富田徹さんのオーディオ
     山本耕司

僕は自分の音が一番好きだ。だって、すべて自分好みにチューニングしてあるんだからそれは当然でしょう。でも、他の人のサウンドも(当然)素晴らしいわけで、特に富田徹さん宅の音と柔軟なアプローチは沢山の人の参考になると思うので、ここに紹介したい。富田さんは「STEREO SOUND」誌に「フォルムが語るもの」というエッセイを執筆していたので、興味のある方は是非そちらもご覧下さい。

富田徹さんが(僕がよく行くオーディオショップ)"SIS"の常連で、AVALONのアセントIIという「高価な、だけどあまり良い音で鳴ってるのをきいた事のないスピーカー」を愛用している事は「STEREO SOUND」誌を見て知っていた。96年の夏、SISの小島さんと一緒に僕の写真展を見に来てくれた事をキッカケに、会えば少しは話をするようになったものの、しばらくそれ以上の付き合いはなかった。97年の5月、SISに寄ると富田さんがいて、音楽を楽しむための装置(オーディオを楽しむのではなく)の話になった。しばらく話をした後、彼が「もしお暇なら、近所だから今からききに来ませんか」と誘ってくれた。SISからすぐ近くにある富田宅のリスニングルームは約16畳で、当時スピーカーから1mという距離できいていた僕は「こんなに広かったらいいなあ」とうらやましく思った。そして、センスの良いインテリアからは、オーディオだけが好きなタイプではない事が理解できた。

1)AVALONのアセントIIがあんな風に音楽的に鳴っているのをきいたのは初めてだった。音場感が良いのは当然として、透明でありながら決して冷たくはなく、ある温度感と艶をもっていた。

2)富田さんは、僕の愛聴盤である"デュリュフレ"のレクイエムの「フィリップ・レッジャー指揮ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団盤」を持っていて、パイプオルガンの重低音がしっかり再生された。フィリップスのポータブルCDプレーヤーでだ!! まあ、これには理由があって=YAMAHAのパラメトリックイコライザーを使用していたのだが、、、。

3)アンプは復刻版のマランツ9が修理中で、JBLのSG520+SE400を使用していたのだが、実に良いバランスで鳴っていた。この事は「なんでこんな古い非力なアンプで、アセントII(冷たい音しか出なくて強情な)がちゃんと鳴るんだ?」というショックと同時に、僕にある種の確信をもたらした。その確信とは、最終的にオーディオの極意はバランス感覚であり、力まかせ金まかせに最先端の高価な機器を揃えたからと言ってそれが必ず良い結果を生むとは限らないという事だ。

4)その頃の僕の音もそれなりに緻密で濃密だったのだが、箱庭的だったし重低音なんて無縁の世界で、富田宅とはスケールにおいて比較にならなかった。でも、不思議とくやしいとか妬ましい気持は持たず、「僕もがんばろうっと」って感じでやる気が湧いてきたのをよく覚えている。多分、音楽的再生に対する共通項の発見と、富田さんの人柄によるところが大きいのだと思う。


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さて、98年3月、富田さんが使用してる機器は上の写真の通り。アセントIIとマランツ9はそのままだが、それ以外の機器は全取っ替えで、プリアンプはチェロのスゥィートに、CDはエソテリックのP2とDAコンバーターがゴールドムントのmm10(これだけが僕と共通)になっている。アナログはガラード301ハンマートンにアームがイケダIT345、それにライラ+ベンツマイクロのPP1を使用している。この結果97年5月の音に比べると、グッとHiFi指向の強い方向に振られている。と言ってもステレオサウンド誌に登場した時ほどではない(そうだ)。

つい先日もきかせてもらったのだが、何と言っても25Hzは出ているであろう低音が見事だ。重低音のみならず、100Hz〜150Hzあたりの低音が、ただ何となくボワッと出ているのではなく、しっかりした輪郭を伴って鳴るところが素晴らしいと思う。この点は僕のシステムが逆立ちしてもかなわない。思いきり低音を出すと、リスニングポイントの後ろの壁まで揺れるので、「このマンションの部屋を売る頃は、コンクリートの壁に細かいヒビが入ってしまうのではないか」と思ってしまう程だ。そして、中高音には独特の透明感があり、明晰さと艶やかさが両立している。日本にアセントIIを所有してる人が何人いるのかは知らないが(20人いるんだろうか)富田さんのように音楽的に鳴らしてる人はいないと思う。

オーディオマニアが大好きなレコードやCDってのがある。いわゆる「優秀録音盤」ってやつだ。富田さんのところで音楽をきかせてもらう時に、「優秀録音盤」はほとんど登場しない。音楽をききたいから買ってみたら、すごくリアルな録音だったり、特徴のある音作りだったのできかせてくれるというケースが多い。僕自身も最近は「録音が良いということでCDを買う」という行為をしなくなっていたので、この姿勢には大いに共感をおぼえる。もちろん、お互いその手のCDやレコードはさんざん買ってきたんだけどね。


僕は97年9月にStudio K'sをオープンした。ここは「Studio K'sご案内」のページを見ていただければおわかりの通り、約20畳+天井高2.7mというスペースで、最初に富田宅で感じた「広くていいな」という気持だけは逆転した。しかし、広くてよく響く部屋で心地よい音をきくのは予想以上に困難で、これならマアマアというサウンドを得るのには約3カ月を費やした。その間、富田さんにも2回ほどきいてもらってアドバイスをもらった。もちろんそれに自分のアイデアを加えて自分の音作りをするのだが、これからもお互いに良い刺激を与えあえる関係でいられたら最高だと思う。

1999年4月、富田さんの装置はパワーアンプがエアーのV3マークII、DAコンバーターがオーディオアルケミーのV2.0、フォノイコライザーがADYTONになった。富田さんがADYTONの前に使用していたベンツマイクロのPP-1は"SIS"を通じて僕が購入した。

「随分機器が入れ替わったみたいだけど、どう?」って聞いたら「すごく変化してる、以前はコンサートホールの真ん中より後ろの席で、豊かな響きを楽しむって感じのサウンドだったけど、今はもっともっと距離が近くなった感じでリアルになった」という返事だった。僕は「そうは言うものの、富田さんのやってる事だから、音楽性を残した範囲でのリアルさだろうしなあ」と想像していた。

4/17の夜、富田さんから「もしお暇ならききにきませんか?」という誘いの電話がきた。その少し前に僕はアナログを再開していて、(別の用もあり)彼はStudioK'sで僕の音をきいてくれていたし、アナログ再生のお手本も示してあげようと思ったのかも知れない。きかせてもらったNEW富田サウンドは、アナログもCDも本当に見事なぐらいよく鳴っていた。リアルだし、迫力と色気が両立していた。アセントIIじゃなくてもいいから、僕も一度AVALONのスピーカーを使ってみたいなあと思わせられるぐらいよく鳴っていた。こんな風に鳴らせたら「上がり」なんじゃないだろうか。


1999年6月末 「上がりかな」なんて書いていたら、新しい情報が入ってきた。「あんなに良く鳴っていたエアーのV3Mark2を手放して、チェロのパフォーマンスを購入した」らしい。それにしても「なんて欲深な奴だ!」。まあ、僕の方もやっと手に入れたLINNのLP12だけで満足せず、ウエルテンパードのプレーヤーを秋葉原の「サウンドクリエイト」から拝借して試聴してる最中だったから、あまり他人の事も言えないんだが、、、。まあ、配偶者を取り替えたわけじゃないんだし、近々お邪魔してきかせてもらいましょう。

1999年7月 チェロのパフォーマンスになってからの音を初めてきかせてもらった。感想は正直言って「?????」って感じだった。パフォーマンスの電源から出るノイズを拾って、アナログはハムが出るし、低域はゆるく、まとまりがない。という状態なのだが、もちろん中高域には美しい響き(チェロの音だ)が感じられるし、エアーとは比べ物にならない"海の底から沸き上がるような低音"には驚かされた。要するに非常大きな可能性はあるものの、御しきれていないようだった。

「持ってきてもらって、スピーカーの前に置いた時はいい音だったんだけど、おさまりの良い場所に移したらこんな風になってしまった」とか。僕はすごく楽しくなった。お手並み拝見ってやつだ。実はこういう時が一番楽しいんだよなあ。エアーV3Mark2がユーノス・ロードスターだとすれば、チェロのパフォーマンスはフェラーリとかランボルギーニだから、乗りこなすには少し時間が必要なのだろう。多分一月か二月でアッと驚く状態になるだろう。次回の報告をお楽しみに。

僕はこの時「エアーV3Mark2って良い音だったんだなあ」と思ったので、この後スタジオで試聴してみた。その報告は「僕のオーディオ」をご覧下さい。


1999年8月 この8月に岡崎俊哉さんと柳澤和男さんのオーディオ紹介を始めるにあたり、各人を紹介する言葉を考えた。最初は「中庸、自在、精密、豪快」だけだったが、それだけだと一面的過ぎるので、もうひとこと加えることにして、富田さんは「お洒落さと自在」というものにした。お洒落さの方は部屋の写真で誰もが納得するだろうが、「自在」の方は少々わかってもらいにくかも知れない。

岡崎さんによると「富田さんはオーディオ路線と音楽路線のダブルスタンダードで、ある時はHifi一直線かと思うと、突然心地良く音楽を楽しむ方向にいったりする」そうだ。僕も「富田さんはいろんな音が好きなんだなあ」と思う事がよくある。僕のところでもけっこう楽しんでいるみたいだし、他の人の音も楽しんでいるようだ。それぞれの良い所を味わえる能力=これは食べ物で言えば「偏食がない」のであって、不味い物も美味いと感じているという事ではない。

それにしても、オーディオときたら「偏食のかたまりみたいな趣味」だと思う。富田さんは自分の音にも偏食が少ないから「どんな音でも出しちゃう」ような面を持ちあわせていて、「自在に音づくりをして」きかせてくれる。それで僕たちは「おー、今度はこんなかあ」と楽しんでいる。


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1999年9月 「もう以前のダブダブしたところはなくなって大分若返ったからね」という富田さんの言葉を信じて、二カ月ぶりの富田サウンドを体験した。アナログ再生時のノイズは消え、ゆるい低音ではなくなっていた。だけど、ついでにあの海の底から沸き上がる低音も無くなっていて「なんでここまで変化するんだろう(させられるのか)」と驚いた。こういうカリカリした状態を好む人もいるのだろうが、僕は中庸が好きだから「これはやりすぎ」だと正直に伝えた。それにしても、スピーカーセッティングでここまで音をコントロール出来るとは恐れ入る。

その三日後、富田さんからメールが届いた。先日のやや潤いに欠ける音は、プリアンプのモジュール=P201を通さず、パッシブ状態だった事によるものだったらしい。それはともかく、これで2回連続で「アレレ」っていう音をきかせらている。次回は「JBLのアンプで鳴らしてた時の音楽性と、マランツ9の余裕と、エアーのリアルさ」をすべて兼ね備え、そして凌駕するサウンドになっている事だろうと期待している。

1999年10月1日 チェロのDAC(R-DACじゃなくて、アポジーと兄弟のほう)で音を出しているし、チェロのスゥイートもバッチリ機能しているという事なので、またまた、富田宅を訪問した。ソファに座りCDを数秒きいただけでニマニマしてしまった。こうでなくちゃいけません。数枚のCDをきき終えた時、僕は非常に満足していた。そして、この音は沢山のオーディオファイルにきかせてあげたいと思う。


10/1 以下は一緒にきいた岡崎さんからの感想です。 

新しい富田サウンドは、オーディオ的にきいても全ての項目が高い次元にまとまっていて、破綻がないバランスのいい音という印象です。ホルストの惑星から木星を聴かせていただきましたが、広大なサウンドステージの中にそれぞれの楽器がピンポイントに定位し、しかも響きがきれいに溶け合っていました。また、そういうオーディオ的にすごい音は、音楽を聴き込んでいくとえてして飽きてしまうことがありますが、今回はそういう印象はなく、最後まで非常に楽しめる音でした。富田さんのhi-fiと音楽性というダブルスタンダードが見事に融合した音であると思います。さて、ここから先は好みの問題と思いますが、僕にはもう少し音楽を聴いていて緊張感が欲しいと思ったことも一応付け加えておきます。(些細な問題です)(ウーム、さすがに厳しい要求だ、山本)


今回の事について、富田さんは「セッティングを変えたのではなく、P201が蘇っただけで元々の音は10/1日の音に近いものだった。とはいってもあの状態の音を山本さんに聴かせた事実は変わりません。普通の人ならあれでごまかせるんですが、そうはいかなかったようです。恐ろしい」と言う。

僕や岡崎さんにとって、富田さんのサウンドは「富田さんの美人の奥さん」みたいなもので、時々しか会わないが、いつも「いいなあ」とか「素敵だな」とか「良い表情をするなあ」と思っている。でも富田さんとは毎日一緒だから時々はワガママだったり、すねたりもするのだろうし、富田さんが自分の都合を無理強いして怒る事もある。別に僕らがすごい耳を持ってるわけじゃなくて、「おやおや、美人の奥さんも今日はご機嫌が悪そうだな」って感じただけなのではなかろうか。


99.11 不満解決は「機器買い換えしかない」ってこともある

富田さんはパワーアンプを「パフォーマンス」にしてから、「アナログの再生がイマイチだ」と言っていた。もちろん、ある水準は超えていてるが、彼の求めるレベルに達していないという意味だ(念のため)。だから、僕の「STUDIETTO+ベンツマイクロL0.4」の音をきいて、もっともショックを受けたのは富田さんだったようで、「ガラードには限界を感じ始めている」とか「STUDIETTOが欲しい」という発言があった。富田さんは現在、IKEDA、オルトフォンのSPU AE 、MC5000、MC20MarkII、MC30スーパーII、YAMAHA MC-1S、デッカMark IV、シュアーV15III、スミコ、などのカートリッジを持っていて、機器の状態に合わせて使い分けている。だが、今回はどれもシックリこないようで、それが前述の発言になっていた。ある晩SISに行くと、SISの大野さんがベンツマイクロの「L0.4=ゼロヨン」を富田さんに渡していた。もちろん試聴するためだ。富田さんは帰り際、床に置いてあったマーク・レビンソンのML6ALを指さして「山本さん、このアンプきいてみてよ」と言う。それで、僕もその夜は急遽スタジオでプリアンプの試聴をする事になった。

僕のところでのML6ALは、パルティータC1と比較して「中域の密度感が上がり、全体的に重心が下がる」感じだった。僕は「パルティータもかなり良いがそろそろ限界で、さらに高級なプリにするとこうなるのか」と思い、「富田さんにはめられた」ような気もしたが、何十万も出すほどの変化ではないと判断した。それにリスニングポイントとアンプが離れていてリモコンが欲しい位なのに、モノラルプリは使い勝手が悪すぎる。

ベンツマイクロのカートリッジは一番有名なのが「ルビー(今はルビー2)」(28.5万)でその下が「リファレンス」(17万)で、柳澤さんと僕が使っているL.04はそのまた下で13.5万の定価がついている。僕はゼロヨンより上級機種の音は知らないが、とにかく「これだ!」と思わせるものを持っているカートリッジだ。L0.4はオーディオ雑誌ではほとんど無視されている機種だが、興味がある人には試聴をおすすめする。切れ込みが良く、腰があって、艶やかで、伝統的なアナログの音から大きく外れないサウンドだから、昔からアナログをやってきた人にも違和感なく受け入れられる。ライラも非常に魅力的なサウンドだが、こちらは伝統的と言うよりは、アナログの新しい側面を描いているようだ。

富田宅での「ベンツマイクロL0.4」はドンピシャだった。レコードをかける度に笑いが止まらないって感じで「問題はカートリッジだった」というのが結論だった。使いこなしが十分出来ているから、問題のある部分だけを解決すればあっさりオーケーって事になる。そんなわけで、めでたく僕たち、柳澤+富田+山本は「ゼロヨン3兄弟」になってしまったので、岡崎さんは「富田さんまでベンツマイクロになりおって、裏切り者!見てろ、自分はライラですごい世界を表現してやる」と決心したみたいだった。やってもらいましょう。


2000年2月 恐れ入りました

僕にはオーディオを通じて知り合った沢山の友人が存在する、そして当然ながら個性が異なる。地動説の人もいるし、スレンダーなタイプが好きな人、スピード重視、精巧な音、はち切れそうにブリブリした音、超美音、妖しい音、 みんなそれぞれだ。その中で、富田さんはちょっと違う位置にいる。正しく言うと「ちょっと違う位置」ではなく、僕と似た路線を追求しているようで、そこが他の人とは違う。他の皆さんは僕とは大きく異なる方向でそれぞれ刺激的だから、影響は受けても、それは全面的なものではない。だが、大ざっぱに傾向をわけると、僕と富田さんの音は重なり合う部分が多くある。もちろん同時比較をすれば随分違う音だろうし、「アセントを買い替えるとしたらJBLのK2だ」とも言ってるから、今だけの偶然かも知れないのだが、、、。

久々に富田さんから「是非ききにきてくれ」というお誘いがかかった。なんでもCDの音が相当良くなったらしい。富田さんも僕や岡崎さん同様、昨年の秋はP0、mm36とトランスポートを試していた。だが、結局どれも買わず、今回ついに新しい機器が導入されたようだ。部屋を真っ暗にしたブラインド状態できかせてもらったので、どんな機器なのかわからなかったが、サウンドは大幅に変化した。アンプをチェロのパフォーマンスにしてから最高のサウンドだと断言しよう。AyreのV3MarkIIのときにも「上がりなのではないか」と感じたのだが、あの時築いた山よりさらに高く、山ひだが多く、谷も深い、彼自身がそういう山を築き、その頂上に立ったと言える。Ayreの時もすごく良かったのだが、今思えば「あの鳴りっぷりの良さ」にはどこか目一杯な感じもあった。チェロのパフォーマンスになってから半年以上が経過し、螺旋階段を上るように変化を続け、ついにある高みに達したと言える。岡崎さんは「オーディオ的快感と音楽的悦楽のどちらに偏ることも無く、双方を満足させるサウンドに仕上がった」という感想を述べたが、僕もそう思う。

「CDには荒々しさも静寂もない。アナログにはその両方があり、CDの静かさは静寂ではなく単にノイズがないだけだ」CDが出現して数年経った頃、古い(オーディオの)友人は僕にこう語った。あれから10年近く経ち、CDにも以前のような音の薄さは感じなくなったが、同時にアナログも進歩を続けているのでCDが完全にアナログを越えたとは言えない。コンピュータグラフィックスがどんなに進歩しても写真を完全には越えられないようなものだ。

さて、新しい富田さんのサウンドは、CDがほとんどの面で良質のアナログサウンドに並んだと言っていいだろう。この夜はついでにDACの聴き比べもさせてもらえた。チェロのR-DACの元である紫色のパネルがついたアポジーと、チェロのDAC(これも元はアポジー)を比べたのだが、まるで音が違うから暗闇できいていてもどちらかがわかる。グッグッと押し寄せるように重低音が出るが中高域もバリバリしているのが紫色のアポジーで、低音はそこそこだが中高域に繊細な響きを感じるのがチェロだ。R-DACだとこの両方を兼ね備えているのかと想像すると、R-DACのオーナーを妬ましく思ってしまう。それにしても、今まではアナログからしかきけなかったような複雑な含みのある再生をするので驚く。

CDの音が良くなったので、アナログはちょっと別のサウンドを求めているようで、BENZMICROではなくダイナベクター製のカートリッジがついていた(シェル交換と針圧調整で簡単にカートリッジを使い分けられるのはいいなあ)。レンジが広い現代的な音ではなく、割と図太いサウンドで、やっぱりアナログはノイズもあるが押しも強い。


2000年3月20日 富田サウンドは新たな目標となったが。。。

僕たちはオーディオという愛玩物を飼っていて、いろんな芸を仕込んでいる。僕はこの半年間、自分の愛玩物に「Hifi的に鳴る」という芸を仕込んでいて、ある程度は成功したものの、ちょっと付き合うのが疲れるペットになっていた。小林悟朗さんにこの話をしたら「私のところは厚木さんが言うようにクールな面を持っている、商売女が客をとる度に本気になっていらた身がもたないから、本気にはならないように仕込んでいるのかも知れない」と言っていた。

富田さんはちょっと前まで山のてっぺんにいたのだが、最近は下界に下りてきて「恐竜」を飼い始めていた。この恐竜は大変賢くて、私たちが不快になるような事は一切しない。そして、すごい足音で暴れまくり、火も噴けば空も飛ぶのだが、心優しく上品で、美しく鳴いたりもする。あんまりすごいので、この夜、僕と岡崎さんと則島香代子さんは圧倒されてしまった。富田さんは金斗雲に乗る孫悟空みたいな気分だったかも知れない。

機器の事を書けば、AyreのD-1(トランスポート)+dcsのパーセル(DDコンバーター)+ステラヴォックスST2(DAC)という組み合わせによるものなのだが、恐竜に仕込める人が使わないとこうはならないので、これらを購入したから=富田サウンドになるという保証はどこにもない。1999年の夏にチェロのパフォーマンスを入れて苦労していたときは「差はあるが、まだまだ背中は見える」って感じだったが、今はグーンと差をつけられて姿が見えなくなってしまった。その点アナログは僕もライト・ウエイト・スーパーカーを持ってるおかげか、「アストン・マーチンに引き離されて後ろ姿も見えない」という事はなさそうだ。でも、今の僕はYAMAHAのカートリッジだから「金魚の飼育」みたいなのにはまっているんですけどね。

2000年4月11日 もっともっと突っ走るらしい

僕はプリアンプをパスラボの「X2」にして、金魚の飼育からは抜け出した。でも、僕の方は恐竜路線というわけでもなくて、いつか将来「朱鷺」に育つかしらって感じの音だ。ちょっと前に富田さんにもその音をきいてもらう機会があったのだが、その時、富田さんから「もう、パーセルも限界が見えた」などという大胆な発言がきかれた。という事は、パーセルだのデリウスだのって名前がついてないやつしかないじゃんね。 やって!やって!

2000年5月25日 ついに192

5月の連休に一度きかせてもらったときは、どこも欠点がない代わりにあまり魅力も感じられないような音になっていて、これはちょっと意外だった。芸を仕込みすぎて良い子になりすぎたみたいな音だった。もっと暴力的でハラハラするような感じがなくちゃ面白くない。

それから3週間後富田さんから電話がきた。「ステラヴォックスST2をもう1台手に入れて、192khzで受けたらものすごく良くなったので、パーセルの限界が見えた発言は撤回する」「タイミング良くDr.じゃない方のY氏がききにきて、アップコンバートの威力に驚き、翌日dcsの972を注文した」という話だった。なかなかすごそうですね。僕はこのあたりには参戦せず、KENWOODのアナログプレーヤーで遊んでいるのだが、現行CDの音が良くなる事にはもちろん興味がある。


2000年5月28日 まだ寒い頃ソニーの佐藤さんは僕のスタジオで富田さんと会った。そんなキッカケで富田サウンドを体験し、感想をくれた。

富田さんの装置の音はどうだったかというと、これは僕の想像の通りでした。まず、以前にはサウンドステージ誌で、のちにステレオサウンド誌で、現在は山本さん のHPで富田さんの装置の遍歴を知っていたのが一つ。具体的な機器名はHPに詳しいけれど、それらは どれも僕が使っているもの(初期のMIT、dcsやチェロ)や使ってみたいもの(アヴァロン)で構成されて いる。次に共通の友人を通して富田さんの音がすごく良いことを聞いていたのが二つ目。という わけでこんな感じかな、と想像した通りのすばらしい音楽(音ではない)を体験することが出来ました。

中でも宗教音楽や声楽など、残響成分を多分に含んでいるソースに対しては抜群の 相性を示して、まさに夢のような音でした。声の微妙なニュアンスの変化や音の消え際の美しさは、まさに チェロならではのものでした。また、エアーのD1は想像以上にすばらしく、かつて体験したことがないほ ど96/24DVDディスクとCDとの違いを聴かせてくれました。(お邪魔したのはチェスキーのDVDディスク を届けるというのも理由の一つでした)

おもしろかったのは、アナログの音が想像と全く正反対であったこと。ガラード301にイケダのアームですから骨太の男らしい?音と想像していたのですが、実際の音はとてもキュートな音でし た。最近では定番の感もあるジャシンタのダニーボーイを聴かせていただいたのですが、アナログの方が一回りく らい若返ったように感じました。

では、これで満足おなかいっぱいなのか?と聞かれればいくつか注文を付けたいと ころはあるのです。それは主にルームアコースティックがらみのことなのですが、その辺のことは富田さんも十 分に承知していらしゃっるであろうことが会話の中から理解できました。リビングとリスニングルームを両立す るのは大変ですね。

ぜひ次回はD1でDVD(ジェームス・テイラーのライブとかチェスキーの 96/24ビデオとか)を見せていただきたいなと思いました。音があれだけ充実しているのですから、きっと絵の方も・・・・・ ・期待せずにはいられません。

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その後、佐藤さんと僕はこういうメールを交わした。

僕が先日行った時は、ホントに大人しい音になっていたので驚きましたが、今はSPケーブルを元に戻したそうなので、
音も元に戻っているのかなと思っています。(山本)

先日もその話になったのですが、確かにどこにも引っかかるところのない美しい音でした。多くの人には”おとなしい”音に聞こえるかもしれません。富田さんとも話したのですが、山本さん自身の嗜好が少し変わったのではないかとも思います。(佐藤)

そうなのだ、僕は岡崎宅でも「大人しい」と言ってるわけだし、もしかすると僕の好みが(あるいは今出している音が)変化しているのかも知れない。僕らは神様じゃないから、音に対する評価の基準が自分の音になるのはある程度避けられない。対象になる音が自分とあまりに異なるタイプなら問題ないが、このところ岡崎&富田&山本の音は以前より接近してきているので、少しの違いが非常に気になったり、物足りなかったりするのかも知れない。結局、他の人に音をきかせてもらい続ける行為は=自分のスタイルを明確化することになる。


STEREO SOUND誌135号が出た。「この号の中で最も興味深かった記事は534頁だった」と富田さんが言う。それは僕もそう思う。レコード演奏家クラブの面々がSACDと普通のCDをブラインドできいた時の報告なのだが、簡単に結論を書くと「SACDの方はしなやかで柔らかく、普通のCDの方がエッジが立ってオーディオっぽい」ので、既存CDの方が良いと感じて既存CDをSACDだと思った人が相当数いたようだ。

極端な例で説明すると、OrtofonのSPUでLPをきき慣れた人がそれより新しいカートリッジの音をきくと、「もの足りなく感じる」ようなものかも知れない。

富田さんの最近の音をきかせてもらって、「なんだか大人しい」と感想を述べている僕が上記のブラインドテストに参加していたら、既存CDの方を「良い」と思うのかも知れない。それとも、富田さんの音が本当にちょっと大人しくなっているのか、少し時間をかけて検証してみたい課題だ。


富田さんのページを何も更新しないままSTEREOSOUND136号が出た。この号はDDコンバーター特集のような内容だった。富田さんは半年ほど前からパーセルを使ってきているわけで、StudioK'sHPはSTEREOSOUND誌より半年先をいっていたとも言える。

2000年9月13日

ステラヴォックスST2を二台使用すれば、本当に192khz24bitを再生出来るのか?

「ステラヴォックスST2を二台使えば192khz24bitを受けられる」とあちこちの雑誌に書いてある。それを信じて、パーセルとST2を二台買った人もいることだろう。富田さんもそう信じて使ってきたが、ある事を発端に疑問が生じ始めた。それは、BIRDLANDのODEON-LITEにパーセルからのデジタル出力を入れたときに、ハーフサンプリングの表示がされた事によって発覚した。

そして、今日富田さんから以下のようなメールが届いた。

現在、ステラヴォックスST2の192K対応の問題が浮上していますが、調査の結果この問題についての結論をみたので少し解説します。
ST2を2台でDCSのDACと同じデュアルAES192Kを聴くことが可能ということが判明しました。ただし、実際ただ繋いだだけでは192Kの音にはなりません。というのも192Kのディジタル信号はどこからも出ていない。デュアルAESの192Kは、ハーフサンプリングの96Kをデュアルで出力しているだけなので、96/24のDACを2台用意すればなんでも同期してしまうのです。でもそれはハーフサンプリングの96/24の音でしかない。そこでDCSパーセルから送られるデュアルAESのハーフサンプリング96/24信号の2CH分を合成するという方法を取るのです。それによってデュアルで入った信号はST2のモジュールL・RでそれぞれLLかRRにD/A変換されるので、その2つの信号を合成し1CH分とするのです。この方法によって理論上192Kになるそうです。
DCSの輸入元であるタイムロードの話では、DCSのDACにおいてもハーフサンプリングでD/A変換されたLL・RRそれぞれの出力を問題が発生しないように合成し192Kのサンプリングとしている、とのことでした。ただ問題なのが合成における精度の点です。ST2にしてもこの問題がありますが、出来なくはないということが判明したわけです。
この事実によりステレオサウンド誌等での記事に間違いはないことになりますが、
厳密に言うと合成して聴いていない人は192Kの音ではないわけで、その辺りは明確にする必要があると思います。その音は以前の我が家の音でもありますが、それにしてもST2を2台用意しパーセルのデュアルAES192Kセッティングで、たとえハーフサンプリングの96K状態であっても、鳴らした時の音が素晴らしいという事実に変わりはありません。
僕の場合はプリアンプにチェロ・スウィートを使用しているので簡単に合成出来るため、不完全とはいえ192K状態で鳴らしています。この試聴の結果、驚くべきことにこの様な単純な合成であっても音が凄く良くなることがわかりました。でもそれは不完全な状態であることに変わりはない。もし理想的な合成状態に持っていけたなら、もう2ランクはアップするはず。そうなればさらに凄くなりそうです。
この音は以前鳴らしていたJBLプリ・パワーのサウンドを究極の情報量とダイナミックレンジで蘇らせたものといえそうで、音色が豊かで熱い。厚木さんのところほどではありませんが、ぼくがながい間ダブルスタンダードで追いかけてきた、ビンテージの持つエモーショナルの再現性とテクノロジー最先端のサウンドとの融合、という理想的なベクトルを持っているようです。ここに来てついにアセントの限界を見れそうです。夢のサウンドの実現まで後わずかというところでしょうか。

上の記述がよく理解出来ない山本(Y)が富田さん(T)に色々質問してみました。

Y:すごく基本的な質問ですが、192khzのデジタル信号は一本のデジタルケーブルで接続されているのではないのですか?

T:dcsパーセルは96K以上のサンプリングからデュアルAESで出すことが出来ます。正確には176K以上はデュアルAESでしか接続できず、96Kに関してはシングルとデュアルが選択できるというわけです。192Kのデュアルというのはデジタル信号がLLで一本、RRで一本の計2本出ており、サンプリングはL・L・R・Rそれぞれがハーフサンプリングの96Kです。この2本が入力出来る機器でないと接続すら出来ません。

Y:一本のデジタルケーブルで192khzを出力できるDDコンバーターは存在するのでしょうか?

T:現在のところ192Kをシングルいわゆる一本で出すDDコンバータは製品化されていません。実際、録音現場においても192Kは96Kをハーフサンプリングとしたデュアルで行われているそうです。そもそも192Kのサンプリングを処理できるチップはまだ開発されていないという話です。ただDVDオーディオの影響で近いうちに192Kが処理できるチップは開発されると思います。

Y:では、192kのデュアルAESを受けられるDACは、具体的にどんな機種がありますか?

T:まず、dcsのプロ機である954II、エルガーII、パーセルとペアになるデリウス、そしてマークレビンソン360シリーズがプログラムの書き換えにより対応予定です。ステラヴォックスのST2は二台で受けられると言われていますが、ST2に限らず96/24のDACであれば何でも二台用意すればつなぐことは出来ます。それで同期も取れる。なぜならdcsのDDコンバータによる192Kデュアルは96Kのサンプリング信号を出力しているからです。でも、それで同期が取れたからといって192Kの音にはなりません。

Y:ここで問題にしているST2のケースですが、ST2を二台使って192khzを受けた場合、アナログ出力は二つあるわけだから、二個あるアナログ出力端子にハーフサンプリングの信号が出てくるだけという事になるわけですか?

T:そうです。一台のST2から96Kで処理された片チャンネルの同じ信号が、同時に二個あるアナログ出力端子から出力されるのです。その片側をつないでもそれは96Kの音でしかない。ここに大きな誤解があった。僕を含めて多くの人が192Kの信号を受けていたと思いこんでいた。

Y:例えばST2内部で96kと96kを合成する事は不可能なのでしょうか? それはきわめて困難なことなのででしょうか?

T:サンプリングは合成出来ません。もし、合成できても192Kでは処理できないと思います。96KでDA変換されたアナログ信号を合成するという話です。僕にも良くわかりませんが、このアナログ信号を高精度に合成することで理論的に192Kになるようです。なんかキツネに騙されているような話ですが、この合成はそれほど難しいことではないようです。ただ高精度となると難しい。インピーダンスの問題とか出力波形の相似性、クロックの問題等とかあるようです。


久しぶりの富田サウンドが期待以上に魅力的だったから、5月に僕が感じた「なんだか大人しくてパッとしない音」というのはやっぱり間違いではなかった。

今夜、久しぶりに富田さんの音をきいた。5月の、あの妙に大人しくなってしまった音ではなく、すごく濃厚で厚みのある音で、部屋の隅々まで音が充満していた。それでいて前後左右に広がったり、押し寄せたりという、臨場感が感じられる音になっていた。一年ほど前チェロのパフォーマンスにした頃は、機器たちがバラバラな方向を向いていて、潜在能力の大きさは認めるものの、好き勝手に鳴っている様子だった。だが今は違う、指揮者の言うことをきいてドッカンといくところはいくし、優雅で甘美にもうたうし、そして行き過ぎもしない。なるほど、僕がアナログにはまっていたこの数ヶ月、富田さんはこういう事をやってたのかと納得した。今夜の音にはちょっと驚いて、久々に「よっしゃ、やってやろうじゃないか」って気にさせられた。スタジオに帰って自分の音をきき、さっき体験した富田サウンドを比較すると「僕の音が、まるで声量のないオペラ歌手」の声のように思えたのには困った。2000.9.22 (山本)

昨夜、富田宅へ電話をすると柳澤&岡崎両氏が富田さんの音をききに来ていた。 エルガーPLUSを借りて試聴してるらしい。「どう?」ときくと「うなだれている」との事だった。まず、ST2二台(簡易的合成)による192khzの音をきいた柳澤岡崎両氏がうなだれ、その後エルガーPLUSにすると、それに富田さんを加えた三人がうなだれたとか。「そんなに良いなら買うしかないね」と安いDACで楽しんでいる僕は気楽に言う。CDの再生もあるところまで到達したようだから、富田さんもそろそろアナログに戻ってくるかなあと思っている。

誰かがオーディオですごい表現をしてくれる事は大歓迎だ。低レベルでの比較は無意味だから、出来るだけ高い次元でアッと驚き、「自分の方向性を示してくれるような他人の音」を期待している。すごい音をきかせられたら、素直に恐れ入ったり、うなだれたりする。でも、だからと言って卑屈になるわけではなく、弟子入りもしない。だが、互いに影響しあっているのは事実で、色んな人と音をきかせあっては自分自身の築いた山を登っている。2000.9.27(山本)


2000.10.10の情報

富田さんから、以下のようなメールが届いた。

ST2の輸入元はST2を無償で192K対応にバージョンアップするとの見解を示したとのことです。これにより、見かけ上192Kではなく、正式な192K対応となるわけです。僕もHPでST2二台で192Kという話を書いていた関係上、影響を受けて購入した人もいるわけで、そうした方に申し開きが出来るというものです。
尚、その記述はディスクステーション・上級DVD講座「DVDパラダイス」にて書いています。映像と音響に興味のある方はご覧下さい。

上級DVD講座 http://www.discstation.co.jp/VSshop/scripts/DS_dvd_lecture3.asp


人からきいた話だが、富田さんはあんなにすごい音を出していたST2二台を売り飛ばし、エルガーIIを購入したらしい。だがエルガーII は≒エルガーPLUSらしく、日々苦労をしているが、実りは少ないらしい。まあ、これは競技カルタの選手が夏合宿で走り込んでいるようなものだろう。「あひみての のちのこころにくらぶれれば むかしはものをおもわざりけり」 いとしい、いとしいエルガーPLUSへ。 


 富田サウンドを体験して          中村匠一

先日、富田さんのお宅に伺い、富田サウンドの一端に触れることができました。一端、というのは、理由がありまして、私の時間の都合で、試聴ソースがアナログとDVD−Videoの2種類にとどまり、富田さんが目下力を注がれているCDのサウンドは次の機会に・・・ということになったからです。が、その限られた体験でも、富田さんの音や絵の凄さは十二分に感じることが出来ました。

山本さんのHPにもあるように、富田さんの使用機器は、ガラードにしても、パフォーマンスにしても、アセントにしても強烈な個性のあるものばかりで、私も間近で見るとその存在感に圧倒されてしまいました。

が、不思議なことに、ひと度富田さんがレコードに針を降ろすと、その機器の存在がふっ・・・と消えてしまい、そこには、グリュミオーのヴァイオリンであったり、エリカ・ケートの声であったり、ロシア聖教の祈りであったり、つまりは音楽そのもの、というかその音楽がまさに生まれた瞬間の光景みたいなものが現れてくる。そんな感覚におそわれました。

その音はとてもワイドレンジで解像度が高く、端正でありながら、いたずらに細部に意識を向けさせないさりげなさも秘めたものでした。現に、ヒリアード・アンサンブルのペロタン作品集を聴いたときでも、私は、カウンターテナーのバックにかすかに流れているコーラスの存在を富田さんに指摘されて初めて気が付きました。それは、確かに聞こえているものなのですが、最初の一音が出たときから、音楽に没入してしまった私には、そこまで冷静に分析して聞き取ることが出来なかったのです。それほどに浸透力の高い音でした。

絵の方も、細部までの見通しが極めて優れたものでありながら、炎の色の微妙なグラデーションや、水や岩といった自然物の色が強調感が無く、ナチュラルで、映像そのものを通り越してストーリーに感情移入出来るものでした。今回はスクリーンのサイズを変更される前で、映像が若干はみ出していましたが、映画が始まってしまえばまるで気にならなくなってしまったのが、不思議でした。『激流』の最後の滝を抜けるシーンなどは、水しぶきの冷たさや、ボートが受ける衝撃などが、絵を見ているだけでも伝わってくるようで、思わず拳を握ってしまったものでした。

こういった再生が可能なのは、富田さんのセンスやキャリアは勿論のこと、音楽や映画を本当に愛され、「この音楽はこういう音で鳴って欲しい。」「この映画はこういう絵で見たい。」というしっかりとしたイメージを持たれているからだと思いました。そういった確固たる信念ともいうべき心と、柔軟で自在な遊び心が絶妙にバランスしたアートが、富田さんのサウンドであり、絵なのではないかと勝手に思いこんでいる私です。いつになるかは分かりませんが、また、機会が有れば富田さんのもう一つのサウンドアートである、CDの音も是非体験してみたいと思います。

最後に、夜分の来訪にも関わらず、丁寧におもてなししていただいた事。そして何よりも、また一つ、自分が目標とする音楽再生に出会えたことを富田さんに感謝いたします。  2001.1.21


もう随分長いこと富田さんの音もきかせてもらっていなかった。それで、出来上がったばかりのオーディオベーシック18号を持って、SIS-富田宅へ行ってきた。

考えてみれば、僕はやっと柳澤&ISBショックから立ち直ったところで、病み上がり的状態だったし、富田さんちで音をきかせてもらうのは「出来れば遠慮したい」という気分だった。先週の僕は自分の音をきく度に「まるで低音がない」と感じていたのだった。だからなるべくステレオサウンドだのオーディオベーシックに目をやって、あまりちゃんとはきかないようにしてたのだが、それを察してか照明を消されドドドっと「グラディエーター」のお出ましである。柳澤&ISB宅ほどではないが、やっぱり床が揺れる。僕のところは床なんか揺れたことがないので、またあの気分になってきた。音は濃くて、僕のところじゃとてもとてもこうは鳴らないなあ、僕はトンカツソースよりウスターソースの方が好きだからなあ。しょうがないよなあ。こんなすごい音きかせてもらって最高に嬉しいんだけど、こうやってぼやきみたいなのも書かなくちゃいけない立場になってしまったし、しばらくの間、よその音はききに行かないんだもんね。 山本 2001.3.16


  2001.4.8 川崎一彦さんよりいただいた感想です。

【富田サウンドを聴く】
二日目に3時間ほどお邪魔してCDとLPを聴かせて頂きました。極めてハイセンスな美の追求者であり洗練された文章をお書きになるちょっとカリスマ的な富田氏を紹介された時、私は緊張で硬直したのですが、気さくな方で助かりました。同じアヴァロンのスピーカーを使う者として、「富田ワールド」と称される氏の音に大変な興味があったことは言うまでもありません。部屋に案内されると、私はこの空間をそのまま自分のものにしたい欲求に襲われました。スピーカーの間のフロアに機器が並ぶ様は本当に壮観で、彼らは「部屋に棲んでいる」という表現がぴったりです。今回、CDはパーセルと972IIの2台で192kHzまでアップサンプリングするという独創的手法を採用されていました。照明が落ちてチェロのパフォーマンスとスイートの赤いランプが浮かび上がります。まるで大宇宙に飛び立つシャトルの滑走路のリード灯を見るようです。そして音が出た瞬間、私は宇宙空間に放り投げられたのです。部屋をいっぱいに満たすこの甘美で暖かで浸透力のある音は、まさしく私の追い求めている音でした。意識が透明になり、最も音楽に近づける音。アヴァロンのスピーカーを飼い慣らした者のみが提示できると信じる音。私がこの音の片鱗を発見したのはつい2年ほど前なのですが、富田さんはもうずいぶん前にこの音を捉え、この高みまで昇華させてこられたわけです。もちろんこれは富田さんの音であり、アヴァロンを使う者が誰でも出せる音のはずがありません。いや、ここにある同じ機器を所有していたとしてもこの音が出るというものではないことなど、このHPを読まれている方にはもはや常識ですね。しかし、この音はアヴァロンからしか聴けないことも事実だと思います。それほどに私はこの音からアヴァロンの持つ特異な美質を感じ、共鳴し、溶けそうになりました。富田サウンドの凄いところは、広大なステージと明確な定位、緻密さを再現しつつも、ドーン、グワアーンと音楽が聞き手に押し寄せる熱気を見事に兼ね備えている点でしょうか。その迫力は、目の前で炸裂する、と言うよりは、巻き込まれて我を失う、といった感じのものです。アセントIIという幻のスピーカーがこのような豪放さ、豊満さで有名であった話は聞いたことがありません。むしろ禁欲的で神経質なスピーカーとされ、アヴァロンというブランドはいまでもそのイメージの中にあるのではないでしょうか? 私の好きなアヴァロンの音はそんなイメージとは全く異なるものです。そして、富田さんの音はまさに私の中でアヴァロンがこう鳴って欲しいと思う一つの究極の音の形であったと思います。しかし、この印象は富田さんの今日の音だけを捉えた私の印象であって、富田さんは明日はがらりと異なる音で鳴らされているかもしれません。「川崎さん、こんな風にも鳴るんだよ」と言われるかもしれない。そのような得体の知れない懐の深さを感じさせる音でもありました。富田ワールドに完全に魅了された素晴らしい体験でした。ありがとうございました。(なお、SISで偶然お会いした柳沢さんも同席されるという素敵なおまけもありました。)


 DSDの驚愕     岡崎俊哉

富田氏の音を初めて聴かせていただいてからもう10年以上がたった。それはいつもスリリングな体験で、非常に刺激的であった。そんな10年間で感じたことは、富田氏の音の基準はダブルスタンダードではないかということである。あるときは充実した中域をベースにしてがっしりとした音像を屹立させる、あのアセントがまるでビンテージスピーカーのように鳴る。またあるときは、ワイドレンジでピークディップを感じさせない音で、サウンドステージがきれいに展開する、説得力のあるハイエンドな音である。それを、山本氏は”おしゃれさと自
在”と呼び、この独特の美意識に裏付けられたダブルスタンダードな富田ワールドは変容しないものと勝手に考えていた。しかし、どうもそれはdCSのパーセルを導入されたあたりから違ってきて、変化の胎動が始まったようである。

今回、富田氏に聴かせていただいたシステムの概要は山本さんのページに詳しいので省くが、すごい音、もしかしたら聴いてはいけない音を聴いてしまったのではないかというのが正直な感想である。もし、JBLやタンノイといったビンテージスピーカーによる音像と音色の世代を第一世代、アメリカのハイエンドオーディオというカテゴリーのスピーカーが提示するサウンドステージのリアリティを第二世代の音とすれば、今回聴けた音は前の2世代の音のいいところを合わせた、新しい世代の音かもしれない。

誤解を恐れずに言えば、この音の世代の問題にはそれぞれのメインソースの性格が大きく影響されていると考える。第一世代の音像のリアリティは音のエネルギーの定位および音色により表現され、それはアナログというソース抜きには考えられない音であろう。また、第二世代のきれいに展開するサウンドステージはCD(もしくはPCM録音)というフォーマット抜きには語れないのではないか。そして、これらの音が音像をエッジ感によりリアルに表現しているのに対して、今回聴けたは音はPCM録音されたCDというパッケージメディアをDSD変換したにすぎないのに、サウンドステージはさらに広く、深く、高く展開し、(972を1台でDSD変換すると明らかにサウンドステージが狭く、またきめが粗くしか展開されず、その変化には唖然とするばかりか、値段を考えるといやになってしまう。)さらに音像をエッジ感による強調ではなくその音触(菅野先生がいわれる音のマチエールという表現が近いか?)音像の微妙な感触や陰影を提示することにより素晴らしい音像のリアリティを表現していた。

まだ、我々はこの音に対するきちんとした評価軸を持てていないと思うが、とうとう音像と音場の高次元の融合が始まりつつあるように思われる。アメリカのハイエンドオーディオではない新しい表現の地平が(それもアメリカからではなくイギリスから)開かれつつあるのではないかと考え興奮した。すばらしい経験をさせていただいたと思っている。そして、新しい表現の自由を得た富田サウンドがどこまで到達してしまうのか、羨望と称讃を禁じ得ない。     2001.4.20

富田サウンドの感想       佐藤和浩

山本さんのご紹介で富田さんと出会い、1年がたちました。

この一年は富田さんにとって、現行デジタルフォーマットの可能性を探る一年であり、ことあるごとにそのサウンドを体験できたことは、僕にとって大きな財産となりました。

そして先日、富田さんは新しいステージにたどり着いたのです。それは以前に柳沢邸で体験したダブルDDによりDSDサウンドなのです。この日試聴に立ち会った岡崎氏と僕は、ただひたすら「いやあ」とか「まいったなあ」とか「すごいですね」を繰り返すだけでした。

何よりすごいのは音像のリアリティーで、これはもう”ポッと浮かぶ”なんてものではなく、まさに”そこで演奏している”かのようでした。とにかくその情報量、解像度は初めて体験するもので、エコーの拡がりなどは、まさに演奏会場を彷彿させるものでした。

ただ、ここまで来てしまうとさすがに様々な限界も見えてくるのがオーディオの怖いところで、オーケストラなどでは、本来スピーカーの外側に定位するはずのものが、側面の壁のせいでくしゅくしゅと縮こまってしまうのですね。ことここに至っては、ルームアコースティックを本格的に調整するか、あるいは一回り広い部屋に越すか、ということになるのでしょうか?情報量が多すぎて困るというのも僕にとっては初体験でした。

しかし、この点については僕は何も心配しておりません。以下、僕と岡崎さんの帰りの車中(ランエボ6)での会話です。

佐藤「富田さんは、現状の部屋ではエルガー2の方がまとめやすいっていってましたよ」
岡崎「でも、あの音を聴いてしまうとね。アップグレードするんでしょうね。そうしたら富田さんのことですから、スピーカーを動かすなりして何とかしちゃうんでしょうね」
僕「そうでしょうね」
二人力無くうなずく。

 富田さんの今後の展開から目が離せません。

まだ、佐藤さんとは知り合って一年ちょっとしか経っていないのですね。あまりに高密度な付き合いをしているので、3年ぐらい経っているような気がします。お互い楽しいオーディオ生活はやめられそうにありませんね。 (山本)2001.4.20


富田さんは6月に(奥さんには修理だと言って)エルガーIIをエルガーPLUSにバージョンアップした。


現在、富田さんの興味のほとんどはCDからどこまでの音を引き出せるかに向かっている。そんなわけで、この日も日頃の実験の成果をきかせてもらった。クロック入力のあるトランスポートとdCSの992を使った音をきかせてもらったのだが。確かにありとなしでは余韻の感じや立体感に差が出るので、これはやり始めたらやめられないだろうなという感じがした。

僕はいつもソフトを持参することはないのだが、この日は珍しく(実は意図的に)このところよくきいているソフトを持っていった。富田さんの音をチェックためではなく、自分の音のチェックのためだ。そこで感じたのは、1)いつもながら富田さんちの方が圧倒的に低音が出る2)そして中高域も滑らかだ、という事だった。僕の音は軽い(と言ってもごく軽い)ドンシャリ傾向があって、中高域が張っている。同じソフトをきいて富田さんちの方が断然ゆったりとリラックスしてきけるのにはちょっと驚いた。スピーカーから考えれば逆の結果になりそうなものだが、これはなかなか興味深かった。そして、この日の夜ストレートワイヤーのクレッシェンドというインターコネクトにより、僕の音の傾向はさらに強化された。 2001.9.19


山本様

こんにちは、佐藤です。

昨夜の富田宅の感想をお知らせします。

昨夜は富田さん宅に岡崎さん、大野さん、AET小原さん、そして僕を加えての試聴となりました。お題はdcs992を使っての同期運転。トランスポートにはビクターXL-Z1000を使用しました。

いやあ、それにしてもですよ、このクオリティーの高さはなんなのでしょうね。空間の広がり、背景の透明度、音像の実在感。もちろん秘密のデジタルケーブルの威力もあるのでしょうが、この音には未だかつて無い驚きがありました。しかしですよ、ただひとつ気になったのは楽器の音色の鳴らし分けが下手なのです。そしてどうにも質が安っぽい。これだけクオリティーが高いのに、なぜなのでしょうか?

その後、トランスポートをD-1に戻すと、クオリティーは下がりますが(いままでは想像もしませんでした)音色の自然さは断然こちらが良いのですね。これには困ったものです。一度聴いてしまうと、耳っていうのは際限なく贅沢になりますからね。

今回の実験後、富田さんのラインUPに変更はないようです。やはり、これは本命を待っているということなのでしょうか?来月のオーディオEXPOには(SACDブースに)展示されるそうですから楽しみです。本命は何かって?もちろんアレですよね(笑)。

岡崎さんが持ち込まれたAETの新しい電源ケーブルとデジタルケーブルの改良版も試聴しましたが、デジタルに関してはこれはもう圧倒的に良く、発売された際には、改めて試聴してみたいと思わせる完成度でした。で、電源ケーブルはお借りして持ち帰ったのですが、「AB誌20号に間に合っていたらなあ」と思うくらいの出来です。プリマドンナから、さらに彫りの深い低音が出てきたので、これには参りました。きっとご購入です。

それにしても、オーディオっていうのは、奥が深くてたのしい遊びですね。

山本様

おはようございます。富田氏宅と新しいAETケーブルの感想をお送りします。

富田氏の音は節目節目に聴かせていただいているが、最近の一連の流れ、アップサンプリングやダブルコンバートでのCD音質向上は驚くべき効果であった。そして今回、最後に残された課題とでもいうべきdcs992を使用したクロックの同期運転の音を聴かせていただいた。なお、トランスポートにはビクターXL-Z1000を使用されていた。

柳澤氏のところでの実験結果から、クロックの威力については認識させられていたが、やはりクオリティーの高さは圧倒的であった。サウンドステージの広さ、背景の透明度、エコーの広がり方、音像の実在感。ここまでの音が聴けたことにただただ驚くばかりであった。ただ、佐藤氏も指摘していたが、これだけクオリティーが高いのに、楽器の音色の鳴らし分けが下手で、どうも質感が安っぽい。富田氏もクロックの効果を認めつつもAyre D1からすぐに他のトランスポートへということはなさそうであった。

もし、このHpを読まれているメーカーの技術者の方がおられましたらお願いです、CDトランスポートにword clock inの端子をを付けてください。あんなに圧倒的に効果があるのに、現在市販されているトランスポートにword clock inがあるものはありません。何とかならないのでしょうか?よろしくお願いします。

さて、もうひとつのお題目、AETの新しい電源ケーブル(GAIA)とデジタルケーブルの改良版(Ultimate Referenceの最終試作版)も試聴させていただいた。、どうも、以前のUltimate Referencはクオリティーは圧倒的だが、響きがやや硬質でメタリックな感じの質感であったのだが、最終試作版ではこの問題はほぼ解決していて、私の好みとしてはいままで経験したデジタルケーブルの中では圧倒的に良いと感じた。また、電源ケーブルのGAIAも、情報量、よく制動された十分な量感の低域、みずみずしい質感の高域と完成度は非常に高い。SA Lab のHighendose 3.5ACを使用されている方は一聴の価値あり、Highend Hose 3.5ACをパワーアンプ用に使用している私も早々に入れ替えたいと考えている。

富田氏のところでの実験はいつも有意義で楽しい。また、機会をつくってください。 2001.9.22

ディジタル〜アナログ信号の流れ

ビクターXLZ−1000→dcsパーセル(44.1Kを176Kにアップサンプリング)→dcs972U(176KをDSDに変換)→エルガーPLUS(DSDをアナログ信号にコンバート)→チェロ・スィートプリ→チェロ・パフォーマンス→アヴァロン・アセントUスピーカー

今回の試聴目的は、クロックの入るトランスポートを使いクロック同期をとることによって音質がどのように変わるかである。現用機器はエアーD-1であるためクロックは入らない。そこでSISオーディオからビクターXLZ-1000を借りることにした。

最初の試聴。この時点でどのような接続が可能かというと、dcs972Uに内蔵されているクロックを使い、そのクロックOUTから、入り口(XLZ-1000/シンクイン)と出口(エルガーPLUS/クロックイン)を繋ぐことで同期が可能となる。この接続方法でPLL従属接続によるジッタ―増加を押さえることができる。

クロック信号の流れ

XLZ1000←dcs972U→エルガーPLUS

次にdcs992を使った試聴。dcs992を使うとクロック信号の精度が972Uより10倍以上精度が上がる。一般の機器なら100倍以上である。この場合はdcs992から直接XLZ1000のシンクインに、そしてエルガーPLUSのクロックインに繋げることになる。ここで注意したいのはdcs992はバージョンUでないとdcs972(パーセルのアップサンプリングにより176Kで受けているため)には接続できないことだ。

クロック信号の流れ

XLZ1000←dcs992→エルガーPLUS

途中のD/Dコンバータにはクロックは入らないが、XLZ-1000からdcs992の高精度クロック信号が流れてくるため問題はない。理想的には全てにクロックをかけるのが望ましいが、少なくとも入り口と出口が同期すれば良いわけである。なおこの接続には少々の工夫が必要であるが、ここでは詳しく述べない。

さて、音についてだが、ビクターXLZ-1000の音はごく普通に聴くと、エアーD-1に比べ音質的にはかなり落ちる。楽器の質感描写が特に劣る点で大きな不満が出るのだ。クオリティ的にも高いと思えないレベルであるが、972Uで同期をかけることによりこのクオリティはアップする。しかしこのレベルではまだ音の安っぽさが気になる。この点は佐藤氏や岡崎氏が言われる通りだ。そこでさらにdcs992となるわけだが、この992が繋がれたときのクオリティは素晴らしい。とにかく音場が広がり立体感が出る。残響音がホールの隅々にまで広がる様が聴き取れるのだ。
つまりこのトランスポートは高精度のマスタークロックにより生きるわけである。
このハイクオリティな音を聴いて僕の気持ちは少々ぐらついたが、それでもやはりエアーD-1の鳴らす音色の素晴らしさを手放す気にはならない。理想的にはエアーD-1にクロックインがつくことである。

次の試聴実験は、アセントUにSONY製のスーパーツイーターを載せる実験である。これはSONY佐藤氏の協力を得て実現することになった。

                                          以上 解説 富田 徹


2001.12.1 SACDマルチを実験中の富田宅を4人の(悪人+悪人予備軍)が訪れた

                                  山本耕司

StudioK'sで数時間音をきいてもらった後、TATUYAさんのクルマで富田宅へ移動し、ヤマモト添乗員の案内によりゾロゾロと4人が部屋に入った。富田さんは4人もやって来ると思っていなかったらしく、とても驚いていた。そんなわけで最近取り組み始めたSACDマルチも指定席で一人づつきかせていただいた。富田さんが実験中のSACDマルチは、「5.1chは同じスピーカーを5本使用しなければならない」という教科書通りの非現実的なものではなく、きわめて現実的な取り組みであることに好感と共鳴をおぼえるものだった。もちろん同一スピーカーを5本使用が前提には意味があり、これを無視して良いわけではない。だが、メーカーの試聴室やオーディオ誌の解説図にあるような、リスナーの周りに同一スピーカーを5本配置出来る(そんな環境を持っている)人はそうざらには存在せず、企画倒れに終わるという見解さえある。富田さんは「マルチchには大きな可能性がある、しかも高音質のSACDならなおの事だ」と思っているらしく、我々の中ではいち早くSACDマルチに取り組み始めた。メイン2ch+リア2chの4chで構成され、メインSPのアセントIIに加えて、リアにはNHTの小型SPが使われていた。このままだとメインとリアの音質に格差がありすぎて違和感が出るため、リアSPには初めて見る超高価なFMアコースティック製のイコライザが導入され、音質が整えられていた。マルチのサウンドはこの時点でも充分楽しめるものになっていて、「さすが」と思うと同時に「富田さんの知識や判断、現実との折り合いのつけ方」に感心した。

マルチの後は通常の2chの音をきかせてもらった。この前僕が富田さんの音をきかせてもらったのは9/19だから、もう二ヶ月以上経っていて、この間に自分の音も大きく変化したし、現在の音をきかせてもらってどんな風に感じるのか、音そのものにはもちろんのこと、自分自身の感じ方にも大きな興味があった。結論から書くと、「とてつもなく、濃くぶ厚い音」になっていた。ここらあたりが「自在」と形容したくなるのだが、今まできかせてもらった中で一番濃密な音だった。機器は替わっていないので、考えられるのは「スーパー・ツィーターの影響かな」と思っている。上が伸びたので、無意識に下を出してバランスをとっているのかも知れない。そして、久しぶりにLPの音もきかせてもらったが、これがまた、とても同じカートリッジとは思えない(富田宅へ行く前に、僕はBENZMICRO L0.4の音もきいていた)鳴り方をしていた。清楚だったり、油っこかったりもするのだが、とにかく僕のところで鳴らす(ほとんど同じロットの)L0.4とは随分違うサウンドで、とても不思議な気がした。CELLOのフォノボード(MM)は正解ですね。僕はLP再生に関してはアーム3本フォノイコ3台体勢をとっていて、Ortofonは弦楽器及び古いジャズ専用、ZYXは透明感とスピード感と正確さとしなやかさ、L0.4には筋肉質で豪快な感じという風に使い分けているのだが、富田さんは1台で全部をまかなう状態なので、L0.4をオールマイティに近い感じでまとめているようだった。

                

実は、日本に来る前に川崎さんから私の音は富田さんの音に一番近いのではないかと聞いていたため、山本さん、岡崎さん宅とは、ちょっと違う感覚で、富田さんのお宅を訪問させていただきました(私自身は実は、他の方の感想ではなく、岡崎さんご自身が書いておられることを読んで、また使用されている機器からして、自分の音は、岡崎さんの音に近いのではないかと思っていました)

我々4人がお部屋にご案内して頂くと、川崎さんも書いておられるように、チェロのパフォーマンスを一番の奥の列にして、機器たちが、生き物のように床に潜んでいました。そして部屋の照明を落とすと、まるで夜間飛行をしている飛行機から見る飛行場のような幻想的な世界が広がっていました。音が流れ出すと、それは、ジェット機が音もなくすっと離陸する時の映像を見ているようで、シートに座った我々は、富田さんの世界に、魅せられ、引き込まれて行ったと思います。

現在、富田さんがフォーカスを当て取り組まれている現在最新のSACDによるマルチ再生は、もう2chでは絶対に出せない世界でした。いくら2chで包み込まれるような音の世界があり得るとしても、この世界は絶対に出せない。富田さんは、フロントの音を消して、リアのみの音も聴かせてくれましたが、かなりの音がリアのChにも含まれていて、音量も出ているのに、フロントとともに溶け合うや否や、それらは消え去り、ホールの残響や、音の気配のみが聴こえる。これは、経験をした人しか分からない音世界だと思うのですが、身体がソフトに録音された音の世界に移動してしまう。身体がソフトに記録された世界に入りこみ体験してしまう。そんな未知の体験でした。

音を分析的に言えば、中音域が厚いのですが、ナローレンジな感じは全くなく、質的な部分が、ものすごく高い。スーパーツィーターを含め、全くのシームレスで、音は見事に溶け合い、極上の感触。氷を触ったような滑らかな感じ(これは冷たい音と言うことではなく、感触のみの話し)は、私の中では比肩するものがありません。また、素朴とか荒削りといった感じとは全く対称的な音で、すっぴんの音ではなく、ものすごくうまいお化粧をしたような感じの音で、たまらなく美しく、その化粧具合に写る美意識やセンスがまさに富田さんの世界なのだろうと感じました。どうしたら、こんな音が出るのか私には分かりません。私の目指している音と、ある面で方向として似ているのですが、私には、出せない音だろうと思います。

蛇足まで記せば、富田さんのマルチがここまで高みに至った一つの要素には、FMアコ−スティックのリニアライザーおよびその富田さんの使いこなしにあるのだろうと思います。リアスピーカーのみをFMスルーで聴いたときのよく聴く小型スピーカーの音が、魔法のようにメインのアバロンのスピーカーの色合いになってしまう。これには、ただただ、唖然としました。腕、肩周りがおかしくなるほどいじられた結果というのは、納得できます。単にリニアライザーがあってもこうはならないだろうし、またリニアライザーがなければ、ここまでは行かないのだろうと思います。富田さんのお宅での体験は、EQを使っている者にとって、その可能性の大きさと同時に生半ではいかない大変さを突き付けられた経験でもありました。

富田さんありがとうございました。すばらしい体験でした。この場をお借りして再度お礼申し上げます。マルチの方に焦点を当たられたセッティングとのことで、それが頷けるすばらしさであったと同時に、2CHの方も、とりわけアナログは、私にとってはすばらしい音でした。また日本に戻りましたら、是非、訪問させていただければと思っております。       TATUYA

SACDマルチチャンネルの衝撃

富田さんの音を聴かせていただくのはちょうど1年ぶりなのですが、私の脳裏には2000年12月に聴かせていただいた「グラディエーター」の記憶があまりにも鮮明で、富田サウンドといいますと、どうしてもあのときの体験が生々しく思い出されます。

しかし、あれから1年が経ち、富田さんの音はさらなる進化を遂げられていて、もはや1年前の富田さんの音ではありませんでした。
最初に聴かせてくださったアナログディスクの音から、意表を憑かれました。富田さんにアナログディスクを聴かせていただくのは今回が初めてなのですが、1年前の富田サウンドの印象とはあきらかに違います。1年前の富田サウンドは、低域がボトムエンドまで伸びて、中域をことさら印象づけることはなく、無限のパースペクティヴの拡がりを満喫させてくれましたが、今回は、そのような要素を失うことなく、なおかつ、これぞ低音と感じさせる帯域をたっぷりと出していらっしゃったように感じられました。中域にもコクと厚味が増して、そのせいか以前よりも温度感が上がり、音楽との距離感もグッと近くなったような印象です。少なくとも、「ダイアローグ」を、あれほどアグレッシヴに火花を散らすような音で鳴らされる富田さんは、とても想像がつきませんでした(笑)。

さて、アナログディスクの次は、いよいよSACDのマルチチャンネル再生を聴かせていただくことになりました。富田さんは、SACDマルチチャンネル再生では、通常のリスニングポイントよりも、やや前方中央に一人掛けの椅子を置かれて、その位置でピンポイントで調整されていらっしゃいますので、私たちは一人ずつ、順番に交替しながら聴かせていただくことになり、期待に胸を膨らませて自分の番がくるのを待ちました。
そして、いよいよリスニングポイントの椅子に腰掛け、弦楽合奏曲が鳴らされた瞬間の驚き……それはまるで……あまり適切な喩えではないのかもしれませんが、あたかも夢の中で聴いた音のようでした。何の制約も受けず、自由に空間に解き放たれた響き。ああ、いいなあと思っていると、いつも目が覚めてしまうのですが、その音のなかに、目が覚めても現実にいるような錯覚をおぼえたのです。音場感や空気感という言葉では表現しきれない、音楽の演奏の場にスッと入り込んだような、あまりにも自然な響きでした。
しかし、このような音は、SACDマルチチャンネル再生という手段をもってすれば、誰にでも出せるものではないような気がいたします。富田さんは、リア・スピーカーの帯域バランスをメインシステムと揃えられるために、FMアコースティックのリニアライザーというイコライザーを駆使されて、NHTのリア・スピーカーをアヴァロンのアセント2に見事に融合させていらっしゃいました。そのチューニングの技は、とても一朝一夕に培われるものではありません。SACDマルチチャンネル再生に取り組まれて、短期間でこれだけ高いレベルに到達されましたのも、やはり富田さんならではのセンスと才能と人知れぬ努力の賜物ではないかと存じ上げます。

さいごに聴かせていただきました、2台のD/Dコンバーターを通されてダブルコンバートしていらっしゃる2チャンネルCDも、音楽の熱い息吹が活き活きと伝わってまいりまして、ちょっと冷静ではいられなくなるほど魅力的な音でした。こうした手法によるCD再生の可能性をあらためて感じさせてくださったように思います。

本当にたのしいひとときでした。富田さんのお宅には、いつも夜分にうかがうことになってしまい、申し訳ありません。遅くまでおつき合いいただきまして、ありがとうございました。また機会がありましたら聴かせてくださいね。そして、拙宅のほうにもぜひ、一度、お越しくださいませ。

       2001年12月
                       原本薫子


SACDマルチ試聴             岡崎俊哉

私にとってSACDは最近とても気になるメディアである。小林悟朗さんのお宅にうかがい音を聴かせていただいたときに、小林さんがごく自然にSACDをかけてくださるのをみて、私もそろそろSACDを導入するべきかなと考えていた。
ドイツグラモフォン、デッカ、フィリップス、EMIもいよいよSACDに参入するらしい、機は熟しつつある。そうこうするうちにSACDマルチという新しいフォーマットが登場した。このフォーマットは雑誌などで読んでいると非常に面倒くさいもののように思われる。まず、スピーカーが(同じものが)5本なくてはならない、それが同心円上にあり、その円の中心で聴かなくてはならない等々。ところがなんと、富田さんがSACDマルチに挑戦するという。いままで富田さんはSACDは取り組んでいなかったので2CHは素通り?でマルチからスタートするとのこと。これは是非とも聴かせていただかなくてはと思い富田さん宅にうかがった。

富田さんのSACDマルチ導入の手法は雑誌にあるような方法ではなく、きわめて現実的なアプローチであった。SONY、SCD−XA777ESを使用し、フロント2チャンネルはアセント2でそのまま、リアにNHT、Super1を使用し4チャンネルという手法である。SACDマルチはその性格上、フロントとリアの整合性を保つために調整できるパラメーターがない。そして、これが他のマルチチャンネルのフォーマットと決定的に違うことだと思うのだが、かなり積極的にリアチャンネルをならすのである。初めてその音を聴かせていただいた時、やはり2チャンネルでセッティングを詰めてある装置に後からリアチャンネルを付け加えてもなかなかシームレスにつながらないのでは、と感じたものだった。また、これなら2チャンネルのSACDを追いかけた方がいいのではないかとも感じた。でも、どうやらそれは早計な判断だったようだ。

2回目に富田さんにSACDマルチを聴かせていただいたとき、その音は大きく変貌していた。江崎録音のオルガンが部屋いっぱいに朗々となる。まるで、演奏会場にトリップしたかのようなイリュージョンを味わった。非常に濃厚な音なのに解像度は極めて高い。(この2つの項目は二律背反な事象と考えがちである。)富田さんにどんな仕掛けなのかをたずねたところ、フロント2チャンネルのスピーカーセッティングのやり直しとFMアコースティクスのリニアライザーというイコライザーをリアチャンネルに入れ、フロントとの整合性を取ったということだった。フロントとリアの音を比較させていただいたが、かなり近い感じであった。

富田さんのリスニングルームでは時々とんでもないことが起きる。過去15年間のおつきあいで経験していたことがまた起き、そして、そういう場面に幸運にも立ち会うことができた。SACDマルチはスタートしたばかりであり、録音制作者の側、リスナーの側ともに試行錯誤の段階である。SACDマルチを評価するにはまだ早いが、大きな可能性があることは事実のようである。


12月19日夜、富田さんにお誘いを受け、SACDマルチの試聴をさせていただきました。この時点ですでにリアスピーカーがボレロに変わっており、富田さんの対応の早さに驚くとともに、なにがこんなに富田さんを熱中させているのか?という点に俄然興味がわいてきました。

早速、一通りソフトを聴かせていただいたあと、そのシステムを説明していただいたのですが、大変巧妙な方法で、セッティングをつめるための工夫が凝らされていました。セレクターにより簡単にフロント・リア・4chマルチと比較試聴できるようになっていたり、リアの音調を整えるためのFMのリニアライザーが挿入されていたり、リアの音量を自在にコントロールするためにチェロのエチュードが使われていたり(スウィートとゲインが同じなので使いやすい)とか、コルビジェの回転いすで、音場のつながりが確認しやすいとかとか、もう、列挙するとキリがないほどなのです。

で、肝心の音なのですが、現時点でも僕にはかなり仕上がっていると感じました。なによりいつも聴かせていただいている富田さんの音調と、あまり違和感がなかったからです。そしてきちんとした音場のディプスが感じられるのに、エコーにフワリと包まれる様は、まさに圧巻でした。それはもちろんソフトに因る、というエクスキューズはあるのですが・・・。

試聴の途中から部屋いっぱいに満たされる富田さん独自の美音に身を任せ、フワフワした心地よさに酔っていたのですが、フッと我に返り、そうかこれが富田さんを夢中にしているのか!と得心しました。なりより想像力を働かせたり、それなりの経験を積まなくても、ごく自然に音場が感じられるのはマルチならではのメリットと思います。そこにはわざとらしさやデジタル臭さのない、音空間が存在するのです。これは、ぜひともマニア以外の方にも聴いていただきたいものだと痛切に感じました。

いまはまだ、ケーブルなど仮の状態での実験と言うことでしたがこの先、どこまで完成度が上がっていくのでしょうか?
また一段完成度が上がりましたら、試聴にお誘いください。

                                    佐藤和浩

tomita2002.2.jpg tomitastw.jpg
      久しぶりに富田システムを写真に撮った

p-70.jpg

左手前はエソテリック P-70 

右はヴェルディとdCS992 その右にP-1A  

左後ろがAyer D1 

右の奥はエルガーPLUS 実はその下にdCS972         

        
tomitasacd.jpg SACDマルチはXA777ES

dCSヴェルディとエソテリックP−70の試聴 

                         2002年2月19日  富田徹

プロローグ

山本氏撮影の写真を見ると、まるで全部僕の機器のようだがそうではない。dcsヴェルディは、僕の友人が購入したものを借りてきたものだし、エソテリックP−70はメーカーからの試聴機である。それにしても豪華な試聴になったものだ。この2台が同時比較試聴できるというのは夢のような話しである。というのもヴェルディは日本にはまだ数台しか輸入されておらず、試聴機を聴く事さえ困難な状態であるし、P70もなかなか試聴機がまわってこないという状況だったからだ。それが奇跡的にも同時に2台揃った。この誌面を借りて、試聴に協力してくれた友人とエソテリックにお礼を言いたい。

その1dcsヴェルディの試聴

インターフェイス対決

最初にヴェルディの試聴から。僕にとってこの試聴で最も興味深いと思っていたのは、CDディジタルアウトのSDIF−2インターフェイスのクオリティについてである。というのもこのインターフェイスは、コンシューマー機では初めての採用であるが、プロの現場では一般的に使われていて、高いクオリティである事は既に確認済みのインターフェイスだからである。

そんなこともあり『SPDIF』対『SDIF‐2』のクオリティ比較試聴からおこなったが、ヴェルディのもう一つの重要なポイントであるSACDをセパレートで聴くという試聴に関しては、全く僕の発想になくSACD盤の試聴は一斉おこなわなかった。もし聴くとなると1394仕様のエルガーPLUSが必要というのもネックになった。ようは、この後のヴェルディに関する話しの内容は、すべてCDフォーマットの試聴における話ということで理解していただきたい。現在最も多く抱えているソフトを高音質で聴くというのが今の僕の課題である。

試聴の機器はご覧の通り。dcsヴェルディからdcs972UにSDIF‐2とSPDIF両方を接続。それらの信号はどちらもDSD変換されdcsエルガーPLUSに送られる。エルガーPLUSでDA変換後はチェロ・スィートのプリを介してチェロ・パフォーマンスそしてアヴァロン・アセントUとなっている。尚、アセントUには昨年より実験中であったソニー製のスーパートゥイーターが接続してある。

ちょっと話しがそれるが、写真に出ているスーパートゥイーターは、最近新品で購入した機器であるため、エージングがまだ終わっていない。また、アセントUと能率を合わせるため、抵抗を使っているが、これもいずれはもっと品質の良いものに変える予定である。カットオフは40KHz。それをきいて40KHz以上なんて聞こえるわけがないだろう、と言われる方はいるかもしれない。でも心配はいらない。このスーパートゥイーターの設計開発者と3ヵ月ほどかけて試聴の結果割り出したチューニングであり、いい加減なセッティングではないからだ。逆に言えばもう僕にとってこのスーパートゥイーター無しでは音楽を聴く気にはならないとまで言わせてしまう効果がある。ただし、先ほどから述べているようにまだベストの状態ではないということだけは断っておきたい。ひょっとしたらこの関係で、機器の評価が変わってしまう恐れも考えられるからだ。

話しを元にもどそう。試聴実験には山本氏にも協力してもらった。最初のセッティングでは、エルガーPLUSのセレクタースイッチによりどちらのインターフェイスでも鳴るようになっている。山本氏にはどちらで鳴っているか判らないようにした。つまりブラインドテストでの実験である。これには意味がある。ブラインドテストで聴いて判別できない程度であれば、この二つのインターフェイスには差がたいしてないということになるからである。実際、実験では明らかに片方の音が良く聞こえた。当の山本氏にもこちらが好き、こちらは好きではないと意見を言ってもらったが、それは僕の意見とも一致していて、それはSDIF‐2の方だったのである。

ヴェルディの具体的な音は、どちらのインターフェイスにおいても音像は膨らむことなく締っていて密度の高い鳴り方だった。エアーD-1とマークレビンソン31Lとの比較では、ヴェルディの音場感は他のトランスポートより広く展開するタイプで、清楚な音という印象が強く残った。

エアーD-1はDVDプレーヤーだが、CDトランスポートとしても大変高性能。今まで多くのCDトランスポートと比較試聴してきたが、僕にとってこれに勝るものはなかった。エアーD-1はもともと音場がかなり広く展開する。だが、初めてエアーよりも広いなと感じたのがこのヴェルディである。それぐらい広い。また、マークレビンソンの31Lは、広がり感は乏しいが、密度が濃く安定感のある鳴り方がスゴイトランスポートだ。特にジャズ系ソースに対しては大変素晴らしい鳴り方をする。しかし、それもヴェルディーを聴いた後ではナローレンジで聴感上のダイナミックレンジが弱く聞こえてしまうのだ。

では、SDIF‐2とSPDIFの音の差は何か。はっきり言って音の傾向はあまり変わらない。変わるのは質的な部分である。SDIF‐2で聴くと清楚感に磨きがかかり、音の消え際がより明瞭になる。この違いは大きく、かなりクオリティが上がった鳴り方になり、好き嫌いの問題ではないといった感じだ。

予想通りの結果であったため特に驚きはしなかった。確かにヴェルディは素晴らしく特にSDIF‐2の音は良かったが、それでもエアーD-1を買いかえる気にはならなかった。逆にこの程度の差ならエアーD-1もなかなか頑張ってるな、という話で終わる。ところがヴェルディの真価はそんなものではなかった。それはチェック用に運び込まれたdcs992によって本当の実力が判明するのである。

dcs992の追加

SDIF−2のクオリティが判ったところで、この後の試聴はSDIF−2でおこなうこととした。SDIF−2はご存知のようにクロックケーブルとディジタル信号のLとRが別々のケーブルで送られる。これら3本のBNCケーブルが実は大変厄介で、どんなケーブルでもOKとはいかない。特にクロックケーブルは重要で、このケーブルによってSDIF‐2のクオリティが決定されてしまうといっても過言ではない。最初ケーブルが足りなかった為、一万円程のBNC同軸ケーブルを繋げていたが、どうにも気に入らず、ゴールドムンド製のディジタルケーブルに替えたところビックリするほど良くなった。同じようにdcs992を使う場合にも当然ケーブルは重要である。

dcs992をセットし単純にヴェルディにつないでみた。あきれるほど音のクオリティがアップした。ヴェルディには高性能なクロックジェネレーターが搭載されているとあるが、やはり外部マスタークロックdcs992にはかなわない。僕はがっかりした。この音の前では、あれほど気に入っていたエアーD-1の音さえ色あせて聞こえてしまったからだ。試聴に参加した山本氏も「なんだこりゃ」と驚いた様子が伝わってくる。夕方合流した極悪人の方々も皆同じ意見だった。

ヴェルディにdcs992をつなぐと何が変わるのかというと、全体的に音の密度感が高まり、それでいてしなやかさも出るといったところだろうか。ボリュームをかなり上げていっても音像が肥大していかないから、安心して大きな音が出せる。そうした場合でも音像イメージはそのままに、より実体感が強くなるといった傾向で、微少音もどんどん浮き彫りになってくるという大変リアルな音だ。それはまるで壁の奥にフロアー続きで演奏会場があるかのようであり、こちら側まで演奏会場と同じ空気で満されている感覚に襲われるようになる。このクオリティはCDト
ランスポートとしては理想的なレベルと断言できる。これでもしルビジュウムクロックのクロノスをつないだらどんな事になるか考えただけでも恐ろしい。

しばらくこの極上のクオリティを堪能した後、エアーD-1やマークレビンソン31Lにつなぎ変えてみた。エアーはかなり艶っぽい音を出しているなという印象で、レビンソンは穏やかで落ち着いた音だなと思った。しかしどちらの機器においても、フロアー続きで演奏会場とはいかない。あきらかにオーディオサウンドという額縁を感じてしまうのだ。しかし、それはそれで美しかったり枯れた味わいがあったりして楽しめる音であることに違いはない。ようはどこまでリアルな雰囲気を再現したいかにある。よりリアルな音場空間を追求するならヴェルディSDIF‐2+dcs992というのはベストマッチングと思われる。

その2エソテリックP70の試聴

SPDIF出力+パーペチュアルP-1Aで試聴

エソテリックのディジタル機器には、P70とペアになるD70がある。でも今回はトランスポート比較という事で送ってもらわなかった。数日後、ある用件でエソテリックの方と話しをしていたら、ぜひD70とのペアでも聴いてもらいたい、という申し出があった。dcs製DDコンバーターとの比較試聴も興味深いので聴いてみようと思うが、もう少し先になりそう。

まず最初に一般的なSPDIF出力の音を鳴らしてみた。P70から普段使用しているパーペチュアルテクノロジーズのP-1Aに接続。そこで96KHzにアップサンプリングしてdcs972へ。dcs972でDSD変換して送るのだが、それ以降はヴェルディの時と同じ。他の機器、エアーD-1もマークレビンソンの31Lも同じように接続して試聴をおこなった。ヴェルディSDIF2出力の場合は、P-1AにSDIF2入力が付いていないので当然使えない。そこで条件を揃えるため、なしでの試聴をおこなったわけだが、今回は入れての試聴である。現在の僕の装置はP-1A込みでチューニングされているからである。

ここで少しパーペチュアルテクノロジーズP-1Aについて整理しておきたい。以前はこの部分に、dcsパーセルをつなげdcs972とダブルコンバートをおこなっていた。この音は強烈な実在感と分厚い音で圧倒されたものだが、僕には少々音が熱すぎた。ジャズやオーケストラのようなホットに鳴らすソースには良かったが、僕の好きな教会音楽や声楽には向いていないと感じていたのだ。そう思っていた頃、P70の発売を知り、もうパーセルは必要ないと思い手放した。ところがダブルコンバートを止めたとたん僕は音楽を聴く気をなくしてしまった。そこである機器を試す気になり、ほんの冗談のつもりだったが、このP-1Aを借りて鳴らしてみたのである。

tomitahari.jpg

突然ですが、富田さんのカートリッジコレクションです。あなたは何種類わかるかな。そして何種類きいてみたことがあるかな。後方には見たことのある被覆のケーブルがある。

エアーD-1からP-1A。そこで96/24にアップコンバートし、972でDSD変換して鳴らしてみた。すると細身の音像でクールな鳴り方が素晴らしかったのだ。音像が滲まないという印象が強く、パーセルとの大きな違いをいうなら音の温度感であろう。豊かで情熱的な音から少し温度感が下がり、冷静で心地良い中庸の温度感におさまったという感じだ。ただちょっとストイックすぎるかもしれない。

P-1Aを入れないDSD変換だけで聴くと、少しだけ曖昧な音になる。つまりP-1Aを入れた時の変化というのは、ちょうどマスタークロックジェネレーターを使った時の音の変化によく似ている。これはこれで大変楽しめる音で、クオリティも高い。僕の好きな教会音楽などは、余韻が美しくさらさらしていて粘らない。パーセルの時は、響きがとても濃く、石造りの教会の響きにしては、ちょっと粘っこいなという違和感が常にあったが、この響きには圧迫感がなく、部屋の壁をスーっと突き抜けて、気持ち良く広がるという印象なのだ。そして教会音楽が理想的に鳴ったことで、僕はP-1Aをすぐに購入、チューニングに入っていたのである。

さあ、現状の理想的な音のバランスに対し、P70はどんな音を出したか。当然44.1k出力からだ。

P‐70 44.1kの音

最初にオーケストラを鳴らしてみた。重心が低く分厚い音が響いてきた。僕の最初の発言「おっいいじゃない低域に重量感があって何よりオーケストラに迫力がある」というものだったが、他の面々は腕を組んでうーんといった感じで黙っている。僕は試聴ポイントから外れたところで聴いていたせいもあるかもしれない。皆は少し印象が違っているようだ。次にバイオリンとピアノの二重奏(現代曲)のCDをかけてみた。このCDはオンマイクでの録音なのだろう、どのような装置でも非常にリアルな音で鳴ってくれる。特にバイオリンの音など目の前にあたかも演奏者がいて弾いているようにきこえ、その為か非常に音の変化がつかみ易くいろいろなことが分かる。今回の試聴会では必ず鳴らしてきたCDだが、実はこのP70が最も他のトランスポートとは異なる音色だったのである。それは横で聞いていた僕にもすぐ分かった。

ピアノはとても素晴らしい。グランドピアノのフレームの響きまでリアルに鳴らすような感じで、ペダルのアクション音からしても、ピアノという楽器の重量感を良くイメージさせる音だ。この重量感の再現性はヴェルディにはなく、D-1や31Lにもない。だが、バイオリンがダメだった。誤解しないでもらいたいが、このダメというのはあくまでも現状の僕の装置に対しての話しであって、これで装置が変わればピアノがダメでバイオリンが素晴らしいということにもなりかねない。つまり相性の問題で、ピアノが素晴らしく鳴るぐらいだから、トランスポートとしてのクオリティは高く、問題は音のバランスにあると思うのだ。では具体的に何がどうダメだったのか。

一言でいって音像が太い。そして音が太くたくましい。このバイオリンの音のイメージはビオラにきこえてしまう。パーペチュアルP-1Aはもともと音像にフォーカス感を与え、細身に締めるタイプである。にもかかわらずこれだけ太くたくましく鳴るというのは、よっぽどトランスポートの影響力が強いということだ。どうりで僕の耳にはオーケストラの迫力が増してきこえるハズだ。だが試聴ポイントにいた方々にはフォーカス感が甘くきこえていたようで、それで先ほどのうーんという沈黙となっていたようなのだ。

あと、今までヴェルディやD-1の左右に広がるステレオ感の強い音を聴いてきた所為かP70の音がどうにもモノラル調にきこえてしかたがなかった。演奏会場のエアー感よりも演奏音そのものを表現する感じで、残響音の広がり、いうなればパースペクティブの再現性は乏しい。これもP70の持つ独特の個性であるわけで、ジャズ等には逆にこの個性が生きる。先ほど述べたようにピアノが何より素晴らしかったが、同じようにドラムやベースの音に太さとたくましさが備わり聴き応えがでる。先にP-1Aを経由するとストイックになると書いたが、とんでもない。十分にホットでファット、つまりジャズのようなソースには向くが禁欲的で残響音の長い教会音楽には向かないという印象が残ったのである。

次は、P‐70にdcs992を使って同期をとった音。さらに次は88.2Kを飛ばしてデュアルAES/EBUによる176Kの音を聴く、である。

P‐70にdcs992をつないでみた。ハッキリいってヴェルディの時のような「おおっ」という変化はなく「なんとなく良くなったかな」という程度。おそらくブラインドテストをおこなったらこの変化は聴き取れなかったかも知れない。予想ではP−70の方が劇的に変わるのではないかと思っていた。そもそもヴェルディは、高性能なクロックを積んでいるハズで、それでもあれだけの変化を見せるのだから、P−70だったらもっとクオリティアップするに違いないと期待するのは当然だろう。しかし、現実には僅かな差でしかなかった。

この意外な結果から考えたことは、P−70のクロックがヴェルディよりも優秀なのか、それともP−70のシンクINのクオリティの問題なのかである。以前エソテリックPoに992をつないで聴く試聴に立ち会ったことがあったが、そこでは音の違いが明確に聴き取れた。僕はその時以来クロックの重要性にはいつも驚かされてきたものだが、この組合せに限ってなぜ変化が少ないかが不思議でならない。もう一つ考えられる理由があるとしたら、パーペチュアルP-1Aの存在だ。P-1Aによって何らかの問題もしくは効果により変化量が少なくなったとも考えられるからである。

このあたりの疑問を究明するには、色々なパターンで試聴実験を繰り返すしかないが、今回はそれはやめておいた。あまりにも時間がかかりすぎるからである。不完全な試聴で早急に結論を出すのは危険でもあることだし、ここはあくまでも現状での音の報告にとどめたいと思う。なにしろ次は、僕自身最も期待しているデュアルAES176K接続の試聴が待っているから・・・。

P−70デュアルAES176Kの話の前に (T君のトランスポート選び)

そもそもこの試聴は、単に機器を並べて比較試聴をするだけの話ではなく、僕のトランスポート選びという目的から始まっていた。現在使用しているエアーD-1で特に不満はなかったが、そろそろCD専用機を導入するのも良いかなと、いつもの悪い虫が騒ぎ始めたのだ。

SACD(マルチプレーヤー)に移行するかどうかは別として、おそらく僕にとって最後のCD専用機の購入となるだろう。だから音よりもデザイン重視で買っても良いかなという気持ちがあった。例えばオラクルのような見ているだけでも楽しめる機器を買おうと、ある時期心に決め中古で入るのを待っていた。そうしたところ入ってきたのがマークレビンソンのNO.31Lだった。

もちろんP−70やヴェルディの導入も考えていて、dcsエルガーPLUSは1394へのバージョンアップを申し込んでいた。だが、SACDマルチを聴き込むにつれ、やはりSACDはマルチでいこうと心に決めたのである。そうとなれば、SACDのことは考えなくて良い。だから今最も使ってみたい機器を、上記2機種に限定しないで探す気になっていた。

実際、2月の上旬あたりP−70もヴェルディも姿をまったく見せていなかった。試聴機すらも無いと言われ続け、そんなこともあり僕の目は別なモノに向いていた。31Lが入ったと聴いた時、正直に言えば、本当はオラクルを待っていたのである。でもマークレビンソンも、その迫力のあるデザインに惹かれていたから、買うことを前提に試聴を申し出た。あとは前に書いたエピソード通り、なんとP−70とヴェルディも同時に試聴可能となったわけだ。

これで僕の計算は大きく狂った。単純にデザインで買う気でいたのが、音を比較をしてしまったために、何を買うか迷うことになってしまったからだ。しかし僕は今回の比較試聴によって、ある確信を得て3台の中から1台のCDトランスポートを選んだのである。

P−70デュアルAES176K

このデュアルAESを試聴するに当たって注意しなければならないのは、ディジタ
ルケーブルに何を使うかである。今回は、以前dcsパーセルを使っていたとき
に最も良い結果を聴かせてくれたSAラボのディジタルケーブルを使うことにし
た。だからこの試聴結果はあくまでもこのケーブルを含めた上での傾向であるこ
とを断っておきたい。さらに以前と同じケーブルを使うことで、dcsパーセル
との比較もしやすい状況になっている。

早速、デュアルAES176KでCDを鳴らした時の感想に入ろう。音が鳴り始めて感
じたことは、とにかく低音がすごいということ。今までにアセントII+パフォー
マンスからこんな低音は聴いたことがなかった。SPDIFにおいてもP−70の低音
は、他のトランスポートとは違う量感を持っていたが、量と質がともなっていな
かったようにおもう。だが、176K効果なのかデュアル伝送の効果なのかは分か
らないが、この低音には質がともない、低音のかたち、あえてかたちと表現させ
てもらうが、目に見えるかのように明瞭なのだ。

初めはこの低音があまりにもすごかったため、他の部分に耳がいかなかったが、
何枚かCDを聴いているうちに少し冷静さを取り戻し、他にも注意が向けられる
ようになった。あらためてよく聴くと、音がファットでないことに気づいた。バ
イオリンの音もビオラのようにきこえたりはしない。つまりSPDIFで感じていた
ぼくにとってネガティブな部分がなくなっていたのである。そこで試しに教会音
楽を鳴らしてみると、その音の深いことといったら、まるで古い西洋建築の長い
回廊の奥に吸い込まれていくような錯覚を覚える。「素晴らしい!」ぼくは思わ
ず心の中で、そうつぶやいていた。

この壁の奥に展開する深い鳴り方には、今までにないクオリティーを感じる。僕の理想とする壁の取り払われた音場再生がついに実現されてしまったかと少しドキドキしたほどだ。ただ冷静に聴き直すと左右の音場感の乏しさは176Kにおいても同じで、左右方向の広がりを重視するならヴェルディーというのは、この比較試聴でハッキリした。それにしてもなぜ音場が左右に展開したり奥方向に展開したりするのだろう。おそらくこの2点は両立しないのではないか、そんな気もする。それならばどちらをとるのかという話になるのだが、この時点ではまだ決断できなかった。

オーディオは不思議である。組み合わせる機器によって、まるで立体作品でも制作しているかのように、再現される音場の造形感が変わる。それがまた微妙なバランスで保たれているから、何かがちょっと変わるだけでも崩壊しかねない。だから試聴後この結果を単純に受け止めることが出来ないでいた。もう少し時間がとれればもっと色々試したいという思いも強かった。だが、貸し出し機である以上期限がある。残念でならないのは176K接続でdcs992をつなげて聴くことが出来なかった点だ。これには分けがあって、最初に借りたP-70はちょっとしたトラブルを抱えており、176Kが聴けない状態だったのだ。代わりのP−70が届いたときにはdcs992はチェックを終えて返した後、そのため試聴することが出来なかったというわけである。

結局のところP−70の素晴らしい点は、奥行き方向の立体感と音像の実在感にある。それは176KデュアルAES接続でより発揮されていた。これが176Kへのアップサンプリングの効果なのか、左右独立伝送による効果なのか、僕には分からない。ただヴェルディーのSDIF-2においても、デュアルAESにおいてもディジタル伝送における優位性が明らかなことは想像に難くない。問題はアップサンプリングによる音質向上があるかないかだ。この点に関して、確かなことはdcsパーセルにおいてはデュアルAES88.2Kよりも176.4Kの方が聴感上のクオリティーは高かったということだ。
では、エソテリック独自のアップコンバートの効果はどうかと言われると、比較しようがないため分からないと言うしかない。

ダブルコンバートの威力

今回の試聴実験において、176KをさらにDSD変換するという通称ダブルコン
バートの音が最も凄かった。この音を聴いた時、僕はようやくある確信を得るこ
とが出来たのである。ところが、この後、衝撃的な事件が起こった。それは岡崎
邸で聴いたヴェルディとdcsエルガーPLUS1394のSACDセパレートの音だった。
このクオリティの前ではダブルコンバートは吹き飛んでしまう。CDの音がダブ
ルコンバートで良くなったという次元ではなく、誰にもそのすごさが認識できる
違いなのだ。僕はこの時の驚きを忘れない。今までSACDに対しマルチは別として
大した期待はしていなかった。なぜかというと実際SACDとdcsのダブルコン
バートでは後者の方が良かったからだ。その判断から僕はマルチに的を絞ったわ
けだが、それは間違いだった。やはりエルガーPLUSを1394にバージョンアップし
ておくべきだったと後悔したのである。この話は別なところでも書いたとおりだ
が、この後仕事が忙しくなり、オーディオを聴く時間も、この話を更新する余裕
もなかった。

結局、僕はP70を買う決心をしながらも、岡崎邸で聴いたヴェルディSACDのクオ
リティが忘れられないでいる。ダブルコンバートの神話が崩れ去り、やはり次世
代フォーマットにはかなわないのだと悟った時点でP70購入の意志は失せ、CD
トランスポート選びは白紙に戻ってしまったのだ。

まとめの話

そもそも今回の試聴は、なかなか同時比較試聴できない機種が集まったことから行なったものだが、それによって得られた結果は、意外にも単純なことであった。確かにdcsヴェルディの空間再現能力は素晴らしいものがあり、特にdcs992をつなげた時のワイドでありながら音像の明確な再現性は多くの人を魅了するであろう。また、P70の176KデュアルAESからDSDへのダブルコンバートは、音の実在感、重量感さらに奥行き方向の立体的定位感という点でフォーマットの限界すら感じるほどに凄い。これに対して他のトランスポートはクォリティよりも個性を感じさせる方向だ。うまくチューニングすればクォリティ重視の音とは違ったベクトルで魅力を発揮できそうである。

結局この試聴によって得られた単純なことというのは、選ぶ機器によって方向性は大きく変わるが、どれも素晴らしい可能性を持っているということ。つまり、機器による優劣はつけられ無いという結論なのである。

現在たまたまdcs972が2台とパーペチュアルP1Aが我が家にあるためトリプルコンバートで遊んでいるが、トランスポートはエアーD-1にもかかわらず、大変面白い音がする。この音はヴェルディの空間再現性に匹敵し、P70の実在感と立体感をも兼ね備えている。面白い音という表現は妙かもしれないが、どのCDを鳴らしても今までと全く違う音がして面白いのだ。聴くのが楽しいといっても良い。

ある種のクォリティの高い音は、驚愕するかもしれないが、最初だけで後は聴くのが苦痛といった場合が多く、逆にクォリティの低い音は僕の場合聴いた瞬間から眠くなる。美音は楽しめるがやはりその音色に飽きてくるといった具合にどの方向性に偏っても面白くない。このトリプルコンバートの出す音はそういった意味で中庸にはまっているのかもしれない。ただあと数週間で972は一台になってしまうため、この音を楽しめるのは後わずか。それにしてもD-1でこれだけの音がするなら無理してトランスポートを買わなくても良いかなと思うようになった。




岡崎さんの紹介で(師田さんと一緒に)富田さんの音を聴かせていただける機会に恵まれました。
富田さんの音を聴かせていただくのはすごく楽しみにしてました。それはステレオサウンドで見たあのハイエンドなシステムとセンスの良い部屋に憧れてたからです。待ち合わせのSISに早めに到着するといきなり見たことがある方がいました。
山本さんです。顔が似てるなと思ったのですが、いきなり大野さんに言われあわてて挨拶してお話してると今度は柳澤さんが車で登場。いきなりStudioK'sの大集合というものすごい状況になりました(ドキドキ)柳澤さんとも初対面ですがすごくきさくな方で安心しました。富田宅へは、急遽山本さんも一緒に行くことになりました。

部屋に入るなりここはヨ−ロッパのマンションかと思うようなセンスの良いおしゃれな空間に!!
ソファ、椅子、テ−ブル、各種照明、絵、タペストリ−、1つ1つに富田さんのセンスが散りばめられています。

そしてAVARON、CELLOを中心としたハイエンドオ−ディオがカッコ良く並んでいます。

そしてなんとD−1の隣にGOLDMUNDのEIDOS38 EVOLUTION ブログレッシブが!!現在借りてるとのことですが富田さんはかなりお気に入りの様子。個人宅でしかもこれだけのハイエンド機器の中でEIDOS38 EVOLUTION の音と絵を堪能できるとは幸運でした。

そして富田さんのレコ−ド演奏が始まり部屋を暗くし美しい調光に照らし出された空間が一気に壁がなくなり生の音楽が現れました。

なんという世界でしょう!
今まで色々な音を聴かせて頂きましたが完璧にシステムの存在が消えただ音楽がリアルに等身大で3次元的に浮かび上がります。もうこの時点でSN、解像度、情報量とかいう次元など完全に超越した富田サウンドに圧倒されていました。全てを高い次元に保った上で富田サウンドの真骨頂ともいえる繊細さとダイナミックさを両立した芸術的なバランス。色彩感も素晴らしく定位も非常にリアルです。まさにこれが富田サウンドなのでしょう。

途中女性ボ−カルをかけていただきましたがメカ−ノはまさにそこで歌ってるかのような感覚でした。クラッシック、映画音楽なども素晴らしく特にグラディエ−タ−は今までこんなに魅力的だったのかと驚いてしまいました。やはり富田さんのシステムならではのレコ−ド演奏で同じソフトでもここまで表現が変わるものかと落ち込んでしまいました。

富田さんの音を聴いてこれぞ究極のレコ−ド演奏だと思いました。

途中山本さんが帰られ柳澤さんが参加しましたがStudioK'sはなんというレベルの高い方の集まりなんでしょう。

今まで厚木さん、岡崎さん、小林さん、磯部さんと聴かせていただきましたがそれぞれのレコ−ド演奏は独自の境地に達しており物凄い財産になりました。今月は柳澤さんのとこにお邪魔させていただきますがこんなに凄い世界があると教えていただき益々真剣に取組まなければト元気が出てきました。おかげで翌日CDトランスポ−トを契約してしまいました(笑)

富田さん、紹介していただいた岡崎さん、サポ−トいただいた山本さん、柳澤さん本当にありがとうございました。
僕のオ−ディオに対する姿勢もかなり変わってきましたしこれからもご指導よろしくお願いします。

    赤荻由紀夫


 最近Celloのアンプを導入して、Celloに魅せられてる私としては、富田さん
 の音に最も興味がありました。

 期待に胸を高鳴らせつつ、富田さんの音楽演奏が始まった時。
 言葉の出ない、今まで体験したことのない情報が頭の中に入ってきました。
 いや、身体全体が戸惑っていると言った方がいいでしょうか。

 とにかく、音楽の中に吸い込まれます。
 オーディオ用語を並べる判断能力は皆無でした。
 音楽が流れ出した瞬間、自然に入り込んでしまう。
 目を開けたら現実に引き戻される。その繰り返しでした。
 五嶋みどりの演奏では、目の前に広大なステージが広がり、演奏が終わって
 目を開くと「ここ、部屋だったのか?」と数秒、戸惑ったほどです。
 これほどまでの演奏は体験したことがありませんでした。
 オーディオという枠を超越した、究極の演奏。

 私が女性ボーカルを好んで聴くと言ったら、MECANOをかけて下さいました。
 声が流れだした瞬間。痺れました。
 ボーカルが生々しい・・・それだけでなく、バックの演奏との分離も素晴らしい。
 本当に、目の前に演奏があるんですよね。人の口とか、等身大とかじゃない。
 ディスクに刻まれた音楽が再現されるんです。
 今まで、ボーカルだけ際だたせればいいやとしか考えていなかった自分は何だった
 んだと思いました。

 Susanne Lundengのヴァイオリン演奏では、演奏者の情熱、技術、すべてが
 ストレートに伝わってきて、涙腺が熱くなりました。

 言葉で表現できませんが、富田さんの音は、独特のエッセンスと言いましょうか、
 世界を感じました。これこそ、富田さんのサウンドに他ならないのでしょうね。

 何曲も聴いていく内に、私は頭を抱えることしかできませんでした。
 正直なところ、とんでもない音を聴いてしまった。と。
 しかし、聴かなければ良かったなんて思ってはいません、まだまだオーディオやり始め
 の若輩者ですが、富田さんの音楽演奏は、何者にもかえがたい宝物になりました。
 富田さんの演奏をしっかりと記憶し、音楽を楽しんでいきたいと思います。

 楽しく、充実した1日をありがとうございました。

          師田克彦 2002.8.10
   


上の、赤荻さんと師田さんが富田さんの音をきいた時、僕は偶然一緒にきかせてもらった、この時は試聴用に借りていたEIDOSだった。そのちょっと前、エアーD1しかなかった時もきいていて、今回は購入したEIDOSできかせてもらった。正直D1とEIDOSを比較試聴したわけではないので、その違いについてはよくわからない。僕にとって富田さんの音はいつも魅力的な音だ。訪問した時間の関係もあって、上記8/10が最も大音量だった。あの時の印象を書くと、音で部屋が埋め尽くされ、部屋全体が鳴っている(以前からそうだけど、もっともっと濃密に)その度合いが増していた。Susanne LundengのCDは多分僕と富田さんしか持っていなくて、僕も自分の装置で同じ箇所をきいているのだが、単に三次元的に定位するにとどまらず、バイオリンやシンセが絵でいうとレリーフみたいに盛り上がっているような感じがして、とても興味深かった。何年か前に「上がり」だねと言っていた頃とは比べものにならないレベルに到達していて、つくづくオーディオには上がりなどないと思わされる。とにかく、厚く太く濃密な世界で、僕個人は、もうこれ以上濃くしなくて良いのではないかと思うのだが、逆にさらに濃くすればまた何かが見えてくるのかも知れないし、オーディオはそのあたりが未知で楽しい。(山本) 2002.8.31


富田さんの音

富田さんの音は、いつ聴かせていただいても、どこか心に残り、惹かれるものがあります。
チェロのオーディオスウィートが不調とおっしゃる今回は、エチュードを通して聴かせていただきましたが、 エチュードを通した富田サウンドも、非常に魅力的でした。前回よりもさらに緻密さと密度感が増し、重心も低く、厚味がありながらも少しも混濁するところがありません。サウンドステージには、澄んで瑞々しく冴え渡った空気が無限の拡がりを感じさせてくれます。その空間に温かく血の通った人の声や楽器が、現実さながらにあらわれる様子は、富田さんがSS誌143号にお書きになった「異次元への誘い〜SACDマルチチャンネルシステム導入記」に引用されました長島達夫氏の創作によるオーディオファンタジー「2016年オーディオの旅」(SS誌1979年春号に掲載)を彷彿させてくれます。「2016年オーディオの旅」は、ステレオサウンド誌創刊50号の記念特集の一貫として、いまは亡きオーディオ評論家の長島達夫氏が特別に寄稿されたフィクションですが、私は143号の富田さんの記事を読ませていただき、長島氏の記事にも大いに関心が湧き、未読であった長島氏の記事のコピーを手にいれ、最近になってようやく読むことが叶いました。

今から23年も前に書かれた長島氏のオーディオファンタジーは、驚きに満ちあふれる内容で、21世紀の現在でも少しも陳腐化することがありません。それどころか、ここに書かれているさまざまな近未来像を、四半世紀近くも前に、かなり具体的なイメージとして思い描いておられた長島氏の慧眼には、驚きを禁じ得ませんでした。そして、この話に登場する高名な物理学博士の研究助手であり、オーディオファイルでもあるというK青年のリスニングルームに鳴り響いた近未来のオーディオシステムが奏でる音……。そのサウンドを聴いた主人公は、

 私は身の廻りを取り巻くざわめきを聴いた。
 あちらこちらから小さな咳払いが聴こえる。
 目を閉じた。すると、どうだろう。
 どう考えても、自分がコンサートホールの椅子に座っているとしか思えない
 錯覚に陥ってしまったのだ。
 しばらくすると、地の底から湧き上るようなオーケストラの音が聴こえてきた。
 その楽の音は、ホールの高い天井からの響きと混然一体となり、
 実際のホールで聴いているのと同じ感じだった。
 私は無心になり、全身を耳にして聴いた。
 全く素晴らしい、と言う以外言葉はない。
  (ステレオサウンド誌50号 長島達夫「2016年オーディオの旅」本文より引用)

このように表現される近未来のサウンドは、おそらく現在の富田さんの音と、かなりの部分でオーヴァーラップするのではないだろうか……私には、そんなふうに思えてなりません。富田さんのリスニングルームで、私は、いつしか長島氏が23年前に夢想された夢のサウンド空間へとワープしている自分に気付きました。

富田さんのシステムは、SACDマルチチャンネル再生を楽しませていただいた前回(2001年12月)から約10ヶ月の間に、ダブルコンバートで2台使用されるD/Dコンバーターの1台が、dCSパーセルからパーペチュアルテクノロジーP1Aに替わり、CDトランスポートが、エアーD1からゴールドムンドEidos38に替わっておりました。そして、これらの重要な機器たちの変化が、現在の富田サウンドに大きな進化をもたらしていることは間違いありません。しかし、それ以上に、もっと普遍的な富田サウンドの魅力を、私は、聴かせていただく度に感じさせられます。その魅力は、一言で申しますと、オーディオを深く突き詰めていく行為へのこだわりが、音楽の感動に、常に結びついていることです。富田さんの音は、凄い……と思う一方で、いつのまにか音楽に心地よく酔わされていて、心を打たれてしまうのです。それゆえに、富田さんの音を聴かせていただきますと、オーディオへの意欲が止めどなく湧いてきて、抑えきれなくなるような感じがいたします。

あの日も、多くの感動と発見を胸に、ワクワクしながら帰宅いたしました。それから、自分のシステムでさまざまなソースを聴き、いろいろなことを考え、もっと私も努力をしよう……と心に誓いました。

富田さん、本当にありがとうございました。オーディオスウィートが復活いたしましたら、また聴かせてください。

               原本薫子 2002.9.25 

 

『作品としてのレコード演奏〜富田マジック』

2002年の9月のある晩、なぜそうなったのか、未だに良く分からないのだが、私は岡崎さん、柳澤さん、小林さんというこのホームページの重鎮とも呼べる極○人の方々の来訪を受けていた。音を聴いて頂き、映像を見て頂きながら、いろいろな話をたくさんした。全てがスリリングで示唆にとんだ興味深い内容であった。そんな中で私の気持ちを捉えて離さなかったのが、
「富田さんのサウンドは聴いたのか?」
この一言、いや、お三方が一様にそのようにおっしゃるので三言である。運良く、岡崎さん、小林さんのサウンドは体験させていただいたことがあり、聞きしに勝るその手腕に、恐ろしい男達がいるものだと震撼したものである。そんな実力と実績のあるスーパーマニア達に「聴いておくべきだ」と言わしめる富田さんのサウンドとは?

興味はいつしか目的となり、果たせるかな、なかば強引とも言える手段でアポイントをとり、富田さんのサウンドを体験させていただいた。

富田さんは美的センスに秀でた方である。会った事がなくても、HPの写真を見れば分かる。ものを美しく並べるという行為は、これは天性のもので、資質無き者には未来永劫会得できない類いのものと信じている。

写真に嘘偽りはなかった。いや、正確には写真は実物を100%捉えてはいなかったのである。伺ったのは夕刻であった。ソファに案内され、ふと天井付近を見ると、なにやら、影絵のような模様がまさに天井をキャンバスとして描かれている。ライトアップされた観用植物であった。「やばい、この人は只者ではない・・・」これから始まる富田マジックの序章として、それはあまりにもドラマティックな演出であった。

音楽が流れ出す。

流れ出すと言う表現が、これほど似合う音も無いのではあるまいか?声楽に始まり、映画音楽、ボーカル、弦楽、環境音楽(?)、富田さんはどの曲もきちんと最後まで演奏する。照明の照度を曲により調節し、ある時は照明器具そのものを別のものに交換、あるいは照明を落とすといったことも、そこで演奏する曲目を際立たせる一つの演出としてサラリとこなす。
演奏する曲が変わると装置の表情もガラリと変わる。良く出来た装置は鳴らす曲目に寄り添うというのが私の持論だが、ここでの音はまさにその通りであった。漂うべきものは漂い、定位すべきものは、そこに留まる。音色は固有の癖を排除しながら、それが没個性とならない、絶妙な魅力を伴っている。全体の形をしっかりと構築していながら、部分に耳を傾ければ、驚くほどの情報量とディティールがそこにはある。楽器同士が重なりあい、混濁せずに溶け合い、そして消えて行く。これは生の響きである。富田さんの演奏は目を閉じる必要がない。むしろ目を開けてその場の光を含めて楽しむべきものであり、それが富田さんの演奏を最大限に享受する秘訣であろう。

音場の広さも特筆できよう。もともと広い再生空間に音が流れ出すと、その広い空間がさらに広がる。アセントというスピーカーは現代的なものであるから、こういった表現は恐らく得意なのであろう。しかし、それにしても、壁を越えて広がるというのは尋常ではない。可能性があるからといって、それを現実に音として出せるか否かは、使い手の技量による。

変幻自在に表情を変える富田サウンドであるが、変わらない要素も聴き取れた。それは「暖かさ」である。熱くはない。暖かい。やさしいという言い方をしてもいい。脳天気な暖かさではない。貴重な暖かさとでも言おうか、例えば、3月の日だまりである。前面的に出てくる訳ではないが、この暖かさがあるからこそ、変幻自在の中に、富田さんの個性が生きていると言っては言い過ぎか?

リスニングポイントとスピーカの距離は、部屋の許す範囲で最大に取られている。生を彷佛とさせる音場感の秘密は、この距離にあるのではないか?それにしても距離をキープしたまま、明確な音像定位も両立できるものなのか? 私は映像もたしなむのだが、映像に関していうと画面からの距離は百難を隠す。これを「引きの美学」と私は呼んでいるのだが、富田さんは音の世界で具現していた。引けばぼける、ぼけるからアラが隠れるというのが「引きの美学」で、その功罪の割合にどこで折り合いをつけるかが、使い手のバランス感覚であろう。富田さんの愛機達はどれもが高度な性能と、趣味のものとして所有する喜びを満たす次元の、逸品ばかりである。それに甘んじる事無く、能力の限界まで引き出す工夫を随所に凝らしている。故に「引きの美学」を実践しているにもかかわらず、聞こえるはずの響きが聞こえない、音場の広がりがもどか
しいといった、情報量不足に起因する物足りなさがない。

当日は多くのリハーサルを行い、演奏に臨んでいただいことをその後、知り得た。

クールに振舞う富田さんであるが、その影にはレコード演奏と言う名の自分の作品を、納得のいく形で披露したいという明確な哲学があり、そのための努力は惜しまないという熱き思いを感じた。

素晴らしい演奏をありがとうございます。

   2003.1.31 岩元 光貴 (イワモト コウキ)


積年の念願叶い、ついに富田さんの音を聴かせていただくことができた。富田さんのことは、ステレオサウンドにおしゃれな文章を書いている人とか、山本さんのホームページに載っている、とにかく素晴らしい音楽を奏でているらしい人、とかいった茫としたイメージのみがあり、たぶん自分には一生接点のない方だろうと漠然と思っていた。

一年ほど前だっただろうか、SISでFRのカートリッジを求めて訪ねた折、富田さんらしき人を見かけた。無礼を承知で声をかけさせていただいた。そのときの富田さんは素っ気なくて、でも僕が話しかけるのを嫌がっているふうでもなく、よくわからなかった。「いつか聞かせてください。」と言いながら、多分これは社交辞令で終わるのだろう、とこのときも思っていた。

偶然。その日もまた僕はSISにいた。僕は最近、Avalonのスピーカーを心底愛していないのだよなぁ、と不遜な気持ちになっていて、買い替え候補のスピーカーの試聴をお願いしていた。試聴していると、横の入口から見覚えのある人が入ってきた。富田さんだった。拍子抜けだ。こんなことってあるのか。驚きながらご挨拶した後、一緒にスピーカーを聞いた。そのスピーカーは悪くなかったが、積極的に買い換えたいという求心力があるでもなかった。たまたまそこにあった、僕の使っているのと同じArcusをつないでもらった。…やはりAvalonていいスピーカーなのだ、と再認識してその試聴は終わった。

その少し前に僕は、これも偶然ながら富田さんを知る方々と知り合っていた。僕がAvalonを使っていることを言うと、「富田さんの音は聞いたのか?」と一様に問われた。「富田さんの音を聞いて、Avalonがますます好きになるか、それともやる気をなくすか、どっちかだね(笑)」と言われた。含みのある一言だった。

これを逃すともう会えないかもしれない、僕の焦りを感じたのか、急なことだったが富田さんは僕を招待してくださった。

お部屋に一歩入って、立ちすくんでしまった。オーディオ機器だけではない。部屋そのものが音楽を奏でるためにディスプレイされた空間だ。音を聞く前からすでに富田さんの世界に引きずり込まれる。

突然の訪問だったにもかかわらず、富田さんの演奏は完璧だった。CDをセットし、音が出た瞬間、目の前に配置された機器の美しさをも忘れる音楽の美しさ。あぁ、富田さんの音を体験した皆が言っているのはこのことだったか、と合点した。部屋を超えてサウンドステージが広がり、音楽だけがそこにある。目をつむると僕はどこにいるのかわからなくなった。それはSACDマルチを体験したときの驚きに似ていた。でも2本のスピーカーでこんなことってあるのだろうか。とても肌触りがよく、富田さんの音楽への慈しみが伝わってくる、優しい音だ。でも優しいだけじゃない、声を張り上げるときの怒涛の盛り上がり感はハイエンド機器では体験しがたいもの。うかがうに元々はビンテージ機器をお使いで、富田さんはビンテージの躍動感とハイエンドのステージ、その融合を求めているのだそうだ。もう達成していると思った。

音楽を聴いているのがあまりに心地よくて、僕は、何をかけていただいたのかほとんど覚えていない。大編成のクラシック、声楽、女性POP、などなど…いつもはいい音楽に出会うと何のCDか訊くものだが、その日はそんなことを訊く気にもなれなかった。たとえこのCDをよそで聴いてもこんな音するはずがない。今、この瞬間この音楽が聴けることそのものを楽しんでいたのだと思う。まさに、最高のレコード演奏だった。それは素晴らしいコンサートを独り占めしたような、幸せな気分だった。帰るのがとても惜しかった。

一見クールに見える富田さんだが、音楽への深い愛情と、オーディオへの情熱をあの日感じることができて、同じAvalonのスピーカーを使っていることがなんだかとても嬉しくなった。いつか僕がArcusからステップアップするとしたら、富田さんの部屋で美しく佇んでいたあのスピーカーと同じモデルしかないだろう。

富田さん、素晴らしい音楽をありがとうございました。そして、若輩者の自分にも真摯に接してくださるその姿と、内なる情熱に感激しました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

    2003年2月8日      佐々木雅行


eidos.jpg job1.jpg


よく考えたらもう随分長い間富田さんの音をきかせてもらっていなかった。その間、富田さんは僕のところへは何度も遊びに来ていて「山本さんいい音だね、申し分ないよ」なんてことを言ってくれるているのだが、なんかあやしいと言うか、あまり長い間きかせてもらわずにいると危ない(何がだかわからんが)ので、たまにはどんな風かを確認しておきたいと思う。冗談はともかく、EIDOSも導入されてからそれなりに時間が経っているし、JOBも追加されているので、その効果などをきかせてもらいに行った。

相変わらず、滑らかでそして豊かな低音だ。途中でかけてくれたホセ・カレーラスの声がちょっと太めでピアノも丸くてぽっちゃりしいているので、僕は「アレ?」と思ったのだが、カレーラスと会ったことがあるわけでもないし、実演に立ち会ったわけでもないから「こんなもんかな」と思っていた。別にだから悪いってことは一つもないわけで、オーディオってそんなもんだろう。でも、JOBスィーターからの給電先を替えるだけで音が変化し、僕にとっても富田さんにとっても丁度具合の良いところがあったりして、「おおやっぱり」と思った。なるほどなるほど実に良い。富田さんの音に比べると僕のところはもっとザックリした音で、ベルベットと木綿みたいな風合いの違いがある。

そして富田宅からJOBスィーターを借りて帰り、戯れる会の人たちと共にあまりの効果に驚き、首を傾げ、僕はその日のうちにJOBの購入を決めた。持つべきは友、富田さんはとても善良な友人です。 2003.3.13  やまもと


 『 自分の音 』

 富田さんに会うのは今日で二度目だった。前回貸していただいたPINケーブルをお
返しするだけのつもりが、当日は私の都合で待ち合わせ時間に遅刻してしまったの
だ。実に無礼な私を、富田さんは何一つ責めることなく、待っていてくださった。私
は申し訳ない気持ちと、なんとかその場を埋め合わせたくて、仕入れたばかりの電源
フィルタ製品の効果の話を一方的に話し始めた。少し得意げだった。そうした私に、
富田さんは実に大人の対応だった。彼はその効果を決して否定されることなかった。
そして、私に次のようなことを語りかけてくれた。「確かに音は変わるだろうけど、
そういうことと、自分の音を作るっていうのは、まったく別のことだよ・・・」私は
ハッとして我に返った。20年前の自分を思い出した・・・

 中学生の当時、私の密かな楽しみと言えば、親に買ってもらったシスコンのCDプレ
ーヤ(当時はCD付きが売りだった)を夜な夜なヘッドホンで聴くことであった。当時
CDは、世に誕生してまだ珍しく、私はいち早くこのニューメディアを手に入れた優越
感と、レコードにはないノイズレスで整った再生音に日々聴き惚れていた。しかし、
そうした中にも不満はあった。当時愛読書であったオーディオ入門誌には「自分の
音」という言葉が頻繁に登場し、オーディオの真髄はまさに「自分の音」探しにある
ことが、まるで何かの方程式のごとく、刷り込まれていたからだ。「自分の音」って
いったい何?常にそういう疑問があった。当時の私には、音が機器の使い方や環境に
より変化することなど、思いも寄らなかったのだ。ありもしない機器を組み合わせ、
出てくる音を想像する毎日。いつしか私の関心は単品コンポーネントそのものに集中
していた。手段は完全に目的を超えてしまっていた。こうして私は「コンポーネント
選び」に手を染めた。しかし、最初からシステムなど組めるわけがない。よって、私
が選んだものは、当時7万もするSTAX製ヘッドホンであった。試聴など一度もしたこ
とがない冒険だった。しかし案の定、出てきた音は歴然とした。そして、あまりの違
いに愕然とした。私は思った。「これがオーディオだ」と。私はすっかりオーディオ
がわかったような気になっていた。「自分の音」のことなど、もはや眼中になかっ
た・・・

 私は思った。あの頃と何も変わっていないじゃないか!?そして、急に自分が恥ず
かしくなった。「これから時間あるかい?」そうして、二度目の演奏が始まった。今
思うと、富田さんは身をもって私にそれを教えてくれたのかも知れない。「音楽が始
まると、日常と現実を忘れさせてくれるような演奏でありたい・・・」富田さんがポ
ツリと話された言葉が、妙に印象的だった。その言葉の、なんと説得力のある音なの
か。

 氏の音を私にとっての「自分の音」の一つにしたい。そして、私もその説得力をい
つか身につけたい、そう自分に言い聞かせながら、氏のお宅を後にした。私は帰りの
電車で、実にいろんなことを考えていた・・・


   2003年5月17日   林 啓一郎


山本様

一昨日の7月27日(日)に、富田さん宅へ数ヶ月ぶりに伺いました。僕は、富田さんの音作りが好きで、定期的に聴かせてもらっています。

この日は、dCSヴェルディの初お披露目だそうで、前回伺った時は、ゴールドムンドのトランスポートでした。

数曲聴かせてもらって、思わず「素晴らしい!」と声が出ていました。いつも楽しませてもらっていますが、声を漏らしたことはありません。
どこが、素晴らしかったかというと浸透力のある、したがってリアリティです。以前のバーチャルな音から見え隠れする、あの不思議な世界ではないのです。

以前のバーチャルな音は、このための下絵だったのか?と想像しました。dCSヴェルディは、紛れもない英国製品であることも感じます。中域や、サウンドステージのスケールにわずかに、僕のタンノイや悟朗さん宅のクワードの雰囲気があります。レンジは広いのに厚く濃い音楽が聴こえます。さらっと言いましたが、ここが肝です。
富田さん宅に伺った2週間前には、小林悟朗さん宅に伺いました。そのどちらにも、デジタル機器が素晴らしい音楽を聴かせてくれます、

それは、デジタルとアナログ、その両方の存在意義に気づかせてくれます。
この数週間は、とても刺激的でしたのでお便りしました。
  安西利彦

富田さんの音はサウンドが空間を創生することの不思議さ、素晴らしさを教えてくれます。よく「スピーカーが消える」と言いますが、富田さんの再生を知れば、この表現を簡単には使えなくなってしまうはずです。ご自身も「オーケストラをこの部屋に容れて最前列で聴きたい」と述べておられましたが、暗黒の中、私はそのように錯覚することが出来ました。このスケール感は「原寸大」柳澤邸を思い出しますが、富田邸はマンションの1室であるため、なおのこと「驚愕度」が増すのです。はるか遠くから豊満に「グウァーン」と押し寄せ、かつ芳醇でこれ以上ないほど練り上げられた極上の肌触りは富田サウンドの真骨頂ですね。なんとセンスの良い音かと感激してしまいます。導入されたばかりのVerdiは過剰なまでの情報量と精緻さを提供しているようですが、調教はこれからとのこと。マクロとミクロの双方で最高の境地を目指しておられる「欲の深さ」には脱帽です。

一方、SACDマルチは送り出し側の限界か、2chの質感には至りませんが、それを補足して余りある臨場感の素晴らしさ。持ち前の音の濃さが一層引き立つ感じです。後方音の処理は反則ワザなのだそうで、その詳細は明かせませんが、富田さんの場合、フロント側の音の造りがそもそもマルチに合っているのでは、と感じました。現代音場型スピーカーを匠の反則ワザを駆使して(笑)使いこなせば、これほどの世界が出現するという恐ろしい事実を見せつけられた一夜でした。富田ワールドは本当に凄い。ありがとうございました。

2003年8月9日 川崎 一彦

富田邸感想文
1年半少し前に初めて訪れた富田邸は、私にとって、その美意識が顕れ、センスの際立った、洗練された音およびその音場の広がりが印象的でした。初めて聴いたマルチの見事な音場感と透明感にも圧倒され、すごい手管を持っておられるなあと思いました。今回は、自分の音探しが一つの目的で、かつてなく真剣に聴こうと冒頭から思い、事前に宣言もして出かけました。聴かせて頂いた音は、やはり期待に違わぬ、いや、やはり予想を越える音でした。再度聴くというのは、部屋や機器の配置といった見た目の部分のインパクトが薄れ、音の細部に耳が行きますから、よりシビアに聴くことになるだろうと思いますが、第1回目の印象以上に、やはり素晴らしく広がる音場と音そのもの美しさに今回も参りました。マルチは、より普遍性を増したようで、Versatileで聴きやすく、リアSP・マルチ化による恩恵を遺憾なく享受しているようです。それにしても富田さんのアイディアは卓抜です。人をリードするその先進性は富田さんのオーディオを形作る個性でありますが、それは高く評価されるべきであろうと思います。また富田邸で聴いたVerdiによるCD演奏は、非常に興味深い音で、それは何を隠そう岡崎さんの1年半前の音に私には似ていたのです。上記したような私が思う基本的な富田さんの特徴に加え、情報量の多さ、その精密で、緻密な音像は、岡崎さんの音を惹起させるものだったのです。富田さんが説明されたある個所の音の聞こえ方のリアルさというものはこの緻密さ故であり、そういう部分を新たに加えた富田サウンドは、新たな次元に行こうとしているのだろうと思います。そこで、川崎さんとも話したのですが、デジタル機器そのものがお二人の間で似てきているということはあるとしても、どうも音がある高い次元で一つの方向に収束してきているのではないか・・・現代2チャンネルのオーディオを計る代表的な指標であると思われる(ここは異論があるのだと思いますが・・・)、音場の形成、音像の緻密さ・立体感といった指標ではかった際のある極まった到達点に達してきているのではないかというものです。その結論は、次の日に聴かせて頂く予定になっている、現在絶好調であると漏れ聞く岡崎サウンドを聴くことで、ある程度判断ができるのかもしれないと思いました。富田さん、お伺いをさせていただき、本当にありがとうございました。非常に中味の濃い、また素敵な刺激を頂き、自分の音探しに大きな影響を与える訪問をさせていただきました。この場を借
り再度お礼申し上げます。

      8月18日鹿野啓一


アヴァロン使いなら誰しも一度は聞いてみたいと願うであろう、富田サウンド。友人のありがたい計らいにより、2003年8月念願の富田邸を訪問させて頂きました。

部屋に入るなり目に付く孤高のSP「アセントU」。今迄お伺いしたどのアヴァロン・ユーザーよりも遠くにセッティングされた、
その雄雄しいまでの姿に先ずは圧倒されます。そして富田さんの演奏が始まりました。

年に数回しかかけないという「グラディエイター」のサウンド・トラック。遠くのSPから、生き物のような低域の波動がこちら側までゆっくりと、
そしてじわじわと浸透してくるさまが、はっきりと目に見て取れます。遠くでブラスが咆哮している最中、自分の身体だけが低域の波動に包まれていくという信じ難い体験。まるで無重力の空間にぽつりと浮いているような、
大きなゼリー状の物の中に閉じ込められたような、今迄に経験したことの無い、何とも言えない不思議な感触です。

そして曲が終わり、目を開け、横に座る友人や富田さんの姿を見た時ようやく、「現実の世界にいる自分」を再確認します。
息をするのも忘れていた自分に気付き、思わず胸をなでおろしながら、ようやく安堵のため息をつく事が出来ました。

その後も「何回かお伺いしているから」という友人のありがたいお言葉に甘え、ほとんどの時間、センターの一番良いポジションで聞かせて頂きました。目を閉じる度にその楽曲の持つ世界に入り込み、そして終わるとともに現実の世界に返る。曲毎に表情を変えながらも、一貫とした富田さんの持つ世界も感じられる。まさに富田ワールドとしか表現出来ない世界が、そこにはありました。

富田さん、そしてこのような機会を作って頂いた師田さん、赤荻さん。本当にありがとうございました。 同じアヴァロン・ユーザーとして、富田さんの世界に触れられたことは、何にも増して得がたい経験だったと思っております。オーディオに対し、新たな情熱、そして夢を心に刻み込んだ一日でした。

 篠原 友(AVALON友の会)。


 

   久しぶりの富田宅、この日は色々なことを教えてもらったが、一番はSACDマルチのことだった。

富田さんがSACDマルチの実験を開始したのは確か二年半ほど前のことだった。僕はなにしろ自分のスタジオの奥の方に置いてあるTAOCの5段ラックの最上段に置いてあるアナログプレーヤーのキャビネットが鬱陶しいと言って、スケルトンにしたりキャビネットを使わず棚板に穴を開けて落とし込んだりするほどだから、メインのスピーカーの真ん中にもう一本同じスピーカーを配置するときいただけでSACDマルチからは身を遠ざけようと考えてしまった。

僕と違って、富田さんはいちはやくSACDに可能性を見いだし、リアスピーカーとメインの音量や音質を合わせる工夫をしていた。それはもちろん知っていたが、僕の方は自分で色々やりたいこともあったし、SACDマルチに関しては最低一年ぐらいはきかないでおこうと思っていた。僕のやりたいことというのは、自分の装置の中でアナログを極めるということで、2004年の1月にアナログプレーヤー選びが一段落し、僕のところに再びSACDプレーヤーがやってきた。そして、以前SCD-1をきいていた時より僕のシステムも少しは進歩していて、よりSACDを楽しめるようになっていた。

長い間僕はSACDマルチに対して否定的だった。実はこの文を書いている今も100%肯定しているわけではない。だが、富田さんはすでに二年以上の期間あれこれ試行錯誤を繰り返しているようだし、そろそろ実をつけ始めているのではないか? 僕はそう考えた。正直、メーカーの推奨するスピーカーその他の配置に僕は賛成できない。スピーカーを5本置き、その中央に座らなければならないなんて絶対にイヤだと思っているのだが、富田式SACDマルチはメインスピーカー2ch+リア2chで、しかもリスニングポジションは普通と変わらず、リアのスピーカーはリスニングポジションの真横かそれよりやや前に配置されているので、これなら真似てみる気にもなる。

 今後SACDマルチが育っていくとしたら、それにはユーザーの力が必要なのではないか?

SACDマルチが何故あのようなものになったのか、僕にはわからない。今回富田さんが僕にきかせてくれたような表現はSACDを企画した人たちの意図したものに合致するのかしないのか、それもわからない。だけど、この日味わった再生は僕をなるほどと思わせるものがあった。音が不自然にぐるぐる回るとか、あたかもコンサートホールの中にいるような感じとか、そういうものではない。ひとことで言えば立体的な音場に「ほー、なるほど」と思った。立体的な音場ってのは、僕がこのHPを立ち上げた時からずっと書き続けている「三次元的定位」とどこか違うのか。

今回富田さんにきかせてもらったSACDマルチによる、「今まで体験したことのない音場感」を言葉で語ると、1)ソフトによってはスピーカーより外側にも定位する 2)それでいて、歌などはスピーカー中央のスピーカーより前方にも定位する。言葉にするとこんなものなのだが、それは僕たちが今まで楽しんできた三次元的音場とか奥行き感(僕にとってこのことのプライオリティはけっこう高い)とは何と平面的で陳腐なものだったのだろうと思わせされるほどだった。これが偶然で特異な現象に過ぎないのかどうかはわからないのだが、このように楽しめるソフトがもっと増えてくれたら僕たちのオーディオはさらに幅広いものになる。SACDマルチが何十年後かに生き残りさらに楽しめるようになるのかどうか、それは楽しむ人が多く存在すれば残るだろうし、少なければ消えて行く。僕は面白そうだから富田さんの方式を参考にして、自分のところでどうなるのかを試してみてもいいなと思い始めた。 2004.2.17 山本

富田邸訪問(SACDマルチを聴いて)


先年の夏休み以来1年ぶりに富田さんのお宅を訪問させていただきました。今回は欲張り義兄弟の川崎さんは帰省されず、一人での訪問になりました。装置的にはほとんど変わっておらず、SACDマルチはリアにステラとNHTの小型SPが1組ずつ、送り出しはGoldmundのEidos15で、LyraのプリのAmphionがリアのチャンネルのボリュームをメインのAudio Suiteとは独立して担っています。リアのアンプはMeridian。2チャンネルはEsotericのG-0Sのルビジューム・クロックによる完全同期のとれたdCS群です。まず2チャンネルを聴かせて頂きましたが、いつもどおりに壁を感じさせない奥行きと全方向への広がりのある美しい音場に加え、今回初めて聴かせて頂いた骨太なベースやドラムなどの強い音のソフトが以前はなかったEsotericのクロックの導入のためか非常なエネルギー感を以って聴けたことは、完成していると思っていた富田さんの音にさらなる高みのあることを発見した感がいたしました。
昨年の訪問時に、極悪人の音が多くの座標軸において収束してきているように感じられ、現代のオーディオ再生はある到達点に来ているのではないかという感を持ったのですが、その後、富田さんはマルチに新たなオーディオの可能性を見出されているという情報を事前に得ておりました。私が以前にFM Acousticのリニアライザーを使用した初期の富田さんのSACDマルチを聴いた限り、感想にも書きましたように、部屋全体が録音現場の音場になり、あたかもその場にいるという印象を強く受け、その延長で富田さんの現在の音を想像しておりました。1年前にくらべ、その後リニアライザーがなくなり、リアは2組になり、片Chをステレオでのモノラル再生とし、仮想の音像を形成するという独特のやり方に変わっておられ、一体どんな具合になっているのだろうと思っておりました。


出てきた音は、私の上記の認識、すなわち、部屋の音場が録音現場のそれにトリップする。そこにSACDマルチの真骨頂があるという認識を見事にいい意味で裏切りました。私はちょうど5.1Ch等の映像関係の音場とダブって、SACDマルチを捉えていた。つまり絵のないサラウンドというように捉えていたのですが、単にそれだけの理解では足りないということがよく分かりました。
つまり、2chという線ないしその連続による面での音楽再生と比べ、4Chという面ないしそのつながりでの3次元(表現が分かりにくく恐縮です)での音楽再生による、音場および音像形成における絶対的な優位性を目の当たりにしたのです。よく分からないのですが、2chにおいては音の遠近感が音の強弱で、仮想的に人間に認識されていると理解可能とすると、マルチは、そのような仮想ではなくて、実際に音の遠近、すなわち音そのものの厚みや音場の深みを、マルチの音源によって、現実に再生しているという感を抱かせるのです。そこに2chとマルチの大きな差があるのではないかと思うのです。モノラル(SP1本と言う意味でのモノラル)とステレオが誰にとっても明白に音の再生の次元を異にするのと同程度に実は、SACDマルチと2chとは再生の次元が違うのではないかと思わせるものが、富田さんの今のSACDマルチにはありました。
実際の音としては、前回聴かせて頂いた時のような2chの音場とまったく違う音場が形成されるというのではなく、2chの音場の延長線にある、違和感のない音場が形成されるのですが、そのリアルティが2chの比ではないのです。ちょうどCTスキャンをするように、きっちりと音場の前後方向の断面が一つ一つ、フロントとリアのSPで再現されていて、それが重なって実体としての音場が形成されているという感を抱かせるのです。驚きました。これほどの音の実在感はかつて経験したことがありません。非常に緻密にきっちり前後の奥行きが再現されている。3次元測光というか、SACDマルチをそれと同列にしていいのか分かりませんが、そんな感じなのです。


以上は、GrimaudのCredoやいくつかのクラシックのSACDマルチを聴いて感じたことなのですが、そのようないわばConventionalな音楽を対象としたソフトとは別に、積極的にSADCマルチを活用しようとするソフトも聴かせて頂きました。つまりそれは音がきれいにリスナーの周りを円を描いてぐるぐる回ったりという類のものなのですが、富田さんによれば最近そういうものでよいものが出現してきているということで、これは文句なく楽しめる、新しい音楽の世界なのです。SACDマルチには、この2つ顔、旧来の再生音楽の延長で、それをさらに推し進めたよりリアルな音の再生という側面と、もう一つ積極的にマルチを活用した新たな音楽を担うという2つの側面があるということが、今回非常によく理解され、感じられました。
もちろん、マルチにおける位相管理の難しさや、そもそもの録音の時点での条件やパッケージ化の時点での諸特性の違いから、SACDマルチの調整の難しさは大きな課題であると思います。フロントとリアが交じり合わずに後ろから聴こえているという感じがした時点で、すべてが台無しになるのです。また機器の購入およびその設置場所も頭の痛い問題です。しかし、富田さんのところのようなレベルでのSACDマルチの音を聴いてしまうと、これをやらずにいる訳にはいかないという感が強くするのです。市場が広がることで、よりソフトも機器も進歩するでしょうし、一方ある程度Popularにならなければ淘汰されてしまうかも知れない。あのリアルティを知ってしまうと、それはあまりに惜しいと言う気がいたします。
富田さん、今回はお忙しい中で、お付き合いをいただきありがとうございました。オフ後のお話も大変楽しかったです。富田さんの提示されてきたマルチ再生の現実的な手法、最初はリニアライザーの活用、そして今回は2組のリアSP。これらはSACDマルチを私にも身近なものにしてくれています。いつにも増して大きな刺激を頂きました。お話しましたように直ちに実行できませんが、近いうちに容れものの問題を解決し、その後、乗り出したいと思っています。今までたくさんの刺激をいただき、そろそろその恩返しをさせていただかなくてはと思っております。また関西の方にもいちど遊びにいらして下さい。それでは、重ねてお礼申し上げ、またお会いできますことを楽しみにいたしております。ありがとうございました。
 

 2004年8月19日 鹿野啓一


この数ヶ月で、僕は僕の方向に進み、富田さんは彼の目指す方向に進み、その隔たりがずいぶん大きなものになっていることを感じさせられた

それが、今回の訪問で一番強い印象だった

その隔たりが、はたして全体的なものなのか、それともEMMのプレーヤーによるものなのかはわからないのだが、多分EMMによるものだろうと僕は思っている。とにかく、今まできいたことのない音で、すぐには正確な判断や断定が不能だという感じがした。

無条件ですごいと思ったのは、SACDマルチにおけるリアルさだった。試しに僕のところではフロントの音が曖昧になるソフトをかけてもらったが、これはうらやましいほど強くて、「そうだよな、こうならなくてはいけないのだ」と思っていた。お互いにマルチチャンネルの再生をやっていることもあり、今回はちょっとマニアックと言うか、マルチで鳴らすのが難しいタイプのソフトに終始した面もあった。具体的に言うと「Heaven to Earth」とかサラ・ブライトマンのマルチバージョンなのだが、あのソフトをあんな風にきかせられるのは、富田さんのところだけだろう。僕のところだと、ゴチャゴチャでしかも合唱がチリチリするので、ギブアップだ。

実は今回、スタジオでよくきいているCDを数枚持参してかけてもらった。僕がよくきいているので、富田さんも一緒にきいたことのあるCDで、カエターノの粋な男とか、ギレリスのベートーヴェンOP:110とか、シコ・セザールのライブとか、ビオンディのバイオリンとかの(SACDではなく)従来CDだ。僕にはこの4枚についての印象が最も強くのこった。富田さんのお宅を初めて訪れた人ならこれ全体を「富田サウンド」だと受け止めることだろう。でも、僕は何度もきかせてもらっているから、どの部分がEMMによるものなのかはある程度判断できる。それは、通常のCDにもこんな情報が入っていたのかと驚嘆するようなものだった。暖かいか冷たいかという事で言えば、富田さんの音が冷たいわけはなく、暖かく音楽的で、美しい部分はとてつもなく美しいと同時に全部見えるような音なので、これは僕の理解を超えていた。これはかつてどこかで体験したことがあるぞと考えて、クオリアのプロジェクターで見たハイビジョンのデモ画像を見て頭がクラクラしたのを思い出した。

ダイレクト感と勢いがあって、しかもオープンな音である。富田さんはそこを気に入っているようだった。それをより強く感じさせたのは、以前の持ち味であった低域の重量感が後退していたことにより、全体的にやや明るく軽快な印象を受けたことも関係しているようだ。ご本人は「以前が低音出過ぎ」と言うけれど、低音が大好きな富田さんがこのまま放っておくはずもなく、しばらく後には何らかの方法で音を組み立て直してしまうことだろう。音に対しては自在の人なのだ。

富田宅からスタジオに帰り、自分の音をきいてみて、2chの音に関して僕の音は今「凝縮したものを離れてきく」方向に向かっており、逆に富田さんは「もう少し近い距離で音をバラしてきく」ような方向だと思った。特に中高域にその感じが強くあり、良い悪いというものを超えて、僕は初めて体験する音の世界に口をあけてきいていたような感じだった。

多分、あと半年後にはもう少し変化しそうな予感がする。EMMは素晴らしい、チェロのパフォーマンス並みに手強そうなところが素晴らしい。 2005.1.6 (山本)


「以前の部屋ではオーディオが最優先で、やるだけやったから、今度は部屋の美観を優先するつもり」と聞いていたから、この感じはだいたい予想通りだったけれど、まじめなはなし、僕なんか、「美しすぎて、なんだか落ち着かない」っていうほどのインテリアだった。見覚えのあるテーブルやランプなどがあるから、それほどよそよそしいってわけではないのだけれど、毎日住んでいるわけではないので、慣れるのには時間がかかりそう。僕も今、オーディオ機器の縮小をテーマにし始めたので、そういう面ではちょっと共通した段階にさしかかっているのだが、なかなかここまでスッキリさせるのは難しい。

まあどうしても、以前の部屋における最盛期の音との比較になるから、当然、音はそれなりってことになる。もちろん、現段階でどうこう言うつもりはないし、今回きかせていただいた音は、充分美しい音だと思うけど、あの、音で部屋中が充満するような、凶暴な美しさみたいなものではない。多分この数ヶ月、富田さんの興味はカーテン選びや観葉植物や家具の吟味に向けられていたのだろう。そういうことも一段落しつつあるわけだし、とにかく音が落ち着くには時間がかかる。富田さんの機器たちは、高級できわどいバランスをとってこそ最高の能力を発揮するタイプ(つまりハイエンドってやつ)ばかりだから、引っ越しでトラック積んで動かしただけでも、音は変化することだろう。今は、とりあえず戦線を離脱しているような状態だが、あと一年か二年経ってみると、きっと何かが始まっているに違いない。僕はそう思っている。  2006.5.9

 富田さん新居訪問
1年に一度ぐらいの頻度で、お伺いさせている富田さんのお宅に、夏休みを利用してお邪魔しました。昨年お聞きしていた通り、新たなお部屋に引っ越され、大変楽しみな訪問でした。お部屋に入ると引っ越されてから、吟味し、磨いていったと思われる以前はなかった調度類や掛け時計、オーガンジーの素敵なカーテン、また大型の観葉植物が目を引きます。富田さんの音にも顕れている美意識が以前にも増して部屋に満ちています。キッチン部がオープンになったこともあり、部屋は前よりもゆったりとしており、床材や大きな窓と相俟って明るくモダンな感じになっています。夕刻からの訪問でしたが、高層マンションから見る都会の夜景は、そうそう日常生活の中で得られるものではありません。日常生活そのものを充実させ、自己を表現していくことが富田さんの生き方なのだなあとあらためて感じました。そういう場に入れていただくことはとても嬉しいことでした。
聴かせて頂く中で、富田さんのソースに合わせた照明の使い方、つまり少なくとも3方向に存在する照明の向きや光量、色の組み合わせの手法が、以前にも増して洗練されているのに気付きます。マルチチャンネルによる「源氏物語」の演奏時には、正面壁に影として投影される葉がゆれるさま、背後から聴こえる水の音は、妖しいまでに聴くものをトリップさせます。ある種の音響芸術の世界を富田さんはご自身のリビングにおいて指向されている。その舞台としての調度や照明という捉え方をすると富田さんのオーディオの一つの側面が分かってくるように思います。ひょっとするとオーディオもその道具の一つに過ぎないのだと思います。しかしそれはどちらが主であるということのない、さまざまなこの部屋を構成するモノたち、また窓から見える風景などすべてのトータルで成り立っている音世界なのだと思います。
我々二人の訪問に備え、前日の夜半まで、引越し以来初めて追い込んだチューニングをしていただいたというその音は、ずっと聴かせて頂いてきた富田さんの音でした。美的な音の色合いと空間感は、この部屋の空間と相俟って、ある種の音世界を我々の前に、否な、我々の周りに表現します。以前の部屋での音とのもっとも大きな違いは、正面の壁の奥にまるで壁が無いかのように深く広がっていた音の世界が、今回は、我々に距離的に近いところで、比較的浅く現われたことです。その旨を指摘をしますと、富田さんは、それはそんなに簡単に表現できないよと笑っておっしゃられ、私はそれはそうだろうな、あの深みが簡単にでるのならオーディオは、如何ばかりかつまらないものになるだろうと思いました。
まもなく新たな音の女神であるAvalon Isisが富田さんの新たな舞台装置として加わります。大胆でありかつ美しい面取りを施された修道女のようなその姿に富田さんは参ってしまったようですが(笑)、実際にどのような音を奏でるのか、非常に興味深く、楽しみです。今回、間に合えば、未調整の状態のIsisの音を聴いてもらいたかったと言っていただいたことは私には様々な意味で大変に嬉しいことでした。年末には伺わなくては・・・(笑)。今回の訪問で目の当たりにした新たな舞台装置、その主役を引き受けることになる、歌の女神、Isisがどのような音を奏でるか今から本当に楽しみです。舞台から去ることになったAvalonアセント2は、その目指していた頂上の一つを極めたのではないかと思います。お話ししたように私も近いうちに新たな舞台に立つつもりでおり、その意味でも富田さんからはたくさんの刺激をいただきました。食事の際のおはなしも大変楽しかったです。この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。それではIsisとの格闘のお話また楽しみにいたしております。
      2006年8月29日                             鹿野啓一


楽しいオーディオにはまった人々の欲深な記録

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