川崎一彦さんの架空セカンドシステム

私の夢のセカンドシステム

音に対する私の最低条件は二つありまして、一つはオーケストラが一応ちゃんと鳴ること。もう一つは人の声が魅力的なこと、です。そんなにたくさんの機器を聴いてはいませんが、実際に聞いた事のあるものから選びます。やっぱりスピーカーはアポジーのディーバでしょう。なければデュエッタシグニチャーでもいいです。なんとか中古で探す。フルリボンスピーカーにあこがれつつ、ダイナミックオーディオでケンタウルスを買ったのは遠い昔ですが、あれが今思えばハイエンドへの入り口でした。
アヴァロンに辿り着いたのもたぶんアポジーの音の記憶のなせる技です。アンプはエアーのK-1フォノ付とV-1で行きたいですね(今ならX仕様ですか)。エアーはB&WのN801、ティールの7.2、ウィルソンのシステム6をらくらくと美しく鳴らしていたのを聴きました。デザインもおしゃれ。ソースはアナログ専用にしますからCDプレーヤーはなし。アナログはほとんど聴いたことがありません。先日借りて聴いてみて感動したレガのプレナー9と英国イクスポージャーのフォノアンプでカートリッジはダイナベクターで文句ありません。いやー美しい。欲しい。

山本さんのHPとの出会い

会社の駐在員として、現在シカゴ近郊に住んでいます。日本語環境のCPをもっていなかったので米国のオーディオサイトを見ていたのですが、どうしても日本のサイトを見たくなって今年の5月に日本語CPを買いました。たしか「菅野沖彦」で検索して山本さんのHPを発見しました。岡崎さん、柳沢さん、富田さんのステレオサウンド誌の記事は知っていましたから興奮しました。なんと言っても山本さんの文章が素晴らしい。本当に写真家ですか?(失礼)

さっそく全文をプリントアウトして何度も読み返しました。(これが「ただ」というのはおかしい。何とかしてお金とって下さい。)これまで、オーディオの話はもっぱら仕事で知り合ったNYの米国人弁護士ケン、または現在使用中の機器のほとんどを購入したシカゴのオーディオ専門店「Quintessence Audio」の店員ブライアンと交わしていました。最近は世界で最も有名なオーディオ掲示板と思われる「Audioasylum」に無謀にもブロークンな英語で投稿さえしています。それでも寂しい私は、思い切って山本さんにメールをさし上げました。ご多忙にもかかわらずおやさしい山本さんはシカゴまでお返事を下さいました。ありがとうございます。でも、もっと甘えれば、いつかスタジオK’sの音を聞かせてください。


私のメインシステム

スピーカーは、アヴァロン社の「アイドロン」にオーディオフィジック社のテラというパワードサブウーハーを加え、アンプは、ジェフローランド社の「シナジー」プリアンプに同社の「モデル12」モノラルパワーアンプをつなぎ、CDは、セタ社の「ジェイド」トランスポート(日本未発売)をアキュフェーズ社の「DG-28」デジタルイコライザーを通してセタ社のDAC「プロジェネレーションVaバランスド」に入れています。

ちなみにケーブル類も大好きで、デジタルケーブルはイルミナティ社のオーキッド(AES/EBU)、DACとプリの間はトランスペアレント社のリファレンス(XLR)、プリとパワー間は同じくトランスペアレント社のウルトラ(XLR)、メインのスピーカーケーブルはMIT/スペクトラル社のMH770ウルトラリニアーIIです。電源コードは米国Custom Power Cord Company社製(日本未発売)その他もろもろとAPI社もしくはシステマティック社のタップ。ラックはゾーセカス他です。

私の音

わざわざシカゴまで聞きに来て寸評下さる方もいないでしょうから、私のシステムの音についてちょっとだけ説明させてください。とは言ってみたものの、山本さんも書かれているように、自分の音を語るのは難しいですね。ですから、ちょっと趣向を変えて、現システムの各コンポーネントの選択理由などを書きます。高いものが多いですけど、金持ちじゃないです。米国にいる地の利とクレイジーな熱情の産物です。

アイドロン…今年の4月に「ごめん。一生離さない。幸せにする」と言って購入したばかりです。2年近く前に試聴して完璧に圧倒されたのに、そのときは展示品のレイディアンHCを選んでしまったからです。このスピーカーは山本さんがHPの「僕のオーディオ生活」の冒頭に書かれている文章を思い出させます。そう、アイドロンは、恐ろしいほど「音を分解して」、これ以上ないほど「心地よくブレンド」する、と私には聞こえます。私は楽曲を聴くと、その曲のアレンジ、音の構成に耳が行くようです。このスピーカーはそんな私の聴き方にぴったりの音の提示をしてくれます。

テラ…本来はコーナー型5角形ですが、試行錯誤の結果、アイドロンの間に置きました。もとはと言えば、レイディアンHCにつないでアイドロンを超えてやろうと思って導入したのでした。アイドロンにサブウーハーと言うニールパテルが怒りそうなアイデアですが、今のシステムの一番の売りはこの速くて重くて透明な低音かもしれません。

シナジー…インターネットの個人取引で安く買えたのですが、黒はちょっと…と思っています。IIも聴きましたがこれで十分でした。クレルKSA-300SやスペクトラルのDMA180IIにつないでいましたが、文句なかったです。でも、相棒に同じジェフローランドを迎えてあげたくなったのです。

モデル12…そう言う訳で、これは試聴もせずにいきなり注文すると言う、はしたないまねをしてしまいました。注文して4ヶ月。ジェフローランドに「俺の順番抜かしたんじゃないだろうな?」と脅しの電話さえかけました。ジェフのアンプは米国では日本とは対照的に(?)「ウォーム」「真空管の肌合い」とか形容されています。僕にも、このアンプの音はそう感じます。

DG-28…もともとマッキントッシュのXRT18と言うイコライザー付スピーカーを使っていたので、購入は当然の成り行きでした。でもこれは難しい機械ですね。自分の耳を信じるしかありません。実を言うと、他の機器の買い替え防止用に買いました。音に行き詰まって何か変えたくなったとき、これをいじって頭を冷やすようにしています。

セタのCDプレーヤー…昔はセータと読んでいましたが、最近はセタと言うようです。セタのDACは「熱い」音がしますよね。でも、デジタルは技術革新が激しいですから、たぶんここが一番短命でしょう。

    

ゾーセカスのラック…木とゴムと金属のいいとこ取りという発想が気に入りました。アイドロンと同じメープルというのも美しい。その効果たるや、何を替えたときよりも凄かった、と言ってしまいたい。

電源コード…写真でおわかりのように箱で支えないとコンセントから外れるほど硬くて重いのです。音はその苦労を忘れさせますけど。電源コードは他のどこのケーブルより効く、と言うのが私の結論です。

日本(たぶん大阪)に戻る日はそう遠くないようです。戻ったら当然部屋は狭くなるでしょうから、はたして今の音の再現が可能かどうか、そもそもシステムを置ける場所があるのかどうかも不明です。ですから、シカゴの音は、もしかしたら「僕の人生最高の音だったなあ」、と言うことにもなりかねません。ああ、悲しい…


日本に帰ってきたら、是非遊びに来て下さい。でも、大した音じゃなくてガッカリするかも知れませんよ。

元オーディオ誌編集者から「山本さん、無料であんなにいっぱい書きまくっちゃ勿体ないですよ」と言われた事があります。でも、今のところ紙のメディアの中に僕の場所はないので、しょうがないんですよね。無料だからと言って書き惜しみ、出し惜しみするのもちょっとネ、とも思うのだが、最近はお気に入りのフレーズをストックしておこうかと考えています。本当は僕のHPにオーディオとは無関係のスポンサーがつくか、又は、個人が「面白かったからStudioK'sに100円寄付しましょう」というようなシステムが出来るといいんですけどね。(山本)


2001年冬の状態

スーパーウーハーが無くなり、アナログシステムが導入されている

その他、以前の写真と比べてみると、細かなセッティングの変更が沢山行われている

【2001年4月15日現在の使用機器】
ターンテーブル: Rega Plannar9 
カートリッジ:  ダイナベクターXX-1(Low)
フォノアンプ:  Exposure 13 

CDトランスポート:    Wadia:270 
DAC:          dCS:ディーリアス 
DD:           dCS:パーセル  
コントロールアンプ:   ジェフローランド:シナジー 
パワーアンプ:      ジェフローランド:モデル12
スピーカー:       アヴァロン:アイドロン 

デジタルケーブル:    イルミナティ:オーキッド×3 
インターコネクト:    トランスペアレント:リファレンス(DAC−プリ間)
(バランス)                   ウルトラ(プリーパワー間)
スピーカーケーブル:   MIT/スペクトラル:MH-770ウルトラリニアーリファレンスII
パワーコード:      Custom Power Cord Company:トップガン
             Custom Power Cord Company:モデル11
             キャメロットテクノロジー:パワーマスター600
             トランスペアレント:スーパー
オーディオタップ:    API パワーパックII           
オーディオラック:    ゾーセカス、シュローダー

【機器の変更】
最初に載せて頂いたころから約1年の間にいろいろと手を加えました。まず消えたのが、オーディオフィジックのテラというサブウーハ−とアキュフェーズのデジタルグライコDG−28です。購入から8ヶ月ほど経ちアイドロンのエージングが進み、サブなしで十分な重低音が聴けることが判明しました。テラはホームシアター派が泣いて喜ぶ破壊的重低音を出していましたが、日本のマンションでは使用不可と判断し、放出しました。テラが去ると低域のコントロールがメインのお仕事だったDG-28は活躍の場を失います。くわえて調整ポイントがありすぎることが自分を音楽ではなく音そのものに向かわせてしまう状況に疲れた感もありました。日本でまた必要になるかもしれませんが、それはその時考えようという短絡思考でこれも放出を決めました。
デジタルサイドはまったく変わりました。まずセタのDAC、Pro Generation Va は、さすがにdCSディーリアスとの聴き比べにおいて大きく水をあけられ、最新機の実力のほどを思い知りました。ディーリアスはこれまで耳についていたボーカルや弦の刺激感をほぼ取り去り、音場を拡大し、アイドロンに更に深い低音をもたらします(サブに引導を渡したのはディーリアスです)。音色の魅力だけでは他に候補もあったのですが、とにかく「聴いたことのない音」に惹かれたと言えます。このころアナログが導入されます(悪いのは山本さんです。自覚されてますか?)。架空オーディオに書いた組合せがそのままやってきました。全面的にCDを超える音とは言いませんが、CDが逆立ちしても出せない世界を知りました。アナログに刺激されたデジタルは奮起せざるを得ません。「ディーリアス単体でもいけるじゃないか」との思いも束の間、山本さんのアップサンプリング礼賛にも刺激され(自覚されてますか?)、結局dCSパーセルに走ります。パーセルは「怖い音」を出しますね。音の芯が明確になり、実体感とエアー感が両立しました。しかし、ディーリアス/パーセルの真価は、その後セタのJadeにとって替わったWadiaの270CDトランスポートによってもたらされたように思います。

【自分の音】
私はどんな音を目指しているのかはやっぱりうまく書けないのですけど、たぶん自分が「美しい」と感じる音が好きなんでしょう。「美しすぎる」と感じるくらいの美音であって欲しい。そして、アイドロンはその資質を有しており、かなりその持ち味を引き出せているのではないかと自負しています。また、アヴァロンのスピーカーはうまく鳴らせばあたかもフルレンジ一発のように統一された音をワイドレンジで取り出すことができると感じています。更には、とにかく私の今の音はシカゴのタウンハウスの大空間が出しうる音と言わねばなりません。リスニングポイントはスピーカーから約2.5M程度の位置ですが、その後方はダイニングとキッチン、左手側は玄関ホールとなっており、それらが仕切りなしに連続しています。天井は三角屋根の傾斜をとっていて最高点まで3Mあります。この部屋の音響特性にどれほど助けられていることか! この間日本に一時帰国して、部屋に関する自分の感覚が麻痺していることを思い知りました。アイドロンって大きいんですねえ。ゾーセカスラックもでかい! 大蛇のようなMITスピーカーケーブルや曲がらない電源コードも噴飯ものです。機器類をこんなに膨張させたことを後悔しました。日本では一から出直さなければなりません。もしかしたら絶望して全部売り払うかもしれません。その時は、山本さんはじめ極悪人クラブの皆様、ご指導のほどよろしくお願いしますね。


堀川さん、こんばんは。

今日はアナログプレイヤーについてお聞きしたく、メールしています。

先週の土曜日にシカゴで知り合ったオーディオに凝っている方のお宅にお邪魔しました。その時にImedia RPM Revolutionという、日本ではスキャンテックが取り扱っていたアナログプレイヤーを聴きました。日本で定価¥2.200.000の代物です。もう製造中止になってしまったようで、この方が最後の1台を手に入れたそうです。

私はその時までアナログをまともに聴いたことがありませんでした。そして音質的に関する限り、CDにはCDの、アナログにはアナログの良いところがあり、また言い換えればCDには無い良さがアナログにはあり、アナログに無い良さがCDにあるのだろうと認識していました。

しかしこの方のお宅でアナログを聴いて、自分は多分に認識違いをしていたと気づきました。

CDよりアナログの方が明らかに音が良いのです! もう全然違いました。アナログの方が、明らかに音が濃く、生生しいのです。部屋の明かりを消して暗闇の中で聴いたら本当にそこでピアノの演奏をされているかと思うくらいでした。CDを聴いていて、私も良くこのような表現をしてきましたが、アナログのリアルさと比べると「CDで聴く音楽でそんな風に感じたなんて、なんだか無理矢理我慢してそう解釈してたんじゃないか?」と思う程でした。うまく言えないのですが、デジタルでは絶対に出しようが無い音がアナログからは出ていると思いました。音というより音楽が、もっと言えばそのアナログに吹き込まれた演奏時の雰囲気がありありとステレオで蘇るような感覚です。

その方はCDも相当凝っていて、トランスポートがWadia 270、DAコンバーターにDCSのDeliusとPurcellという組み合わせでした。(ちなみにスピーカーはAvalonのEidolon、アンプはJeff RowlandのModel 12というモノラルアンプです。)現行CDフォーマットの可能性をかなりのレベルまで引き出せるシステムだと思います。たまたまCDとレコードと同じアルバムがあったので、聴き比べたのです。CDはもう音が情けないくらいに薄いのです。アナログからは、音の粒がぐっと詰まった、演奏者の熱気と情熱が伝わって来る「音楽」が聴けるのに対し、CDからは水みたいに薄い「音」が聞こえるのです。この差があまりに大きいので、たとえCDトランスポートをP-0sに換えたところで、デジタルフォーマットの限界が見えるようでした。P-0sにしてより多くのデジタル信号をピックアップできたところで、このアナログの音には到底追いつきようが無いのではないかと感じるくらいでした。デジタルはその使いこなしで、情報量とか解像度とかダイナミックレンジといった、音に関する科学的な要素(スペック)だけを変えたり、良くしたりしているだけなのではと思いました。そこに同席していた方が、「CDの音はアナログの音と比べると、全くの作り物の音、偽者の音と思ってしまう。」と言いました。オーディオを初めて間も無い方なのですが、その分感性が素直なのでしょう。少なくとも今回お邪魔したお宅でのシステムでアナログデジタルを比較すると、それが納得してYESと言ってしまえるのです。

スペック上ではアナログよりCDの方が断然音のダイナミックレンジが広くて、ノイズも少ないはずです。実際アナログはレコードによっては、再生している時にプチプチとノイズが鳴ります。しかしImmedia RPM Revolutionは「そんなことはどうでもいい!」と思える程の音を聞かせてくれました。なんだか高いデジタル機器や、さらにはCDソフトにお金を掛けるのが馬鹿らしくなってきた程です。デジタルをどこまで突き詰めても、たとえ将来SACDが今の現行CDのように「円熟の域」に達しても、アナログで聴ける音楽は、再生できないのではないかと思いました。アナログとデジタルは何かが根本的に違うような気がしてなりません。

堀川さんはアナログも凝ってみえましたが、堀川さんの言われる「 アナログの良さ」とは何でしょうか? そしてそれに対してのCDの良さとは何でしょうか? お互いの良いところ、悪いところをよくご存知かと思います。

また私がアナログとデジタルについて感じたことについて、どう思われますか?感じたことを素直に書いたのですが、どこか行き過ぎていますかね?

とにかく初めて聴いた(ハイエンド)アナログは私にとってあまりに衝撃的でした。今後のオーディオ人生を変えるくらいのイベントでしたよ。自分も含めアナログ時代を生きてこなかった若い世代のオーディオマニアは、アナログを「過去の遺物」とか「回顧主義的な物」と思っている人が少なくないと思います。遥か昔に開発されたアナログ技術に、最新のデジタル技術を搭載したハイエンド機が及ばなかったという事実が、そのような世代を生きてきた人とって、多かれ少なかれショックを受けるものであろうことは想像に難くないことと思います。温故知新とは正にこのことですね。

少々長くなりましたが、コメント頂ければ幸いです。

             磯谷

川崎さんの友人である磯谷さんが、新しい川崎さんのレコードプレーヤーImmedia RPM Revolutionによる音を体験し、そのまた友人である堀川さんに出したメールが転送されてきたので、掲載しました。(山本) 2001.7.10


2001.10 NYからシカゴに移った森内龍也さんが、川崎さんの音をききに行った。その感想です。(媒酌人 K's)

川崎さん、今日はお邪魔させていただき、ありがとうございました。


長い間、E‐Mailや電話のやり取りをさせて頂いていて、川崎さんのことがその囲で想像できましたし、またその音についてもある種の確信がありましたの、本当にお会いできることを楽しみにしておりました。ご存知のとおり山本さんとも聴かせていただいたら、感想を送るということで、お約束をしておりましたので、責任も感じつつ、訪問させて頂きました。今日、お聞かせ頂いた感謝の気持ちも含め、私の感じたことを書かせていただきます。
まず、川崎さんの音を聴く前に印象に残ったのが、部屋です。話し声が自然で、少し響きがあり、高い天井と、聴取位置の背後にあるダイニングの広いスペース。やはりアメリカならでは十分なエアーボリューム、しかも奥さまのご理解があると感じましたが、もっとも好ましいであろう位置にスピーカーがセッティングされていると思いました。

最初に聴かせていただいたPurcellにより24/192KHZにアップサンプリングされたCDの音は、バランスのよく整った、鳴りっぷりのよい音というのが印象で、これはEidolonが鳴り切っているのだろう思わせる音でした。中高音域に独特の鋭敏な部分が感じられ、それが特徴になっていますが、それ以外の音域も非常にうまくまとまってよく鳴っているというのが第1印象でした。CDを数枚続いて聴かせていただき、次第に川崎さんの機器に対する想いが分かるシステム、ちょっと表現が難しいですが、各々が非常によく使いこなされているという感じを受けました。音にそれがどう顕れているのかといえば、各々の機器謳っている、例えば私の感じるdCSのよさ、破綻がなくて非常に安定した完成度が高い音が聴こえるし、ジェフローランドのアメリカ的な前を向いた美しい音(すいません。分かりにくいですね。)も聴こえるし、そして何より、おそら
くAvalonの音(私は数度しか聴いたことがなく、特徴を自分なりに把握できていないのですが…)、すなわち音場と音像のバランスが非常によく、音が上下(特に下、これは個性になっていると思います。)に思い切りよく伸び、中高音に敏感な感じやすい部分があるのが、よく聴こえる。これが、Avalonの音なのか、川崎さんの音なのか私には分からないのですが、そういう具合に各々の機器がそこに焦点を当てて聴いた場合にはよく音として現れていて、それらがよくコントロールされ鳴り切り、トータルで独自の川崎サウンドを構成しているという感じを受けました。よく音が見えます。

次に聴かせていただいたのは、ゾーカシス・ラックの天板に直置きされたImmediaによるLPです。ターンテーブルの重層構造および合金による凝ったり、完全にモーター部と分離しているトーンアーム部の簡素に見えながら独特の凝った作り、これはすごい作りのターンテーブルだなあ、調整による音の変化の可能性が非常に大きいのだろう、従って、これは反面、厄介なんだろうという感じもしました。
でも、聴いた瞬間、すべて吹き飛びました。これはCDと比較をするのが、酷なほど、たぶん2つか3つぐらい次元の異なる音になっています。誤解を恐れずに言えば、紛れもない本当に上質なLPの音をImmediaは見せ付けたと思いました。川崎さんのシステムは、本当にその機器やメディアの音を正直に音にします。音が何の縛りもなく、そこに形として現れる。立ちあがり、消え入るその早さ。レコードのトレース能力が恐ろしく高いと感じさせる、レコードの溝から剥ぎ取ってきたかのような音。何より心に直接響くストレートな、でも決して荒々しくなくて、すうとダイレクトに届いてくる音。いや、これはいいです。一つの思った点は、本当にある高みのものをちょっと見方を変えると、という感じなのですが、川崎さんもご自身で言われていたように音が非常にストレートで、それは心に直接響いて非常にいいのですが、そこにちょっとした締りや味わいが出てくると、また違った面でのすごさがでてくるのではないだろうか、そしてそれは、カートリッジによってもたらされるのではないだろうかということです。おそらく、川崎さんのシステムは、怖いほど、カートリッジの特色や性能を音にすると思います。

おまけで、私が持ちこんだゴールドムンドのMM27。ゴールドムンドのよさと私が思っているきめが美しく細かい、抜けのよい音、そして何より優しくさわやかで、暖かみさえ感じさせる音、それが、ただ、ラックに載せて、繋いだだけで出たのには、驚きました。JeffのSynergyの美しい力感のある、どちらかというと男性的な音、これは川崎さんのシステムの中でSynergyの音でありながら、川崎さんの音になっていたと思いますが、どちらがよいか、全く好みの問題になるだろうし、両方とも川崎さんのある水準を完全に超えた全体としての音の中で、いい面を発揮していたと思います。Trade-inどうしたものでしょう…ここまで見せ付けられると困ったものです。

最後になりますが、長時間、お付き合いを頂き、本当にありがとうございました。音場、音像、音のバランスというような音の土台の部分を超えた部分で、(これは、そこに注意すればすばらしい音場があり、音像があるのですが、そこに意識がいかない、音の躍動感とか心に響く部分に焦点が行った、特にLPでは、ということから思いました。)、非常にニュートラルでありながら、自分らしい音を作られている川崎さんのシステムを聴けて本当によかったです。本当に時間がたつのがあっという間で、たくさん刺激を受け、家に帰って家内に感想をしゃべりまくってしまいました。
AFでの岡崎さんの書き込みに刺激されて、持参しましたスーパーツイーターは川崎さんのシステムの中で、おそらくそのよい部分を発揮すると思います。今後とも気楽に、お邪魔させていただければと思っております。どうぞ宜しくお付き合い下さい。来ていただくのが、ちょっと怖いのですが、セッティングを終えましたら、私の家にも遊びにいらしてください。それでは、今日は本当にありがとうございました。

            森内

森内様

早速感想を送って頂き、ありがとうございます。本当に楽しい時間を過ごさせて頂きました。メールで話をしたとはいえ、初対面でこれだけ打ち解けてしまえるオーディオ仲間。仲人(?)の山本さんに感謝します。来年3月帰国予定の私にとって、シカゴの今の音は「期間限定品」ですから、森内さんがこの音の生き証人になって頂くことが今回のレポート強制(笑)の理由です。部屋に入るなり部屋の音響が音に効いているだろうと指摘されましたね。さすがです。

まずCDから聴いて頂いたのですが、「鳴り切っている」「よく音が見える」「上下に思い切り伸びている、特に下に」というのは、嬉しいお言葉です。特に、持参されたWaltz for DebbyのxrcdバージョンCDは繊細感と実体感を両立させた高水準の音だったと思います。しかしLPの音は、「やっぱり」ですね。同曲のLPも、その他のLPでも、CDとは「次元が2つ、3つ」違うというのは、妥当な評価でしょうね。期待したAET効果もTatsuyaさんには特にプラスではなかったようです。(一瞬だけオーキッドに戻してみましたが、そちらの方が好きだと言われてしまったし。)オーディオは難しく、面白いものです。

CDの音もLPと違った魅力を持ってアナログと同じレベルで鳴って欲しいのですが、現状はお聴きになられたとおりです。本当は、「CDもイケテルじゃないですか」「そうだよね、デジタルもけっこう良いよね」という展開もほんのちょっと期待していたのですが、結局「新しいソースがLPでリリースされないから、デジタルもやんなきゃなんないんだよねえ」という会話になってしまいました。ま、当然ですね。もともとアナログがメインのTatsuyaさんとはそうならない方がおかしいのです。デジタルの道は険しいなあ。ご指摘のとおり、私の場合、より高い次元を求めるなら、早道はカートリッジでしょう。こうなると山本さんの秘密兵器ZYXクライオにますます期待が脹らみます。バーンインよろしく頼みます(勝手ですが)。

MM27は感心しました。あの外観に似合った洗練された柔らかなきめ細かさは麻薬的快感です。柳腰でちょっと前の日本美人を現代風にバージョンアップした感じでしょうか。それに比べれば私のSynergyの音は運動能力に長けた白い歯の光り輝く健康的なアメリカ美人かも知れません。MM27の使用接続ケーブルは格落ちクラスでしたから、追い込めばもっとイケルでしょう。私が買いましょうか?(冗談) タンノイのスーパートゥイーターは宿題です。楽しみですが、良かったらどうしよう。怖いもの聴きたさ、です。

またお気軽にお寄りください。私もTatsuyaさんの音を楽しみにしています。お互い女性ボーカルが好きなようですから、どちらがクラクラするか競争しましょうね(笑)

           川崎


 【シカゴ試聴会の経緯】
Audio Fan掲示板では師匠山本さんの分まで「アナログはいいよー」としつこく投稿しておりましたところ、カナダの駐在員ブルーさんより「川崎さんのところで本格的なアナログの音を家内に聴かせれば私のアナロググレードアップ作戦で彼女の財布の紐が緩むかも」との楽しいレスがつきました。米国駐在を終え春に帰国することになった私は、これに乗じて山本一派シカゴ支部を勝手に名乗るH君、森内さん、私の連続演奏会に仕立てて、シカゴの思い出にしようと企んだわけです。2001年12月23日、はるばるカナダから奥さんと娘さんとケーブル、アクセサリー類を乗せ、ブルーさんは颯爽と現れました。その後の試聴会当日の進行と様子については、ブルーさんの素晴らしい感想文をお読み頂きたいと思います。演奏者のH君(初演奏!)、森内さんにも感想文を頂きました。オーディオは仲間でやると100倍楽しいと実感した最高の一日だったと思います。(川崎記)

【H君の感想文】

昨日は夜遅くまでお世話になり、有難うございました。奥様にもよろしくお伝え下さい。
ブルーさんはかなり知識もすごく、またいい耳を持っていらっしゃる方でしたね。僭越ながら、Tatsuyaさんの音、川崎さんの音に感想を書きます。

Tatsuyaさんのシステムについては、Tatsuyaさんのいつも聴かれているCDは良く鳴っていました が、それ以外は僕にはすこし違和感がありました。特に低音です。川崎さんのシステムもTatsuyaさんのシステムもお二人の個性をそれぞれ良く映し出しているという点では同じなのですが、Tatsuyaさんの音は僕の音楽世界から判断するとかなり異質なもので、多分客観的に見ても両者はかなり隔たっていると推測します。しかし非常に精魂込めて生み出された音だなぁと強く感じた次第です。 そして川崎さんがTatsuyaさんの音に影響を受けているというのも頷けます。

川崎さんシステムはやっぱり圧倒的でしたね。個々の機器の潜在能力の高さを感じました。アナログに関しては、音としては神の域(?)まで行っていると思いました。

ただ、Audioは単にすごい音を出すための物ではなく、音楽を楽しむとための物いうのが僕 の持論(川崎さんも、皆さんも当然そうでしょうが)で、その意味からすると、僕にとって昨日 一番良かったのは、川崎さんのCDで聞いた殆どのCDソフトと、僕のCDで聞いたダ ニーボーイ、そしてTatsuyaさんのCDで聞いたYO-YO-MAのバッハの無伴奏チェロでした。ですから、 昨日はLPも凄いですがCDも捨てたもんじゃないなと思いました。でも今日色々考えていると、やっぱりまた、アナログは凄いと近い将来言っている自分の姿が見えるような気がします。


【森内さんの感想文】

H君の初演奏については、既にその時、皆さんが言われていた感想や、私のしゃべっていた内容と異なりません。課題曲は誰よりも甘く、蕩けるようで、とてもいい感じでした。他の選曲もH君らしくて、それぞれよく、嫌な響きもなく、整って鳴っていたと思います。ただし、実は私にとって一番よく思えたのは、課題曲だったのです。一方、たぶんH君がもっとも好きであろうJ-POPは、余り個性が感じられずに、上品で無難な感じで、もっと元気に鳴っていたらよかったかなあと思いました。かなり特性に加工がされているJ-POPをあのグレードの機種でうまく鳴らすのは、却って難しい面があるのかも知れず、中抜けあるいは平板になり勝ちな気もしますが、それを制してH君の求めている方向で鳴ればよいなあと思います。

川崎さんの音については、また随分変化していてびっくりしました。今回聴かせて頂いたLPはピンクフロイドやTOTOなどのロック系のLPの音は、川崎さんも言われていたようにまさに嬲られているかのようで、そのスピード感は圧倒的で、またその音場に揺るぎがなく、リジットなことは、特筆すべき点だと思います。以前に比べてみると、ZYXからすごく強い音が出るようになっていて驚いたことと、全体に音が少しメタリックになり、より強靭な音の方向に行っていて、これは川崎さんが意図されて持っていっているのだろうと思いましたが、今回聴かせていただいた音楽にはより適合しているように感じました。また、川崎さんの音量は、私が今まで聴いたAudiophileの音の中では、もっとも大きいと言ってよいと思うのですが、今回は特に後半は音が大きくなったのですが、それでも音が全く崩れず、Eidlonがよく鳴り、圧倒的なエネルギー感で迫ってきたのは、圧巻であり快感でした。

また、CDの方はより以上に変化していて、あれ、と思いましたが、角が丸くなり(とくに上方向)、ちょっと美音系で、LPの音とは随分違う。オブラートに包んだと言えるような感じで、思わずこれは私の思っている川崎さんの音じゃないですと申し上げてしまいました。このことに関連し、今回随分考えていたことがあったのですが、川崎さんも書いておられるように、随分私のところと川崎さんの音は違うということです。音の作りそのものが違う。私がどちらかというと音を重ねていって、その重なり具合に喜んでいるようなところがあるのに対し、川崎さんの音は、もっとストレートなのです。私にとっては、音の出だしや消え入り際は非常に重要で、そこから音が重なっていき、色合いや風合いが出ていく様、演奏家が丹念に音を重ねていく様を聴きたいというのが私の音楽を聴く一つの目的なのです。それを通じて修練による洗練と、心の配られた技術、技法により音楽に顕れてくる演奏家、作曲家の精神的な冴えを聴けると私は演奏家や作曲家に触れることができたようで非常に嬉しくなってしまいます。

一方、川崎さんの音は、もっとストレートで、音楽ってのは消え入りなんてもんじゃあなくて中身だよと明快に言ってくれるようなところがあり、音および音楽のエネルギー感やそこから受ける心の高まりが重要なんだと私に言ってくれるのです。そのため、私はいつもリラックスして楽しんで音楽になぶられる(笑)ことができ、演奏者や作曲家のエネルギーを感じ(そういう感じで私は川崎さんのシステムで彼らに会うことができます。)、川崎さんの音からエネルギーをもらうことができます。川崎さんが言われた、"Tatsuyaさんのところの鬼束ちひろは死にたくなるけど、自分のところは元気になるんだよねモという言葉は、我々の音についていい得て妙であり、核心をついているのだろうという気がします。私は鬼束ちひろの歌にある種極まった精神状態に触れたいし、川崎さんはその裏側にある精神的なエネルギーに触れたいのだろうと思います。そんなことを考えていました。

あと、いろんな音楽への対応という意味でも川崎さんのシステムは抜群で、私のところは選ぶ傾向があるということです。これは、ブルーさんが指摘していましたが、一つには私のところは周波数および音量の両方で低音が出過ぎで、Entecのサブを使いこなしきれておらず、バランスが崩れてちぐはぐになっている。その点のバランスが川崎さんのところはいいのだろうし、音の作りがエネルギー感にあるとすれば(これは川崎さんに異論があるかも知れませんがノ)、これをいろいろなソースから引き出すという観点からは相性というものは少ないのだろうかと思ったりしました。

音楽のジャンルではなくて、個々のソースとの相性というものがどうして生まれるのか、ちょっと分からなくて、山本さんのように幅広いソースを聴きながら、どれもがハイレベルに中庸をいくと言う行き方(これはソースではなくハードでも言えてとくに山本さんのアナログ3種がそれぞれの味わいをもって同じシステム内であれだけ鳴るというのは驚異的です。)と、富田さんのようにその時点で鳴らしたいあるソースを極めていくという行き方のふた通りありそうで、後者は相性が生じやすいのかなあ、でも一概にそうでもなくて、音の作り自体に相性を生じる要因があるのだろうなあと思ったりしています。川崎さんは、どう思われますか?

今回の試聴会で、そんなことを感じました。でも、上の感想は、ちょっと川崎さんの音を決めつけているようなところがあり、実はすごく恐縮なのです。本当に川崎さんが狙っているところを理解できていなくて、川崎さんとしては不本意に思う部分があるだろうと思います。川崎さんがどう感じられたかまた意見をお聞かせいただければと思っております。

今回は、いろいろとご準備を頂き、本当にありがとうございました。非常に楽しく、有意義な会でした。ブルーさんの3人の音そのものに対する感想も楽しみですね。H君は書いてくれるのでしょうか?

なお、先日お話ししましたように、AETのデジタルは初期型を購入することにしました。試聴会の時に最終版のみをお渡ししましたが、もしご興味がおありでしたら、初期型をお貸し致しますので、お知らせ下さい。またGAIAの電源ケーブルも購入の予定ですが、川崎さんにも試していただければと思っております。それでは。

森内龍也


【川崎さんより森内さんへのお返事的感想文】

H君の音については、選曲は彼らしいのですが、音自体は「H君の音」と言えるのかどうか。課題曲「ダニーボーイ」でのジャシンタの声の出方に本人が驚いていたくらいですから。基礎的要素は十分に高いので、後はどう持っていくのか自分に問いかけ続けるだけですね。

さて、森内さんの音と私の音の比較は大変興味深く読みました。鋭いご指摘だと思います。森内さんは「音の重なり」「色合い、風合い」に異常に(?)敏感で、音の肌触りに焦点を当てて音を作っておられます。一方、私は、おっしゃるとおり「音の中身」「音楽のエネルギー」が第一優先なわけです。最近森内さんに感化されて、いろいろと肌触りを変えているんですが、私としては、いくらお化粧を変えても同じ女(性格)に変わりはないなと思うわけです。しかし、森内さんはそのお化粧の微細な変化も的確に捉え、聴く度に「全然違う音になりましたね」とおっしゃいます。驚嘆するばかりです。しかし、実は森内さんも私の音の特質は「音の中身」の部分にあって、それは変わらない、と気づいておられるわけですね。

当日の森内さんの再生で最も気に入ったのはヨーヨーマのバッハ(無伴奏チェロソナタ)のCD再生でした。陰影のよく出た克明な表現に加え、私の求める「エネルギー」も出ていると感じました。しかし、中には私の求める「動的」要素が私の基準ではかなり足りないと感じる再生もありました。音自体は大変魅力的で、「音の消え入り」もよくわかるんですが、私にとってはあまりに「静的」な音になっている場合があります。虚無的な美しさと申しましょうか、不思議な音です。一方、アナログは自然と音に芯が増すため、私と世界が近くなってくると感じます。

最後にご質問の相性の問題についてですが、一つには森内さんのシステムにおける低域の処理というテクニカルな問題があります。これは時間をかければ解決できるでしょう。次に、「音の作り」からくる相性の広さ狭さについては、確かに、特定の音楽、ソースで「音の肌触り」を突詰めるやり方は、出来上がった音が普遍的バランスを欠いてしまう場合が多いように思います。一方「音の中身」の充実や「音楽のエネルギー」を取り出すというテーマは、もっと普遍的なテーマなのかも知れません。しかし、大抵は音の「肌触り」も「中身」も両方求めているものであり、一つの装置で多様なジャンル、ソースを聴く場合には、結局どこかで妥協せざるを得ないと思います。いや、考えさせられました。


【主賓ブルーさんのシカゴシステム試聴記】

オーディオファンでの交流がきっかけとなり、私たち家族はH君、Tatsuyaさん、川崎さんそれぞれのオーディオシステムの音を聴かせていただくために彼らの住むシカゴへ行って来ました。今回その結果について報告させていただきます。

12月23日、朝9時丁度にH君の住むマンションに着きました。初めてのシカゴの町でしたが、丁寧に書かれた川崎さんから頂いた道案内のおかげで、ダウンタウンのホテルから迷うことなくたどり着くことができました。呼鈴を押しマンションの正面玄関を入っていくとH君が出迎えてくれ、部屋に通されました。部屋の中ではもう既に川崎さんとTatsuyaさんが私たち家族を待ちかまえています。インターネットやE-mailでしかお話ししたことがない初対面の御三方でしたが、何も違和感なくすぐにとけ込むことができました。私はインターネット上の交流で何となく人柄を想像していたのであまり不安はなかったのですが、妻は多少不安だったようで、優しそうな3人の表情を見て一安心といった様子でした。

H君のシステム
川崎さんの号令の後、H君の演奏が始まりました。
最初の曲は福山雅治の桜坂でした。実はこの曲、日本を離れて長い私はあまり知らなかったのですが、妻がすぐに福山の曲だと気づき、かつ歌詞の中に桜坂とあったのでそうだとわかりました。その後、ユーミン、エンヤ等を聴かせていただき、課題曲へ移りました。
CDプレーヤーは、Musical Fidelity のNu-Vista 3D でした。このCDプレーヤーは最近、私の家の近所のオーディオショップでもSimaudioのMoonEclipseやLinnのIkemiに代わってメインの座にいるとても評判の高い機器です。今オーディオショップから貸し出してもらっていて、H君の最有力候補だそうです。その他の機器は、「H君の初オーディオ」でお馴染みのものです。
さすがに、川崎さんやTatsuyaさんの指導が行き届いていると見え、申し分のない音でした。広い音場空間にちゃんとそれぞれの楽器が所定の位置に定位します。部屋も広く、のびのびと開放的に鳴っているという感じです。Tatsutaさんが以前、広い部屋を自由に使えてうらやましいと言われていたのがよくわかります。CDプレーヤーの個性なのか、少し演出のある音のようにも感じられましたが、嫌みはなく、心地よい音でした。使用機器もいいものばかりですが、それらを、ただ置いただけで出る音ではありません。オーディオショップの試聴室でもなかなかこれだけの音を聴くのは難しいでしょう。まだCDプレーヤーのエージングが十分でないようで、少し歪みっぽく聞こえるところもありましたが、ジャシンタのダニーボーイとの相性は抜群で、えも言われぬ声の表現力でした。H君も相当気に入ったようで「そのCD、絶対に買います。」といっていました。
あえて、マイナスポイント挙げさせてもらいますと、少し高域がきつく感じる事かある、
もう少し低域、躍動感、透明感があってもいいかな、といったところですが、これらはかなり贅沢な注文です。
次にアナログをかけました。川崎さん持参の45回転盤のダニーボーイです。
結論を先に言うと、CDの音の方が私の好みでした。CDの音の方が音場が広く感じられ、丁度良いホールトーンがありました。それに比べアナログの音は、すっきりした感じで、少し平面的な気がしました。ただ、これはアナログが良くないと言うよりは、新しいCDプレーヤーが良すぎたと言うことでしょう。価格も倍ぐらい違いますし。もちろん私の現用のアナログの音と比べると透明感、音の正確さ、躍動感、すべてにわたって優れていました。特に私の持参したジェフベックのLPを掛けたときにその差がよくわかりました。もっとしっかりしたラックにセットすればもう少し改善されるかもしれませんがプレーヤーの価格から考えれば充分すぎる音だったのかもしれません。
あっという間に1時間以上がすぎてしまいました。今回私の一番の目的であるアナログの優位性を確認するという課題はまだまだ達成できていませんが少し片鱗は見えた気がしました。さらなる期待を込めてTatsuyaさん宅へ移動しました。

Tatsuyaさんのシステム
Tatsuyaさんのお宅へ着くと、奥様とかわいらしい二人の子供達が出迎えてくれました。そしてオーディオルームに案内されました。その部屋は8畳くらい
(12畳くらいはあるんですけど…森内)のオーディオ専用の部屋です。広い部屋を自由に使えるH君の環境もうらやましいですが、Tatsuyaさんのオーディオルームもなかなかのものです。使用機器類もかなりマニアックなものでまとめられています。
まず、Tatsuyaさんが選曲した数曲を聴かせていただきました。そのなかで、特に2曲目、3曲目の北欧系ジャズはまるでこれらの曲のためのシステムであるかのように、非の打ち所のない演奏でした。空間の奥行きがとても広く感じられ繊細なシンバルの音がピンポイントで定位します。Tatsuyaさんの音は、大音量で聴いたときのダイナミックさを狙うというよりは、中音量時での繊細な音を目指しているようで立体的な音場空間が部屋いっぱいに広がるのが印象的でした。また、ヨーヨー・マや村治佳織の弦の音もとてもよかったので、スピーカーのツイーターユニットについて伺うと、DynaudioのT330Dを使用しているとのことで、なるほどという感じでした。スピーカーの自作もする私としてはこの初めて見る2wayのパワードスピーカーにサブウーハーというシステムがとても印象的で、心くすぐられました。
日本の一般的な住宅事情から考えれば贅沢すぎるくらいのオーディオ専用ルームですが、大音量で聴くには低音の処理等いろいろ難しい点があるようで、パラメトリックイコライザーで細かく調整されていたり、音響調整部材を使用されていましたが、やはり部屋の大きさからくる限界を少し感じました。とはいってもその音量は私を含めほとんどの人には充分満足できるもので、オーディオを趣味としない人からしてみれば少し大きすぎるくらいのレベルでしたが。
課題曲のダニーボーイもすばらしくH君の音よりも高域、低域ともにきれいにのびて、厚みのある音でした。ジャシンタが本当に目の前で歌っているような臨場感があります。H君の音は開放的かつ、イージーリスニングに向いた感じで、なんとなく彼のイメージにマッチした感じでしたが、Tatsuyaさんの音は細かいニュアンスや繊細なそれぞれの音を少しも逃さず引きだそうという秘めた闘志が感じられ、これまたTatsuyaさんの雰囲気に通じるものがあるように感じました。
次にアナログに移りました。ターンテーブル、フォノステージともにかなりマニアックな機器を使用されており、かつ使いこなしにもこだわりを感じさせるものがありました。しかし、今回は不幸なことに原因不明のノイズが載ってしまい本来の音を出すことができませんでした。やはりアナログはセッティングや使いこなしがCDに比べ少し難しいのかなと感じましたが、それだけに、自分の狙った音が出たときにはその満足感も一入なのだろうなとも思いました。無精かつ不器用な私に果たして使いこなせるのかという不安もありますが、ちょっと足を踏み入れてみたい世界でもあります。
さて、こうなると残された川崎さんのアナログの音に対する期待が否応なしに高まります。

川崎さんのシステム
みんなで川崎さん宅を訪れると奥様が昼食を用意して待ってくださっていました。午前中の試聴結果について談話しながら楽しくごちそうになりました。
川崎さんの演奏が始まりました。とにかくCDもLPも数多くの曲を聴きかせていただきました。川崎さんの音に対する第一印象は、とにかく音場空間が立体的で広いということでした。天井が高いことも手伝ってか上からも音が降り注いできます。それと、大音量もあってかとてもダイナミックで、音が床をドンとたたきつける感じのとてもリアルなバスドラの音は圧巻でした。きっと川崎さんのおっしゃるものすごく速い低音というのはこのことを指しているのだろうなと感じました。普通これくらい大音量で聴くと聴き疲れしそうなものですがいくらでも、それどころかどんどん音楽に引き込まれていきます。繊細な表現力を持ちながらエネルギッシュな演奏もこなすというオールマイティーなシステムでなかなか欠点が見つけられません。強いていえば、Tatsuyaさんのほうが奥行き方向の音場が広く感じられ、かつよりピンポイントに定位していたように感じます。しかし、音量や掛けたソフトが違うので、一概にはいえないかもしれません。
アナログもすこぶる快調で、とてもいい音を奏でます。しかし、CDと比べ良いともとも悪いとも結論づけることはできませんでした。課題曲のダニーボーイで比較してみました。CDとアナログの音は同じ演奏の曲にもかかわらず全く違う音に聞こえました。アナログの方が空気感を感じ、音場も広く出ているように感じましたが、これは少し演出が含まれているようにも感じられました。ちょっとへそ曲がりな意見かもしれませんが。以前近所のオーディオショップで、やはり同じ曲をオラクルのターンテーブルで聴かせてもらったことがあるのですが、そのときも同じことを感じました。その時はセッティング等の問題もあってか、音の躍動感が少し欠けているように感じたので、アナログはこんなもんかと少しがっかりしたのですが、川崎さんの音はとてもダイナミックで音に芯があり躍動感に満ちているので、音場が広く感じる分CDよりも良いとも判断しても良いのかもしれません。しかし、私にとってはCDの音もそんなに悪くはなく、ちょっと音づくりが違うだけで好みの問題かなと感じました。私と私の妻以外はアナログの方がいいと感じていたようなので、説得力は無いのですが。川崎さん達は、アナログの方が自然な音で、CDは枠を感じるというようなことをおっしゃっていましたが、私は確かにLPの音も良いが、最近の高品位録音のCDもそんなに悪くないと思っています。それと、CD中心でアナログをあまり聴かない私たちにとっては、CDのS/Nの高さはアナログに対する大きな優位点でした。もちろん音楽の音量が上がればほとんど気にならなくなるのですが、小音量の時にはやはり気になってしまいます。多分アナログをよく聴く人たちにとっては、少しぐらいのノイズは気にならず、聞こえてくる音楽が良ければ無視できるものなのだろうと思います。しかし、CDばかりを聴いている私たちにとって普段あまり聴くことのないそのノイズが気になってしまいました。
少しアナログに関して否定的に書いてしまいましたが、私が昔良く聴いた70年、80年代のロックに関しての評価は全く違います。これらのものはLPとCD両方とも持っているものが多々あるのですが、そのうちのほとんどはCDを聴く気が起こりません。とても音が平面的に感じ、聴き疲れをしてしまいます。LPの方が、ダイナミックに感じるのですが、うるさく感じたり聴き疲れをしたりはしません。ただ、これらは録音やマスタリング技術の問題だと理解しています。LPのために録音されたものを安易にそのままCD化したものはCDのための音づくりにはなっていないのだと思うのです。しかし、CDよりは良いといっても、私のターンテーブルからアーム、カートリッジのセットで5万円程のアナログシステムではやはり音に限界を感じ、最近はほとんど聴いていませんでした。CDに比べ極端に安価なシステムなので比較するのも酷なのですが。
川崎さんのアナログシステムで聴く古いロックの音は私の想像を越えてものすごいものでした。とにかく情報量が多く、ダイナミックでした。ジェフベック、TOTO等私の持参したLPをいくつか聴かせていただきましたが、いくらでも続けて聴いていたくなるような音で、今回私が持ってこなかった他のLPも聴いてみたいと思わせました。それは妻も同感だったようで、自宅でこれらの曲をCDで聴いていると、もっと音量を絞ってとか他のCDに換えてとか注文されることが良くあったのですが、川崎さんの音を聴きながら「こんなにいい音だったの」とつぶやいていました。
まだ全面的にアナログを支持するわけではありませんが、アナログ機器のグレードアップを決心させるには充分すぎる音で、私も挑戦してみたいと思いました。妻の財布のひもも随分緩んだようです。
あっという間に時は過ぎ5時半になってしまいました。シカゴで評判のとんかつ屋に行かなければいけない時間です。二台の車に分乗してみんなで出かけました。

川崎さんのシステムPart2
とんかつ屋で久しぶりにおいしい日本食をたべました。腹ごしらえが終わったところで、川崎さんのシステム試聴の第二弾が始まりました。H君からのおいしいシャンパン、赤ワイン、焼酎等の差し入れがあり、より和んだ雰囲気で行われました。
まずはフォノインターコネクトを私の持参したMITのMI350に換えてみました。思ったより音が変わりました。少し濃い音になり、演出があるようにも感じました。川崎さんの好みの方向とは少し違うようです。その後、電源ケーブルやD/Aコンバーター等いろいろ試してみましたが、やはり川崎さんが日頃いろいろ悩みながら作り上げていった音だけあって、川崎さんオリジナルの組み合わせが一番しっくりきます。しかし、これらの音の変化を確認するのはとても楽しく良い経験でした。また、私たち4人の音の感じ方や好みの違いもすこし感じ取れました。このようなことを今後もしばらく体験できる3人がとてもうらやましく思えます。
そんなことを繰り返し、ダニーボーイだけでも今日1日で20回以上は聴いたでしょうか、その他数え切れないほどの曲を聴き、気づくと夜中の1時を回っていました。みなさんとても名残惜しそうでしたがここでお開きとなりました。

カナダ帰国後の私のシステム。
24日は1日シカゴ観光をし、25日に帰国の途に着きました。25日はクリスマスで祭日だったためほとんどの店は閉まっており、コンビニで買ったスナック類をつまみながらの寂しい旅路でした。
夕方に自宅に到着し、夕飯を食べた後早速シカゴへ持っていった機器類を復旧させ音を聴きました。川崎さん達のものすごい音を聴いた後ですがやはり聞き慣れた自分の音は何となく落ち着きます。しかし、今まで不満だったところがそれまで以上に気になり始めました。これは予想していたことです。音場が奥行き方向に狭く、低音も少し不自然に感じられることがあります。その原因と対策法のいくつかは以前からわかっていたのですが、リビングルームとしての使い勝手や、小さい子供のいたずらを考えるとできずにいました。しかしシカゴでの音を思い出すと、いてもたってもいられなくなり、妻にレイアウト変更の相談をしました。妻の回答は「お金は掛からないようだからいいわよ。子供も少しは聞き分けが着いてきたし。」というとても前向きなものでした。これもシカゴでの経験のおかげでしょう。早速レイアウト変更計画を実行しました。まずは一緒の部屋に置いてあったJBLのS3100をベースメントのファミリールームに移動し、遊休のCDプレーヤーやアンプと合わせてサブシステムとして復活させました。これでメインスピーカーのレイアウトの自由度が増します。次にスピーカーを40cm程前に出し、後ろの壁との間の距離が今までの倍の80cmとなりました。これで随分変わりました。妻もあまりの音の変化に驚いていました。後はここで書くのも恥ずかしいのですが、もっともやってはいけないといわれているレイアウトのうちの一つである、2つのスピーカーの間に陣取っているテレビを何とかすることです。一応テレビをスピーカーに向かって側面の壁際に移動することの仮承認は得られたのですが、とりあえずは今のままにしておいて次の新しいスピーカーが完成した時に変更するということになりました。テレビの位置変更もかなりの音響改善になると思われますが、すでに随分改善されたので今日のところはよしということにしました。
ターンテーブルもグレードアップする方向で進めていますが、まだどれにするかは決まっていません。試聴する機会がなかなかないのがネックとなっています。

以上が今回の試聴会のレポートです。H君、Tatsuyaさんファミリー、川崎さんファミリーには大変お世話になり、おかげさまでとても思い出深い旅行となりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。H君とTatsuyaさんにはまたシカゴか、こちらカナダでお会いできるかもしれませんね。川崎さんとは次は日本でということになるのでしょうか。日本の新しい環境で今出されているような音を再現するにはなかなか難しい点もあるかと思いますが、いつか日本で川崎さんの新しい音を聴けるのを楽しみにしております。
本当にありがとうございました。


 川崎さんのシカゴにおける最終的な状態

スピーカー間の距離がやや狭く、後方の壁との距離もさほど遠くない、そしてリスニングポジションも、それほど遠くないようなので、サウンドステージ派の中では音像派よりなのかも知れない

 左下の俯瞰写真以外はけっこう画像をいじったので、元の写真と見比べてみてね

「川崎サウンド:力と技と健全さと」      2002年3月7日 森内


とある日曜日、川崎さんから、もう最期になるけど聴きに来ませんかというお電話を頂戴しました。ちょっと前から、フォノケーブルを換えたらすごいことになったという話を聞いていたので、ホイホイ、ワクワク、そして半分は最期になるんだなあという寂しさの交じった気持ちで出かけました。川崎さんには、少し前にウィンズの0.01gまで計れる針圧計をお貸ししていて、針圧を計り直して調整したら、これまたすごいことになったということも聞いていました。事前に得ていた情報は以上なのですが、おそらく川崎さんは、その他にも機器の置き場所を変えたり、スパイクを変えたり、あちこち細かい修正を加えているはずです。何度もお邪魔して、1度として同じセッティングだったことはありません。例えば、山本さんのHPの写真では、Jeffのモデル12は電源部と本体が直に重ねられていますが、写真の後に私が聴きに行ったときには木製ブロックが噛ませてありました。もちろん私の方も聴いて頂くときは、大抵、何かがあったときで、当然セッティングも同じだったためしはないわけですがノ

さて、その日には、Wadiaの270は、電圧を日本仕様にするためにWadiaに送ったそうで、すでになく、今日のメインは、LP。電圧とアースの問題は、私も頭が痛いです。米国では非常にポピュラーなPS AudioのPS−300で、電圧(100V〜120Vまで可変)を変えて試してみても、やはり実際に繋いでみない事には、どうも不安が残ります。100V仕様にした方がいいのか、117Vのまま持って帰った方がいいのか、よく分かりません。ちなみにdCSは、ブリッジの交換で簡単に変更できるし、CELLOもパワーサプライのダイアグラムさえ覚えておいて繋ぎかえれば、あとはフューズを換えて、世界中どこでも基本的には使えます。これらの機器は日本で両方、実際に試してみればよいのですが、でも簡単にはいかない機器もあるわけで、どちらかにまとめた方が楽です。しかし、音との兼ね合いから判断がつかないでいるのですが、川崎さんは間もなく日本に帰られるので、その辺りの判断をどうされるかも興味深いところです。また200Vからのステップ・ダウンも考えておられるとのことで、その場合どちらに落とすのか等組み合わせにも興味をひかれます。

ともあれ、山本さんのHPにある敷衍写真の下端の少し下側の、スピーカーから2.5mほどの位置に置かれたソファーに腰掛けました。当たり前ですが、いつもどおりに天井は高くて、傾斜していて、羨ましい。アイドロンは軸線上からは少し広角に設置してあり、レンガのような20Kgはあろうかという石板のうえに、微動だにせずに立っています。私のところもそうですが、川崎さんのところも絨毯敷きで、この石板は有効なのだそうで、H君も使っています。この石板は置いていかれるそうなので、引き取り、試してみようと思っています。

さて、もうすっかりブレークインが終わり、こんどはエージングの段階に入ったと言えるZYXのカートリッジ、ゾーセカスのラックに直置きのイメディアのレボリューションとJeffのケイダンスは、新たに加わったワサッチのフォノ専用ケーブルとの組み合わせでどう変わったのか。最新のアナログ機器と言ってよいこれらの機器が出す音は、振り返ってみると、初めて聴いた時には、まだカートリッジがダイナベクターのXX−1で、LPの音の溝を抉るような圧倒的にオーディオ的に優れた音で、すごいという形容詞がピッタリくるような音でした。その後、私がブレークインを少ししたZYXクライオ。これは、ウェスタン・エレクトリックのビンテージの銅線をクライオ処理したスケルトンタイプのカートリッジで、非常に現代的でありながら、欧州のカートリッジとは異なる日本的な上質さももった性能的にも優れたカートリッジに置き換わりました。その音は、川崎さんにはかつて申し上げましたが、実は私にはほんの少し不満があったのです。もちろん文句のあるような音ではないし、非常にオーディオ的に優れているのですが、あえて言うならば、Jeffのアンプやアイドロンの方向性とちぐはぐなのではないか。むしろダイナベクターの方がオープンで直截な音で、他の機器との相性はよかったのではないか、というある種の違和感があったわけです。

そして今回、ワサッチのケーブルを加えた最終シカゴサウンド。ワサッチのケーブルは、ZYXと相性が非常によいという評価があるのだとのこと。私もワサッチのインターコネクトを川崎さんから拝借しましたが、私のところでは中域に独特の艶のようなものが乗り、なにかゴムの表面のような弾力のある感触が加わるという印象でした。音がこもるというのとは異なるのですが、個性のあるケーブルで、使いどころでは威力を発揮するタイプだろうと思っていました。実は申し訳ないことに、少しそういう先入観を持って聴きに行ったのです。

でも、オーディオは聴いてみない事には、やはり分かりません。聴いた瞬間に、川崎サウンドは何かを突き破ったように思えました。私は音を聴いた時に割に早く自分の中での音の形容詞を見つけるのですが、これはかつて聴いたことのない音で、オーディオ的な形容詞では説明が難しく、しばらく聴き惚れてしまいました。凄いことには間違いないのですが、どう形容したらよいのだろうと思って聴いていた訳です。4曲ぐらい立て続けに聴いた後、ようやく頭の中でこの音の有様が分かってきて、言葉が浮かんできました。ちょっとうまく伝わるか分からないのですが、どうも音、とりわけ中音域がエネルギーの固まりとなり、スピーカーの奥行きのちょうど、ど真中に定位している。そのため、低音とか高域がどうということでは説明の難しい音になっていて、何か生き物みたいに音がそこにいるように感じられました。分かりにくい表現ですね。むしろ非常に"音が息づいているモと言う表現の方が適当かもしれません。ワサッチのゴムのような弾力感は、ZYXクライオの分解能とハイスピード、きめの細かさによって見事に溶解して、きれいに音が溶け合い、とりわけ中音域がきれいにたなびき、独特のリアリティのある息づいた音場感を生み出していました。

以前は、語弊を恐れずに言えば非常にオーディオ的快感に満ちた音で、引き締まった高速の低音に、圧倒的にエネルギー感のある中音域が、聴く者を圧倒するという感じだったのが、同じエネルギー感でももっと自然な感じになっていて、ソフトに録音された音を何の手も加えずにそのまま取り出してきたような感じです。装置はある種のブラックボックスですが、LPソフトと出てきた音の狭間で、生き物のように素晴らしい音を生み出しているという感を強く抱きました。そして、聴いていて何より非常に気持ちのよい音で、なんと言うか生きた暖かみのようなものが加わり、川崎サウンドはそういう新たな魅力を兼ね備えるに至ったと感じます。

私は、川崎サウンドについて、そのエネルギー感と、川崎さんの優れた耳からもたらされる適切なセッティングの技、そして何よりゆがみの少ない非常に健康的な音にその特徴があるという印象を一貫してもってきたのですが、その印象の中で、特にLPはどんどんと向上していき、どうやら今回、オーディオ的云々を超えたところに到達した感じがし、私にとっては長く記憶に残る音の一つになるだろうと思います。

川崎さんは間もなく日本に帰られる訳ですが、実はだいぶ以前から住まいを決定され、その間取りを把握し、着々とそれに合わせたASCのルームアコースティックのマテリアルや、電源コンセントを購入され、準備されています。一体どんな展開を見せるか、大変楽しみです。勘定してみると半年足らずの短い期間なのですが、何度も行き来させていただき、とてもそんな短い期間とは思えない密度の濃いお付き合いをさせていただき、非常に感謝しております。シカゴ支部は、寂しくなりますが、また、日本で再会し、AFでも書きましたように、新たな大阪サウンドを聴かせていただき、"いやーあの時の音に比べるとまだまだですね、川崎さんノハッハッハモなどと感想をのたまうのを楽しみにしております。それでは、お元気で。また再会する日を楽しみにしております。


 2002年春 川崎さんは日本に帰ってきた この度の苦労はオーディオベーシック誌に掲載される 

 そのために、日本に帰ってきてからの状態をWebの掲示板に書き込めず、歯がゆい思いをさせてしまいました

2002年5月初めの状態、この円形の物たちが不要になったら、きかせていただくことにしましょう(やまもと)

 山本様

写真のアップありがとうございました。

「 2002年5月初めの状態、この円形の物たちが不要になったら、きかせていただくことにしましょう(やまもと) 」というコメントは、「円形物が必要じゃないように調整したら?」という意味にとりましたが正解でしょうか? それは無理だと思っているんですが…

                              2002.5.6 川崎

 川崎様

>「円形物が必要じゃないように調整したら?」という意味にとりましたが正解でしょうか?

正解です。

> それは無理だと思っているんですが…

そこを無理だと思ったら終わりです。
                              2002.5.6 山本

 山本様

> そこを無理だと思ったら終わりです。

ふーむ、そんな目標もあったとは気がつきませんでした。しかし、僕はあの円筒の風景が好きになってしまったので、取り除く努力ができそうにありません。

                              2002.5.6 川崎

 
川崎様

>ふーむ、そんな目標もあったとは気がつきませんでした。しかし、僕はあの円筒の風景が好きになってしまったので、取り除く努力ができそうにありません。

音を出してみたら酷かった、円筒形を置いたら良くなった、だから好きになったというわけですね。

10代までの僕は大変不健康で、いつも病院に通っていて、病院は僕を楽にしてくれる場所でした。
その後、健康になり、ものすごく久しぶりに病院行くと、薬臭くて、気分が悪くなりました。
僕は病院に行くとあんなに安心したのになあと、妙な気持になりました。

ソフトも取りにくいし、視覚的にあの状態はどうかと思うのです。やはり、一つづつでも取り除く方向で努力を重ねた方が良いのではないかと僕はそう思っていますが、いかがでしょうか?

                              2002.5.6 山本

 山本様

そう言われて円筒形を全部外して聴いてみました。愕然とするようなひどい音でした。この不健康さを何とか健康な状態にしてくれるのが円筒形だということを再確認してしまいました。部屋が不健康なんです。ですから、不健康な部屋を円筒形で直すことなくシステムを治療しようとするのはシステムに対して申し訳ないと思いました。視覚的には悪くないと思うんですけどねえ。グレーの壁は見ていて落ち着くんです。シカゴのときもそうでしたし。

別の言い方をすれば、ASCグッズは凄い効果のアップサンプリングのようなものです。山本さんももし試してみたら戻れなくなるかもしれませんよ。

                            2002.5.6 川崎

 川崎様

>そう言われて円筒形を全部外して聴いてみました。愕然とするようなひどい音でした。
>別の言い方をすれば、ASCグッズは凄い効果のアップサンプリングのようなものです。
>山本さんももし試してみたら戻れなくなるかもしれませんよ。

僕は川崎さんのお宅へ行ったわけではなく、写真を見ているだけなので、実際には写真で見るより鬱陶しくないのかも知れませんが、基本的に、あの円筒形がある事をよしとするかどうかという問題だと思うのです。

全部外せばひどい音になるのはわかります。音が悪ければきく気もしなくなりますから、全部外せとは申しません。でも、少しづつ徐々にでいいから、無くしていった方が良いのではないか、僕はもちろん円筒形の効果は認めますが、自分では絶対にいれたくありません。当分の間イコライザーを使用したりして様子を見て、1年か2年後には無くすか、出来るだけ少なくしていった方が良いのではないでしょうか?

同様に壁の矩形も、何か他の方法で音を整える事は出来ないのだろうか?

                            2002.5.7 山本
 
山本様

円筒形や壁の矩形をそれほど目の敵にされる理由が判りかねます。円筒形の効果を認めておられるようですから、「絶対に入れたくない」と言われるのは、美意識の相違のみに基づくものだと考えます。

「イコライザーを使用したりして様子を見」るというのは変ですよ。イコライザーを使用したら円筒形がいらなくなるのかも知れませんが(そうは思いませんが)、そうしたらイコライザーはずっと使い続けることになるでしょう? 山本さんは部屋の音響の悪さを「少しずつ良くなる病気の一種」みたいにおっしゃいますが(本当にそうならいいんですけど)、部屋というのは何か対策を講じて、それを継続して行かねばならないものだと思います。
イコライザーか? 新しいアンプ、CDPか? はたまたケーブル変更か? それともASCか? 僕は断然ASCですね。だってもう持ってるんですから。もしイコライザーや新しい機器等が加わるのであれば、それはASCを追い出すためではなく、ASCをベースに更に良い音にする為のもののはずです。

                               川崎 
 川崎様

病は気からと申します。
部屋も病気かも知れませんが、それを言えば、僕のスタジオだって、最初は電話も出来ないくらい響いていましたし、音も現在とは比較にならないものでした。どのお宅も似たようなものです。それを、時間やテクニックや鳴らし込みによって解決し、ギリギリの良い状態を見つけたり保ったりするのがオーディオの楽しみであり、そして苦しみでもあります。

部屋も病気かも知れませんが、その上川崎さんの心まで「薬を使えばいいや」みたいになってしまったら、部屋も病気も治りません。

意識しておられないかも知れませんが、川崎さんのファンは多く存在していて、現実に川崎さんの影響力は大きなものがあります。その川崎さんには、安易に薬づけになって欲しくないのです。

シカゴでの音を基準にするのはなしにしましょう。大丈夫です、時間をかけましょう。

>「絶対に入れたくない」と言われるのは、美意識の相違のみに基づくものだと考えます。

まったくその通りです。音もそうです。

>山本さんは部屋の音響の悪さを「少しずつ良くなる病気の一種」みたいにおっしゃいますが(本当にそ>うならいいんですけど)、部屋と>いうのは何か対策を講じて、それを継続して行かねばならないものだと思います。

あれほどの円筒形や矩形を使わなくとも、必ず川崎さんの求める音になります。全部無くすのは無理でも、現在の1/3〜1/4にはなると思います。

                     2002.5.9 山本

 山本様

> 病は気からと申します。
> 部屋も病気かも知れませんが、それを言えば、僕のスタジオだって、最初は電話も出来ないくらい響いていましたし、音も現在とは比較にならないものでした。
> どのお宅も似たようなものです。 それを、時間やテクニックや鳴らし込みによって解決し、 ギリギリの良い状態を見つけたり保ったりするのがオーディオの楽しみであり、そして苦しみでもあります。

まったくそのとおりですね。「時間やテクニックや鳴らし込み」の中に円筒形や矩形を使用することが除かれる理由を、「美意識の相違」以外の言葉で言って頂けますか?

> 意識しておられないかも知れませんが、川崎さんのファンは多く存在していて、現実に川崎さんの影響力は大きなものがあります。
> その川崎さんには、安易に薬づけになって欲しくないのです。

意識しておられるでしょうが、山本さんのファンは多く存在していて、現実に山本さんの影響力は大きなものがあります。山本さんが円筒形や矩形を目の敵にされることで、心を痛めている方がたくさんいることでしょう。ハハハ。

> あれほどの円筒形や矩形を使わなくとも、必ず川崎さんの求める音になります。
> 全部無くすのは無理でも、現在の1/3〜1/4にはなると思います。

手段と目的を混同されておられることを危惧します。私の求める音になったとき、円筒形や矩形が必要なくなることはあるでしょう。私は何か機器を変更したり導入したりしたときは、必ず他の設定を見直します。そのとき円筒形や矩形がない方がよければ外すだけのことです。しかし、円筒形や矩形を外すのが目的になってはいけないと思うのですけど。

                            2002.5.11 川崎


 川崎様

一度話を基本に戻しましょう。
川崎さんは
1)今の住まいは不健康あるいは病気だ
2)故にまともに音を出すには補正材が必要で
3)必要充分に補正した状態が現状である
 という事ですね。

川崎さんのリスニングルームは多分16畳ほどあると思います。日本でオーディオをやっている人としては、劣悪と言うより、かなり良い方だと思います。この部屋で音を出して、思わしくなかったから、部屋が病気だと言ってしまっては、日本でオーディオをやっている人の部屋はほとんど重病です。

僕は、川崎さんの部屋はかなり良い条件なのだから、それをそのように受け入れて、無理をせず、あせらず、時間をかけて音を整えた方が良い結果になると考えています。

>まったくそのとおりですね。「時間やテクニックや鳴らし込み」の中に円筒形や矩形
>を使用することが除かれる理由を、「美意識の相違」以外の言葉で言って頂けますか?

ヤマモトのところは壁にトーストだのバンソウコウが貼ってあるから、気分が悪いので行かない、っていう人もいるかも知れません。奇怪なプレーヤーが嫌いという人もいるかも、KEFが嫌いな人もTAOCが嫌いな人もいるでしょう。そこまで言うと、何でも理由になります。
僕はスッピンが良いなどとは申しませんが、厚化粧は好みません。僕は料理の時、ほとんど「合成ダシ」を使いませんが、必要に応じて使います。全面的に否定はしませんが、漬け物の上にジャリジャリとかかっているのは好みません。その味(その音)になるからです。ビタミン剤も毎日大量に飲んでいれば、体は食物からビタミンを摂取する能力を失います。
これはオーディオに対する基本的な姿勢の問題です。

>手段と目的を混同されておられることを危惧します。私の求める音になったとき、円
>筒形や矩形が必要なくなることはあるでしょう。私は何か機器を変更したり導入した
>りしたときは、必ず他の設定を見直します。そのとき円筒形や矩形がない方がよけれ
>ば外すだけのことです。しかし、円筒形や矩形を外すのが目的になってはいけないと
>思うのですけど。

限度を超えた、円筒形や矩形の補正材を無くすのは目的にしても良いと考えます。

僕なら、円筒形は部屋の両角のみの2個にとどめて、リスニングポジションから見ると、スピーカーの陰に隠れるようにします。全部で6個あるようなので、1/3の状態です。これ以上増やさず、あとは他の方法で音を整える、僕たちはこのことをセッティングと呼んでいるわけですから。お子さんの描いた絵を額に入れて飾るでもいいし、そういう普通の物をさりげなく、しかし計算して配置するのが、オーディオの楽しみです。具体的な方策は何がよいのかはわかりません。このわからないところが一番楽しいのです。早急に音を整えずとも良い。僕は仮に川崎さんが言うダメな音をきいたからと言って、それで全てを判断するなんてことはありません。そして、一年二年後に音が変化して、すごく良くなったら、「おお、さすがですね」という事になる、それがオーディオ仲間というものです。

>意識しておられるでしょうが、山本さんのファンは多く存在していて、現実に山本さ
>んの影響力は大きなものがあります。山本さんが円筒形や矩形を目の敵にされること
>で、心を痛めている方がたくさんいることでしょう。ハハハ。

何度も繰り返し書きますが、使いすぎを好まないと言っているだけです。

                          山本

 山本様

了解しました。では、具体的に議論しましょう。山本さんは円筒形をスピーカーの後ろの2個のみにとどめてスタートすればと提案されました。つまり真中の4本は明らかに「使い過ぎ」だと言うことですね。確かに私もあの場所に絶対4本の円筒形があるべきだ、とは思いません。要は、正面に「ちゃんと音の絵が書けるキャンバス」が欲しいということなんです。シカゴのような広い部屋でも正面にはサウンドパネルを並べていました。吸音が良いのか拡散が良いのかは結果を聴かなければなりませんが、とにかく正面に何らかの処理をしなければ、少なくとも私は「スタート台」に立てないと感じます(心理的な部分もあることは否定しません)。ご覧の通り、日本の部屋ではスピーカーの後ろにソフト類を置かざるを得ず、素敵なタペストリーも「子供の書いた絵」も、サウンドパネルも貼れないんです。ですからフリースタンディングの円筒形は悪くない選択でした。

山本さんはKEFが部屋の真中に位置するからいいんです。空間によるキャンバスが出来ているから。一度KEFを後ろの壁に近づけてみて下さい。おまけにCDを壁に並べて。何かを正面に置かずにはいられなくなります。それがカーテンやタペストリーや絵なら良くてASCじゃダメだというのはやっぱりおかしい。裸になったら全然違う体形だった女性に「そんな強力な機能下着は良くないなあ。あせらず、時間をかけて。もっとさりげなく、普通のものを利用しなさい」と説教するお姿を想像してしまいました(笑)。 

                          川崎

今回のメールをもらって、僕たちの議論もやっとかみ合い始めたと思います。以前、川崎さんが「オーディオ好きは下着自慢」みたいなたとえをどこかに書いていた事があって、あれは「なるほど」と思いましたので、矯正下着のことはそのうち書こうと思っていました。

「そんな強力な機能下着は良くないなあ。あせらず、時間をかけて。もっとさりげなく、普通のものを利用しなさい」と説教するお姿を想像してしまいました(笑)。

普通のものを利用しても、均整のとれた体にすることが第一ですが、もう一つ。まわりから見ると決して太くなどない脚なのに「太い太い」って言って、やたらと細い脚にあこがれる人がいるのですが、あれって自分で自分の脚を見るから太く見えるんでしょうかねえ。川崎さんも太いって思い込んでいるような感じがするのです。で、「何とかしなくちゃ」って事になるわけですね。お説教してるわけじゃなくて、「すごい脚線美ではないかも知れないけど、横から見たら、あなたが思っているほど太くはないんじゃないかな」って言ってるだけですから。

それがカーテンやタペストリーや絵なら良くてASCじゃダメだというのはやっぱりおかしい。

そうかなあ、僕はもし似たような効果を得られるのなら、カーテンやタペストリーを選ぶと思うなあ。キャロル・キングが「愛しの円筒形」ってアルバムを出しますかね?

冗談はともかく、川崎さんの新しいオーディオ生活はまだ始まったばかりですから、結果を急がず、僕の言ってる事も考慮して(半分ぐらいでいいから)、楽しんでみて下さい。色んな方法があると思いますよ。

                                   2002.5.12 山本


☆すこし反省 

写真からはよくわからなかったのだが、川崎さんの新居は横幅が3mらしい。僕は3.6mだと思っていた。この60cmは大きい。しかも天井高が2.3mとか。それでも、ほぼ専用のリスニングルームみたいなので、不健康とか病気と言っては部屋がかわいそうだ。それに社宅ではないんだし、その家を選んだのは川崎さんなのだから「ここでやれる」と判断したってことだ。でも、横幅が3mだとするとこれはオーディオベーシック誌編集長のお宅とほぼ同じで、僕は「あそこにアイドロンを入れてるのか」と認識した。これはちょっとやばい、のびのびと歌わせるのは不可能かも知れない。僕が川崎さんの立場だったらどうするかと言うと、やはり円筒形は最低限にとどめる事に変わりはない。音を整えるのにあれをゴッテリ使うくらいなら、スピーカーを小型の物にするし、きかないソフトは減らす。僕は部屋に対してやや小さめのスピーカーを思い切り鳴らす方が楽しいと思っている。 2002.5.13 山本

 山本様

今ごろすこし反省して頂いても遅いんですけどね。でも、円筒形に対する偏見は変わらないんですね。「あれをゴッテリ使うくらいなら」アイドロンを換えろ、だなんて。あれしきで「ゴッテリ」? あと6本くらい入れても良いですよ(笑)。アイドロンは幅3mの部屋でものびのびと歌ってくれます。円筒形や矩形がありますから。そのために米国から持って来たんです。私は、絶対的な部屋の大きさはもちろん重要だけど、部屋とスピーカーの大きさの比率関係はそれほど重要ではないんじゃないか、と思うようになりました。スピーカーは大きかろうが、小さかろうが求める音は求めれば(いつかは)出ます。その目的の為にASCを使いまくって何が悪いのでしょうか? ふと外してみて要らないなと思った時に外せば良いだけです。最初から使用を制限してスタートすることに何のメリットがありますか? その為にアイドロンを見限って、何が楽しいのでしょう? 

ついでに、脚の太さを気にする例えもちょっと頂けませんでした。山本さんが百も承知のように、オーディオの音は基本的に当人が満足すればなんでも有りの世界です。裏を返せば、当人が気にしていることを他人が「気にするな」と言ってもしょうがない世界、ということです。ただ、実は本人もいろいろ他人に言われるのは面白いので、コメントは大歓迎ですけどね(複雑?)。ですが、だからと言って気にすることは止めないよ、ということです。

                  川崎

>スピーカーは大きかろうが、小さかろうが求める音は求めれば(いつかは)出ます。その目的の為にASCを使いまくって何が悪いのでしょうか? 

悪いことは何もありません。川崎さんがのびのび歌っていると言うのだから、それもきっとその通りでしょう。もちろん「求める音は求めれば出る」という事も同感です。お互いがんばりましょう。 山本


山本様

さて、「けんかモード」(笑)はこれくらいにして。最近とある方が製作される銀単線ケーブルを試していまして、ものすごい可能性を感じています。ただごとではない、と思うくらいに。そして、「これは円筒形を追い出せるかもしれない」と思いました。実際に円筒形を全部外してみると、良いじゃないですか、これが。ケーブルの変更だけでも、こんなに部屋による影響を克服できるんだ、と驚きました。山本さんは、こういった努力の大切さを言わんとされているのだろうと思います。ただし、また試し(これがいけない?)に、円筒形を1本入れて聴いてみると、やっぱり少し良くなるわけです。じゃあもう1本、もう1本、と結局6本全部戻ってきてしまいました(笑)。妻も一緒に聴いてたんですが、「あの丸太は目障りねえ」と言いながらも、その効果はしっかり聴きわけてくれたのです。そんなわけで、「愛しの円筒形」は手ごわいんですが、減らす努力は惜しまずに、あれこれ楽しむことにします。山本さんの音の色が私は大好きなんですが、あの色艶はスタジオのたっぷりしたエアボリュームによる良質な間接音を巧妙に利用されていることも一因だと思うのです。私はそうは行きませんから、別の方法でそれを出すことにしましょう。円筒形を気になさらずに、どうぞいつでも聴きにいらして下さい。

                       川崎

 川崎様

僕は今のスタジオを設立する際、アンサンブルのリファレンスを買いたいと思って試聴したくらいです。お金もなかったし、結局KEF105にしましたが、もし同じ音で(例えばボレログランデぐらいの大きさなら)今でもそちらに乗り換えると思います。それほど面で塞がれることを好んでいないというわけです。まあ、これは僕の極端とも言える好みの話です。

オーディオベーシック編集長宅でもCDのラックをどかしただけで、アッと驚く変化でしたから、川崎さんの新居も、スピーカー後方に空間をつくる事は絶対に良い方向になるだろうと思います。でも、あれだけピッタリCDラックがはまってしまうと、あれを無くすのは相当強い意志がないと不可能でしょうね。放っておくと、どんどん物が増えるので、僕も去年一年でLPは数十枚処分していますし、CDもきかない物はあげるなり売るなりしています。川崎さんに「時間がかかりますよ」と言っているのは、オーディオは空間との闘いみたいになるので、そのあたりの解決とは「棚作り」かも知れないし、床下収納かもしれないし、機器のレイアウト変更かもしれないし、直接オーディオとは関係なさそうな事への着手がせまられるのかも知れない。それで時間がかかりそうだなと思うわけです。

リーナ・ニーバーグ/クロースなどの音場情報がよく入った録音ではそれほど聴こえ方に違和感を感じなかった。このことは部屋の響きの素性が良いことを示しているのではないだろうか。(これはずっと昔の高野さんの感想、拝借御免)

「部屋の響きの素性」を言えば、以前も書いたように、僕のところなど最初は電話もできないほど響いていたわけですから、放っておけばどうしようもないし、ヤスケンさんのお宅みたいにものすごくデッドな状態にも出来るわけです。響きはその人がコントロールしてつくるものですよね。それも含めて使いこなしやセッティングと呼んでいるわけですから。

                          山本

 山本様

スピーカー後方の空間を大事にしたいという山本さんのお話は説得力がありますね。
山本さんは部屋のほぼ中央にKEFを位置させることで成功されているわけですから。
私の場合、左右は無理ですが、後ろの壁からはけっこう離せます。写真では分からな
いのですが、この部屋は17.5畳で、幅は3mながら、長さは7mあり、リスニングポイ
ントの後方には前方と同じくらいの空間があります。従って、スピーカーはぐっと前
に出せるのです(ドアが一つ開かなくなりますが)。CDラックやLPラックを外して得
られるスペースくらいは簡単に稼ぐことができます。そこで、アイドロンをかなり前
に出してみました。うーん、これは自分の音じゃないんです。空間感は良くても、実
体感が不足してしまう。結局元に戻してしまいました。僕は後ろの壁が近い方が良い
ようです。ですから、CDラックを外しても、解決にはならないでしょう。

私は、正面中央に実物以上にリアルな音像が屹立するかどうかから聴き始めます。そ
の次に全体のステージを見渡します。アイドロンは左右に迫った壁を苦にしていない
ようです。ですが、全体的には、やや重心が高いので、それが目下の課題です。円筒
形は半分が吸音面、半分が拡散面で、面を回しながらの調整が細かく出来るので重宝
しています。同じ機能を持つ代用品はちょっと思い浮かびません。音の重心は、シカ
ゴと比較しての話ですから、もしかしたらあそこで出ていた音が異常なのかも知れま
せん。一般にアイドロンはあれほど重心の低い豪快な音で有名なSPではないからで
す。その意味では、よく知られたアヴァロン的「速い低域」は既に得られているのか
も知れません。しかし、あの音は忘れられず、何とかしたいと思っています。当初最
悪の状態だったLPの音が最近復活しつつあります。そうなるとLPはDSD化したCDを蹴
散らしますから、期待しています。

                          川崎


      山本様

写真をご覧下さい。機能性下着を脱いで、裸で勝負するところまで来ました。早かったでしょ?

ここに至る経緯をお話します。このページやオーディオベーシック誌で書きましたように、シカゴの時の音とは比べものにならない大阪の音をとりあえず部屋のせいにして、円筒形や矩形で一息ついていたわけです。そこに突如現れたのがAFで知りあったNAOK氏の銀単線ケーブルです。デジタル、スピーカーケーブル、インターコネクト、そして電源ケーブルと徐々に部分的に導入してみますと、これは大変な世界に足を踏み入れてしまったと思いました。「一桁違う情報量」が取り出せると感じました。これは手に余ると思いつつ、挑戦しようという気になりました。山本さんには「もう上がりにしますよ」と言いながら、実際は不満足であったのですから、ここに活路を見出した、というのが正直なところです。しかも、これは機器を変えなくて済みます。機器自体の変更だったら躊躇していたでしょう。銀単線の導入で、音は乱降下しながらも、ベクトルは急角度で上を向いていたと思います。途中で身震いするような音も何度か聴けました。これが翌日まで続かないのがオーディオのオーディオたるところなのですが。

そして、先日、とうとう目の前の円筒形4本が追放されました。もちろん、無理やり追い出したのではなく、ない方が良い、と判断したのです。これまでの積み重ねに加え、銀単線化の効果を安定化させるグッズを得たことが大きかったようです。それは、写真に写っていますように、一つはオーディオリプラスのBST-4SZという電源タップです。壁からこのタップまでは5N銀線ケーブルを使用しています。そして、もう一つは、これもNAOK氏製作によるインシュレーターです。機器の重さでサイズを選択することが出来ます。(NAOK氏によれば、これは銀単線ケーブルと違って広くお分けできるもののようですので、ご興味があれば是非お試しあれ。)

銀単線化導入で情報量が飛躍的に増大し、一方で一緒に浮かび出てきた不純な要素を処理しなければならない状態となり、そして、その不純な要素が、更なる銀単線化、及び新タップや高性能のインシュレーター等によって解決されつつあるのではないか、と考えています。このように音を「内側から」改善できたことで、アイドロンから放出される音は、部屋の響きの影響を以前ほど受けなくなった、もしくはうまく融和することになったということでしょうか。人間でいいますと、体質改善によって外界の環境に強くなり、健康を取り戻したのかも知れません。いや、本当の理屈はわかりませんし、試したことは多すぎて、因果関係は整理のつけようもありません。しかし、実際に聴いて、円筒形がない方が、音場の展開、特に奥行き方向に優れ、中央屹立する音像もリアルで、かつポッとそこにある感じがよく出ている、と感じていま
す。自分流の素直な音、自然な音になってきていると思っています。

さあ、円筒形も取れましたよ。大阪でお会いできる日を楽しみにしております。

                          川崎

僕はまだですが、近いうちに極悪人代表が大阪へゆくみたいですよ。   やまもと


先日、極悪人丁稚奉公中の私は、極悪人総元締めの山本氏の指令を受け川崎邸に
うかがった。アメリカのハイエンドオーディオを実体験されて帰国された川
崎さんの音を聴かせていただくためである。

前回、川崎さんとお会いしたのは我が家にスーパーツィーターが導入された直後
で、いまから思うとその頃の我が家の音は、さぞかし耳にきつい音であったろう
と思う。そんな音であったが、川崎さんからは気を遣っていただき、また過分に
お褒めいただいたため恐縮していた。そして、その頃から一度川崎さんの音を聴
かせていただきたいと思っていた。しかし、いかんせんシカゴは遠い。ちょっと
ご縁がないかなと思っていたら今年の春に川崎さんは帰国され、その後山本さん
とチューブトラップに関する一連のやりとりがあり、そして銀単線ケーブルが導
入され、チューブトラップはすべて除去された。ちょうどいい時期にうかがうこ
とができたのかもしれない。

川崎さんのお宅で音を聴かせていただいて一番驚いたことはアナログとデジタル
の音が全然違う事である。これは、ご本人もおっしゃっていたが、アナログの方
がパーセル、デリウスでDSD変換したCDより全然良い。これはどういうマジッ
クなのであろうか。川崎さんのアナログの音はまさしくゴージャスで圧倒的なク
オリティがあり、ただただ聴き惚れるばかりであった。

そういうアナログの音と比較すると(あくまでアナログと比較するとであるが)
デジタルは普通の音である。川崎さんの音はやや硬質な響きがあるが温度感は決
して低くなく、また色彩感ゆたかである。そういう傾向はアナログ、デジタルに
共通している。しかしデジタルの方は音場感がやや狭いし、音像に少しのエッジ
感がある。そして音像自体の表現が平面的で陰影がでにくいように感じてしまう。
(しつこいようだがあくまでアナログと比較するとである。)

アナログとデジタル、この比較は散々行ってきたがこんなに大きな差がついたの
は初めてであった。川崎さんのアナログに対する深い愛情がこんな大きな差を生
んでしまったのか。川崎さんのアナログ再生はまさしく極上であり、素晴らしい
体験をさせていただいた。またそのうち機会がありましたらぜひ聴かせてくださ
い。あのアナログの音はまさしく病みつきになりそうです。

        2002.7.30 元祖極悪人 岡崎俊哉

 岡崎様、(そして刺客を放った極悪人総元締め山本様)、

先日は、お忙しい中、日本一暑い大阪にわざわざお越し頂きありがとうございます。
日本での音を岡崎さんに最初に聴いて頂くのは光栄でありながら、恐怖の体験でし
た。なにしろ私よりはるかに多くの素晴らしい音を聴いて回られているご様子でした
し、また昔とはいえ岡崎さんの出されている音を知っている私は、スガーノ氏をお迎
えするより緊張しました。

私は予定通りCDから始め、岡崎さんの持ち込まれたCDをかけ、LPへと移行しま
した。そして、予想どおり、LPとCDの音の差に驚かれたわけです。LPの音はと
ても気に入って頂けたようで嬉しく思います。ですが、私が「アナログに対する深い
愛情」を注いでいるからこの差があるのではとのご推察は、ハズレです(笑)。むし
ろ、CD再生に精魂をつぎ込んでいるのですが、努力はLP再生にも実ってしまい、
差は縮まらないのです。CDの為に始めたNAOK氏の銀単線やインシュレーターは
LP再生でも絶大な威力を発揮しています。ですから、私は「これはフォーマットの
せいです」と言ってしまいたいのです。そうじゃなきゃ、私のCDの音が浮かばれな
いじゃないですか。とにかく、私のところは岡崎さんにとっては「アナログが全ての
面でデジタルを凌駕した音の典型的一ケース」として記憶されたようです。それは事
実ですが、事実なだけに、ちょっぴり泣けました。また聴きにいらして下さい。

    2002 7.30  川崎


帰国して6ヶ月が経ちました。そろそろ部屋や環境が変わったことを言い訳にはできなくなる時期です。しかし、いまだ音は落ち着きません。機器はシカゴとほぼ同じ(dCSが1394、すなわちDSD変換仕様になったのみ)なのに、この音の定まらぬざまは一体なにごとでしょう? そう思いながらも、この辺でupdateさせて頂きたいと思います。何とならば、そろそろまた、「音グルメのお客様」の訪問もありそうですし。先手を打たねば。
 舌の根の乾かぬうちに、というのでしょうか。「愛しの円筒形」が復活です。内に振られたアイドロンの前方両壁側に一次反射を防御すべく配置されています。スピーカーと部屋の折り合いは未だ試行錯誤の連続なんです。結論として、部屋に悩んでいる、ということです。ちくしょう。ケーブルやアクセサリー類も泥沼です。「絶好調!」と何度も宣言しながら、そのセッティングで落ち着いた試しがありません。よせば良いのに、もっと良くなるんじゃないかと何かを変えてみると、もう同じ場所には戻れなくなります。そうかと思うと、何もしていなくても音が違ってしまう。ああ、疲れる。シカゴではこんな不安定なことはなかったように思うのですが。まあ、しょせんお遊びですから、いいんですけどね。

  
 気がついてみれば、長らく使用機器の明細も更新していませんでした。
【2002年10月12日現在の使用機器】
ターンテーブル: イメディア レボリューション
カートリッジ: ZYX R-1000AIRY (通称ZYXクライオ)
フォノアンプ: ジェフロウランド ケイダンス(電源はシナジーと共用)
CDトランスポート: ワディア 270
DAC: dCS ディーリアス1394
DDC: dCS パーセル1394
コントロールアンプ:  ジェフロウランド シナジー
パワーアンプ: ジェフロウランド モデル12(モノラル×2)
スピーカー:      アヴァロン アイドロン(メイプルプレミアム仕様)

フォノケーブル: ワサッチ アルティマ
フォノ→プリ: トランスペアレント リファレンス(XRL)
デジタルケーブル:   シナジスティックリサーチ デザイナーズリファレンススクエア
IEEE1394ケーブル: NAOK式5N銀単線
クロック用ケーブル: NAOK式5N銀単線(BNC)
DAC→プリ: NAOK式5N銀単線(RCA)
プリ→パワー: NAOK式4N銀単線(RCA)
スピーカーコード: NAOK式4N銀単線
電源コード: ワディア270とモデル12以外は全てNAOK式5N銀単線
電源コード: カスタムパワーコード(CPCC) トップガン(ワディア270)
電源コード: 付属コード+銀単線中継線×2(モデル12)
電源タップ: オーディオリプラス BST-4SZ 
オーディオラック:   ゾーセカス、シュローダー

音は、相変わらずアナログをデジタルが追いかけているけど、追いつけない、という状態です。その差は岡崎さんがいらした時ほどではなくなったと自分では思います。が、やはりCDは好不調の波が激しすぎます。叩き売ってやろうと思うことが月に一回は必ずあります。でもねえ、手のかかる子供ほど可愛いんですよね。あせらず頑張ります。よかった大阪で。東京って怖い人いっぱいいるんだもん。  2002.10.12


山本様

篠原さんの感想文を頂きました。お手数ですがUPして頂けますか? ずいぶん頑張っ
て書いて頂きました。ちょっと誉め過ぎ、絶賛調ですけど、まあ「友の会」ですから
仕方ないですかね。これに恥じないように今後も精進したいと思ってます。

川崎

2002年11月9日土曜日、私用で広島へ向かう予定のあった僕は以前からの念願であった「アヴァロン友の会・怪鳥」である川崎さん宅を訪問させて頂きました。

新大阪の駅から川崎さん宅最寄りの駅までは、事前にメールで丁寧に教えて頂いていたので、問題なくたどり着くことが出来ました。駅を出て灰皿を見付けたので、一服しようとすると、既に川崎さんがいらっしゃっています(汗)。あわてて挨拶を済ませ、すぐにキュートな青の新型マーチで川崎さん宅に向かいました。綺麗な奥様と可愛いお子様にお出迎えして頂き、他人様のお宅という事で多少緊張していたのですが、お二人の笑顔にも助けられながら、早速2階の居間に通して頂きました。扉を開けるとHPの写真で見慣れたことのある機器たちが目に飛び込んできます。入り口から左手にはジェフ・ローランドのモデル12にお馴染みの、アヴァロン・アイドロン。正面のラックにはパーセル、ディーリアスにシナジーのプリアンプ部、その横のラックにはイメディアのレボリューションという超ド級のアナログプレーヤーにWADIA270、フォノイコのケイダンス、そしてシナジーのパワーサプライ部が置いてあります。

川崎さんのオーディオ・ルーム兼リヴィング・ルームは約18畳くらいでしょうか?天井の高さも2.5m位あり、6畳間でアイドロンを鳴らしている僕と比べてみると、申し分の無い環境です。我が家では王者のような貫禄を示しているアイドロンも、川崎さん宅で見ると、部屋のボリュームのせいか2回り程小さく見えます。川崎さんのアイドロンはメイプルのプレミアム仕様と言う事で、我が家のアッシュ仕上げよりかなり色が濃いのですが、実物はHPの写真で拝見していた感じよりも幾分か色が薄い感じもします。それにしてもアヴァロンのプレミアム仕様は仕上げが綺麗です。米国では定価より+$3000と言う事ですが、予算に余裕があれば無理をしてでも欲しいと思わされます。

しばし歓談した後、早速試聴を開始しました。SP間の距離は約2m、リスニング・ポイントの距離はSPから2.5m〜3m位でしょうか。ツイーターの位置も、SPを少し見上げ気味な我が家と違い、ビシッと耳の位置に合わせてあります。アイドロンの足には純正のアペックス・カプラーではなく、
NAOK式大型インシュレーターが使われているようです。先ずは川崎さんにディスクを選んでいただき、パーセルでDSD変換したCDからのスタートです。

一音出た瞬間から圧倒されました。同じだけど全然違う。今までに経験した事の無い、不思議な感触です。先ず感じたのは、アイドロンが鳴り切っているという事です。我が家ではどんなに音量を入れても(当然集合住なので限界はありますが)余裕しゃくしゃく、まるで小鳥がさえずる様に歌うアイドロンが、川崎さん宅ではまるで猛獣の雄叫びの様に全身を使い咆哮しています。一流のオペラ歌手が身体全体を使い歌うように、強く優しく、音楽を慈しむ様に奏でるアイドロンを聞きながら、「我が家は同じオペラ歌手が中学生時代にお風呂場で鼻歌を歌っているようだ」と少し落ち込みました。音は上から下までスーッと伸びており、どこにもピークが感じられません。中高域に少しピークがある我が家とは、随分趣が違うようです。あえて言えば、低域が少し締まっているような気もしますが、それが余りにも自然に表現されるので、音楽を聞いている最中にはそこに余り耳がいきません。とにかくナチュラル、そしてハイスピード!! 情報量・分解能も凄まじく、まるでCDのピットから音という音をえぐり取っているかの様です。余韻の情報量・質量が異常にきめ細かく、音の気配が部屋全体にフワーッと広がります。音楽に包まれるような説得力は、正にアヴァロンの真骨頂ではないでしょうか? だからといって音像がぼやけるわけでもありません。恐いくらいの実体感を持ってSPの間に屹立しています。音場の異常なまでの透明感も特筆すべき点です。僕はただただ「いやー、凄いですね」と繰り返すことしか出来ませんでした。何と言う音楽の説得力でしょうか。川崎さんお勧めのCDを何枚か聞かせて頂いた後、僕の持参したCDをかけて頂きました。普通これだけのシステムですと、得意・不得意な分野があるものですが、J-POP、ロック、ポップ、フュージョン、ジャズ、クラシック、何を鳴らしてもキッチリ表現されます。思わず川崎さんに「夢に思い描いていた様な、究極のCDサウンドです」と溜め息まじりでもらしてしまいました。しかし、この後ドンデン返しが起こります。

CDでの鑑賞を終えた後、しばし休憩を取らせて頂きました。川崎さん、そして奥様と再び楽しく歓談した後、いよいよレコードを聞かせて頂く事になります。HPの写真では何度も拝見していたのですが、イメディア・レボリューションの実物は、とにかくかっこ良いんです!! 「こんなかっこ良い機器が悪い音を出すはずないよなぁ」なんて、その姿にクラクラさせられながら、気軽な気持ちで何の心構えもせずに、試聴に向かいました。

聴いた瞬間、意識が吹っ飛びます。「?????」。余りの事に訳が分からなくなりながらも、必死に冷静さを保ちます。CDを試聴していた際には「凄い凄い!!」と連発しながらも、頭の中で色々と考えながら聞いていました(後で感想文を書けるようにです)。しかしイメディアの奏でる音楽は違います。広大な音場にピンポイントに定位する生々しい音像、極めつけのS/N,情報量、分解能、どんなオーディオ・タームも陳腐になるような、ただただ素晴らしい音楽がそこにありました。オーディオ的な快感を超越した、想像を遥かに上回る、究極の再生芸術。川崎さんのレコード演奏は、尋常ではありませんでした。

試聴終了後、奥様の美味しい手料理をご馳走になりました(ありがとうございます\(^o^)/)。その後、川崎さんには新大阪まで送っていただき(大変助かりました!!)、単身広島へと向かう新幹線の中で「どうしたらあの音のエッセンスを我が家に注入出来るのか?」、そればかりが頭から離れません。結局東京に戻った後、大幅な機器の入れ替えを行います。さすが極悪人一派です、只では済みませんでした(笑)。

最後になりますが、今回はこの様な貴重な経験をさせて頂き、川崎さんには本当に感謝しております。川崎さんのオーディオに対する並々ならぬ情熱に深い敬意を表すと共に、僕が個人的に最も重要だと感じている、再生音に対する新たなイメージがつかめた事は、今後オーディオを続けていくにあたり、本当に貴重な財産になったと思います。又お伺いさせていただくので、これからもアヴァロン友の会ともども宜しくお願いいたします。

「アヴァロン友の会」 篠原 友

山本様

> うーん、嫉妬するぐらいすごい感想文ですね。
> 友の会だからかなあ、僕も友の会に入ろうかな。

当日は、ほかに興味深いコメントもあったんですよ。
「山本さんの音を聴いたときも凄いショックでしたが、そのときと同じくらいショッ
クです」とか、「山本さんの音はふわっときれいに消えるんですけど、川崎さんのは
また違う消え方をするんですね」とか。

客観的、というよりは、ただただこの音が欲しい、という感じで熱く書いて頂きまし
たが、本当に篠原さんの求める方向とぴたっと来たんでしょうね。同じスピーカーだ
から、そういうことも起こり易いんじゃないでしょうか? 

> KEF105は一人なので、ライバルも味方もいないのでした。一応ダブルウーファーズには参加出来るんですけどね。

僕もほんとうはそういうの狙ってアイドロンだったんですけど、アヴァロンは予想外
に人気者だったんです。

最近リスニング椅子をピンクのソファにしました。また近々写真をお送りします。

川崎


山本様


寒い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。私の方は6年ぶりにお正月を日本で過ごすことに民族的喜びを感じている今日この頃です。振り返ると、2002年は3月末の日本への帰還に伴い、新しい環境で自分のサウンドを立ち上げるのに苦心した1年ということになるでしょうか。山本さんとの「愛しの円筒形」論争は、その苦労の産物でありました。結局、部屋の音響だけを切り離して論じても仕方ないと悟り、その時々に出ている音に合わせて音響グッズを細かく変更する、という発想に切り替えました

現在は左のようにスピーカー間の中央奥に1本だけチューブトラップを置き、部屋の響きを多めに取り込んでいます。このようなすっきりした部屋は家内も喜んでくれましたが、

一時はのように、円筒形4本とサウンドパネルの壁に囲まれたときもあったのです。
そのような状況を見事に打ち破ったMVPは、何といってもNAOK氏製作の銀単線やプラチナによるケーブル類であります。その中でも特にプラチナデジタルケーブル、プリアンプの電源に使用しているプラチナ電源ケーブルは、究極のお助けマンでした。これらの製品は特殊なものでご紹介には適しませんが、私の「大阪サウンド」はこれ抜きには語れないということでご容赦ください。最近知り合いの上級者にうっかりNAOK銀単線をご紹介したところ、案の定地獄に落ちられたようで、これまで市販高級長尺ケーブルでまことに美しいリスニングルームを完成されていたのに、機器を銀単線で接続せんがためにガラガラポン状態となり、奥様のご不興を買われているという話もあります
私のリスニングルームはといえば、ピンクのソファが入ってちょっと素敵になったかも知れません。シカゴでずっとソファで聴いてきたのですが、日本では置ける空間はないと思い、ずっと椅子でした。でも、えいやっと入れると何とかなるもんです。

さて、現在の私の最大の関心はスーパーツイーターです。山本さん+極悪トリオは既に導入されておられますが、私もとうとう導入することにしました。muimuiさんからムラタのES103を、佐藤さんからソニーのSS-TW100EDをお借りして、この年末は大掃除もせずにひたすら比較を続けています

上の写真ではソニーが、この写真ではムラタがアイドロンに載っています。この2機種を既に20回は交替させたでしょうか。性格はかなり異なりますが、どちらも絶大な効果を発揮しており、悩みに悩んでいます。しかし、そろそろ決断します。そして、その試聴報告はまたここに書かせてください。
では、本年はいろいろお世話になりました。良いお年をお迎えください

 2002年12月30日 川崎

スーパーツイーター導入記

muimuiさんからお借りしたムラタES103を気に入って導入を検討しようとしたところ、ソニー佐藤さんからSS-TW100EDの試聴機を貸して頂けるというお話が舞い込みました。このようなオーディオ仲間のネットワークはありがたいものですね。さっそく両機をアイドロンの上に乗っけて眺めてみますと、ルックス的にはソニーの方がしっくりくると思いましたが、さて肝心の音の方はどうでしょうか? 
先行して聴いていたムラタ103の印象から書くと、まずアイドロンとの繋がり具合は上々で、以前タンノイのST200で聴いたようなやや溶け合わない感じはありません。その効果たるや、唖然とするほど音が濃くなり、また音の芯が強くなって粒子の質量が倍になったかのような迫力を演出してきます。音場は広がるというより深くなる、という感じ。そして、特筆すべき点としては、単に超高域を伸ばした、というより、中高域を中心に低域までもが、全体としてリアルで生き生きとした表情を際立たせる、という風に聴こえるということです。このような音の押し出しの強さ、存在感の充実は私の最も重視する方向の一つです。ただ、この演出は過剰であり、ソースを選びます。概してジャズ・ポップス系には相性が良く、特にボーカルは秀逸ですが、クラシック系では弦の品位に欠け、金管の響きが増え過ぎてバランスを崩し、長く聴いていると疲れます。従って、この雰囲気醸成機の絶大な威力は十分認めつつも、このままポンとおいて鳴らしていくのは問題で、追い込みが必要だと思われます。しかし、調整する機能は付属しておらず、最後には放り出してしまう可能性もあります。
そんなことを思っているところにソニーのSS-TW100EDが到着しました。その精密な造りの良さ、はムラタの及ぶところではなく、写真で見るよりずっと高級感がありました。100EDはカットオフ周波数を20kHz/30kHz/40kHzから選択できるようになっていますが、試聴はほとんど40kHzで行いました。さて、本機の印象ですが、実は昨年のステレオ誌8月号の特集で読んだ評論家の貝山知弘氏の評がまったく私の感想と同じですので、ここに一部を引用させて頂きます。「本機の素性の良さを活かすには、あまりカットオフを下げぬ方がいい。メインスピーカー本来の素性を活かしながら、本機を付加するという使い方がベストである。」「繊細で緻密な表現は、テスト機中1、2を争うものだ。メインスピーカーの音色を変えず、倍音成分だけを過不足なく伝えるというスーパーツイーター本来の使い方の良さがはっきりと分かる。トライアングルの芯の強さとクリアな響き、ソプラノのなめらかな歌唱が特に印象に残った。音場は奥行き方向にぐっと広がる。」まったく的を射た表現だと思います。私が聴くに、ソニーの繊細さ、緻密さ、滑らかさ、音場の広がりはムラタの及ぶところではありません。そして、その効果はメインスピーカーにぴったりと寄り添うような自然さがあるのです。私は100EDが多くのハイエンド愛好者に好評であることを改めて理解できたように思いました。特筆すべき点としては、どのようなジャンルでも効果が安定して高いレベルにあるということです。特にムラタに比してクラシック系の澄み切った、そして柔らかい表現はアイドロンに新しい息吹を吹き込んだかのようでした。
私は悩みました。何度も何度も飽くことなく両機を交替させ、曲を変えて試聴を続けました。両機はあまりに世界を異にするので、優劣を判断するというより、りんごとみかんのどっちが好きか?という問いに答えるに近かったのです。しかし、思えば、ここで悩むということ自体、自分の音の好みを映し出していて面白いと思いました。今回の試聴の音について総合的にはソニーがかなり優位であり、たぶん多くの方が割と簡単にソニーを選ぶのではないだろうかと予想するからです。それほどにソニーの世界はハイエンド的に美しく完成されていました。私も一時はソニーで行こうと決心したのです。しかし、自分でも驚いたことには、私は、100EDのあまりの繊細さ、緻密さ、微粒子感が、自分の求めている「美しさ」と微妙にずれているように感じていました。美し過ぎる、という変な言葉があります。一方でムラタES103は、ソニーとの比較では荒削りなのですが、温度感が高く、独特の艶(エロさと言ってもよい)と切れがあります。ちなみに貝山氏も103Bには「特有の音質傾向もある」と述べられています。その特有の音質傾向に、私は魅せられてしまったようです。しかし、それであのソニーの究極美の世界を見限ってもよいものかどうか?
結局、悩みぬいた末に、私はムラタES103を選択することにしました。素直に自分の嗜好に従おう。そのための苦難は引き受けなければならないと思ったのです。そして、今、muimuiさんの傷だらけのローラ号ES103を何とかものにしようと挑戦中です。まず、フィンの多くに緩みがあったので、これを瞬間接着剤で固定しました。次に、これが肝心なのですが、効き過ぎを解消するためにコンデンサーを挟むことにしました。NAOK氏が早速送って下さった0.1、0.22、0.33μFの3種を様々に組み合わせて試し、現在は0.1を1個ずつ挟んで使用しています。通常の使用より相当抑えられているはずですが、音全体に及ぼされる103の効果はやはりすぐに聴き取れます。SPケーブル、及び置き方等は今後の課題です。ES103はアイドロンにもう一段の深みを与えてくれたと思います。最後に、このような楽しい機会を与えて下さったmuimuiさん、佐藤さんに深い感謝の意を表したいと思います。
2003年1月12日 川崎一彦


昨年3月に川崎さんが日本に帰国され、その後の状況は、K`sのページやE-mailのやり取りでつぶさに承知し、ずっと興味津々でした。昨年岡崎さんが訪問され、CDはもとよりLPのよさが大変に印象深かったと感想を書かれ、シカゴでの川崎サウンドを知るものとしてはわが意を得たりと思っておりました。帰国が決まり、川崎さんからは日本で落ち着く前にいらっしゃいとのありがたいお話を頂き、先週末、待望の再会させていただきました。つい最近、スーパーツィーターへの取り組みを本格的にはじめられ、また銀線を主力としたインタコ、デジタルに電源ケーブル。デジタルはDSD変換。部屋の違い以外は、これらがシカゴとの主な違いでした。それからインシュレーターですね。

聴かせて頂いた音は、シカゴの音とは別物と言ってよい新生大阪サウンドでした。具体的には、まず音場の構成、パースペクティブが大きく異なっていました。ボーカルがすっと高めに定位し、奥への引き方がより3次元的になり、音場が面取りをしたように明確ではっきりとしています。音数はかなり増えており、その一音一音が明晰で、解像度は非常に高い。低域もシカゴの時とは質感が変わり、シカゴがエネルギー感豊かで、しかも淀みがなく、聴感に直接響くような低域であったのに対し、もっと、なんと言うかまとまって整った低域になっています。よく出ていることに変わりありませんが、より抑制が効いている。エネルギー感豊かでおおらかであったシカゴの音に代わり、よくコントロールされた低音といった印象でしょうか。

とりわけ、アコーディオン奏者の小林靖宏氏のCDは、非常に秀逸でした。バックのさまざまな音が、広がり豊かで重層的な音場に、明確に配置され、その中で中央上部に小林氏のアコーディオンが、これまたVisibleに生き生きと浮かび上がります。いやーすばらしい演奏でした。帰り間際に再演奏をリクエストしてしまったほどあとを引く、わくわくするような演奏でした。おそらく、DSD変換のためなのではないかと思いますが、音が流麗であるということも印象的でした。シカゴが麻のようなざっくりとした生成りの音なら、大阪はビロードのようです。

さて、シカゴで、聴かせて頂くたびに、とんでもない音で鳴っていて、これはとても追いつけないと感じていたLPの方ですが、これは、お伺いしたときにも申し上げましたように、実はシカゴの方がよかったように思うのです。依然としてすばらしい音なのですが、あの自然で、レコードの溝に含まれる情報を抉り取り、余さず取り出してきたようなとんでもないすごさ、凄みのようなものが薄れ、語弊があり恐縮ですが、なんだか普通なのです すばらしい音ではもちろんあるのですが・・・でも、川崎さんはずっとCDに渾身の力を傾注してこられていましたから、当然のことなのかも知れませんね。CDの流麗さは印象的で、また明晰さや情報量においても同等以上に感じられました。これをどう評してよいか分からず、ちょっと複雑な想いなのですが、私にとっては、あのシカゴのLPは格別でしたから、記憶が美化されているのかも知れません。以下にも記しますが、ソフトによる相性があるように感じますので、その部分もあるのか知れません。

いずれにせよ、大阪サウンドは、CDおよびLPの両面で、その構成美と、明晰で切れのいい粒立ち、また音の間の空間感、また、シカゴとは異なった弱音部の静寂さ、音の消え入りの美しさが印象的でした。聴かせて頂いたときに申し上げましたが、全体としては明晰な分、強い音になっていて、若干、ソースによりきつく聴こえるものがあるのですが、一方でその分、合うものには、すばらしい相性で感嘆いたしました。

偏見なく伺いますと申し上げましたが、やはり、シカゴの印象は私に根強くのこっているようで、それとの違いにばかり目が行ってしまったように思います。そのためきちんと聴けていないのではないかと自身で不満な部分もあり、また川崎さんにも申し訳なく思います。今後、スーパーツィーターも追い込んでいかれるとのことですし、割合に気軽に伺える距離に参りましたから、またしばらくしましたら、是非お聴かせ下さい。私の方は、どうなることか分かりませんが、今度は機器が到着しているでしょうから、何か持ってお邪魔いたします。それでは、どうもありがとうございました。再会を嬉しく思い、また今後とも刺激をいただける親しいお付き合いを、シカゴと変わらず、いただければと存じます。どうぞ宜しくお願いいたします。

2003年1月16日
森内龍也

1月18日 大阪に川崎一彦さんを訪ねました。
私は、もともとスタジオK'sのページでの川崎さんのコーナーの熱心な読者ではなかったのですが、他の掲示板で意見をかわすことなどもあり、なによりインターネットの上での文字情報から川崎さんのオーディオへの熱意がひしひしと伝わってきて心を惹かれていきました。というのも最近は、何か機械に興味を持って人様のところを訪問するという気持ちがあまりおこらないのです。足を運びたいと思うのは、その人に会ってみたいという人間への興味が先行しているようです。
実際大阪で初めて川崎さんにお会いし、長時間に渡って様々な音楽を聴かせていただいたわけですが、直にお話をすることでより川崎さんのオーディオの音が見えてくる、また音楽を聴くことで川崎さんの人柄がよりよく覗われるといった感じでした。
川崎邸で聴かせていただいた音楽やその個別の音質の特徴などはこちらにリンクされているDejavu HPの掲示板に書かせていただいたのでここでは、省略させていただきますが、やはり実際耳にしてみないとわからないもので、事前に想像していた川崎サウンドとはかなり異なっておりました。つまり私は去年シカゴから帰国された川崎さんはどちらかといえば理科系の非常に論理的な方で、おそらくアメリカの最先端のハイエンド・オーディオを伝えるといったサウンドであろうと想像しておりました。やや無機的なまでに解像度を追求した音なのではないだろうか、という不安もありました。しかし実際の川崎サウンドは、鬼面人を驚かすといったものではなく、フットワークが軽快で、かつなごめるサウンドでした。とにかく川崎邸のシステムを構成するコンポーネントは、「今のオーディオ」を代表するようなハイエンドな機材ですがそれら一つ一つががちゃんと気持ちよく働いて、音楽を奏でておりました。言葉で書くと当たり前のようですが、意外に難しいことなのではないでしょうか? つまり川崎邸のコンポーネントはどれか一つの機械が、他の機械に虐げられているとかわりを食っているということがない。非常にバランス良く機械が働いているシステムだと思いました。「機械のせいに出来ないね」といったのは、そういう意味もあってのことでした。例えていえば非常に優秀なスタッフが集まったオフィス、みんなが協力して働けるシステムも出来ている、あとはボスがどのような課題をあたえ、どのように成果を上げていくか? これからどんどん実っていくんだろうと思います。

川崎さんがもっとも良く聴かれるジャンルは、和洋を問わずポップスとのことで、そうしたレコード演奏では、ヴォーカル(またはソロ楽器)の背景がとても綺麗に描かれているということがまず印象的でした。このあたりは、やはり新しいオーディオ機器ならではの感じでハイビジョンの映像を見るような気がいたします。また他の皆さんも書かれているようにアナログLPの再生音はまた一味違った魅力、味わいの濃やかさのようなものが確かに感じられましたが、川崎さんご自身は、CDで演奏する音楽がより自分の好みを明確に出している音質です。ときっぱり言われておりました。その言葉も意外でもあり印象的でした。
まだ帰国から一年も経っていないという状況ですので、日々刻々変わりつつありまたご本人もそれを苦労しつつ楽しんでいるという様子がよく伝わってきてとても楽しい訪問となりました。季節は真冬ですが「春のオーディオ」を聴かせていただいた、そんな気がいたします。
          1月19日     小林悟朗


小林さんは各方面でご活躍されている著名な方ですが、その小林さんが拙宅まで足を伸ばされるというお話が本気だと分かったときは大いに慌てました。何しろ音楽のプロであり大変な論客で、更にはこのHPのコーナーでは「実は武闘派?」なんていうサブタイトルが付いているお方です。しかし、実際にお会いしてお話すると、その優しく、楽しく、面白いことといったら、想像を絶するものでした。
小林さんも、私に会うまでは、私や私の音を随分違ったように想像されていたようで、やはり実際に交流することは大事だと思いました。加えて、オーディオでは、その人の発言だけではなく、使用機器そのものが発信するメッセージがあり、私の場合、アメリカン・ハイエンドの先鋭的イメージが付帯するのは否めないところです。しかし、例えばアヴァロンの前の使用スピーカーはマッキントッシュのXRT18Sであったように、暖かく親密なサウンドを基本としていて、その中に自分なりにモダンな要素を取り入れようとしています。また、典型的な文系人間で、理論なくして実践するいい加減な性格です。
聴く音楽のジャンルは割に広い方ですが、当日のレコード演奏ではポップス、特に女性ボーカルが中心でした。これは、単純に好きということもありますが、現状ではポップスのヴォーカル系が一番よく鳴っていると感じており、その他のジャンルでは、やや自分で納得できない部分があって、出しづらかったのです。しかし、そう気張らずにどんどんかけてしまえば良かった、と少々悔やんでおります。アナログLPとCDサウンドに関する私の好みにつきましては、私の言い方が悪かったところがありまして、録音にもよりますが、やはり現状ではアナログLPサウンドの音質の方を良しとします。ただ、CDサウンドの中にも自分の出したい質感は既に表現されており、未完成なだけに余計にそれが突出して聞こえているのではないか、すなわち、私の音の個性はCDサウンドの方により明確に聴き取れるのではないか、ということをお伝えしたかったのです。
小林さんにお会いして、ますますオーディオおよび音楽を聴くことが楽しくなってきました。オーディオのやり方というものを教わった気がします。シカゴから帰国の際には、もうオーディオは上がり、などと不遜なことを考えていましたが、誠に恥ずかしい限りで(もちろん上がることなど絶対出来ないのですが)、これからも修行をつんで成果を上げていきたいと思います。こんな楽しい修行はありません。最後になりましたが、ご訪問頂きまして、本当にありがとうございました。これに懲りずに今後ともお付き合い頂けましたら幸いです。
1月20日    川崎一彦


「3月8日 川崎邸2度目の訪問」
前回はキレと解像度、スピード感や勢いに重点を置き、音像から空間を作られていたように思います。今回聴かせて頂くまで、実は気になっていたことがありました。川崎様には前回お会いした時に一部はお話しましたが、言わなかったこともあったのです。まずその時にお話したことは、解像度が高いためかセラミックTWのピークが感じられたこと、そして音像は確かに凄かったのですが、骨格しか感じられなかったこと、そして高域が上へ伸びていなかったことです。そのとき、お話しなかったことは、低域の解像度が高かったため、下への伸び、つまり最低域のウネリが感じられなかったことです。また、若干上の低域では伸びが感じられましたが、そこに違和感がありました。つまりそこは伸び過ぎでした。具体的に言えば、スティックのストロークを大きく叩くタムの音は、アタックがあってそこからタムの裏が鳴るという風には聴こえず、始めから裏が鳴っていました。しかし、その反面、バスドラはアタックが来てそれで終わってしまい、本来バスドラから放射されるべきウネリのエネルギーが感じられませんでした。しかしです。16の3連符のバスドラの弾む音は正確に刻まれていました。今までどのようなシステムで聴いても、ずれて聞こえていました。ハッキリとここまで再現できる低域のスピードは素晴らしかったです。上述したのはあくまでも粗探しであって、もの凄い高いレベルですから誤解なきようお願いしたいです。そのレベルが事実である証拠に、前回の川崎サウンドを聴いて、私はダイアモンドを買いました。
今回はその気になっていた事は皆無でした。素晴らしい音楽が体に浸透してきます。音像の骨格どころか肉があって、高域は上までスッと伸び、そしてピークは無し。低域の違和感はなく、その低域の量感で音楽にコクが出て楽しい。また、音像の実体が、低域の影響からかかなり濃く、エネルギーを感じます。こう書くと、音像が大きい、と誤解されがちですが、全くそんな事もなく、口元は小さく原寸大、まるで直接ヴォーカルのエネルギーを受けているかのようでした。また、あの広がり方は初めて体験したんですが、リスナーにまでコーラスが回りこんで音に包まれるのです。一音一音がハッキリして人が見えますが、ハーモニーになって囁きかけてきます。リスナーとSPが円を描く音の軸上にある音の展開です。つまりメインヴォーカルが中央にいて濃くリアルでコーラスが耳元で囁きハーモニーを築く、といえば良いでしょうか? 聴いていて気持ち良く音楽に浸ってしまいました。当然部屋には壁があるのですが、音楽は壁を突き抜けています。目を瞑れば部屋の中とは思えない感じです。感じ、というよりも実際に体験してしまいました。音の点在の仕方も素晴らしく、隙間があり、何処に何があるのか分ります。各音を分析的に聴くのではなく、それがハーモニーとなって音楽に浸れます。当然分析的にも聴けますが、そう思わせず、ハーモニーをかもし出しているというのが凄いです。その川崎システムで鳴る音を総じて言えば、芯があって響きがあって実在があって伸びがあって立体感があって綺麗でetc…オーディオと言う趣味の中で褒め称える言葉は全て詰まっていました。まさに音を聴くのではなく音楽を聞くこと当たり前のようで難しい…非常に高いレベルでこなしている音でした。
またNAOK氏作ケーブルがバージョンアップされていて、目を見張るような音の出方でした…SPのユニットから出てきているはずの音がユニットよりも前10cmは離れて出ていました。どういうことなんでしょうか? SPの後ろ方向に音が展開し、ユニットからは出ている様には…というのは体験したことがありますが、逆は初めてです。しかもそれが違和感なく出ているのです。これは川崎様の使いこなしがあって初めて違和感なく聞こえるのだろうと思います。素晴らしいです。以前は川崎様も気になさっていたほど格差があったLPとCDの音ですが、今回はCDなのかLPなのか分らないぐらい素晴らしい演奏でした。私はLPはやりませんから、返ってその差が感じられなかったことは非常に喜ばしい事でした。
川崎様のお宅に訪問するたびに驚愕し、自分の音は聴きたくなくなります。しかし、川崎サウンドは聴くだけでも自分がレベルアップできる素晴らしい音です。つまり私の道を指し示してくれる音なのです。このサウンドなくして私のオーディオは成り立ちません。いつかきっと追いつけるように努力し精進していきたいと思っております。色々ご多忙中お邪魔して申し訳ございませんでした。本当にありがとうございました。これからも私の師匠で有って下さい。では…
    伊藤浩康


 Avalon友の会「怪鳥」こと川崎さんを知ったのは「H君の初オーディオ」の連載が始まって間も無く、Audio Fanに投稿されたときだから、実は「友の会」では2番目に古くから「知って」いるメンバーということになる。当時の私にとって川崎さんは雲の上のそのまた上のような存在であり、まさかその「雲の上のそのまた上」を覗かせていただく機会が訪れようなどと予想すらできなかったのは無理も無い。その後、何の縁かH君と同じ(フィニッシュは違うが)Eclipse Classicを購入することとなり、「友の会」の活動を通じて川崎さんとも(オーディオ抜きで!)お会いする機会があったりした。そして、遂にこの日がやって来た。高いことは分かってもどれだけ高いか検討もつかなかった「雲の上のそのまた上」…一体どれだけ上がれば辿り着けるのか、それを遂に自らの目で、そして耳で確かめることができた。

川崎さん宅は閑静な住宅地の中に涼しげに建っていた。この中でEidolonが鳴り響いているなどとはまるで感じさせない静かな空気の中だった。お部屋に入ると、そこには左右に佇むEidolonをはじめとした機器たちが居心地よさそうにしていた。あるべきものがそこにある自然さで、オーディオが生活空間の一部として収まっている。Studio K'sの川崎さんのコーナーで何度となく見たお部屋の最も進化した形は決して仰々しいものではなく、むしろ意外なほどに柔らかな雰囲気を湛えていた。

私の趣向に合わせて下さったのか、聴かせていただいた音楽はクラシックをメインとしたものだった。その音は、いわゆる「オーディオ的な」項目…定位、空間の前後左右の広さ、レンジ、音の立ち上がり、スケール感においていずれも見事で、けちのつけようのないものであり、ことに質感においては前週に訪問された伊藤さんと全くの同意見で、生々しくも豊かな表情に魅了されっぱなしであったが、私をまず驚かせたのは女声ヴォーカルだった。その柔らかで優しい響きは私も何度か試させていただいているNAOK氏作のケーブル群から予測していた音とはまるで別なもので、きっときつくなるぎりぎりの攻防を制しておられるに違いない…そんな私の予測を軽く越えたところに川崎さんの音はあった。開放的で伸びやかな音は普段、(少なくともStudio K'sに登場する猛者の方々に比べれば)比較的小音量で聴くことの多い私ですら音量を上げて聴くことが楽しくて仕方がない心地よさだった。

しかし、ただリラックスして聴くにはあまりに衝撃的な体験でもあった。私が持ち込んだピアノのCDでは、速くて無闇に音の多いトラックを素晴らしい疾走感で駆け抜けていながら、そこに微塵も窮屈さを感じさせなかったのだ。それどころか「これがどうした?」と言わんばかりの余裕があった。スピードと余裕という一見相反する要素が完全な整合性をもって両立しているという事態は驚異を通り越して恐怖ですらあった。同時に私は後悔もしていた。私が持参したCDはいずれも試聴で頻繁に使用してきているもので、私にとってはそのオーディオの状態が最も分かりやすいものばかりだったのだが、そんなソフトを用意せずとも川崎さんの音が素晴らしい状態にあることは疑いの余地の無いところであり、そのような準備は小賢しいだけでしかなかったことがそのCDだけで判明してしまったからだ。。終盤にかけていただいたGladiatorのサウンドトラックに至っては、もはや言葉が無い。少なくとも当分の間、このCDが我が家で封印されることだけは間違いないだろう。湧き上がる音楽の力に私は「参りました」と言うことしかできなかった。

忘れてはならないのがアナログ再生。CDとは一味違う音色の豊かさとノリのよさがあり、CDのクリアで見通しのよさに対して、アナログはグラデーションが鮮やかで、どちらがいい悪いというより別の絵具で描いた画のような違いだった。思わず我が家でもアナログを始めたい衝動に駆られたが、その直後にこの音はアナログだから出ているのではなく、川崎さんだから出せているという事実に思い至り、再び冷静さを取り戻した。今、思い返してみるとアナログ・デジタルともに違和感の無いレベルにあったこと自体が驚異的なことであったという事実に愕然とする。やや趣を異にするところがあっても両者の音の後ろには川崎さんの姿がしっかり見え、また、それ以前の普遍的要素において極めて高い位置にあり、かつ、甲乙つけがたいものだった。

果たして「雲の上のそのまた上」はとんでもない高みであることをまざまざと見せ付けられた一方、そこは天国と呼ぶに相応しい場でもあった。オーディオに理解のある奥様、セッティングに駆り出されるという上のお子さん、オーディオ・マニア評論家(?)の下のお子さん…食卓でオーディオが違和感無く話題に上る様子こそ、お部屋に足を踏み入れた際に私が感じたオーディオ機器の自然な佇まいの根本を支えているものなのかも知れない。帰り際、玄関を出る際に中から暖かな空気が流れ出たように感じたのは外の雨のせいだけではないようだった。

素晴らしい音楽と素敵な時間をありがとうございました。

帰宅して、我がシステムを腕組みをしたり頭を掻いたりしながら眺めてみたり。さて、どうしてくれようか…?

   2003年3月19日    佐伯享昭

開催二日前に急遽決まった関西OFF、参加者は私を含めエントリーの域を出ない関西者ばかり。あたふたする者・酒のんでくだ巻く者・音信不通になる者、みんな首に縄を掛け一路川崎邸へ向かいます。そこは閑静な住宅街、招き入れられるまま夢にまで見た川崎システムが鎮座する御部屋へ・・・そこで我々が目にしたのは美しい奥様、もとい、光溢れるリビングルームに佇むAvalon Eidolonは「楽しくやろうよ」とまるで川崎家の一員の様な気さくな面持ちです。さてピンクのラヴチェアーの特等席に誘われた私は予想していたよりスピーカーが近くに設置して有る事に気が付きました。「これはひょっとすると薄いのでは無いか?」と一抹の不安に襲われましたが「今か今か」と音の出来を待ち焦がれる気持ちにかわりは有りません。川崎さんの流れるようなCDプレイヤー操作すらもどかしく、そして待ちに待った第一音、音場がいきなり後方へ駆け抜けて行きました。「ま、まるでスピーカーの間に頭を突っ込んだ様だ・・・」不覚にも感情そのままに漏らしてしまった言葉に、川崎さんは我が意を得たりとばかりの笑顔、これは参りました。しかも相当な音量を出しているにも関わらず、膨らまない音像、濁らない音場、そして精緻な3次元配置は、K'sに名前を連ねるに相応しい(?)。私と言えば、このレベルまで来られると差が判らない音です。もし敢えて「言葉にしろ」と言われても、情報量云々というオーディオ言語の定量化という要素を内包せぬ未完成さを嘆く他は有りません。これはやはり音を聴かせて戴く他は無いようです。この特異な音場に初めは戸惑っておりましたが、そのうち頭の整理も出来てきた様です。危惧した薄さも全く感じられず、ボーカルの位置は此処・パーカッション類は其処と楽しく見回している間に、床の木目を拾った視覚情報も伴って、まるでリハーサル室に居る感覚に捕らわれました。試しにそっと目を閉じてみると・・・広大なステージが出現します。そして音の有る位置が私にとって非常に自然なのです。例えば「ボーカルの口が其処に有るなら足元は此処だな」と思える場所に床が確かに存在しています。それぞれのパーツが間違える事無く床の上に立っています。そして特筆すべきは自分自身がポーンとステージに置かれてしまう事、すぐそこに彼女達や彼達が居るのに、ずっと座っていなければいけない辛さ、蛇の生殺しですね。CD演奏だけでもノックアウト寸前の私、追い打ちをかけるようにアナログ演奏へ。こちらもいきなりステージの真っ只中へ投げ込まれるのですが、こちらを聴くとCD演奏では幾ばくかの圧迫感が有った事に気付きます。その圧迫感が消え、まるで天井を取り去った如くの開放感です。そして頭上を越える音場に音の輪郭が感じられる凄まじさ。全てにおいてCD演奏を上回っているでしょうか。ただし、私にとっては情報過多で有り、少し情報を落としたCD演奏の方が「明快で分かり易いな」と不遜にも思ってしまいました・・・。楽しい時間はアッと言う間に過ぎ、名残惜しく帰途につきます。「私の様なレベルでこんな音を聴いて良かったのだろうか?」と帰り道、小石に躓きながらも考えざるを得ない私でした。

関西では何故か盛り上がりに欠けるオーディオ趣味、こんな素晴らしい音を聴ける機会は殆ど無く、当日は本当に良い体験をさせて戴き有り難う御座いました。関西、もっともっと盛り上げていきたいですね。

5月11日 堀 靖治

StudioK'sホームページで何度も繰り返し見ていた川崎さんの音を、念願かなって聴かせていただける機会に恵まれました。
川崎さんの音は、想像を遙かに上回りました。

音楽が鳴り出すと場の空気が一変し、音楽の世界に自然に入り込んでしまいます。

音場は広大で部屋の壁は消え、リスニングポジションまで音が迫ってくる。

グラディエーターのサントラでは緊迫感が凄くて首も動かせないほどでした。

他にも、ポップスや弦楽器等、たくさん聴かせていただきましたが、音楽の楽しさ、

聴き手への浸透力が凄いです。
川崎さんは自分の音というものを明確に持たれていてそれを実践できている方だと思いました。
川崎さん、貴重な体験をどうもありがとうございました。

                 2003.8 師田克彦


2003年7月、オーディオベーシック誌の取材で待望の山本さんの来訪が実現しました。ご感想は、「爽やかで抜群の歯切れの良さが印象的であるが、低域の量感についてはもっとあってもよいのでは」とのこと。その場では「いや、これ以上はいいです」と返していたのですが、一夏聴くうちに「うーん、はやり低域が肝かも」と思い始めました。それまでの「修行」の積み重ねで、自分の求める方向が次第に変化してきたことも大きな要因です。アイドロンをあちこち移動させ、あれこれ手持ちの小道具でトライしてきたのですが、一定の成果は得られるものの、長く満足するには至りません。先日、とうとう「持ち駒は尽きた」の心境に至り、サーロジックの村田研治氏にメールを出したのです。

「D.Cube2の試聴機を1台試聴用に送って下さいませんか?」 低域の改善方法には、他の方法も考えられましたが、良質なサブウーハーの追加が最も確実な方法であることは、米国でオーディオフィジック社のテラを使用した経験上からも疑問はありません。サーロジックのサブウーハーは、DSPを搭載することにより、不要な高域を急峻に遮断し、必要な超低域のみを付加できることで他社製品と一線を画しており、実際にその「聴こえないのに凄い効果」は山本さんのスタジオや御田さん宅で体験済みでした。

何とも幸運なことに、村田さんは四国・大阪行脚に出かける予定があるとのこと。11月15日の午後、デモ機を車に積んで拙宅を訪問して下さいました。お会いすると、雑誌で拝見する知的で温和な印象そのままの方。まず現状診断です。部屋の床は堅牢で、室内の響きもよく、妙なエコーもないとのこと。音を出します。私が最初にかけたのは「ミッション・インポシブル2」の13曲目です。「空間感は凄くよく出ているが、確かに最低域が弱く、低音が軽いですね」と村田さん。更にいくつか自分のCDをかけ、次いで村田さんのチェック用CD(C.ディオン、P.バーバー、フォー・プレイ)をかけました。「これといった欠点は指摘できないですけが、100〜150Hzあたりが少し盛り上がって、その下をマスクしている感じですね。一番おいしいところが出ていない。それからボーカルはもう少し前に来て欲しいんじゃないですか?」アイドロンの後ろに回って、「この辺では低音は出ているのに、試聴位置まで来ないんですね」そして横や後ろの壁を叩き、「ははあ、やはりこの壁が共振して低域を吸っているようです」とのこと。なるほど、問題は部屋の壁のようです。

二人でLVパネル1式とD.Cube2を2階に担ぎ込み、チューブトラップを外して、LVパネルを左右のSPの後ろと中央に設置します。環境に原因があれば、まずそれを補正するのが正しいとの由。村田さんが試聴しながらSPとパネルの距離を詰めていくと、音像がしっかりし、定位が明確になってきました。SP後方のパネルは中低域を前に繰り出し、中央のパネルは、奥行き感を損なうことなくボーカルをぐっと前に押し出すのです。この時点で低域の不満はかなり解消され、クリアな音像と定位感は全体の音の佇まいを大きく改善しています。しかし、「目をつぶれば」の話です。村田さんには悪いのですが、この光景では、いかにルームチューン材に寛容な私でも、リビングに置くことは出来ません。ただし、奥行き感を重視して、SPを後方の壁から1M以上も離している自分も悪いのです。SPを後ろに下げ、パネルが後ろの壁と一体となるような設置ならまだ採用の可能性もあるでしょう。

さて、LVパネルで音を確認された村田さんは「ちょっとこの状態で何枚かCDを聴いていて下さい。私は横で聴きながらD.Cube2を導入するべきか考えてみます。」D.Cube2の導入効果の評価は、当然ながらメインSPからの音の状態に大きく左右されるとのこと。しばらくして、「繋がりそうですね。やってみましょう」との裁定が下り、黒いD.Cube2を箱から取り出しました。接続ケーブルが短いので、今日はSPの前中央、すなわち試聴位置の目の前という通常ありえない位置に置いてトライします。サーロジックの凄いところは、サブ本体をどこに置いても構わないということです。試聴位置からそれぞれメインSPとサブまでの距離を測り、その差を出します。今はD.Cubeをアイドロンより90cm手前に置いたので、+0.9とすればだいたい合うとのこと。後は耳で聴いて、実際には+1.0としました。

当日問題となったのは、シナジーにはPRE OUT端子が一つしかなかったことでした。PRE OUTの出力は当然パワーアンプに行っているので、D.CubeへはREC OUT端子(固定出力)から出しました。この場合、D.Cubeへの出力は試聴ボリュームに連動しないのですが、試聴レベルを固定すれば、今日は凌げそうです。村田さんはD.Cube2のコントロールパネルに向かい、音を聴きながら、クロスオーバーポイントに38Hzを選び、入力ゲインとサブの出力を調整します。そして、「いけますね。壁際でなく部屋の真中に置いてもこれだけ鳴ればOKです。」じっと聴き入りました。D.Cubeの効果というのは、下がズンズンしてくるという単純な変化ではありません。質感全体が変わるのです。その場の空気が心地よくなる、という感じ。音楽の起伏が大きく感じる。私は聴きながら何度となく、「そう、ここでこういう風に来て欲しかったんですよ。ぐうっと来ます」と満足感を村田さんに伝えました。

ただし、この音はLVパネルとセットですから、LVパネルを取り外して聴いてみます。この場合、D.Cube2のレベルは下げなければなりません。メインから届く低音量が減るからです。果たして、LVパネルが創り出していた実体感とクリアネスは低下しましたが、奥行きが戻り、私はこの少しふわっとした表現も悪くはないかな、と思って聴いていました。定位感やセンターの押出しについては、SPの位置を下げるよう再調整し、チューブトラップ等を入れて詰めなおせば、もう少し改善できそうです。それより何より、肝心の低域は根を張ったように安定し、D.Cubeにより十分に改善されているのを確認できました。滑らかさとスケール感が明らかに向上しています。


もちろん、「D.Cube2を1台買います」と注文したのですが、ここでめでたく試聴が終わる、というわけには行きませんでした。欲が出てきたのです。ダブルウーハー仕様の上級機SW2000Dを入れるという選択肢もあるわけです。大口径2発による余裕はD.Cubeとは別世界とのこと。しかし、実は、私にとってそれよりも魅力的に思われたのは、D.Cube2を2台ステレオで使うというやり方でした。村田さんは既にその効果を山本さんのスタジオで実験済みで、そこでは、両Chの位相があったSW2000Dよりも、2台の位相が少しずれやすいと思われるD.Cube2×2の方が何とも言えぬ心地よさが出たそうです。私は「1台買っておいて後で足すことも出来るのでD.Cube2でいいですね」と言いながらも、「でもすぐ2台目をお願いするかもなあ」と迷い言をつぶやいていると、村田さんは「気になるのなら今日試しておいた方がいいですよね。もう1台ありますから」と車に向かわれました。

もう1台は黄色い桜のつき板仕上げでした。大阪ではこっちがよく出て、東京では黒ばっかりなのだそうです。これを黒いD.Cube2の横に並べます。接続ケーブルの関係でそのようにしか置けなかったのですが、もちろんこの2台はどこにでも置けます。左右のアイドロンの近くに対称的に置いてもいいし、対称に置かなくてもいい。むしろ前後にずらした方が良かった、とも伺いました。何とも面白いことです。さあ、2台駆動の効果はどうなのか? 同じ曲で較べます。低音の量感という意味では、当然2台駆動の方が余裕は感じられますが、1台とそれ程違いはないのでは、と思いました。むしろ少し柔らかくなってしまったようです。しかし、村田さんが更に微調整を加えられ、CDソフトを変えて聴くうちに、私は、段々とその違いの何たるかが判ってきたのです。一言で言えば、2台駆動の方が全域に渡って、音に「アナログっぽさ」が増しているのです。いわゆるデジタル臭さが減って、よりナチュラルな感じに聴こえます。心地よさ、スムーズさには一層の磨きがかかるのです。なるほど、こう変わるのか、これは不思議だと、と思いました。2台で更にパワフルに、という量的な方向とは異なる質的変化に、サーロジックサブウーハーの真骨頂を見た思いでした。この2台を部屋のいろんな場所に置いてみて、その可能性を探るのは、ちょっと考えただけでも心が躍ります。結局、自分が最も欲しいのは、低音の量というよりも、全体の質感の向上、気持ちよさ、なのです。「黒のD.Cube2を2つ、購入します」「ありがとうございます」と村田さん。いや、私の方こそありがとうございます。遠い所で肉体労働までさせてしまって。貴重なお話もたくさん伺うことができました。製品のみならず、村田さんご自身にも魅了されました。お気をつけて東京にお戻りください。今後ともよろしくお願いします。

サーロジックとの出会いは山本さんのお導きだと思います。あまたの製品から一つを選ぶということに「縁」というものを感じざるを得ません。新しい音を出したいと思います。

2003年11月17日 川崎一彦


2004年2月14日、ヴァレンタインズ・デーの土曜日に、チョコレートのように黒い精悍なD.Cube2EXが2台、サーロジックの村田さんから届けられました。シリアル宸ヘ光栄にも0001と0002です。
 昨年の12月から先週まで、通常のD.Cube2のデモ機を2台お借りしていましたので、その2台で追い込んで決めたのと同じ場所にEXをそれぞれ設置しました。メインSPの間隔は約2mで、左右のEXの間隔は約130cmです。メインスピーカー(Avalon社のEidolon)の後方の壁面に可能な限り近い位置にインシュレーターをかまして置きます。ただし、左のEXはCDラックの分だけ前に出ており、メインSPからは左が約50cm、右が約70cm後方とずれています。もちろん、フロントパネルのタイムアラインメント機能で調整済みです。昨年届いたD.Cube2では、当初メインSPのすぐ内側に並べてみたのですが、その後、やはりメインSPより後ろの壁際に設置した方が好みの方向に効果が振れました。私は、音像の実体感も重視しつつも、可能な限り深く高くワイドに広がる音場の再生を第一に考えていますが、D.Cube2は、低音に十分なウェイトを加えてくれるだけでなく、特にユニットをメインSPの後方に置くことで、サウンドステージの拡大、特に奥行きが深くなって立体感が増すことに驚きました。
さて、EXのレベル設定は、何通りかを試し、結局、前のD.Cube2の設定とほぼ同じとなりました。インプットレベルが12時、アウトプットレベル午後1時の位置です。しかし、EXのクロスオーバー周波数は、以前の32Hzから一ステップ上げて38Hzとしました。音を出してすぐに感じたことですが、EXでは歪感が非常に少なく、澄んだ低域をもたらすようなのです。ですから、クロスオーバー周波数を上げていっても音が濁りません。いや、全域の透明感は、EXを追加することで大きく向上しているようにさえ感じました。(誤解なきよう付記すれば、通常のD.Cube2でも41Hz程度まで上げてもメインSPとの折り合いが悪くなるようなことはありませんでした。)更には、重低音がグワンと出たかと思いきや、スパッと止まる俊敏さは、EXでは更にその切れ味を増しているように感じました。
 私はハンス・ジマーの映画音楽が好きで、今回も「ハンニバル」や「ラスト・サムライ」等のサントラ盤CDを使用しました。EXを入れると、音楽の抑揚の幅が大きくなり、また、CDのエッジ感が和らいで、音色は濃い方向に変化するように思います。EXを2台使用することによって、サラウンドを彷彿とさせるような豊かな抱擁感と臨場感を2chでも取り出せるのではないか、との期待が増しています。特に、オーケストラの低弦が沈み込む様や、教会の合唱における音場の広さ、高さには、思わずほおが緩みました。ただ、サントラ盤は突然異常なレベルの超低域が録音されていることが多く、あまりレベルを上げ過ぎると、心臓に悪い音(および振動板の凄まじい揺れ方)が現れるので注意が必要です。特にEXは、歪感が少ない分、音量レベルが低いと低音の存在感が薄れ気味になり、レベルを上げ気味になるので、そこをコントロールしながら、ベストの設定を探っていきたいと思っています。
(2004年2月15日 川崎 一彦)

2月24日、修理に出していたジェフロウランドのモデル12が戻って来たので、岡島さんからお借りしていた氏自作パワーアンプと入れ替えました。アンプのゲインが異なるためメインSPからの音量が上がり、既存の設定ではEXからの音量が不足します。そこで、クロスオーバー周波数は38Hzのまま、EXの入力と出力レベルを調整し、入力は12時から3時へ、出力も1時から2時の位置へアップさせました。
これでバランスがとれ、試聴用CD数枚を気持ちよく聴いていたのですが、確認のためマニュアルで推奨のセリーヌ・ディオンの曲をかけました。すると「ドゥーーン」と鳴るべき最低音の再生個所でEXのSPユニットが追随できないのか、「ドワドワドワ」と波を打ちます。タイムアラインメントを変更しても変わりません。クロスオーバー周波数を38Hzから41Hzに上げてみると、症状は余計にひどくなります。そこで、逆にクロスを32Hzへ下げたところ、きれいな「ドゥーーン」が聴こえて来ました。
その後、セリーヌの曲以外でもクロスオーバー周波数や出力レベルが高いと超低域が録音されている個所で破綻寸前のCDが若干出てきました。EXではクロスを41Hzまたは44Hzまで上げて使えるかな、と少し期待していたのですが、現在のモデル12とのマッチングにおいては、超低域の録音レベルが高いいくつかのCDでは、クロスを上げるとクリアできない個所が出てきてしまうという結果でした。最適な設定を追い込むとすれば、その設定は各CD、もしくは曲ごとに異なるかも知れません。とは言うものの、クロスオーバー周波数32Hz(入力3時、出力2時)で、ほぼ全てのCDから相当に高いD.Cube効果を得られるので、現在これで固定して聴いています。スケール感、立体感がよく出ますし、音像と音像の間が気持ちよく離れてくれ、音が視覚的にも楽しい、と言った感じで展開します。バランスがよくなったので、聴く音量は全体に下がり気味です。小音量でも大きなサウンドステージで音が展開するので満足できるようです。

LP再生におけるEX
 
CDの調整が一段落したので、LP再生に移ります。CDと同じ設定でスタートし、出力レベルだけ0にして、これを徐々に上げていきます。LPの場合、出力レベルが12時を回るとSPユニットの揺れがかなり大きくなります。しかしCDとは異なり、破綻の前触れのような音が出ている訳ではありません。ただ単に、見ていると壊れそうで心臓に悪い揺れということです。そこで、CDと同じくらいの揺れに見た目で合わせて、出力を11時とします。
これで各種LPを次々かけていきますが、D.Cubeを付加した効果はCDと同様に至る所に現れます。スケール感、安定感、立体感、滑らかさ、生々しさ。ただし、ソリッドで硬質な方向は抑えられますので、JAZZやROCKでの曲によっては無い方がよいとも思いました。これでクロスオーバー周波数を41Hz、44Hzと上げてみましたが、ちょっと下が厚くなり過ぎるようで、32Hzに戻しました。
LPでのD.Cube2EXの低音再生は、CDのように突如の過大な超低域入力個所で破綻するというようなことは今のところありません。もともと出力レベルを抑えていることもあります。LP再生で、レコードの反りを考えて控え目にEXの音を付加しても、その効果は大きく、特にステージの広さ、開放的な音の出方は、CDを圧倒します。もともと拙宅ではCD再生音がLP再生音に及ばない「心地よさ」を改善するためにD.Cubeを導入したと言えるのですが、D.CubeがLP再生にも更に上質の「心地よさ」を提供してくれたのは、嬉しい誤算です。
(2004年3月7日 川崎 一彦)

D.Cubeはデジタルアンプなので熱をもたず、安心してLPも再生できるところが私たちには嬉しいところです。ソリの大きなレコードは10Hz以下の低音(と言うか振動)が再生されるため、アンプがフル稼働になってしまうのですね。注意がひつようです。それはともかく、川崎さんのところにD.Cubeが、しかもタンデムで導入されれば恐い物なしでしょう。極悪人代表が導入すればあそこも新しい次元に突入は確実ですよね。(やまもと)



1年8ヶ月ぶりに川崎邸を再訪させていただいた。前回はシカゴから大阪に戻られてまだ間もない時期で、
考えてみるとちょっと早い時期に伺ってしまったかな、と後で反省したりもした。その時私は、川崎さん
の音はやや硬質な響きがあるが、温度感は決して低くなく、また色彩感ゆたかである、というふうに書い
ていた。その後いろいろな試行錯誤を経て、サーロジックのサブウーファー、D-Cube2EXを導入され、
到達された現在の川崎サウンドはどうなのか、非常に楽しみな訪問であった。
結論から書くとすれば、非常に高いレベルでまとまった中庸な音、というのが率直な感想である。川崎さん
の音楽の嗜好は幅広い。それに合わせて川崎サウンドはどんなソースでも破綻を来さず十全に鳴るオールラ
ウンドプレーヤー的な音である。スケール感、安定感、立体感、滑らかさ、生々しさ、そういうオーディオ
的な要素がどれも高い次元で達成されている。前回はデジタルとアナログに大きな差を感じたが、現在は川
崎サウンドの中でそれぞれが特徴を発揮していてどちらも良い。サウンドステージはスピーカーの外まで広
がり、わずかに奥行き方向が浅く感じられるが、これは録音に起因する問題かもしれない。もしくはクロッ
ク導入で解決する問題かもしれない。(後でソファの位置が通常よりも30cmほど後方だったことが判明し
た。)音色は暖かく。その描きわけも色彩感ゆたかで聴いていて非常に心地よい。
川崎さんは聴きたい音楽の表現を広げていったらこのような感じの音になっていった、という旨のことを仰
っていて、それは音楽を聴かせていただいてとても納得できるお話であった。現在の川崎さんの音は歯切れ
が良いと言う感じではなく、むしろちょっとだけスケベ根性がある中庸な音、と言う感じであった。さて、
音から推測するに、川崎さんは非常にバランスの取れた才人、という方であると思います。ただ、オーディ
オには時に狂気が必要かもしれません。川崎さんの次の一手が楽しみです。また聴かせて下さい。
            岡崎 俊哉 2004.4

川崎邸訪問

昨年末の訪問からほぼ半年が経ち、川崎さんと相互訪問をすることになりました。前回からの変更点は、おなじみのNAOKケーブル(主として電源ケーブル)の一部入れ替えと、昨年末時点では導入後数日だったサーロジック2台がすっかり川崎システムに溶け込んだだろうことでした。私が訪問した前日には川崎さんが、dCSのDeliusに換え、954IIと972IIを入れて1ヶ月経ち、お聴かせできるようにはなった我が家に聴きに来られ、“大きく変わった。違和感がない”という感想を口頭で頂いておりました。そのときには、その感想に通常の意味合いを認めただけで、特に大きな意味を感じずにいました。しかし川崎さんのお宅で音が出たとたんに驚きました。似ているのです。それもひどく似ています。川崎さん側は、サブが入り、また電源がかなり変り、我が家は、Deliusに変えて954IIを導入したことによってDA変換のQualityが向上し、972IIによってSDIF-2によるDSD変換により独特の生々しさが加わったのですが、何故だか音が似てきているのです。特に中高域の音の出方、音場のPerspective(構図)は、自分の家で聴いているのとほとんど変わらず、確かに違和感がない・・・というか、よくよく似ている。

川崎さん曰く、“私の音が変わった”・・・私曰く、“川崎さんの音が変わった”・・・(笑)。でも面白いことに同じような音を聴いているのに、評価が違う。私の場合は、音の透明感やDSD変換で出てくるある種のリアルティをPriotrityとして追及していったら、現在の音になった。でも川崎さんは、音の力感や前に出てくる音の出方にPriorityをおいて追求していったら、現在の音になったと言われます。アプローチが違うのです。だから、今回の音の接近は、ニアミスなのかも知れません。でも音そのものがよくなっているという総合的な評価では一致している。だから切り出している側面が違うだけ(どこを切り出すかは大きいのかも知れませんが)で、全体として掴まえている音への評価は一緒なのかも知れません。その辺りがよく分かりません。今後、川崎さんの音がどう変わっていくのか興味深いです。オーディオって面白いです。

このように私自身の音に似ているため、川崎さんのCDの音そのものについての感想はないとも言えます。しいて言えば、低域の形に違いがあるという感じでしょうか。より整っていて、きれいに低域の形が出てきているという感じがいたします。またサブが入ったことで、以前より少し強固になって、バランスが低くなったという印象があります。歯切れよりも深みを増したと言えるかもしれません。

後半はLPを聞かせていただきました。これは、やはり私が以前から抱いてきた川崎さんの音です。素晴らしい・・・Qualityをどういう指標で捉えるのかについては、議論があると思いますが、解像度とか鮮度という指標で捉えれば、CDとLPは、同等に近いか、少し異なる断面でのQualityを持っているという感じなのですが、“そこでギターを弾いている”という感じ、Bill Evanceが、“右手にいる”という感じ、これはもう圧倒的にLPにあります。たまらない自然なリアリティが川崎さんのLPには存在します。それはサーロジック2台の導入がどうも大きいと思いますが、以前と比べてもさらに自然になっていて、完成度が上がっている。音を分析するような気がしないのです。このLPとCDの違いは私にとってはどうも本質的な違いで、CDは音を分解してしまっていて、それも高度に分解しているが、でもSPから出てきたときにうまくMixtureになっていない。有機的に溶け合っていないというような印象がどうもしてしまう。私のところでは、これほどの違いはないので、川崎さんのLPはやはり別格なのだと思います。dCS954IIと972IIが入ったばかりで、どうしようか迷っている、この時期に非常によい刺激を頂きました。たぶん私は自分の音をQualityを維持したまま、もっともっと自然な音にしたいのです。でも川崎さんのLPのそれは逆立ちしてもでないのかも知れないなあ・・・

    2004年5月6日 鹿野啓一


「Verdi試聴記」  川崎一彦記
1.鹿野邸の音(2004年12月25日)
年末年始に帰省される鹿野さんに、その間Verdiをお借りできないか尋ねたところ、快諾頂き、鹿野邸にお邪魔しました。まだ調整途上ながら、「Verdiが化けた」との報告もあり、その現況を知る目的もありました。

午後8時に到着。部屋の柔らかな照明が心地よい空間です。さっそくVerdi、972、954IIルートでDSD変換されたCDを聴かせて頂きます。曲は「ハウルの動く城」サントラ盤の倍賞千恵子の歌。ボーカルの佇まいに既に新境地を垣間見ました。そして、後方に漂う弦の響きが何とも言えず甘美です。夜のマンションに相応しい控え目な音量ですが、特に前後に立体的で、魅惑のグラデーションが展開します。もう2、3曲聴かせて頂きましたが素晴らしいと思いました。鹿野さんの個性がますます磨かれて輝いているのです。間違いなく鹿野サウンド史上最高の音です。そう伝えると、鹿野さんもうなずかれました。私は、今夜の音を聴いてようやく、鹿野さんがどのような世界を追い求めておられるのかを、明確に理解できたのかも知れません。
Verdiを導入され、その調整がうまく行きつつあることは大きいのでしょう。今夜の音はSACDではなくCDですから、VerdiのCDトラポとしての実力はかなりのものと言えます。ですが、詰まるところ、ここに在るCelloや初期レビンソン、ケーブルらの素材を鍋に入れ、鹿野さんが考えながらいろんなスパイスを振ってぐつぐつと煮詰めて得られた音であり、単純にVerdiに結びつけるのは早計です。

私は、賛辞とお礼と年末の挨拶を述べ、トランクに格納したVerdiを車に積んで帰途につきました。

2.自宅試聴(2004年12月26日〜28日)
ゾーセカスの1段目の棚のWadia270を出し、そこにVerdiを設置します。270は脇の別のラックの天板上へ。双方に岡島製(NAOK式)5N銀単線ACを挿します。VerdiからPurcellへは、270に愛用している短いプラチナ・銀ハイブリッドを、替わりに270には極細6N銀を使用します。どちらもNAOK式。ラックとケーブルのグレードは270の方がやや不利でしょうが、並べて比較試聴ができるようにしました。
 Verdiで試した音は以下の3種類です。(ア) SACD、(イ) SACDを44.1/16で出してDSD変換した音(擬似擬似SACD)、(ウ) CDをDSD変換した音。なお、(ア)のSACDはNAOK式銀単線IEEE1394ケーブルとキンバーのD60(クロック用)でPurcellは介さずDeliusに接続します。DSD伝送に1394ケーブルとクロックケーブルを使うのはdCS独自の方式。試聴には鹿野さんからSACD/CDハイブリッド盤で、クレド、メダラ(ビョーク)、チック・コリア、イーデン・アトウッド、Red Roseコンピレーションの5枚をお借りしました。

さて、下記にVerdiによる上記(ア)、(イ)、(ウ)及びWadia270をトラポにしてCDをDSD変換した音(エ)の印象を述べます。
Verdiによる1394SACDの音は、鹿野邸にDeliusを持ち込んでVerdiで聴いた先日の1394SACDの音とは非常に異なっていました。鹿野邸では、前に出る鮮烈さが際立つ剥き出しのエネルギッシュな音であり、鹿野システムでのDSD変換の音との連関がつかめず、戸惑ったのですが、拙宅では、いつも聴くDSD変換の音の延長線上で、しなやかさ、リアルさ、音場の広さ、オープンネスを向上させた音となります。微細ながら芯を持っていて焦点の合った音は、さすがSACDと感心しました。しかし、しかし、正直言って、私はもっと大きな興奮を期待していました。もう返したくない、と思わせるような激変体験を望んでいたのですが…。

SACD信号を44.1/16で出す機能を持つVerdiは、その信号をPurcellで再度DSD変換することが可能です。この音と、通常のCDをDSD変換した音(ウ)と比較します。鹿野邸でも試し、(イ)の音は(ウ)より良かったという結果でした。ただし、鹿野邸ではVerdi、972、954II間はSDIF-2での接続でした。拙宅ではVerdiとPurcell間はSPDIF(RCA)、PurcellとDelius間は1394接続でしたが、はやり(イ)は(ウ)より音に厚みがあり、情報量が多いように聴こえました。(ア)の音からはかなり格が落ちますが。


これは、CDをDSD変換した音ですから、Wadia270と直接比較可能なVerdiのトラポの音と言えます。前述のように、(ア)(イ)との比較では若干くすんで聴こえるのですが、レベルは高く、特にピアノの音がコロコロと転がる滑らかさと優美さが印象的で、上質な感触が味わえます。かなり惹かれました。

さて、ここまではVerdiの音ですが、トラポをWadia270に切り替えCDをDSD変換した音は上記と比較して聴こえたでしょうか。結論を先に言えば、私は「善戦」したと思ったのです。Verdiより不利な環境ながら、この音には「Verdiより格下」という印象はありませんでした。それより何より、270の個性を再確認できました。Verdiの情報量、スムーズさ、洗練はありませんが、音に曖昧さがなく、聴いていて楽しく、いわく言い難い味があるのです。それは一つには力感、骨格感につながる中低域のちょっとゴツゴツ、ゴリゴリした表現、から来ているように思えました。もしかしたら、これが世間でしばしば語られるWadiaの、またはVRDSの個性なのかも知れません。

3.調整を試みる。(2004年12月29日〜12月31日)

(ア)、(イ)、(ウ)、(エ)の4通りの音を大体把握した後、調整を試みます。念頭にあったのは鹿野邸で聴けた魅惑的な「夜の雰囲気」の方向です。音量を絞り込んで聴き込みます。今はSACDがかかるので特に高域方向を中心に改善したいと思い、その即効策を思いつきました。モデル12(パワーアンプ)の入力をXLRからRCAに切り替えるのです。元来シングルエンドのNAOK式銀単線インタコ(RCA端子)にXLRの変換プラグを使用していますから、変換プラグを外してRCA入力に挿し込めば済みます。RCA入力では確実に高域が伸び、全体の情報量、繊細感も向上します。が、その代償として力感と低音の量感がやや減り、重心は上がり気味になるのです。しかし、久しぶりにトライしてみると、この音は繊細で切れがあり、今、自分の求める方向であるようです。
次にサーロジックD-Cube2の設定を変化させます。面白いことに聴感上で音の重心を下げることは、必ずしもサブのカバー帯域を広げたり、音量を増やすこととは一致しないようです。Eidolonのウーハー帯域もけっこう広いので、EidolonとD-Cube2と部屋の特性との折り合いがつくポイントを探します。
最も効果があったのは、Eidolonの足の変更です。もう1年ほど不動であった純正アンペックス製コーンスパイク(3点支持)を、NAOK式大型インシュレーター(6点支持)に変えてみます。この効果には小躍りしました。音が「見える」のです。録音の良し悪しが判断しやすいモニター調方向に傾きます。ただし、聴きたくない録音のCDが増えたかも知れません。
上記の改善は、上記(ア)から(エ)のどの音にも改善をもたらしました。

4.鹿野さん来る。(2005年1月3日)
帰省から戻られた鹿野さんから電話があり、1時間後にVerdiを取りに拙宅までお越し頂くことになりました。年明けから全く音を出していなかったので少し慌てました。鹿野さんにはどういう順序でお聴き頂くか悩んだ末、(ア)(イ)(ウ)(エ)の順としました。
鹿野さんの評価は興味津々でしたが、その感想は私とほぼ同じでした。(ア)の1394経由のSACDを聴かれた瞬間、鹿野さんは、「おお、いいじゃないですか!」と声を出されました。そして、Verdiについては(ア)、(イ)、(ウ)の順でありありと音は後退していく、1394SACDはピアノのリアルさが格別、ついで(エ)のWadia270の音は、これは低音の表現がVerdiとかなり異なり、ゴーっと通奏低音が響いているかのようにも聴こえる、以前使用していたWadiaのWT2000の音を思い出した、とのことでした。鹿野さんは、拙宅の1394でのSACDが鹿野邸で出た音とかなり違っていたので驚かれたようです。しかし、これが通常予期した結果であって、鹿野邸でのあの音については、どうもよくわからん、と二人で首をひねりあいました。ともかく、鹿野さんの(ア)の音に対する評価はなかなか高く、私は少し複雑な気持ちでした。
効率よくデモを終え、拙宅システムから解放されたVerdiは、鹿野さんの車で去って行きました。

5.総括
鹿野さんを見送り部屋に戻った私は、早速Wadia270を元の位置、ケーブルに戻し、音を出しました。Verdi試聴期間中の調整の恩恵を被り、音は以前より繊細感、透明感を増している気がしました。この音を聴いていて不満足であれば、Verdiを導入する算段を進めるべきなのでしょうが、私はまだ大丈夫だ、と思いました。たぶん、PurcellでDSD変換を行っていなければ、CDとSACDとの格差に今頃はうなだれていたと思います。あるいは、マスタークロックを調達して同期させれば、そしてクロックケーブル等を吟味すれば、Verdiサウンドは「大化け」して、その凄さにひっくり返ったのかもしれません。また、私がVerdiとの比較で270の個性を再確認した際に、それを快く思わなければ、やはりVerdiが恋しくなっていることでしょう。更には、Verdi、Purcell、Delius間の接続は面倒で、(ア)の音から(イ)(ウ)の音にするには、いちいち1394とクロックケーブル接続の変更が必要でした。マニュアル通りに接続しても何故かうまく行きません。おまけにノイズが出たりして肝が冷えます。私が間違っている可能性は大ですが、この経験はVerdi購買意欲に影響したと思います。
このように、今回はWadia270との離婚、Verdiとの再婚に突き進むことにならなくて済みそうです。Verdiは正妻のはずであり、その可能性の高さは「買い」ですが、転居することもあり、今動かなければいられないほどの衝動は(幸い)なかったのです。この貴重な機会を提供して頂いた鹿野さんには大変感謝しています。(2005年1月9日 川崎)

 川崎サウンド大阪最終型
川崎さんが、シカゴから大阪に戻られ、私が1年遅れで関西に帰国、それから早2年あまりが経ちました。その間に山本さん、岡崎さんらが大阪に来られたり、また機器的にもNaok式ケーブルがどんどんUpgradeされ、サーロジックが2台入ったりと、いろいろなことがあり、川崎さんの音もその都度、変遷を重ねてきました。その間、比較的つぶさにその変遷を聴き、また折々に食事に出かけお話しをさせていただいてきましたが、今回、東京への引越しをまじかに控え、大阪での最終の音を聴かせて頂きましたので、ご報告いたします。
私自身は、1月初めにお貸ししていたVerdiの受け取りに伺った際に少しだけ聴かせていただき、2ヶ月ぶり、その間に(1)アンプ間の接続をアンバラケーブルでXLR端子に入れていたのをRCA端子に変え、また(2)dCS DeliusのDSD変換チップ交換後の調整が完了し、(3)Naok式デジタルトランス変換アダプターを追加、(4)SP位置の変更(左右に距離を広げた)、(5)SPのセッティング・ボードの変更などを、なされたようです。うーん、やはり大変に意欲的です。
さて、聴かせていただいた音は、Neutralityが前にも増して向上し、音が緻密な方向に変化したこと、これは、聴感上は、シカゴ最終型で聴かれた健康的な鳴りっぷりのよさ、また大阪で山本さんが聴かれた際の音の切れのよさという方向から、音および音場の非常に整った感じや、柔らかさや中高域の繊細な部分に耳が行くという、あれ!かなりの方向転換がなされたのかなあと思わせる音に私には聴こえました。バランスはさらに向上し、ある種特有の心弾むような音の代わりに、癖のない透明な音に変わっており、私にとっては以前とはまた別の意味で非常に魅力的でした。特に顕著な変化は、高域の倍音成分の凄まじい再現性で、滅多に聴けない大変にきれいな形で再現されており、そのせいか空間感は過去最高、音場成分もたっぷりあり、しかも大変整っている。その整った精緻な感じはやはり過去最高でしょう。
単純には言えないですが、アバロンについて世評で言われている精緻な音場、重なるように林立する音像といった表現が割合に当てはまる音なのです。私の分析は、米国でマッキンのSPとクレルのアンプで鳴らされていた延長線上の音を川崎さんはアバロンとジェフで追い求めてこられ、それは日本においても続いていたのではないか。原本さんのところに伺ったときに、おおっと二人で顔を見合わせ、これは川崎さんの求めてこられた理想の音の一つの具現化ではないかと思ったことを思い返すと、その後、ある時点で、川崎さんは方向を変えられたのではないかと思うのです。発言も消え入りを重視するとか、柔らかい音を出したいとか、以前には、聞かなかった言葉の数々、前は一貫して低域重視で、飛んでくるような引き締まった低域とか、低域の階調表現が、低域の形が・・・といった言葉は最近ではすっかり影をひそめたいます。何が川崎さんを変えたのか!うーん興味深いです。一つにはサーロジックが入り、低域はそれで見切りがついたと思われたのか、はたまたわいわいした大阪の雰囲気が、逆に作用したのか・・・よう分かりまへんが(大阪弁:(笑)「とにかく、かなりの心境の変化が、無意識か、意識してか、あったのだと思われます」(この点、川崎さんご本人に尋ねると、心境の変化はないけれど、その時々、刺激を受け、また思いつき、求めていくうちに結果的にそうなったのだろうとの弁でした。そうなんでしょうね、でもね、すごく変わったと思うのです。イチローではないですが、積み重ねが何か大きな結果に繋がるんでしょうね。)。
このことは、今後の川崎さんの方向をどう形作るのか、東京という極悪人の跋扈する新世界で、一体、どうなっていくのか、私としては、興味津々です。また送り出す側として、川崎さんは東京で新たな飛躍を間違いなくされるだろうという期待と、何かあったときに直ぐに分かり合える気の置けない友人がそばにいなくなるという寂しさが入り混じった気持ちです。今後、私自身が東京に行くのかどうか、海外を含め、4箇所をついて回ってきた数奇なめぐり合わせを思い返すと、そのうちいくのだろうか・・・などと思いつつ(笑)、今後の川崎さんのますますの活躍をお祈りし、また今後も宜しくお付き合いを頂ければと思っております。今回のOff会の最後では、シカゴ最終形の時に聴かせていただいたソフトを含め、わたし用のプログラムを組んでくださった川崎さんのご配慮は、大変嬉しくて、ありがたいなあと思っています。それでは、また東京でお会いすることを楽しみにしております。しばらく潜伏する!とのことでしたが、夏休みには押しかけようかなあなどと思っております・・・(笑)
    2005年3月16日      鹿野啓一


大阪府豊中市から千葉県船橋市に引っ越して4ヶ月。借家のリビングルームに機器は納まったけど、やはり音は落ち着かない。お客様に聴いてもらうには早過ぎると思いながらも、これまで2回OFF会をやってしまいました。その2回とも当然ながら全く異なる音で、そして今聴いている今夜の音もこれまた新しい。そういう時期とは言え、こんなにころころ音が変わっていいんだろうかとも思う。そんな私がとても励まされる過分なる感想文を佐伯さんが書いてくださった。7月23日の千葉を震源とする地震の日の拙宅OFF会に来てくれたときのものです。佐伯さんサンキュー(川崎)

実は川崎さんがまだシカゴにいらした頃、ちょっとだけニアミスしたりしている。卒業旅行がてらアメリカにいる友人を訪ねる際に、シカゴとその近くにほんの少しの間だが滞在していた。あわよくば川崎さんの音を聴かせていただきたいなんて気持ちもあったりしたのだが、それはまさに川崎さんが帰国される直前であり、勇気を出してメールするまでもなく夢は夢のままで終わることとなった。
その夢がかなったのが2年ほど前で、その際の稚拙な感想をStudio K'sHPに掲載していただいたりもしたのだが、それを改めて読み返すまでもなくその衝撃はトラウマにも近い体験としてこの身に刻まれている。そして、今年、大阪から千葉、それも(距離はともかくとして)同じ沿線上に川崎さんが引っ越してこられた。その直後にアンプの故障に見舞われたりしたそうで、実質的に引っ越し後2ヶ月のほやほやに近い音を聴かせていただけることとなった。
私が前回訪問してから、機器はSALogicのサブウーファが入った以外、一切変わっていなかった。ケーブル類は相当ヴァージョン・アップされているようだし、インシュレータの使い方も前回とは違っており、勿論、部屋の形状や全体的なセッティングも変わっているのだけど、見覚えのある顔が並んでいるのは妙に安心する。これで音も据え置きであれば更に安心?するところだが、大阪において何度となく大変化していると聞き及んでおり、そうはいかないだろうことは覚悟していた。
川崎さんチョイスのソフトをいくつか聴かせていただいた後、我々が持ち込んだソフトを聴かせていただいた。その音が私が知る以前の川崎さんの音とはまるで違う音であることに驚いたが、その根底における思想の共有を強く感じられることの方が私には衝撃であったかも知れない。今回の川崎サウンドは音の一つ一つが持つインパクトもさることながら、その懐の深さに驚嘆した。録音に難のあるソフトであっても、そのような欠点よりも演奏を聴く楽しさに耳と心が奪われる。それはスーパー・ツィータとサブウーファによる筋力強化とそれらを含めたセッティングの激しい追い込みの積み重ねの賜物なのだろうけど、そういうツボを探し当てる嗅覚みたいなものもあるんじゃないだろうかと思えた。でなければ、どうしてこんな短期間にここまでの音に纏め上げることができるだろうか?様々な音楽を上手く鳴らしたいと言われている川崎さんだが、それがより具現化された姿がそこにあり、しかもその形成が加速されているとは!
以前の音との違いを語るにあたっては(私にとって)新顔であるSALogicの導入を忘れるわけにはいかない。低域の伸び、スピードはこれまた驚愕ものであり、少々のドラム連打なぞ涼しい顔で捌いてしまう。それでいて低音が突出するということはなく、高域がそれに負けない強さを備えている。その強さはきつさと紙一重の絶妙のポイントで、低域のみならず全域で力強く速いという印象を残す。その辺りはmuRataのスーパー・ツィータや銀単線ケーブルが一役買っているところもあるのだろうけど、そういう意味では今回の川崎サウンドを見渡すと各コンポーネントがその特色を非常に明快に、それでいて全体のバランスを崩すことなく主張していたように感じられた。
先の録音の話もそうだが、誉めて長所を伸ばすオーディオというのが今の川崎さんの音を聴いて感じて思い浮かぶフレーズである。活き活きと働くコンポーネントから楽しい音が紡ぎ出される…考えてみれば自然な流れかも知れない。そのような素晴らしい音楽空間を体験させていただき、ありがとうございました。
 2005年8月20日 佐伯享昭

転居して6ヶ月。ここまで何を考え、何をやったのかについて、恥ずかしながら、ご報告致します。

【新しい部屋について】 何よりも大切な引っ越し先の部屋。不動産屋に「千葉の東京寄りの総武線沿線でリビングダイニングが15畳以上ある一戸建ての賃貸物件」との希望を伝えたが、「ほとんどありません」。確かに、届く物件紹介図では普通サイズの一戸建てのほとんどは純日本的間取りで、和室があってリビングダイニングは狭い。むしろマンションの方がまだ広い部屋があったりするが、サブウーハー2台は集合住宅には棲めないだろう。もう決めなければいけない日時となり、ともかく現地に出掛けるが、検討の余地もない問題外の物件ばかりで目の前が真っ暗になった。こんな馬鹿な。その不動産屋を振り切って、総武線を下りJR津田沼駅前の東急リバブルに飛び込むと、3日前に出たという物件に遭遇。図面を見ると築浅の木造2階建てで、1階に18畳のフローリングのリビングダイニングがあり、なんとその床下が全て納戸という奇跡的構造の家だった。訪れると、まだ持ち主の方が住んでいたが、建築業者を監視して建てたらしく、造りがしっかりしていて、その部屋はとても居心地がよい。地獄から天国。両隣の家は近接しているが、大阪より明らかにご近所への音漏れは少ないと見た。にもかかわらず、最寄り駅からやや遠いためか、リーズナブルな家賃でなんと大阪の借家の半分以下。神様に感謝した。


18畳と言っても、リビングダイニングにオーディオを置くのは厳しい。当たり前ですがスペースの半分以上は家財道具で埋まる。おまけに今回はアップライトピアノも同居。それでもこの部屋が家の中では最大の空間で、中央にピンクの小ソファをおけば、その後方に音が解き放たれる空間ができるのが好ましい。スピーカーはキッチンと反対側の吐き出し窓(べランダ)の前に置く。そこしか考えられない。ベランダ側の横幅は最長4.5mあり、大阪より1mは長いが、右手の壁側が変則でTVを置くための非常に頑丈な作り付けの棚と物入れの出っ張りがあり、実際には3.6m程度だ。左手は普通の壁に窓で、こちらにラックを並べた。左右の環境がかなり異なるのは悩ましいが仕方がない。パワーアンプ、絶縁トランス、サブウーハーを左右の各スピーカーの後ろや脇に置く。家内がベランダに出られるよう中央は空けなければならない。「1m空ければいい?」と訊くと「私はスリムだから大丈夫。」ほっ、よかった。出る際にケーブルに足を取られるといけないので、線を浮かすわけにはいかない。リビング用の長椅子ソファは結局置く場所がなく廃棄処分へ。詰まるところ、ダイニングキッチンとオーディオルームが合体した部屋で、おやじには居心地良いが、家族にはリビングがない。すみませんって今さら謝ることでもない。家内がリビングに置けというのだし、子供2人ももう長らくオーオタの息子として生きてきたから。

【初期セッティングと音出し】
リビングでは当然ルームチューングッズの使用がままならない。それでも大阪ではチューブトラップのみならず、サウンドパネルも貼れたが、ここではパネルを貼れる場所はない。そこで貴重なのが、普通の家具であるカーペットやカーテン。スピーカーの後方は大きな吐き出し窓だが、ここに木製ブラインドを掛ければ音は拡散、カーテンであれば吸音となる。これは大きな選択だが、カーテンポールがあるので、まずは厚手のカーテンを買って掛けた。フローリングの床はけっこうしっかりしている。カーペットは部屋のキッチン側から敷くとラックやスピーカーのところまでは届かない。スピーカーの周辺にはカーペットの切れ端を敷いて調整する。チューブトラップは4本あるが、全部置けそうだ。
無論、機器類は大阪とまったく変わらない。まずスピーカーを、大阪と同じ感じで置いてみる。2.3mくらい左右を広げてけっこう内振りにする。後ろの窓からは50cm離した。足は純正スパイクとコーリアンボードでカーペットの上を滑らせメジャーで測って左右を合わせる。サブウーハーはアイドロンの外側奥に置く。ラックに機器をセット。これで音を出したいのだが、電源ケーブルやインタコが届かない。早速、岡島(NAOK)さんに連絡し延長線を作ってもらった。そして、音を出した。どこかよそよそしい、ただ放出されただけの素の音であるが、一聴して、大阪とは相当に異なる傾向を感じる。木造一戸建てで同程度の広さ、機器を置く位置、聴く位置も相似なので、大阪の最後の音に近い音で鳴るのかと思いきや、あまり似ていない。しかし、それは嬉しくもあった。せっかく引っ越したのだから、今までとは一味違う新しい音が聴きたいと思い、従来の音を超える可能性も感じたからだ。この部屋は鉄筋コンクリートの部屋ほどではないが、大阪の部屋より明らかに内部損失が少なく、聴き手に届いてくる。うまく料理すれば美味しく摂取できる音の素材が増えたようだ。とくに中域から低域にそれを感じた。よし、さあやるぞ、と気合が入ったのも束の間、音が右に寄り始め、左から音が消えた。左のモデル12のスイッチ電源用ディバイスが死んでしまった。


1ヶ月の小休止後、再開していろいろなソフトをかけるうち、低域が固まって伸びず、固有の響きで床に張り付いたように聴こえることが当面の最大の課題だと感じた。サブウーハーを切って、アイドロンを移動させて聴いていく。やはり後ろからはもっと離した方がよく、結局90cm離した。ソファは下げられず、リビングではこれが精一杯。リスニングポイントからスピーカーセンターまでは2mしかない。更にスピーカーの足元を手持ちのグッズで考え付く限りの組み合わせで試したが、どれもパッとしない。岡島製インシュレーターはベストだが、こんなに地震が多くては危なくて使えない。新兵器としてクリプトンのAB3000ボードを2枚購入して敷いてみた。悪くない。音に芯が出てきた。固有の響きの除去にはチューブトラップ4本を使って工夫する。右の棚の下段には本を詰める。カーペットを敷く位置を変えてみる。スピーカーの底のバスレフポートに布を詰めてみる。これは効く。そして、サブウーハーをそっと加える。うーん、しかしまだまだだ。
初期に耳の良い方々に聴いてもらいコメントを頂くと、やはり自分が課題と思うことを的確に指摘してくれる。加えて、自分が気づいていない点も教えてもらえるのだが、それらを全部課題として取り入れるわけにはいかない。そこは自分の音、自分の選択だ。センター付近の音の押し出しが弱い、とのコメントはあまり気にしていなかった点だが、確かに後ろがカーテンなのでその傾向がある。試しに左右のスピーカーの間隔を185cmまで狭めて内振りをほとんどなくしてみた。すると、真ん中に少し厚みが出るが、それ以上に、音場の奥行き、左右、高域の伸びやかさが改善された。左右の環境の違いが気になってどうしても内振り気味だったが、こちらの方がよい。これが今ちょっと流行の「カルダスセッティング」に近い配置だとは、後で別の友人に指摘された。左の壁にあるピアノはラックにも近く自分ではかなり気になっていたが、これまで訪問頂いた方で特にピアノの影響を指摘する人はいなかった。当然共鳴してはいるようだが、悪い作用はしてないようだ。そのほか、機器の置き方も含め、随所でカット&トライを繰り返し、機器も部屋に馴染んできたのか、音は少しずつ纏まって、聴くと心から楽しいと思えるソフトが増えていった。重要だと思ったのは、やはりリスニングポイントからのスピーカーの位置。とにかく測ってミリ単位で揃えることには大きな意味があると思います。

【現状の音】
 現状の音に至るまでに特に効果のあったグッズを挙げてみます。まず、低域はかなり悩んできたが、今はもしかしたら最も楽しめる部分になっているかも知れない。そのターニングポイントになったのが、フィニッテ・エレメンテ社のインシュレーター「セラベース」(4個1組)だった。これを2組買ってモデル12に履かせてみたところ、低域が見事に締まり、固有の気になる響きもなくなり、透徹な表情とこれまでにない解像度が出た。巷で言われる効果が拙宅でも得られたようだ。低域チェック用のマーカス・ミラーやハンス・ジマーのCDでは、初めて低域の情景が「見えた」、と思った。セラベースの導入以降、ほかの要素もあるにせよ、チューブトラップやカーペットが消え、サーロジックサブウーハーのカット周波数は次第に上がって50Hzという今までにない高い領域までカバーさせ、音量レベルも上げている。質感を確保できたので、気兼ねなく量感を増やす方向で調整できるようになったのだ。この方向は、実は最近訪問したいくつかのお宅がかなり量感豊かな魅力的な低音を出していることに大きな刺激を受けたことが大きい。一方で、アイドロンはスパイクを使用せずボードに直置きし、底のバスレフポートからの音を低減させて、サーロジックとのマッチングを図っている。豊かな方向と言ってもミッドバス付近は控えめにして、音場の見通しの良さと音の切れを優先させるのが、自分のバランスです。
 
次に挙げておきたいのは、やはり岡島さん特製グッズ。「なんかもう一つだな」と浮かない顔をしているのを察して、銀単線入り壁コンセントと切れ込みの入った鉄製の重たいコンセントカバーを送ってくれた。特に、この鉄製カバーがなぜかすごく効く。不思議なことに、音の滲みが取れ、力感が上がって、前に飛んでくるようになった。岡島さんもどうして効くのか判らないらしい。オカルトだが、違うのだから仕方がない。しかし、この鉄カバーよりもっと衝撃的だったのは、岡島さんのアドバイスでパワーアンプ用の岡島特製絶縁トランスの接続方法を変えたときだった。パワーアンプの下にボックスがあって、その中には900VA容量の絶縁トランスが2個並列で入っている。このボックスが2セットあるので、全体では900VAのトランスを4個使用しているのだが、この4個を並列に繋いで2台のパワーアンプに供給できるように接続を変更すると、同じ4個使用なのに、音の出方、品位が全然違ってくる。あまり違うので思わず笑ってしまった。モデル12が喜んでいる。これは、同じ広さのプール2個をそれぞれ2人で個々に使うより、そのプールを足して2人で遊んだ方が楽しいということなんだろうか? しかし、こうなるともっと広いプールをパワーアンプに、そして他の機器にも用意してあげたくなる。ああ、山のようにトランスが欲しい。


しかし現時点において、ちょいと立ち止まって登山の途中の風景を眺めると、けっこう良いじゃない、と一息つく気持ちです。
最後にアナログにも少し触れておきます。イメディア社のRPMトーンアームにはオイルカップがあって、大阪ではスキャンテック販売の佐々木社長にオイルをちょっと多目に入れてもらっていたが、こっちに来てからは、出来れば入れないで使おうということで、現在までノンオイル状態のダンプしないアームで音を出している。当初はなんだか冴えなかったが、しだいに調子は上がり、特にこの部屋では以前より低域が出るので、アームの軸受けの部分を高めにしてカートリッジの垂直トラッキング角度を調整し、高域を伸ばし、持ち前の中域の充実感に加えてCDに負けないワイドレンジな方向を狙っている。RPMアームのベスト調整ポイントはただ1点と言われており、とてもその真価を発揮させているとは言い難いのですが、それにしてもLPの魅力は深くて、やっぱりCDでは代替出来ません。
     2005年9月23日 川崎一彦

川崎邸の新しい音
川崎さんが大阪府豊中市から千葉県船橋市に引っ越してこられてもうすぐ1年、
そしてこの期間はちょうど私がオーディオを休止していた時期と重なるため、
なかなか川崎邸を訪問させていただくことが出来なかった。そしてオーディオを
再開した直後の昨年暮れ、川崎さんと鹿野さんを我が家にお招きすることが
出来た。川崎さん、鹿野さんと私は同年代で、聴くソフトの内容も重なる部分が
多い。そういうわけで、私にとって川崎邸、鹿野邸を訪問することは自分自身
の音を見つめ直すのに非常に良い機会である。前回訪問から2年、環境が変わっ
た川崎サウンドはどのように進化しているか、とても楽しみな訪問であった。
川崎さんはリビングオーディオの実践者であり、いつも居心地のよいお部屋と
オーディオ機器が違和感なく同居している。我が家の穴蔵的オーディオルーム
とは大違いである。今回の部屋は大阪の部屋とプロポーションが似ており、ス
ピーカーセッティングも大阪の時と似たような方向性にあると思われた。さて、
川崎さんの以前の音の印象といえば、オーディオ的なクオリティは高い次元で達
成されており、その中での傾向として、非常に明晰でメリハリのしっかりつ
いた音、という感じであった。川崎さんはいろいろなジャンルの音楽を聴かれる
方だが、以前は特にロック、ポップスが中心であり、またオフ会でもそのよ
うなソフトを多く聴かせてくださった。実際、そのようなソフトと川崎さんのメ
リハリのついた音は非常にマッチしており、いつも音楽を楽しませていただ
くことが出来た。今回も似たような印象の部屋、スピーカーセッティングである
ため、以前の音をブラッシュアップさせた音を聴かせていただけるのだろう
と推測していたのだが・・・
今回は私の都合で川崎さんの音を短時間しか聴かせていただくことが出来なかっ
たのだが、その音は以前とかなり印象が異なる音であった。もちろん、以前の音も
今回もオーディオ的に非常にクオリティの高い音であるという点で変化はない。
まず、かけていただいたソフトが以前のようにロック、ポップス主体の選曲では
なくて、クラシック寄りの選曲であった。そして、出てきた音は正常進化という
よりは突然変異という感じさえ覚えるほど変化していた。オーディオ的に分析す
ると、高域の感じが全然違っていた。以前はややピークを感じる帯域があり、そ
れが前述の明晰でメリハリのしっかりついた音を形成していた大きな要素であっ
たのだが、今回は高域が緩やかにロールオフしていて、それが絶妙なアクセント
になっていた。川崎さんは昨年暮れの我が家の感想文の中で、最近高域のある帯
域に非常に敏感で、ときに大音量では音楽に集中できないような耐え難い刺激を
受けてしまいます、と書かれていたがまさしくそのような変化をされた音、とい
う感じであった。川崎さんは冗談ぽく年齢のせいで、などと言われていたが、も
ちろんそんなわけではないだろうことは推測された。いったい川崎さんにどんな
変化が起こったのか・・・
オフ会の最後に川崎さんはこのCDを聴かせてくださった。この音楽は自分の心象
風景を表すのにふさわしい、という言葉とともに。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005AGCU/qid=1141034958/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/249-4362541-2037928
川崎さんが日本に帰ってこられてから4年、私の印象としては大阪の音は英語を
話す川崎さん、先日の音は日本語を話す川崎さん、という感じであろうか。英語は
日本語に比較して、曖昧な表現をしない言語であり、常に自己の主張をはっきり
とさせなければならない。川崎さんが日本に帰国されて間もない大阪ではアメリカ
の音の基準、つまり明晰なメリハリのしっかりついた音で音楽を聴かれ、また帰
国してから4年がたち日本の日常生活に戻った船橋では音楽に対して包容力が高く、
どんなジャンルでも節度を持って鳴らすことのできるバランスの良い音、という
具合にセッティングやチューニングの指向が変化していったのではないだろうか。
ただ、このような音の変化は実は船橋で突然起きたわけではなく、大阪でもどん
どん変化していたとのことであった。そして、非常に興味深いことに、川崎さんの意
識としては、音の方向を変えるというよりまずクオリティを上げていった結果、
聴かせていただいた音に変化していったとのことであった。もちろん、川崎さんから
すればそのような意識の変容や音の変化は当然の帰結であったと思われる。そし
て川崎さんが慈しむようにして楽しまれている、音楽とオーディオに対するスタンス
は、紳士的で理知的な川崎さんの実像にとても近い感じがするのである。
短い時間とはいえ、とても楽しい時間を過ごすことができ、ありがとうございま
した。オーディオ、音楽が面白いのは当然ですが、そこに介在する人という要素が
実は一番面白いのかもしれません。特にこの1年でそのことは実感しています。
近くなったことですし、また川崎さんの音を聴かせていただける機会がくるのを楽
しみにしています。そして、我が家にも遊びに来てください。機器を変えない
オーディオでお互いしつこくがんばりましょう。
岡崎俊哉




昨年の春に川崎さんが関東に引っ越されてから早いもので、もう丸1年が経ち、昨年春、引越し直後に聴かせて頂き、快調な滑り出しを見せたその後の動向は、話しをしたり、Off会の感想文を読んで想像するという状態が続いてきました。

この週末に1年ぶりに川崎さんのお宅を訪問しましたが、層が厚く、刺激の多い関東でのオーディオは一体どのような展開を見せているのか大変興味深く拝聴いたしました。早速、試聴を開始させて頂きましたが、どうも一聴した限りでは、ピンときません。どういうことかなあと耳を凝らしてみます。音場は奥方向と左右に広がっていますが、何となく大きなスクリーンが広がり、その奥に音が展開している感じで、距離があり、前には来ません。以前の音場のオーディオ的な自在な広がりや音離れ、解像度といったオーディオ的な楽しみが影を潜めていて、何だかMildで捉えどころがないのです。大阪最終の段階では、川崎さんがクラシックにもかなりの軸足を置くようになった頃から向上した、整ったNeutralな音の感じや解像度が印象的でした。でも今聞いている音にはそれらの特長は際立っておらず、全体にMildで特長がないのです。以前からの川崎さんの重要課題であったはずの低域の解像度も、全体にオブラートに包まれ、形が見えません。これは川崎さんにしては大変珍しいことです。ただし、中高域には独特の艶が乗っていて美しくさすがに秀逸です。また(1)左右上方にかけ音場がスクリーン状に綺麗に直立して広がる(通常は音場は上下左右に広がるほど丸まって、ちょうどプラネタリュームの天井のように試聴位置を中心に皿状に広がることが多いと思います)と、(2)SPとの距離よりも、音像・音場が遠くに存在し、距離感があるという2点が印象的でした。このときの私には、これらが実は川崎さんの新しい境地の片鱗であることに気付いていませんでした。

数曲、私の襲撃時の定番ものをいくつか聴かせて頂いた間はそんな感じの印象で、私の言葉もどことなく控えめで、川崎さんは物足りなかったに違いありません。その後、昨年、複数のOff会で聴かせて頂いた“イノセント”(10曲目)、これでとうとう目から鱗、いや耳から耳栓(?)が外れました。直立したスクリーンに慄然と現れる音場はちょうど広い映画館でかなりの距離をおいて映画を見ているかのような音の感覚があり(表現が難しいですね)、また音のうねりやダイナミズムといったスケール感がかつてないほど素晴らしい。後でLPを聞かせて頂きはっきりと気付きましたが、左右のSPの1次反射面が巧妙に使われているためにそこにIllusiveな(錯覚を起こす)奥行きが存在していて、全体の音場が非常に私をTripさせます。そうなると不思議なことに先ほどはあれほど気になっていた全体のMildな感じ、また低域の違和感というものはなくなります。実は約束の時間よりも、早く川崎さんのお宅に着いてしまったのですが、システムの立ち上がりに時間が掛かったのかも知れません。その後のCDはどれもすっと耳に入ってきます。あるいは、私の音に対する理解力不足だったのかも知れません。何を川崎さんが狙っているのかがようやくと分かったのです。オーディオは実は音を理解するという作業が、普通考えるよりもずっと大切なことで、それが音への評価に実際かなり影響するのだと思います。こうなれば、さっそく、大編成のオケをリクエストです。オペラ(モーツァルトの“魔笛”の一場面)に、管弦楽(リムスキー・コルサコフの“雪姫”軽業師の踊り)と立て続けに聴きましたが、素晴らしい!! Trip感がすごくて、それは川崎さんの部屋にオケが来ているとか、そこで鳴っているように聴こえるというのとは違っていて、ホールに自分が行ってしまったというトリップした感覚です。非常にリアルな音で演奏者がまるで部屋の中にいるかのように聴こえるというのではなく、自分がそこに行ってしまったという錯覚を覚えるこの感覚はかつて経験がありません(この2者は究極的には同じところに行くのかも知れませんが、視点が違うと思いますし、過程の音が全く違うと思います。川崎さんやはり分かりにくいですかね…)。これは、SPや部屋との物理的な距離と、音場・音像との距離感が大きく違うということから錯覚を起こすのだと思いますが、非常によい効果を生んでいると思います。マイルドな感じも、実際に我々が距離をおいて聞けばそう聴こえるケースはあるというような説得力があります。また気配は非常によく聴こえる。

勿論私の大好きな川崎さんのLPもその後に登場しました。こちらは少しの違和感もなく、相変わらず、ピラミッド型によくまとまって丹精かつダイレクト。ただし全域にわたり高解像度を誇るという従前の印象よりももっと自然で優しい音になっていました。音場は、CDとは違っていて直立型ではなくて従来型であるものの、1次反射による左右の奥への広がりがCDと同様にやはりIllusiveでした。川崎さんのLPはやはりよいです。

今回は、CDの大きな変貌に驚き、そのスケール感とIllusiveな音場に新しい川崎さんの境地を見出しましたが、やはりWadia270からPCトラポへの変更が大きいのかなと思います。川崎さんはPCトラポに変えた結果、情報量が増え、またフォーカスの曖昧さが気にならなくなった結果、SPの間隔を広げ、また内ぶりの度合いも減ったため、と分析されていましたが、このSP位置の変更は、上記のように間違いなく大きな音場の変化をもたらしたと思います。LPとCDの違いという点も今までになく大きなものがあったと思いますが、狙いどころが違うのではないかと思わせるものがあり、LPの音は大変素晴らしいのですが、スケールの大きさ、音場のTrip感、コンサートホールに行ってしまったという感覚的な部分では、今回新境地のCDにむしろ分があり、そこにCDの意義があるのかも知れないという感すら抱きました。現在、将来の方向性の見えなくなっている感のあるSACDですが、技術的な問題のクリアができれば(ひどく困難だと思いますが)、これを川崎さんの現在のセットに組み込み是非やってほしいなと思わざるを得ないような新しいデジタルの可能性を聴かせて頂いた気がします。今後、LPの音の方向にCDが近づいていくのか、またCDの音の方向にLPも収束していくのか、大変に興味深いです。今までの蓄積の上にあるLPのよさと、新しい方向であるCDが融合するものなのか否か分からないのですが、たぶん、川崎さんはご自身の目標に向け(この設定の仕方に川崎さんの特長があるように思います)、どんどん、今までと同じように休むことなく進まれていくのではないかと思います。そういえば、私の訪問の翌日に岡島さん特製のクロックが到着し、解像度と空間感がさらに向上し、その音で、極悪人数名の襲撃を迎え撃たれたやに聞いております。とくにCDは、長年聞かせていただいている私ですらすぐにピンとは来ない、川崎さんの狙いや音作りへの理解が必要な音という感を持ちましたので(その意味で生まれたばかりの音で、ソフトにより合う合わないもあり、未成熟ではあるのかなと思います)、どのような感想を極悪人の方がもたれたのか興味津々です。

それではまた訪問させていただくことを楽しみに致しております。今回もご一緒いただいた、欲張りツアーの方もまた宜しくお付き合いください。今回も本当に楽しく過ごさせて頂きました。感謝いたしております。

2006年5月8日       鹿野啓一

   

今回が3度目の訪問になる川崎さん宅。今回は初めて同じ部屋での再訪となり、噂に聞く川崎さんの音の激変ぶりを体験させていただけるとあって、これまでにもまして楽しみなオフ会であった。楽しみはもう一つあって、PCトランスポートの実力を知ることだった。私が知る範囲でもPCトランスポートを試されている方は多いが、ハイエンド・トランスポートの代表格であるWadia 270からの完全移行というのは私にとって、恐らくオーディオ界にとってもちょっとした衝撃であった。私が知るPCトランスポートの音は、音数は多いけれどもやや平板という印象だが、川崎さんが導入を決意されたからにはそんなレベルで終わっているはずもない。それが川崎さんの音とどのように融合しているのか、興味を持たずにはいられないはずだ。
最寄り駅までお迎えに来ていただいた川崎さんに移行の決め手について伺ったところ、「全部よかった」とのことで、車中から既に興奮度上昇。加えて、今回がPCトランスポート導入後、オーディオ・マニアを呼んでの初オフ会であるとのこと。光栄の至りで、お宅に着く頃には少々鼻息が荒くなってすらいたかもしれない。部屋に通していただくと、見覚えのある機器群の中に若干の違和感が。違和感の招待は大量のトランスであり、そしてやはりPCトランスポートであった。川崎さんのPCトランスポートは3部構成になっており、ラップトップPC、USB接続されたTASCAMの外付けドライブ、それにDigifaceというオーディオ・インターフェースからなる。NAOKさん特製のインターフェース用電源部も重要な要素であるとのことなので、4部構成とすべきかもしれない。PCトランスポートと言えば、徹底的に対策されたPCを思い浮かべるところだが、Digifaceの電源部を除けば意外なほど無対策であることにむしろ驚かされる。それがWadia 270を超えたというのだから。フロントエンド機器の乗ったラックが左スピーカ後方に押し込まれ、その分、左右のスピーカ間隔は広げられていたのも前回とは異なる点だ。
期待と疑念が私の中で螺旋を描く中、まずは同行したJeyさんがスィート・スポットに座り、その後ろの席に私が座って川崎さんセレクトの曲を聴かせていただくことに。開始早々、私には少し不自然に感じられるところがあって、中高域から上の繋がりにひっかかるようなところがあった。
一曲が終わってJeyさんと席を替わり、次の曲が始まったところ、今度は違う意味ではっとした。スィート・スポットで聴くその音は中域から上へ滑らかに伸びていくではないか。前回の訪問時はここまで聴取位置にシビアではなかったはず。それだけ、今回は厳密な調整がなされているということなのかもしれない。
その後もJeyさんと交代で川崎さんのかける曲、あるいは持ち込みディスクを聴かせていただいたが、とにかく瑞々しい躍動感は、目の前にラップトップPCを操作する川崎さんがいなければPCトランスポートであることを忘れてしまうほど。PCトランスポートに対して抱いていた先入観を打ち破るに足るインパクトを有していた一方、その底力を引き出すにあたってNAOKさんと川崎さんという二人の達人のシナジーが欠かせないものであったことも想像に難くなく、これをもってPCトランスポートの音の一般形としてよいのかどうかという疑問が残らなくもない。川崎さん自身も「NAOK式PCトラポ」と言われていたし。PCトランスポートの美点として感じていた音数の多さは「NAOK式PCトラポ」でも得られていて、そういう意味では以前の音とPCトランスポートのいいとこ取りをしたような音と言えるかもしれず、なるほど「全部」というのも理解できる。
ともかく、前回も素晴らしい音であったが、今回の音はそれを更に全体に底上げしたような総合的向上が見事で、前後左右の音場のシームレスな広大さはもはやリビング・オーディオのそれではなかった。奇しくもJeyさんと私もリビング・オーディオ実践中で、なおかつどちらかと言えばJeyさんや私の方が室内音響対策を行っている中で、これまた衝撃的な体験となった。
また、これから引っ越しを控えている身としては、左右の条件がかなり異なるように見受けられるこの部屋でこの音場空間が得られているという事実にはちょっと勇気を貰ったような、宿題を貰ったような複雑な気持ちと共に…。先に述べたように中域から上は極上のスムースさであった一方、これまでの川崎さんの音からは異質にも感じられた。以前までは中高域の少し高い辺りにぱりっとしたところがあって、それをアクセントにして切れのあるサウンドとされていたようで、それが川崎さんの好みであるのだとばかり思っており、このスムースネスはかなり意外で、PCトランスポート導入とはまた違う心境の変化があったのだろうかと思わされた。
消えたと思ったアクセントはもっと下の帯域に移動していて、今回はサブウーファがかなり積極的に活用されていた。途中から川崎さんが「この音量だと少しやりすぎかな」とレベルを落とされていたので音量との兼ね合いもあるようだが、「サブ」というよりは第4のユニット(スーパーツィータもあるから第5か?)として活躍しているような鳴りっぷりだった。Eidolonのウーファとの繋がりを考慮されてか、サブウーファの位置や設置にも試行錯誤の跡が見てとれた。途中、無理を言ってサブウーファをON/OFFして聴かせていただいたが、ONにすることで得られるものは確かにあって、現在2WayのEclipse Classicを使用していて「3Wayにしたら?」と囁かれている私としては色々考えてしまうところだった。
最後に最近実施されたという対策の種明かし(?)があったりしたが、そこからも川崎さんがいかに試行錯誤されているかが見て取れる。川崎さんのご家族と夕食をご一緒させていただいたが、これまでのオーディオ遍歴について語る川崎さんの横で奥様の口から機器の名前がすらすらと出てくるのには驚いた。ご家族で楽しまれていることを改めて認識させられると共に、川崎さんの音に常にある、どこか温かな感触の源泉を改めて見たような思いがした。音は勿論のこと、そういったところも学ぶべき点が多く、川崎さんの域に至るまでの道程を思うと溜息すら出るのであった。
今回も素晴らしい音楽と温かいおもてなしをありがとうございました。
2006年5月3日 佐伯享昭


 

楽しいオーディオにはまった人々の欲深な記録