ったことは一度もない。でも岡崎さんが鳴らすWatt&Puppyは、Watt&Puppyの良い面が出ていて「なるほどこれか」と思わせられた。解像度と鮮度を保ちつつ、もちろんワイドレンジで力感(これは刺激を受けた)もある。以前はもっと冷たい音だったのだが(決して高くはないものの)ある温度感が加わり、さらに今回は言葉で言い表せない独特の質感=中域から低めの高域で感じる響きが魅力的だった。この独特の質感はWatt&Puppyに元々備わったものなのか、セッティング変更の結果なのか、アンプによるものなのか、よくわからないのだが、富田さんはサザーランドのアンプの音だと言う。

この夜僕が持参したCDとは、「THIS IS MILES!」VOL.2エレクトリックサイドとHEATHER NOVA 「MAY BE AN ANGEL」の2枚でした

欲深な友人である岡崎氏は、現状に満足はしていないらしく、次はCDまわりを見直したいようだ。それがいつになるのか、あるいは別のアプローチがあるのかはわからないが、その時はまたご報告する事にしましょう。


1999.10.13 友人と一緒に食堂に入ったとしよう。自分が注文した「肉ジャガ定食」と友人が注文した「サバ味噌煮定食」が運ばれた時に、「あっちの方がうまそうだなあ、失敗かも」なんて思った経験はないだろうか? 後で聞くと友人は友人で僕の「肉ジャガ定」をうらやんでいたりして、「なら、取り替えれば良かったね」なんて笑った事はないだろうか?

一週間ほど前、岡崎宅へパワーアンプの写真を撮りに行き、音をきかせてもらった。数枚のCDを持参してかけてもらい、「随分自分の思っていた音と違うなあ」と思った。時間が早かったので、僕のスタジオに場所を移し、ちょっと前にきいたばかりのCDをかけて一緒にきいてみた。

お互いの音をきいた後での感想は一致していた。岡崎さんの音の方が中庸で(あのスピーカーからそういう音を出すのは至難の業だとも言えるのだが、、)、僕の音の方がややハイ上がりで、言いようによっては僕の方がHifi度が強いとも言える状態だった。この事は双方にとって大問題で、岡崎さんは「羊の皮をかぶっていたら、いつしか羊になってしまったようだ」と思ったみたいだし、僕はその次の日柳澤さんにきいてもらった後「こうなったら、中庸なんて言ってないで、肉ジャガ定食を刺身定食に切り替えてやる」と思い始める事になった。

1999.12.23 僕は岡崎さんちでLPをきいた事がほとんどない。僕が岡崎宅を訪ねて「さあ今度はアナログをきかせてもらいましょう」という段になると、必ずと言っていいほど音が出ないのだ。そういう事が二度続いた。いずれもアームがうまく動かないのが原因で、SMEのシリーズVがそうそう壊れるわけもないのにねと首を傾げてしまう。僕は余程岡崎家のアナログサウンドと縁がないらしい。実を言うと、つい最近岡崎さんは新たに極秘でアナログプレーヤーを入手した。近い将来、このプレーヤー導入にまつわる話をご報告出来ると思うが、今はまだ書くことが出来ない。僕は入手直後に岡崎家に行ったのだが、やはりアナログサウンドをきくことは出来なかった。一体いつになったら僕は岡崎俊哉氏+ライラ Parnassus d.c.tの先鋭的なサウンドを体験できるのだろう。お願いだから、はやく、最高の演奏をきかせて欲しい。

さて、欲深な岡崎氏がアナログ再生にさらに欲深になった理由は、CDのサウンドで手をつける所が見あたらなくなったからに他ならない。僕はこの秋いくつかのCDトランスポートを試聴したが、同じ頃、彼もトランスポートを自宅試聴していたらしい。黒くてでっかいのや、アクリルの蓋が自動的に開く物など、色々試したらしいのだが、どれも岡崎氏の心は射止めず、結局彼は黒くて細長いのを選んだ。それは僕が×をつけて返したWadiaのWT2000Sで、かつて柳澤さんが使っていた物(同じ型って事じゃなくて、そのもの)だ。サザーランドのアンプもそうだが、彼は細長いのが好きらしい。

岡崎さんと電話で話していると、彼は相変わらず僕に「プリはパルティータ以上に良い物がある、CECのトランスポートも見直せ、KEFもやめた方がいい」と言う。僕は「岡崎さんの子供じゃないんだから、他人ちの教育方針に口を出さないで」とか、「息子の嫁さんの悪口を言っちゃダメ、僕は今100%満足していて不満はない」と答える。しまいには「フンだ、もう岡崎さんには僕の音はきかせてあげないからね!!」なんて事にもなって、もちろん大人だからそれで絶交なんて事はないから心配は無用だが、とにかく彼は一貫して「さらなるスピード感と解像度が欲しい」と言う(それでいてちょっとやりすぎると、耳障りなどと言い残して帰る人ナノデスヨ)。10月頃の中庸な音ではなく、カリカリチューンが自分の音だから、「山本さんももう少しこっちにおいでよ」と岡崎さんは言う。僕はアコードワゴンに乗ってるわけで、岡崎さんのランエボとは違うんだよなあ。同じクルマ=オーディオでも用途が違うって感じがする。僕はスタジオで長いときは一日10時間も音楽をきいているし、岡崎さんは忙しい人だから自宅で短時間集中して音楽を楽しむ事が多いようだ。エスプレッソはデミタスが正しくて、マグカップでがぶ飲みしたら胃をこわす。

だが、でも、ところが、12/22日の午後、WadiaWT2000S(バランス改)+Apogee DA-1000E-20(バランス改)による岡崎サウンドは、決して耳にきついものではなかった。柳澤宅の「張り手バシバシ、怒濤の寄り」とも違うし、厚木宅の「ボディブロー連発+むち打ち100回」とも違う、夏にきかせてもらった時に感じた「すごくまともな音」である事にに変わりはない。手に取れるような精密さは以前にも増している、一つ一つの楽音の磨かれた質感も増している、情報量も多い。でも全体的なバランスが良いので強調された感じが少なくて「アッと驚く店頭効果的大っていうサウンドではなく、分かる人にしか分からない路線」に入っているようだ。精密だけど円満でもある。

古い例えで申し訳ないが、「コマネチとチャスラフスカ」ってのは=JBLとタンノイぐらいの対極度で、そういう時代はわかりやすくて良かった。ここで問題にしているのはもっと複雑で、微妙なことだ。「今も昔もマドンナの腕の筋肉は大変美しく魅力を感じるが、初来日した頃の背中が好きか嫌いか」というような違いが岡崎サウンドに現れているようだ。

「山本さんねえ、コマネチは知ってるけどチャスラフスカはわからないなあ。だって僕は東京オリンピックの時まだ2才でしたからね」
「そうか、僕は2000年の年男で36才って事になってるからやっぱりわからないよね。マリオ・デル・モナコとかイタリアオペラが日本に来た話とかされてもピンとこないもんね」
「そうそう」
「マドンナの腕もダメですかね」
「言いたいことはわかります。要するにトリの唐揚げも豚肉の生姜焼きも牛のスキヤキも同じ肉料理だけど、やっぱり俺は松坂牛じゃないとダメとかいう話でしょう?」
「そうです、でも油がのりすぎも体に悪いとかね、岡崎さんの方が例えが適切です」 1999.12.30 電話での会話でした

僕は自分の装置でライラのParnassus d.c.tをきいてみた事がある。あの時はまだLP12+PP1でだったけど、ベンツマイクロL0.4とのあまりの違いに愕然とした覚えがある。岡崎宅のCDサウンドはあの時僕のシステムから鳴ったライラのサウンドに近い。という事は岡崎宅でライラを鳴らすと一体どういう事になるのか、これは興味深い。そして現在の僕はLP12をやめてGOLDMUNDにしたのだが、岡崎宅にGOLDMUND STUDIETTOを持ち込んでライラに付け替えて試聴してみたいくらいだ。

なーんちゃって、実を言うと超々欲深な岡崎氏はこの度めでたくGOLDMUNDのアナログプレーヤーを手に入れているのでした。柳澤さんのREFERENCEと僕のSTUDIETTOの中間に位置するモデル、STUDIOがそれだ。正月でヒマだから友人宅に電話したら「岡崎さんが来週あたりききに来てくれと言っている」と言う。「えー!僕にはもっと後で来てねって言ってたよ」という会話があった。「ウーム、僕にあれこれ書かれるのを恐れているね」ガハハ。 2000.1.6

しかし、岡崎さんもやるよなあ、欲しいとなったら地の果てまでも追い求めて手に入れるもんね。GOLDMUNDのアナログプレーヤーって日本に何台存在するのだろう。REFERENCEは高価だったからせいぜい10台かそこらとして、比べれば安かったSTUDIOとSTUDIETTOを合わせても100台なんて無いだろう。個人で輸入した物を入れても、多分5〜60台ぐらいだと想像する。岡崎さんがウルトラCのインターネットで外国から購入すると聞いたときは「おお、これは僕がC・クライバーのチケット(バラの騎士)をNiftyの掲示板で手に入れたのに等しい」と思ったのだが。やってきた時は下の写真の状態で顔面蒼白(涙々、、)の岡崎さんだった。 

これを見たときは、岡崎さんも「騙されて壊れているものをつかまされたのでは? いっその事送り返そうか」と思ったそうだ。でも、冷静になって考えると梱包の状態も非常に良心的だったし。これはやはり不慮の事故だろうと判断したと言う。僕と柳澤さんはこの状態で見せてもらったのだが、「ショックはわかるけど、キャビネットは接着し直せばオーケーじゃない」と励ました。そして年を越して数日後、Dr.Y氏の手によって、GOLDMUND STUDIOは新品同様になり岡崎宅で演奏を始めた。

1月半ばの雪の降る日、僕は岡崎宅に招かれ、約一時間音楽をきかせてもらった。CDで一番印象的だったのはブレンデルとラトルによる「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番」で、このCDは僕も欲しくなった。

アナログのサウンドはCDより以上に精密で、切れ味が良く、力感もあり、音場感も優れていた。CDもアナログもここまで鳴れば何も要らない。無理に押さえ込んだような感じは無いし、それでいて抑制もきいている。機器を組み合わせて偶然出た音ではなくて、「こうしたいと望んでその通りにした=つまり表現してるってこと」そういう状態だ。僕個人の好みを言わせてもらえれば、もっとふくよかで艶っぽい音が好きだ。でも、それは僕が自分でやれば良い事で、岡崎さんには岡崎さんが選んだ道がある。さて、この路線でこれ以上にするには一体どうしたら良いのだろう。ここらで「上がり」なのだろうか。ここでしばらく、イヤ、一生お休みって事でもリタイアとは言いません。でも、きっと欲深な友人たちはここからが本領発揮なんだ。しばらく大人しくしていたかと思うと、いきなりとんでもない事を始める 2000.1.18

もう、印刷されている頃だろうから書いてしまうけど、岡崎さんは次号の「STEREO SOUND」誌「レコード演奏家訪問」に登場する。菅野沖彦氏がどんな感想を持つかが楽しみだ。これで岡崎さんも面が割れてしまいますね。 2000.3.7

「レコード演奏家訪問」を見ると、なかなかハンサムな岡崎さんが載っていた。さすがにプロカメラマンですね。それにしても岡崎さんの使っている機器は撮影しにくい。黒いのが多くて、こういう時は逆光気味に光らせてカタチを出すライティングをしたいんだけど、ラックの中に入ってたり、スタンドを立てるスペースがなかったりで困る。それはともかく、このページをずっと読んでいてくれる人たちには両方楽しんでもらえたかな。 2000.3.15

久しぶりに岡崎氏の音をきいた。前回きかせてもらったのは1月で、菅野沖彦氏がきくであろう音をきかせてもらったのだが、その後の4ヶ月で音は随分変化していた。特に変化したのがCDの音で、ひとことで言うと「大変穏やか」という印象を持った。それ故に、ボリュームをあげてもうるささは皆無で、僕は岡崎氏に「何の不安もなく音楽をきけてすごく良いけれど、もう少しシャープでもいいんじゃない?」という感想を述べた。数日前に僕の音をきいた岡崎氏は僕に「ちょっと中高域がきついんじゃない?」と言ってるわけだから、一年ほど前に言い合っていた事が逆転してるわけで、興味深い。でも、だからと言って不満は何一つない、よく練られた音だし、落ち着いて音楽が楽しめて良いと思う。僕は自分の音の中高域がきついとは思ってないし、岡崎氏も自分の音が大人しすぎだとは思っていないだろうから、これは多分求めているものが違うのだろう。このように、音を自分の望む方向にコントロール出来るようになった結果、今は僕も富田さんも岡崎さんも割と音の感じが接近してきてるようだ。アナログはもっとスピードが速く、輪郭もハッキリしているので、これはこれで非常に楽しめる。僕はCDとLPは別物だから、「それぞれを楽しめば良い」と思っている。だが、岡崎氏がそう思っているかどうかは定かでない。 2000.5.20


山本様

こんにちは、佐藤です。おかげさまで、昨晩岡崎宅に伺い音を聴かせていただきまし た。以下は、その感想です。

富田さんに次いで今回、岡崎さんのお宅を訪問したわけですが、僕は岡崎のさんの音 が実際はどうなっているのか?実は想像できないでいたのです。それは、ステレオサ ウンド誌のレコード演奏家訪問での菅野先生の感想を読んでいたこととお部屋の様子 を拝見すると各機器のセッティングも大変苦労されている様子で、これも”やりすぎ では?”と僕を不安にさせる一因となっていたのです。

しかし、その不安は1曲聴かせていただくと、完全になくなっていました。その後も オーディオ談義に花が咲き、4時間以上もCDやLPを聴き続けていたのですから、 いかに居心地&聴き心地良かったかはご想像できるでしょう。岡崎さんのシステムで 一番印象的だったのは、とにかくバランスの良さ。それはエネルギーバランスでもあ り、音場の広がりと奥行きのバランスであり、直接音と間接音のバランスでもあるの ですが、とにかくそのバランス感覚の良さには敬服しました。僕が持参したCDはい ずれも空間情報をたっぷりと含んだもので、ややもすると音像の実在感が失われがち で、貧血気味の音になりやすいのですが、そういったソースもさらりとこなす様は、 岡崎さんの技量とセンスを感じさせるものでした。

印象的だったのは、アナログで聴かせていただいた”ホセ・カレーラスのミサ・クリ オージャ”でした。その精密な音場の構成力は、僕にとっては初体験で”ライラ 侮り難し”を強く印象づけるものでした。しかしながら、何よりも印象的だったのは、 岡崎さんのオーディオに取り組む姿勢でした。様々なことに積極的に取り組み、吸収 しようとする意欲にはただならぬものがあり、今後、岡崎さんが次世代オーディオソ ースにどのように挑戦されるのか?興味は尽きません。僕自身も見習うべきところが 多々ありました。

唯一、気になったのは音場の高さ方向の表現力です。広がりと奥行きが出るだけに、 すこし物足りなく感じました。岡崎さんもご承知でしたが、天井高があるために、か えって市販の音響調整機材の高さが足りず、聴いていて吸音板の高さで、音場の高さ が決まってしまっているような感じでした。岡崎さんの場合は、専用ルームですから 今後の取り組みが、ひじょうに興味深いです。

さて、これで山本、富田&岡崎お三方のシステムをすべて聴かせていただいた訳です が、僕はそのどれもがまったく違うという印象を持ちました。唯一共通するのは、音 楽が始まったとたんスピーカーが消える、という点だけです。多くのオーディオファ イルの方にとっては、ステレオイメージ派としてひとくくりにされてしまうのかもし れませんが・・・・・?

個々の特徴としては、音場の構築力(つまりキャンバスの大きさ)では、山本さんが 1番でしょう。なにより人もうらやむエアボリュームを生かしたスケール感は他を圧 倒するものがあります。また音場の精密感では、岡崎さんでしょう。ハイビジョン映 像でも見ているような繊細かつ、精密な音場は驚異的で、かつそれがけっしてHi− Fi調でないところに好感がもてました。このお二方と比較すると富田さんの音はち ょっと異質でどうも表現のしようがないのですが、トラディショナルなオーディオの スタイルとHi−Endオーディオがひじょうにうまく融合した、まさに富田ワール ドという感じでしょうか。はまった時に音楽が訴えかけてくる力は圧倒的で、それは 一時思考が止まるほどでした。

ということからおわかりの通り、僕個人としては富田さんの音に一番惹かれるわけで すが、3人が3人とも非常にレベルが高く、またそれぞれの音が特徴的で、人柄もフラ ンクな、とても良い友好関係にあることが実感できました。今年のはじめに山本さん に出した1通のメールからはじまり、半年かかってみなさんの音を体験してきたわけ ですが、本当に山本さんにメールを出して良かったというのが、いまの心境です。みなさん、今後ともよろしくお願いします。 2000.6.25

訪問された、岡崎さんからの感想はこちらです


これは噂なのだが、

最近岡崎氏はパーセルと二台のST2を購入し、LPよりCDの再生に夢中らしい。
そして、長く使っているYAMAHAのGTラックに見切りをつけ、ソリッドスティールのラックを導入した。
GTラックより背が高いため映像の邪魔になる事を指摘されたが「そんな事はかまわない」と言ったそうだ。
                                      2000.10.8

8月にStudioK'sに来た菅沼さんが、(念願の)岡崎家を訪問した。その時の感想です

岡崎さん、先日は夜遅くまでお付き合いいただきありがとうございます。自分と同じウィルソンのスピーカーということもあって大変参考になりました。
スタジオK'sと、岡崎邸を訪れて一番勉強になったことはスピーカーの直接音と部屋の壁などから反射して耳に到達する間接音のバランスの違いがサウンドステージの再現に一番大きく影響するということです。その点で2人のシステムは対照的でした。

スタジオK'sは、広いライブな部屋をあまり手を加えずに使用しているため、スピーカーを後ろの壁からかなり離してバランスをとっています。視聴位置はスピーカーの対向壁間際ですのでその壁面のみフエルトが貼ってありました。スピーカーの周囲が広々としているため、二つの点音源スピーカーから聞くような見事な音像定位とのびのびとしたサウンドが聞けます。それに対して岡崎さんのシステムは部屋がやや狭いためスピーカーと視聴位置が近接します。最初にシノーポリのウェーバーをかけていただいたのですが、音が出た瞬間ヘッドフォンで聞いているような錯覚を覚えました。ホールの2階席できく山本サウンドと比較すると、宙に浮いたマイクの位置で聞くような不思議な体験でした。ホールトーンが豊かで広いコンサートホールの空間を感じさせるスケールの大きな心地良いオーケストラでした。
スピーカーは部屋の広さの割には予想以上に後ろの壁から離してあり、視聴位置からスピーカーの外側の面が見えるほど内振りにセッティングされていました。スピーカーの後ろの壁面と側面はカーテンと吸音パネルでかなりデッドにしているため、耳に届くのはスピーカーからの直接音が主体になります。岡崎さん自身 「この部屋はかなりデッドにしてある」と言っているようにこのスピーカー配置とルームチューンが精密な岡崎サウンドの秘密なのだなあと納得できました。このような近接視聴は初めての経験だったのですが再現されるサウンドステージがミニチュアになっていないのも驚きでした。

今回聞かせていただいた曲で最も印象深かったのは五嶋みどりのライブとツィンマーマンのショパンのコンチェルトです。ヴァイオリンは私が最も好きな楽器でオーディオ機器を選ぶときはまずこの楽器の音色を最優先してしまいます。岡崎さんのWATT&PUPPYから聞けたヴァイオリンはオーディオ機器の存在を忘れさせるようなリアルな音色でした。リアルと言うと、松脂の飛び散るのが見えるようなとか、左手の指が弦に触れるノイズが聞こえるようなオンマイクな音を連想するかもしれませんがそういう音ではありません。基音と倍音のバランスが正確な音で、演奏者から7,8メートル離れたホールの席の周りの空気を切り取ってきたかのような音場感でした。かなり控えめな音量で弾いているのですがビブラートする左手指のコントロール、弓が弦に接する強さと駒からの距離、弓を動かす速さが手にとるようにわかります。みどりの感情の起伏が良く聞き取れるので緊張して演奏に聞き入ってしまいました。
ショパンのコンチェルトはあまり好きな曲ではないのですが録音、演奏ともに優れているという評判なので私も購入しました。ピアノは確かに良く録られていると思いますが、ヴァイオリンの高域がきつくなりがちで、残響音がたっぷり入っているのにオケのメンバーが目前で弾いているようでオーケストラの捉え方が私の好みではありません。この曲は山本ホールでも聞かせていただきました。KEFはスケールの大きいダイナミックなピアノをよく表現していましたが、ピアノの音はホーン型システムにはかなわないなという思いは変わりませんでした。 岡崎ホールでの演奏は意外なことにピアノの音像が自宅や、山本ホールより小さく、演奏者からもっと離れて聞くようなイメージでした。しかし、その右手のタッチのきれいなことと言ったら、、、、。輝くクリスタルのような美音で、オーディオ的にいうと、4つのSPユニットの音の立ち上がりと、止まるタイミングがきちんとそろった位相特性の良い音です。大型ホーンシステムならもっと実在感のあるピアノを聞くことが出来ると思いますが、岡崎さんが描く繊細で音色の美しいピアノも見事でした。このピアノを聞いて、ステレオサウンドのレコード演奏家訪問で、菅野沖彦さんが岡崎サウンドのことを「鋭い感性をうかがわせる音楽のデリカシーと、暖かいヒューマニティが感じられる」と言っていたことを思い出し、岡崎さんの繊細でやさしい人柄を垣間見る思いでした。

その日は12時半ごろ帰宅してすぐ寝ようかと思ったのですが、ショパンのコンチェルトを私のシステム5で聞きなおしてみました。当然のことながら音場感も音色も全然違うのですが、ピアノの音のあまりの違いに唖然としてしまいました。我が家の音は中低域がややふくらんでいるためピアノの音像が大きくなっていることにやっと気が付きました。低域が高域の微細な情報をマスキングしているようなきがしてスピーカーを思い切って30センチほど前に移動してヨーヨーマのコダーイ(SACD)をかけてみました。(壁からの距離は150センチほどになりました。)購入後3ヶ月たってようやくウィルソンらしい音が感じられてほっとして眠ることが出来ました。

                                                                                       2000.10.13  菅沼準一


先日岡崎氏から電話がきた

「まいったなあ、プリアンプが逝ってしまいました」
「えー、サザーランドのプリが壊れたんですか?」
「そうみたいです、だから今は音がきけません」
「じゃあ、Y氏に修理をお願いしなくてはなりませんね」
「そうなんですが、今、Y氏も忙しいしねえ」
「そうそう、僕がお願いしているフォノイコ「PH01」のリファインもまだですしね、並んでる順番は僕の方が先なんですけど、岡崎さん割り込んじゃダメですよ」
「そりゃないでしょう山本さん、僕はプリの故障で音が出ないんですから」
「ハハハ、瀕死の怪我人ほっといて歯の矯正やる医者もいませんから、大丈夫でしょう」
「しょうがないから、なにか他のプリアンプを借りてきてきいてみようかな」
「こんな事でもないと他の人ともお付き合いできませんからね」

というわけで、僕はISODAパラディオンでセカンドオーディオシステムを持ちつつあるのだが、岡崎宅では音が出ないらしい。でも、案外こういう事件が今後の発展につながっていきそうな気もする。

と、最新情報をアップロードしたら、午後Y氏がTANOYのIIILZを持ってきてくれて、「なんかプリが壊れたんじゃなくて、DACらしいよ」と教えてくれた。

「それじゃあ、僕のPH01の方はよろしく」とか「PH01が出来てきたら、LINTOを処分してISODAアンプの代金にあてるつもりだ」などと言ったら、Y氏は「それは暗にプレッシャー?」と言う。「がはは、そうです」と言って笑った。 2000.10.18


 岡崎邸最新サウンド

オーディオは表現手段にあらずという意見が聞かれるが、それはただ機器を買い揃えるだけで満足している人達の意見だろう。自分の感性により、ある目的に向かって努力することは表現することなのだ。
岡崎氏は長年オーディオという趣味を通じて親交を暖めてきた仲間である。お互いの音を聴き、意見を交し合うことを何年も行ってきた。そうした中で、岡崎氏がどのような音響再生を好むのかも解っているつもりであった。
元来、岡崎氏が積み上げてきたオーディオ再生は、F特のバランスが大変良く、ピークとディップを感じない落ち着いた音で、音場が広くオーケストラなどは2階席から見下ろすような見事なまとまりをみせていた。それが今回聴かせてもらった音は、今までの岡崎氏のイメージからは想像もつかないサウンドだったのである。
それはすべての音が生々しく、まるで目の前に演奏家が存在しているような鳴り方だった。この鳴り方には驚くしかない。リアルだが音場は広く、オーケストラなどは2階席から指揮者の位置まで移動してしまったような感じだ。それは大変刺激的で、今まで一度も聴いたことのない方向性であり、見事な音であった。
岡崎氏の何がそうさせたのか、もしこれが彼の求める方向ならば、僕は彼をまったく理解していなかったことになる。しかしながらこの音は、岡崎氏の新たなオーディオによる表現を示しているわけで、今後どのような展開を見せるのか実に楽しみでもある。 

                           2000.11.23 富田徹


 岡崎邸最新サウンド

久しぶりに岡崎さんの音をきかせていただいた。僕はやはり岡崎さんはこうでなくちゃと思う。同行した共同通信社「オーディオベーシック」誌編集長の金城さんに言わせれば、「やや近寄りがたいほどの雰囲気をたたえた良家の子女風だが、やる時はガツンとやる」という感じだった。岡崎さんは否定するのだが、僕に言わせれば、岡崎サウンドはこのところやけに円満路線だった。中庸円満路線は僕の領域だから、これでお互い元に戻ったような気がする。もちろん単に戻っただけじゃなくて、一段高いところに上ったところでのハナシだ。 2000.11.27 山本耕司


2000年12月、小林悟朗さんと原本薫子さんが岡崎宅と富田宅を訪問した

まづ岡崎さん、富田さん、柳沢さんグループは凄くレベルが高いんだなー・・・というのが率直な感想です。オーディオ機械をコントロールする能力というのはいずれの人も凄いものだと敬服いたします。
個別に書くと
岡崎さんのところは、お父さんの隠れ家的な部屋の佇まいが、とても居心地が良かったです。
最新のハイエンドの機械群が醸し出す音楽にも係わらずレコード音楽の楽しみ、良さというものをとても良く伝えてくれる、ある種安心感があります。「LPみたいな感じ」と私が当日申し上げたのもそんなニュアンスで、良さもあるんですが、私の出したいと思っている「音」と方向が違うなー・・という感想でもあります。 つまり現代の音なんだけど、タンノイやJBLのような20世紀のオーディオ・サウンドの肌触りを色濃く残しているように感じられました。
その原因は、主にスピーカーの中高音域のキャラクターによるものだと思いますが、それが岡崎サウンドの魅力であることも確かです。そういった機械のキャラクターを殺さずに、生かして音楽の良さを伝えるということは、とても素晴らしいことだと思います。
そういった岡崎さんのアプローチに大げさに言えば「オーディオの深さ」を改めて学ばせていただいた気がいたします。 後で振り返って思えば、岡崎さんのところでは、「音楽」を聴かせていただいたという感じがより強くいたします。

富田さんのところは、何よりも「レコード演奏家」としての富田さんのテクニックというものに驚いてしまいました。
奥行きの表現に優れたシステムで立体的に展開する「グラディエーター」は圧巻でした。 弦楽器群やコーラスの質感、拡がりはちょっといまだかつて聴いたことのない優れたもので、本当に驚きました。スピーカーの低音の出し方、コントロールの仕方にとても共感を持ちました。空間表現など「絵画」でいえばキャンバスの使い方が自分と異なっているけれどオーディオ的な方向としては、自分と似ている様にも思いました。アナログ入力は相当整理されたようですし、もしかしたら我が家のパレットは、本当は富田さんのところに嫁くのが一番ふさわしいのかも・・・・・・・・・
いずれにしても富田さんのところでは、スタンダードな「音楽」をもう少し聴いてみたかったです。(また日をあらためて・・・・・・・・・)
最後にサザンのTSUNAMIとパティー・オースティンを 少し聴かせてもらいました。 TSUNAMIは結構変な録音で、自分でも上手く鳴らせないので今、ヒントが欲しいところなので、いろいろな条件で聴いているものです。ある種歪みやリミッターをスパイスにしたようなマスタリングなので難しいです。そうした2曲のヴォーカルものをちらっと聴いた感じでは中音域が結構クールな表現をするシステムのように思われました。

自分も含めて皆それぞれ今向かっている方向が違っているのがよくわかってとても面白い一夜でした。また訪問しあいましょう!

自分の反省としては、最近は次から次と 新しいソフトを聴くことに追われて 何か一曲を丁寧に装置を可愛がりながら聴いていないなー・・・ということでした。
最近は気候があっているのか、QUADのスピーカーがとても調子が良いので、昨日・今日とスクリーンを飛ばして久しぶりにQUADでオーディオを楽しみました。

      12月12日   小林悟朗

岡崎さん、富田さん、先日はお忙しいなか、わざわざお時間を作っていただきまして、ありがとうございました。 岡崎さんも富田さんも、最先端のオーディオ機器を巧みに操られ、非常にレベルの高いレコード演奏を聴かせてくださいました。それでいて、お二人には、少なからぬ違いも感じ取れ、オーディオはおもしろい!と、あらためて感じた次第です。 岡崎さんの音は、一言で申し上げれば、現代的で、なおかつ大変心地よい音です。一種の際どさ(もちろん良い意味で、です)を感じさせながらも、音楽を、まったく違和感なく楽しめる音でした。こうした心地よさは、ウィルソンオーディオのWatt3+Puppy2、ワディアのWT2000s、dCSのPurcell、ステラヴォックスのST2、サザーランドのアンプ、ゴールドムンドのADプレーヤーという、きわめて高いポテンシャルを備えたオーディオ機器を、岡崎さんが「鳴らし切った」結果、生み出された心地よさなのかもしれません。スピーカーの遙か後方まで拡がる広大なパースペクティヴに、音像が、凝縮された密度感をもって「実在」するリアリティ。このようなオーディオ的愉悦感が、そのまま音楽表現の豊かさにつながっているという、まさしくハイフィデリティとミュージカリティの高い次元での両立というのでしょうか、そういう印象を強く受けました。とりわけアナログディスクで聴かせていただきましたカウント・ベイシーは、いささか穿った聴き方かもしれませんが、CDの再生を極めてこられたかたのアナログディスクの音、というイメージで、現代(来世紀)のプログラムソースとしてのアナログディスクの可能性を目の当たりにさせていただいたような、きわめて新鮮なカウント・ ベイシーでした。

岡崎邸の音を名残り惜しみつつ、あわただしく富田邸に移動いたしましたが、リスニングルームに一歩入った途端に、そこはもう目眩く富田ワールド!で、オーディオシステムのレイアウト、家具や照明器具や敷物や、たくさんの小物のひとつひとつに富田さんの美意識を感じました。 富田さんの音は、そうした富田さんの感性を色濃く反映した、非常にセンシティヴで上品な音で、ほのかな人肌の温もりと優しさのなかにも、大胆でアグレッシヴな一面が垣間見えるところに、富田さんのただならぬ才能を感じました。とりわけ最初に聴かせていただいた「グラディエイター」や、教会録音のプログラムソースは、まさに富田さんの独壇場です。こちらが持参したポップス(スタジオ録音)のヴォーカルでは、これまで聴けなかったあらたな魅力を感じ取ることもでき、富田さんが再生に何を求めていらっしゃるかが、朧気ながら、わかるような気がいたしました。マンションのリヴィングルームという制約の多い条件で、けっして「抑えた」鳴らしかたではなく、あれだけ低音を出されながらも、完璧にコントロールされていらっしゃるテクニックにも脱帽いたします。 一夜のうちに、岡崎さん、富田さんという、まったくタイプは違いますが、ともに素晴らしいレコード演奏家の演奏を立て続けに聴かせていただきまして、「十年一日」のごとき私は、おおいに刺激を受けました。

岡崎さん、富田さん、本当にありがとうございました。また機会がありましたら、聴 かせてください。

    2000年12月               原本薫子
  
2000年11月の状態

岡崎家にSONY製のスーパーツィーターが導入されたそうだ。スーパーツィーターの効果は劇的だから、その変化に驚き、我を忘れた岡崎氏は夜遅くだというのにSONY佐藤宅に電話をしてしまう程だったらしい。その数日後、変化確認のため悪の仲間が岡崎宅を訪れたようだ。その頃の僕は、SS誌「レコード演奏家訪問」の取材を受けていたので、スタジオの掃除&片づけに忙しく、それどころではなかった。ヒマになったらまたきかせてもらう事にしよう。 2000.2.7(山本)

柳澤さんもGEMを入れたし、これで、スーパー・ツィーターを使っていないのは富田さんだけになってしまった。


川崎一彦さんが休暇で帰国し、StudioK'sに遊びに来たので、一緒に富田宅と岡崎宅を訪問した。岡崎宅ではリーダーの岡崎氏より「○○人認定証」の授与が行われるのかと思ったが、それは用意されておらず。スーパー・ツィーターを得て強力さが増した岡崎サウンドが待っていた。「最近の岡崎さんはボリュームがすごいよ」とソニー佐藤&富田さんからきいていたが、確かに今までで最も音量は大きく、低音で部屋が揺れ、ソファも揺れ続けるので、お尻がムズムズした。いつもと同様にフォーカスがピッタリ合った感じは変わらず、音量を上げてもうるささはない。弦の音が金属的になるどころか、つるつるしてたりする。これがスーパー・ツィーターの効果なのだろう。岡崎さんの音への感想は、川崎さんからもレポートがあるだろうから、それも読んで下さい。ずっと以前、一番最初にきかせてもらった時の「凄さ」は、ある特定のソフトに対する凄さだったが、現在はあの凄さの範囲がもっと拡大一般化して、何でも凄く鳴るようになっている。僕は「ドラゴンボール」の大人になった悟空が、筋肉に力を入れ、グワーっとマッチョになっていく様子を思い浮かべていた。僕の音は音量をあげてもあげても、筋肉は盛り上がらず、同じプロポーションで大きくなる。2001.4.5 (山本)


 2001.4.8 川崎一彦さんからいただいた感想です。

【岡崎サウンドを聴く】
二日目に、富田さんのお宅を辞して岡崎さんのお宅にお邪魔し、2時間ほどCDを聴かせて頂きました。山本さんから極悪人代表とかいうレッテルを貼られている岡崎さんは、お会いすると最も悪人らしくない優しい感じの方でした。お部屋はオーディオ専用ルームで、ウィルソンワット/パピーに乗っけられたソニー製スーパーツイーターが聴く者を狙ってぴたりと照準を合わせています。音が出た瞬間、心拍数が上がりました。鮮烈。鮮烈。鮮烈。もう他の音に「鮮烈」という言葉は使えません。剥ぐベールがもはやないような音。全てが聞こえてくる。もう上から下まで、きれいに全部聞こえてくる。どれを聴こうかと迷うくらい。耳があと4つくらい欲しいと思いました。異常なまでの解像度。しかし、これで驚いてはいけないことが判明します。もっと凄いのは恐るべきフォーカスの精密さ。まったく音がにじまない。ボーカルが一点に定位して前後左右に微動だにしない。ああ、自分の音はフォーカスが合ってなかったと反省しました。そもそもここで聴けるようなフォーカスが私のシステムにも存在するのだろうかと疑ってしまう精度。そして漂うべき音は漂い、炸裂する音は炸裂する。滑らかで緻密な音場が見事に統制されている。低域は質量があるのに素早く動き圧迫感がない。とにかくこの方向の音を「目指した」音はたくさん聴いてきたと思います。しかし、この高みにまで辿り着いた音を初めて聴くことができました。私は思わず岡崎さんに「ウィルソンを買わなくてよかったです」と言ってしまいました。ワット/パピーはかなり長い間、私の憧れのスピーカーであり続けてきたわけです。そしてこのスピーカーを手に入れたなら、やはり私も岡崎さんのような音を目指して行くだろうと思います。全ての音を取り出し、聴いてやろうと思います。それがこのスピーカーを迎える者の使命ではなかろうか、と勝手に思っています。しかし、この音までは来れない。それは、私にそうする才能がないだろうということと、もう一つは、ここまで完璧に見事に統制された音を私が要求しないだろう、という二つの理由があります。求めなければ、この音は出ません。求めたとしても、ここに到達するのは至難の技でしょう。これは厳しい音です。レーシングカーの操縦席のように一度座ったら最後、飛んでくる音に対峙していかねばらない。目が(耳が)離せない。スリリングな音。スピード狂の快感。ワット/パピー等の高解像度系スピーカーに憧れる人は、この音を聴くと考えざるを得ないでしょうね。岡崎さんの音はワット/パピーが最も活かされた音世界だと思いますから、自分はここまで完璧な世界に到達出来ないとすれば、この種のスピーカーを選択することに意義を見出せるのか?と迷うことになりかねない。短い時間の中で本当に驚き、いろいろ考えさせられた素晴らしい体験でした。ありがとうございました。


岡崎サウンド スーパー・ツイーター効果

 今回の試聴は川崎氏が岡崎邸を訪問した数日後におこなわれた。試聴のポイントはソニー製スーパー・ツイーターの試聴である。
 元々この機器は、このHPでおなじみの佐藤氏の設計によるもので、世界各国で高い評価を受けており、最近では注文が多く製造が追加されたのだと聞いた。佐藤氏によれば、このスーパー・ツイーターの設計にあたっては、ウィルソンのワットを意識したそうである。この話しを聞く前に僕はあるところでワット・パピーの上にこの機器が乗ったシステムを聴いているが、デザイン的にも音質的にもベストマッチであった。あまりにも違和感が無かった為、不思議に思っていたのだが、後でこの話を聴いてなるほどと納得したものである。
この様な美味しい機器を岡崎氏が見逃す筈はなく、予想通りの展開となった。しかしながら岡崎氏はこの機器の導入には慎重でもあった。なぜなら闇雲に高域特性を伸ばしてもトータルの音が良くはならないことを十分に承知していたからである。そこで氏は試聴機を借り、実験をおこなったのである。その途中経過においても佐藤氏と僕は試聴をおこなっているが、とにかく驚くべきことはワット・パピーとの相性の良さに関してである。
実は、欲張りな僕は先にこの機器を自宅試聴させてもらっていた。その時はアセントとはうまく繋がらなかった。原因は能率の問題で、たとえクロスオーバーポイントを40Khzに設定しても、いかにも能率が合っていないと思われる音がした。おそらくアッテネーターを挿入して絞ればベストな調整にもっていけたであろうが、鮮度が落ちるのと、そもそもそこまで試す気力が僕には無かった。それがどうだ、ワット・パピーに対してはまるでそれが純正品のように能率が合っていたのである。
あまりにものジャストフィットに僕は佐藤氏に質問せざる負えなかった。「能率まで合わせたのですか」と。答は即座に「そうです」と返ってきた。この誌面でこんな内部事情を暴露して良いものかどうか疑われるが、何処をどう見ても、音を聴いてもいずれ知れ渡る事だから良しとしよう。逆にここまでターゲットを絞って開発した佐藤氏の柔軟な発想に拍手を送りたい。
さて、岡崎氏は試聴機で感触をつかんだ後、すぐに新品を発注しエージングとチューニングをおこなっていた。川崎氏はある程度それらが進んでからの訪問となった為、良い状態の音を聴く事ができた筈だ。その点実に良いタイミングだったわけで、もしチューニングの途中であったら試聴を断られていたかもしれない。
僕が訪問したのはそのすぐ後で、基本的には川崎氏と同じ音を聴いた事になる。
実際、川崎氏のコメントにもあったように、フォーカスが異常なほどに合っているというのが第一印象だ。以前ではもっとおおらかな音像を結ぶ感じで、その辺りを小林悟郎氏は「20世紀のオーディオの肌ざわり」と評したのであろう。僕にはナローレンジに聞こえた時もあったほどだ。だがスーパー・ツイーター効果によるものなのか、以前とは比較にならないほどにフォーカス感が素晴らしく、高域方向に素直に伸びたワイドレンジな音が聴き取れた。
前回、試聴記を書いたときは岡崎氏の方向性が解からなかった。それほどdcsパーセル(ハイサンプリング)が入ったことでサウンドは自動的にクオリティーアップしていた。しかしそれは今から考えると岡崎サウンドではなかったように思う。確かにリアルなサウンドではあったが、高域は鋭すぎてソースを選んだし、少々刺激的過ぎて音楽を聴くというよりも音を聴かされている感じでもあった。それはデモンストレーションとしては凄みがあったが演奏家不在の音響とも思えたのだ。
それに対しこの音の方向性は紛れも無い岡崎氏の音だ。それも数段パワーアップした怖い音である。とにかく音量が入る。飽和しきっていると思われる音量なのにそれでも音の崩れる気配は無く、音響空間が拡大されたかのような広がりを持つ音だ。
山本氏は音量アップにともなう空間の拡大について「ドラゴンボールの悟空がマッチョになる感じ」と書いていたが、僕の見解はターボが効いて加速するクルマの体験に近いと思った。音量が上がってもフォーカス感その他すべてに余裕があり、音が崩れないのは脅威である。以前なら間違い無く音像は崩れていただろう。
不思議なのはボリュームを絞っても緻密な音が聴ける点だ。その時の印象を語るならスーパーリアリズムの絵画を鑑賞する趣である。僕のところでは聴けない音だ。今までの岡崎サウンドにも無かった美質である。これもスーパー・ツイーター効果によるものかどうかは判らない。というのも岡崎氏はツイーターをプラスすると同時に電源コード類のチューニングをしつこくやってきたからだ。当然その積み重ねのクオリティでもあるわけで、その辺りは企業秘密といったところだろうか。
あと一つ明記しておかなければならないことは、D/Dコンバートによる音とスーパー・ツイーターの相乗効果についてだ。dcsパーセルによりアップサンプリングされても高域特性が20Kを越えて伸びるわけではない。理論的にはそうだ。だが、パーセルを通すだけであきらかにCD臭さは払拭され高域特性が伸びたサウンドに聞こえる。高域方向の密度も高まり、微少信号である音の余韻なども美しくなる。これがスーパー・ツイーターによりさらに効果が高くなるのだ。つまり、アップサンプリングされていないシステムにスーパー・ツイーターをただ乗せても、これほどの効果は期待できない可能性があるということだ。この試聴も岡崎邸でおこなっているが、この試聴結果は敢えて書かないでおこう。
最後に今回聴いた音は、ディジタルサウンドの新しい領域に突入したことを感じさせられる点で大変良い勉強になった。個人的には、僕が目指すベクトルとは異なるが、その所為か大変楽しめた。この音は僕には出せない音なのかもしれない。

試聴報告 富田 徹


2001年9月7日 佐藤和浩さんからの感想

今夜、岡崎さんにお誘いいただき、久しぶりにそのサウンドを体験した。
使用機材に変更はなく、事前のメールではデジタルケーブルを検討中であることは伺っていた。そしてそれが良い結果をもたらしていることも。

最近特に岡崎さんは”情報量”という単語がお好きらしく、会話の中にもメールの中にも頻繁に出てくるので、そういったサウンド傾向を模索しているのかと予想して行ったのだが、その第一声(エンヤだった)を聴いてびっくりした。

その音は、なんともナチュラルで気持ちの良い温度感だったのだ。もちろん聴き込めば情報量はさらに増しているのだが、それがいかにもオーディオ的ではなく、音楽表現の幅を広げる結果になっている。なんといったらいいのだろう、一時パーセル導入などで情報量が膨大に増えたときの岡崎さんのサウンドは、本来のものではなかったのだと、今にしてはっきりとわかったような気がした。

一聴、我が家に似たバランスなのだが、その秘めたエネルギーはまったくの別物であることを感じさせる。う〜〜〜んとお金持ちで、偉い人なのだが気さくで、とってもいい人という感じ、わかってもらえるだろうか?

前回ひじょうに感心させられたピンポイントの定位も、今になってみれば、それはまさに字のごとく点でしかなかったことに気づく。音像は彫刻的な立体感を持ち、きちんとしたボディー感が感じられるのだ。そして、驚くべきは、小音量時にも音像・音場の立体感が薄まらないことだ。

もともとポテンシャルの高い機器をお使いなのだが、ここまでの高みに到達するとは。今回は完全に参ってしまいました。特に私が持参したデジタルケーブルでの音は今後のために大変参考になりました。

それにしても、さすがは岡崎さん!今度はトランスポートを試されるとは。後がますます楽しみです。また、聴かせてください。

というわけで、今夜はホントに良い体験になりました。山本さんもぜひ聴いてみてください。


2001.12.5 TATUYAさんが岡崎宅を訪問した感想です

最後に、私自身が似ているのではないかと密かに思っていた岡崎さんのお宅の音もきかせていただきました。
結論から書けば、岡崎さんの音は、基本的には思っていた方向の音でしたが、同時に想像を遥かに超えた音でもありました。
とくにPH‐01を2つ使ったStudioプラスLyraによるLPの音は、私のところと傾向は似てはいましたが、より安定した音の高い密度と堅固な音の土台を持ち、次元の異なる音になっていました。とりわけ、音の精緻さと全体のバランスのよさの両立は、圧倒的で、これが岡崎さんの音なのだろうと感じました。また、スピーカからの距離およびスピーカー間の距離が川崎さんのものとよく似ているせいか(ウィルソンおよび大型のアバロンであれば、ニアフィールドと言ってもよい距離)、今回訪問したお宅の中では、もっとも川崎さんの音と似ていて、情報量の多さや締まった低域などにも共通点を見出しました。山本さんのところで痛切に感じましたが、スピーカーとの距離および間隔というのは、一つの大きな音のキャラクター決定の要因であることを再確認しました。

今日のお話しにも出ましたように、オーディオの手法(方法論)という点では、私には岡崎さんに似ている部分が多いように思われ、やっておられることの意味が、岡崎さんご自身のご説明を含め、私にとっては感得しやすかったというのもお邪魔して感じたことでした。

岡崎さんの音および所作には、私と似ている部分があるため、ただただ、納得してしまうというような部分があるのですが、私自身の方向性への刺激という意味では実はかなり大きなものがあり、非常に有意義な訪問でした。岡崎さんと2人で異論なく同意した岡崎さんのお宅におけるLPの音のCDの音に対する優位性は、DDやクロックにより、CD本来の機械的な意味での優秀性の故もあってひっくり返るとのことでしたが、私自身は今まで、果たしてそうなのだろうかと思っていました。しかし少なくとも岡崎さんのところにおいては、間違いなくそうなんだろうと岡崎さんのご説明から、得心できました。DDやクロック同期の音をすごく聴いてみたかったのですが、タイミングが合わずに大変に残念でした。新たなフォーマットへの挑戦されるとのこと、どこまで、進んでいかれるのか、楽しみに拝見しております。どうぞ、今後とも宜しくお願い致します。また、お目に掛かれることを楽しみにしております。本日は、無理をお願いし、恐縮でしたが、伺って、大変によかったです。ありがとうございました。この場をお借りし、お礼申し上げます。


岡崎邸ヴェルディで聴くSACD  3月21日 富田 徹

春分の日の午後、僕は岡崎邸に向かった。ヴェルディーでSACDを聴くためだ。部屋に案内されると何の違和感も感じさせないたたずまいをみせるヴェルディーの姿があった。それはまるで何年も前からそこに置かれていたみたいだった。

その数日前、岡崎さんのdcsエルガー2は、ようやくエルガーPLUS1394にバージョンアップされた、という話を聞いた。それはオーディオショップにある試聴機のdcsヴェルディーを借りれば、1394を介してセパレートのSACDサウンドを聴くことが出来るということを意味していた。僕にとってセパレートのSACDサウンドは、未体験ゾーンにあり、先日試聴で友人から借りたときも、SACDのサウンドは一切聴いていない、というか聴くことが出来なかったというのが正しい。僕のエルガーPLUSは1394インターフェイスに対応してないからなのだが、もともとSACDならマルチに限ると思いこんでいることもあり、セパレートで何とか聴いてみようという努力すらしなかったというのが実状だ。

岡崎さんは違った。異常に値段の高い1394バージョンアップをためらいもせずおこない、ヴェルディー導入を密かに企んでいたのだ。僕の方はある判断から1394バージョンアップをキャンセルしていた。実はこの判断は間違っているかもしれな
いという思いがあり、だから本音を言うとSACDセパレートのサウンドを聴くのはヤバイ、聴かないようにしようと考えていた。だがオーディオ極悪人からは、容赦なく聴きに来てくださいというメールが届いた。

しかたがなく僕は春分の日を選んだ。岡崎さんはそんな僕の心を見透かしてか、早速ヴェルディーを借り、必死にチューニングに取り組んでいた。はたして僕の判断は正しかったのか間違っていたのか。結論から言ってしまおう。僕の判断は甘かった。岡崎さんのスピーカーであるワット・パピーから音楽が鳴り始めるとそのことがすぐに分かった。

SACDの音は、山本氏のところでも自分のところでも、結構聴いているから良く知っているつもりでいた。だがヴェルディーとエルガーPLUS1394で聴くSACDのサウンドはハッキリ次元が違っていた。ここまでうまく鳴ると、これ以上何を望むのだ、と言いたくなる。弦の音等はディジタルの最も苦手とするソースだが、極上のアナログレコードのサウンドを彷彿とさせ、いや、安定感としてのクオリティからいけば、もう越えてしまっている。空間感は録音にもよるが、3次元定位という点ではずば抜けていた。もうディジタルという縁取りはそこに感じられない。

さすがにここまでくると、CDとは情報量が違いすぎるなーというため息しか出なかったが、SACDならこのように鳴るというわけではない。僕は初めてSACDの本当のポテンシャルを知ったのだ。巷のSACDプレーヤーでは聴けないクオリティである。実際に岡崎さん宅には、もう一台アキュフェーズのSACDプレーヤーも運び込まれ、比較試聴がおこなわれたが、ヴェルディーを聴いた後では、CD再生とたいしてクオリティに差がない音にしかきこえなかった。好みによってはDSD変換された音の方を好む人もいるだろう。

ただヴェルディーで残念だったのは、CDサウンドの方がDSD変換をしているにもかかわらずぱっとしなかった点だ。もっとも岡崎さんはそこにまで手が回らなかったのだろう。どのような機器でもそうだが、設置後しっかりとチューニングをしなければ、ろくな音はしない。持ち込まれたアキュフェーズのSACDプレーヤーにしても、今から思うとそれが原因だったのかもしれない。

結局僕はヴェルディーとエルガーPLUS1394の鳴らすSACDサウンドを聴いて、1394バージョンアップをキャンセルしたことをすごく後悔した。もうバージョンアップは締め切られてしまっているので1394になることは将来的にも有り得ない。つまりもう僕にはSACDマルチの道しか残されていないというわけだ。それにしてもSACDのポテンシャルが高いことはよく分かったが、はたしていったいどれだけの人がこの事実に気づいているのだろう。

どーすればいーの。こんな音きかされて。なんとなく気ずいてはいたが、送りだしがこれほど凄いと、まずダイレクトラジエータースピーカーの中高域のトランスデューサーとしてのヤワさ、(悪いけどほとんどのハイエンドスピーカーがぼくにとってアウトだろう)大型ウーファーのにぶさ(自分のスピーカーがこれに入ってしまう)僕の腕の悪さもアルかも知れんけど。このクォリティーの送りだしを十全に再現するにはアンプの瞬発力、それを伝えるケーブル、勿論セッティング、すべての見直しを迫られてしまいそうだ。一生懸命CDでがんばってきたのに完全にカテゴリーを変えられてしまった複雑な気分。(ヨーロッパ主導のF1のようだ)SACDがこんなに早くパッケージメディアとして(それほど録音も優れていた)完成されてしまうとは。CDのときのように音楽として聴けるようになるにはまだまだ時間がかかると思っていた。あまかった。おそらく他のメンバーもいろいろと考えさせられてしまっただろう。僕の頭の中はカオスカオスカオス、うーーーーーーこーなったらSACDを一刻も早く普及させたい。1度聴いてしまった以上もうもとにはもどれん!もうまるで鳴り出した時の空気感が、存在感が(そこにミュージシャンが立っている様)ミュージシャンの伝えようとする音のパッションが、すべてにおいて次元が違う。逆にCDの音の不自然なトリミング感が気になってしまう。やっとDDコンバートで減らせてきたのにーーー。くそーーーー。酒飲んで寝る。            以上。

ん? 署名がないけどこんなこと書くのは 体育会系の人しかいないな

3月19日夜、岡崎さん宅にてヴェルディ+エルガー1394によるSACDサウンドを体験した。僕の感想はといえば「とうとう出てきたか!」というものであった。仕事柄SACDのマスターであるDSDレコーダーのサウンドも体験しているから、僕にとってはいまさらSACDの可能性なんてどうでもよくて、実際この最高価格のセパレートSACDプレーヤーが聴かせるサウンドがどれほどのものなのか?ということに一番の関心があった。

この時点まで、僕にとって最高のSACDプレーヤーは間違いなくSCD-1であった。(クラッセのΩにも期待しているがいまだ試聴する機会がない)動作などに一部問題はあっても、このプレーヤーが聴かせてくれる”エアー感”(音場感ともちょっと違うのですが)は、他のプレーヤーからは聴くことができないものであった。そして、この「エアー感」こそが、僕がDSDサウンドに初めてふれたときから(96年だったと思う)、これぞ次世代サウンドと思っていたものであった。もう少し具体的に説明すると、僕の感じる「エアー感」とは再生が始まった瞬間から、リスニングルームの空気がそっくり入れ替わったような変化、そして会場の匂い(空調の匂いであったり、木の匂いであったり)まで漂ってきそうな臨場感を指している。ヨーヨー・マの「ソロ」やDMP、チェスキーのディスク、初期にはデモ用に作ったケイコ・リーやウィントン・マルサリスのライブ盤に特徴が良く現れていた。それはちょうどステレオイメージの次元をさらに高めたものと言うことが出来るかもしれない。

で、このdcsのペアでは、それが実に見事に再生されるのである。もうマスターレコーダーを聴いているような錯覚に陥るくらいに。僕にとってSCD-1は今でもすぐれたプレーヤーであるという確信はいささかも変わりがないが、ここで聴けたサウンドは、明らかにレベルが違っていた(もちろん価格もレベルが違うが)。もっとも違うのはエネルギーの総量である。一音一音にエネルギーが詰まっているか ら、トータルとして音楽の訴えかける力が段違いに強化されている。

同一ソフトによるCD(972によるDSD変換)とSACDの比較試聴も行ったが、この結果は以前に富田さん宅で行ったチェスキー盤によるCDと96/24DVDとの比較をより拡大したものにすぎなかった。さすがにディスクの納められている情報量の違いを、当然のごとく見せつけられた。

ただし、これはクロックケーブルにAETの新作アルティメイト・リファレンス(75Ω版)を使ってからのことである。当日伺った時には、電源ケーブルやセッティングは、十分につめられていたが、ここまでの音はしていなかった。だから僕はこのあまりの音の変化に驚愕して、小原君に「タイムロードに売り込んだら?」と提案してしまったくらいであった。

dcsのペアを試聴して、はじめて「このディスクにはこんな音まで入っていたのか」という感想を持った。これはCDの成長期(次々と高級機が出始めたとき)に感じたものと同様のものであったが、今回そうした思いを再び感じることが出来てひじょうにうれしかった。
ここにいたって、ついにSACDはブレイクスルーしたと確信し、晴れ晴れしい気持ちで岡崎邸をあとにした。(どうせ僕には買えないから、逆に吹っ切れている。なまじ買えそうな価格ならおもいっきり思い悩んだことだろう)

これは、ソニー佐藤氏の感想でした

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SACDの地平(1)

いまから20年くらい前、私は初めてCDプレイヤーを購入した。オーディオ雑
誌には”CDはレコードより音が良い。そして、デジタルなのでCDプレイヤー
による音質差は無い”というようなことが書かれていた。その当時、まだ純情だっ
た私は(もちろん、いまでも極悪人ではない)そうか、これからはCDの時代だ、
と思いこみ、所有していた200枚のアナログレコードとレコードプレイヤーを
処分してCDプレイヤー購入の費用に充てた。その後、このことはたいそう後悔
したのだが、ともかくそれがデジタルでのオーディオの始まりだった。

月日は流れて、オーディオ初心者となっていた私はApogeeのCaliper Signature
とフィリップスのCDプレイヤーで音楽を楽しんでいた。そんなころ知り合った
極悪人のT氏が私にアナログプレイヤーを買えという。おもしろいレコードショッ
プも教えてくれるという。そこで、素直だった私はSOTAのプレイヤーを買った。
アナログと再会して、その音に触れたとき、私はCDの音に失望した。CDの音
は固くてキンキンしているように感じられたのである。アナログの奏でる音楽の
なんと質感のすばらしいことか。でも、そこでアナログ中心には行かないで、し
つこくCDを聴き続けてきた。初めてWadiaの音を聴いたときは心底驚いたし、
DDコンバーターでアップサンプリングした音を聴いたときもCDの潜在能力に驚
嘆した。

だが、最近どうもSACDが気になる。富田さんや小林悟朗さんの家で聴かせて
いただくSACDは素晴らしい音で、質感、安定度とも申し分ない。チェスキー
やFimからは素晴らしいソフトが発売されているし、そろそろユニバーサルグループか
らも発売されるらしい。そんな時、DCSのVerdiを自宅で試聴させていただく機会
を得た。これはCDとSACDをなるべく同一条件で聴いた個人的感想である。

SACDの地平(2)をお送りします。10回は続くかな?

今回、CDとSACDを比較するにあたり、デジタルケーブルはAETのUltimate
referenceを計6本使用した。ご協力いただいたAETの小原氏に感謝したい。この
ケーブルは私のシステムのCDTーDDC間のリファレンスケーブルで、情報量
の多さとワイドでフラットな周波数特性に信頼をおき愛用している。ヴェルディ
とエルガープラス1394間のIEEE1394ケーブルは付属のものである。
(IEEE1394ケーブルにオーディオ用のものは他に存在しないのでしかたがない。
ちなみにこのケーブルにはSpace Shuttle cableと刻印されていた。本当かな?)

話は前後するが、SACDで最初の音出しの時、クロックケーブルは付属のも
のを使用した。その時の音はよく言えば上品、清楚な感じの音で、あまり低音が
強調されない慎ましやかな音であった。巷間、SACDは太くて熱い音は出にく
いと言われているがまさにそんな感じの音であった。ところが、クロックケーブ
ルをUltimate referenceにすると途端にそこら辺のところが改善され、また、情
報量が増えたためか圧倒的な空間感が出てきた。音声出力ではない、クロック信
号しか通過しないクロックケーブルでこのような変化が起きるのはとても不思議
な感じがするが、非常に大きな音の変化があった。

また、CDでの音出しではヴェルディの2つのインターフェースSPDIFのAES/
EBU出力とSDIF-2出力の比較をした。それぞれの出力を972に接続しDSD変換、
エルガープラス1394に接続した。この2つの音は性質は非常によく似ている。
しかし、SDIF-2の方が1つ1つの音が磨き込まれていて精緻な感じがし、空間感
や楽器や声の質感を上手に表現する。また、音の立ち上がり、たち下がりが速く
よりリアリティを感じることができた。よって、CDの試聴にはSDIF-2出力を使
用することにした。

(3)

CDとSACDの比較に使用した主なソフトは以下の通りである。

ヨーヨー・マ  コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ作品8 より第1楽章
綾戸 智絵  LIFEよりテネシーワルツ
ジャシンタ  ベン・ウェブスターに捧ぐ よりダニーボーイ(これのみXRCD
である。)

この3枚は1対1で比較し、その他CD(972によるDSD変換)、SACD
ともいろいろなソフトを聴き、それぞれのフォーマットの全体的な特徴をつかむ
ようにした。ハイブリッド版はレイヤーの問題があると考えたため1対1の比較
には使用しなかった。

(4)

CDとSACDの再生では何が違うのか?それを語る前に、CDとDSD変換し
たCDの差について述べたい。この2つは当然、同じCDから音を出しているの
で情報量は同じはずである。しかし、困ったことにDSD変換したCDは、現行
フォーマットのままのCDに比較すると圧倒的に情報量が増えたように感じられ
るのである。まず音場がスピーカーの外側にまで大きく広がり、音像が3次元的
にはっきりと定位する。音像には俗にいわれるエッジによる隈取りなどなく、自
然なたたずまいを見せている。非常に自然な音なのだが、その揺るぎない安定感
は実に見事なほど音楽を聴かせてくれたのである。

DSD変換したCDだけを聴いていた時点では、自分も含めて多くの人が、これ
でいいと思うんじゃないかと考えていた。ところが、SACDはそんな私の考え
を一聴で吹っ飛ばしてくれた。ヨーヨー・マが、ふっ、と息を飲んでチェロを奏
で始めたとき、SACDとCDでは次元が違う事がはっきりとわかったのである。
いったい、何がそんなに違うのか?佐藤氏は”エアー感”と書いた。そう、まさ
にそれはヨーヨー・マと周りの空気を引き裂いて、スピーカーの間に置いた、と
いうようなリアリティだったのである。

表現が抽象的すぎた。分析的に表現するとこういうことになる。DSD変換され
たCDでは音場がスピーカーの外側にまで大きく広がり、音像が3次元的にはっ
きりと定位すると書いた。しかし、SACDに比較すると、残念ながら音像と音
像の間、そしてオーディエンスとの間には音同士の有機的なつながりが感じにく
い。つまり、コンサートで感じる、演奏者とオーディエンスとの間に流れる親密
な空気のようなモノ、臨場感とでも表現すべきモノが感じられないのである。と
ころが、SACDには確かにそれがあった。

(5)

SACDとCDのもう一つの大きな違いは、音像の表現の仕方である。CDでは
よく言われるように、まず音像の隈取り(エッジ感)があり、その中に淡い質感
表現がある。まるで劇画調の絵を見ている感じである。SACDには輪郭の強調
感はほとんど無いが、その質感表現は非常に多彩である。音像に細かなひだと陰
影が付き、CDにはないリアルな感じが気味悪いほどである。

一つだけ意外だったことがある。それは、音像表現に関してのSACDとアナロ
グの相違点である。情報量の差からアナログはSACDのようなリアリティは出
せないと思っていた。ところが、アナログにはアナログでしか出せない味があり、
その表情はSACDと全く違っていた。SACDでの表情は絹のようにきめが細
かく緻密である。アナログは木綿のようにざっくりとした質感だが、ナチュラル
さで劣るものではない。ただ、音の安定感はさすがにSACDに分があった。

ここで、ひとつの実験を行ってみた。スーパーツィーターをはずしてみたのであ
る。すると、なんということか、SACDをSACDらしく聴かせていたかなり
の部分が消えてしまった。私が使用しているSONYのスーパーツィーターと
Watt3のクロスオーバー周波数は40Khzである。可聴帯域ではないため
聴感上の影響は少ないはずなのにその効果は圧倒的であった。

(6)

この文章を書くのにだいぶ時間がかかってしまったが、結局、Verdiが奏で
るSACDの魅力に逆らえず導入することとなった。Verdiを導入し、しば
らくは蜜月状態が続いた。CDも、SACDも、何を聴いても素晴らしいと自己
満足状態であった。某日、極悪人の中でもとりわけ音に厳しい小林悟朗氏、富田
徹氏が我が家に遊びに来てくれた。私は意気揚々とまずCDをかけた。がーん、
なんというナローレンジな音だ。その時出てきた音はそれまで私が聴いていた音
とは似ても似つかない音であった。

VerdiはSACDとCDの両方がかかるプレーヤーである。まず、ディスク
をVerdiに挿入し、CDかSACDかはVerdiがディスクに刻まれた
TOCを読み解析する。ハイブリッド盤ではリモコン上からCDかSACDを選
択するという仕組みである。エルガープラス1394の方はインプットが違うの
で選択をする。CDはSDIF2、SACDはIEEE1394である。クロッ
クはVerdiがMaster、エルガープラス1394がSlaveである。
どうも、CDとSACDが切り替わるときにクロックがうまくロックしないこと
があるらしい。一度、すべてのデジタル機器の電源を切り、Verdi、972、
エルガープラス1394の順に電源を入れ、クロックがしっかりロックすること
を確認して音を出すといつもの音に戻った。まるで、OSがフリーズして
Resetボタンを押さなければならないような現象である。というわけで、導
入2週間で、Verdi、972、エルガープラス1394の3点セットはタイ
ムロードに送り返されることとなった。

それから、2週間ほどしてタイムロードからVerdi、972、エルガープラ
ス1394の3点セットは帰ってきた。どうも、ソフトの書き換えバージョンアッ
プと相性のチェックを受けたらしい。帰ってきたということはとりあえず合格点
はもらえた?のだろうか。

その後、前述の症状は起きていない。ただ、こちらも用心していて、Verdi
とエルガープラス1394は聴かないときには電源をStand By状態にし
ている。(972にはStand Byはないので相変わらず電源入れっぱなし
状態であるが。)小林氏によるとデジタル機器は電源を切った方がよいとのこと
である。確かにエルガープラス1394はとても熱くなるのだ。(A級パワーア
ンプ並である。)熱暴走の可能性はないかと考えてしまった。

というわけで、現在はそこそこ安定した状態で音を聴けているのであるが、そこ
はオーディオマニアの悲しい性、どうしてもCDとSACDを比較してしまう。
SACDというとどうも空間感とか音場感の素晴らしさを語られることが多いが、
いやいや、楽器の音色を再現する力も凄いものがある。最近よく聴くSMEの五
嶋みどりの2枚、こんな弦の音はCDはもちろん、アナログでもでないのではと
思ってしまう。

現在の課題はこのような音色をVerdiでのCD再生から聴くことである。
DSD変換のおかげで、CDでの音場感の再現性はとても改善された。それは、
もしかしたら嘘の情報かもしれないが、ともかく満足できるレベルとなった。問
題はSACDのような官能的な音色が出るかということではないかと思う。CD
は音像に微妙なエッジを立てることで音色の色数の少なさをうまく誤魔化してい
る。その点、DSD変換をすると音像のエッジは立たないため、そこに何らかの
付加価値がないとつまらない音に聴こえてしまう。

同じトランスポートで、CDとSACDを比較して、それぞれがとても魅力的な
音を奏でるようにする。現在、このようなとても困難な問題に直面している。そ
れが果たしてうまくいくのかはわからないが、当分は楽しめそうである。だって、
山本さんも、「オーディオって安定すると嬉しい反面つまらなくなったりもして、
つまり、不満がない事が不満みたいになって、へんな趣味だ」と書いているくら
いだから。しばし、オーディオの迷宮でさまよってみたいと考えている。

 おしまい


 山本様御無沙汰です。

久しぶりに岡崎邸襲撃してきましたので、感想送ります。 風邪をひいて熱が少しあるのに、つい行ってしまった岡崎邸。うちではギター物、がんがん鳴るのに何故か岩崎宏美のcdの解放弦の部分だけはダメ、どうしてもボン付きぎみの傾向が出てしまう。かといって押さえ込むと大事な部分まで欠落しつまらなくなってしまう。そこへ岡崎さんの勝ち誇ったようなお誘い。さっそく部屋に入るとそこには、私がSPまで代える事になってしまう原因を作ったSACDヴェルディが鎮座している。まずはCDから件の岩崎宏美(止まった時計)、実はこのCD優秀録音なのになかなかの曲者。歌唱力のある岩崎が最初抑えて歌い途中からグンと力を解放して聞き手に迫ってくる。その際の女性のこぼれた情感が再現されなければただの女々しい男とふった女の安っぽい恋愛劇になってしまう。そこでの岡崎表現はこの情感を見事に再現、抑揚の付き方が、半端じゃない。相手に対する恨み哀れみ未練、様々な過去そして現在の心の葛藤がしっとりとした声で聞き手に突き抜けてくる。もちろんギターのボン付きも十分に抑えられている。他にもエヴァキャシディのライブなど何枚かの女性ヴォーカルを聴かせてもらったがみな素晴らしい表現だった。先日富田さんに女性ヴォーカルの喉のスロート部分を再現されてぶっ飛んだばかりなのに、今度は岡崎さんが唇のもちもち感を再現し尚且つ見事に抑揚感を付けてきよった。次にかけられたシナトラベイシーライブ、ギルシャハム(V)アバド指揮のブラームスなども力感が素晴らしいのにまったく低域がだぶつかない。弦もしっとりとしてうねるような再現。いい演奏を聴かせて頂きました。
と、このままやられっぱなしで帰ったのでは、面白くない。で、DCSの992クロックジェネレータを置いてきてやったのでありました。ひっひっひっ今頃悩んでる事でありましょう。

          柳澤和男

ほう、ほう、それじゃあ僕も近い内に参上して刺激をうけて来ることにしましょう。

そして、992で悩んでいるかどうかも確かめてきましょう。(山本)

                         


2年ぶりの岡崎サウンド

「dCS VerdiでSACD vs CDの比較試聴をすることになりました。お時間が取れたら、聴きに来ませんか?」というメールを岡崎さんからいただいたのは、2002年の早春のことだった。
 すぐにも飛んでいきたい気持だった。しかし仕事に追われてスケジュールの調整がどうしてもつかず、そのときは、やむなく断念したのだが、その後、岡崎邸を訪れた「極悪人」の方々から、VerdiによるSACDサウンドの素晴らしさを生々しく伝える情報がしきりにもたらされた。たとえば小林悟朗さんからは、「昨日岡崎邸でVERDI&ELGARのSACDのサウンドを聴いてまいりました。非常に素晴らしく興奮しました。(中略)色々聴きましたが、特に江崎録音のアシュケナージ/フィルハーモニア管のショスタコーヴィチのシンフォニー5番の終楽章は凄かったです。これに関しては我が家よりも良いと思いました。TOWER OF POWERのLIVE SACDも凄かった。おそらく原本さんが大喜びされるようなサウンドだったと思います。極悪人トリオもいよいよSACD時代に突入したようです。」という熱のこもったメールをいただいた。日頃は辛口で辛辣な論評を身上とされる小林悟朗さんがここまで絶賛されるのはきわめて異例のことだ。悟朗さんだけではない。この岡崎さんのページに感想を寄せられた富田さん、柳澤さん、ソニー佐藤さんといった名だたる極悪人の方々が、皆、そのときの岡崎サウンドに脱帽されているし、柳澤さんに至っては、そのサウンドに接したことをきっかけに、スピーカーをJBL4355からボクサーT2に替えられてしまったほどだ。これはただ事ではない。それほどのサウンドを聴き逃してしまった私は残念で仕方なく、岡崎サウンドに対する想像力ばかりが膨らんでいった。仕事が一段落したら、何を置いても岡崎さんのSACDサウンドを聴かせていただこう、それだけをずっと思い続けてきたのである。

 その思いが、9ヶ月ぶりにようやく叶うことになったのだ。今回も厳しいスケジュールの合間を縫っての訪問となり、前夜も仕事で一睡もしていないが、これから岡崎さんの音を聴かせていただくと思うと、眠気も疲れもあまり感じなかった。春、岡崎邸で鳴らされたVerdiは試聴機だったそうだが、その後、岡崎さんはVerdiを購入され、ご自身の音としてさらに練り上げていらっしゃるのだから、よりいっそうの期待感を抱かずにはいられなかった。
 岡崎さんのリスニングルームを訪れるのは2年ぶり、2度目のことである。昼間も外光を遮断したリスニングルームは、拙宅と同じなので、とても落ち着ける雰囲気だ。床面積は拙宅よりほんのわずか狭いが、岡崎邸は天井が高い。それゆえにエアボリュウムは岡崎邸のほうがはるかに大きいかもしれない。室内には、一見、2年前とほとんど変わらない佇まいがあった。ウィルソンオーディオのWatts3+Puppy2、その背後でゆったりと横たわる2匹のウナギイヌ君、正面のラックにおさまるサザーランドのプリアンプ、ゴールドムンドのStudioとフォノイコライザーアンプ、そしてdCSの機器群! Verdiと972、Elgar Plus1394、そして柳澤氏の陰謀?によってここに置かれているというクロックジェネレーターの992などとは、今回が初対面であるにもかかわらず、以前からずっとその場所におさまっているような面持ちで、われわれ訪問者を暖かく迎え入れてくれた。

 席に着くと岡崎さんはおもむろに何枚かのCDとSACDをかけてくださった。そのなかには、岡崎さんが拙宅を訪問してくださったときに聴いていただいたシナトラ&ベイシーのLIVEやEW&FのLIVEのCDも含まれていて、岡崎さんのさりげない心遣いとも思えたが、これらのソースが鳴り出した瞬間、それがサーヴィスや余興で鳴らされたのではないことを知った。岡崎さんの部屋の空気はたちどころに、これらが録音された60年代のラスヴェガスのサンズや90年代の六本木のヴェルファーレの空気と入れ替わったのだ。スピーカーもリスニングルームの壁の存在も消え、いつしか私たちはLIVE演奏のさなかにいた。音の拡がりはきわめて自然で、月並みな言葉では、とてもこのサウンドイメージを表現できるものではないと思った。「音場感」とか「空間感」という言葉を用いれば、却って型にはまった、枠を感じさせる空間表現に感じられてしまうような気がした。従来から当たり前のように使ってきたこれらの言葉がもたらすサウンドイメージとはまるで違うのだ。TOWER OF POWERのSACDにいたっては、未だかつて聴いたことのないサウンドだった。濃く熱くエネルギッシュで躍動感とグルーヴ感に満ち、それでなおかつノイズフロアーがきわめて低いためだろう、楽音をとりまく空気はどこまでも澄み切ったままだ。私は興奮した。これこそ未到のサウンド、SACDの真骨頂だ。ソースがクラシックに替われば、部屋の空気はコンサートホールや教会の礼拝堂に一変する。武満徹の幽玄な世界は、部屋の灯りを落とせば、もはやこの世のものとは思えないサウンドスペースだ。ヴォーカルも数多く聴かせていただいたが、これ見よがしな大袈裟な表現はどこにもないのだが、歌い手の感情の動きが生々しく伝わってくる。ジャネット・リンドストロームも岩崎宏美も私が持参したカエターノ・ヴェローゾもそれぞれの魅力を余すところなく感じさせる音で堪能させていただいた。そして私がもっとも感動したソースは、カルロス・クライバーの指揮したウィーンフィルのニューイヤーコンサートのLIVE録音だ。1992年のニューイヤーコンサートを収録したこのCDは、特に名録音というわけではないが、私自身、愛聴して止まないソースである。このなかから有名な「美しく青きドナウ」を聴かせていただいたが、その演奏は、まさに夢のようなサウンドだった。私はウィーンのムジークフェラインザールの中央やや後方の席に座って聴いている錯覚に陥った。ウィーンフィルの華麗な音色、クライバーの優雅で流麗な指揮振りに酔いしれ、いつしかニューイヤーコンサートの会場に誘われてしまっていた。ムジークフェラインザールを一度も訪れたことのない私だが、イマジネーションのなかにあるムジークフェラインザールの響きとは、いまそこで鳴っている音そのものであったのだ。

 この日、聴かせたいただいたソースはジャンルもフォーマットも多岐にわたっていたが、どれも非のうちどころのない演奏で、心ゆくまで音楽を楽しませていただいた。SACDとCDの音質差は、それなりに感じたが、それはフォーマットの違いによる音質差であり、SACDに比してCDが聴き劣りがするようなことは、まったくなかった。どちらも極上のサウンド、極上の演奏で、岡崎邸に滞在した6時間は瞬く間に過ぎ去ってしまった。岡崎さんのオーディオと私のオーディオは、システムのラインナップをみれば、別世界のものに映るかもしれない。岡崎さんのシステムは、最先端のハイエンド、私の装置はミドルヴィンテージといってもいいのだが、岡崎さんの音に、私はまったく違和感を感じない。なぜなら、岡崎サウンドは、物凄くハイエンドでありながらも、優しくハートウォームで、重厚でヴィヴィッドで、私が目指すサウンドイメージと多くの点で重なり合うからだ。

 岡崎邸に伺った日はひどく底冷えのする一日だったが、一夜明けると外は一面の銀世界だった。しかしこの日、岡崎邸のリスニングルームで繰り広げられたレコード演奏は、外の冷気をも熱くするほどヴィヴィッドでエネルギッシュでパッションに満ち溢れていたせいか、不思議と寒さは感じなかった。岡崎さん、素晴らしい演奏を、ありがとうございました。また聴かせてください。

   2002年12月
                       原本薫子

柳澤さんは容赦のない極悪人である。いろいろと紆余曲折があり、ようやくVe
rdiが導入でき、なんとか満足できる音でCD、SACDとも聴けるようにな
ったため、ほっとした気分で日々音楽を楽しんでいた私に悪魔のような囁きが待っ
ていた。”明日、ついでに992IIを持っていくよ。”私もそこら辺は非常に
弱い性格なので”おっ、お願いします。”と迂闊にも返事をしてしまった。

さて、992IIである。これをマスタークロックとしてVerdi、972、
Elgar Plus1394とパラレルに接続した。(クロック ケーブルは
すべてAET、Ultimate Referenceを使用した。)それまで
はVerdiがマスタークロックであった。まずはCDから聴く。確かにそれま
で聴いていた音がにじんでいたというのがわかる。一つ一つの音のフォーカスが
びしっと合うため音の密度感が飛躍的に高まり、そしてそのためとてつもなく見
通しの良いサウンドステージが出現した。だからといって解像度の高い音にあり
がちな硬質な感じではなく、しなやかな感じも良く表現するのである。また、微
小レベルの信号がきちんと再現できるためであろうか、大変にリアルな音なので
ある。そう、それはあたかも演奏者の感情の起伏がわかるような感じ、とでも表
現したらいいだろうか。いままで聴いていたSACDの音にある意味で肉薄する
音がCDというフォーマットで聴くことができた。

次にSACDを聴いた。やはり変化はCDと同じ傾向で起こり、非常にリアルな音
である。しかし、CDほど大きな変化は起こらない。ここら辺はSACDのフォー
マットが優秀であるためであろうか。もちろんSACDに外部クロックを付けた
音は非常に素晴らしい音ではあるのだが、992IIの効果はCDよりは限定的
なようであった。

どちらにしても992IIの効果は素晴らしい。デジタル再生におけるクロック
制御の重要性は非常に良く理解できた。問題点はただ一つ、高価なことだけか
(笑)そして、さらにこの上に効果的な(そして高価な)ルビジウム クロック
であるクロノスがあるかと思うと。。。。。今はただ、とりあえずこの素晴らし
い音を楽しんでいたいと思う。明日は明日の風が吹く、ということで失礼しまし
た。
                 岡崎 俊哉


 2002年12月の状態 


これは上がり宣言をしても良さそうなほどの完成度だった

岡崎宅をちゃんと訪問してきかせていただくのは、かなり久しぶりだと思う。完成度という点で言えば、今年きいた沢山の音の中でもダントツだった。最初にSACDとCDをきかせてもらったが、僕にはその区別がまるでつかない。SACDがCD並みなのではなく、CDがSACDに迫っていて区別がつかないのだ。とにかくものすごく精密で、しかも精密な音にありがちな冷たさは微塵もなく、肌触りの良い、血の通った音、音楽がある。タワー・オブ・パワーも良かったし、後藤みどりも良かったけど、特にRed Rose MusicのSACDだというギターと歌には参った。本当にそこで弾いて歌っているみたいなのである。僕のところではデジタル系からこんな風に生々しく陰影のある再生は出来ないので、「かなわないから、この路線で張り合ったり勝負は挑まないでおこう」などと思った。低音が好きな人、高音が好きな人、激しい音が好きな人、色々な面子がいるけど、K'sHPに看板がある人たちの帯域的バランスはこのところ、皆さん近寄ってきているように思う。機器や部屋が違えば当然違う音であるが、様々なルートで進むうちに、いつしか同じエリアに集結しつつある感じがする。

LPの音はちょっと面白かった。僕自身はLPの音を数種類持っていて、場合によって使い分けている。岡崎さんのLP再生を取り囲むように、あれこれ、もっと泥臭い音や、もっと曖昧な音や、もっとデタラメな音を日常的にききつづけているようだ。「岡崎さんが大切にしているLPの音は、僕もやはり同じように大切にしているあの感じと共通している」そんな事を思って、それでニヤニヤしてしまった。

一つだけ気になった事がある。今まで数回きかせてもらった中で、今回が一番素晴らしかったのは言うまでもないが、非常に凝縮した感じが強く、高さや広がり感は減っているようだった。

            2002.12.12         山本耕司


昨年夏に偶然スタジオでお会いしたことをきっかけに、半年以上の月日が流れてしまいましたが、ついに岡崎邸を訪問させていただくことが出来ました。

リスニングルームに足を踏み入れると、オーケストラが流れています。写真で見慣れた光景ではありましたが、写真よりはだいぶ小ぶりに見えるオーディシステムを眺めつつ、「これはCDなんだろうか、それともSACD?」なんて事を考えつつしばらく音楽を楽しませていただきました。

私はほとんどクラシックを聴かないのですが、
「このシステムだったら、クラシックも楽しくてしょうがないなぁ…」
というのが、偽らざる感想で、ハッキリ言えば「猫に小判」状態でした。
それでも、岡崎さんの選曲は、感動的で、そして衝撃的。ほとんど予備知識のない私も、十分以上に楽しめる物であったことは、言うまでもありません。

ここまででも、十分に刺激的な体験であったのですが、本当の衝撃はその後に来ました。
イーグルスの「ホテルカルフォルニア」が流れた瞬間…。これをなんと表現したらいいのでしょうか…。
そこにあったのは、カルフォルニアの風景でもなく、イーグルスのメンバーでもなく、「イーグルスの音楽」そのもの。イーグルスの表現したかった物が、ここにある…。
そして岩崎宏美の歌が流れると…「時は止まり、そして動き出した」。

山本さんのサイトに於ける、岡崎さんのページは「狂気をも飼い慣らす精密」と名付けられていますが、まさにこれを実感しました。さらに「時間までも支配している」とは…。

ここまでが前半の出来事で、すべてソフトはCDでした。その後アナログ、SACDと移っていきます。それぞれが明確に違うことは確かなのですが、すべてが岡崎さんの手の中で、見事に制御されていることが感じられます。
岡崎さんのページで「単にフォーマットの違いでしかない」と書かれている文章を読み、その時点ではわかっていなかった、その一文の本当の意味が、実際に体験させていただくことによって、明確に感じられたように思います。

「ソフトに入っている情報をすべて引き出す」
これは、オーディオを趣味にしている方なら、多かれ少なかれ目標としている事だと思います。岡崎邸を後にし、私の表現能力を超えた体験をなんとか言葉にしようと試みる中で、まず最初に浮かんだのは、この言葉でした。そして、岡崎さんがオーディオ機器を使って、やろうとしていることは、まさにこういう事なのではないかと。
「すべてを正確に取り出すこと」
その困難さ、そして岡崎さんが目標としているレベルの高さ、驚異的な達成度。
音楽が私達に与えてくれる、楽しさ、悲しさ、狂気、そして感動…すべての要素は、オーディオ機器が産み出す物ではなく、ソフトの中にちゃんと入っている…。
言葉にすれば簡単で、あたりまえな事ですが、その困難さ、そして達成した時に得られる感動、喜びを、今回は思い知らされたように思います。

今回の体験は、予想以上であり、予想外の衝撃を与えてくれる物でした。これを有益な体験と出来るかどうかは、私自身、今後の努力次第でしょう。

このような希有な体験を与えて下さった岡崎さん、同席させていただいたチェリさん、そして紹介して下さった山本さん、本当にありがとうございました。

2003年3月23日 西田智彦


『精密の到達した安息』

穏やかな昼下がりであった。

桜の名所として名高い都内某所で、私は岡崎さんと待ち合わせをしていた。
オーディオというのは業の深い趣味であることは、今さらここで語るまでもない。
自分の紡ぐ音がある満足点に達すると、それは待ち望んだ素晴らしき状態であるはずなのに、
その安寧に身を委ねていることが不安になってくる。
いわく、「これは独り善がりではないのか?この音に客観性はあるのか?」
オーディオは所詮、独り善がりで孤独な自己表現との戦い。その考えも確かにあろう。ただ、
素晴らしいコンサートやライブが多くの人を感動させるように、誰もが納得する普遍性のある
レコード演奏はあると私は考えており、それこそが私のオーディオの目標でもある。

迷いの中にあった男にとって「岡崎さんのサウンドを聴かせてもらえば、客観性が見え
てくるはずだ」と思った事はとても自然な流れであった。
メールでアポイントを取ると、岡崎さんは快く訪問を歓迎してくれた。

久しぶりに拝見する岡崎システムは、見かけ上dcs992が加わった点を除き、ウナギ犬のよう
なプリ・パワーコンビ、精密の象徴のようなWATT3+PUPPY2共に健在であった。
ただ、ベルディの佇まいが違う。なんだろう、システム全体が醸し出すこの安定感は?

岡崎さんが最初に聴かせてくれたのは、岩崎宏美の最新アルバムから「恋におちて」であった。
ピアノによる伴奏に続いて彼女のボーカルがフッと浮かぶ。静かに柔らかく、そして強く、透
明に。多くの点で私の記憶にある岡崎さんの紡ぐサウンドそのものであった。
次々と岡崎さんは珠玉の演奏を披露してくれた。
何枚かのCDを演奏していただいた後、私がベルディに抱いた安定した佇まいの理由が分かった。
前回聴かせていただい時に岡崎サウンドの最大の特徴とも思えた甘美な音色が、全くといって
いいほど感じられなかったのである。
聞けば、その甘美さ(岡崎さんは軟調と表現したが)は岡崎さんの望むものではなく、今、私
の目の前で展開されているCDの聴こえ方こそ、岡崎さんが望むCD再生に他ならないと。
なるほど、あの甘美な響きは、確かに軟調とも受け取れたし、独特の脚色と言えなくもない。
岡崎さんはその要因はベルディにあると判断し、日々それをクリアするための使いこなしを実
践してきたという。ベルディの安定感は、そんな岡崎さんの使いこなしに装置が答え、装置と
岡崎さんが一体化したが故のものだったのではないか?
CDとSACDの聴こえ方の違いはもはやなく、ディスクの内容がストレートに伝わってくる。癖と
指摘できる独特の音色を排し、単なる美音という表現を越えた生に近いイメージの精密な音色
と聴いた。ムターのバイオリン、小沢のニューイヤーコンサートでは会場にいるような錯覚に
陥り、拍手でハッと我に返った。

岡崎さんが音と対峙するスタンスは「引きの美学」とは対極の「寄りの美学」である。

寄れば直接音が増え、細部が明瞭になることと引き換えに、音の漂いが出にくくなる。ボーカル
が浮き立ち過ぎたり、下手をすると客観性とは無縁の、演奏者と一体化するような音さえ出す。
それを良しとするスタンスもあり、これが流儀とは思う。もちろん岡崎さんは違う。岡崎さんが
「精密」と例えられるのは寄っていても、きちんと自然な距離感をキープしているからだと理解
した。細部が際立ち気味になるのを、きちんとコントロールできる。これこそが客観性なのだ。

「巨大なヘッドフォンのように聴きたい」とは岡崎さんの弁であるが、もちろんヘッドフォンで
は自然な音の漂いと定位感は出ない。前方に配したスピーカーでしか得られず、その上で奏者に
寄って聴くことでしか得られないであろう快感を、岡崎サウンドは明確に描き出す。

周波数特性が音に与える影響、機器との付き合い方、浜○あ○みのこと(笑)、素晴らしい演奏
を聴く合間に本当に多くの話しをした。
その中で、スピーカーと部屋、そして自分の位置との関係をしっかりと意識し、定める事から始
めなければ、装置の音を良くして行くことはできない、という話しが印象に残っている。

このごろ、本当に良い音というのは、実はユーザーの数ほど存在する訳ではなく、一つしかない
のではないか?そんな思いを抱く様になった。では、あきらかに存在する、その人ならではの音
とは何か?
上記の話しと関連するが、それは音楽を聴く距離の捉え方なのではないかと感じている。

岡崎さんのサウンドは音色という表現を越えて、そういう普遍的な領域にまさに踏み出そうと
しているのではないか。これは富田さんのサウンドにも柳澤さんのサウンドにも感じたことで、
誤解を恐れずに言えば、私にはこの三達人の音色はとても似ていると感じられる。
「おまえの耳はおかしい」と言われるかもしれない(笑)それでもなお、今回の岡崎さんのサウ
ンドに接して、その思いを私はより強めたのである。

客観性の確認をしたかった男はその目的を十分に果たし、「寄りの美学」を堪能した。

前回の出来は65点であったそうで、今回は85点とのこと。その変化を私もリニアに感じた。

「2chのシステムでできることは、今のシステムで満足。マルチに移行しなければ100点には
ならないでしょう」

さらりと自分史上最高宣言をする岡崎さんに増々の親近感を覚えた。

本当に楽しい時を過ごさせて頂きました。ありがとうございました。

2003.4.2  岩元 光貴 


岡崎さん家にお邪魔するのは昨年の秋以来2回目になります。今回は、前回お邪
魔したときに導入直後だったdCS Verdiの、CDサウンドが良くなったから聴き
に来ませんかというお誘いでした。

最初に数曲CDでピアノやボーカルやオケを聴かせてもらった時は、私の記憶力
が悪いせいかもしれないのですが、なにか前回とは違う感触がありやや違和感の
ある印象でした。全体的に音が引き締まっていて、それにともなって前回はかな
り量が出ていた低音もここぞという時にだけ迫ってきました。

また聴き進むにつれてだんだん分かってきたのは、女声ボーカルに代表される帯
域に感じる独特の味でした。前回私が一発ではまってしまった高橋洋子の声に
は、私のところと共通する柔らかい味が感じられたのですが、今回の味は違って
いました。濁りがなく凝集していて、今から思うと前回の高橋洋子の声はやや混
濁していたのでしょうけど、それが私の好みにはまったようでした。ただここま
で聴いて腑に落ちなかったのは、前回と変わったのは分かりましたが、この音の
どこが岡崎さんのお気に入りの音なのかが私には分からなかったのです。

しかし、岡崎さんが今年一番の当たりCDですと言っていたハーゲンカルテットの
ベートーベン「大フーガ」を聴かせてもらって全てが理解できました。大フーガ
の最初を聴いたときはシンセサイザーかオルガンか?と思ったような近代的で強
烈な演奏でしたが、その想像を絶する超絶技巧の演奏の全てが混濁なく聞き取れ
ました。また、ボーカル帯域で感じた味もこの演奏にはぴったりはまっていて、
この音色とあいまってこの超解像の音の世界が出きていました。これは曲が始
まってすぐにはっきりと理解できましたので、そのあまりのはまりように、失礼
とは思いつつもついついニヤニヤしながら曲を聴いてしまいました。たぶん、真
剣にCDを聴かせてくれた岡崎さんにはさぞかし変なやつと思われたと思います
が、私はあまりに凄いものに出くわすと笑ってしまう癖があるのです。こりゃ、
すごいや、まいった! という感じなのです。それ以降もいくつかCDを聴かせ
てもらいましたが全て一貫した音で、岡崎さんの意図がよく現れた演奏でとても
楽しめました。

次は私には初めてのアナログを聴かせてもらいました。古いはずのカウントベイ
シーは、レンジ感こそCDほどではありませんが、鮮度の高い音で全く古さを感
じませんでした。コーラスをともなった民族音楽は、空間の広がりがとても良く
表現されていてアナログの能力の高さが良く分かりました。岡崎さんの愛聴盤の
デュプレのエルガーは、ノイズこそ多かったですが全く気にならず、私のところ
でCDを聴いたときと同じように時間の長さを感じることなく、集中して聴けま
した。

そして最後に聴かせてもらったグレープの古いライブ。恥ずかしいのを我慢して
白状しますと、私は中学生のころさだまさしが大好きで、ファン倶楽部にも入っ
ているような、はっきり言ってキチガイでした。また私のオーディオ原体験は、
この当時友人宅のオーディオでさだまさしのLPを聴かせてもらったことです。
当時ラジカセしか持っていなかった私はいつか高性能なオーディオでさだまさし
を聴いてやろうと思ったものでした。その思いは最近充分過ぎるほどかなってい
るのですが、実は私のところで当時のLPをCD化したものを聴いても、粗が目
立つだけで全く楽しめないのです。しかし岡崎さん家のアナログは、そのような
粗がめだつこともなく、当時聴いてイメージしていたような滑らかで美しい音で
した。これにはまいりました。

最後にSACDを前回に引き続き聴かせてもらいました。前回は初めてSACDを聴いた
こともあって、空間表現の素晴らしさやダイナミックレンジの広さなど、その能
力の高さに衝撃を受けました。しかし今回は衝撃こそ感じないものの、聴いてい
るとだんだん力が抜けてきました。なぜかというと、普段なんとかしてCDで実現
しようと思っていることがSACDでは出来てしまっているからです。もちろんこれ
には岡崎さんの調整があって初めて実現しているのでしょうが、その差は歴然と
していると感じてしまい、これにもまいりました。

以上ですが、今回の訪問はとても楽しくもあり、まいったり、たくさんの有益な
経験をさせてもらいました。お招き下さいました岡崎さん、同席させて頂きまし
た西田さん、本当にありがとうございました。

2003年3月23日 井上徹


IEEE1394ケーブル比較試聴        岡崎俊哉

SONYではi.LINKと呼ばれ、AppleではFire Wire、これらはIEEE1394というデジタル伝送規格で、コンピュータ関連では日常的に出てくる用語である。dCS、エルガー・プラス 1394というDAコンバーターをヴェルディというCD/SACDトランスポートと共に愛用して約1年が経つが、最初、この1394という部分に???であった。IEEE1394搭載バージョンとはdCS独自開発のDSDフォーマット転送のための仕様で、DSD変換された信号をクロック信号とは別に受け渡しするとわかったときは非常に興奮したのを覚えている。とうとうSACDプレーヤーもトランスポートとDAコンバーターにセパレート化して劇的な音質改善が図られるのかと考えたし、セパレート化のデメリットであるクロックの問題もクロックケーブルによる同期、もしくはWord Syncの導入により解決されると考えた。実際、この組み合わせが奏でるSACDの演奏は素晴らしいものであった。ただ、ここで生来のオーディオマニアの悲しい性がある問題を思い起こさせた。CDもデジタルケーブルでものすごく音が変化するのだからIEEE1394ケーブルでも音は変化するに違いない。しかし、ピュアオーディオ用途のIEEE1394ケーブルなど現在のところこの世に存在はしない。また、IEEE1394ケーブルにDSD信号が流れることなどケーブルを製作したメーカーは多分想定していないだろう。まあ、とりあえず入手できるIEEE1394ケーブルをかき集めて 比較試聴してみることにした。

今回、比較試聴したケーブルは
1.dCS純正
2.オーディオテクニカ
3.エレコム
4.AR
5.Monster
の5本である。ヴェルディとエルガー・プラス 1394 の間に使用し、クロックケーブルにはAET Ultimate Referenceを使用した。

なお、純正ケーブル以外での動作保証は当然タイムロードからされていない。
自己責任でよろしくお願いします。

dCS純正とMonsterは2m、残りは1mである。さて、最近話題のオルトフォンは
何故試聴しなかったのか?IEEE1394には4ピンと6ピンがあり、オルトフォンは
4ピンしか発売されていない。(電話で確認したが、今後も6ピンの発売予定は
無いそうである。)dCSの純正フォーマットは6ピンなので、残念ながら試聴はで
きなかった。

試聴に使用したソフトであるが、下記の2枚を中心に使用し、その他適宜試聴した。

Beethoven Violin Concerto Anne-Sophie Mutter、Kurt Masur  New York Phil
より第一楽章

The Bossa Nova Sessions Eden Atwood  よりイパネマの娘

さて、各ケーブル試聴の前に一つ確認しておくべきことがある。IEEE1394ケーブ
ルでも方向性があるということである。もちろん被覆には表記されていないが、
試してみると明らかに大きな相違があった。(位相を正相と逆相に入れ替えたよ
うな変化である。)一応、正相に聴こえる方向性に統一し比較試聴は行った。

1.dCS純正
ケーブル長は2mで両端に(多分)フェライトコアの装着あり。被覆にSpace Shuttle
1394の刻印あり。まさかNASA純正か(笑)音質的には純正として過不足無い性能
を有している。低域が若干ふくらみ、ダンピングが効かない感じはするが、ピラミッ
ド型の安定したバランスを持ち、安心して音楽を聴くことができる。物足りない点と
しては音楽のダイナミズムを表現するのがやや静的になってしまう点だろうか。音場
感も平均的な印象である。

2.オーディオテクニカ
製品の詳細に関しては以下を参照して下さい。

http://www.audio-technica.co.jp/products/cables/at-dvc44.html

音質的には無個性というか、蒸留水的というか。。。高域にほんの少しキャラクター
を感じさせるか。音場感はあまり広がりが感じられない。印象が薄いケーブルである。

3.エレコム
製品の詳細に関しては以下を参照して下さい。

http://www2.elecom.co.jp/products/IE-663GT.html

コンピュータ周辺機器売場で偶然見かけ、購入した。なんと、ヨXXシカメラで
1550円。このケーブルは試聴して驚いた。音質的にはなかなかバランスが良く、
純正ケーブルよりも情報量が多い、演奏者の気配や表情を感じさせるなどなかなか
良いケーブルである。惜しむらくは楽器の音色の描き分けが単調で、すべてをエレ
コム トーンという感じに染めてしまうことである。

さて、ARとMonster、この2つは明らかにこれまでの3つとはクオリティが異なる。
IEEE1394ケーブルで音は相当変化すると確信させてくれる結果であった。。
4.AR
製品の詳細に関しては以下を参照して下さい。

http://www.araccessories.com/pro/subcategory.asp?category=2&sub=25&prod=75

さすがにうまく音をまとめているな、と感じさせるケーブルである。音の質感も
良く、弦のユニゾンやバスドラに重厚さを感じさせる。ただ、Mutterのソロの部分
などを聴くと高域の抜けはいまひとつで、よってMutterのヴァイオリンに官能性
は感じにくい。また音場感も広く、細かい情報を良く出している。音全体のバラ
ンスでは今回の中で一番かと思われる。

5.Monster
製品の詳細に関しては以下を参照して下さい。

http://www.monstercable.com/computer/productPageComputer.asp?pin=407

ケーブル長は2mである。軽い感触で音を描き、高域の抜けが良くMutterのヴァ
イオリンがスーッと広がり消えていく。その分、低域は肩すかしな感じがする。
弦のユニゾンに厚みが無くバスドラも軽い。個性的な音色である。ただ、音場感
の広さは恐ろしい。部屋の全面に音が広がり包み込まれるような感じを受けてし
まう。この音をどう評価すべきなのか、ケーブルで音がここまで変化してもよい
ものなのか。。。

さて、ARとMonster、この2つは明らかにこれまでの3つとはクオリティが異なる。
IEEE1394ケーブルで音は相当変化すると確信させてくれる結果であった。。
4.AR
製品の詳細に関しては以下を参照して下さい。

http://www.araccessories.com/pro/subcategory.asp?category=2&sub=25&prod=75

さすがにうまく音をまとめているな、と感じさせるケーブルである。音の質感も
良く、弦のユニゾンやバスドラに重厚さを感じさせる。ただ、Mutterのソロの部分
などを聴くと高域の抜けはいまひとつで、よってMutterのヴァイオリンに官能性
は感じにくい。また音場感も広く、細かい情報を良く出している。音全体のバラ
ンスでは今回の中で一番かと思われる。

5.Monster
製品の詳細に関しては以下を参照して下さい。

http://www.monstercable.com/computer/productPageComputer.asp?pin=407

ケーブル長は2mである。軽いタッチで音を描き、高域の抜けが良くMutterの
ヴァイオリンがスーッと広がり消えていく。その分、低域は肩すかしな感じがす
る。弦のユニゾンに厚みが無くバスドラも軽い。個性的な音色である。ただ、音
場感の広さは恐ろしい。部屋の全面に音が広がり包み込まれるような感じを受け
てしまう。この音をどう評価すべきなのか、ケーブルで音がここまで変化しても
よいものなのか。。。

ARのバランスの良さとMonsterの高域の抜け、音場感の広さが両立することが望
ましいのだが、現状はなかなかそううまく行きそうにない。とりあえずPersonal
ChoiceはMonsterとしているが、曲によりまだARと入れ替えていろいろ聴いてい
る状態である。いい落としどころが見つかればよいのだが。今後、各社から
IEEE1394ケーブルは発売されるだろうと思う。その時にDSD信号を前提として考
えられたケーブルが発売されることもあるだろう。Monsterのホームページによ
ると、このケーブルはIEEE1394伝送規格(400Mbps)を遙かにしのぐ1600Mbpsに
対応する伝送性能がある、ということである。この辺があの音場感の秘密か。。。
などと推測しているのだが。各社が6ピンのIEEE1394ケーブルを発売してくれる
ことを期待して、当分はAR、Monsterの2つで遊んでみたいと思う。

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岡崎邸のIEEE1394ケーブル比較試聴に参加しましたので、僕の
感想をお知らせします。

さて、約一ヶ月ぶりの岡崎邸訪問はIEEE1394ケーブル比較試聴と
なった。前回は、自分史上最高と表明された岡崎サウンドを堪能
させていただいたのだが、果たして今回は・・・。

いつも通り、リスニングポジションにつくと、まずは耳慣らしに
と一曲かけてくださった。それもゲルギエフのシェラザード、SACD盤。
この時点で、「岡崎さん、今回は自信アリだな!」と確信したので
ありました。

さて、この夜、聴かせていただいたケーブルは、
1.付属ケーブル
2.オーディオテクニカ
3.エレコム
4.AR
5.モンスターケーブル
の5種類である。

結論から、先に述べるとベストと言えるものはなかった。
テクニカは、透明感があり、軽やかな音なのだが、音場が拡がらない。
エレコムは、情報量が豊かなのだが、高域にキャラクターがあり、楽器の
音色の描き分けが苦手。ARとモンスターは一段上の音を聴かせてくれるが、
ARは音の品位は高いものの、厚化粧。モンスターは空間に包み込まれるよ
うな見事な音場を描くが、高域がドライで、低域の分解が不足する。
個人的には、音場の豊かさでモンスターをとるけれど、これにARの質感が
加われば・・・、などと想像してしまい、とてもベストとは言い切れない。
しかしながら、音の変化は想像以上で、システムとしての可能性の高さを、
見せつけられた思いだった。

オーディオファンとは、つくづく欲深な生き物らしい。前回の訪問では、
素晴らしいを連発していたのに。もちろん、今回も大変素晴らしいサウンド
ではあるのだが、可能性の一端を見せつけられると、ますます欲が出てくる。
前菜を食べると、ますます食欲がわいてきて、メインが待ち遠しい、
といった感じなのだ。そしてこれ以降の展開として、さらにハイエンド
ブランドから、メインディッシュになりうるIEEE1394(それも6ピン)
ケーブルのリリースはあるのだろうか?おおいに期待をしたいところだ。

しかしながら、入手困難と思われていたARまで個人輸入される岡崎さんの
熱意には頭が下がります。そして、これは!というケーブルを入手された
あかつきには、岡崎サウンドがどこまでいってしまうのか?興味は尽きま
せん。その時には、またぜひ聴かせてください。

               2003.6         佐藤 和浩


岡崎邸 1394ケーブルの試聴 
                  富田 徹

1.dCS純正
重厚な音という第一印象。重低音がぐんと伸びているのが聴き取れ
る。だが、全体的に面白みのない音と感じた。フォーカス感が甘い
せいか緻密なサウンドに聴こえない。音にキレも感じられない。普
通の音。純正ということでまあなんとか無難な音としての評価はで
きる。

2.オーディオテクニカ
方向性によってかなり音が変わる。なんでだろーといったぐらい変
わる。最初はクオリティの低い音で全然ダメだなと思ったが、岡崎
さんがニヤッと笑って方向性を変えると、あら不思議。まあまあ聴
ける音になった。でも音場は狭いし立体感も出ない。音全体がざら
ざらした感じでやっぱりダメだと思った。

3.エレコム
これは第一印象からしてよかった。さわやか系で空間表現もいやら
しくない。ただし情報量も多いのだがちょっと無機質な感じで、音
楽を楽しむよりオーディオ的快感に走ってしまいそう。他のチュー
ニングで何とかなる範囲かもしれないとは思った。ただこれで決ま
りかと言われると、まだ何か物足りない気もする。プラスアルフ
ァーの魅力に欠けるのだ。

4.AR
音が出た瞬間「これは素晴らしい」と思わず言葉が漏れた。サウン
ドバランスが絶妙で重低音もよく伸び、ぼくの好きな音が出たから
だ。これを聴くと今までのは何だったのということになる。端整で
音場も十分に広く楽器が奥行き方向に立体的に定位する。音色も暖
かくアコースティックな楽器の魅力を正確に表現するといった感じ。
ただし、この暖かい音色は人によってはくすんだ音ととらえるかも
しれない。

5.Monster
これは今までのどのケーブルとも大きく音が異なる。ボーカルの音
像がやたら高いところに定位したりする。リスニングポイントから
だとかなり見上げる感じで、やたら空間感が広くイメージされるの
だ。重低音はどこにいったのという感じで聴こえてこないが、低域
の解像度、フォーカス感は抜群で聴いていて大変楽しい。弦の音も
麻薬的美音で、ムターのバイオリンの音色は官能的だった。

            まとめ

ぼく個人としてはARを間違いなく選ぶだろう。クオリティが高く
他のチューニングを進めていっても、その変化の違いをよく聴かせ
てくれそうだからである。
確かにMonsterと比べると高域はくすんだ感じにも聴こえるが、そ
れはMonsterが伸びすぎていると言えなくもない。
ただ、曲によってはMonsterの方が圧倒的に楽しめる音を出すので、
これは手放せない。官能的な音に酔いたい時は、これに限ると思う。
他のケーブルはハッキリ言って箱の中にポイである。エレコムも悪
くはないがARがあれば十分だし、テクニカは聴く気がしない。d
cs純正は売るときのためにとっておこうぐらいでしかない。

最初この試聴に誘われたとき「またまた岡崎さんは大げさなんだか
ら」なんて思っていたのだが、それは大きな間違いだった。
試聴では先入観を持たないようにするために、ブラインドテストで、
とお願いしたが、そんなことをしなくても十分に分かりますよと言
われ、半信半疑で席に着いたものだ。
試聴が進むにつれ「先入観に左右されるどころかまったく音が違う
じゃないの」とあきれるしかなかったということを報告しておこう。

前回の最初の岡崎邸訪問時は、SONYのスーパーTWが導入されたばかりで、かなり実験的な音だったのだろうと思いますが、今回聴かせて頂いた音の圧倒的な完成度の高さには驚いてしまいました。ここまで到達するとは、dCS等の物量投入もさることながら、やはり修行の量が半端ではないのでしょう。特に印象に残ったのは、深い音場に展開する音空間の途方もない密度の高さと遠近感の緻密さ、そして優美な傾向での楽器や声の鳴らし分けの見事さです。ソフトと曲にあわせた細心の再生音量調節にも感服しました。岡崎さんと私はスピーカーと試聴位置との関係がほぼ同じくらいなので、自宅と較べやすく、いろいろ反省し、勉強になりました。私はそれほどたくさんの方の音を聴いたわけではないのですが、岡崎さんのCD、SACDの再生は現代音場型スピーカーの表現力を最大級に発揮させた最先端でのリファレンスたる演奏だと信じます。標準原器たる岡崎さんの音を聴くと、自分の音の個性が面白いように透けてみえて、恐ろしいやら、悲しいやら、楽しいやら、複雑な気分でした。もちろん、岡崎さんの音が無個性であるという意味ではありません。ムターのヴァイオリン協奏曲に代表されるクラシック再生は、部屋による音場サイズの限界を除けば、これ以上何を望むのかと思うほど説得力と美しさに満ち溢れていました。もちろん、その他のジャンルにおいても演奏者の情感がダイレクトに伝わってくるような演奏ですが、ポップス系においては、後半に聴かせて頂いたLP演奏の方が、開放感と浸透力において、更に私好みの音でした。LPは初めて聴かせて頂いたのですが、意識的にそのような方向で鳴らされておられるとのこと。大いに共感致しました。SACDはあれでもまだまだ上昇中とのことで、欲の深い岡崎さんの前人未踏領域への挑戦に期待したいと思います。刺激的な一日をありがとうございました。
2003年8月10日 川崎 一彦

岡崎邸感想文
前日の富田邸で、以前に聴かせて頂いた岡崎邸の音との類似を感じ、他の極悪人たちの音
と重ね合わせ、どうも現代のオーディオが音的にはある方向で収斂してきているのではな
いかという感を抱きながら、富田邸訪問の翌日、岡崎邸を訪問しました。自分史上最高で
あるとのご自身また他の方による高い評価を耳にしておりましたので、その意味での期待
も持ちながらの訪問になりました。早速聴かせて頂くと、一言で言えば、やはり噂に違わ
ぬ音・・・と言わざるを得ない音の完成度、CDにおいては非常に上品で、奥ゆかしげな音
の出方が印象的で素晴らしく(お聴かせ頂いたCDソフトによる部分が大きいのではないか
とも思います)、SACDでは、元来の精緻で情報量の多い音が、さらにそれらを煮詰めてい
った結果だと思うのですが、解像度の非常に高い、静寂感に満ちた音場に、おそろしいほ
どリアルな3次元的音像が聴こえてきます。音が研ぎ澄まされ、音像がホログラフのよう
に立体的に、しかし中味が詰まっていて、非常に実体感がありリアルに現れます。これほ
どの立体音像は聴いたことがありません。この聴いたことのないリアルな音像のお陰だと
思うのですが、岡崎邸の音は、より音楽的なリアルさを増しており、とりわけオーケスト
ラの音の出だしの矯め、音が出る直前の張り詰めた気迫や、演奏者の気合が、非常に克明
に、はっきりと伝わってきます。アッチ・ラウンドすれすれのオーケストラ全体の激しい
うねりや絡みが、その演奏者の内面における精神的高揚と共にまざまざと感じられ、演奏
者の内面の心持が非常によく分かるわけです。音楽再生において、この部分がこれほどま
でに出ていれば、他に何の求むところがあるだろうかと思わせる素晴らしい演奏でした。
音場のパースペクティブという意味では、富田さんとは異なる部分がありますが、それに
しても全体としての解像度の高さや情報量の多さ、音場の深い静寂さ、中味の充実度およ
び洗練さ加減というものは、ご両者に共通のものがあるように私には感じられます。岡崎
さんの音の変遷の中では、アップ・サンプリングに端を発したデジタル機器との試行錯誤
がはじまる前の音、すなわちステサンの“レコード演奏家訪問”時の音に、レベルは別に
しても戻った。それが更にレベル的に進んだ音になったとの岡崎さんの言でしたが、数年
に及ぶ取り組みの末、やはりご自身の音に戻られ、そこに辿り着いたのだろうという感が
、音を聴き、岡崎さんの言葉を聞くにつけいたしました。自分の音探しの只中の私にとっ
ては、このお話は何とも心動かされるお話だったのです。その後、聴かせて頂いた岡崎邸
のLPにも触れなければなりません。上記の深い静寂な音場に現れる突出した音像のリアリ
ティは、ここしばらく取り組まれていたVerdiと他のdCSとのコラボによって生まれたも
のだと、頭から思っていたのですが、LPをお聴かせいただいて必ずしもそうではないこと
を知りました。音域のバランスが、SACDとLPでは若干異なり、LPでは低域の伸びにSACDと
は異なる個性があるように感じましたが、それに拘らず、同種のリアリティがやはりLPの
音にもあるのです。やはりVerdiだけに止まらない岡崎さんの機器全体のバランスの中で
生まれくるリアリティであったのでしょうし、そのことは私には大変に興味深いことでし
た。やはりLPは、メディアとしてのポテンシャルが実はまだまだある、あるいは元々ポテ
ンシャルはデジタルよりもあるんだよという見方もあるかも知れません。いずれにせよ、
未だに使う価値があるメディアであることを再認識致しました。何だかとても楽しいです
。あれほどの音を聴かせていただき、また食事の時を含め楽しくお話をさせていただいた
ことは、私には本当にありがたく、大変大きなエネルギーを頂きました。何だかやはりと
ても熱くなります。また是非、お邪魔をさせて下さい。こちらの方でお目にかかれますこ
とも大変楽しみにいたしております。この場を借り再度お礼を申し上げます。ありがとう
ございました。

鹿野啓一


岡崎邸訪問記
2003年夏に相互訪問させていただいて以来、何回か機会はあったものの、諸般の事情で実現せずに来た岡崎邸訪問が適い、2年半ぶりに訪問させて頂きました。月日が経つのは本当に早いものです。岡崎さんはその間、中断の時期もあり、またSACDに取り組まれる中でWatt3 Puppy2の限界では・・・と思われたこともあったそうですが、それらを解消され、基本的には同じ機器をさらなるレベルで使用されているようでした。2年半ぶりの音はどうなんだろう・・・どのように進化したのだろうかと興味津々で訪問しました。
岡崎さんによれば、この間の一つの大きな課題は、SACDにより再現の可能になった低域の階調表現をどう実現するのかということでした。SACDの登場により超高域成分の再現性がオーディオ界での一つの課題となり、その過程でその音に与える影響の大きさからSuper Tweeterは、一つのオーディオ製品のジャンルを確立した訳ですが、それに止まらず、岡崎さんはさらに低域の階調表現という部分に更なるSACDの可能性を見出されていたわけです。最低域に関してはサブウーファーを付加という考え方があるわけですが(川崎さんは急峻なローパスのサブを両チャンネルで1本ずつ使用、階調表現への一つの方策)、岡崎さんはこのアプローチを取らずに、またSPの大型機への移行ということをされずにこの課題に挑まれたわけです。
聴かせていただいた音は、2年半前の音とは大変に違っていました。2年半前の音は非常に静謐な深い音場が奥方向に綺麗に広がり、そこに解像度の高い音像が浮かびあがる大変にリアルティのある音であったと思いますが、今回の音は、少し違っており、音場と音像による表現というよりも、音像そのものに解像度という尺度ではない力感があり、それによる大変な説得力のある音でした。一緒にお邪魔した川崎さんは“本物の解像度だ”とつぶやいておられましたが、まさにそんな感じの音で、しばらくはうーんと唸る以外には感想がないような音でした(私は食事に行く途上でも、まだうーんと唸っていたと思いますが・・・笑)。
演奏の初っ端は最近はやりのイノセンス、大音量にも拘わらず、音は飽和せず、音像の重なりやその一つ一つの重厚感が凄まじい。煩さは皆無。それについで一転して、James Newton Howardの“Village”などから小編成の弦楽器が掛けられ、これがまたとても美しく音がHarmonizeし、繊細に鳴る。カーペンターズなども含め様々な音楽を聴かせて頂き、そのいちいちに納得させられ、その後、SACDに移り、最後はグリモーのCredo・・・我が家では途中で聴くの断念してしまう難物ですが、現代を表象しているであろう不協和音の中に、次第に高まる合唱とグリモーのピアノによる祈りが素晴らしい対比で、静かな力のある音により表現されます。ここまである種両極にある世界を等しく描き切る表現力は驚きでした。ペルトが作ったCredoという曲の本当の素晴らしさ、祈りという一つの精神の有様を知った思いでした。フィナーレを飾るに相応しい極まった演奏でした。
岡崎さんのお話しをお聞きすると、上記のようにSPの限界かと思った時期もあったが、中断していた時期があったこともあり、オーディオを再開した際に、SPのセッティングを1からやり直した結果、低域の階調表現という課題がクリアされ、この音となったとのこと。オーディオのやり方には様々な手法があり、例えば機器が8で使いこなし2、機器を変えることで音を完成させていくというやり方もありますが、岡崎さんのやり方は機器が2で使いこなしが8(比率については様々な見方があると思いますが)、どのようにPotentialを発揮させ、使いこなしていくのかというオーディオです。単純に考えると、機器が同じでこれを8とした場合、機器を変えて完成という手法では、音としては10までしか到達しないが、岡崎さんの手法だと単純計算で40に到達。しかもおそらく上に行けば行くほど、前進することは困難。オーディオの楽しみは様々ですが、正攻法を貫く岡崎さんの到達した一つのオーディオの醍醐味なのだろうと思います。
今回は、年末のお忙しい時期に我々の訪問を受け入れて下さり、本当にありがとうございました。これからどのようにさらに歩まれていくのか、年月を重ねるごとに精神に刻まれていく何ものかが岡崎さんの音に反映されていくのだろうことは確かですが、そのご様子を今後も共に感じさせていただければと思っております。
2006年1月11日
鹿野啓一

2005年12月29日岡崎邸訪問記
大阪から東京(千葉)に引越しして近くになった岡崎邸ですが、結局、神戸から東京に年末帰省する鹿野さんの訪問に同行する形で久しぶりの訪問となりました。岡崎さんには大阪の拙宅に来て頂く機会があり、その時に、「スピーカーを替えてみようかとの思いもあります」とおっしゃっておられたのを思い出します。しかし、今回の訪問でもWatt3 Puppy2がリスニングルームの主として我々を迎えてくれました。
当日はジャクソン・ブラウンのCDの新譜でリラックスして始まったと思いきや、次の「イノセンス」サントラ盤の10曲目の大音響で、岡崎さんが自らの課題にどう答えを出したのかを知ることになりました。一般的に、大音量再生では、その突撃する音を全身で受け止める快感とスケール感を得られる一方で、通常音量時のフォーカスを無くし、大味となり、また一定の帯域でのピークが耳を攻撃することとなりがちです。また、私の耳は、齢のせいなのか、最近高域のある帯域に非常に敏感で、ときに大音量では音楽に集中できないような耐え難い刺激を受けてしまいます。もちろん、それは個人の耳の話で、私の耳にそのような刺激がないことが良い音の条件である、と言うつもりは毛頭ありません。しかし、岡崎さんの「イノセンス」では、心臓がバクバクするような大音響時でも、一つとして耳障りな音がなく、しなやかで、なのに鋭く立ち上がり、呆れるほど鮮烈で、完璧と思える帯域バランスであることにまず驚異の念を覚えました(イコライザーもないのに、です)。加えて、いやだからこそ、精緻な表現を、圧倒的ダイナミズムとともに味わえます。特に心を惹かれたのは、打楽器群のリアリティでした。あのアタックの切れ、音の立ち方、フォーカスの精度は拙宅では逆立ちしても出せません。そして、うねる弦、女声民謡合唱隊が迫り来る様には恐怖を覚えるほどです。「ああ、これは本当の解像度だ」と呟きました。
最後に聴かせて頂いたグリモーの「Credo」によるSACD再生でもその感想は同じです。いや、「イノセンス」について書き始めましたが、岡崎さんが既に手中にしている尋常でない音像のフォーカスと精緻な音場再生に、今回ダイナミズムと低域の表現の魅力を加えたという成果は、やはりこの「Credo」の再生に最もよく表われていたと思います。また、「イノセンス」と「Credo」の間にも、内田光子とスタインバーグのモーツアルトピアノとバイオリンのソナタや、ヤコブ・クライツベルグ/ネザーランド・フィルのボレロ、コリン・デイビス/ロンドン ・フィルのモルダウの通常音量でのSACD再生でも新岡崎サウンドの成果を聴くことができました。やはり低域に解像度が出ると全体のリアリズムが大きく向上するという点は私も大いに共感するところですが、SACDの低域を詰めていけばここまで行けるという新フォーマットの力量が実感できる再生であったと思います。
このように、適切な課題形成を行い、情熱とスキルとを持って当たれば、大いなる試行錯誤の後に、このように大きく飛躍した音が、大きな機器の変更をしなくても得られる、という事実を私は大いに歓迎したいと思います。岡崎さんの音の次元ですらまだセッティングで進化するということなのです。いや、岡崎さんだから出来る、ということかも知れませんが。私も引越しもあってあれこれと悩んでおりますが、「川崎さんも機器を変えずに頑張りましょうよ」と言われ、出来るかどうかはともかく、気合は入りました(笑)。この今晩の素晴らしい音、そして得た感動を、何とか自分の音の向上に繋げたい、と思いながら岡崎邸を後にしました。岡崎さん、ありがとうございました。

2006年1月22日記川崎一彦



   楽しいオーディオにはまった人々の欲深な記録