柳澤和男さんのオーディオ

いつだったか、富田さんに「オーディオ好きの友人の中で、"これはすごい"っていうお宅はどこですか?」ときいてみた。答えは「今はちょっと中断してるんだけど、もし再開すれば柳澤さんとこかなあ」という返事だった。

僕は富田さんがすごいって言うんだからきっとすごいのだと信じた。柳澤さんと僕は"SIS"で何度か出会ったものの、誰も紹介してくれなかったので、お互いを認識したのはその質問から約1年後の99年6月だった。偶然、岡崎さんと柳澤さんがいる所へ僕も行き岡崎さんに紹介してもらった。

その時話をしてわかったことがある。僕は15年以上前に雑誌「FMファン別冊」に載った柳澤さんを見ていた。あれはまだ傳さんがDr.Whoとかいってた頃の訪問記事だった。確かJBLのスピーカーの左右を入れ替える内容だった。防音完備のリスニングルームを持っていて、僕は「世の中にはこんなリスニングルームを持って、大音量で楽しめる人がいるのか、羨ましいなあ」と思ったのでよく覚えている。その人が柳澤さんだった。

他人をうらやめばキリはないが、ここで紹介してる3人と僕のオーディオでは金のかけ方からして比較にならない。普通の人から見れば僕のオーディオだってかなり高価だし、自分でも「オーディオに関しては金銭感覚が狂う」と思うが、彼らと比較したら問題にならない。岡崎さんのアンプ=僕のシステム全部とか、富田さんのスピーカー=僕のシステム全体、柳澤さんのCDシステムで僕のシステムは二つ買えるかな、ってぐらいの感じだ。もちろん沢山金をかけたところで良い音になる保証など無く、彼らはテクニックも感覚も情熱も「すごい」からここで紹介しているわけだ。そういう人たちと知り合えて、時々音を堪能させてもらえるのはかなり幸福だ。

1999年8月13日、僕と富田さんは岡崎さんの"ランエボ"に乗せてもらい、StudioK'sを出発した。柳澤宅はその少し前に雑誌「STEREO SOUND」の巻頭ページ=レコード演奏家訪問の取材を受けたそうで、それは9/15発売の132号に掲載予定だ。菅野沖彦氏がどのような感想を持つか、「STEREO SOUND」誌も是非ご覧下さい。

柳澤さんのサウンドは、一言で言うと「気持の良い音」だ。オーディオ好きにありがちな陰にこもった所がなく、好きは好きキライはキライ、金もかけるし、オーディオ的センスもある、それを上まわる貪欲さや情熱もある。そういうサウンドだ。富田さんも岡崎さんも僕もどちらかと言えば文化系だけど、(柳澤さんにそんな意識は無いのだろうが)柳澤さんは体育会系的だと思う。

クラシック、ジャズ、室内楽、ロック、ポップス、ジャンルを問わずよく鳴る。こういう風に調整できる理由は多分柳澤さんが音楽全般を好きだからだろう。そしてJBLから出発はしてるけど、JBL一筋なんて事はなく、ものすごく沢山の機器を使ってきて、それぞれの持ち味をよく理解し楽しんできた人が、4355を現在手に入る最高の機器で鳴らすとこうなる、という良い見本だ。

CDトランスポートのP0も、黒金オラクルも、プリアンプのエアーK1も普通のリスニングルームに置いたらかなり大きいしデザイン的な主張も強い。しかし、ここではみんなおさまりが良い。そして柳澤さんがすごく気楽な感じで=だが決して乱暴というわけではなく、これらの機器を操作する様子がまた興味深い。もちろん部屋の広さや天井の高さも関係しているのだが、柳澤さんが扱っていると、エグい機器たちがおとなしく見えるあたりがすごく面白い。最高級の機器は音だけでなく存在そのものからして使い手を選ぶから、それを当たり前に扱えない人には買う資格がないのだろう。

ステレオサウンドの取材でかけたソフトを一通りきかせてもらった後で、僕が持参した「井出よし江」さんのCD(*無人島に持ってくCDを見てね)をきかせてもらった。これは意外に再生の難しいCDで、僕が思ってるようなバランスで鳴れば他も大体オーケーだ。ポイントは1)ピアノのボディを感じさせるような低音が出るかどうかと2)井出さんの呼吸音だ。妙に鼻息ばかりきこえるわけではなく、でも時々ちゃんときこえる程度だとバッチリなのだが、柳澤家では1)も2)も軽くクリアした。もう一枚、ヨーヨー・マとアックスの「ブラームス チェロソナタ(古い方の録音)」も僕が自分の装置できいているのと大きな違和感がなく楽しめた。

棚のCDやレコードの中には僕も持っているソフトが沢山あった。20年以上前に買ったシェフィールドのダイレクトディスク「リンカーン・マヨルガIII」や、ロブスター企画「アニタ・オディのミスティ」を見つけて「あ、これ持ってる、これも持ってる」と言うと「山本さんも長いですね」ってわかられてしまった。最後に僕の愛聴盤でもあるE・ギレリスの弾くベートーヴェンのピアノソナタOP・109とOP・110のCDをきかせてもらった。僕は「多分ギレリスはOP・109からOP・111まで録音したかったのだろうと思う」「でも、OP・111は録音出来ずにこの世を去ったから、このCDはOP・111なしで売られていて、2曲しか入ってなくて割高なんだけど、知ってる人はみんな録音されていない幻のOP・111を(想像で)きいているのだろう」なんて話をした。小音量でしみじみきいていると「この曲については何も知らないけど、きいていて涙ぐんでしまう事がある」と柳澤さんが言う。そう、後期のベートーヴェンを理解し味わうにはそれ相応の経験と年齢が求められるわけで、そういう成熟した何かに支えられた上で現在に至った柳澤サウンドなのだろうと思った。

岡崎さんにStudioK'sまで送ってもらい、すぐ家に帰るつもりだったが、けっこう強い雨が降ってきた。仕方がないのでしばらく自分のシステムで音楽をきいた。音楽をきいていると妙に空腹感をおぼえた。夜の食事はちゃんと食べたのにひどく腹が減り、冷蔵庫から物を出して食べた。激しい雨は止みそうになく、雨着を着て自転車で家に帰った。でも僕は家に戻ってもまだ何か食べたくて、台所で余り物を食べた。柳澤さんの音をきかせてもらった事とこの空腹感は何か関係があるのだろうか? わからない。ひどい言いがかりみたいだが、とても不思議だった。


99.10 小林悟朗さんと原本薫子さん、富田さん、岡崎さん、それに僕の5人が柳澤宅を訪問した。

柳沢さんは、一口でいうとオーディオの猛獣使いという感じです。わが家で、音は良いのだが動作ノイズとかで芳しくないP0すら、すっかり飼い馴らされているようでした。その他の機材も本編で紹介されている様などれも一筋縄でいかぬような、個性的な名器揃いが見事にコントロールされて柳沢さんの音を出していました。
あまり大人数でおしかけたため、中低域が吸収されてバランスを崩していたとご本人は気になされていたがなんのなんの、それでもしっかりと音に向かう気持ちが伝わって来て一生お友達になりたいと思わせるサウンドでした。ダイアナ・クラールのクラップなどいくつかのディーテイルでは、こちらのオーディオ魂をおおいに刺激するリアリティーが感じられ、思わず熱くなりました。
やっぱり相当のキャリアをつまないとこういう音はでないんじゃないでしょうか。柳沢さんは、一度装置を全部手放されて再び始めたときに、4355というおそらく自分の手の内にはいった玉でさらっと肩の力を抜いて勝負に出たというように聴きました。
柳沢さんを、さらなるチャレンジに向かわせるような魅力的な新しいオーディオ製品が生まれると楽しみですね。
                               小林悟朗

人様の音を聴かせていただくのは、期待と好奇心でワクワクするものですが、柳沢和雄氏の音となれば、なおさらのことです。「ステレオサウンド」誌、132号の「レコード演奏家訪問」で語られた氏の真摯なオーディオ観には、とりわけ深い共感をおぼえておりましたが、豊富な人生経験と、実に多彩なオーディオ遍歴を積み重ねてこられた氏の音には、多くの学ぶべき点がありました。究極のハイエンドオーディオ機器で構成されたシステムから、いわゆるオーディオ的快感を超え、高い次元で、幅広いプログラムソースに対応する音楽表現を聴かせてくださいましたことにも、柳沢サウンドの懐の深さを感じました。質感もバランスも、私自身の音とは、そうとう異なるにもかかわらず、違和感を感じなかったことにも驚いております。
                               原本 薫子

柳澤邸の約23畳のリスニングルームに7人もの人間が入るとどうなるか。人間はチューブトラップみたいなものだから、当然音響エネルギーは変化する。実際、聴感上のF特は、リスニングポジションによって大きく変動していた。にもかかわらず、ここで音楽が楽しめるのは、オーディオは必ずしもF特ではないということだ。もっとも、そこに良い音楽ソフトがあり、その音楽を楽しもうという姿勢があってこそ成立する世界ではある。音のクオリティがすべてではないのだ。この時集まったメンバーは、その意味で誰もがプロフェッショナルだったように思う。
柳沢さんの出す音は、甘さの無い厳しい音である。「最近は、リラックスして聴けるような音に変えたよ」と言っていたが、とんでもない話だ。そんなことを言われたら、うちで鳴っている音は、蜂蜜たっぷりのクレープっていうことになる。ただ、この厳しさは決して不快なものではない。音圧から受ける刺激が、脳内で別なエネルギーに転換されていくような快感だ。それは、生演奏を聴いたときに限りなく近い。                                              富田徹


99.11 柳澤家にGOLDMUND REFERENCE2が納入された

 

この夜の柳澤家には、GOLDMUND製アナログプレーヤー4兄弟で、しかもベンツマイクロ4兄弟という人々が同時に存在した。こんなことはオーディオ界でも稀な出来事だと思う。そして茶の間の家族はその夜届いたiMacで楽しんでいた。だが、ネコはdcsの上で寝ていた。

  


このところずっと柳澤さんのページは更新していなかったのだが、もちろん柳澤さんがこの間何もしていないなんて事はない。ただ、僕のように仕事場とリスニングルームが一体化しているわけでもないし、会社の経営者である柳澤さんがオーディオにさける時間には限りがある。その代わり、赤貧自営の僕とは違うから、dcs製最新のデジタル機器が導入されている。まだ本領を発揮していないような噂もきいたが、これらもそのうち飼い慣らして、すごい音をきかせてくれる事だろう。2000.9.12


最初の写真と見比べて欲しい。1年半前の夏、ステレオサウンド誌に掲載された頃のスッキリした様子とは随分違う。この写真だけで、わかる人には充分わかると思うが、4355からイメージ通りの音を得るために、なりふり構わず、やれることはみんなやっているって感じが伝わってくる。ネコの手は借りてないと思うけどね。

 今回の主役はGEM。顔を寄せると眼鏡が飛んだり、上着のポケットに入れた鍵の束が吸い付くとか、超強力な磁気には注意が必要だ。

 そして何故か二台あるdcs972。

二月に入った頃、柳澤さんから初めてeメールが届いた。「悩まされ続けたdcsのノイズ問題も解決し、しかも972は二台使っていて、なかなかの音になったので、そろそろみんなでききに来てほしい」という内容だった。柳澤さんも4355を鳴らし続けて2年ほど経ったし、4355もそろそろ限界なんじゃないかという気がしなくもない。本人も4355に惚れてはいるものの、他のスピーカーが頭の中をチラチラし始めているようだ。スピーカーを入れ替えるならビショップ? オザイラス? そんなわけで、2001年2月28日の夜、富田+岡崎+ソニー佐藤という極悪トリオ、そして僕の4人がランエボに乗せてもらい金町の柳澤邸に向けて出発した。 この極悪人カルテットの車中における会話を紹介しよう

O:リファレンス・レコーディングのCoplandをかけてもらって、もしうまく鳴らなかったら佐藤さんが腕組みをして「うーん、やっぱりJBLの限界じゃないですか」って言ってもらいましょう。
T:そろそろ柳澤さんも4355をやめたくなってるみたいだしねえ。
Y:まあ、柳澤さんがあの4355を放出すると、4355で5.1チャンネルをもくろむ某S社社員のISB氏が待ってましたって感じでさっと買いますからね、下取りは高いな、きっと。
S:4355で5.1チャンネルじゃリスニングルームは50畳ぐらい必要ですね。
なんて感じだ。

久しぶりの柳澤邸だ、以前よりやや雑然とした雰囲気なのは、チューブトラップやQRDが置かれ、カーペットが増えているせいだろう、写真には写っていないが、チューブトラップはさらに手前の方にも配置されてる。先にも書いたとおり、4355をイメージ通りの音に仕上げるために、やれる事はすべてやっている。「今日GEMが入ったらバランスが変わったが、1時間しか調整出来なかった」と柳澤さんが言う。

きかせていただくと、以前よりまとまりのあるききやすい中高域だったが、「低音が甘い」と柳澤さんが不満を述べるのもわかる。しかし、GEMの威力は大したものだと思う。そこでP0sの電源ケーブルを、極悪人代表岡崎氏の用意した「シナジスティック」に交換してみる。

僕たちは音の変化を認めるのに1秒もかかからなかった。理解とはそういうものだ。頭や理屈じゃない。多分5人が5人とも一瞬で全てを悟り、曲が終わるまでの残り時間はあまりに素晴らしい変化の認証をするだけだった。コンサートで、演奏の素晴らしさに演奏者と聴衆が一体になる事があるが、あんな感じがした。言葉は交わさずとも、一緒にいる極悪人たちの感じている事は手に取るようにわかる。

 柳澤邸の感想                   富田徹

オーディオに永い間取り組んでいると、何年かに1度とんでもなく凄い音に出くわすことがある。僕の記憶では15年以上前、湯島のラックスの試聴室で山崎謙さんの自作スピーカーとカートリッジで聴いた時の音が、今でも衝撃的な音として記憶に残っている。その2年後ぐらいには、フォステクスの試聴室で聴いた70センチウーファーを使ったシステムによるプロプリウス『カンターテドミノ』だった。
その後はフランス人の超オーディオマニアのアビタ氏の鳴らす音、さらに評論活動をしていた早瀬文雄氏の鳴らすアポジーのディーバ、一ノ関ベイシーの音、そして菅野沖彦先生の鳴らすマーラー。その時々に凄い音を聴き、僕もいつか凄い音を出してみたいと思いながらオーディオに取り組んできた。
今回、柳澤邸で聴いた音は今までのどの音よりも凄いと感じたのである。まず、入力が凄い。エソテリックP0sから一台目のdcs972Uによってサンプリングは176Kにアップサンプリングされ、次に2台目のdcs972Uによって176Kの信号はDSDにコンバートされているのである。そしてこのDSD信号はdcs954UによってD/A変換されている。当然これらの機器はすべてdcsのマスタークロックによって時間軸が管理されているのだ。
とんでもなく金はかかるが、でもこの発想は素晴らしい。一体誰がこんな使い方を考えうるというのだろう。実際にダイレクトにDSD変換した音と聴き比べると、ダイレクトの音はざらついて聞こえてしまうのだから始末が悪い。「聴かなきゃ良かった」と後でみんなが語っていたのが印象深い。
最初この音を聴いた時、いわゆるCDという音がしないのに驚いた。この滑らかさ、空間の広がり、とてもJBLの出している音とは思えない。一つにはGEMのスーパーツィーターの威力があるだろう。また、このクオリティは入力dcsの質の高さによるところが大きいことは証明されている。だがそれだけではない。電源ケーブル及び接続ケーブルの選定もシビアで、それ以外すべてにクオリティを要求されるのだ。そうした諸々のチューニングがすべてベストマッチと思われる瞬間を我々は聴いてしまったのである。
おそらく今までオーディオで聴いたどの音よりも、再現性においてリアリティがあった。特にオーケストラは抜群で、ぼくは思わず「この音で音楽が聴けるなら、もうコンサートには行かなくてもいいな」と発言してしまったほどだ。
柳澤氏の鳴らす音には前から共感をおぼえるものがあるが、うまく鳴っていない時も多く、そうした状況で音を聴かれた方は誤解をしているかもしれない。それほどJBLの4355は敏感で鳴らすのが難しいスピーカーであると思う。このスピーカーから現代最先端の音を凌駕するサウンドが出てくるのだから氏のチューニング能力には脱帽するしかない。だが、CDにパッケージされた現行フォーマットでも、機器によってここまでいくという現実を目の当たりにし、ぼくは新たなファイトが沸いてきたのである。今後オーディオはますます面白くなりそうである。

  柳澤邸の感想        佐藤和浩

一昨日の柳沢邸の音には、少しばかり驚きました。僕がオーディオをはじめた頃には、瀬川・岩崎両氏はすでに故人でしたので、JBLに対するあこがれは全くなくもっぱら僕の興味の対象は、クォード63やアポジー、WATT2などに向いていたのです。

はじめに聴かせていただいたときは、いろいろなところから音が聞こえますし、特にダクトからの異音が耳についてどうにもダメだったのですが、電源コードを例の物に変えてからは、まさに驚愕のパワーサウンドを体験できました。そして、僕は初めてJBLのすばらしさを実感しました。

僕はいままで、JBL、タンノイといったトラディショナルなスピーカーを馬鹿にしていたのですが(エレクトロボイスは好きでした)、それは単に鳴らしている方の技量が足りないだけだったのかも知れません。それほどポピュラーなスピーカーなのでしょうね。

でも、それじゃ欲しいか?と問われれば、それはそれでまた別のことなのですけれど、とにかく素晴らしい経験が出来ました。

アップデート楽しみにしています。それでは。

 柳澤サウンド      山本耕司

柳澤宅訪問は2/28、同じ4355を使う磯部さんの音をきかせてもらったのが3/4だった。両方ともすごいので、どちらが上だの下だのという野暮を書く気はないが、一つわかった事がある。僕はかつて、柳澤さんの音を「体育会系」と評した。基本的に体育会系なのは変わらないが、磯部サウンドを体験した今はちょっと違う感想を持った。それは「柳澤さんは体育会系4355に飽きたらず、さらに教養も与えようとしている」という事だ。別の表現をすると「柳澤さんはJBLからJBLじゃない音を出そうとしている」ようだ。ハッキリ言ってこれは無い物ねだりの迷宮だ。そう、迷宮だから柳澤さんもずっと悩んできた。そして今ついに出口が見えてきたのではないか。そのように感じた。 2001.3.6

さて、四人の悪友たちと共にGEMの効果を確認した柳澤氏は翌日SISへ出向いたそうだ。大野さんが「GEMどうでした?」と聞くと、イマイチのような素振りで「まあ、安けりゃ買っても良い」と言ったらしい。それで大野さんは、超お得意さんの柳澤さんだし、やや安めの値段を提示したらしい。後ほど別件で僕がSISに電話したときに「GEMはどうだったのか」と聞かれたので、僕は正直に「あれは絶対に買いだという事になってましたけど」と言うと、「そうですか、先に情報収集しておくべきでした、こいつは一杯食わされたなあ」と言う。僕は「まあ、柳澤さんは製麺業ですからね」と言って笑った。極悪カルテット+ 一杯食わす柳澤氏で極悪クインテットって事でしょうか。 


ルビジウムクロックの衝撃      岡崎俊哉  2001.8.11

オーディオに永い間取り組んでいると、何年かに1度とんでもなく凄い音に出くわすことがある、と書いたのは富田さんだったが、最近はそういう体験がかなりの頻度で続いている。デジタルオーディオの進歩は急速で、その成果はとてつもなく大きい。昨晩、柳澤邸で体験した音はまさしくデジタルオーディオのひとつの成果であり、いい音を通り越して恐ろしい音であった。オーディオを趣味とすることの意味を考えさせられる音であった。

柳澤氏は最近、デジタル系はdCSの972を2台使用しダブルコンバートに取り組まれている。(ダブルコンバートについては富田氏のページを参照してください。)当然、デジタル機器の使用数は多く、クロックを統一しないとジッターの問題が出てくるわけであるが、柳澤氏はそれに対しdCSのマスタークロック992を使用しパラレルに各機器を接続、クロックの問題を解決していた。柳澤氏のチューニングによるCDの音は、それは素晴らしい音で、これ以上の進歩の余地はないのではないかとさえ思っていた。あの音を聴くまでは。

昨晩はその992にクロノスという外部同期させるルビジウムクロックを接続して音を聴かせていただいた。その音は衝撃的で、それまで素晴らしいと思って聴いていた992単体の音がなんとさえない音かと感じられてしまうほどのものであった。クロノスを接続しない音は、接続した音に対して確かににじんでいてフォーカス感に欠けている、高域は歪みっぽく低域の解像度も低い。一度クロノス入りの音を聴いてしまうとその差は歴然であった。オーディオという家庭で音楽を楽しむための手段であり、趣味のものが、音楽を聴かせる上でこんなに浸透力を持ち、感動させうるものなのとは不覚にもこれまで気づかなかった。誤解されることを承知で言えば、昨晩の音はコンサートで聴く生の音よりいい音であった。少なくとも昨晩の柳澤氏と私は聴餓鬼道に落ちてしまったようである。


  

 柳沢さんとそのサウンド

私が「StudioK's」の存在を知ったのは、4355でヒットした柳沢さんのページか らだ。同じJBL4355使いとして「StudioK's」の中で一番興味を持ったの言うまでも ない。何かあると柳沢さんのところをクリックして「俺も頑張ろう!」と思っていた。

ひょんな事から山本さんと出会い、こうして今柳沢さんの音を聴くことが出来たこと に、感激と縁みたいなものを感じる。

私が4355を使いこなす上で一番苦労したのは、パワーアンプである。だから柳沢さんのシステムもまず最初に「パワーアンプは何ですか?」ということ で、柳沢さん=エアーという図式が出来上がっていた。

柳沢邸はダインコンクリートの外壁に囲まれた、いかにも4355が住んでいそうな 邸宅だ。
オーディオルームに入る。日頃「StudioK's」で見ているせいか、初めておじゃまし た部屋の感じがしない(笑)
でも、何か違う・・・なんとパワーアンプがウナギイヌ君、サザーランド「A1000」 4匹に替わっているではないか! しかも、その上には猫ちゃんが!(笑)・・・エアーじゃないの!? しかもプリアンプはコニサーに替わっていた。どうやら柳沢さんは、止まることをしない方らしい。

動揺している私に関係なく、早速CDがかけられた。その第一印象は、山本さんのコメントどおりの印象だ。私の音は「大通り的」で柳沢さんの音は「複雑な街並み」・・・そのとおりやん(笑)柳沢さんの音は私のそれに比べて、音の彩や襞/色数が多く、確かに私の音は単純明 快だ。その後、私のメインでもあるブラックミュージック「コンファンクシャン」をかけて 頂いた。嘘ー !! 当初感じていた滑らかさ、しなやかさとはうってかわり、低域ブリブリ力感た っぷりサウンド。こんな音もだせるんだ! うーん恐るべしサザーランド、A1000。まだ導入されてから数日しか経っていない殆ど素の状態というから、なお更驚きだ。今後、更に良くなる可能性を秘めたものを感じる音の出方だ。これまで眼中になかったこのアンプ、見直しました。そして、自宅でパーセルとエルガープラスでアップコンバートした時に感じていた欠 点、音が薄くならない事に、二度ビックリ!

音像と音場がうまい具合にバランス/両立し、豪放ななかにもデリカシーと優しさが あって、ちまちましていないところに男らしさがあり、柳沢さんの人となりを感じた。そして、じゃじゃ馬な4355をどうにでも鳴らせる力量にキャリアとセンスに、柳 沢さんにとって4355は卒業の時がきたのかもしれないと一人で納得してしまった。

これから、もっと高い次元を求めて戦う柳沢さんであるが、それを実現できるのはJ BLしかないと思う私は、やっぱりJBL馬鹿?

本当は家族団欒のクリスマスイブの夜に家族ほったらかしでお相手して頂いた柳沢さん、本当に有難うございました。
そして、そんな日にオヤジ3人でオーディオ談義する私達って、病気ですね(笑)オーディオ以外の会話もとても愉しく、また是非お会いしたいです。

                                  磯部 和彦


 

こんなところにも繁殖するウナギイヌ、君の実力はすごい
パワーアンプを替えたら、Ayer K1に不満を感じたそうだ
それで、この日はコニサーの4.0が入っていた

 最新、または最終的柳澤サウンド

12/24の夕方から夜にかけて、磯部さんと一緒に柳澤宅を訪問した。柳澤さんの4355をきかせてもらうのは4回目になるだろうか。正直、ここまで到達できるとは予想していなかったので、とても驚いた。磯部さんの音とのからみでも触れているが、僕は「柳澤さんは4355に求めすぎなのではないか」という疑問をずっと抱いていた。だが、それは間違っていたという事を思い知らされた。磯部さんも書いているとおり「滑らかな弦楽器」「ここぞという時の圧倒的エネルギー」、今までこんな風に鳴ったのをきいた事はなかった。こんな音を出されては困る。本当に正直、99.9999%不満はなく「上がり状態」だ。残る0.00001%の事を書くと、4355そのものの成り立ちに関係しそうだし、多分それは柳澤さんもわかっていそうなので、ここではあえて触れないことにする。サザーランドのパワーアンプ+コニサーのプリ、機器もすごいが部屋も熱意もブレーンもみんなすごい。4355を所有している人は沢山いるだろうけど、こんな風に「成熟と豪快」を両立させられる人はいないだろう。磯部さんは柳澤さんの音をきくのが初めてだから、今回の音が基準になるわけだが、僕はもっと以前の音を何度かきかせてもらっているので、以前の音との比較をし、そして完成度に驚いた。

磯部さんと柳澤さんは初対面だったのだが、いやはやJBLを愛してる人たちってのはすぐに仲良しになる。その上、熱帯魚やクワガタを飼育する話で盛り上がる二人の会話をそばできいているとつい笑ってしまう。オーディオに加えて、その他の趣味でも「お主やるな」っていう相手にはそう簡単に出会えるものではない。


  山本様  原稿料はタダでいいです。

  富田様  OK、じゃあ今回は掲載料もタダね。

 柳澤サウンド

最近、柳澤氏は機器の大幅な入れ替えをおこなった。パワーアンプがエアーからサザーランドに、プリアンプがエアーからコニサーにというように。 パワーアンプはサザーランドになって凄く良くなったと感じたが、コニサーは個性が強すぎてどうかなという感じだった。それが前回訪問の感想であるが、今回はそのような不安を感じさせるところがないまでにチューニングが進んでいた。エアーとは格が違いすぎるというのが率直な感想である。それをベースにルビジュウムクロックのクロノスが加わった時の驚きは、上手く言葉で表せないほどに凄かった。あえて言うとしたら、ボーカルの顔のイメージが1メートルぐらいの大きさだったのが半分の大きさになったという感覚である。これにダブルコンバートで音の実体感がさらに強まり、究極のダブルコンバート+972と954をモノで使うという組み合わせでは、歌手が完全に等身大のサイズとなり、音場は極めて自然という考えられないクオリティを発揮した。しかし、これはディジタル機器だけで一千万円をオーバーする組み合わせである。非現実的であるが、ディジタルがこのように鳴るというのは聴かない限り誰も理解できないだろう。機器が発するノイズ対策、ケーブル対策を含めパーフェクトのチューニングであった。ここで聴けた音は僕にとって一夜限りの幻の音である。

dCS972と954をそれぞれ二台づつ(モノラルとして)使用という贅沢さ

GOLDMUND REFERENCEカートリッジは最初ライラのヘリコンをつけてきいたが、聴衆のリクエストによりパルナサスd.ctに替えられた

この二つのカートリッジは自分の装置できいた事があったのだが、この夜の同時比較を体験して、こんなに差が出るのかと驚いた。パルナサスは凄い

一番下の銀色の物が「クロノス」=高価絶大じゃなくて、効果絶大

  醒めやらぬ興奮

昨日、柳澤邸で体験させていただいたことは、まさに異次元の出来事でした。その込み入ったCD再生システムを理解するだけでもとても大変だったのですが、聴かせていただいた音は、まさしく異境体験。どのような形容詞を用いても、昨日の柳澤サウンドを的確に表現することなど不可能に思えてしまう、無限大の音の世界に飛び込んだような、不思議な感覚に襲われました。あらゆる制約という枠が取り払われたかのように思えるレベルでの、ダイナミクスとデリカシーの両立。そしてこれまで体験したことのない複雑な質感のグラディエーション。「このCDには、このような音も入っていたのか……」という発見よりも、「このCDをこのようにも演奏することができるのだ……」という驚き。それはあたかも「再生」を超えた「創造」というべきサウンドマジックだったように思えました。

もちろんそのマジックは、高度な「楽器」を事も無げに使いこなされ、1週間足らずで可能性を引き出してしまわれる柳澤さんの人並みはずれた「演奏」能力の高さ。音楽的感性とオーディオの確実な知識と使いこなしのテクニックが高い次元で三拍子揃ったオールラウンドプレーヤー柳澤和男氏だからこそ、成し得た技ではないかと思います。事実、ここまで完璧に「武装」したシステムから伝わってきたものは、ただひたすら音楽的パッションのみであり、その場に浸りきった私は、しんしんと冷え込む晩、体中が熱くなり、全身から汗が滲み出た。昨年末、体験させていただいた富田さんのSACDマルチチャンネル再生に続いての未知なる音との出会い。こうした幸福な体験は、たとえ私自身がdCSのラインナップを自分のシステムに導入することが叶わずとも、私の音に何かをもたらしてくれるものと信じています。
ありがとうございました。また聴かせてください。
オーディオは深く尽きることのない大海という思いが、より一層深まった一夜でした。

              2002.2.16   原本薫子
 

こんにちは、佐藤です。
昨日の晩の感想を送ります。って感想になってませんが・・・。

柳沢さんの音を聴かせていただくのは今回で確か3回目なのだが、ついにその真価を垣間見た思いがした。
初回は、JBL本来の魅力、圧倒的パワーリニアリティーに圧倒され、2回目(サザランドが入った直後)はそのサウンドと見た目のギャップに目眩を覚えた。そして今回は、言葉少なにただ、音楽を楽しむばかりだった。それは細かいコメントが書けないくらい音楽的な説得力があり、かつオーディオ的に高度、いやパーフェクトな音だったのだ。

しかしさらに驚くべきは、その夜の音よりも、そこに集った強者どもの豪華な競演にあったのだと思う。
Dr.Y&Mr.Tの知識&テクニック。柳沢さんの情熱。富田さん、小林さん&原本さんの鑑定眼、山本さんのバイタリティー。どれもこれも、今後のオーディオ人生において、勉強になることばかりでした。今になっていろいろ思い返しつつ、その夜、その場に同席できた幸福に浸っております。

皆さん、夜遅く(いや朝早く?)までご苦労さまでした。柳沢さん、また一歩完成度が上がりましたら、ぜひ聴かせてください。

 力技なんかじゃない、とても自然な音で、呆れてしまった

今回の入力機器ときたら、まるで大リーグのオールスターゲームみたいで、説明するのがイヤになるようなものだ。しかし、出てきた音は大変自然で、嫌味のないものだった。自然だが極めて敏感で、あらゆる事に「誰でもわかるほど如実に」反応する。鈍感な自然さではなく、物足りないぐらい完成度が高いという印象を持った。こう書いているが、「骨抜き」になっているわけではないことは、言うまでもない。「本当に強いから、強引な強さではなくて、優しさに溢れている」 原本さんが書いている 完璧な武装 というのは多分こういうことだろう。そしてそれは、CDもLPも同様だった。  

                 2002.2.17 山本耕司

2002年 柳澤さんはスピーカーをボクサーT2に買い替えた

ドーンと音を出すと、座っている椅子がずれるそうだ

現在のリスニングルームを建てて以来初めて、遮音性能に不安を感じたという

暮にSISの大野さんと電話で話していて、「柳澤さんに音が立っていないと言われた」と言うと、「まあ今はしょうがないですね。今度スピーカーでも替えてひどい音になったら、メチャクチャ言ってあげればいいじゃないですか」と教えてくれた。僕はそれは良い考えだと思い、「柳澤さん、スピーカーを別の物にしないかなあ」と心待ちにしている(僕のオーディオ生活パートIIIより抜粋) 2002.1


ボクサーT2は色も黒だし、JBL4355に比べれば小型だが、実際の大きさは左の写真の通り、それほど小さいわけでもない

T2の右にいる人物は、当日急遽参加したオーディオベーシック編集長の金城さん。本が売れなくなっている時代に、「オーディオベーシック」誌は急激に売り上げを伸ばしているらしいが、その理由はこの熱心さが反映しているとしか思えない

重さ150kg、しかも角が丸いので非常に持ちにくく動かし難い、音は体育会系の柳澤さんにはこれしかないって感じの、歯切れが良くエネルギー感に溢れるもので、今後が楽しみだと思った

僕のところだと、スピーカーが「ひーひー」言うようなソフトを大音量でかけまくったのだが、こいつときたら汗もかかないって感じで、いたぶり甲斐があると言うか、逆にいたぶられもしそうな、頼もしい相棒である

柳澤さんvsボクサーT2 さて、この対決の今後がいかなる展開になっていくのか、とても楽しみである。こういう山に登ってみると、自分の山がよく見えるのが面白い。やはり僕自身は中庸の完成を目指そうと思った


 ボクサーT2 導入記

                             柳澤和男

JBLを使いはじめて30年近く、途中つまみ食い程度の浮気はあったものの結局はJBLに戻っていたのだが、今回ばかりはもう戻れそうにない。富田さんや岡崎さんとのせめぎあいのなか、いつも感じていたのは自分にとって納得できる音場感が出せずにいた。どうしても2人に置いてかれてる気分。実体感、抑揚感、力感、トランジェント、音色の鳴らし分け(色彩感)これらなら相当自信があるのだが、、、。そこへDDコンバートの助け船、しめたこれでダイレクトラジエーター軍団に太刀打ちできる。と思ったら富田さん岡崎さんも先に導入、前より遥かに音場感、立体感をだしているでないの。そこへ小林さんのダメおし(バッフル面積の大きなSPって独特な音がするよね)ねえねえSACDってすごいよ(だめだ、エアー感が出ない)岡崎さんのヴェルディ1394SACDの音でノックアウト。
JBL4355はスタジオモニターいえども20年近くも前のヴィンテージSP、中身はネットワークなど耐圧だけは高いが歪みの多い鉄芯コイル、フィルムコン、セメント抵抗、巻き線抵抗、ボックスは接着剤が飛び散り今のレベルでは強度も足りず、左右は不揃いときている。振動モードを揃えるだけでタイヘン。(H・F 師匠曰く、これは工芸品なのだから、そのつもりでアプローチしなければ、、、)だけどこいつにしか出せないワンアンドオンリーの世界、その潜在能力を現在考えうる高度な最新デジタル機器に最小改良で音像と音場まで出し切れたと思ったし、とにかく音楽を聴いていて楽しいのだ、JBLは。

  
全ての持てるノウハウを注ぎ込み新しい血を入れ、最終サウンドと言える所までやっと辿り着いたと思ったその時、上記の衝撃。送りだしのクォリティーがここまでワープされてしまうと中高域はいいとしても低域がどうしてもごまかしきれない。130系の軽い振動板は速くてもディープバスが出にくい。結局昔からやってきた事の繰り返し。そして前から気づいていたことだが、送り出し側の位相管理がしっかりとしてきたのでホーンロードをかけてしまうと自分の理想とする立体感がきれいにだせないのだ。その点ダイレクトラジエーターは圧倒的に有利、見事なまでの立体感がでる。しかしホーンで育ってきた私の耳は並みのハイエンドSPではヤワに感じられてだめなのだ。私の求める鮮烈なリムショットの一撃を十全に再現しうるダイレクトラジエ−ターは?  そうだ!!プロのスタジオマンはどこへいったか? 答えを探る。

ボクサーT2

あった!これだ!!JBL375の振動板を二まわりも大きくし強力無比なアルニコマグネットを背負ってひっくり返した振動板がダイレクトに音を放射!なんとホーンを使わず(位相の点で圧倒的に有利)250HZ-2KHZまでをカバー、設計者はかの有名なスタンリーケリーこの中域に負けない30cm2発の下までのびた強力ウーファー、ごついフレームにドライバーと一諸にはいった強力なツィーター、超高域はGEMにまかせればいい。ボックスは恐ろしく小さく(4355にくらべて)、重く(運び込むのが大変だった)、驚いた事にバスレフ臭さが感じられない。前面バッフルもSNに有利な(音場再現性もねらえる)様に小さい上に巧妙に面取りがされている。   
何年か前の輸入オーディオショーで何度かそのSPの音は聴いていたし気にはなっていたのだが、まさか導入する事になるとは、、、。しかし立ち止まらないのが私のオーディオ、と書くとカッコよいが、じつは極悪人とオスカル氏に乗せられて(そういえば2人で車の中でコソコソ話してた)突き落とされた(笑)また這い上がらねばならないのを覚悟の上で導入を決定!!! 
搬入当日JBL4355に別れを告げ(ホントーにこれ換えちゃうんですか?)SISの角さんや(ほんとにいいんですね)大野さんに言われ動揺しながらも平静を装いクールに答える。そしていよいよ第一声ぐしゃぐしゃだがほぼ予想どうりの音、いつもは音が悪いと直ぐトンズラを決める大野さんが帰らない。彼も同様にこのSPの凄まじいポテンシャルを感じているようだ。その底知れぬパワーリニアリティーと全帯域揃った反応の速い音、早速翌日Dr、Yに純正チャンデバの中身をチェックして貰う。思った通りリミッター回路がオンになったままだという。はずした途端さらに伸びやかになった。プロ機にはちょっとしたノウハウがたくさんあるので気をつけなければならない。例によってSPの仕事である電気エネルギーから音響エネルギーへの変換効率を少しでもスポイルしないように必要最低限の吸音材の設置。姑くの間はジプシーの様に毎日移動する事になる。もちろん台の高さも含めて最終ポイントへ近ずけていく。そのつどウッドブロックの接触面積を変え中低域の量を変化(つまり底板の泣かせ方を変化させる)特にこのSPは中域のエネルギーが強いのでウーファーだけを鳴らしてダイナミックレンジが取れなおかつクリアーになるように置方を調節する、サイドへ寄せれば中低域、奥なら低域のブースト振り角で音像とディスパーション、例によってH・F師匠の言葉をひとつひとつおもいだしながら調整していく。ところがこのスピーカーあまりにも全帯域のエネルギーが強くトランジェントが速くさらにフラットな低域のせいかまるでごまかしが効かない。JBLがV8の8リッターカーならこいつは12気筒のF1マシーン。とても大型スピーカーの吹上がりじゃなかった、立ち上がりじゃない。立体感(音が上下左右に飛び散る)も桁違いに高く、変化量がつかみにくい、これできまったと思っても別のソフトをかけるととんでもない音になっている。蜃気楼をなんどつかまされたことか。

そして徐々にこのスピーカーの能力に圧倒される事になる。ある時2チャンネルCDを聴いていた時の事だ、なんと後ろから音がきこえたのだ。最初は気のせいだと思っていたのだが小林さんが(今くるっと音が回ったね)この一言で、ある思いが確信に変わった。このスピーカーの凄さはそのトランジェントエネルギーよりもむしろ位相整合性にあるのではないか?現代の世界のプロを相手にすると言う事はこういうことなのか?つまりスピーカーの外側どころか完全な逆相成分まで再現されてしまうのだ!!小林さん曰く(現代スピーカーってエライヨネー)うー知ってたくせにー!まだまだ底が見えないのだが先日10名程にお聞かせした所(<http://dejavu.cside2.jp/>こちらに皆さんの感想があります。ハンドルネームT2、OFF会掲示板)やはりセンターにいた人が音のまわりにすぐに気ずいたのだった。
約3ヶ月間このスピーカーを追い込んでみて(いや追い込まれてかも)いやと言う程スピーカーも進歩しているという事実を突き付けられた気分であった。やはりこのうえ、CDでは再現しえなかったマッシブでアグレッシブな音を再現させうる(まるで録音現場のスペースを切り取ってきたかのような)SACDが台頭しつつある今日、よりいっそうのポテンシャルがSPに対して求められるのだろう。 そして私にはSPのチェンジと言う選択肢しかなかったし、今ではやはりこれは、正解だったと確信している。崖から落としてくれた2人には感謝、、、、だけどしばらくはSPの調整はしたくない、さすがにこの怪物には疲れさせられた。   以上


柳澤さんの音はたぶん最もコンサートに近いのじゃないか、と思いました。菅野先生の表現に「オーケストラが原寸大で鳴る」というのがありますが、まさにそれです。しかも、生よりなまめかしい、と思わせるのです。アバドのマーラー5番は私も好きなCDですが、唸りました。あの沈潜していく弦の表情、音楽の息づかいは何なんでしょうか? 魔物が棲んでいそうです。ゴールドムンドのリファレンスによるLPでのブルッフは、更に、ただならぬ気配を漂わせた演奏でした。柳澤さんは音像の実在感と音場の豊かさを高度に両立させておられることで既に有名ですが、私は、空間よりははるかに実体感が勝った音なのでは、と思っておりました。厳しい音ではないか、と。それは違ったようです。確かにT2の放出するエネルギーは凄まじい。しかし、今回、空間感の素晴らしさ、そして柔和で温かい表情にまず痺れました。あれだけのエアボリュームを濃密かつ肌触りの良い音で埋め尽くし、どこまでもどこまでも生き生きと音が伸び、折り重なっていく様は、異様であり、別世界です。部屋のエコーを取り込んだ豊饒で深い音。あの素晴らしい部屋なくしては語れない音だとも思いました。腕の立つシェフが最高の食材を使って音楽の美味しさ、音の旨みを存分に引き出した最高に贅沢なディナーをご馳走になりました。私は、そのニュアンスだけでも何とか出したい、と思います。素晴らしい演奏をありがとうございました。
   3月29日 川崎一彦

   山本耕司様
ご無沙汰しております。関西勢の作文がまだのようですが、金曜日の柳澤邸訪問の感想をお送りいたします。

初めてホロヴィッツの演奏を聴いたアルトゥール・ルービンシュタインは、しばらくコンサートの予定をキャンセルし
別荘にこもって、自分の全レパートリーをさらい直したという。1930年代のエピソードである。

先日柳澤邸で衝撃を受けた。それはここ数年間で滅多になかったことだ。しいて思い出せば
エピローグ1・2を導入した直後の石原 俊さんのところでガーディナーとVPOによる
シューベルトの交響曲を聴かせていただいたときの衝撃が思い浮かぶぐらいだ。
2003年4月の時点でCDを演奏するということにおいて、一瞬(と思いたいが・・)
柳澤さんに追い抜かれた! そう思った。
好みで判断が左右されるところでないところで、負けたと思った。
それは、言葉で表現するのは非常に難しいが、音色とかバランスとかでなく
何かアキュラシー 正確さとでもいうような部分である。
それで全く不遜ではあるが、ルービンシュタインを持ち出したわけである。
クラシックの演奏家でいえば、超絶技巧が必要とされる演奏至難の曲があるとする。
誰もが正確に演奏出来ないのであれば、皆「あの曲は、書いた本人だって弾けなかったんだから・・」と
ハッピーでいられる。しかし一度、誰かが弾けてしまうと笑ってすまされないことになる。
柳澤さんのところで、先日聴かせていただいた「音」は、昔瀬川さんがML6が発表された時に
「今まで透明だと思っていたガラスにまだ曇りがあったのだ・・と気づかされた」と書かれたような
冷徹なまでに透明で、恐ろしいほど解像度の高いサウンドだった。
それが音楽を聴いていて、気持ちがクールになるサウンドでなく 
聴き手をエキサイトするサウンドであるところがまさに得がたい。
比較的耳に厳しい音という傾向はあるが、演奏者の「狂気」にちかいものを再現することが
できていた。
刺激的な一夜だった。しかし返り討ちにあったままでは悔しいので
今は巻き返しに燃えているところである。
今月は忙しいので来月、柳澤さんにリターン・マッチを挑もうと思っている。
解像度に関しては、SACD5・1という新兵器をブラッシュ・アップして
勝負をかけよう。2CHは、LPよりも本来のアナログに近い音に振って衝撃をお返しするか・・・などと
作戦を練っている。
今度は柳澤さんを眠れなくしちゃうぞお・・・・・。

   4月7日           小林悟朗


2003年9月16日、東京国際フォーラムAホールで行われたジョアン・ジルベルトの最終公演は10年に一度、体験できるかどうかという至高のコンサートだった。ジョアンの唄とギターは、真夏の暑さのなか、空調を切ったホールを水を打ったように静寂にし、固唾を呑んで見守る数千人の聴衆を3時間近くにわたって釘付けにし、魅了した。あのステージの一点に意識を集中させて身じろぎもしない聴衆は、皆、スピーカーの音に聴き入るオーディオファイルのようだった。このようなコンサートは二度と行われないかもしれない。

このコンサートの3日前に柳澤さんのお宅にお邪魔をして、ボクサーT2を聴かせていただいた。柳澤さんのT2を聴かせていただくのは、二度目のことである。
柳澤さんのT2のサウンドの素晴らしさは、このページで多くの方が触れられているので、ここで繰り返す必要はないだろう。柳澤さんのオーディオの流儀、妥協なく限界に挑む志の高さと、真摯で緊張感あふれるオーディオとのかかわり方、そのひたむきな姿勢には、つねに深い尊敬の念を抱いてきたが、だからこそ、このような大型のプロフェッショナルモニターシステムをモンスターパワーアンプで意のままにドライヴすることが叶うともいえる。端からみれば、恵まれた条件のリスニングルームでポテンシャルの高い機器を鳴らせば、良い音で鳴るのは当然と思う人もいるかもしれないが、それは大きな間違いだ。隣の芝生は青くみえるものだが、オーディオには安易な道はひとつもないのだから。

柳澤さんのT2は、雷鳴のように強く怖ろしい音も、そよ風のように優しく軽やかで繊細な音も、厳格な音も、甘くせつない音も、何事もなく、いとも簡単に繰り出してしまう。「凄い」と思わせることなく、凄い音を出してしまう。その陰では、もちろん想像を絶する困難を幾たびも乗りこえてこられたに違いないのだが、そのようなことは微塵も感じさせない。だから、聴き手は凄いオーディオシステムを聴いているという意識すらなくなり、音楽の世界へと誘われてしまうのだ。
この日、聴かせていただいた音楽は、オーディオ的デモンストレーション効果を誇示するソースはなく、演奏者の心に触れるものばかりだった。演奏が終わるまで、魂が聴き手の意識を惹きつけて離さない、そのような演奏だった。
リスニングルームを支配した空気は、3日後のジョアン・ジルベルトの公演で感じた空気とおなじだった。柳澤さんのシステムを通して聴かせていただいたGetz/Gilbertoのジョアンは、そのまま3日後の生身のジョアン・ジルベルトに重なり合った。

山本さんはHPに
「こういう、神様のような人の生演奏を体験しておかなければ、『オーディオは生演奏を超えるのではないか』などという、不遜の極みのような錯覚に陥ってしまう。」

とお書きになっていたが、私は断じて異を唱えさせていただきたい。この日の柳澤邸のボクサーT2のように、あるレベルに到達し、完璧にチューンナップされたオーディオシステムは、もっとも純粋に音楽の感動を味わうための最良のディバイスだと私は思っている。私自身、これまでに生を超えるオーディオの音を幾度も体験させていただいているし、音楽から得られた感動の大半は、オーディオシステムを通して味わってきた。

生の音のバランスと質感には常に謙虚でありたい。それは大事なことだ。だが、国際フォーラムAホールで聴いたジョアン・ジルベルトも、柳澤さんのシステムで聴かせていただいたジョアン・ジルベルトも、自分自身のシステムで聴くジョアン・ジルベルトも、ジョアン・ジルベルトの音楽であることに変わりはない。むしろ、ライヴは音響的にも演奏者のコンディションにおいても、さまざまな制約がつきまとう。しかもライブといえどもPAを通したサウンドだ。
その意味では、ライヴとオーディオの音を比較すること自体がナンセンスともいえるが、まったく別次元のところで、オーディオは生を超える存在だと私は思っている。生を超えなければ意味がない。オーディオファイルは音楽の魂の真髄に近づきたいと切実に思うから、渾身の思いを注いを込めてシステムを調整して、生ではけっして感じ取ることの叶わない感動を体験したいのだ。オーディオにそのような価値観と高い志を持つことが、なぜ「不遜の極み」といえるのだろうか?

柳澤邸で聴かせていただいたレコード演奏も、国際フォーラムAホールで体験したジョアン・ジルベルトも、二度と繰り返されることはない。オーディオシステムによる演奏も、ライヴも、そのとき一瞬限りの奇跡なのだから。そのような演奏に触れられたことはとても幸せだった。あのときの音の記憶を胸に、これからも精進していきたいと思う。ありがとうございました。

      2003年9月  原本薫子


 

 

 2004.6.19


  楽しいオーディオにはまった人々の欲深な記録