私の夢のセカンド・システム

・メインシステムは、GOTOユニットを中心にした4WAYのマルチアンプ・システム。宇多田ヒカルからジャズ、ロック、クラシックまで聴きまくるため、幅広 いジャンルに対応できるよう複雑なものになってしまいました。だから架空のセカンド・システムはバイオリンしか聴かない、それも無伴奏、単一目的の贅沢なシステムを考えました。

SP ソナス・ファベール ガルネリ・オマージュ
AMP  ユニゾン・リサーチの845シングル
     NAGRAのプリ・アンプ
LP   LINN  LP12

今はLPをほとんど持っていないけれどバッハの無伴奏ソナタのLPを全部コレクションして聴き続けたい。あとイザイとパガニーニも・・・・かな。


山本様

小林悟朗です。
山本さんのHPという予備知識があったおかげでステレオサウンド132号の訪問記を立体的に(まさにステレオで)楽しめました。柳沢和男さん・・・・凄いですね。ひたすら感心しました。ううっ音が聴きたい・・・・。

架空のセカンド・システムのページがその後増えてない模様なので、投稿いたします。一応書いて下さいとあったような気がするので現在のメインシステムも書いておきます。これは、HPにはのせないでね。大げさでちょっと恥ずかしいんです。

という小林悟朗さんは「STEREO SOUND」第126号のレコード演奏家訪問に登場しているので、そちらも是非ご覧下さい。その時と現在では部屋も機器も大幅に変化していて、正にこの(変化に追従する)ところがStudioK'sHPのオーディオページならではなので、ちょっと無理を言って載せさせてもらいました。許して下さい。(山本)

メインシステム

低音 AURA1808(18インチ・ウーファー)
中低音以上はGOTOユニットの4WAY・マルチ
CD  P−0
コントロールAMP DC−300 
          DG28
          AUDIO PALETTE
チャンネル・デバイダー  F25
パワー・アンプ  P1000(低音)
       A 20 ×3台(中低音以上)


>DG28 とAUDIO PALETTEの両方を持っているあたりがちょっと欲深かなあ。(山本)

やっぱりそう思うでしょ。それに一つ一つの機械が定価では高額なのが恥ずかしいです。
パッレットは中古で30万円で手に入れました・・・とか、いちいち解説するのもめんどうくさいし(苦笑)
さらにDC300のトーン・コントロールもフルに使っているんですよ。
確かに実際に使っているところを見ていただかないとわからないかもしれないのですが、
DG28とPALETTEは用途が全く異なっています。
後者が普通の意味でのコントロール・アンプになっております。

メールでこんなやりとりをした数日後、お目にかかったときもこの話題になり、小林さんから以下の説明を受けた

「アンプ類は全部アキュフェーズなので、当然アキュフェーズの音になる、ここに一つPALETTEが入る事により音が変化する(CELLOの音が加わる)ので、PALETTEが必要」「それに、ここんとこの音をちょっと持ち上げたいなあ、グリッっていう感じでダイレクトにコントロールするには、PALETTEが圧倒的に便利」なのだという説明を受けてすごくよく納得した。

やはりよくわかっていらっしゃるという感じがした。(山本)


1999年10月2日 小林さんから招待を受けて、山本・富田・高野の3人が小林家のサウンドを体験した。午後から音楽をきかせてもらい、近所のファミリーレストランに場所を移し、夜遅くまでオーディオ談義に花を咲かせた。

GOTOユニットには強い思い出がある。もう20年以上前に巣鴨の「ロイヤルオーディオ」で何度も試聴をさせてもらい、「いつかはGOTOの4Wayを所有しよう」と思っていた。あの時色々な事情が許してGOTOユニットを手に入れていたら僕も小林さんと同じ道を歩んでいたかも知れない。小林サウンドはスケールが大きくて生々しい再生音が魅力だった。そして、「何も捨てず、ひどく突出もさせず、しかし鮮度があり、且つ円満でもある」という大人のサウンドだった。多分、こういうまともさは他人には分からない色々な苦労があり、それを丹念に解決してきた結果なのだろう。クオードの63proもきかせてもらったが、「10万円で買って、置いただけでちゃんと鳴るのっていいなあ」「それに比べてメインのシステムは手がかかるしカタチもすごいし、でも別れる事は出来ない」って思っているのではないかなあ。(山本)

音楽が盛り上がっていく熱気、生命力というものを強く感じ、惹き付けられました。

中低域から中域にかけての力のある音の出方も素晴らしかったです。
ピアノの音も聴いたことのなかった世界でした。カンカンコンコンといったメタリック!?に響く音がしています。耳慣れたオーディオ再生音とは異なりますが、考えると実際のピアノ演奏では馴染みがある音です。富田さんいわくピアノのフレームの音だそうですが..すごいです。ピアノ再生模索中の私は増々どう鳴らすべきか悩んでしまいます。今回は全て小林さんの選曲で聴かせて頂き魅力的なホーンの音を堪能しましたが、逆に、冴えざえとしたクールな音、例えばミケランジェリのドビュッシーなどはどう鳴るのか、今思うと興味のあるところです。(高野)

精神が肉体を活気づけるという事実はどうして起きるのかについて、ぼくは理解はしていない。さらにオーディオという物質が、生命に影響を与える事実もまた神秘的である。
小林悟郎氏の鳴らすオーディオを聴いて、ぼくの精神は間違いなく活性化した。なぜといわれてもうまく答えられないし、学者からその答えを聞いたとしても納得はしないだろう。そのときに再生されていた音響が、ぼくの心のどこかを刺激したと言うしかなく、スピーカーの佇まいが、生命ある物質であるかのように迫っていたという感覚の記憶だけが、鮮やかに残っているだけだ。
実際、氏の組み上げたオーディオ装置の音は、有機的な暖かさを持ち、無機的な物質の突き放された冷たさは微塵も感じさせない。再生音楽に生命を宿らせられるのは、オーナーの情熱以外にないことを痛感させれただただ聴き惚れるばかりだった。(富田)


「小林宅へ行って、きかせてもらってきましたよ」(厚木)
「僕が言ったとおりだったでしょ? で、厚木さんの感想はどうです?」(山本)
「あの組み合わせでこういう音が出るのか、やっぱり小林さんの音なんだという感じがしたねえ。一言で言うと非常にクールだった」
「でもさあ、スケール感も充分だし、音も立ってるし、エネルギー感も熱さも感じられる中でのクールさでしょ?」
「それは、もちろんそうですね。コントロールアンプをDC330に変えたばかりだったので、チェロのパレットが入っていない状態だったから、まだ調整段階だって言ってたけど、やっぱり音っていうのは体験してみないとわからないもんです」
「とにかく、キャリアが違うって言うのか、使い手の意志でコントロールが出来ていて、その人の音になっているってのが良くわかったよね」
「そのあたりの、ピーク&ディップがなく押さえ込んでいるところが、厚木さんにはクールだと感じられたんですかね」
「野放図な面は皆無だし、小林さんの管理下で計算されていて、演奏のまっただ中にいるというよりは、離れてながめているような感じはありますよね」
「厚木さんは激辛が好きなんでしょ」って、僕のために小林さんにしては激辛のCDをかけてくれたんだけどね。
「で、激辛だった?」
「激辛? どこが?」って感じかな。
「がはは、小林悟朗さんも厚木さんちには近寄らない方がいいかもね」
   2000年3月13日 僕の誕生日の会話でした。(山本)


小林悟朗氏の音                 岡崎俊哉

小林悟朗氏の音は私にとってすれ違いの音である。過去に2回聴かせていただいたのだが、いずれのときもタイミングが悪く新しい機器の導入直後で(1回目の時などデジタルチャンデバが届いた当日であった。)小林氏の音はよくわからない状態であった。ただ、いずれの訪問の時でも、その音楽のプロとして姿勢は真摯なものであり、単なる趣味でオーディオや音楽を楽しんでいるお気楽な私とは違う凄味の気配を感じさせられていた。そして今回、小林氏からゴトウユニットの4ウェイマルチが、アキュフェーズのデジタルチャンデバDF-35でオールデジタルで接続され、そしてその調整がかなり進行したので聴きに来ませんかというお誘いを受けた。非常に楽しみに(そして少しの緊張感を持って)小林氏宅を訪問させていただいた。ホーンシステムにおける4ウェイマルチというのは考えてみるととても複雑なシステムで、とうてい一筋縄でいくような代物ではない。小林氏はそこにどんな魔法をかけたのであろうか。1曲目の合唱曲がスーッと鳴り出したとたんそこにはただ音楽が存在するだけになった。オーディオ的な各要素が高いレベルで調和した音で、非常に端正な音である。むしろ、その音の普通さに以前も感じた凄味を感じた。また、氏の調整するボリュームレベルが絶妙で、確かにコンサート会場で聴くとこれくらいだろうという場所にぴたりとあわせられる、それは大きくも小さくもない音である。
クラッシックからJ-pop、ジャズボーカルまでいろいろな曲を聴かせていただきあっという間に3時間がたった。どんなジャンルに対してもその適応力は抜群で、小林氏の懐の深さを感じさせられる音だった。今回聴かせていただいて初めて小林悟朗氏がどんな人であるのかわかったような気がした。音楽のプロとしての冷静さとオーディオファイルとしての情熱の間に小林氏の音は存在すると考える。
久しぶりにまいりましたという音を聴かせていただいた。私の中でいい音の引き出しを新たに一つ付け加えることができた。また聴かせてください。よろしくお願いします。

小林悟朗さんの音         柳澤和男
うーん筆が重い、いやキーボードを押す指だ!!どう書けばいい!どこぞのアマチュアの音を書くのではない。相手は、日本を代表する音楽番組プロデューサーなのだ。勿論彼の音は何度か聴いているので大体、わかっていたつもりだったのだが、今回聴かせて頂いた音はハッキリ云って予想をはるかに超えるものだった。教会音楽では合唱のひとりひとりの口の大きさと高さがきれいに浮かぶ。弦楽四重奏ではデジタルとしては、白眉と云っていい程しなやかで歪みっぽさが、まるで感じられない。かといって色のついた美音とも違う、私の家のきったはったのヤクザな音とは大違い。泥臭さは、微塵もない。端正だがクールなわけでもない。私の音が暴れる「分かりやすい」赤い火なら彼の音は揺るがぬ青い火、温度は彼の方が熱いのかも。しかしホーンだらけの4ウェイspがあれほど、いくらデジタルタイムアラインメントを器械でとったとしても、ピタリと合わせられるのだろうか。凄い集中力、彼が子供の頃から楽器の英才教育を受けていたのとは、無縁ではないのだろう。彼は覚えているだろうか?彼と私は、同年でライバル中学、そこでは、全員皇居で雅楽を聴かされる。最初の一音を聴いただけで頭に浮かんだ記憶、さすがに音楽でメシをくうプロの音。それから3人で食事をしながらオーディオについて熱く語り合ったのでありました。

帰りの車で岡崎さんと正直云って本当に久しぶりにS先生の所で聴かせて頂いて以来ステップアップへのヒントを貰ったように思う。

PS,小林さんへ。ぜひ今度は、原本さんと私のヤクザなサウンドも聴きに来て下さい。

                                              2001.11


変身

                 岡崎俊哉

暑い暑い日だった。外に出て立っているだけで日差しは脳天をじりじりと焼き、
汗が噴き出す感じだった。暑さのため頭はくらくらしていたが、きっとそのせい
ではない、小林氏の音には確実な変身があった。

小林邸を最後に訪問したのは昨年の11月のことだった。あれからもう8ヶ月が
経っていた。その時の音は以前に書いたように、音楽のプロとしての冷静さとオー
ディオファイルとしての情熱の間に存在すると思っていた。ゴトウユニットから
放たれた音は適度なスピード感でリスナーに到達する、それは雄弁でもなく寡黙
でもなくまさに必要にして十分な音である。そういう音が小林さんの音であると
思っていたし、そういう音楽の聴き方が小林さんの聴き方だと思っていた。

しかし、今回聴かせていただいた音は少々違っていた。何が違っていたかという
と、音楽との関係がより親密で、懇ろな感じであったのだ。これは2つの意味で
私にとっては驚きだった。1つは小林さんがああいう音楽の聴き方をするという
こと、そして小林さんでも音が大きく変化していくことがある、ということであ
る。前回の音で、小林さんはこんな感じの人で、小林さんの音はこんな感じの音
と思っていたが、今回はまったくいい意味で裏切られた。小林さんの音楽に対す
る情熱とその知識の該博さはよくわかっていたが、あんな感じで音楽を楽しんで
いるとは思わなかった。小林邸の二階には秘密のリスニングルームがあり、そこ
で夜な夜な楽しまれている音はああいう音なのだろうか?もしそうなのだとした
ら、After hoursの一端を垣間見れたようで妙にうれしい。

オーディオはやはり人だし、その人も変化し音も変身していく。定期的に小林さ
んのような極悪人の音を聴かせていただくのは極悪人丁稚奉公中の私にとっては
とても貴重な体験である。小林さん、極悪人総代表の肩書きはお譲りしますので
また何かのおりには呼んでください。総代表のご命令なら直ちに駆けつけます。

さて、ここからはプライベートな話しなのですが、最近どうもいろいろな意味で
スランプに陥っている私には、ギル シャハムとアバドの演奏は深く心に染み入
る物がありました。音楽は深く心のひだに入り込んで人をなぐさめてくれる、普
段は当たり前のように思っていることをしみじみと感じました。あの演奏を聴け
たことで本当に伺って良かったと思っています。そして私もまたオーディオを少
しずつ再開しようかと思っています。

今回、極悪人代表のお誘いを受け、初めて小林邸を訪れることが
できました。小林さんはネット上でも様々に活動されていますから
お伺いする前に、僕の頭の中にはかなり明確な音に対するイメージ
が出来上がっておりました。正直に告白しますと、それはかなり
ネガティヴなものでした。

1.エレクトロニクスは全部A社だから、中高域に独特のツヤがある
のでは?

2.マルチウェイ・ホーンシステムだから、特有の(空き瓶を吹くような
(ボーボーいう)癖があるのじゃないか?

僕の世代(現在34歳)は最後のアナログLP世代であり、またオーディオ
が華やかだった時代を知る最後の世代だとは思うのですが、実際の
話し、リアルタイムでこうしたホーンシステムをじっくり聴いたことも皆無
ではないものの、経験豊富とは言い切れませんし、調整不足のシステムを
何度か聴いた体験により、自分の中に、こうしたシステムを否定する気持ち
があったことは事実です。過去に聴いた某オーディオ店オリジナルの
4ウェイホーンシステムはそれはひどい音でした。

実際、1曲目の演奏がはじまった直後には、上記した癖が感じられ
音楽に入り込むことが出来ないかと思ったのですが・・・・・・・・・・・。

先入観を持って、その部分だけを集中して聴けば、確かにそうかな?
という程度のものでした。なによりその他の部分があまりに魅力的なので、
些細な疑問など気にならなくなってしまったのです。

聴き進むうちに耳がお部屋の響きに慣れてきますと、その音像の佇まいが
ひじょうに魅力的なことに、まず気がつきました。全くスピーカーに音像が
まとわりつくことなく、等身大の音像が安定して、まさに”そこにある”のです。
これは一体どうしたことかと思っていますと、これまた極悪人の柳沢さんが
「このスピーカーから出ている音とは思えないでしょう。」と囁くものですから
僕はただ頷くことしかできませんでした。

氏のサウンドは、スムーズで、しなやかで、軽やかで、かつ情熱的で、
しかし押しつけがましさがなく・・・、と並べ上げればキリがないほどです。
その上で音の浸透力が凄いのです。それはちょうど僕自身の目指す音の
方向性を確認させていただいた思いでした。

特にピアノの演奏については過去聴いたどこよりも魅力的であり、小林
さんの楽器に対する造詣の深さの一端をかいま見た思いがいたしました。

小林さんの音を聴かせていただいて、自分自身まだまだ経験不足を
痛感いたしました。それと同時に、いままで聴かせていただいた、どの
お宅よりも驚きと発見がありました。また機会がありましたらお誘いください。

確かにスピーカーは設計思想がそのまま”姿形”になりますが、使い手の
スキルと情熱によって、化けるものだとあらためて思いました。
スピーカーというのは、単なる変換器ではないのですね。スピーカーは生き物
のようでもあり、使い手が自身で枠をはめない限り、どこまでも成長していくもの
のようです。

こうなりますと、さらなる猛者のサウンドも聴いてみたい衝動に駆られます。

               佐藤 和浩

小林邸を訪れるのは、これで4、5回目、だろうか。これだけ行けば大体その人のサ
ウンドスタイルやポリシーのようなものが見えて、だいたい予想の範囲内なのだが
(少なくとも今まで出会った人々はすべてそうだったし彼の音もその延長線にあった)
今回の小林サウンドは私に
とって、その外側だったように思う。前回彼の音をは揺るがぬ青い火と形容したのだ
がどうやら少し変えねばならない。相変わらずデジタル臭さは微塵も感じさせない、
クールな部分は影を潜め、というよりむしろ、暖かく高密度の中低音にささえられた
上質の中高音。特にピアノの音はこれまで聴いた最上の音か?目をつぶって聴けば絶
対に4ウェイホーンとは判らないだろう。いきなりこれ程の変身をされるとこちらの
ほうが動揺してしまう。小林さんなんかあったの?本人はいたってクールに対応して
るのだが、、、。特にウーファーのならしかたがいままでとちがう。少し解像度指向
のように思えた。つまり温度感は暖かめでなおかつ解像度も出してきているのだ。大
抵の場合解像度をとるとクールになり易く、温度感を暖かめにとると解像度が出ない
ものなのだが、氏はその絶妙のバランス感覚でその二つを両立させている。今までの
音からひとつブレイクスルーしつつあるのかもしれない。    
ただまだ少し迷いの中に居る様に感じたのはぼくだけなのだろうか?それともspのド
ライバーの振動板を交換したのも影響しているのだろうか?わからない。
ただひとつ言えるのは彼の音楽に対する情熱がひしひしと感じられやっぱりプロのふ
た文字を思い浮かべさせられてしまった音、いや音楽であった。

           ヤナギサワ カズオ


小林悟朗サウンドのヒミツ

小林悟朗さんの音をしみじみ聞かせていただきました。まずはピアノの自然な鳴り方
に一発でやられました。次にあれだけ発音面積の大きな4ウェイでありながら、まる
でフルレンジスピーカーのようなシャープなフォーカスにたまげました。そして
224Hzから1000Hzという音の骨格の大部分を一人で受け持つゴトーのドライバーとYL
のウッドホーンの自然さにうならされました。

さてはDG38が相当にホーンの領域で活躍しているなと踏んだのですが、DG38は部屋の
低域のウネリをなくすために使っているのが主で、ホーンの領域はほとんどいじって
いないのにはまた驚きました。

アキュフェーズのアンプにデジタルチャンデバ、デジタルグライコとなると、お聞か
せいただく前は、どうしてもデジタルくさい無機的な音のイメージがあったのは確か
ですが、これは全くのはずれでした。あれだけのデジタル機器群を使ってまったく自
然な音を創造しているのが小林さんでした。

次に、5.1チャンネルを聞かせていただきましたが、これもまた魔法にかけられたよ
うな気分です。2チャンネルに比して、けっして贅沢とは言えないスピーカーを使っ
てあんなに自然な立体感が出てくるのには驚きました。小生も以前ヤマハのDSPシス
テムのはしり、CX10000を使い、もう二度とこんなものやらないと思ったことがあり
ますが、今日の経験はその古傷を癒すには十分でした。これをやらないのはこの時代
に生まれてきた利点を享受しないことになります。あれこれと5.1チャンネルの構想
を練りながら帰ってきました。

2チャンネルの自然なシステムと摩訶不思議な5.1チャンネルシステムの素晴らしさの
ヒミツは、デジタルによる時間の調整と言うことに尽きるのではないかと思います。
あれだけ複雑なシステムでありながらシャープなフォーカスの2チャンネルはデジタ
ルチャンデバを使った時間の調整がミソだと思います。同じことは5.1チャンネルに
も言えて、センターとリアのジェネレックスのパワードスピーカーを巧妙な時間差を
つけて鳴らしていることがあの自然さにつながっているのだと思います。

デジタルの進化は、ついにアナログ以上の自然な領域にデジタルオーディオを進化さ
せたという事実を認めないわけにはいかない一日でした。

小林悟朗さんの長い音楽経験に基づく優れた耳と、長いオーディオ経験に裏付けられ
た深い知識が、あの音には凝縮されていました。今夜はちょっと自分のシステムに火
を入れる気がしませんが、同時に自分のシステムのブレークスルーの予感も感じてい
ます。

2003年1月25日 永瀬宗重

驚異の映像から入り、5.1chを体験し、いよいよマルチホーンの2chの登場です。私は背筋を伸ばしました。映像と同じく見事にフォーカスの合った音像がすっと現れました。私流では、このような音、音の出方、を「音が立っている」と表現しています。「音が生きている」と道義かも知れません。そうであれば、音楽が自然に身体に流れ込んできて、感情をダイレクトに刺激するのです。実は、これは予想外のことでしたが、小林さんの2chの音には全く違和感を覚えませんでした。鳴り出した瞬間に、ああ、私の好きな音だ、と感じたのです。高域がどう、とか、定位がどう、とかいう問題ではなく、ただただ、良いと思うわけです。めったにないことで、違和感がないことに違和感を覚えるという奇妙な状態でした。これは、私と小林さんの音が似ているということではなく、むしろかなり異なるのでしょうが、私が音楽を聴く時に、選択して聴きとっているであろう要素の全てが、小林さんのシステムからは何の障害もなく聴き取れたためだと思います。ホーンであることにも理由はありそうです。反応の俊敏さ、切れ込みの良さに私はおおいに惹かれます。小林さんは「音楽の起伏がうまく出るかどうかを聴いている」と言われましたが、真にそのような音だと思いました。不肖、私もそのような音でありたい、と願っており、その意味で、小林さんの2chの音は私の目標です。勉強になりました。ありがとうございました。
3月30日 川崎一彦


山本さんご無沙汰です。柳沢です。

久しぶりに小林さんのゴトーホーンサウンドを聴かせていただいたので感想を送ります。ここのところ、小林邸では、やれsacdだのマルチだのBSデジタルのAACマルチサウンドだのとメインチャンネルではなく、クォードをメイン、ジェネレックの小型パワードSPにサーロジックのスーパーウーファーを使った新しいテクノロジーによるサウンドばかり聴かせていただいて、またそれが非常に素晴らしくなんと不謹慎にも(いい加減後ろのスピーカーかたづけちゃえば)とあまりにも、マルチサウンドが、鳴り出していたので、大胆にも発言してしまったのだが、、、。やられた、完全にやられた。空腹なのにおあずけをさせられていたようにひたすら音楽だけをきかされた。かつて私はかれのサウンドを評して揺るがぬ青い火と形容したが、今回はとんでもない。クールで端正そして正確な彩り、なんとなく職業柄か、音楽を観察するように聴かせられていたのだが、音楽にたいしてあくまでも自然体の音、それがそのまま聞き手に飛んでくる。肩肘張った様なところがないので演奏者のパッションがそのままダイレクトにハートに響くのだ。具体的に書くとこうなる。ホーン臭さの排除、レンジの無理な確保、このSPでニュートラルでありつづけようとするコントロール彼にはそれが(今までに限っては不幸なことに)できてしまうのだ。しかし今回に限って?は違った。あえて誤解を恐れずに書けば、ホーン臭さを排除せず、レンジを欲張らず、あるがまま。全く相手を凹まそうとするような、気負いも殺気も感じられない。逆に不思議なことにそうすることによって、ホーン臭さもレンジの狭さも鳴らし訳も作為的に、全く感じさせないのだ。そこには淡々と音楽が鳴っているだけ。ボクシングでいうなら、いつ、どんなパンチが飛んでくるのか解らない。殺気がなくいきなり演奏者のパッションが聞き手に迫る。だからこそ聴き手はそれを受け止めざるを得ない!いつのまにか、リングに寝かされてていた。やはりプロを本気にさせると怖い。不遜な言い方だが、また一段階ブレイクスルーされてしまった感じ。くっそー、彼のメインSPでCD(めずらしく彼はこれがムターのバイオリンだよと言ってかけたのだ)をかける前の不敵な笑みはこれにあったのだ。

 
よし!こうなったら、こちらは物量作戦、なかぬなら鳴かせてみましょう我がT2!モンスターアンプの導入を急がなければ!4個体、重量400キロオーバーの怪物達(実はもう半分以上導入済みなのだが)に本領を発揮してもらわねば。電源の整備は勿論、純正のプリも用意した。まだまだ実験段階ではあるが、新しい設計のモンスターアンプ達は従来の様にとろさも、遅さも、鈍さも、全くと言っていいほどネガティブなものは感じさせないのだ!スピーカーのコーン紙を本当に驚くべき制動力でガッチリと掴んで動くべき時以外微動だにさせない。だからSNがグーンと上がって音場の見通しが別次元。重心もぐっと下がってリアルの一言。そこからの立ち上がりも半端じゃない。アマチュアがプロに対抗するには、これが一番。そんな心の内は彼にはとっくにお見通し、帰り際、彼の一言、、、。これで例のモンスターアンプ導入しかないでしょ!やっぱいくっきゃないかーーー。


2003.5.11

その日、東京は台風の影響で大荒れの天気だった。久しぶりにうかがうことになった小林邸、はたして波乱はあるのか。。。

先日、小林さんに久しぶりに我が家にお出でいただいた。SACD、CDを聴いていただいた後の和やかな夕食の席で、小林さんからめずらしくも宿題が課せられた。それは、スケール感、ダイナミックレンジ、リニアリティetcという要素であった。そして、その宿題を解決するためこの1週間、私としてはめずらしく3軒のお宅を行脚した。永瀬宗重氏、佐藤和浩氏、そして今回の小林悟朗氏である。永瀬さん、佐藤さんはオーディオの達人であり、そのサウンドに非常に感銘を受けた。そして、最後の訪問が小林さんのお宅なのだ。
いつものリビングルームにはQuadESL63がセッティングされていた。どうやら本
日はSACDマルチからスタートらしい。最近発売されるSACDはほとんどがSACD 2CH、SACDマルチ、CDが入っており、ということはどのような形式でSACDを演奏するかは使い手に委ねられているわけである。かたっぱしからソフトをかけていただいたのだが、、、今回はただ脱帽するしかない。マルチチャンネルであることを少しも感じさせない自然で静かなサウンド、まるでコンサート会場にいるかのような錯覚、どうしてあのようなマルチチャンネルの音が出るのか。
先日、富田さんのところでもSACDマルチを聴かせていただいた。小林さんのとこ
ろでも聴かせていただいて思ったことは、SACDマルチも使い手の感性によるところが大きいという当たり前の事実である。このお二人はSACDマルチの使い手としては間違いなく日本におけるトップランナーであると思うのだが、出てくる音はまるで違っている。そして、SACDマルチでも2CHに似た印象の音であるのはおもしろいことであると感じた。

さて、今回は2CHの方もじっくり聴かせていただいた。小林さんの名言に”商売女がいちいち感じていては身が持たない。”という凄いものがあるが、なるほど、プロは音楽と付き合うのに少し距離が無くてはいけないのかと思っていた。また、その距離のおかげで小林さんのゴトーホーンサウンドは虫眼鏡のように何でもよく観察できる。その分音楽へのアプローチの仕方は冷静で、欠点があればそれをを潰していくようなシステムへのアプローチの仕方である。ところが、前回音を聴かせていただいた頃からそれが微妙に違うのである。柳沢さんも同じような印象のことを書かれていたが、最近の小林サウンドはなんとなく小林さんの印象が透けて見えるのである。今回は前回に比較して透明感は変わらないのだが、彫りの深い音になったと感じた。また、私に課された宿題も模範解答をはっきりと聴かせていただいた。
小林さんは名うての極悪人ですが、そのような方に音を聴いていただき、また、
聴かせていただける、非常に幸せなことであると思います。これからも修行はまだまだ続くのでよろしくお願いします。とても大きな刺激をいただき、自分の中でふつふつと湧き上がるものがあります。そのうち成果として現れるのだと思っています。どのような形になるのかわかりませんが。。。というわけで、訪問以後またいろいろといじくり始めています。 2003.8.13 岡崎俊哉


台風が近づく9月20日、われわれ3人は某放送局音楽ディレクター、小林氏の家へ向かっていた。
東京郊外のT市、駅から乗ったタクシーの中、既にわれわれのテンションは高い。

「Yさん、今度結婚するんだって?」
「ありがとうございます。でも2度目なんですよね」
「2度目が一番いいんだよ」
「私の友人は4回結婚してます。離婚も4回ですけどね」
「やなせさんも2度目どうですか」
「じゃあまず、1度目を終わらせないと」

くだらない話に運転手さんも大笑いだ。ちゃんと前を見て運転してくださいね。

今日は「大貫妙子さんのヴィデオとオーディオの会」。
大貫妙子のソフトを中心に、小林氏の絵と音を体験させていただきに来た。

お迎えいただいた小林氏にご挨拶、おみやげの手渡し、お茶をお出しいただく、
といった訪問シークエンスの間も、われわれの目は落ち着かずに部屋の中の装置
を点検する。おおゴトーだクレデンザだESLだ子ジェネだ。

さっそく今日のテーマ「大貫妙子 イン アコースティックサウンド」を拝見す
る。1988年収録の、小林氏が演出された作品。限定発売だった名盤「ピュ
ア・アコースティック」の翌年、早くもこのような収録が行われていたことに驚
く。ラストの「突然の贈りもの」で涙ぐみそうになるが、まだ最初のソフトだ、
しっかりしなさい。

ここからしばらくの間、A&Vのソフトを見せていただく。シナトラの中途半端
なだみ声のどこがよいのか知らないけど、横でピアノを弾くベイシーのキュート
なこと。きいてすばらしいミュージシャンは、見ても同じようにすばらしい。
でもフルトベングラーの後ろ姿を見てそう思えないのは、私の修行不足だろう。
鬼塚ちひろを見てきれいだと思うのは簡単だけど。

120インチスクリーンを巻き上げ、5.1チャンネルのピュアオーディオに進
行。フロント左右がクォードESL63pro、フロントセンターとリア左右が
小さなジェネレック、サブウーハーはサーロジック。

なんだ何だなんだ。
これがクォードの音なのか。ビッグバンドが芳醇に鳴り響く。
これが混成スピーカー、それもコンデンサーと小型ダイナミックスピーカーによ
るマルチなのか。この自然さは一体なにごとだ。
歩き回って子ジェネの音をきく。盛大に鳴っているが、それがクォードと溶け
あっている。
「マルチは同じスピーカーで5チャンネルを組むのが基本」というのは、その方
がラクなのかも知れないけど、絶対そうじゃなきゃ駄目ってことでは全くないの
がわかる。腕は要るだろうけど。
さすがはマルチチャンネル普及委員会の首領の音だ。あとで調整の秘訣を教えて
いただいたが、長くなるのでここでは割愛。

おまけでクォードの2チャンネルによる柴草玲をきかせていただく。小林氏は柴
草玲普及委員会の首領でもある。クォードできくボーカルは暖かい。こういう音
をみんながきいていれば、犯罪なんて世の中から無くなるのではないか、という
気がしてくる。

休憩をかねてクレデンザをきく。クレデンザは、大型の蓄音機です。
電気を使わず、針の振動を機械的に増幅して音楽を鳴らす。
機械吹き込みによるSPの、淡谷のり子の声の浸透力には、
オーディオの進歩とは一体何なのだろうかと考えさせられる。

そしていよいよゴトーユニット&YLホーン。ゴトーをきくのは初めてだ。
ホーン臭さは全くない。逆に言えば、ホーンのよさのひとつと言われている、リ
ムショットが空をきって飛んでくるようなところもない。

すべての音は力み無く、軽々と、自然な形で提示される。

よけいな音はしない。ピアノの音はピアノの音しかしない。雑味は注意ぶかく選
り分けられている。不足するものもないのであろう、ピアノはその形を持つ。

小林氏は「音楽は目に見えないっていうのをわかることが大切」と言う。
しかしここでは音楽が目に見える。
120インチのスクリーンに映る映像と同じ大きさでサウンドステージが構築さ
れ、その中にオーケストラがいる。各楽器はそれぞれ然るべき大きさを与えら
れ、然るべき位置で旋律を奏でる。
ディースカウもそこにいるし、シェリル・クロウもそこにいる。

そして音ではない、「音楽」が見えるのだ。音楽で構築されたこれは映像、いや造形か。

氏が映像による音楽作品を作ることを仕事とされている、そのこととこれは無関
係ではないであろう。しかしこうした表現を想起し、実現することはどのように
可能となるのか。

最後の1曲、今日のテーマに戻って大貫妙子の「新しいシャツ」をききながら、
これまで知らなかったもの、全く新しい世界を経験させていただいた、そのこと
を強く感じていた。


さて、このお話はこれで終わりますが、小林邸で発見したのはそのサウンドやビ
ジュアルだけではないのでした。そこには、もしかしたらもっと凄いのかも知れ
ない、もう一つのものがありました。
それは何か。
そう、ソフトです。
山本さん、それについてまた書くことができましたら、載せてくださいね。

           2003.9          柳瀬俊也

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楽しいオーディオにはまった人々の欲深な記録