第一章 違いのわかる男
日本の本社から派遣されて来たH君。僕の仕事部屋にやって来て、仕事の話と思いきや、「川崎さん、オーディオに詳しいそうですけど、シカゴでは何を買ったら良いんですか?」
「どのくらいのレベルのやつ?」
「とりあえず総額で$1,000くらいでしょうか」
「それだったら、ベストバイやサーキットシティとかの量販店で聴いてきたらいいよ」

1週間後、「行ってきました。いやー、値段が高い方が音が良いんですねえ」
来た来た! こういう人を待ってたんです! やっぱり「違いの分かる男」じゃなきゃね。「じゃあ、もっと気合の入った音を聞こうか。まず、君の上司M田さんの家。今週末のホームパーティに僕も君も招待されてる。それから、僕の家にもおいで。こんな下らないことにお金使いたいなら歓迎する。一緒に地獄に行こう」

彼の上司であるM田さんには私のマッキントッシュのXRT18RS(150万円)を破格の値段でお譲りしたのです。その際、クラッセのCAP101プリメインアンプ($1,500)とNADのCDプレーヤー($300)も安く探して買いました。この組合せではXRT18RSが気の毒ですが、頂いた予算がきつかったんです。それでも16個のツイーター、15センチスコーカー、及び30センチ強力ウーハーで臨場感あふれる音が楽しめます。M田邸で高級ワインをふるまわれ、「いやー、スピーカーが大きい! 低音が凄いし、包みこまれる感じです」とH君は上機嫌です。「だろう? でも、M田さんは全部で$3,000も出してないんだよ。ちょっと安く売り過ぎたな」「えー、そうなんですか? よし、僕は$5,000は使います」「よし、いいぞ! だったら今度一緒にオーディオ専門店に行こう」

H君は一晩で予算を5倍に引き上げました。あっぱれ。これで随分と選択肢が広がります。M田さんの場合は、私のスピーカーを買い、残り予算$1,500でアンプとCDプレーヤーを探して欲しい、というリクエストでした。オーディオを全く知らない人は、私に予算を渡して「好きに選んでね」となるのが普通なんですが、H君は違いました。自分で聴いて選びたい、と殊勝な心意気を見せてくれたんです。独身の28歳でシカゴでの休日なんて、どうせ暇でしょうしねえ。「じゃあ、勉強して」と、私は日本、米国、英国のオーディオ誌を何冊か彼に手渡しました。

「総額5,000ドルならスピーカーは定価$3,000が上限かな。アンプとCDPで$2,000だね」米国では店頭で新品を買う場合、だいたい5〜7%引きまでです。値引きなしのブランドもあり、大幅値引き当然の日本とはずいぶん異なります。州の消費税が約6〜8%(地区によって異なる)も付くので、中古で買わない限りは、5,000の予算は$5,000と考えた方が良い訳です。もちろん、米国製品なら日本よりお得な価格なんですけど。

「中古という手もある。インターネットではものすごい数が個人やお店からオファーされているよ。ただ、中古は良い品が安く手に入る可能性がある反面、トラブルもある。その点、店から買うのは確実だし、アフターケアも期待できる。グレードアップの際に特別高く下取りしてくれるお店も多い。それに何と言っても、製品を気軽に貸し出してくれるからホームオーディション(家での試聴)が可能だ」
「なるほど。僕は初心者ですから、お店から買った方がよさそうですね」
「でも、米国の販売店の難点は、取り扱う製品が少ないこと。米国のメーカーはお店が真っ向から競合する他のメーカーの製品を取り扱うのを嫌う。メーカーは販売店に顧客への積極的アプローチを期待しているんだよ。興味ある製品を一堂に比較試聴できないのは残念だけど、お店自慢の試聴室で、推薦機種を納得の行くまで聴き込む環境は整っている。$3,000クラスの推薦スピーカーを聴けるよう僕の懇意のお店に電話しておくよ」

  第二章 試聴その1 クインテッセンスオーディオ 
私はクインテッセンスオーディオの店員であり友人でもあるブライアンに電話しました。「僕の友達が今度システムを組むことになったよ。お薦めは?」「予算はいくらかな?」「全部で$5,000らしい」「了解、じゃあ土曜日の午後に、準備して待ってるよ」

ブライアンは一流私立大学に通いながらお店で働く気持ちの良い若者です。仕事の鬼で、デートの最中に夜の9時ごろ私の家に来て、彼女を車の助手席に待たせ、「このケーブル、凄いからぜひ聞いて欲しい」なんてことをします。最近愛車をホンダのデルソルからアウディのA6に換えたあたり、良家のボンボンでしょう。ちなみに彼の所有システムは、英国エクスポージャーのCDPとセパレートアンプに、英国ニートのスピーカーです。アナログ狂で、レガのP9、ダイナベクターのXX-1カートリッジにエクスポージャー社のフォノイコを使用中。ジャズファン。LPは3000枚。元この店の顧客で、店主のミックに気に入られ、バイトを変わったのだそう。全米のオーディオフェアを飛び回っています。

さて、当日、自宅から車で35分、何の変哲もない平屋の建物が見えてきました。駐車スペースは10台分ほどもありますが、いつもお客は2、3人といったところです。でも、そうでなければやってられません。基本的にブライアンともう一人の2名の店員とミックで対応していて、店主のミックはもう一つの店舗に出向くことが多く、ブライアンはいつも電話とお客の対応でてんてこ舞いです。

お店に入るとガラス棚のカウンター、右手には3つの試聴室が並んでいます。2つはピュアオーディオ用、1つはホームシアター用です。このお店の二つの試聴室の音は相当なレベルです。どちらも30畳ほどの空間をASC社の音響調整グッズで仕上げてあり、ややデッドですが、機器の能力、特に音場情報再生能力は最大限に発揮されます。実際、ここでアヴァロン社のアイドロンをスペクトラル社のアンプとMIT社のケーブルで試聴したときは、3D効果で度肝を抜かれました。米国ハイエンドが創造した「サウンドステージ」とは、まさにこのような音を指しているのか、と初めて理解できたのです。それ以来私はアイドロンを始め幾多の機器をこのお店から購入し、最大の顧客の一人として特別待遇を受けているのです(何でもいつまでも貸してくれるし、LP洗浄機をプレゼントされたり、お昼のハンバーガーを御馳走されたり…)。

メイン試聴室には、英国プロアック社のレスポンス1.8($3,000)が鎮座していました。ちなみに、ここで扱うスピーカーブランドは他に、アヴァロン(米)、ヴァンダースティーン(米)、アヴァンギャルド(米)、ニート(英)、オーディオフィジック(英)です。そう、たったこれだけ。どれも知らない? まあ、そう言わずにおつきあいください。

試聴用アンプはExposureのプリメイン($1,500)、そしてCDPも同社製($1,000)ということで、総額$5,500です。ブライアンは同社の個人的大ファンですから当然の選択でしょう。私は適当にお店のCDから2、3枚を選び、巨大なソファーの中央にH君を座らせて、音を出しました。

このレスポンス1.5は2wayでウーハーは6.5インチ(約16cm)と小さいのですが、バスレフ設計が巧みなのか、サイズを超えた低音を聴かせます。ソフトドームの中高域も鮮やかで闊達な音。H君は驚いて、「こんな小型なのにすごく音が広がるんですね」と早くも気に入った様子。Exposureのプリメインは英国らしい素っ気ない外観に似合わぬパワーです。多様な音楽を一通り聴いた後、ブライアンは比較対象スピーカーとして、ニート社のエリート($3,000)を持ち出して来ました。この組合せはブライアンの所有システムの縮小版と言えます。1.5とほぼ同じ形、サイズです。エリートは、ドンシャリを洗練させた「いかにも英国」の音。高域が美麗で独特な魅力がありますが、低音は1.5に比べかなり控えめです。H君は「大人しい音ですね。プロアックの方が好きです」ときっぱり。ぱっと判断することができる人のようで、こちらも楽です。

「H君はプロアックがニートより元気があって好きらしいけど、他に候補はない?」「元気なやつかい?」「このヴァンダースティーン3Aはどう?」「これは良いけど、元気じゃないね。暖かい、ふわっとした、ちょっともやもやした感じ」「そうか、でも同社のモデル5は、ありゃすごいよね」「良いね。でも、注文して半年以上待つよ」「ひゃー、そんなに人気があるの?」「米国の誇るスピーカーの一つさ。生産台数が少な過ぎるんだろう。さて、アヴァロンのモニターでも聴いてみる? これはスタンド込みで約$4,000だけど、デモ品だから$2,200くらいで出せるよ」「モニターか、懐かしいな」

アンプとCDは同じくExposureです。繋いだばかりなのか、モニターはもう一つ音が冴えません。特にレスポンス1.5に比べると、低音はないに等しい。しかし、さすがにアヴァロンの末席、音場の展開は凄い。広広とした空間に楽器が離れて定位します。米国流に言えば「オープンな音」 ボイスにぬくもりがあり、音色はウォーム。ちょっと輪郭がぼやけている? 「これは、プロアックとは全然違うんですね。きれいな音です。クラシックはこれで聴きたいけど、ロックはプロアックで聴きたいです」 うーむ、なかなか的を射ている。「そうか。でも、このモニターの音は、実力を発揮してないかも。ちょっと低域が不足し過ぎるのはアンプのせいかな」「やっぱり予算が足りないんでしょうか?」「そりゃ、多い方がいいに決まってるけど。次回はオーディオコンサルタントというお店に案内するよ。そっちの方が日本でおなじみのブランドが揃っている。日本に代理店があるブランドの方が何かと安心だよね」

     第三章 試聴その2 オーディオコンサルタント
オーディオコンサルタントはシカゴ地区に4つの店舗を有し、その中でもエバンストン店は充実しています。ここは比較的店員が多く、全員で6、7名でしょうか。試聴室は4つで1つはホームシアター専門です。マークレビンソン、エアー、パスラボ、アーカム、ブライストン、B&W、ティール、マーチンローガン、エグルストン、dCS、SME等々に加え、米国では珍しくゴールドムンドを扱っているのが特長。中古製品も豊富です。

さて、日を改めた土曜日、日本でペーパーだったH君の運転は避け(よく運転テストに合格したもんだ!!! いい加減だなあ、米国は)私の車で出向きました。パーセルを買った際に知り合った店員のジョンに要件を伝えます。中古製品展示コーナーには、ティールのCS2.2やCS3.6、B&Wのマトリクスシリーズの801や805、古いマグネパンやセレッション5000というリボン使用スピーカー、ソナスファベールの初代アマトールなど、懐かしいものが沢山あります。その奥にピアノフィニッシュで黒光りする見慣れないトールボーイのスピーカーがありました。「はあー、これはゴールドムンドのダイアローグだ。えっ、定価$7,200が$2,800だって! H君この大きさならOKだよね? 興味あるなあ」 私が興味あってもしょうがないんですが。

ダイアローグは日本には入っていたのでしょうか? スーパーダイアローグ(190万円)はかなり昔にステレオサウンド誌に載っていましたが。「これはけっこう安いけど、どうして?」ジョンは「ちょっと傷が多いからね。音は問題ないよ。聴く?」 試聴室に入ると、大きさは15畳くらいでしょうか。製品が多く、ちょっと狭く感じます。クインテッセンスに比べると条件は悪いですが、H君の部屋も、たぶんこのくらいでしょう。

スピーカーの試聴は繋ぐ機器が重要です。思いきりグレードの高い機器でスピーカーの限界を引き出してみる方法もありますが、今回はH君が買えそうな範囲の製品で聴きました。ジョンが選んだのは、英国アーカム社のFMJ(フルメタルジャケット)です。名前に合ったおしゃれな外観。アンプがFMJ-A22($2,000)とFMJ−CD23($2,000)ですが、日本の定価は各20万円ですから米国で買うのは少々不利かもしれません。しかし、特にこのCDPはdCSとの共同開発のリングDACを搭載しており、ジョンの一番のお薦めとか。

ダイアローグの試聴です。2ウェイでツイーターはソフトドーム。キャビネットにアールをとった丁寧な造りです。爽やかなストリングスに軽い感じのビート、そして更に軽やかなセリーヌディオンの声。音場は浅く、左右は適度に広がり、高さは割と出ています。音質はきめ細かく、柔らかい。硬質と感じる人もいるでしょうが、それは透明感から来るのであって、鋭くはない。クランプトンのベスト盤とチェコフィルの「もののけ姫」もかけました。弦の音は実在感のない夢心地のような音。昔々、ダイナミックオーディオで聞いたゴールドムンドのミメイシス9とアポジーカリパーの音の印象を思い出し、思わず「ゴールドムンドのアンプのような音だなあ」といい加減な発言をしたのですが、意外にもジョンは大きくうなずいて「僕も同感だよ。ゴールドムンドのアンプの音がスピーカーからもするんだよ。不思議だよね」

そんな会話をH君がわかるはずもなく、じっと聴いているのですが、「どう?」と訊くと「わかりました」との返事。なにが判ったのやら私にはよくわからないのですが、次に行こうということだと解釈しました。そこでジョンお薦めのB&WのNautilus804が登場したのです。N804は米国でも凄い人気のようです。ダイアローグより小振りで、しゅっと立っています。色はダークチェリー。ジョンのセッティングは左右の距離を離し、ほとんど正面を向けた感じです。私はちょっと内側に振りました。

「もののけ姫」の第2曲「タタリガミ」を聴きます。音が出た瞬間、「鮮やかだな」と思いました。私は昔B&WのMTX802S2が欲しかったのですが、その鮮やかな音の印象が今も忘れられません。しかし、同じ「鮮やか」でも、N804は昔のB&Wとは違います。中域にエナジーが出てドンシャリ傾向がかなり解消されているようです。とにかく全域でスムーズ。音場は圧倒的によく広がり、ダイアローグを「昔の」スピーカーにしてしまいます。ポップスではますます映える。

「ダイアローグよりN804の方が印象がいいな。やっぱり技術は進んでいるのかな。音場がいいね」と言うとジョンは「そう、音場は印象的だ。それに低域が十分伸びてる」と、どうだい、と言わんばかりです。そこで肝心のH君に「どうだった?」と振ると、「うーん」とうなっています。感動したのかな? いや、逆でした。「うーん、あんまり良くないなあ。なんか、良くないです」「これが良くないって? へえー!」

私は、彼をスポイルしてしまったかもしれない、と思いました。H君は、私が精魂と貯えをつぎ込んでいるクレージーなシステムの音を知っています。クインテッセンスで良い音を聴いた後だったので、私の音で特に驚きはしませんでしたが、えらく真剣に聴き込んでいました。その姿には、この音を体得しようという意志が見えました。そして、今後の自分の機器選びの物差しにしようと思って聴いていたのかも知れません。何という恐ろしいことを…。そうであれば、彼がこのN804の音に首をひねるのは当然です。おっと、やおら立ち上がってきょろきょろあたりを見回し始めた。一体なにをするんだろう?

  第四章 試聴その2 H君ノーチラス802に一目惚れ
試聴室を見回すH君。部屋には、N804の他にB&WのCDM7NT、レベルのF30、ティールのCS6、マーチンローガンのエリアス等が並べてあったのですが、H君は、自分の椅子の真後ろに鎮座するスピーカーを指差しました。「これはどうですかね?」

それはノーチラス802でした。開いた口がふさがりません。「きみ、一体いくらすると思ってんの。$8,000だよ。予算は全部で5,000ドルじゃなかった?」ジョンはニヤニヤしています。H君はN802に近づくと、黒光りするノーチラスヘッドをいとおしそうに撫で回し始めました。私は思わず小さい息子に「お、おい、壊すなよ、触るな」と叱る父親になりそうでしたが、呑み込んで、「H君、それに見合った機器が必要になるよ。たぶん最低でも$15,000コースかな。それでも聴きたいの?」「はい、聴きたいです。こんなかっこいいスピーカー見たことありません」

H君は一目惚れしたようです。「しょうがない。ジョン、聴かせてやってください」「じゃあ、レヴィンソンの383Lインテグレーテッドにする?」「いや、今回はこのままでいきましょう。今聴いたN804と実力を比較しやすいように」

「いきなりN802とはすごい飛躍だな。このラインは間にN803というのがあるんだよ。あれはもうパス?」「だってN804と同じ格好じゃないですか。きっと変わらないでしょ」「そうか。でも、N802のクラスならティールのCS6も候補だよ。これも次に聴く?」「これですかあ? 格好が面白くないなあ。いいです」こんなにデザインにこだわる奴とは思いませんでした。しかしティールは不遇です。昔、家内にCS7.2の写真を見せたら「これつまんないじゃない。でかいだけで」と却下されてしまいました。H君も却下ですか。人の好みは難しい…なんて回想しているうちにセッティングが終わりました。FMJ-A22がどこまでN802を鳴らせるか興味津々です。

音が出た瞬間、H君は一瞬驚いたような表情をしました。そして、明らかに頬が緩んできたんです。「これ! これだ!!!」と心の中で叫んでいるようです。この音がN804の音に比べて多くの点でグレードが高いことは、音好きなら誰が聴いてもわかるでしょう。N804も悪くないのですが、ディオンがまるで首から上だけで歌っていたのではないか、と思わせるほどにN802では声のボディがあります。分解能も秀逸で文句なし。ただ、それでも実力にはほど遠いと思いました。低域は量だけで、うまくは動かないのです。音場感もN804の方が良かったかも知れません。N802に接続している機器の限界でしょう。それに、特に私が気になるのは、高域と低域がややばらばらに聴こえるという点です。ウォーミングアップ不足なのでしょうが、結局、私はアヴァロンや静電型のように全帯域が見事に統一された音を好きだからなのかもしれません。

H君は、トリップしたような感じで聴いています。我に返ると「うわー、N804と全然違う。参りました。参った」「えらく気に入ったようだね。だったら計画を練りなおす必要があるなあ」ジョンは「もうちょっと考えたら?」と、これで決めてさっさと買ってね!と言わないところがえらい。「この組合せでも定価で$12,000だよ。他にケーブル類もいるし。どうするの?」「このスピーカーが手に入るなら、予算を考え直しますよ。$10,000でなんとかならないでしょうか?」

しめしめ、と私は思いました。$5,000と$10,000の差は大きい。特にこの価格帯は、非常に効率よく値段と音のグレード(自己満足感)が正比例して上昇しそうです。米国で買う「地の利」もある。私は、心からH君のためを思い、でも「これでもっと高い製品で楽しめるなあ、ヒヒヒ」と思いつつ、「ここは頑張って$10,000の予算でいこうか。今はN802を視野に入れて検討しよう。ジョン、サンキュー。また来ます」 他人の予算がどんどん上がるのって楽しいですねえ。

断っておきますが、あんな高いものを、あんな初心者に私が無理に勧めていると思わないで下さい。H君は自分で勝手に惚れたんですから。ただ、N802で頭が一杯で、アンプやCDPのことなど眼中に無いから始末が悪い。N802を見て楽しむモノにしてしまうのはあまりにもったいないじゃないですか。H君が幸せなら文句ないけど…、実力を発揮できないでいる不遇なスピーカーは世間に星の数ほどあるんだろうし…。いや、やっぱりH君にN802は危険だ。N802がアンプに寛容ならともかく、まったく逆の話ばかり耳にするからです。そこで私は、米国の(というより、今や世界的に)有名なオーディオネット掲示板「Audio Asylum」に相談の投稿をしたのです。

「日本から渡米した友達がミニCDステレオを買い換えます。多大な僕の努力と彼の聴き分ける力のお陰で、今や予算は$10,000です。しかし、彼はノーチラス802($8,000)と恋に落ちました。中古でも、予算の半分は飛ぶでしょう。N802が$6,000で買えるとしてもアンプとCDPを$4,000で揃えねばなりません。彼は今後10年アップグレードしない、と言っています。N802を諦めるべきでしょうか? それとも一般に満足できる音をN802から聴く為には予算を上げるべきでしょうか? 彼はアンプやCDPに予算を回す為にN803や他のスピーカーに落とすつもりがないようです。どんなアドバイスでも感謝します」この質問に答えてくださった方は7名でした。

  第五章 ネットでの答え
Kumaさんの答えはこうです。「ほとんどのハイエンドスピーカーはそこそこのシステムで十分荒捜しが可能なレベルで鳴るから、結局はつないだ機械の欠点を聞くことになるね。組合せに注意すれば、許容できる音で鳴らせるかもしれない。でも、それじゃ高性能スピーカーを所有する意味がないんじゃないか? N802から聴く音はスピーカーの能力だけで決まるわけじゃないことを君の友人は理解する必要があるよ。彼にディスクマンをつないでスピーカーを聴かせたら? 私は全てのCDプレーヤーの音が同じだと言い張る人にそうしてやったよ」

ふむふむ、ごもっとも。同じような意見はPowellさん。「もし予算が$10,000なら、他のスピーカーを薦めるよ。N802は(一般的に言って)素晴らしい音を聴かせるけど、その為には相当高価なパワフルな機器を要求する。僕はB&Wラインをよく知っているけど、N802は最低クレルのFPB200cがいるな。僕は真空管マニアだけど」うーん、最低でFPB200と来ましたか。

面白かったのはJWCさん。彼は相当のハイエンド使いですが、「君の友人は10年間グレードアップしない? そんなこと信じられる? 僕が最初に$5,000使ったときも同じことを自分に言い聞かせてたけど…。結局は…。 彼は$2000〜3000のスピーカーから始めるべきだな。それから欲望のまま上昇すればいい。N802から始めるとグレードアップの途中で他の異なるスピーカーを聴く機会を失っちゃうよ! 本当にN802で行くならもっと出さなきゃね」良いこと言うなあ。彼は、過程が大事だと言ってるんですね。立派なオーディオ人(?)になるには、いろんな機器を所有して、いろいろ経験しなさいと。最初から高い所にヘリコプターで舞い降りてもつまらんって。みんな自分のオーディオ歴を無視して自分の音は語れないわけです。

予算内で行けるよ、とのアドバイスも頂きました。Alexさんは「オデッセイのストラトスというモノアンプがペアで$2,000、FT AudioやELADのパッシブプリアンプが$500〜1000、残り$1,000〜1,500でCDP」とのアドバイス。これにFredさんが賛成票1票。しかし、こりゃ全然知らないメーカーなのでパス。Mikenificent1さんはTacTのデジタルアンプM-2150($3,995)がN801やN802と相性が良いよとお薦め。でも、いきなりデジタルアンプなんてH君には荷が重い。さて、今回、我々に最も影響を与えたのはBennetさんのアドバイスだったのです。

  特別付録 H君、CD12もきかせられる
ある土曜日、一時帰国する家族をオヘア空港に見送って一人になった私は早速ブライアンのお店に出かけました。彼は新しく取り扱うことになったブーメスター、クリアオーディオ、オラクルの展示に大忙しのようです。「これ、気づいた?」と言って一台の小さな機械を指差しました。「CD12!」「世界一のCDプレーヤーだ」そばにいた顧客らしき紳士も「音楽が聴こえる。まったく驚くね」とあいづちを打ちます。「いいよ持ってって」と付属の立派なアタッシュケース(!)にプレーヤーをしまってくれました。

一目散に我が家に向かうと早速音を出しました。アイドロン、ジェフモデル12、シナジーのラインナップ。「付属のインターコネクトと電源コード以外は使わないで。繋ぐといきなりベストの音が出るよ」と言われたのですが、最初の音はシステムの誰かがまだ寝ているようでした。1時間後。うわっ、良くなった。でも、明らかにいつもとは違う音です。身体に当たる音の形が丸みを帯びていてすごく気持ちがいいんです。柔らかく当たるのに水流は十分早いと感じる不思議な感覚。それを十分楽しんで、自分の機器に換えました。Wadia270からdCSパーセル+ディーリアス。270で24bitに拡張し、パーセルで44.1を192kHzにアップサンプリングしています。うーん。これまで十分滑らかと感じていた音がCD12の後では若干荒れて聴こえてしまう。少し気落ちしながらH君を電話で呼び出しました。

やってきたH君はCD12のトレイの機能と動きに感動したようです。高級感に溢れていた270がとたんに色あせてしまった。しかし、CD12のリモコンは醜悪。さて、H君にブラインドテストをやってみました。セリーヌディオンの同じCD2枚を同時にスタートさせ、シナジーのインプットを切り替えます。H君は「難しいなあ」と言いながらも「こっちが若干いいですね」と言ったのはCD12! 切り替えながら、自分もそう思ったんですが。でもH君は「ボーカルじゃほとんど分からない」と言い、ドボルザーク交響曲第9番4楽章のホルンでの比較試聴を提案しました。小澤ウィーンのフィリップス盤をかけます。まずCD12。次にWadia/dCS、再度CD12をかけたとき、僕がうつむくのを見てH君が大笑いしました。「いや、これは負けた。こんなに芯があって柔らかい音は僕には出せていない。僕のはちょっと音にまとまりがないし、重心も高いな」「CDプレーヤーってこんなに違うんですね」「君の耳は大したもんだ。これは僅差だよ」「確かにどちらも高度ですけど」「方向が違うよね。しかし、何とかならんかな?」ということで、DACのフィルターやパーセルのサンプリング等変えて比較試聴を飽くことなく繰り返しました。しかし、結局その日の私の結論は「CD12にしたら一体いくらかかるだろう?」だったのです。

翌日、一人で冷静になってCD12を聴き込みました。そしてCD12に関する試聴記事を片っ端から読み始めました。皆さん同じことを感じるらしい。特に感心したのはオーディオアクセサリー誌の寺島さんの記事に登場するモトヒロ氏のお言葉「演っていることが見える」。これほどこのCDプレーヤーの音楽性を端的に表す言葉はないでしょう。CD12は「音」ではなく「演奏」を届けていると思うんです。一方、「箱庭的な音」という表現は誤解を与えます。CD12はダイナミックでスケールが大きい。ただ羽目をはずさないのですが、行儀がいいというより、そもそも行儀を悪くするような音が出ないだけです。

さて、私の音は、ときにCD12のようにも聴こえますが、大抵は単なる音の洪水であったりする。もちろん比較論ですが。ソースの種類によって成績が大きく揺れる。リンは全てを完璧に演奏する。これは本当に「聴かなきゃよかった」の世界です。悔しくていろんな個所を調整してみましたが、だめです。諦めかけたとき、ふとWadia270の足元が寒いのかな、と思いました。ゾーセカスラックの板に直接270にスパイクが刺さっているのが今の状態です。絶対だめ、と頭から信じ込んでいた270付属のメタルプレートをワラをもすがる思いでスパイクの下に敷いてみました。不思議なことに、音の重心がぐっと下がったのです。こうなると音楽性はともかくも、ハードに炸裂する楽音ではCD12以上に楽しめる今の音もけっこう捨てがたいと思えるようになってきました(むりやりそう思った?)。可能性を見たのです。嬉しくなってH君に電話で報告しました。「H君、なんとかCD12をブライアンに返せるよ」「それはよかったですね。でも、あんなに満足されてた川崎さんが、一夜のうちに地獄に落ちて、そしてまた立ち上がる。面白いですねえ」「完全に立ち直ってはいないよ。今どっちを取るかと言われたらやっぱりCD12かもしれない。でもうちの音はたまーにCD12が出さないようなスゴイ音が出るから、それで我慢しようと思えば出来るかな。未完成ゆえの楽しみ方もあると考えたよ。CD12を聴いてよかった。大変勉強になった。CD12恐るべし。H君買ったら?」「ご冗談を。また試聴に誘ってくださいね」

川崎システムを観察するH君

あなたの機器選びには、AUDIO FANやSutudioK'sHPを読む、数多くのオーディオファイルが注目している

Bennetさんのご意見はこうでした。「僕は君の友達がどうしてN803を考えないのか理解できないな。N803は存在意義があるよ。確かにN802は低域が充実してるし、余裕も十分。でも、僕は評判の高いプロアック2.5からN803に買い換えて数ヶ月しか経ってないけど、どんどん良くなってる。もし部屋が30平米以下ならN802は大き過ぎるだろうな(N801はもっとだ)。それにN801とN802は同様のプロフェッショナルモニターの性質を有しているから最良の音の為には大音量が必要だ。一方、N803は素晴らしい音のバランスと解像力、それにハイエンドでの音楽再生でもホームシアター用途でも対応する能力がある。長い期間楽しめるスピーカーだよ」

私はH君に質問と回答をプリントアウトして手渡しました。「まだN802に執着してるの?」「今はあれしかないですね」「雑誌を見るといろいろあるけど、実際はお店で聴けるものからの選択だからね。プロアックも良かったじゃない?」「ええ、クインテッセンスではどのスピーカーも良かったです。コンサルタントとは部屋が違うので、比較が難しいですね。前回N802が良かったのはN804のすぐ後で、その差があまりに大きかったから感激したのかも知れないんです。プロアックとの比較は出来ないんです」「あんなに違う部屋での比較は確かにしんどいね。クインテッセンスの試聴室は不思議なくらい良い音だからなあ」「だったらN802は彼の所ならもっと良く鳴るんだろうなあ」「そう思うね。でも、このBennetさんの意見はどう思う? 彼の言うようにN803を飛ばしたのは間違いだったかもね。君の予算ではN803を聴くのはmustじゃない?」「いいですよ。N802は予算オーバーだし、ネットでも中古は飛ぶように売れてて、探すのも大変そうだし」 私はまた試聴の機会ができてウキウキしてきました。他人のこととは言え、大金の使い道を決める真剣勝負のオーディションは、単なる冷やかし試聴の百倍面白いんです。

私はAsylumに返事を出しました。「アドバイスと情報感謝します。彼はN803を試すと言ってます。N804がもう一つだったのでN803をスキップしたのは間違いだったかもしれません」すると予想通りBennetさんから「そうなんだ。僕もN804を試聴したけど、いまひとつだった。その後、レヴィソンのDACを試聴したお店がN803を使っていて、結局そのDACじゃなくてN803の方を買ってしまったのさ」N804の名誉のために言っておきますと、Asylumには、N804がノーチラスシリーズの白眉、という意見も多く見られますからご心配なく。

  第六章 極悪人の証

N803を聴きに出かけたのは同じオーディオコンサルタントのリバティビル店です。このお店が自宅から車で15分と最も近い専門店ですが、規模が小さく、私自身は購入したことがありません。お店の人は3名でフィルというヒゲおじさんが責任者です。受け付け兼ロビー兼中古展示スペースと別に20畳くらいのピュアオーディオ用試聴室とAV専用室があります。

私はこのお店の売上げに貢献した実績があります。シカゴで知り合ったS藤さんが、私のせいで最近このお店からスピーカーとアンプを購入しました。S藤さんはコンサートに通う、気合の入った音楽鑑賞者です。初めて拙宅を訪問された際、装置の前のソファに釘付けになり、食事の最中も流れ続ける音楽と音に気を取られ、まともに会話が出来ませんでした。「いやー、つい耳がいっちゃってね」こんな方は初めてでした。私は機会ある度に「S藤さんと奥さんはこんなに音楽が好きで音の違いが分かるのに、何故ご自宅ではミニコンポなんですかねえ?」と悪魔のように囁いたのです。その甲斐あってか、Sさんも本格オーディオの導入を検討し始めました。しかし、専門店をお教えして、私はでしゃばらないようにしていたのです(餌を蒔いて待っていた?)。

電話がありました。「川崎さんが薦めてくれたお店ですごく気に入ったのが見つかりました。ティールとかいうブランドのCS1.5なんですけど」「さすがS藤さん。それはとても評判が高いです。サイズからは信じられない音世界を持っていますよね」「そうなんですよ。小さくて置きやすい上に、音もきれいで広がるんです」「ただ、アンプは相当良いのが要りますから覚悟してくださいよ」 そして、S藤さんはティール使いになりました。ちなみに彼の会社の社長さん(日本人)もマニアで同じティールのCS6をご所有だそう。S藤さんは、届いたCS1.5をとりあえずミニコンポにつないでおられたんですが、やはり我慢できず、またまたお電話を頂きました。「川崎さん、せっかくのスピーカーがかわいそうですから、アンプも買いたいので、手伝って頂けますか?」「もちろんですとも! 予算はおいくらですか?」さあ、楽しいなったら楽しいな…

認定証 川崎一彦さま 極悪セクステット団員として  悪人代表 岡俊哉の代理 山本耕司

電話は続きます。「実は、もういくつか試しましたが、アーカムのFMJ-A22はどうでしょうか。他に同じ価格帯のローテルのセパレートやミリヤードのプリメインも試したんですが」「A22はあのお店のお薦め機種のようですね。別のお店にも行きませんか? アンプは自宅で聴くべきですよ」ということで、土曜日の午後、私はS藤さんを乗せてブライアンに会いに行きました。

S藤さんのご予算で今この店で選べるアンプは二つしかありません。一つはH君が試聴したエクスポージャー($1,500)、もう一つはクラッセのCAP151($2,300)です。リンもあるんですが、ブライアンは「リンのこのクラスはトータルシステムじゃないとお薦めしない」 クラッセの白と黒のデザインは意外にもS藤さんにはいま一つだったようです。一方、エクスポージャーは黒い箱にノブが3つというつまらなさですが、値段が安いので期待されているようでした。

借りて帰るのが目的ですが、お店でもプロアックのレスポンス1.5を使って聴いてみます。違うスピーカーでアンプを試すのはナンセンスですが、何か発見があるかも。まずクラッセ。CDPは同じクラッセのCDP1.5($2,500)。CDはS藤さん持参のドナルドフェイゲンのナイトフライ。プロアックは店頭デモが得意の音で、S藤さんも感心しています。クラッセはバリッとしたプロアック調をやや上品に聴かせます。レンジが広く、特に高域は細かい粒子が降り注ぐ感じ。ボーカルが雰囲気のある優しげなタッチです。低域はこのスピーカーならではの太く雄大な音。

さて、エクスポージャーです。他のお客さんのお世話で忙しいブライアンに代わって私が接続。ほとんど店員になってます。「あれあれ、違いますね。面白いなあ。こっちの方が好きかなあ」とS藤さん。アンプで音が違うことを発見して楽しそうです。私は「こような違いに異常にこだわると私みたいになっちゃうんですよ。しかし、これはクラッセより濃い音ですね」「フォノ入力もついていて安いし、いいものが見つかったな」エクスポージャーはレンジも解像度もクラッセに比べると平凡ですが、音が厚く聴感上のダイナミックレンジが広く聞こえます。ボーカルにもある種の親密感が漂う。こうして比較するとアンプの個性がよく見えてきます。ただ難しいのは、レスポンス1.5で良かったからティールでも良いという保証はないんです。

「ブライアン、エクスポージャーをS藤さんに貸してくれる?」「もちろん。火曜日に返してくれればいいです。クラッセも持っていく?」S藤さんの方を向くと、S藤さんは首を振っていました。私は、クラッセも借りとくべきだったなあ、と後で後悔したのですが。「これからリバティビル店にも行ってアーカムも借りたらどうです? 2台を自宅で比較されれば完璧ですよ」 フィルはその日に快くアーカムA-22を貸し出してくれました。

月曜日、S藤さんは私を夕食兼試聴会に誘って下さいました。来客用リビングにCS1.5がセットされていました。趣味のよい調度品や装飾品でヨーロッパのプチホテルのように格調高くかつ居心地よい空間です。ところが私は我慢できなくなって「ちょっとスピーカーの周りに空間を作りましょうね」とか言いながら、ソファやテーブルを動かし始めました。ひどいやつだ。オーディオ馬鹿につける薬はありません。「日曜日にずっと聞き比べたんですけど、アーカムの方がいいと思いました」とのこと。確かに、CS1.5で聴いてみると、A22はレンジが広く、音場の広さ高さもかなり表現するのに対し、エクスポージャーはこじんまりとしてしまう。それを補うほど音像がソリッドに押し出される風でもないんです。プロアックではあんなに良かったのに…。所変ればと言うべきか、機器の相性と言うべきか。この勝負は明らかにA22の勝ちでした。

しかし、これで素直に終わる私でなかったのがS藤さんの不幸と言うべきか、幸運と言うべきか。私は、かなり上級な機器によるCS1.5の素晴らしい音を知っていましたから、CDPがミニコンポというのは差し引くとしても、アンプの力量に対する疑問は残ったのです。お食事の最中、私はS藤さんご夫妻に「このスピーカーはもっと凄いはずなんです。もうメちょっとモ上級のアンプで聴いてみてください。聴くのはメただモですから」と極悪人の本領を如何なく発揮しました。

その一週間ほど後の夜、私は自分の次期CDPの試聴に精を出していて、珍しくリバティビル店にレビンソンのNo37を借りに出かけましたが、そこで偶然S藤さんに出会いました。お店のCS1.5でアーカムA-22とブライストンのセパレート(BP-20と3B-ST)の比較試聴をされていました。「あっ、川崎さん。これどう? ちょっと高いけど、これはずいぶん音が柔らかくて暖かい」 確かにブライストンのペアが聴かせるCS1.5の音はメロウでぶ厚い音でした。ティールらしくないかも知れません。これにスピードと解像力が欲しいんですが、上を見たら切りがない。「アーカムとは相当違いますね。でもこの暖かみは凄いなあ」S藤さんはLPの音の暖かさがお好きなので、惹かれるようです。「まあ、ゆっくり悩んで下さい。レヴィンソンのNo.27という中古アンプも格安で出てますから、これも試したらいいですよ」などと余計なことを言って別れました。その1週間後、S藤さんから電話を頂きました。「No.27よりブライストンの方が良かったです。注文しました。お陰さまでコンサートに行かずとも家でも十分音楽を楽しめそうです」いえいえ、S藤さんはご自分の耳で選ばれたのです。さて、H君にもそろそろ決めてもらおう!

 第七章 期待の大物新人H君だから、そう簡単には購入しないのだ
H君とノーチラス803の試聴にリバティビルに出かけたのは激しく雪の降り始めた金曜日の夜でした。事故しないように我が家を目指す車の列に混じって、のんきにスピーカーの試聴なぞに出かける我々は本当に奇人変人です。無事お店に着くと、「ノーチラス802と803の比較をしたいのでよろしく」 フィルは早速セッティングを始めます。

今回は能力を可能な限り引き出すため、CDPはレビンソンのNo.37とNo.360、No.380プリからエアーV1パワー、ケーブル類は全てトランスペアレントというこのお店の総力を結集した豪勢な布陣です。まずN803から。試聴CDはデイビス指揮シベリウス2番とジェームステイラーの「アワーグラス」 さすがに繋いだ機器のグレードを反映して磨かれた音です。滑らかで余裕がある。十分にワイドレンジです。最高域と最低域がちょっと弱いか。しかし、そう思わせるのは中域から中低域の充実が目立つからでもあるようです。とにかくボーカルの質感、弦、金管、木管などの表現は私好み。力があるのに柔らかく、親密。「唇が濡れている」リアルさも出ている。このレベルはN804では聴けなかったような気がします。いや比べてはいけません。繋いだ機器のレベルが違い過ぎます。H君は「ふん、ふん。そうですか」と、大評論家先生のようです。

さあ、N802の登場です。H君は愛しい彼女がいそいそとステージに上がるのを目を細めて眺めています。我々は、N803の結果からしてN802への期待は爆発寸前でした。黙って聴きこみます。私はまずN803で若干不足していたレンジ感がさすがにN802ではまったく問題なしです。音の粒子がきめ細かくなり、その流れが速い。音場は奥に深くなりました。しかし、一方ではN803で魅力だった中域を中心とした押し出し、親密感、暖かみが少し遠のいたように思いました。フィルに「N803とN802はツイーターとスコーカーが同じなのに随分色合いが違うんだね」と話しかけると「こんなに違うとは今気づいたよ。これは興味深いね」今日のN802の音は、どの帯域も文句ないんですが、どの音も特に印象に残らないのです。どこかよそよそしい。その後もう一度N803に戻してみました。V1がヒートアップしたのか、更に包容力のある力強い音が出ました。このときのN803はN802の廉価版ではなく、異なる魅力をもった別のモデルのようでした。

帰りの車の中、H君は、N802とN803の対決試聴がたいへん勉強になったと言います。「川崎さん、僕はわからなくなりました。オーディオって奥が深いんですねえ。だって同じメーカーのスピーカーでも音は値段のような上下関係にあるとは必ずしも言えなさそうですから。少なくとも値段の差と音の差は比例しないですね」「またまた良いこと言うじゃない。ノーチラス802はさすがに解像度がぐーんと上がる。でも、あの解像度やレンジ感に追加のお金を出す価値があるという人もいれば、そうじゃない人もいるわけだ。今日のN803の魅力を評価する人にN802は必要ない。幸せだな、安く済むんだから」「僕は前回の試聴の印象からN802は相当いけるだろうと思ってたんですけどねノ」「N802もN803も買って損はないと思うよ」「そうですかあ?…」

H君のハードルはかなり高かったようです。それも理解できます。今日使用した周辺機器は相当な値段の製品達ですから、今日はN802の最高の音でぶっ飛びたい、納得したい。そして今夜決めようとH君は思っていたのでしょう。ところが肩透かしを食ってしまった…

「H君、お店での試聴はこんなもんだよ。参考にするしかない。でも、N803の出来は悪くなかったじゃない?」 「ええ、そうですけどN803もまだ僕はぴんとこないんです。最近、川崎さんの音が他と違うのがよく分かるようになったんです。あんな音は簡単には出ないんですね」「サンキュー。オーディオを本気でやっている個人の音はものすごい試行錯誤で追いこまれているから、お店の音より良く鳴って当然だよ。待てよ。そうだ、もしかしたら君はアヴァロンの音が好きなのかな。だったらもっと上の機種を聴いてみる?」「でも、それじゃ結局川崎さんに勝てなくなるじゃないですか。他のブランドなら勝つ可能性もあるかな、なんて思ってたんですがノ」この発言には腰が抜けました。「まいった。大型新人だねえ。まあ、勝ち負けはともかく、君の意気込みは素晴らしい。でも、結局自分が満足すりゃいいんだよ」「ですから、オーディオっていうのは難しいんですよ。みんなが認める正解がないですから。私の勝利の方程式はどこにあるんでしょうかねえ?」 H君って本当におもしろいなあ。

     第八章 新たなる展開、これだからオーディオは楽しい
H君が戻ってきてブライアンは嬉しそうです。今日の試聴室は前回試聴した部屋の隣です。同じ広さですが、長方形の長い方にスピーカーを並べてやや小さめのスピーカーを試聴する部屋です。今回のお目当てはアヴァロンのアヴァター2($6,300)です。ドライブ陣は、ベル(BEL)の1001MkVというステレオアンプをモノラル仕様で2台使用し($3,900_2)、プリはオーディオリサーチの管球アンプLS25MkII($5,500)、CDはアルティスのCDT_3トランスポート($5,000)にリファレンス($5000)という管球式DACです。ケーブルはワサッチ。ベルのアンプはジェフに匹敵するブライアンの超お薦め。ステレオで50W/chですがモノに切り換えると200W/ch取り出せます。アルティスは自宅で聴きましたが、中域が甘_い蜜を含んでいて、夜中に女性ボーカルを聴くとやばい黄金の美音。このように日本では全く無名ですが、リバティビルでの802/803試聴時と勝るとも劣らない機器を繋ぎ、20分の準備運動をさせて試聴開始のゴングが鳴りました。

聴きながら、私はH君を見ました。私からコメントしてH君に先入観を与えないようにしていたことを思いだし、また前を向きました。素敵だけどちょっと頼りなさげなこの小さいスピーカーの一体どこからこんな音が出るのか? 天井いっぱいまで音楽の気配がみなぎります。弱点と予想した低域もむしろ出過ぎかと思うほど豊満、かつハイスピードに中高域とピタリと歩調を合わせ、全音域の響きが高度に統一されています。アヴァロンの真骨頂はアヴァター2からも聴けました。引きずり込まれるような説得力。そうです、B&Wの試聴ではこの「説得力」がなぜか感じられなかったのです。もちろんこの音も聴き込むと注文の付け所は出てきます。しかし、そんな粗捜しを無意味にさせるほど音楽が近い。日本ではそれほど話題にならないのが不思議です。

圧倒されているH君の表情を確認して、我慢できずに、「参ったな、これは」と声をかけました。H君も待ってましたとばかりに首を縦に大きく振りながら「ええ、ほんとに凄いです。文句なしです」我々の横で一緒に聴いていたアメリカ人のお客も「はー、どうしてこんな風に聞こえるの?」と感心して話しかけてきました。すかさずブライアンが答えます。「そう設計されているからです。それを引き出せばよいのです」カッコ良過ぎるぜ、ブライアン。

H君はもうメロメロです。特に、甘美なヨーヨーマのバッハの無伴奏チェロの音はH君に衝撃を与えたようです。「なんという音だろう」 一通り聴き終えて、私はH君に「前回聴いたプロアックの1.5($3,000)も聴いてみようよ。今の音がどの程度ドライブ側に助けられているか判定できるから」 私達はAV室にあったレスポンス1.5をえっちら運び、セットしました。

「ハハハ、やっぱりだめです。特にクラシックは驚くほど違いますね」と答えるH君を見て、息子は成長したもんだ、と思ったのです。初試聴でプロアック1.5を聴いたときは「すごい」と驚いていたのが、今日はその時の10倍の価格の機器で聴いているのに「だめだめ」と言っているのです。「スピーカーがいかに大切かわかりました。そして、自分に合った音のスピーカーを探すことが肝要だということも」「じゃあアヴァター2で決定ということだね」「完璧です」

次はいよいよアンプとCDP選びです。今日試聴しているCDPやアンプを購入すればこの見事なレベルが保証されます。が、総額$30,000コースじゃ手が出ません。だからと言ってアヴァター2を不幸にはしたくない。私のお薦めはジェフのコンセントラ2($6,500)です。予想通りで面白くない? 選択肢は限られているんですよ。他店に候補はありますが、アヴァター2がないので試聴が不便です。各店から機材を借用し、自宅試聴する手はありますが、さすがの私も他人の為にそこまでやる義理も体力もありません。やはりクインテッセンスで聴ける機種が楽チンです。それに、実のところ、コンセントラ2は最近気になるアンプの筆頭ではないでしょうか?

「どうかな、研究してたようだけど、決めた?」「はい、コンセントラ2を聴いて、良かったら買います。最高に美しいですよね、あれ」「やっぱり? なんだか僕と同じ路線でつまんないけどね」「でもプリアンプだけで音が出るんでしょうか?」「はあ? あれはプリメインでパワーアンプ付きだよ」「あ、どうりでプリアンプだけでスピーカーが鳴るのは変だなと思ってました」 あちゃー! まだこんな程度か。「僕は最新のモデルを買います。同じ製品が中古市場にあると損した気分になるんで。それに、見ただけで感動できるものが欲しいです。デザインで選んで音を確かめる。コンセントラ2やオラクルは最高です。ワディアもいいな」「なるほどね。ちゃんと君なりのポリシーがあるじゃない。しかし、最初からそんなの買うなんて罰あたりな奴だな。コンセントラ2が$6,500、オラクルのCDPが$5,500、これにアヴァター2で$18,000だね。日本よりは安いけど、こんなにエスカレートしちゃっていいの?」「実はスピーカーは悩んでいるんです。アヴァター2は音は最高ですが、日本では人気薄で中古も安そうだなんて話を聞くとノ。とりあえずここは$1,000くらいの安いスピーカーでつなぐってのはどうですかね?」

どひゃ___!!! この間まで「スピーカーが重要ですね」なんて言っていたのに、いつのまにやらコンセントラ2やオラクルの方が可愛くなったようです。いったい今までのスピーカー試聴は何だったの… 泣きたくなるような展開です。しかし、H君の米国滞在予定は1年半、日本でアヴァター2に相応しい部屋に住める保証もないですから、アンプやCDPに予算をかけるのは賢明かな。私はよく忘れるんですが、お金を出すのはH君ですから。

「そうだねえ。予算もあるしねえ。とにかくコンセントラ2で安くて良いスピーカーを探すかなあ。参ったねえ」脱力感に襲われました。しかし、また新しい価格帯のスピーカー選びが楽しめるのも悪くないなとすぐに立ち直って、「えーと、とりあえずクインテッセンスの候補はだね、オーディオフィジックのスパークIIIが$2,000、リンのニンカが$1,500、ヴァンダースティーンのモデル2が$1,500、同じく1cが$750といったところか。アヴァロンモニターはもうアウト?」「スタンド付きはいやです」「ブライアンに電話するよ」

  第九章 で、どうなるんだよ!
案の定、ブライアンは大反対でした。「いやー、それはナンセンス。アヴァター2を気に入った彼が今さらそんなレベルで満足できるはずがない。聴いたらすぐ判ると思うけど」「そうだろうね。でも、アヴァター2だとH君は日本では部屋に困るかも」「アヴァロンは超大型機とレイディアン以外は狭い部屋でも適応するよ」「君は日本の部屋の狭さを知らないもんな」「CDPの為にアヴァター2を変えたらきっと後悔する。CDPを節約するべき」「じゃあCDPは何?」「レガのプラネット2000。たったの$950。店にその電源強化版のジュピター($1,900)があるから、とにかくこれを聴いてみるといい」「レガか! 忘れてた。君の店は趣味いいね。よし、帰国後の心配は止めて、ベストの組合せを目指そう。でも、念の為に安いスピーカーも聴くよ。僕も興味あるし。聴けばH君はなんとかなる」

アヴァター2に接続されたコンセントラ2の銀のパネルにブルーのインジケーターが光っています。H君は駆け寄ってまじまじと眺めます。よだれが付くぞ。「先日届いたばかりだから、当然高域がきついよ」とブライアン。「割り引いて聴くさ。これがレガのジュピター?」「そう。期待していい」私には魅力的でしたが、H君は格好が気に入らないようです。「美しくないなあ。色は黒しかないの? これで音が悪かったらすぐ却下ですね」

アヴァター2はこの組合せでも十分その魅力を発揮しました。リアルで瑞々しく反応の早い音。ベル1001MkVとの音色の違いが聴き取れます。ベルの分厚い濃い方向との比較では、幾分すっきりとした中に華やいだ色気を乗せてくる。底知れぬ凄みや圧倒的な説得力は薄れましたが、レガとアルティスの格差を考えると、コンセントラ2は相当に健闘しているようです。H君は大満足で「やっぱり、いい音ですね」の連発です。この時点で、彼はオラクルCDPの予算確保のためにアヴァター2を見捨てるのはナンセンスだと判断したようです。結局、アヴァター2の感動が薄れただけの一時の気の迷いだったようです。駄目押しに「よし、試しに$1,500クラスと比較しようか。米国お買得スピーカーの代表、ヴァンダースティーン2Ceシグネチャーで行こう」

ブライアンはH君のデザイン偏重主義を知っているので「こんな吸音材のような不細工なやつでもOKなの?」と言いますが、意外にH君の許容範囲内のようです。しかし、音は歴然と違いました。アヴァター2が楽々と鳴っていた音量で鳴らすと、中域が張り出した粗い音です。私は同社のフラッグシップ機、ヴァンタースティーン5($9,800)のナチュラルかつケタ外れにダイナミックで浸透力のある音を知っていますが、如何せん価格が違い過ぎます。そこで音量を絞ると、すうっとバランスが整い、スムーズでホログラフィックな音に変化しました。音場は奥に深く広がり、パネル型の趣きがあります。本領発揮です。しかし、この独特の精密な音場感を高く評価しない人には、単に大人しいパンチの欠けた音です。低域が不足し、米国ではこれにサブウーハーを加える人が多いのです。H君は喜びました。「いやあ、全然違うじゃないですか。アヴァター2は凄い」「じゃあ、これで決着したようだな。CDPはレガでいけそうだし」とH君に言いつつ、次に私は余計な提案をしてしまったのです。「ちょっと試しにジュピターをアルティスのセパレートCDPに変えてみてよ」CDプレーヤー間の差がどのように聞こえるか興味があったのです。価格は5倍、$1,900対$10,000です。私はジュピターに期待していました。

あれあれ、思ったより差が出てしまいました。アルティスは圧倒的に解像度を高め、残響音が空間に高く美しく放出されていきます。今まで気付かなかった天井が取れたかのように。双方ともデジタル臭くない音ですが、ジュピターはやや古いタイプのアナログのように情報を選択し、柔らかい芯で音の線を太くしっかり描くのに対し、アルティスは最新のアナログの如く、カチッとした堅い芯を伴いながら音の線を細かく柔らかく描写して来るという違いがあります。私はあらためてアルティスに感心しました。このようにCDPの差を引き出すコンセントラ2とアヴァター2の実力もなかなかのものです。とは言え、ジュピターも厚手の音が魅力的なお買得機であることに変りありません。CDの高域の刺激感を気にする方に特にお薦めです。私はブライアンと「これは当然の差だけど、$8,000の差はないよね。この差額でアヴァター2が買えておつりが来ちゃうんだからなあ。ジュピターはやるね」と、笑って試聴を終わろうとしました。

ところが、H君は「うわ、こんなに違うんですか! やっぱりCDプレーヤーも重要じゃないですか! レガじゃモヤモヤだなあ。これじゃ満足できないです」と言い出したのです。ご存知メ聴かなきゃよかった地獄モです。せっかく組合せが決まったと思ったのに、私は余計なことをしてしまったようです。「じゃあアルティス買えば?」と突き放しましたが、「カッコ悪くてダメです。音は文句なしですけど」ブライアンが助け舟を出します。「後である程度上の機種に買い替えるときに、最初の購入代金を全額下取りに利用できるよ。レガを後でオラクルにでもしたら?」H君は「ようし、だったら日本に帰るまでにリンのCD12を買っちゃうぞ!!!」あっぱれ。あっぱれ。いったいH君のご予算はどうなっているんでしょう? 期待通りどんどんぬかるみにはまって行く、実に頼もしい男です。フフフ…

H君はCDPの最終選択を保留しつつ、アンプとスピーカー探しには終止符を打ちました。当然お店に在庫はないので注文です。コンセントラ2は今なら2週間で届くだろうとのこと。アヴァター2はすぐ届くというので正式注文は後日と言うことにしました。私は「ジェフは日本市場優先みたいだから、しつこく配送をプッシュしてよ」と念を押しました。こうしてこの日、H君はコンセントラ2の前金を支払ったのです。おめでとう。ところが、お店を出るとき横目でちらりと見た別のスピーカーが結局H君のところに来ることになるとは、この時は思いもしませんでした。

H君のシステムの形が見えてきました。アヴァター2をコンセントラ2でドライブ。CDPはジュピターを借りておき、オラクルの空飛ぶ円盤のような新CD1500($5,500)の入荷を待つ。音を確かめて購入する。なんだかんだ言って結局総額$20,000コースになっています。まあ、私にかかればこんなものです、ご愁傷さま。

さて、ラックはスタイル第一のH君には特に重要なアイテムです。「H君、高級ラックを買うなら将来を見越して決めた方がいいよ。アンプやCDPをセパレートにしていくとか、アナログを導入するとか」「アンプとCDPは当分変えないですよ。でも、アナログには惹かれます。この間お邪魔したとき、ビバルディの四季の異なる演奏をCDで4枚、LPで1枚聴きましたよね。あの時のLPの音は川崎さんご自慢のCDの音すら圧倒してましたから」「確かに。一緒に聴いてたオーディオをやらないY田君とM上君も同意見だった。Y田君なんかメLPの音はCDより空間が広くて、一つ一つの楽器が分離するから位置が見えるモなんて評論家顔負けだったな。CDもM上君がメなッ、なんですか、この音は!モってぶっ飛んでくれたんで僕は幸福だったのに、君ときたら涼しい顔してメリンのCD12ならどうですかねえモなんて意地悪言うんで、張り倒そうかと思ったね」「ウヒャヒャヒャ(笑)」「ところで君はLPは持ってないよね」「実は、実家に200枚くらいあるんです」「だったら絶対やるべし! ラックは4段のを買おう。そうだ! コンセントラ2にオプションのフォノカードを付けよう。確か$500くらい高くなると思ったけど、どうする?」

アンプにフォノカードを付けておくのは我ながら素晴らしいアイデアです。これでH君は、私がアナログをアップグレードする際、私のプレーヤーを買ってくれる候補者リストに載った訳です。しめしめ… (さすが極悪人だ。:山本)こんな私の献身的(?)おせっかいが実を結んだのでしょうか、H君に信じられないような素敵な話が舞い込んだのです。

ブライアンから留守電が入っていました。「ミスター川崎、H君の件で大変重要なお話があるので電話されたし」 私はH君の支払いに問題でもあったのかと思いました。「ブライアン、どうしたの?」「君達が帰った後、オーナーのミックと話をしたんだ」「H君の選択はまずかった?」「いえいえ、コンセントラ2もアヴァター2も素晴らしい選択。でも、もっといい話があるよ。お店にエクリプスクラシックが置いてあったのに気がついた?」「木目のきれいな渋い濃い色のやつだね」「あのエクリプスCはウォルナットバールのプレミアム仕様で定価$13,000だけど、ある顧客が2ヶ月前に発注したんだ。そのお客は気が変って普通仕様に変更してしまった。在庫に出来ないので、今回H君に$6,995で出せるよ。アヴァター2の定価は$6,295だから$700しか
違わない。どう? 君のお友達ということで特別のオファーだけど」

な、な、なにィ? エクリプスクラシックの特別仕様が$6,995? 私は腹が立ってきました。「ブライアン、そりゃ凄い。そんな話、僕にはなかったじゃない。H君にはもったいないなあ。僕が欲しい。そのエクリプス」「い、いや、ごめん。H君はタイミングが良かった。でも、アイドロンの方が断然いいじゃない」「冗談だよ。いや、ありがとう。僕がH君に代わってYesと言うよ。これを断るほど馬鹿じゃないだろう。また、電話する。サンキュー」

エクリプスには思い入れがあります。まだ東京にいたころ、SISオーディオで初代エクリプスを試聴し、すごく気に入ったからです。残念ながら大蔵省の許可が下りず、それ以来エクリプス、すなわちアヴァロンは、シカゴでレイディアンHCを購入するまで10年近く気になる存在でした。

H君は飛んで来て私の話を聞きます。破格の条件であることはすぐに納得したようです。アヴァロンの特別仕様は定価が約$3,000も余計に高く、こんな値引きでもなければ無理して手に入れようとは思わないものですが、その仕上げの美しさは一生物です。外観にこだわるH君には特別の価値があるでしょう。私のアイドロンもメイプルのプレミアム仕様ですが、実は普通仕上げのアッシュを注文したところ、その製作は当分先で、丁度メイプルを作っていたらしく、なんと「よかったらレギュラーの値段でメイプルを出すよ」と言ってくれたのです。断る馬鹿はいません。

しかし、肝心のH君、如何せんエクリプスに関する知識がないので、どうもピンと来ない様子で、私の方が興奮しているという変な状況です。それどころか「まあ、良い話のようですが、とにかく聴いてみませんとねえ。アヴァター2の方が良いとも限らないし」なんて余裕をかましているんです。なんだとお? 私は完全に頭に来たのですが、「聴いて決める」のは真に正しいわけですから、とにかくブライアンには「99.99%買います」と電話して確認の試聴に出かけたのです。

クインテッセンスは改装工事中でした。アヴァター2を試聴した部屋をホームシアター用に改装し、10畳程度の小さい部屋をオーディオ専用に変更するようです。「小さいスピーカーには大き過ぎる部屋が不利に働くから」とブライアン。エクリプスクラシックはアイドロンを常設する部屋に設置されていました。アヴァター2に比べると大きく見えます。

レガのジュピター、コンセントラ2、そしてエクリプスCの組合せ。ケーブルはワサッチ。アヴァター2もエクリプスCも8インチウーハーと1インチチタンドームツイーターを使用しています。仕様は違うのでしょうが。感度はエクリプスCが86dBと1dBだけ高く、抵抗(6_)、周波数特性(45Hz〜24kHz)の公表数値は同じです。

ロッシーニの「弦楽の為のソナタ」をかけます。弦楽器のまろやかな音に耳が吸いつけられました。いや、これは美音だ。温度感が高く、音色の濃さ、陰影の深さを感じます。響きの豊かさは格別で、何とも言えない芳醇な余韻が周囲に散乱するのです。アヴァター2との格差は簡単に聴き取れました。同じスピードで走る2000c.c.の車と4000c.c.の車の乗り心地の違いです。特別な重低音は出ていませんが、エクリプスCの低域は楽音のファンダメンタルな部分を十全に支え、これ以上の帯域の必要性を感じさせないレベルで聴かせます。たぶんニールパテル設計の新ネットワーク及びユニットの改良がエクリプスの低域の表現力を劇的にアップさせたのでしょう。

聴き惚れる音ですが、それ以上に感じるのは可能性の高さです。使い込んでいけば、シャープな切れこみ、フォーカスの締り、低域の俊敏さ等がもっともっと出てくるでしょう。美声を持つ荒削りな若い歌手が次第にテクニックを身につけ、完成されていく姿を思い浮かべました。キリキリと絞られた固い音のスピーカーを緩めるより、このようにちょっと緩いくらいの音を引き締めていく方がやり易い気がします。今の音に温和なジュピターの性格が反映されていることは明白です。コンセントラ2もまだブレークしていません。ケーブルやラックも奢ってあげたい。詰める個所は無数にあります。「まだまだ行けるわよ、私」と言う声をエクリプスCから聞いた気がしました。「ようし、まかせなさい!」 おっと、これは私のスピーカーではなかった。

H君に迷いはありません。はるかに大物であることをすぐに悟ったようです。「素晴らしいです。美しいし、最高です。でも、やっぱり僕にはジュピターは音が太過ぎるかな」とCDPに注文をつけました。「君はえらく情報量や解像度にこだわるなあ。うちのアイドロンの聴き過ぎか? とにかく部屋に入れてからおいおい検討しようじゃないの」

こうしてこの日、H君は19人ほど引き合いがあったというプレミアムのエクリプスクラシックを$6,995でまんまと手中にしたのです。この幸せ者! さあ、コンセントラ2が届けばH君の部屋で試運転です。一体H君の部屋で彼らはどんな音を奏でるのでしょうか?

  第十章 お待たせしました、ついにH宅で音が出たぞ
2週間で届くはずのコンセントラ2は、注文から4週間後に届きました。ほうらね、信用できない。実は3週目に届いたのですが、ブライアンが箱を空けると中にはなぜかコヒーレンス2のバッテリーユニットが入っていたそうです。米国らしい一幕。お店に届いた週はH君は出張中でした。私は出張前に「代わりに受け取って慣らし運転しとこうか?」と申し出たのですが、断られました。恩人に冷たい奴です。搬入は、とある土曜日の午前11時に決まりました。H君の部屋は3階建てマンションの3階で、2LDKです。LDKは20畳はあるでしょうか。さすが米国。入ると右手にキッチンカウンター、左手が小さめのダイニング、その奥がリビング部分です。リビングの右側面は壁、左側面は壁と隣室へのドア、正面はベランダへ出るサッシです。床はカーペット敷き。「置くスペースはあるんだろうね?」「大丈夫ですよ。ものは隣の部屋に投げ込みますから」「デザイン重視とか言うわりにはけっこう散らかしてるからなあ」「そんなことないです。失礼ですね」

当日、出向くと、風に吹かれて外で待っているH君がいました。すぐにブライアンのバンが到着。珍しく時間どおりです。早速運び込みます。レディアンHCやアイドロンの搬入等数々の修羅場をくぐったつわものの私とブライアンは、あっと言う間に全機材を3階の部屋に運び入れました。階段で出会ったアメリカ人が「僕の部屋に運んでよ」とジョークを飛ばします。

右の白い壁側が良さそうでしたが、テレビや電話が簡単に移動できず、今日のところはサッシ側に置くことにしました。お店が貸し出したのは、レガのジュピター、MIT/SpectralのMH770バイワイヤー、MITの330 Plus(RCA)ピンケーブルです。いやはや、とんでもない高級SPケーブルを持ってきたものです。私はケーブルは入門クラスから行こうと思っていたのですが。「これは$2,500だけど、ディスコンだから$1,200でいいです。ワサッチも後日比較してみて下さい」クインテッセンスもやりますねえ。H君はこのクラスを聴いて後戻りできるのか?(結局、他のケーブルを試しもせずに購入してしまった… 監督不行き届きでした。)

ブライアンは貸出し用ラックを忘れたので、とりあえず拡張可能テーブルの中板をカーペットに敷き、その上にアンプとCDPを重ねます。しかし、一番近い壁コンまで電源コードが届きません。こんなこともあろうかと、私はシステマテックのクライオ処理された電源タップにワイヤーワールドのエレクトラリファレンス1本、オーロラ2本のコードを持参していました。よければ買ってもらおうという魂胆です。お店も私も、H君を食い物にしています。さあ、音出しです。

部屋は音響も遮音も良さそうです。ラッキーな男だ。しかし、今の音はそれ以上の評価は出来ません。箱から出たばかりのコンセントラ2は、解凍前のたこやきを噛んだような音です。しかし、H君は感動しています。部屋には素晴らしい音楽が満ち満ちているのです。やっとここまで辿り着きました。でもこれからが勝負だよ、H君!

ある日、ふらっとクインテッセンスに寄りました。H君が待ち焦がれているオラクルのCD1500は蕎麦屋の出前状態です。試聴できるCDPが欲しい。ブーメスター(独)の992($4,000)というCDPは丸窓のついた銀のパネルでちょっと素敵。「ブーメスターはトータルで組むと独特だけど、CDP自体は凄いよ。ワディアよりいいかもね」とブライアン。「そりゃ僕も興味あるな」

私はお店から992と、ついでにスペクトラルのDMA-90パワーアンプを借りました。まず992です。おお、これは!!! 掘り出し物でした。明るく切れがよくて、ぐいっと一歩前に出る積極性。うちのワディア/dCSに比べると情報量、エアー感や品格は落ちますが、このCDPは「私くらいの粒子感が適当よ! あなたのはやり過ぎ」と言っているかのようです。世界最年少「音」評論家(?)の小6の長男は「ちょっと荒くなるね。うちの音の方が上品で好き」と言ってくれましたが、$4,000でこのレベルとはいやはや恐れ入る。上級機はフィリップス製ユニットをベルトで回しているようですが、一体どんな音がするのやら。米国評論界の大御所ハリーピアスン氏がブーメスターのトップラインを世界最高のCDPと激賞していたことを思い出しました。

次にCDPを元に戻して、スペクトラルのDMA-90の試聴です。クラナドの「ランドマーク」では少し音が整理されたように感じますが、音の輪郭をカチッと鮮やかに描いてきます。アイドロンの鋭利なナイフが更に鋭くなりますが、硬いとは感じません。クールで現代的表現。ドライブ力は意外に高い。ただ、ピアノ、声楽、管弦楽などジャンルを広げると表情が平板になる曲が出始め、特に独唱やソロ楽器では深みや下の支えが足りず、限界が見えます。しかし、なにしろモデル12との比較ですから、それを割り引けばけっこう健闘しています。

「今から992とDMA-90を持っていくぞ」と電話して、20分後にはH君の部屋にいました。まず、今の音を確認します。グッド! コンセントラ2のブレークインが進んだようで断然良くなっています。ステージの広さ、奥行きはそこそこですが、厚手のビロードのような音色の感触のよさに耳がジーンと熱くなってくるようです。だからと言って鈍くはありません。音離れの良さはアヴァロンの伝統。スウィートで豊かに鳴り響いています。レガで決めても何にも悪いことはありません。「凄いねえ。もう僕の音に並んだんじゃない?」「何をおっしゃいますやら。100対3くらい差があります」「そう? それじゃこれを聴いて。このブーメスターのCDPは良いよ。ジュピターとは全然違う音がするはず」

ブーメスター992をMIT330Plusでシングルエンド接続します。試聴CDはウィンダムヒルのオムニバス盤及び竹内マリアのベスト盤。おお、これは見事に違う! もしかしたらジュピターの対極にある音かな。フォーカスがキュッと締り、ディテールが浮き上がってくる。リズムに切れが出て音が弾みます。クールでタイト。これにある種の凄みが欲しいと思うのは、欲張りでしょうか。ちなみに、後日ドイツに「CDPに興味がありますけど、日本に代理店はありますか?」と訊いたところ、「日本にはないですが、当社の製品は信頼性が高く、モジュール交換で修理が可能なので米国で買って日本で使用されても問題ありません」との返事でした。そう言われてもねえ。

更に話は飛びますが、その時、私は現在所有するdCSのDelius/PurcellとWadia270、それに3本のデジタルケーブルをネットで売りに出していました。「分売不可、リンCD12となら物物交換可」と条件で。動機は不純で、dCSのヴァージョンアップを追い求める欲望を断ち切りたかったのと、日本への帰国を考え、システム構成を少しでもシンプルにするためでした。結局、売買も交換も成立しませんでしたが、残念な反面、安堵したのも事実です。もしCD12との交換ではなく、売れてしまった場合、ブーメスターはCD12の代替案として非常に興味があったのです。

しかし、H君は、意外にも私ほど心動かされた様子はありませんでした。「確かに細かくは聞こえます」「そうだろう? こんなに違うんだなあ」「でも、なんか素っ気なくありません?」「熱帯雨林が宮廷庭園になったかもしれない」「実は、最近ジュピターの音をけっこう気に入ってましてね。暖かくて、ぼわんとしたところがすごく気持ちがいいんですよ」

おっと! H君はあんなに否定していたジュピターを見直したようです。店頭デモと自宅での長期テストでは評価が異なる、ということでしょうか?「あれあれ、じゃあこれでいく? ジュピターの味わいは深いし、これでいいと思わせる面があるね」「とは言え、カッコ悪いですから、ジュピターは買えないです」 ああ、やっぱりそこに落ち着くんですねえ、君の場合。

さて、CDPは992のまま、スペクトラルのDMA-90を繋いでみます。コンセントラ2のプリ部とのコンビはいかに? 「ふーん、何だか硬くなりましたねえ」 私には興味深いテストでした。アイドロンでは、その超高解像度系の性格がDMA-90の硬質な魅力とマッチしたのですが、エクリプスCでは官能情緒系の性格がDMA-90とうまく噛み合わなかった感じです。ただし、DMA-150あたりの上級機にすれば、又はプリアンプもスペクトラルにすれば、その壁は破れたのかもしれません。ただ、それでもH君の好みの方向ではなさそうです。しかしいつ来るんだろうオラクルのCDP1500は? オラクルが来ないと始まらないH君です。

        第十一章 持つべきは優しく極悪な先達
「もしもし、ちょっと今いいかな?」「なんですか?」「僕のレコードプレーヤー買わない?」「うわっ、もう来ましたか。新しいのを買われたんですね」ということで、H君はレガのプラナー9を私から譲り受けることになりました。P9を選択していいのかちょっと躊躇していたようですが、彼が考えても仕方がありません。現物の音や状態はよく知っているし、結局$1,200は迷うほどの出費ではなかったようです。P9は米国中古市場の超人気機種ですから私はもっと高く売れたのですが、持つべきものは「優しい先達」ということでしょうか?

私はP9に付けていたダイナベクターXX-1を新ターンテーブル(“TT”)にも使うつもりでしたので、H君はクインテッセンスから同社の10X4($350)を買うことにしました。日本製カートリッジを米国で買うのは割高ですが、それでもブライアンはこの価格帯では10X4がベストと太鼓判を押します。現に10X4は米国の掲示板でも大好評です。カートリッジは日本製が世界の先端を走っているようです。

P9の引渡しは私の新TTであるイメディアのRPMレボリューションが来る日まで待ってもらいました。イメディアは倉庫をプロの窃盗団に襲われたそうで、12台製造された中の最後の一台であったというこのレボリューションは、幸い無事であったものの、なかなか届きませんでした。ようやく到着する日の前日の金曜日、私はH君と行き付けの中古CD/レコード店「レコード・サープラス」に出かけ、彼は15枚ほど中古LPを買いこみました。これでも約$50です。

さて当日、無数のTT組み立て及び調整経験を持つ必殺仕事人スコットを連れたブライアンが新TT及び10X4と供に我が家にやって来ました。スコットはP9から黒いXX-1を外して赤い10X4を取りつけ、慎重にアームの調整を終えました。H君はその後も私の新TTの組み立てと調整が続く中、部屋のオーディオ雑誌を読んでいたのですが、もう私のTTの音が出るまで待ちきれなくなったらしく、P9を車に積んで帰ってしまいました。私はH君の部屋で接続と音出しに立ち会おうと思っていたのですが。H君はまだラックがないので、P9の電源部を乗せていたシュローダー社製の分割式ラックの一段(3本足付き棚板)を貸し出しました。優しいよね、先輩は。

その日、Audio Fan Netで私を知って最近メールをくれたシカゴ駐在の若者、磯谷君が初めて私の音を聴きに来ることになっていました。彼はH君より若いのに日本に置いてきた装置はアンドラにFMの411と言うんですから、剛の者と思われました。せっかくですから、イメディア搬入の日まで訪問を待ってもらったのです。その彼との宴もたけなわの午後11時ごろ、H君はシカゴ名物ラヴィニア音楽祭の会場から直接我が家を訪れました。H君にアナログの音の感想を聞くと、「いいですねえ。特にカーペンターズのLPは素晴らしい音です」と幸福そうです。更には、「もうCDプレーヤーを米国で買うのは止めようと思います。幸いCDもないし、オラクルは来ないし、日本に帰ればSACD/CDプレーヤーも選べるだろうし。それより、何と言っても、僕はLPの音の方がCDより良いように思うんです」

  第十二章 久々に登場のH君、その実態
H君の部屋にエクリプスクラシック、コンセントラ2、MITのケーブル類、それにお店から借りたレガ・ジュピターCDPを運び込んだのはもう半年も前のことです。私はそれ以来、H君の音を聴いていません。7月には私のレガ・P9レコードプレーヤーが加わり、生意気にもCD、LP両刀使い態勢に入ったH君でしたが、案の定、期待のオラクル新型CDプレーヤーは待てど暮せど入荷しません。華麗なるフィニッシュが出来ないまま、H君は夏を過ごし、私は自分の方で忙しく、更にはNYからやってきた森内さんや磯谷君と遊んでしまっていました。H君の音がどうなっているのか、気にはなっていても、「なんたってあのグレードだから、腐っても鯛だろう」と考えていたのです。

先日、H君が久しぶりに私のうちに遊びに来ました。日本に里帰りをした際に買った浜崎あゆみ、ドリカム、ミスチルなどのCDを持って。米国で買うと日本のCDは一枚37ドルもするんです。浜崎のCDを聴きながら「はー、うちとは全然違いますね。もうまったく違います。月とすっぽん。さすがです」としきりに言います。そりゃ、違わなきゃ悲しいね、ですが、あれだけ大枚をはたかせた責任を感じ、H君はどういう音で聴いているのか、ちょっと心配になってきました。そこで、もっと私のシステムでLPを聴いていたかった磯谷君をせきたてて、3人でH君のアパートに向かいました。とうとう重い腰を上げたのです。

そのうち聴かせてね、と言っておいたのが効いて、H君の男の城はこの前行った時より整頓されていました。部屋は20畳くらいあって文句なしなんですが、セッティングは、まだラックを買ってないこともあって問題山積です。スピーカーの間のカーペットにテーブル用の板を一枚敷いて、そこにコンセントラ2、その天板上に直接レガのジュピター(なんとお店から半年も借りっ放し!)が乗っています。その隣には私が貸した3本足付き板の1段ラックがあり、それにレコードプレーヤーを乗っけていますが、このラックは上等ですし、悪くないでしょう。スピーカーの位置はブライアンと私が設置した地点から動かした気配がありませんし、他にも音を良くしようとトライした形跡はありません。要するに、ほぼ置きっ放し状態です。H君は基本的には健全
(?)な音楽ファンであって、決してオーディオマニアではないのです。

さて、私のうちで3人で聴いて絶賛していた鬼束ちひろのCDをかけることにしました。
「なんだ、この音は、、、」

一言でいって、情けない音、でした。これじゃ久しぶりに私の音を聴いてショックを受けるはずです。半年ほど前に聴いたときはこんなに寝ぼけた濁った音だったという記憶はありません。エクリプスクラシックとコンセントラ2には、私の音とは別の魅力がありました。しかし、この鬼束はあまりにフォーカスがなく、透明感が決定的に不足し、音がこもっていて団子になっています。音に躍動感がない。エクリプスとコンセントラ2のエージングが進んで、音のバランスが変ったのでしょうか? 調整が必要な変化が起こっているのに、何もしないので機器のグレードを生かせない、というケースかもしれません。

H君は「いや、いつもはこれよりずっと良いんですけどね」と言います。自分でもこの音はかなりひどいと思っているようです。もちろん、ウォーミングアップが済まないと実力は測れません。実際、曲が進むにつれ、少しづつ良くなってきています。しかし、経験から言って、スタートがこの状態では、良くなるにも限度があることは明瞭です。特にこのこもり具合はいつまで待っても解消されないでしょう。

H君は「レガは音が甘いからなあ」と言います。私もそうは思いますが、CDPのせいにする前に出来ることはいくらでもあります。この日はもう時間切れでした。家族が待っています。私は、H君に、「よし、なんとかしてやろう。H君の音向上作戦を遂行する。来週の土曜日はどうかな」「OKです」

H君は急にやる気が出たようで、その後、ネットで中古CDPを探しているようでした。リンのCD12が11,000ドルで出ていたのに食指を動かされたようですが、さすがに思いとどまったようです。でも、私は貸して欲しかったので、「買ったら?」なんて無責任なことも言ったんですが。

さて、翌週、H君とホームセンターに出かけ、私がアイドロンの下に敷いているオレンジ色のコンクリート板を1枚買いました。7ドルでした。もう一枚は私が持っていたのをあげました。これが無茶苦茶重くて、二人でひいひい言いながら運びました。アイドロンの時は一人で運んだのですが、怪我をしました。米国のカーペットは足が長くてスパイクを使っても効果がないことが多いんです。この板を敷いてスパイクを使えばきっと音が締るだろうと思いました。失敗だったとしても安いし、運動になります。(H君はダイエット中)

後ろの壁からの距離をきちんと測ってコンクリート板を設置し、そろそろとエクリプスを板の上に移動させます。そして、フォーカスを出す為にスピーカーの側面がほぼ見えないくらい内振りの角度にして、アヴァロンに付属する金属スパイクを挟んで音を出します。私の場合は高域に若干金属の色が乗るので今は使用していないのですが、H君の場合は高域の切れが必要ですからこのスパイクは必要でしょう。さあ、どうなるか?

変った! 低音が見事にすっきりしてしまいました。こうなると中高域も見通しがよくなって、今までどこまでがヴォイスでどこからが背景なのかわからなかった状況が改善されました。「よーし、もっと良くしてやるぞ!」と私は、家から持ってきたアイドロン用のスパイク(エクリプス用と同じ金属コーン)をポケットから取り出し、コンセントラ2の下に入れて、カーペットに敷た板から3点支持でアンプを浮かせました。これも似たような効果がありました。奥行きが出てきて、音場の立体感が増します。弦の音も爽やかです。次にレガとコンセントラ2の間にも持参したタオックの鋳鉄インシュレーターを挟みこみ、レガを浮かせました。

「H君、ほら、ここに座って聴いてみて」と手招きし、私はソファーの後ろに回りました。「うわあ、すごく良くなりました。嘘みたいですね」「そうだろ? 重くて苦労した甲斐があったねえ。しかし、これだけじゃないよ。ケーブルを持ってきたんだ。森内さんが僕に貸してくれているシングルエンドのインターコネクトを2種類。もちろん彼には話しておいたよ。この細くて頼りない方がオリジナルのマークレヴィンソン製、こっちの立派で高そうなやつがモンスターケーブルの確かシグマレトロとかいう新作。森内さんてケーブルオタクだよなあ(失礼)」

ということで、レガのジュピターからコンセントラ2のケーブルをMITの330プラスから交換して聴いてみました。まず、MLから。おお! フォーカスが出てきた。全域で締って、切れ味抜群。こりゃ素晴らしい。今の少しソフト気味の音にぴりりとした緊張感を与えてくれます。

さて、次はモンスターです。これが、がらっと変る。フォーカスはやや甘くなるのですが、その分エコー感が抜群です。これまで聞こえなかった響きが聞こえてくるよう。非常にスムーズで穏やかです。私は、この方が本当のレガのプレーヤーの音だろうと思いました。

「H君、どうかな? どっちが好き?」「僕は断然マークレヴィンソンです」「わかるわかる。ちょっと妖しい感じも出るよね。モンスターもMITも悪くないけど。このレガにはマークだね。しかし、レガは借り物だし、もしかしたら君はバランスケーブルが使えるCDプレーヤーを買うかもしれない。その辺決まってから再度検討するべきだね」「ええ。今日はありがとうございました。まじで、音が100万円分くらいは良くなったと思います。とにかく今までとは比べ物にならない音です。ほんとボケボケでしたから」

それから数日後、私はメールをもらったのです。「川崎司令官殿。AF見ました。私も作戦に参加させてください。参謀より」

言うまでもなく、参謀は森内さんでした。ここからはせっかくだから司令官風に書こう。
次の日曜日、私は作戦本部(自宅)に参謀を呼び出した。私はブライアンからもらったライナー指揮「展覧会の絵」のLPをかけた。誰がこれを1956年の録音と思うだろうか? 最新のデジタル録音も真っ青である。呼び鈴が鳴った。H君だった。彼は「凄いなあ。僕のが聴けるようになったと言ってもこりゃ全然比べ物にならないなあ」と情けない表情をした。この後、CDをかけて情けない顔をしたのは私であった。しまった、やっぱりLPの後にCDをかけるとえらく貧弱に聞こえてしまう。参謀はCDも前より凄くよくなったと慰めてはくれたが…。

さて、参謀と私はH君のアパートに向かった。時刻は午後5時半。私は元帥閣下(家内)に午後7時には食卓につくようにと言われていた。作戦はたった1時間半で完了されなければならない。腹からアドレナリンが染み出すのを感じた。

参謀はH君の男の城を褒めちぎった。「はあー! 音響もうちより良さそう。なんてうらやましい。こんな部屋で独身でオーディオに没頭できるなんて!」 独身で、というところに妙に力が入っていた気もしたが、別に今の願望ではないだろう。確かにH君は独身だが、オーディオに没頭していないので問題なのである。いや我々が没頭し過ぎなのか?

森内参謀はだてに参謀と名乗ってはいなかった。音を出す前に、リスニングポジションがスピーカーから遠いことを指摘した。実際音を出すと、前回の作戦で低音はスッキリしたが、全体に音が迫ってこない。参謀は「右の長い壁の方にセッティングするべきじゃないですか? その方が音がこっちに出てくると思います」と提案する。もちろん異論はない。それは長年の懸案だったのだ。巨大なTVセットで怪我をしたくなかっただけである。しかし、今日は兵力が違う。私は時計を見て、この大作戦を決行しても、今夜のおでんにはまだ間に合うと判断した。「よし、念願の装置大移動にかかれ!」

怪我もなく、破損もなく、あっと言う間に移動し終えた。見事なチームワーク。参謀はコンクリート板の重さに驚嘆した。「こんなに重かったんですか! 叩くとなかなか良い音するんですね。こりゃ僕も使ってみようかな」

長方形の短い辺の側から長い辺の方に装置を移動させ、スピーカーの間隔をやや広げてみた。これまではリスニングポジションの後方はキッチンの空間だったが、今は壁を背にしている。鬼束ちひろのCDをセットした。

音に勢いが出て、聞き手を包み込むような出方になった。聴取位置からスピーカーまでの距離がこれまでの半分程度になったことが大きい。参謀が言うとおりだった。それだけではない。音のバランスも変った。低域がしっかりして見事なピラミッド型に落ち着いた。ソファの後ろがすぐ壁なので、三浦氏とフウ氏のように?二人が縦に並んで聴くことはできなくなってしまった。みんなで席を交替して効果を確認した。 

音に勢いがついたのは、他にも理由があろう。壁のコンセントが4口使えるようになったので、CDP、アンプ、LPプレーヤーの電源を直接壁のコンセントから取ったのだ。それまでは、私の貸した電源タップを使用して一つの壁コンから取っていたのである。私の経験では、音質はともかく音の勢いは電源タップなしの方に分がある。

参謀は「ほら、川崎さんの音の傾向に似てきたんじゃないですか? アヴァロンとジェフの音の個性が聞こえませんか」と言う。なるほどそうなのかもしれない。しかし、自分の音と同じ傾向になればなるほど、今後はあらが見えてきてしまうのだ。その意味で、H君が以前「アヴァロン買ったら川崎さんに勝てなくなるじゃないですか」と言ったのは間違いではなかった。「僕のより柔らかくて温度感も高いね。でも、こうなってくると、もう一段の解像度が欲しくなるなあ」 H君は「いやあ、迫力が出ましたが、たしかにまだボケていますね」とグレードアップした音に目を細めつつ、課題を認識しているようだ。参謀は「このセッティングはいいスタート台になりましたね。ここからH君がどのように自分の音として高めていくか楽しみです」と、穏やかに煽っている。しかし、私はH君がこまごまと調整するオーディオを楽しむ姿は想像できないのだ。いや、それが健全なのかもしれない…

さて、LPレコードも聴いた。レガ同士の競演である。我が家ほどではないが、H君宅でもLPの音はCDより音が立っている。参謀は、「川崎さんが持ってきたこれを使いましょうよ」とタオックの鋳鉄+メタルプレートのインシュレーターを取り出し、レガのP9を3点支持で浮かせた。音の輪郭がはっきりした。低域がやや整理され過ぎかもしれない。更に参謀は持参したゴールドムンド製のLPクランパーを持ちだし、これでLPをターンテーブルに締め付けた。これは凄い変化だった。音が滑らかになり、いくつかのLPで感じたキンキンしたいやな響きが消えた。反面、伸びやかさも消え、やや頭を押さえつけられた感じになった。「これは一長一短だな」と私。「そうですね。これは自宅で現役ですから撤収します」と参謀はそそくさとクランパーをしまいこんだ。

まだまだ遊んでいたかったが、参謀も私も、各々の元帥閣下のご機嫌を損ねては、もっと大切な自分の作戦遂行に支障を来すので、惜しみつつ現場を離れたのだった。

帰国休暇を利用して山本さん、富田さん、岡崎さんの音を聴いてきた森内さんのお話と、日本から持ち帰ったAETのデジタルケーブルと電源ケーブルの成果を聞きにお宅に伺いました。H君と磯谷君を誘って。彼らにも私とは違うタイプの突き詰められたサウンドを体験してもらいたかったのです。

いつもながら恐ろしく繊細でニュアンスに富んだ音です。天才マーク・レヴィンソンの顔が浮かんできます。チェロの「セラフィン」パワードスピーカーはエンテックのサブウーハーとシームレスに繋がっていますが、以前のややドンシャリ的傾向が、今日はかなり普遍的なバランスになってきていると感じました。

H君は、最新ポップス系のCDをかけてもらい、興味深く聴いていました。私は彼の指向する音とは違うだろうと思いましたが、感想を聞くと「この音もいいですね。僕は幅広く色々なタイプの音を受け入れるんです」とのこと。私は「この音は君のエクリプスとコンセントラの延長線上にはないだろうね。どういう音を目指しているのかな? やっぱり師匠の音かな?」「いや、まだ方向を考えるところまで達していないんです。基本的要素がまだ足りません。特に解像力が欲しいです」

森内さんは東京でのショックをまだ引きずっているようでした。「僕のは岡崎さんのように精緻でもなく、富田さんのような美音でもなく、山本さんのようにリアルでもないんです。中途半端で、どうしようかと思うんですよ」 しかし、私から見れば、森内さんが一番強烈な個性を主張しているようにも思うんですが…。本人には自分の個性が透明なので、その人の課題は他人からはよくわからないことがあります。

更に山本さんの音について「富田さんの方向を目指す人も大勢いるし、岡崎さんの方向を目指している人も大勢いるでしょう。しかし、山本さんの音は滅多に聴けない音だと思いました。ああいう音があることを知ってとてもよかったと思います」 どんな音になったんだろう?

今日の会合のもう一つの目的に移りました。ブルーさんのシカゴ来訪当日のスケジュールの確認です。カナダに住むブルーさんは、オーディオファン掲示板での交流をきっかけに、私のシカゴの音、LPの音を聴きに家族で来て下さることになったのです。朝の9時にH君宅からスタートし、次に森内邸、そして私の家とまわることにしました。


言うまでもなく、H君の課題はCDプレーヤーです。個人売買サイトのオークションに出されたワディアの270/27ixを、なんとH君が最高値で落札したのですが、売主の設定希望売却価格には到達しませんでした。交渉権があるので、落札価格以上のお金を
払ってワディアを獲得するべきかどうか相談されました。「音は聴いたことあるの?」「いいえ。でもワディアですから」「270って僕の使っているトランスポートだよ」「えっ、知りませんでした。だったらなおいいじゃないですか」 この調子です。売主の価格から、私は薦めませんでした。

「日本に帰ってSACDコンパチ機という手もあるよ」と言う私に頷いてはいるものの、良いものがあったらいつでも食いつこうという構えのようです。最新ポップスが大好きな彼にはLPよりCDの音を良くすることは重要ですから引き止めるつもりはありませ
ん。

H君と久しぶりにクインテッセンスに出向くと、カウンターの上に金の色使いが印象的な機械が鎮座していました。ミュージカルフィディリティのNu Vistaという5000ドルのCDPです。「とうとう入ったんだね」「ほぼブレークインしたかな。よく聴いてないけど評判どおりだと思うよ」ステレオファイル誌の絶賛レヴューのことです。

ブライアンはもともと自分が所有していたH君のレガのP9レコードプレーヤーを買い戻したいと言い始めました。イメディアのRPM-1にはやっぱり手が届かないようです。私はブライアンの援護射撃をすることにしました。「H君、P9はブライアンに譲ったら? 君がレコードプレーヤーを日本に持ち返るのは後々しんどい気がするんだ。日本で買い直した方が安心かもね。売ったお金を使って米国で良いCDプレーヤーを買うというのは悪くないよ」 

H君がどう思ったのかわかりませんが、急に店内のCDPを見てまわり始めました。ワディアの861があります。「861とアルティスのセパレートはどっちが良いですか?」ブライアンは迷うことなく「アルティス」と答えます。H君はアルティスをこれまで
聴いた最高のひとつと評価していると言います。しかし、あまりにマイナーで高価($10,000)です。

H君はNu Vistaを借りることにしました。これでブルーさんの来訪を迎え撃とうという作戦です。

期待に胸を膨らませ、セッティング開始です。Nu Vista 3Dはコンセントラ2より大きいので、ジュピターのようにアンプの上に直載せするのは止めました。P9用の1段ラックをCDPに使い、P9を木製テーブルに移します。(早くラックを買ってよ!)3Dには意外にもバランス出力がありません。高級CDPですからこれは確信犯なんでしょう。森内さんのマークレヴィンソンピンケーブルを使用しました。

音を出すと、高域と低域の伸びが印象的です。加えて音場が大きいのには驚きました。音の密度も増しています。CDP内部で96kHzにアップサンプリングする効果でしょうか? ミュージカルフィディリティが「SACDに負けない」と豪語するだけのことはあります。ジュピターは健闘していたものの、やはりH君システムではボトルネックでした。まさに詰まった栓を取り去ったかのような飛躍的な音質向上です。後は好みの問題と思わせるレベルに到達しました。音色としては、透明感や切れ味を際立たせる方向ではなく、うっすらと上品な化粧をした美音系で演出のある音だと感じました。

「これに決めてもいいかもしれないです」 彼も相当気に入ったようです。見た目も合格。「そうだね。格段に違うね」「マークレヴィンソンの新製品No.390Sを聴いてダメだったらこれにしようかと思います」実はオーディオコンサルタントにも出向き、No.390S($6,700)も借りようとしたのですが、さすがにたくさん貸し出し試聴予約が入っていました。390Sはたぶん3Dと全く違う方向なのでしょうが、聴いて損はないモデルでしょう。

Nu Vista 3Dを聴いた後にLPをかけました。LPはLPの良さがありますが、もはやCDに不満があるからLPを聴く、とは必ずしも言えない情勢です。「明日のブルーさんの試聴会ではLPを先にかけた方がいいのかも知れませんね」「そうかもね。しかし、これは凄い隠しダマだよ。本番が楽しみだ」

     とつぜんですが上司編です

会社の先輩であり、H君の上司であるM田さんの話をしましょう。私が日本から持って来たマッキントッシュのスピーカー、XRT18Sの現所有者です。2年前にお譲りしたこのスピーカーにクラッセのCAP101プリメインとNADの廉価なCDPを合わせ、主にジャズ、フュージョン、ロック系を楽しまれています。M田さんは学生時代セミプロ級パーカッショニストとして鳴らしたそうで、ご夫人も元ドラマーですから、ご夫婦とも演奏や音に敏感です。ご夫人は、CAP101の電源ケーブルを付属品から私の手持ちのオーロラパワーコードに換えた途端、「あっ、違う。これ譲ってください」とおっしゃったのが実に印象的でした。そんなことを女性の口から聞いたことがなかったからです。感動しました。

CAP101(100W/ch)はXRT18S(能率86dB)を何とかドライブしていたようですが、M田さんは時に音楽に合せてエレキドラムを演奏される大音量派で、いかんせん30畳ほどのリビングでは精一杯です。もっと余裕のある音にしたいとの欲求はかなり以前からあったのですが、米国でMBAも取得し(おめでとうございます!)、ついに爆発したようです。CAP101が故障したのをきっかけに、グレードアップアドバイスの正式依頼を受けました。

修理から戻ってくる101のプリ部を利用するにしろ、しないにしろ、とにかく大出力パワーアンプが必要です。同じクラッセで行っても良いんですが、予算的に厳しそうです。近所の販売店にあって自宅試聴が可能な製品で、コストパフォーマンスの高い大出力機と言えば、私の頭に閃くのはあれです。

ブライストン4B-STは定価2,500ドルで250w/chというお買得機です。早速オーディオコンサルタントのジョンに電話します。M田さんの状況を伝えると、「ブライストンの4B-STがお奨め。1,900ドルの中古があるよ」とピッタシカンカン、渡りに船とはこのことです。「スピーカーに合せてマッキンはどう?」「マッキンだとMC202が良いけど3,000ドル超えるからね。リッチでウォーム調。ブライストンはワイドレンジでもっとストレートかな」「よし、とりあえず4B-ST。ちなみにプリアンプは候補ある?」「同じブライストンのBP20が2,600ドルくらい。高い? それじゃミリヤードかな。MP100はフォノ付きで$1,244」「ちなみにCD直結という手はどう?」「出力ボリウム付きのCDプレーヤーの良いのは高いからね。うちだとプロシードで3,000ドル強。凄く安いのにマランツがあるけど、CD直結はお勧めしないよ。プリアンプを通した方が結果が良いから」「じゃあ、CDPは今のNADをキープして、4B-STとBP20、それにMP100を借ります」「OK」

日を改め、M田さんとお店に向います。部下のH君がNu Vista 3D CDプレーヤーを試していて、大変な違いがあったことを話すと、M田さんは「5,000ドル!」とかなり刺激を受けたらしく、「そうか、CDPでそんなに違うのか。CDPも考えるかな」

M田さんの意を受け、貸し出すアンプを準備するジョンに、彼のお奨めCDPを訊いてみます。これも予想された答でした。「アーカム。CD72か92、もしくはFMJ23」 M田さんと相談し、BP20を諦め、CD72($800)をNADと比較し、大きく違えばCDPも一緒にグレードアップすることにしました。ブライストン4B-ST、ミリヤードMP100、アーカムCD72を借ります。クラッセCAP101はクインテッセンスに修理に出していますが、いつ直るか分からず、修理できしだいオーディオコンサルタントへの下取り又は誰かに譲ることにしました。

M田邸に着くと、早速4B-STとMP100を接続し、まずNADで音を出します。クラッセの音を一番聴き込んで記憶していると思われるご夫人の愛聴盤からかけることにします。なんと!ラクリマクリステです。熱狂的ファンのご夫人はじっと耳を傾けておられましたが、「なんか、ちょっと冷たい音ですね。クラッセの音の方が良かったような…」M田さんもちょっと期待をはぐらかされたご様子。この時、私の家内がM田邸に到着しました。後で聞いたのですが、家内もこの出たばかりの音を聴いて「あら、こんなので大丈夫かしら?」と心配したのだそうです。

「ヒートアップに時間がかかるんです。どんどん良くなりますから」と言い残し、私は私用で席を立ち、1時間後に戻ってきました。部屋に入るとM田さんはCDと一緒にエレキドラムを演奏されていました。「いや、いいね。前と全然違う」 パワフルな音を聴いて叩かずにはいられなくなったようです。マッキンXRT18Sは、昔クレルのKSA300S(300w/ch)でご機嫌だったように、ハイパワーを要求すると言うことを再認識させられました。大出力アンプで駆動すると、音量を上げた際の音の立ち方は言うに及ばず、小音量の際のクオリティにも大差が出ます。

スピーカーやプリが違うので当然と言えば当然ですが、この4B-STは以前ショップで聴いた3B-ST(プリはB60のプリ部、スピーカーはティールCS1.5)のような暖かいスイートな音ではありませんでした。もっとシャキッとして、ニュートラルな方向です。ミリヤードMP100も特に癖のないアンプのようです。

「ではCDPを比較してみましょう」 NADをCD72に繋ぎ変え、コルトレーンをかけます。実は、もっと大幅にランクアップしないと差がはっきりしないのでは、と思っていたのですが、杞憂でした。アーカムCD72は、その実力を見せつけました。「ビデオカメラの画素数が違うのと同じ感じだね」とM田さん。ご夫人も家内も相槌を打ちます。音の網の目が細かくなり、音の肌触りが柔らかくなります。800ドルなのに大したものです。「もっと上も聴いてみたいなあ」という声を期待したのですが、これで十分だったようです。

この音を聴いて交響曲をかけたくなる気持ちはよく分かります。M田さんは、デュトワ指揮のホルスト「惑星」から「木星」をかけました。しかし、もう一つ何か足りないような面持ちなのを私は見逃しませんでした。「M田さん、XRT18S付属するボイシングイコライザーを復活させましょうよ」 この付属イコライザーは、CAP101時代にはアンプの出力不足のせいか音が歪んでしまう為、ずっと外されたままでした。プリとパワーの間に挿入し、音量を上げても今度は何の問題もありません。力感が増した感じです。さっそくイコライザーの7つの設定済み(変更可能)周波数バンド(左右独立で合計14ポイント)を私の好みで調整します。「このつまみはバイオリンの艶やニュアンスを増やすのに効きますよ。ほら」という具合に説明しながら。M田さんはオーケストラの「ブオン、フオン」と言った響きが欲しかったようです。その量を上げ、リッチネスを出すと、M田さんは満面の笑顔で「素晴らしい」と頷かれました。私の経験上、このバランスでは他のジャンルでは若干豊満過ぎるだろうと思ったのですが、この豊満で雄大な音こそがXRT18Sの真骨頂でしょう。もちろんM田さんは全てを買う決心をされました。蘇ったXRT18Sを祝福しながら、私は家内と帰路についたのです。

      第13章 カナダからお客様 そしてH君への最後のご奉仕? 
初演奏の当日、私はH君宅へ急ぎ過ぎて途中で警官に捕まったことはもう忘れて、セッティングのチェックをしていました。そこに森内さんも現れ、「おっ、これが隠しダマですね」とNu vista 3D CDプレーヤーの音を確かめています。呼び鈴が鳴りました。ブルーさん、奥さん、もうすぐ2歳の娘さんのご到着です。

「カナダからはるばるご苦労様です」と歓談が始まります。進行役で時間を気にする私は、すぐに音を出したいのですが、肝心のH君はキッチンでお茶を煎れています。私が音を出してやろうかと思いましたが、初めてのお客に音をお聞かせする場合、何を最初の曲にするかは重要なポイントですから、H君の登壇を待ちました。

「では福山雅治から行きます」H君お得意の「桜坂」がかかります。ブルーさんは特等席で、ときにお子さんを膝に乗せながら、H君の再生をじっと聴いています。こうして、2001年12月23日のシカゴ試聴会はスタートしました。その後の経過はブルーさんの感想文に詳しいのでここでは割愛させて頂きます。(山本耕司さんのHPの「架空セカンドオーディオシステム」の私のページをご覧下さい。)

シカゴ試聴会は成功裏に幕を閉じました。私が驚いたのは、ブルーさんと森内さんが午前9時から翌日の午前1時までという長時間、微動だにせずずっと集中して真剣に音を聴き続けられたことです。本当にオーディオが好きなんだなあ、と私は横から見ていて感動してしまいました。一方、H君はと言えば、私の家の試聴になるとけっこう席を外して私の子供達の相手をしてくれるのです。彼は私の音に一番接触しているので、ちょっと聴けばもう十分なのでしょうが、夜の部になってブルーさんの持ち込まれたDACやケーブル類を試聴するというマニアにはたまらない企画の際にも、私の家内と話しこんだりしていました。ただ、彼の好きな音楽がかかると嬉しそうに聴きにやってくるわけです。そういうところを見るにつけ、H君は、ブルーさん、森内さん、私とは人種が違う、との思いを新たにしたのです。

ところが、期待の星マークレヴィンソンの新CDP、No.390Sの試聴あたりから、彼に変化が現れ始めました。

ブルーさんの試聴会の数日後、H君がNu-Vista 3D CDプレーヤー(5,000ドル)を返却する前に私の家でも鳴らしてみることにしました。レガのジュピターとあれだけの差を見せつけた3Dに期待は高まります。ところが、音が出るや否や、ワディア+dCSと比較するのは無理なことがわかってしまいました。素敵な音なのですが、うまく音作りをしていることが気になってしまうのです。「こりゃ、正面から勝負してないって感じですね」とH君。うまいこと言う。座布団一枚。「こりゃ、ここで聴かない方がよかったかな?」「いえ、いいんです。うちでは良かったんですから。依然として有力候補です」相性の問題を理解しているようです。

年が明けて最初の土曜日、オーディオコンサルタントから「レヴィンソンのNo.390Sが借り手から戻ってきた」と連絡がありました。早速H君とお店に出向き、390Sをゲットし、ついでに試聴室に入ると、アンドラがレヴィンソンアンプ群に繋がれ、dCSのヴェルディ、パーセル1394、ディーリアス1394でDSD変換されたCDを鳴らしていました。ジョンは「最近顧客からdCSセットのマスタークロックは、ヴェルディじゃなくディーリアスから取る方が音が良いという情報を得てね。確かにそうなんだよ」とその比較実演をしてくれました。なるほど、その通りで、より滑らかになります。H君は「こりゃ凄い音だ」とアンドラに感心した様子です。

ついでにクインテッセンスに寄ります。おもむろにH君はブライアンとラックの話を始めます。1段ラックを貸している私の帰国が迫り、もう選ぶのにあれこれ迷っている時間はないのです。結局ゾーセカスを買うようです。この、まねっこ動物め。生意気にも私と同じメイプルの4段ラックに最上の板を注文しました。

さて、390Sの比較用にワディア861を借りようと思ったのですが、あいにく貸し出し中でした。しかし、せっかく来たので、何か借りたいものだ、とあたりを見回したところ、銀色に輝く見慣れた物体が目に入りました。ジェフのモデル10です。ようし、これをコンセントラ2に繋いでどう違うか聴いてやれ、とH君のシステムプランとはあまり関係ないアイデアが浮かんできました。

 モデル10を借りたいと言い出したのはH君でした。ブライアンは「コンセントラ2からのグレードアッププランなら、もっと高いやつ買わないと適用できないよ」「だったらモデル12だな」と冗談めかして言うと、H君はまんざらでもなさそうな表情です。うっそー! これ以上マネされてはたまらないので、「だったらリンのクライマックスステレオ版なんか候補だね」と振ると、ブライアンは「試聴機を注文しようか?」と乗ってきました。私はH君がどういうつもりなのか分からず、真意を訊くと、「川崎さんの所と僕の差はパワーアンプ部にあるのじゃないかと前々から疑っていたんですよ。実はCDPよりこっちの方が楽しみなんです」 そうなのか!

H君宅に戻ると、まずコンセントラ2の音を確認し、お昼も忘れてセッティングしました。390Sは隣の部屋でウォーミングアップさせておき、モデル10の方から試します。コンセントラ2のプリアウトからモデル10へ、ワサッチのアルティマバランスケーブルを奢ります。試聴用CDは最近愛用しているウィンダムヒルのサンプル盤です。

コンセントラ2とモデル10が並ぶゴージャズな空間に音がスっと立ち上がってきました。中高域に私好みの切れが聞こえます。鮮度が高い。低域が通常よりほぐれています。全体に音の粒立ちとスピードが違うのです。温まるにつれ、更に良くなって来ます。「ああ、これは聴き慣れた音だ。そうか、この音はモデル10や12の音なんだね。僕はもっとアイドロンに負っているのかと思ってたけど」「ほんとに透き通ってますね! 僕の思った通りでした。アイドロンじゃないとダメなのかな、と思って中古のアイドロンも探してたんですけど(おいおい!)、これならエクリプスクラシックで満足ですね」「恐ろしいこと言うなよ。しかし、どうするの?」「お買得品をインターネットで探してみます。他にも良い候補はありますかね?」H君は最近インターネットでのお買い物が得意になっているんです。「ちゃんと聴いてから買えよ。どれでも今と同じように良くなるとは限らないからね。パスX350、エアーV1、V5、レヴィンソンNo.336あたりはオーディオコンサルタントにあるよ。ゴールドムンドは米国ではサポートがないので取り扱いを止めるらしい。しかし金持ちだな」「いや、もうないんですけどね」

ドアのベルが鳴ります。電話で呼び出した磯谷君が到着したようです。部屋に入るなり、モデル10を見て驚いています。さあ、390Sに移りましょう。

私にはおなじみのレヴィンソンのデザインですが、H君には不評です。「かっこ悪いなあ。この赤いインディケーターの表示文字もボタンもでかくて、なんか頭悪そうですね」 こらこら、352.8kHz/24bitまで自動的にアップコンバートすることは知ってるの?

モデル10+コンセントラ2に390Sをワサッチの中級ケーブルでバランス接続します。電源ケーブルはオーロラII。重いリモコンでスタート。きっちりと細かいところが出て来てグレードの高さが伝わってきます。「いいね。端正で、鮮明で、潤いもある。僕は3Dよりかなり良いと思う」 H君は「ま、悪くないかな。でも、真面目過ぎる気もします。Nu-Vistaの艶っぽさも良かったな」「いまいちのようだね」「なんだか、モデル10を足したときの向上から比べると、ジュピターから390Sへは大したことないって感じです」「良くなる部分が違うという感じだけどね。でも、言いたいことはよく分かる。さて、コンセントラ2と390Sだけで鳴らしてみよう」

モデル10を外すと、音はがらっと変わりましたが、390Sの効果なのか、それほど落ちたとも言えません。390Sはコンセントラ2の暖色系の色にレヴィンソン調の涼しさを加えているようです。力感やオーディオ的透明度は少し後退しますが、落ち着いた音で、相性は良さそうです。ですが、H君は「やっぱり違いますね」「390Sとモデル10の直結も試そう。これは楽しみ」

アルティマケーブルでモデル10に直結すると、390Sのデジタルボリュームは自動的に0になりました。リモコンで音量を上げていきます。しばらく聴いていたH君は「ダメですね」私も磯谷君も同感でした。やはりプリアンプを省いたときに欠落する何かがあるようです。「よかったじゃない、今のところ、コンセントラ2の存在意義が完全否定されずに済んで」

H君はパワーアンプで頭がいっぱいのようですが、私は390Sがけっこう気に入りました。「これ、僕のところでぜひ聴いてみたい。今からうちに行こうよ」

磯谷君は嬉しそうに私の音に耳を傾けています。あいにく仕事が入ってブルーさん試聴会ではゆっくり聴けなかった彼の為に、LPとCDを一通りかけました。H君は自分の音と比べていろいろと考えている様子。

アンプが温まったところで、390Sの登場です。390S−ワサッチアルティマ−シナジー−トランスペアレントリファレンス−モデル12へオールバランス接続。H君宅でTatsuyaさんのMLケーブル(RCA)を390Sに試したのですが、やはりバランス接続の方が低域が雄大で腰が据わりました。

「ほお」と思いました。やっぱり自分の装置で聴くとよく判ります。Wadia+dCSの24bit、176kHzのアップサンプリングにひけをとらないレベルと思いました。とにかく緻密で情報量が多い。当たりが柔らかく、音像はdCSより引っ込んで、小さく締まって聴こえます。ただ音像の密度感はやや薄い。音場の大きさもdCSの圧勝、しかし深さはなかなか。そして、なんと言ってもレヴィンソン独特の質感、が聴こえて来るんです。「無臭の水の臭さ」とでも言いましょうか。私の音がレヴィンソンに支配されている! この質感は嫌いではありません。ないものねだりかな? 物珍しいだけ? でも、気になる音です。

「解像度では390SはWadia+dCSに負けてないな。僕はこれに換えて帰国しようかなあ」「えっ? そこまでいいですか?」「狭い日本だからね。一体型は魅力的。CD12からするとえらく安いじゃない。この完成度の高いレヴィンソン臭が妙に気に入った。ただ、dCSはいろいろ楽しめるし、可能性があるんだよな」

私は最近Wadia270とパーセル間のデジタルケーブルをTatsuyaさん所有のシナジスティックのデザイナーズリファレンス+シールドキットにしています。TatsuyaさんはAETのアルティメイト試作版に決めたため、私はこのシナジを譲ってもらうつもりでした。しかし、390Sにすれば、それも要らなくなります。

ここで、Wadia+dCSでデジタルケーブル(シナジ、AETアルティメイト、オーキッド)を比較試聴をやってもらいました。家内も参加。結果は、私を除く3人がAETを支持しました。私もAETが総合的には間違いなくトップだと思いましたし、特に解像度では圧倒的優位にありました。これならさすがのNo.390Sも明らかに後塵を拝するようです。しかし、私はシナジの華やかさ、響きの豊かさ、あでやかさに魅了される自分を確認していました。これが私の音です。

みんなで韓国料理店に出かけ、その後、H君は390Sを持って自宅に戻りました。今日は待ちに待った390S試聴の日でしたが、H君は何だかモデル10の方に気を取られてしまって、結局CDPはどうしたいのか私にはさっぱりわかりませんでした。私はWadia+dCSをNo.390Sにすることを真剣に検討していたのですが、CDPがH君と同じになるリスクも考えていたのです。

日本に出張を兼ねて大阪の家探しに出発する日の前夜、H君から珍しく電話がありました。「川崎さん、エレクトラグライドってパワーコードをご存知ですか?」「名前は知ってるけど、聴いたことはない。多分日本じゃほとんど無名」「ファットマンというやつで定価2,500ドルのが700ドルくらいで買えそうなんですけど」「うわっ、たけー! 聴いたこともないのに買うの?」「ええ、考えてるんです」「勧めない。でも、好きにしたら」

正直言って、大阪の家探しのことで頭がいっぱいで、まじめに相手にしませんでした。近頃彼はオーディオ売買サイトで手当たりしだいに「wanted」を出しているようです。モデル10を始めとする各社の高額パワーアンプやNu-Vista、そしてNo.390も。そしてケーブルも物色を始めたようです。製品reviewにも目を通しているようで、もう私が横について、これはどうだ、あれはどうだ、とやる必要がなくなってきました。頼もしいような、寂しいような…、と思いながら日本に旅立ちました。

1週間の旅程を終えて土曜日の朝、シカゴに戻ると、時差を解消するためにブライアンに会いに行きました。ワサッチアルティマのフォノケーブルを借りる用もあったのです。「H君に預けたよ」とブライアン。私のいない間にクインテッセンスに何をしに行ったのかな?

オーディオコンサルタントにも寄りました。タッグが「H君はNo.390Sを買うのかなあ?」と訊いてきました。「ネットで探しているようだよ」とも言えず、「さあね」と答えます。結局、私も熟考の末、No.390Sに買い換えるのは止めて、ディーリアスとパーセルを1394にアップグレードすることにしました。しかし、船便を出す日までには出来上がりそうもなく、dCSから直接大阪の新しい住所に配送してもらうしかありません。

翌日曜日、H君に電話して部屋に出向きました。「お帰りなさい。フォノケーブルはこれです。最低40時間は必要だそうですよ」「サンキュー。へえ、細いんだなあ」と受けとって、彼のシステムを見ると、コンセントラ2が前の方に飛び出しています。「これがエレクトラグライドのファットマンです。買ってしまいました」

見た後1分くらい笑っていました。想像を超える凄い太さでした。光る焦げ茶色の表皮が異様な存在感を醸し出します。これがお尻に突き刺さって、コンセントラ2は痛そうに前にのめっているように見えました。「ひー、これは参った。こんなもん狭い日本じゃ使えないぞ」「いや、案外曲がるんです。ほら、真中部分は柔らかいですし。それより音が凄いんです。もうモデル10も他のパワーアンプのことも忘れました。コンセントラ2で十分です」

自信たっぷりにH君はジュピターでCDをかけます。本当でした。レンジの広さ、音の広がり、音像の存在感、抜けの良さが各段に向上していました。なにより、ほとばしるようなエネルギーの噴出は、上位のパワーアンプを加えたときの効果に似ていると感じました。

「はあー、凄い。激変だな。僕がコンセントラ2用に貸していたワイヤーワールドのエレクトラリファレンスも優秀なパワーコードだけど、これは一つランクが違うね。いや、驚いた」「私もこんなに良いとは思いませんでした」「700ドルで買ったんだっけ? それでモデル10追加を忘れられれば安いよね」 こうなると私の悪い虫が騒ぎ始めるのです。「よし、これから、僕の家にある電源ケーブルを全種類持ってくるよ。比較試聴対決をやろう」

私の持ってきた電源ケーブルは、1)トランスペアレントのパワーリンク・スーパー、2)キャメロットのPM600、3)ワイヤーワールドのエレクトラリファレンス(ELP)、4)カスタムパワーコード(CPCC)のモデル11、5)同じくCPCCのトップガン。以上5種類です。これに6)H君のファットマン、を加えて6種類。定価はざっくり言って1)から4)は300ドル内外、5)は650ドル。ファットマンだけ2500ドルと別世界です。

1)から順番にコンセントラ2に差し込んで試聴していきます。パワーリンク・スーパーでは、先ほどのファットマンの勢いが消えたのがすぐわかります。色が暗く、しっとりとして滑らか。PM600は全体にドライでハイ上がり。くっきりとして前者と対象的です。さて、これまでH君が使用してきたELPに行きます。「これはかなり良いですね」とH君。ダイナミックで華やか。聴き応えのするケーブルです。

CPCCのモデル11は私の信頼する1本。ELPに比べるとやや大人しいですが、音場が更に深くなり、声に味わいがあります。このテイストがH君にはぴんと来ないらしく、「いまひとつ」 じゃあ同社のトップガンは? 「いや、これはさすがに川崎さんのところの最高ケーブルだけのことがありますね。圧倒的です」 全ての要素でこれまでのケーブルの数段上を行く音です。勢いがあり、リアルでアタックの立ち方が凄まじい。しかし、硬くてファットマン以上に扱いにくいのが難点です。

ファットマンに戻しました。H君はほっとしたようです。トップガンに負けていませんでした。値段からすれば当然ですが。トップガンは力感に優れ、ファットマンは解像度が出る方向です。特に高域の爽やかに抜ける感じが印象的で、これがH君のお気に入りのようです。「ファットマンの特徴がよくつかめました。買ってよかったです。700ドルですから」

そこでジュピターのオーロラIIをトップガンに換えてここでの最高の音を狙います。素晴らしい。音がみっしり詰まってきて、圧巻です。「これならレガのジュピターで聴いても相当な音だけどね。で、CDPはどうなったの?」

「ネットでレヴィンソンの390Sが安く見つかったので買うことにしました。もうすぐ届きます」「やっぱりそうか。僕は買わなくて良かったな。でも、気に入ったの?」「それほど惚れこんだわけでもないんです。実はあの後、Wadiaの861も借りて聴いたんですよ」「それで僕の留守にブライアンのところに行ったわけね。で、どうだった?」「良かったです。音の感じは861の方が好きでした。ああ言うのを音楽的って言うんでしょうか。聴いていて気持ちの良い音です。でも、390Sは解像度が861より高く、ややクールで、コンセントラ2とエクリプスCとのバランスも良いと思ったんですね。甘くなり過ぎないように締めてくれると言いますか。締まり過ぎたらケーブル等で緩められると思いますし」

No.390Sの超お買得オファーが見つかったので、ほとんどそれを買うことに決めて861はその決断を揺るがすかどうか試した、ということのようです。しかし、君は一人でお店に試聴機を借りに行くようになってしまったんですねえ。H君はもうずっと以前からちゃんと自分で音を判断して購入を決断していたのですが、試聴の機会はずっと私がお膳立てをやっていたのです。もう私の出る幕はありません。

10日ほどして、待ちに待ったNo.390SがFedExで送られてきました。ほとんど未使用のきれいなユニットでした。これを5000ドル以下で手に入れたようですから、笑いが止まりません。音を出すと、まだ温まっていないのですが、早くもレヴィンソンの気品を振りまいています。こうなると私の音の方向からはかなり離れていきます。「いや、素晴らしいです。格好もなかなかいいですよね。好きになってきました」 はいはい、そうですか。

こうして、H君のシステムは一応の完成をみました。レヴィンソンのNo.390Sとジェフのコンセントラ2でアヴァロンのエクリプスクラシックプレミアム仕様をドライブするという豪華な布陣です。アナログはレガのP9+ダイナベクター4_4で、フォノステージはコンセントラ2の内臓フォノカードを使用します。ラックはゾーセカスの2段ラック+Zスラブを2個注文していて到着を待つばかりです。

機器が決まったので、今後はケーブル類を吟味することでしょう。決まっているのはスピーカーケーブルがMIT/スペクトラルのMH770ウルトラリニアバイワイヤ、と電源ケーブルがエレクトラグライドのファットマン(コンセントラ2用)です。まず390Sとコンセントラ2を結ぶバランスケーブルが必要で、その後に390S用の電源ケーブルの選択でしょうか。

彼はずっと私の音を聴きながら機器選びをして来ました。この強烈な「擦り込み」状態に加え、同社を扱うクインテッセンスオーディオの試聴室の圧倒的な音の良さで、アヴァロン+ジェフの組み合わせに至ったのは無理からぬところと思います。但し、これが彼にとって本当に良かったのかどうかは判りません。私達はそれほど多くの製品を聴いてきたわけではないですから。これからもH君が人の音を聴かせてもらい、機器選びを続けていくなら、そのうち本当の「自分の音」を見つけるのかも知れません。

彼が幸運だったのは、シカゴという土地で、私やブライアンだけでなく、Tatsuyaさん、磯谷君、そしてブルーさん、とクレイジー級のオーディオ好きに出会えたことだと思います。音楽の好み、音の好みはもちろん、音の感じ方、表現の仕方さえも異なる者達が集ってわいわいとやる楽しさを知ったのです。それがなければ、単なる私の買い物アドバイス物語で終わったことでしょう。Tatsuyaさん、磯谷君、ブルーさん、ありがとうございました。

H君、これからも音楽とオーディオを楽しんでください。また日本でお会いしましょう。

(完)

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