原本さんちの低音はズズンと床が揺れる

「しかし、なまじのオーディオマニアがこの音をきかされたら、たまげますよね磯部さん」

「まるでわかってない人ならともかく、ある程度わかっていればこりゃ驚くでしょうね」

Speaker System:McIntosh XRT20
Power Amp.:McIntosh MC2500
Control Amp: McIntosh C33
Eqalizer:McIntosh MQ107
CD Player: McIntosh               MCD7000/MCD7007
CD/SACD Player: Marantz SA14
AD Player: ThorensTD521
   +SME3012R+Goldbug Mr.Brier
Step Up Trans: Langevin 408B
Interconnect Cable: Cardas Cross
Speaker Cable: Monstercable                   Powerline

原本薫子様

昨日は深夜迄、長時間にわたり楽しい一時をご一緒できたことを光栄に思います。

初めてお会いした薫子様は、本日もご機嫌麗しゅう、穏やかでかつ上品な佇まいで我々を出迎えて下さいました。
あ〜、憧れの薫子様♪  私にとって念願のごたいめーんであります。
そんな甘酸っぱい気持ちもオーディオルームに入ったとたん・・・ぶ、ぶっ飛びました(笑)そこにはMcINTOSH、XRT20をはじめとするMcIN軍団のお出迎え。しかもプリ(C33+C29)パワー(MC2500+MC2255)CD(MCD7700+MCD7000)という複数台のMcIN、、、なんでやねん!更にはMARANTZのSACD、SA14まで・・・はて?

Openingにかけて頂いたのがSACDの綾戸智絵「Live! ・II」から「Blue Flame」。。。・・・いきなりこれですか・・・「まんま黒人ですがな」ウ〜ム、大人の音だあ〜!!!  2回目のぶっ飛び!、この時はSA14での再生。更に薫子様は同じ「Live! ・II」のCD版をMcINTOSH「MCD7007」で再生後、トドメに「MCD7000」という、まさにオーディオマニア王道のパンチを喰らわせて頂きました♪
顰蹙を覚悟で言えば、SA14からMCD7000になるにつれて、男性遍歴が豊富になるような違いを感じました。
私の音の好みとしては、もちろん「MCD7000」なのですが・・・
その後、クラシック、オペラ、ブラック等の色々なソースをかけて頂き、その全てがおいしい、楽しい!

その音を一言で説明することは難しいのですが、穏やかでエネルギッシュ、優しくて力強いという相反するものを備えた普遍的な音とでもいいましょうか。どんな音楽も、おいしいエッセンスを巧みに表現し、かつ説得力がある音です。

しかしながら、この音はXRT20を17年使い続けて得られた結果、出てくる音のように感じてなりません。一朝一夕では決して出せない音です。薫子様は優雅に振舞っていますが、その陰ではスピーカーの位置をmm単位で動かすとか、ケーブルの下にガラスのインシュレーターを敷くとか、インターコネクトケーブルなどにこだわったりなど、結構オーディオマニアした結果なんですが、それを微塵にも感じさせない所に凄みと品を感じます。

ここからは私個人的な気持ちですが、まーったく違和感の無い音でした。かつ、私が出したくても出ない音もあり、薫子様共々お持ち帰りしたいのは言うまでもありません(笑)

まだまだ書き足りない事だらけですが、今回このような幸せな時間を作っていただいた山本様、感謝感激雨嵐です。

次回は是非、薫子様に私目の音を聴いて頂きたいと切に願う、磯部和彦でした。


僕は原本さんちで音をききながら寝そうになったけど、これはコンサートに行って眠る幸福のようなものなのだ  山本 耕司

ステレオサウンド誌1997年秋号の「レコード演奏家訪問」に登場した原本さんと菅野沖彦氏の対談の中に、「防音の部屋を作ったら、死んだような音になってしまったので、ガタガタと振動するものを選んでは部屋に運び込んだ」という会話がある。僕はレコード演奏家訪問で語られた色々な人の色々なエピソードの中で、この話をかなり好んでいる。発想を変化させる柔軟性、そして、どんな事をしても自分の好ましい音に引っ張ってゆく姿勢(気合いとか根性と言っても良い)が感じられるからだ。

今まで何人もの人が「原本さんの音は一度きかせてもらって損はない」と僕に言った。僕のところへきて音に文句ばかり言う小林悟朗さんだって「原本さんの音には大きな影響を受けた」と何度も言う。だから、僕は「いつか原本さんの音をきかせてもらいたいなあ」と思っていた。

2001年の夏頃、「HPに出てくる磯部さんのページを見て、原本さんは磯部さんちに行きたくなったらしい」と小林悟朗さんが僕に言った。僕はそれをきいて「磯部さんと原本さんは共通する何かがあるのかな」と思った。磯部さんにその事を伝えると、彼は「もちろんオーケー、ウエルカムですよ、嬉しいなあ」と答えてくれた。だが、僕は単に原本さんを磯部さんに紹介しただけじゃ発展性がないよなあと思った。HP主宰者としては「磯部さんのページが増えるだけじゃ面白くも何ともないわい」と思い、「ここは一番、まず、磯部さんと僕が原本宅を訪問して音をきかせてもらい、そこで磯部さんが原本さんを誘うってのはどうでしょう?」と提案した。そうすれば二人とも原本さんの音を体験できるし、HPも花盛り、一挙両得だ。磯部さんも原本さんの音をきかせてもらう事に大賛成で、遠足を待ちわびる小学生のような気持でおじさん二人はこの日をむかえた。

正直、僕はマッキントッシュXRT20を欲しいと思ったことは一度もなく、音をきいたこともなかった。それもあってか、一発目のSA14による綾戸智恵のライブはちょっと違和感があった。「アレッ、こんな音なのかな」と思った。ついでに書くと、僕はマッキントッシュのアンプを欲しいと思った事もないから、置いてある機器がアンプなのかCDプレーヤーなのかすら理解していなかった。すみません。で、原本さんは次に同じCDをMCD7007でかけてくれた。これはガッツがあっていい音だと思い、思わず曲の途中で「こっちの方がいい」と伝えると、「山本さんの好みはマランツかと思った」と原本さんが言う。僕は「これに関しては断然後者」と答えた。それではという事で、同じソフトをMCD7000でかけてくれた。この段階で僕はやっと「えー、僕がLPをきくのにカートリッジやプレーヤーをあれこれ使うように、原本さんはCDプレーヤーを三台も使い分けている」と理解した。MCD7000は「貫禄のある」音で、堂々としてる点ではこちらが一番だけど、MCD7007のバキッとした表現もいいなと思った。もちろんSA14に向いたソフトもあるだろう。最初にきかせてもらったCD一枚で、三台のCDプレーヤーの違いをこんなにハッキリと出す状態を作り上げている事を理解した。これにはすごく納得して「噂通り、仲間だ(つまり悪人的?)」と思った。

顰蹙を覚悟で言えば、SA14からMCD7000になるにつれて、男性遍歴が豊富になるような違いを感じました。

磯部さんへ:おっしゃりたい事はよ〜くわかりますが、あえて付け加えさせてもらいます。原本さんは一番最初にMCD7000を使っているわけだから、これは逆というか、最初に付き合った男も魅力的中年だけど、逝ってしまった時のバックアップにスポーツマン系MCD7007も用意して、さらにSA14は若いジャニーズ系の男の子みたいなもんで、そういう所まで交際範囲を広げているって感じじゃないでしょうか?

原本さんの音と磯部さんの音は大いに共通した面がある。だから磯部さんは「なんの違和感もなく楽しめる」と言い、僕はまるで異なった路線の音だから、アラさがしなどせず、「こりゃいいわ」って感じで色々きかせていただいた。磯部さんと原本さんの違いを書くと、磯部さんの音は「スペシャルチューン、インディ500左回り専用みたいな部分もあって、このコースを走らせりゃまるで他を寄せつけない」って感じなんだけど、原本さんの音はもっとオールラウンドだと感じた。普通、なんでも来いの音づくりを目指すと、みんなダメになる場合が多いのだが、原本さんの音はそのような事がなく(つまり全体的なレベルが高い)、大編成のクラシックも声楽も、室内楽も磯部さんが持参したブラック・ミュージックも何でもバッチリ、よく鳴る。ああ、自分の音は突っ張ったガキみたいな音だなあと反省してしまった。

原本さんは僕が大好きな「ばらの騎士」の最後の三重唱をかけてくれた。カラヤン指揮でアンナ・トモワ・シントウが元帥夫人でオクタヴィアンはアグネス・バルツァのCDだ。僕は「ばらの騎士」が大好きだけど、なかなか良いCDはない(フィガロやなんかと違って、実演も地球上で年に数えるくらいしか行われないオペラなのだ)。で、僕もこのCDを全曲盤とハイライト盤と持っているのだが、とにかくきつい音のCDだ。DG独特の棘のある音だから、僕の今の装置で満足できる音量にするときくに耐えず、大好きなのにイマイチ楽しめないCDだ。しかし、原本さんのところでは、このきつさが微塵もない。ここらあたりが大人っぽい音だという所以である。だけど、こいつは非常に難しい選択ではある。このCDをちょっと音がきついなあって感じのバランスにしておけば(ソフトがきついんだから、きつく鳴って当然)他では良いことも沢山ある。だから、その結果他の良いこと=つまり切れの良い中高域みたいな部分はちょびっと犠牲にしてるのだろう。僕が今の装置でこのCDを充分な音量で楽しめたのは、ずっと以前パラメトリックイコライザを使っていた時代だけで、それ以後は、2001.11現在、パワーアンプを二台使った状態でも試しにきいてみたが、やはりソプラノとメゾがジェット機みたいな音になる(涙)。

原本さんは「普段はもっとパッションがあるのだが、今日は今ひとつだ」と言う。僕が写真も撮りたいと伝えたので、それにそなえて掃除をした際に、機器をちょっと動かしただけで音が変化してしまったらしい。だから、僕と磯部さんはやや熱の低い音を体験したらしい。比較してないからわからないけど、原本さんがそう言うのだからそうなのだろう。初めての訪問だから、原本さんには必要以上の緊張を与えたようだ。僕にしてみれば「わしらはそんなに偉い人ってわけじゃないんだから、気にしなくてもいいのに」と思うのだが、そうもいかないらしい。まあ、確かに下手をするとあれこれ書かれちゃうしね。でもさあ、僕のHPの中で論争らしき事を展開しているのは唯一「高野さんのページ」ぐらいで、他はほとんど平和そのものなんですけどね。高野さんにしても、あれで途切れているのは非常に残念で、僕の音はあれからものすごく変化しているし(多分高野さんのも)、彼に対しても一年一回ぐらいはお誘いしているのです。

話を元に戻そう、今回の磯部巻山本海苔付きは遠赤外線で焼いたもので、食べたことのない人にとっては充分美味であるが、通にとっては物足らない面もあるらしい、じゃあ次回はダイレクトヒーティング灼熱状態による、おいしい焦げ目がついた私たちにしていただきましょう。 2001.11.11


 原本薫子様

山本さんのHPを拝見して、原本さんの最新サウンドを聴いてみたいと強く興味を惹かれたのは、よりによって我が家でまだ上手く鳴らせないディスク、綾戸智絵のLIVE2 とカラヤンの「バラの騎士」を磯部さん、山本さんに聴かせたということでした。一体どんなまとめ方をされているかまたSA14が、あのオール・マッキントッシュのシステムの中にどのようなポジションを占めたのかということにも興味がありました。前に伺った時(2001年4月)はSA14導入直後で、SACDならではの鮮度の高さは窺えるもののマッキントッシュのCDプレーヤーとくらべ全体のシステムの中でやや異物感が感じられたのです。

原本さんのシステムで聴く綾戸智絵のLIVE2は、あたかもマッキントッシュのシステムがビッグバンド・サウンドの遺伝子を持っているかの様に、響きがまとまって聴こえた。特にマッキントッシュのCDプレーヤー7007で鳴らした時の迫力があって、濡れた様なゴージャスなサウンドであらためて感心しました。
オーディオ・コンポーネントは当たり前のようですが単体では音がでません。やはりメーカーは、ある特定のスピーカーやアンプを接続して最終的な音決めを追い込んでいくわけでやはり優れたワンブランド・システムは、オーディオ・マニアが勝手に組み合わせた混成部隊の敵ではないのだ・・・・と思い知らされます。
問題は、それだけ完成度の高いシステムにどうSA14を接ぎ木するかということなのですが、前回に比べリラクサ1やケーブル系など色々工夫をされていてSA14のCD・SACDも7000、7007と一味違う存在感をちゃんと主張していました。

「バラの騎士」はあえてSA14で聴かせていただいたのですが充分楽しめました。全体を破綻させないヴォーカル・レベルの設定とスピーカーの優れたサウンドステージ感が楽しめました。このディスクは再生至難と思われる程様々な要素、音色の数、陰影やダイナミックレンジに富んだ録音なので、私は色々なところで 欲を出してしまうわけですが、全体のまとめ方、あきらめねばならぬことなど 色々教わることが多かったです。
しいて難を言えば、SA14の時はヴォーカル帯域のエネルギー感が やや薄く、映像で言えば肌色がやや薄いように感じられました。
既に原本さんの頭の中には、MCD7007の世界にさらにSACDの解像度や鮮度感を加味した「音」のイメージが鳴り響いていらっしゃるようなので、遠からず21世紀の原本サウンドがまとまることでしょう。

    
        11月14日   小林悟朗


あれから、原本さんはケーブルその他を交換して「パワーアンプが生まれ変わったような」成果を上げたそうだ。

近いうちに、「サザーランド・ブラザースの襲撃」を迎え撃つらしい。それが実現したら、また感想を送ってもらいましょう。

> サザーランド・ブラザースねえ、
> 「うなぎいぬ義兄弟」の方がピッタリかなあ。

「ウナギイヌ義兄弟」、断然良いです!
サザーランド・ブラザースでは、そのものズバリで曲がないですし、
山本さんのサイトの読者には、ウナギイヌ義兄弟のほうが、すぐにあの二人だとピン
とくることでしょう。
これからは、ウナギイヌ義兄弟(山本氏命名)と呼ばせていただくことにいたしましょ
う。
早速、あのページの「サザーランド……」の部分を、「ウナギイヌ義兄弟(山本氏命
名)」に替えてくださいませ。

Cardas Golden Power Cord (Wall AC outlet→Tap)

Cardas Hexlink5c (for SA14)

壁コンセントはSISの小島さんが選んでくださったPADのCRYO-L2ですが、接触が極めて強固でGolden Power Cordのプラグがびくともせず、非常に安心です


  

2002.2.2

このような面子が原本宅を襲ったので、室内の温度は8度ほど上昇したかも

この三人に音をきかせるのは「レコード演奏家訪問」より緊張する面もある、なにしろあれこれ踏み込んでくるからね

今回は多分、論争はないだろうと予想している

山本様
原稿料は高いですよ。 

富田様
掲載料も高いから相殺だあ

            原本サウンド
                                                      富田 徹                                 
2月2日土曜、ついに念願かなって原本邸の音を聴かせてもらうことになった。原本さんのオーディオにふれるのは今回が初めてである。一度知人を介して伺うような話があってからもう5、6年は経ってしまっていた。その間に原本さんの方は我が家の装置の音を2度も聴いている。これではいけない、ぜひ聴かせてもらわねば、という思いが常に頭の片隅に引っかかっていて、それがとうとうはずれる日がやってきたのである。
だが、今回の訪問はその思いを果たす為ではない。僕自身、ここ最近オーディオに関する想いが薄れていた。音楽的刺激を得るために何人かのオーディオルームを訪問したが、其処に新たな刺激となるものは見出せなかった。まわりの人々は皆装置を入れ替え中だった。音を聴くとまだまとまっていないことがすぐに分かってしまい、どうにも音楽に浸れなかったのである。
音楽を聴くという簡単な行為が、すごく難しいものになっていた。そう思っていたところに今回の原本邸訪問の話がきた。これはなんというチャンスだ。これを逃したら、今後2、3年は聴けなくなるかもしれない。何としてでも聴きに行こう。そう思うと久しぶりにわくわくしてきた。本当は仕事が入っていたがスケジュールを調整した。そこまでする価値が僕にはあった。
目的地に近づくと坂道を這うように建てられた現代的な建築の低層マンション群が目に入ってきた。その景色によって僕は異国にワープしてしまったような錯覚に陥った。素晴らしいマンション、原本邸はそのマンション群の一角にあった。こういった環境に住んでるなんて原本さんらしいなと思うと同時に、僕の頭の中では予測される原本さんの音がすでに鳴っていた。
部屋に通されると写真で見てきた印象とは異なり、思ったよりエアーボリュームがあった。スピーカーが設置された壁面は、およそ6メートルはあるだろう。なによりも感心したのは部屋全体のインテリアコーディネイトである。色々なモノがさりげなく置かれ、それらは我々のような侵入者を退屈させず、暖かく迎え入れてくれた。置かれたオーディオ機器群はまるで生活の一部として、そして原本さんの一部であるかのようにみえる。いや、部屋全体がコントロールされていてオーディオ機器を含めた全てのものが必然的に収まっているようだ。なんて居心地の良い部屋だろう。
コーヒーが運ばれ落ち着くと、ついに試聴開始である。試聴ポイントは1ヵ所しかない。そこで今回一緒に訪れた「うなぎ犬義兄弟」と僕は交代で座ることになった。
初めに岡崎氏が試聴ポイントに座った。曲は江崎録音のSACDでドボルザーク交響曲第9番「新世界より」である。僕は試聴ポイントではなかったので、どんな音が鳴っているかその断片から想像するしかなかった。
意外と音量は控えめで涼しいワイドレンジ的なサウンドの様だった。この時の印象は、僕の原本さんに対してイメージしてきた音とは大きくかけ離れていて、どちらかと言うとクオリティ重視路線に近いと感じたのである。この音の評価は難しいなと思いながら聴いた。実はこの時点で、この第一印象が後で大きく覆ることになろうとは夢にも思っていなかったのである。
次に柳澤氏が座り、氏のリクエストでアース・ウィンド&ファイヤーが鳴り始めた。僕は思わず身を乗り出した。この再生の難しいリズムセクションを難なくこなしていたからだ。スゴイという予感のようなものがこの時電気のように走った。柳澤氏が席を代わろうと言う。やけに機嫌が良さそうに見えた。僕は席を交代し、ようやく原本さんの音を正確に聴けるポイントについた。その瞬間、先程の印象は大きな間違いであったことを悟ったのである。
柳澤氏の機嫌が良くなるのも無理は無い。確かな印象を語ろう。原本さんの音はダイナミックかつ奔放な音。それでいてどこにも破綻の無いパーフェクトサウンド。いまだかつてこれほどうまくコントロールされた低音というものを聴いたことが無い。これこそ僕の中でイメージしていた原本さんの音だ。クオリティ重視のちまちました音とは無縁の世界である。
次に聴いたシナトラとビッグバンドに至っては、もう脱帽するしかない。圧倒的な音圧。鳴らすのが難しいと思われる古い録音が、極上のサウンドで鳴っていて、オーディオルームはライブ会場と化し「劇的なる空間」に変貌してしまうのだから。
しかしそれだけではなかった。今回の訪問で最も良かった音楽は、最後に聴いたデル・モナコのプッチーニ:歌劇「トゥーランドット」で、これには心底驚いた。正面の壁面は6メートルほどあると先に述べたが、その壁全面の奥からオーケストラとオペラ歌手の声が響いてくる。左右の広がりに比べ壁から試聴ポイントまでは2.5メートルぐらいだろうか、距離がとれていない。にもかかわらず、音像は空間感をともなって定位する。それにより得られるパースペクティブの広いことと言ったら、それはコンサートホールそのものというイリュージョンに難なく入れる奇跡的なサウンドだった。
デル・モナコのプッチーニ:歌劇「トゥーランドット」は1959年の録音。でももし知らずに聴いたら最新録音と思い込んでしまうだろう。ニール・ヤングの歌う「イマジン」も良かった。古い録音も新しい録音もOK、そして何よりも音楽に感動できる鳴り方が素晴らしい。オーディオを聴いて、こんなに音楽に浸れたのは久しぶりのことだ。この僕の話を大げさだと思う人はいるかもしれない。だが、一言いっておこう。皆さんが想像しうる最も良いオーディオサウンドの10倍は素晴らしいってことを。

 原本薫子の中身は男か? (題はヤマモト) 

                       柳澤和男

かつて自分が、防音を施した比較的小さな部屋(といっても天井も高く12帖はあるのだが)でオーディオをやるという事の難しさを嫌という程知っている私にとって原本さんの部屋は(しかもそこへ大型スピーカー)正にその典型、小さな部屋は防音なんぞしてはいけないと思っている私にとって彼女の音は大変なショック。特に難しい低音が見事にコントロールされている。至近距離の圧迫感をさかてにとって音楽の説得力にかえてしまうのだ。しかも楽器の分離、音程、大きさ質感全てクリアー、だから音がでたとたん、そこはコンサート会場。今回訪問した3人の誰の音より演奏者に近く、その音とパワー(音量はそれ程おおきくない)に圧倒されてしまう。スレッカラシの大の男3人がだ!ものしずかでか細い上品な女性が出す音か?これが!!
  ありゃ中身は、男だよ  by K氏
是非一緒にお酒でものんで正体を暴いてみたい!!音の彩り、立ち方、見通し、演奏の抑揚、そしてなにより聴いてて楽しい。 これで、ホーンセクションのブラスの厚みと中域の艶、色っぽさがでたら、ごめんなさい参りました、となるところ(JBLでしか、でないと私は思っている) 現行フォーマットでこれだけの音をだされると、この人にDDコンバートを使われたらマジでヤバイ!!どうりでKさん1度きいといた方がいいよ、というわけだ。

 ソースのほうは、再生の難しいものばかり、DGでカラヤンの歌劇ソプラノ3重唱、カウントベイシーフランクシナトラの古ーいライブ録音、決して一筋縄ではいかない物ばかり、思わず>帰って自分の装置で確認してしまった!そしてないCDはおもわず買いに。優れたレコード演奏を聴くとそうなる事が、多いのだ。 しかしこれだけの圧倒的サウンドパワーをあのか細いからだで、どうして受け止められるのだろうか?大抵のオーディオマニアはぶっ飛んでしまうだろう。かろうじて冷静に踏み止まれたのは、DDコンバートと、今度導入したコニサーとサザ−ランドのおかげ。きっと帰ってから他の2人も自分の音を確認したのでは?私は、ホッとした部分とこれは使えるという部分が、あったのでありました。 

 山本様   私の原稿料は安くて結構ですよ

                      岡崎俊哉

いい音でいい音楽を聴くということは私にとって永遠のテーマだが、いい音でならばいい音楽が聴けるとは限らない。昨年の12月以来の路線変更で、現在悪戦苦闘中の私にとって、今回の原本さんの音を聴かせていただいたことはエポックな出来事になった。

原本さんのリスニングルームに入れていただくと、そこにはSTEREO SOUNDやStudio K`sHPで見慣れていた暖かい空間があった。ただ、部屋の縦横の比率の感覚が思っていたのとは異なっており、スピーカーを設置してある壁面は6m位あるが、スピーカーとの距離は2.5m位でかなりのニアフィールドであった。まず私がリスニングポイントに座り、江崎録音のSACD、「新世界より」を聴かせていただいた。SA-14から音がスムーズにさっと出てきてそこには広大なホールが出現した。すばらしい音である。タッチが柔らかく、楽器の質感を細かく描き分け、それがまたオーケストラとして見事に一体となっている。SACDの可能性の高さが見事に表現されていた音だった。しかし不思議なことに何か物足りない。ポジションチェンジをして、今度はSA14のまま通常CDでアース・ウインド&ファイアーのライブを聴く。音が出た瞬間、それまでもどかしく思っていたことが解消された。見事に音楽のノリやタメが表現された音が出てきたからだ。低域の表現力が見事で、こんなに下の帯域まで完璧にコントロールされている音は聴いたことがない。それからはもうかけていただいたCDを聴き惚れるのみであった。原本さんの音は現行フォーマットの良さを十二分に引き出していて破綻がない。ダイナミックで非常に説得力の高い音である。原本さんは「XRT20でアメリカハイエンドのような音を出したい。」と仰っていたが、多分そんな器に収まる人ではないし、そんな音でもないだろう。マッキントッシュに一途な思いをかけ、それがこちらの想像をはるかに越えた音を出していた。オーディオは音楽を聴く道具だが、名人が使うとおお化けすることがある。原本さんのXRT20は、名人の17年間の調教によりとてつもないモンスターに育っていた。

音を聴かせる以上に音楽を聴かせることは難しい。原本さんはそれをさらりとこなして当たり前のように聴かせてくれた。白状するとあの晩、家に帰り、自分の音を聴いた私は、困ったことに深いため息をつかなければいけないことになった。原本さんの音を聴かせていただいたことにより確実に自分の中で変化が起こった。それはまだどういう形で結実するか分からないが、現在の悪戦苦闘に再び取り組むパッションをいただいたことは確かである。どうもありがとうございました。また聴かせてください。



 頭の中では三日四日、あれこれ考えていたが、この感想文を書くのには必死でやって4時間かかったとか

 この事で厚木さんの寿命は3時間ほど縮まったそうだが、今後のオーディオ生活が充実することを思えば

 寿命が10時間短縮されても悔いはないであろう (ヤマモト)

音楽をオーディオで聴く事は常に自分との対話に他ならないと日々考えていますが、自身との対話だけでは余りに狭い世界で終わってしまうという事をこの20年間節に感じていました。特に私は山口 孝氏と菅原 正二氏からの影響を大きく受けていますが、彼らが再生する音楽を聴かなければ今の私のサウンドは、使用する機器は変わらなくとも、大きく変わっていたと思います。
山本さんのホームぺージには、各人の音楽世界が今まさに広がる瞬間が、リアルにしかも独り善がりではない謙虚なスタンスで再現されている。このページを見て想像力が溢れるのを抑えられる人はいないと思う。私は山本さんから地球の裏側の住人の称号を頂いているが、そんな私がまた自分の枠を広げる事の出来るチャンスがきた。

磯部さんが原本さんのサウンドを聴いて「根性のある音だ」と私に教えてくれた時、うかつにも心の中でムラムラと得体の知れない感情が沸き起こってくるのを感じてしまった。磯部さんが綺麗な音とか、サウンドステージが素晴らしいとか、凄い低音だったと、教えてくれたらこんな気持ちにはならなかったかも知れない。今回は、幸運にも山本さんの付き人として原本さん宅に伺えることとなり、このチャンスに自分の中にあったムラムラの答えをしっかり出せることになった。
私は今まで仕事柄XTR−20のサウンドを何回か聴いてきたが、そのどれもが当時エレクトリの技術者が専用のイコライザーでボイシングというサウンドコントロールをXRT−20に行っていて、そのバランスは、音抜けが良くステレオイメージの優れたサウンド、いわゆるホーン型スピーカーのような指向性を感じさせない音だった。しかし、音は優秀でも音楽の鋭さや、表現の深さといった所までオーナー自身で調整されたXTR−20には出会ったことは無かった。
そしてよいよ原本さんがマランツのSA14にCDをセット、原本さんはこちらの様子を窺うかのごとく音楽のペースを上げ、ラストにプッチーニの「トゥーランドット」とフランク シナトラの「サンズ」をマッキントシュのMCD7007でかけてくれた時には、完全にノックアウトされてしまった。「トゥーランドット」ではデル モナコが発する声の力強さと品格の高さ、もう現在の演奏家では望めない音楽表現の厳しさ、バックのオーケストラとのバランスも最高で、オペラを普段聴く事の無い私でも「これは自分のシステムで聴いてみたい」と心の中でつぶやいてしまった程だ。そしてフランク シナトラ・カウント ベイシー アット ザ サンズに至っては、ほぼ全曲を聴いてしまった!!。 リアルタイムでライブの雰囲気が上がっていくと、原本さんのリスニングルームがまるで当時のラスベガスにタイムスリップしたかのような感覚に襲われる。とにかく「何てカッコイイ音だ」と思った。「トゥーランドット」の時にも感じたが、シナトラの声とバンドのバランスとサンズの空間感が実に気持がちいいのだ。私もこのソフトを持っているが、なかなかこうは鳴ってくれない、再生する事の難しいソフトだと思っている。原本さんのベイシーサウンドはブラスが素晴らしく、鋭いトランペット、豊かなサックス、柔らかなトロンボーンが当たり前のように同時に表現され、リズムセクションはシナトラが引き立つようにビートを刻む。時おり入るソニー ペインのバスドラムはスピード感と絶妙なタイミングで演奏をじつに引き締めるのだ。私はあの2人を除いて、これほどのベイシーサウンドを他家で聴くのは初めてであり、自分も「もっと精進しなければ」と思ってしまった。
最高のベイシーサウンドを聴いた後は、山本さん・原本さんとの大変価値ある音楽・オーディオ談議に夜の更けるの忘れつい話し込んでしまいました。そんな話の中で、「17年も付き合っているXRT−20でも1週間または毎日という単位で音が変化すると」いう話を聞き自分のJBLも同じだと思ったことや、原本さんが考えている事に凄く共感することの出来る話が沢山あり、私もついテンションが上がってしまいました。
しかし、マッキントシュのMCD7007でここまでやられると、心底参ります。此処では発言しませんが、昨今の色々なオーディオ事情を深く考えさせられる結果となりました。
原本さんのベイシーサウンドで私のムラムラは消し飛んでしまったが、そのサウンドを聴いて少しユウツになった私もまた現れ、このユウツをバネにして自分をレベルアップするきっかけを作っていただいた山本さん・原本さんには大変感謝いたしております。
最後に、原本さん仕事でお疲れのところ夜遅くまでお付き合いいただき、また夕飯までご馳走になってしまいありがとうございました。
山本さん、このようなチャンスを設定していただきありがとうございます。今度私がレベルアップをした時は、是非お二人で地球の裏側まで聴きにきてください。
「最高の音楽が最高に良く鳴る。」当たり前のようでじつに高く難しいことだと、私、考えております。

                          厚木 繁伸

この文を読んだ原本さんから、「山本さんは 殺し文句の達人 」という称号を頂戴しました

 大変光栄です

 僕の次の課題はやはり「くそー、やられた」と思っていただくことです       山本耕司

原本さんに嫌われるような事さえしなければ、厚木さんよりは僕の方が原本宅を訪問しやすい立場なので、中央の席ははじめからおわりまで厚木さんに譲ることにした。だから僕はずっと右側のスピーカーの前できいていたのだが、ほとんど不満を感じなかった。今回、一枚目のSA14によるサラ・ブライトマンをきいただけで「磯部さんには悪いけど、こりゃ前回とはかなり違うぞ」と思った。今回はきかせてもらわなかったけど、アヤド・チエのライブも前回より「いい感じ」になっている事が想像できる。アース・ウインド・&ファイヤーのライブ、ばらの騎士と続き、そのままどんどん突っ走っていく感じで、柳富岡の三氏がきかせてもらったマリオ・デル・モナコがカラフを歌う「トゥーランドット」、そしてフランク・シナトラのライブをきき終えたとき、僕は良い意味での疲労を感じていた。再びきかせてもらった「ばらの騎士」も「そうそう、ところどころ、この程度はチリチリするCDなんだよな」と思った。しかし、絶妙のバランスを保ち、限界を越えることはないあたりが「わかっているなあ」と思う。大人しいという意味での大人の音ではなくて、かゆいところに手が届きつつ引っ掻きすぎて皮が剥けたりたりしない、そういう大人の音である。だから、前回僕が書いた このCDをちょっと音がきついなあって感じのバランスにしておけば(ソフトがきついんだから、きつく鳴って当然)他では良いことも沢山ある。だから、その結果他の良いこと=つまり切れの良い中高域みたいな部分はちょびっと犠牲にしてるのだろう。という部分は撤回。この日は、バッチリ切れの良い中高域があった。そして、この中高域があるから低域もすごくスピード感がある。カッコよく気持良い低音で、完全に「XRT-20はこういう風に鳴るもの」という刷り込みがされてしまった。そして僕は、心の中で「厚木さんはこの音を好きだろうなあ」と思っていた。厚木さんが生まれ変わるとして、一字違いの山本と原本、どっちにする? っていう選択をせまられたとしたら、彼はきっと原を選ぶ事だろう。CDがこれ以上なにも要らないという感じで鳴っているのをきいて、もちろんハイビットハイサンプリングの音をそれなりにきいてきている僕としては「これは44.1Khzならではの愉悦と呼んでも良いのかも知れない」とさえ思っていた。

その後、三人であれこれ話をしたのだが、僕は原本さんの「すごく欲張りで一途なところ」をよく理解して、原本さんは仲間だということを再認識した。そして、こういう人には僕の音をきいてもらって「くそー、やられた」と思わせてみたいものだと考えている。

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山本耕司 さま

> 「殺し文句の達人」は殺し文句の達人に対する殺し文句だった。

とすると、わたしも殺し文句の達人ということになり、
そうおっしゃる山本さんもまた殺し文句の達人で、
そう山本さんに言うわたしも殺し文句の達人で……ん?

厚木さんの寿命が3時間ほど短縮されてしまいましたそうで、
心よりお悔やみもうしあげます。
しかし、次回、私が厚木さんを訪問させていただきました曉には、
寿命が9時間ほど縮まりますことは確実かと思われますので、
ようするに、まだ差し引き6時間も厚木さんのほうが長いわけでして、
ここはお互い様ということでご容赦くださいますよう(笑)。

いま、「44.1kHz/14bit」の愉悦に浸りながらこれを書いております(笑)。

    3月20日

♪ 原本薫子 Kaoruko Haramoto 


原本宅の最新情報をおとどけしよう。機器の変化は、善良な山本から嫁いだフォノイコぐらいだが、ケーブル類がかなり変化している

 2002年9月の様子

ラック左側下から2段目が、極悪な山本さんから譲り受けた
Phono Equalizer Amp: PASS Aleph ONO

 その他の主な変更点

Speaker Cable: Monster Cable Powerline→CARDAS
Golden Cross
Power Cable: SA14に使用していたCARDAS Hexlink5Cを
Aleph ONOにあてがい、SA14、MC2500のパワーケーブルを
CARDAS Golden Power Cableにした

それにともないXRT20のターミナルを
大型スペード端子に対応できるWBT製に、
MC2500のACレセプタクルはIECコネクター対応タイプに交換
これらの作業は、SISに紹介していただいた向井 堯氏に
お願いしたが、SP端子もACレセプタクルも
オリジナルの状態であるかのように
美しく仕上げてくださった

実は3月に厚木さんと一緒に原本宅を訪問して以来、僕は原本宅に3回お邪魔して、しかもかなり長時間きかせていただいた。カエターノのLPを届けに行くという用もあったけれど、非常に興味深かったのは、原本さんの装置では最新のカートリッジがとても良く鳴る事で、僕はそれをきかせてもらうのが毎回とても楽しかった。もちろんCDやSACDが悪いという事はなく、僕にとって原本さんの音をきかせてもらうのは、ある種のストレス解消になると思っている。大きくカテゴライズすると、富田さんや岡崎さんの音と僕の音は同類だが、原本さんは違う。それは僕が磯部さんのお宅へ行くのが好きだという事とも共通している。手の内がわからない、まるで異なったアプローチをしている人の音は魅力的で、色々な発見がある。ただ、最近思うのだが、異なった機器とアプローチではあるが、徐々に共通性を持ち始めているのではないか、そんな気がしてきた。 2002.9.29 


試聴後の会話で原本さんに指摘されるまで、僕はまったく気づいていなかったのだが、柳沢邸での感想で”小林さん&原本さん”と
まとめて書いている。もちろん意識して書いた訳ではないのだが、あらためて考えてみると、お二人のシステムは僕にとっては、良く
言えばトラディショナル、悪く言えば古い音のシステムという認識があったのかもしれない。その後、岡崎さんにお誘いいただいて、
初めて小林さんのサウンドに接した後、猛烈に原本さんのサウンドも聴いてみたいと思ったのだから、それはきっとその通りなのだろう。

で、12月30日午後、ようやく念願叶って原本さんのサウンドを体験することができた。最初にSACDで、次にCDで綾戸智絵のLIVE2を
聴かせていただいたのだが、僕は完全にフリーズしてしまった。何がなんだかわからなかったのだ。音色がどうの、音場がどうのと
いう前に、ステージとの距離感が我が家とまったくといってよいほど異なるのでとまどってしまったのだ。
その後、お決まりのアースのベルファーレ・ライブを聴いたのだが、このころになってようやく原本さんの演奏を楽しむことができた。
なにより素晴らしいのは音楽のグルーヴ感、そして演奏との一体感である。あたかもアリーナの最前列かぶりつきであるかのようだ!
冷静に判断すれば、あれこれ音の特徴を指摘することは出来るけれど、それよりもこの演奏に身を任せる方が、何倍も心地よく、楽しい。
その後、次々と繰り広げられる原本サウンドに完全に魅了されるとともに、いつしか自分の音について深く考え込んでしまった。

そう、我が家ではこの”演奏との一体感”が希薄なのだ。音が”来ない”と言い換えても良いかもしれない。

確かに音場の拡がり、空間感は我が家の方が感じられるのだけれど、どうもステージとの間に見えない壁があり、心理的に距離感が遠い
のである。ちょっと距離を置いたところから、立体的に展開する音場全体を俯瞰するのを最上のものとして、精進してきたし、これこそ
”ハイエンド・オーディオの醍醐味”と考え、それに何の疑問も持たなかったのだが、このサウンドを体験すると、今の僕のサウンドに
足りないものが見えてきたように思う。

試聴後、食事を挟んで長時間にわたる会話の中にも、原本さんの真摯なオーディオに対する姿勢が見え、ひじょうに有意義な時間を
過ごすことが出来た。原本さんの問いかけは、率直で、だからこそ簡単には答えられないものばかりであったが、自分自身のオーディオに
対する姿勢を考える上で、とてもたくさんのヒントをいただいたように思う。
年末の大変お忙しい時期にお邪魔させていただいたのだが、新年を迎えるに当たって、また新しい目標が見えてきた。

原本さん、本当に勉強になりました。また機会がありましたら、ぜひ聴かせてください。

以上です。
我が家では、ライブものの熱気や一体感が希薄で、どうにも2階席にずっと座っている、ノリの悪い年輩者的な感じがするのです
よね。

それでは。                  

         2002.1.2 佐藤和浩   


富田さんに、「待っていれば、いつか機会があるよ。」と言われていたが、
ついに原本さんの所へ伺える日が来た。

一緒に伺う予定の岡崎さんより一足先に、原本邸へお邪魔させていただいた。
原本さんとは、2回ほど会っており、それほど緊張することもなかった。
部屋に案内されると、StudioK'sHPで見ていた光景が目に入ってきた。生の原本ルームである。
冷静を保つつもりが、この時点で既に私の気分はヒートアップ。
動くことすらできず、ただ立ちすくんでしまう。
原本さんに声をかけられ、はっと我に帰る。
そわそわしながら、ベストポジションに座らせていただく。
18年使い続けている「McIntosh XRT20」が目の前に。
床に置かれた「McIntosh MC2500」がさり気ない存在感を醸し出す。
右手には、McIntoshによる再生機器が綺麗にセッティングされている。
埃1つ目に入らず、大事に使われているのが伝わってくる。

美味しいコーヒーとお菓子をいただき、少々会話を楽しんだ後、
Earth,Wind&Fireのライブを聴かせていただいた。
このCDは、東京ベルファーレの録音で、私も持っている。
Fantasyからスタートした。何曲か聴くにつれ、どんどん引き込まれていく。
それは、音楽が終わった後に気づいたことであって、聴いている最中は意識できるわけもない。
気持ちの良い疲労感と、充実感で満たされる。純粋にライブを楽しんでいたのだ。
他に、様々な音楽を聴かせていただいた。
サラ・ブライトマンでは、暖かみを帯びた、彼女の歌に包み込まれるような錯覚に陥る。
冷静に歌っている様を眺めるのではなく、私1人に歌いかけてくれているような、そんな気持ちになる。
そうかと思えば、熱いJAZZが流れ出す。すぐ目の前で演奏を繰り広げているのが目に見えるようだ。
優しさ、激しさが、これほど共存している場所を他に知らない。

一体、このサウンドは何なんだ!!
戸惑いを隠せない私は、思わず機器群や部屋を見渡す。
使用されている機器は古さを感じずにはいられない。
オーディオマニアに良くありがちな、ルームチューン材なども一切無い。
原本さんの感性と、音楽に対する情熱、愛し続けているスピーカーと機器達の賜であろう。
ジャンル、時代を無視して音楽の楽しさ、感動をリスナーに届けてくれるのだ。

想像以上の原本サウンド、完全にノックアウトされました。
また、同じ趣味を持つ仲間に、原本さんのような方が居て、幸せな気持ちでいっぱいです。
ご近所ということで、またお聴かせいただけると嬉しいです。
素晴らしい音楽を聴かせていただきありがとうございました。

                        2003.2.22 師田克彦

原本サウンドの洗礼を浴びてから1年がたった。その経験はとても衝撃的なもので、自分の音に足りないもの、欠けているものは何かということを突きつけられ
た経験でもあった。その足りないものを補うべく、いろいろと頑張って1年間を過ごし、その成果を先日原本さんに聴いていただいた。いろいろとお褒めの言葉
をいただくことができたが、いやいや、原本さんとて1年間を無為に過ごしていたわけはあるはずがない。というわけで、返り討ちに自ら進んで会うべく、原本
邸に伺った。

前回に比較すると原本さんはケーブルの変更を中心に細かなリファインを綿密にされているようであった。早速、音を聴かせていただいた。うーん、言葉が出な
い。原本さんの音は音楽に対してとても親和性が高いので、オーディオ的な要素であるたとえば情報量とか、解像度etcを云々することが野暮に思えてしまう。
ただ、この音楽に身を委ねさせたい、という強い意志のようなものを原本さんの音からはいつも感じてしまうのである。これは、原本マジックなのか、いやい
やそうではない、山本さんが言う「すごく欲張りで一途なところ」という部分が、18年の歳月をかけてMcIntoshのシステムを調教してやるとこういうすばらしい結果を引き起こすのに違いない。

今回、非常に興味深く感じたことに、マランツのSA14によるSACDの演奏がある。昨年に聴かせていただいたときは、McIntoshのシステムのなかでSACDは遠慮しい
しい鳴っているような感じがした。マッキントシュのMCD7007に比較すると実によそよそしい感じがしたのである。しかし、今回のSACDの演奏は実に素晴らしい演奏で、SACDの弱点は微塵も感じられず、素晴らしい面ばかりを感じることがで
きた。特にグールドのゴールドベルグの演奏は心に染みいるような音で、深く聴き入ってしまった。

演奏の後、夕食をごちそうになりながら(ありがとうございました。)いろいろと楽しいオーディオ談義をさせていただいた。オーディオ談義をしながら、何故、
私が原本さんの音に憧れてしまうのかをずっと考えていた。使用している機械は、私はハイエンドオーディオといわれるカテゴリーのものが多く、原本さんのMcIntosh
システムはミドルヴィンテージというのだろうか。そこには共通点はあまり無い感じがするのだが、ひとつ、大きな共通点があるのを見いだすことができた。そ
れはあえていえば、音楽を聴くスタイル、とでもいうのだろうか。演奏者との心理的な距離感が近い感じがする、そういったサウンドイメージが似ている部分が
あるのかもしれないと、不遜ながら考えていた。

原本さん、素晴らしい演奏をありがとうございました。原本サウンドにはオーディオで音楽を聴くことの根源的な要素がいっぱい詰まっている感じがします。また、聴かせて下さい。


      2003.2.26 岡崎 俊哉

今の彼女とちょっと道に迷いながら歩いているところ、昔の彼女が現れて、「あなた達、馬鹿なことしてるのね」と面と向かって言われた気が致しました。「まいったなあ」と小さくつぶやいたのを、鹿野さんは聞き逃さず、「川崎さん、この音たまらないんでしょ? 川崎さんのシカゴの音はこんな感じがまだ少し残っていましたからね。川崎さんのアヴァロンらしくない音のルーツはここにあったんですね」なんとも鋭い。米国駐在の折、マッキンのXRT18とC40を持っていったものの、昨年、アイドロンとジェフを持って帰ってきた転向者は、この日、原本さんのXRT20とブルーグラス軍団に完全なる復讐を遂げられ、随喜の涙を浮かべてのたうち回ったのでした。本人としては、完全に宗旨変えしたのではなく、この原本サウンドの世界を欲する気持ちを今でも心のうちに隠し持っています。だからこそ、原本さんの音には参りました。この音は「禁断の音」です。聴いてはいけない音。さらに私流に言えば、「欲望全開の音」です。マッキンの真骨頂であるズーンと地獄の底から届く重低音を見事に支配し、どこまでも優しい天使のような高域と、熱い熱い灼熱の中域が湯気を立てて目の前で展開する有り様は、もちろん、私には逆立ちしても出しえなかった境地であり、原本さんの力量を見せつけられました。熱が出る。聴いてはいけない! ああ、でもまた聴きたい! 今すぐにでも! 原本さん、本当にありがとうございました。
3月30日 川崎一彦


EE,W&Fのライヴを収録したCDといえば、写真下の2枚(Gratitude、Live In Valfare)しかないと思っていたら上の2枚のような驚くべきライブ録音が存在した

どちらもエンジニアはジョージ・マッセンバーグ


E,W&Fの全盛期ともいうべき'75年から'80年のライヴをおさめた録音だが、

2003年6月5日の厚木邸訪問以来、“LIVE IN RIO”を、アンプのボリュウム位置にして以前よりも3ステップくらい大きめの音量で聴くようになった

「音量が上がった? それは嬉しいねえ」(キラー店長談)


『熱情』
憧れというものを想うとき、人に抱く思い、モノに抱く思い、場所に抱く思い、いろいろな思いがあり、そのどれもが人には大切な思いである。
オーディオの世界に身を置いていると、そんな憧れが後をたたない。モノはさておき、一度はその人に会い、そのサンクチュアリを訪れ、音を聴かせていただきたい、そんなオーディオファイルが確かに存在する。中でもこのHPに登場する『楽しいオーディオにはまった』みなさんは格別である。

人の出会いとは不思議なもので、単なる憧れでしかなかったそんな思いが、ある日突然現実となって目の前に現れる。原本さんとの出会いは憧れが突然現実になる、まさにそんな出会いであった。出会った翌日にデートの申し込みをするかのごとき暴挙にでた男を、原本さんはただ微笑んで歓迎してくれた。

はじめて訪れる原本さんのサンクチュアリは予想以上に「広い」と感じた。何より外界から遮断された文字通り聖域の風格に、音を聴く前から圧倒され胸が高鳴る。それにしてもこれほど大切に扱われている装置にはお目にかかったことがない。病的な潔癖症のようなイメージではもちろんなく、そこにあるのは装置に対する愛情であり、それを生み出した機器の向こうにいる人々への尊敬の念ではなかったか。

原本さんが最初に演奏してくれたのは岩崎宏美の『ディアフレンズ』から「恋に落ちて」であった。私も大好きな曲であり、自分の演奏にもいささかの自信のある曲でもある。原本さんの歓迎のあいさつがわりとの想いも伝わり、目を閉じ演奏を待つ。

ピアノのイントロが流れ出した瞬間、芳醇なその響きに驚愕し、つづくペダリングの仕草まで克明に描く描写力に舌を巻く。「もしもお願いが叶うなら・・・」宏美さんが歌い出し、そして思考はここで停止する。後はこの素晴らしい演奏に釘付けとなった。

オーディオ装置の再生する低域は量感を出せば濁り、スピードを出せば痩せ、甚だ御しがたい悪女のごときものというのが私のイメージであり、そのバランス点の見出し方が流儀であると思っている。日ごろ自分は低音が嫌いあると公言する男は、原本さんの繰り出す量感とスピードを兼ね備え濁りがなく、特にその深みにおいてスピーカと言う存在の鳴らすものとは思えない見事にコントロールされた低音に一撃で参ってしまった。

次々と原本さんは得意のレパートリーを繰り出してくる。ジャズもクラシックもロックもどれもがゆるぎない低域にささえられ、それでいて繊細感、透明感といったディティールの表現にも隙がない。強さとやさしさを感じさせながら、音楽が本当に楽しく伝わってくる。中でも男性ボーカルの強さの表現が印象に残る。女性ボーカル好きな私のためにテレサテンや松田聖子などの曲も披露してくれた。私はただうっとりするしかしかなった。

邪魔だけど音のためにどかせないCD達、中身まで吟味されているQRD代わりの洋服タンスなど、一見、オーディオチューンとは無縁の空間に見える原本さんのサンクチュアリは、実はいたるところ音を確認しつつ行ったルームチューンの万華鏡のような空間であることを原本さんご自身からうかがった。ただ、漫然と置いてあるものなどこの空間には存在しないのであろう。

音を捉える距離感の掴み方は「寄りの美学」を感じた。もちろん、どんな音楽でも自然な距離感がキープされており、原本さんほどの使い手ならば当然である。大いなるパッションを感じさせるそのサウンドの影には、成し遂げる意思の強さを感じた。思えば叶う、というほど単純なものでないことは明らかであるが、思いなくして到達できない世界、そこが原本さんのサンクチュアリなのである。

自分のサウンドと照らしあわせ、表現力の違いを痛感すると同時に、それは決して装置のいたらなさではなく、自分の使いこなしのいたらなさであることも原本さんのサウンドから教えてもらった。

原本さん、熱情にあふれた演奏、そして勇気をありがとうございます。

     2003年6月21日   岩元 光貴

 Photo by K.Haramoto  2004.9.6

 

昨日は大変お世話になりました。長時間にわたり原本さんの音をたっぷりと堪能させて頂き至福の時間を過ごすことができました。何だかとてもリラックスしてしまい、大変居心地のいい空間で時の経つのを忘れてしまいました。私事で恐縮しますが、私は実は大のヘビースモーカー(チェーンスモーカーともいいますが)で、30分も煙草を吸わないとイライラする程のニコチン中毒者なのですが、昨日は気がついてみたら6時間余りも煙草のことを忘れてしまっていたほどに、音にそして音楽に没頭しておりました。
原本さんの音を聴かせて頂きながら思ったこと、高解像度、情報量の多さだけでは音楽は楽しめない、14ビットのマッキンのCDP、MCD7000が雄弁に語ってくれました。例えて言うならば絹やナイロンのようなツルンとした音ではなく、木綿布のような温もりのある肌触りの音でした。音楽の一番おいしいところを「さあどうぞ」と抽出してくれているように思いました。
そして何と言いましてもコンプリートマッキンの醸し出す裾の広がった自然な音に魅了されてしまいました。深々とした低域に支えられ、その土台の上に緻密に絡み合った一音一音がしっかりとスクラムを組んでいる精密な音でした。心が浮き浮きして音楽そのものをたっぷりと楽しめました。普段クラッシック音楽に馴染みのない私ですが、ドラティ指揮、ロンドン・シンフォニー・オーケストラの「火の鳥」のSACDリマスター盤は、生音よりもリアリティがあり、その自然な響きと心を鷲掴みするような迫力に鳥肌が立ってしまいました。これには正直なところ参りました。
聴き疲れしない音というのは、往々にして去勢されたような覇気のない音になりがちですが、原本さんの音はそれとは似て非なるエモーショナルでいて、しかしながらこれ見よがしなハッタリのない「本物の音」=いつまでも聴いていたくなる音でした。音に原本さんの情熱が憑依したかのような心を揺さぶる音でした。
素晴らしい音を聴かせて頂き本当にありがとうございました。私も最近低迷していささか方向性を見失っておりましたが、また新たな刺激を頂き、むくむくと自分の音の追求をしてみたくなりました。
お時間ができたら是非高円寺ツアーにいらして下さい。私も安西さんも首を長くしてお待ちしております。それではまたお会いする日を楽しみにしております。ありがとうございました。     
             2005年1月15日   是佐 周



 楽しいオーディオにはまった人々の欲深な記録