ああ、気持いい

磯部さんはツィーターを外側に、柳澤和雄さんは内側にしている、だから当然、磯部さんの方が左右の間隔は寄せてある。

きみ、とてもきれいだよ

 

「音でいかせちゃうのが目標」と語る磯部さんは美女が大好きだから、CDトランスポートはバークレーデジタルの「X−1」

 

JBL4355の音を一週間足らずの間に二カ所できく事のできた僕は、なんと幸福なんだろう。どちらも、これ以上は望めないような極上の条件が与えられ、そして長いキャリアに基づいた調整がなされている。音はどう違うかと言うと、柳澤さんが体育会系+αなら、磯部さんは快楽系、音の出方が全く正反対だ。磯部サウンドは前に出てくるが、柳澤サウンドは奥行きが出る。柳澤さんの「これがJBLの音?と言うような複雑な街並み」に対し、磯部さんのアプローチは「大通り的」だ。出口は最初から見えている。これは磯部さんのきくソースが「ブラック・ミュージック限定」という事とも関係しているが、「単純」=「簡単」ではない。書けばキリがないほど多くの秘話の蓄積により、ここに至っている。「ブラック・ミュージック限定」とは言うものの、弦楽四重奏もすごくまともに鳴っていた。弦楽器のチューニングを得意とする、生きた秘密兵器と同居しているらしい。

「StudioK'sのHPはディズニーランドみたいだ。色々あって一日じゃ全部まわれない」と磯部さんが言う。僕はベースの音で地下室が揺れるのをきいて、「クラブクアトロ」に入り込んだのかと思った。

宗教的オーディオもあるし、オーディオを哲学する人もいるが、磯部さんは「スケベな低音」とか「下半身で感じる音楽」などと言って、ナンパなスタンスをとる。でも、磯部さんはオーディオ機器を試聴のために借りる事を潔いとせず、必ず買って使うことを貫いている人だから、これは美学としか言いようがない。

磯部さんの彼女を僕が口説いてうんと仲良しになったとしても、多分彼は怒らないだろうと思う。何故そう思うかって? もし、僕が逆の立場だったら怒る気にないからかな。

手前がダイナミック・オーディオの厚木さん、向こう側のちょっと特攻隊っぽい人(失礼)が磯部さんです

4355BWX X-1CD PURCELL REFERENCE64 LNP-2L KBX KMA200MK2(200V)×4


  山本様

磯部さんのページ最高です!!。私も磯部さんの音を聞いて少なからず勉強になったところがあります。これは磯部さんへのお礼を込めての文では有りますが、問題がなければ磯部さんのページに載せられますか。これからもオーディオ界が面白くなるようにお手伝いできればと思います。

磯部さんとはもうかれこれ18年のお付き合いをさせて頂いている。この信頼関係といえばひとえにJBLというブランドで保たれていのではないのだろうか、いまブランドなんていう言葉を使うと軽くとられてしまうが、その気持ちのはいりかたは二人の会話を聞いた人でないと判らないと思う。

そんな磯部さんのJBLサウンドがいま第一段階の完成をし始めてきた。TONI BRAXTONの”SECRETS”から磯部さんのテーマ曲”You’re Makin Me High”を聴かせて頂いたが、本当にパワフルなサウンドだ!!、これだけ広い空間でこの音量、良くぞまとめましたと表彰状を渡したいぐらいです。この健康的サウンドを聴くと、自分のパラゴンの音をまだまだ鍛えなければと思ってしまった私です。しかし、磯部さんの目指している、サウンドは当然のごとくまだ先が有りまして、低音の粘りとか・声の色気(官能を伴う)・リズムとビートの関係などなど・・・・・・・、山のように詰めなければならない問題があるのではないかと心の中で勝手に思っていましたが、いかがなもんでしょうか。
こんな事を考えながら、次に掛けてくれた弦楽四重奏曲のCDには少し驚きました。磯部さんの音量の決め方もよかったが、そのバランスがじつに自然で心地よく聴く事が出来き、サービスで掛けてくれる曲がこれだけ鳴ったことで、やっと第一歩を踏出せたと実感した次第であります。

このページを見ている人でしたら、オーディオシステムにJAZZ向きとか、CLASSIC向きなんていう人はいないと思いますが、磯部さんはひたすらBLACK&SOUL音楽を目指し、私もJAZZサウンドを目指し、ブルーノートのソニーロリンズを聴いた後にモーツアルトのフルート四重奏曲でも聴けるバランスを求めて日々考え努力をしています。磯部さんがモーツアルトやドビッシーの音楽を手に入れたときのTONI BRAXTONはいったいどんな色気を再現するのか、考えただけでも心臓がドキドキします。しかし、JBLの事ですから、またすぐゴネてやり直しテナことになるとも思いますが、復活の時は必ず前のサウンドを越えていますので、その時はガンバッテ!!。お互いまだやつとスタートラインに立てるまでになった訳ですから、JBLという馬から落ちないようにオモイッキリムチをいれゴールを目指していきましょう。

                              厚木 繁伸


磯部様 山本様 昨日はお招き有り難うございました。

数年前、「スイング・ジャーナル」誌別冊の「ダブルウーファースピーカー特集」に磯部さんの記事が掲載されたのを拝見してから、「機会が有れば是非一度聴いてみたいものだなあ。」と思い続けてきたわけですが、ようやくその思いが、しかも最高の環境でかなったことに、感激しています。

磯部さんの音の第一印象はとにかくパワフルであるということ。ヘヴィーで粘っこい低域、豊かで熱い中域、張りがありヴィヴィッドな高域が渾然一体となって、強力なグルーヴ感を作り出しています。

驚かされるのは、その音の重量感が相当なものであるにも関わらず、出方がとてもスムーズで心地よいことです。まるで4355が自分で呼吸しているかのように、バッフルから「フッ」とエネルギーが放射され、次の瞬間熱風となって、私達リスナーの方に「ブワーッ」と吹き付けてくるような感じ、あるいは、4355の振動が、壁や床を震わせて、こちらの心臓の鼓動にシンクロするような感じです。

それを、時々そのパワーにのけぞりそうになりながらも、全身で受け止めて聴くのはとても快感で、知らず知らずのうちに身体が動いてしまう。最高の「体感」サウンドだと思います。

こういった磯部さんのサウンドが演出する世界は、当然ながら、スケールが大きく、求心力のあるものでした。圧巻は、DVDで見たfourplayやBirdのライブ・パフォーマンスで、磯部さんが照明を落とし、4:3の160インチサウンドスクリーンを下ろすと、部屋の前壁全面が映像で埋めつくされ、壁が抜けたようになり、あたかもライブハウスにタイム・スリップしたような感覚に襲われます。演奏が始まると、リー・リトナーのギターソロの透明な響きの美しさに酔い、ハーヴィー・メイスンのドラムの叩き出す強烈なビートに圧倒され、Birdのスキャットやサイドメンのサポートの見事さに舌を巻き、オーディエンスのノリに煽られ、熱狂している間にたちどころに時間が過ぎていってしまう。そして、照明点灯とともに現実世界に引き戻され、しばらく経った後に「ああ、そう言えば、ボブ・ジェームズが弾いていたエレピの白鍵に照明が映りこんで綺麗だった。」とか、「ギターのベルトの革の質感、光沢が良く出ていた。」といった映像の美しさに気付かされることになる。といった具合です。磯部さんが理想とされる「ライブハウスやディスコ・クラブの等身大の再現」がここに見事に実現されていたと感じました。

あと、磯部さんのご自身のサウンドやそれを作り出すシステムへの思い入れも、伺っていて大変興味深いものでした。特に、それが実感されたのが、「ブレードランナー」の『愛のテーマ』を、磯部さん常用のバークレーX-1とエアーD-1で聴き比べた時でした。エアーでは、サックスの音像が後方に定位し、音のエネルギーが壁面に沿って緩やかに
広がり、空間を満たすような感じでしたが、バークレーでは、音像が前方に張り出し、エネルギーが凝縮し、大きなうねりとなってこちらに向かってくるような感じになりました。自分等はエアーにも強い魅力を感じたのですが、磯部さんは「彫りの深さが足りない。やはり自分にとってはバークレーの替わりにはなりえない。」ときっぱりおっしゃっていました。ここに、磯部さんのサウンドポリシーをはっきり感じ取ることが出来たような気がします。

その他にも、厚木さんとの会話で、「低音を後50センチほど掘り下げたい。」「まだまだ、マジメな音だ。もっと淫靡な音が出したい。」「機器はデザインが重要だ。音は後から自分の好みの方向に持っていける。」「ちょっとウルサイかな、というのをもう一つ突き抜けたところにさらなる快感が待っている。」等という、JBLユーザー同士ならで
はのディープなお話が聞けて、とても楽しかったです。まあ、私などには、今の磯部さんの音でも充分官能的で、これ以上スケベな音となると何かアブナイ世界を想像してしまったりするのですが、磯部さんご自身が太鼓判をおす、とことんまで「イッてしまった音」も一度は経験してみたいと、今からワクワクしております。

最後になりますが、ホストの磯部さん、企画者の山本さんは勿論のこと、現地まで私たちを運んでいただきました種子島さん、同席していただいた、大野さん、厚木さん、吉成さん、稲葉さん。有り難うございました。皆様のお陰で、楽しい時間を過ごすことが出来ました。重ねて感謝申し上げます。

                          2001年7月16日 中村匠一


 磯部サウンドを体験して       大野雅彦               

磯部サウンドを体験して、もしかして一番衝撃を受けたのは私だったかも知れません。それを例えて言うならば、米や焼き魚の国からステーキやバーベキューの国へと突然やってきた様なカルチャーの違いにとまどう、とでも言いましょうか。

正直言って驚きでした。まずコンクリート打ちっぱなしの壁に囲まれた巨大なオーディオルーム、天井高も3m以上ありジャンプしても手は届きそうもない。床も凝りに凝った構造らしい。ご自身のキャラクターカラーとおっしゃている紫でコーディネイトされた空間。もう異次元の世界に迷いこんだ様な錯覚に陥りました。お部屋を拝見してからいよいよサウンドを聞かせていただき、その強烈な音量に度胆を抜かれました。私の部屋でいつも聴いている音量の1000倍はあるなと感じました。音楽を鑑賞するのにこれ程の音量が必要かどうかは別にして、磯部サウンドは、汗を流して楽しむスポーツ感覚のサウンドとお見受けしました。

ご本人とお話して判りましたが、磯部氏はディスコサウンドの洗礼を受けた世代なのです。私も同世代なので少しは知っていますが、あの”体験”を引きずっている事はまず間違いありません。サウンドにそれが現れているからです。「ディスコやライブハウスでの体験が求めているサウンドの骨格になっている」とおっしゃていたのが印象的でした。

始めの話しに戻りますが、私のサウンドはと言うと、全く磯部サウンドとは正反対な世界を求めていると言えましょう。システムもSPは小型2WAYで、音量も普段はとても小さく鳴らしています。聴く音楽もバロックを中心にしたクラシックが多いですし、ジャズも聞きますが50から60年代のメインストリームがほとんどです。私がオーディオに入り込むきっかけは実は「癒し」なのです。以前、山や渓流に通っていた頃、ぼろぼろに疲れて帰宅した後、ひとり静かに酒を飲みながら音楽を楽しむという、慎ましい体験が原点となっているのです。

磯部サウンドと私のサウンドはアプローチもゴールもかなり違うところにあるかも知れません。だからこそオーディオは面白い共言えましょう。皆が同じ方向を向いていたら気味が悪いですし、個性が無いと思います。

「音は人と成り」という名言がありますが、あの日のサウンドは真に磯部氏のトーンキャラクターそのものだったと感じました。

                            つづく

「大野さん、つづくって書いてあるけど続きはまだ?」
「いや、あれは、今度また磯部さんちに行ったらつづきを書くっていうつもりだったんですよ」
「なーんだ、そうか、じゃ当分続きはありませんね」


 磯 部 様

先日は貴重な時間を作っていただきありがとうございました。

今年の3月に、いつも見ている山本さんのHPに磯部さんのページが出来たのを見て開いた瞬間の衝撃(頭の先に電気を受けて鳥肌が立った感じと言ったところでしょうか)から早くも4ヶ月その後山本さんともお会いして磯部さんのsoundの話を耳にするにつれ、一度は来てみたいと思っていましたが早くもお誘いいただき磯部さん、山本さんには大変感謝しています。

磯部さんの所での印象ですが、入った瞬間にクラシックが流れており、ちょっと?と言う感じでした。しかし綺麗に流れてくるその音は洗練されている感じで心地よい物でした。部屋の中も、HPで見るようにさりげな整然とレイアウトされており、磯部さんのイメージカラーだと言う紫色にカラーコーディネイトされ(紫は一歩間違うと変な部屋になりがちですが、とても色っぽく爽やかでした。)独特のISBワールドを感じました。

磯部さんの所の音はと言うと、まず第一印象として言えば「凄い・凄い・凄い・凄い・凄い・・・・」と言うことでしょう。とにかく圧倒的な音量・音圧でリスナーである我々に襲いかかってきます。私も、ずっとJBLを鳴らしている身として、今までも友人達のJBLの音を聞いてきましたが、桁違いの凄さでした。特に自分自身も4350を使用しておりようやく人並みの音になってきたかなと思っていたところなので正直、今回の磯部soundには参りました。音を出した瞬間からあの大きな部屋全体が強力なエネルギーの音量と音圧で支配され、磯部soundを構成している機器達によって創り出された艶やかな音楽が、軽やかに舞い重く襲いかかってくる感じです。

そのとき思ったのは、音に犯されている感じで、もうどうにでもして欲しいと言う気持ちになってきます。
 
でも、あの地下室全体が揺れるほどの大音量で鳴らしてはいるのですが、その音は決して耳につくようなうるさくなるような音ではなく体の中まで揺さぶられるような心地よい音であり思わず「気持ちいい」とつぶやきたくなる音でした。

そしてもう一つの驚きは、私の所では、4350が音楽を鳴らしているという感じですが、磯部さんの所ではSP側の壁一面を中心として部屋全体で鳴っている感じなのです、私の所では、一定の場所をリスニングポイントとして聞く位置としていますが、磯部さんのところではリスニングエリアが部屋全体に広がっている感じなのです。これだけの人数で聞いていてもポジションを交換することなく音楽が楽しめてしまうセッティングには驚きました。4355を「彼」と呼び4355が「もっと欲しい」いう要求に応えて溺愛している磯部さんならではの音づくりではないかと思います。磯部さんの所にいる「彼」達はとても幸せそうでした。

こうして、感想文を書いて感じるのは、言葉による表現の難しさです、あの時間を共有している7人の方々はどの感想文を見ても、うなずくことができると思いますが、この文章だけであの凄さを伝えることができるのか心配です。磯辺soundは、あの部屋全体で成り立っており、磯部さんが扱わなければあの音になり得ないと言うことでしょう。「百文は一聴にしかず」と言っておきたいと思います。

今回の訪問から帰ってきてあの音を思い出すと、あまりの衝撃の大きさに緊張のあまり手に力が入らない状態に近い感じの状態になります。JBL4355を鳴らす高い位置を見せていただきとても参考になりましたが、あまりの頂上の高さに少し迷いを感じているのが正直な気持ちです。私にとってはとても遠いところで道を探せるかどうか解りませんがこれを力に変え自分の音づくりをしていきたいと思います。

磯辺さん、山本さん、そしてまだまだ先があると磯部さんを叱咤激励していた厚木さんどうもありがとうございました。また一緒にツアーに参加し、同じ時間を共有できた大野さん、種子島さん、稲葉さん、中村さんこれからもよろしくお願いします。
 
  本当にありがとうございました。

  2001年7月19日     吉成邦市



<磯部さんの音>   7月15日以来VRの目盛りが少し上がって女房殿に叱られている   
                              種子島 弘

事前に山本さんから大変なJBLフリークと伺っていましたので、JBLとの付き合いが永い小生としても大変楽しみにしておりました。JAZZ好きの小生としては、JBLサウンドの最高峰はやっぱり一関の「ベイシー」ですから、その音をイメージして磯部さんのお宅へ向かいました。地下に作られたその素晴らしいリスニングルームに一歩足を踏み入れて、・・・ベイシー以上に驚きました。その広さ、天井の高さ、JBL4355をはじめとする当代最高峰の機器達、そして、なにより音(絵)を聞く為にだけに突き詰められたその雰囲気。磯部さんのすごさはまずこの環境を作られたことにあります。お金があればできるって?、いやいやそんなもんじゃありません。自身の持つ音(絵)イメージを明確すること、そして、それをすべて妥協なく具現化することが如何に大変なことか。努力不足の自分が恥ずかしくなります。

いきなりのパワー全開にまず圧倒されます。音質はもちろん庵主は音量にも全く妥協はありません。ああ、これは確かにJBLのコンプレッションドライバーの音だ、などと一瞬思いますが、次の瞬間には音楽にノセられている自分がいます。最高の環境を与えられた4355の咆哮はものすごく、ライブな音場も手伝って壁全面から音が出ている印象です。ご自慢のスクリーンを降ろしてみるとその傾向は益々顕著で、Birdのライブなんかもう最高。音質云々なんてどこかへ吹っ飛んでしまい、あたかもライブ会場と一体化した様です。中高域の切れ味は鋭利な刃物のごとく、低域のうねりはスピード感だけでなく、独特のタメとヒネリが加わってなんともセクシーです。良くぞ言ったり下半身で感じる音!(失礼!)

最初、ビジュアル兼用と伺って何故スーパーウーファーを入れないのかな、と思いました。長岡さんの方舟訪問の際にも、映画鑑賞にはスーパーウーファーの存在が欠かせないことがわかっていたからです。でも、Birdの絵と音でわかりました。磯部さんの目的はこれだな!と。

映画はともかく音楽鑑賞には創られた低域より、何よりスピード感、空気感のある低域が重要です。ーパーウーファーに頼らず、スクリュードライバーよろしく腹に突き刺さるベースの音の気持ちいいこと。どっしり安定感のあるベイシーの音に比べると重心が高く、スピード感に優れ現代的です。音の方向は違っても、どちらのJBLも名伯楽を得て本領を発揮した名馬のごとき風格があります。最近はJBL等のモニター系システムはヨーロッパ系のスピーカーに押されっぱなしの感がありますが、この辺の迫真の表現は他を寄せ付けない凄みがあり、JBLファンとしては久々に溜飲の下がる思いでした。

いやはや予想をはるかに上回る音に圧倒されっぱなしの数時間でしたが、この磯部サウンドが今後どうなっていくのか、大変興味があります。庵主は好奇心も体力も充実しきっているとお見受けしましたので、本当に楽しみです。

最後になってしまいましたが、磯部さん、山本さん、又、この素晴らしい時間を共有できた皆様方、本当に有り難うございました。是非またお誘いいただきたく思います。(最大8人乗りの小生のワゴン共々参上いたします。)


JBLを使い続けて20年、磯部さんの心の中には笑って簡単に語れないほどのエピソードで、きっと1冊の本が書ける程の思い出や出来事が詰まっている。
その時々に私は、磯部さんとJBLの都合を聞いてきました。かなり辛い時も有りました。もう終わりかと思ったことも有りました。しかし、2001年7月15日、7人の兵が磯部サウンドを聴き、全員ノックアウト!!。みんな聴く音楽も違うし、聴き方も違うと思うがそんなチッポケな事などブッ飛ブほどの音と音楽がそこには有った。
ここまでこれたのも、磯部さんのいつも変わらない音楽への憧れ、JBLに対する信頼があったからで、磯部サウンドはこの2本の柱を20年掛けて太くして、やっと柱に相応しい屋根を乗せることが出来たのだと思う。そして、その柱の太さ、屋根の大きさは全員のイメージを遥かに超えたものだった。

私いつも勝手なことをズケズケ磯部さんに言っていますが、それは常に私自身に言っていることでも有ります。JBLはお手軽には音楽世界を見せてはくれません。これ位だろうと思えばそこまでの音しか出ません。人に勧められるような特別なテクニックも無い。常にJBLに試されている。
磯部さん!!、「淫靡な鳴り方」を極めてください。淫靡なビート・淫靡なリズム 体がくねるような鳴り方をJBLから発してください。まだまだ先が有ります。その事を私達7人にいつか又教えてください。楽しみにしています。

今回の企画を立てた山本さん、ありがとうございました。私もあの時間を皆さんと一緒にいられた事を嬉しく思います。

                                    厚木繁伸


  磯部さんの音について

私はまず、プロローグやインターバル的に流れていたクラシックの音にやられてしまいました。小さな音でしたがとても雰囲気のいい、リラックスした音でした。ひとの心をつかむ音だと思いました。

磯部さんの音は、ライブハウスやクラブのサウンドとはかなり違うものに感じました。それよりはるかに解像度は高いし、分離もいいです。低域もブーミーにならないし、高域が割れることもありません。マーカス・ミラーのベースは心底、気持ちがよかったです! この音を、DJたちやクラブで遊んでいる子たちに聴かせたいなあと思い
ました。そうすれば日本のオーディオ文化もぐっと裾野が広がるのではないでしょうか。磯部さん、いっそクラブを作ってしまったら?

5月の連休に「ベイシー」を訪れ、かなりがっかりした後だったのですが、今回は磯部さんや山本さん、みなさんと一緒に楽しい時間が過ごせました。どうもありがとうございました。

                                  稲葉小太郎



      
 もちろん愛は金で買えないが、良い音をきく機会も金では買えない

3月に初めて磯部サウンドを体験して、僕は色々な事を理解した。「もっと良くなったから、またききにきませんか」というお誘いがあったので、僕は友人達にメールを出し、今回はみんなで押しかけた。HPを主宰している者の特権として、こういうお誘いを独り占めする方針もありかも知れないが、僕一人の体験にとどめるのは勿体ない。「良い音をきく機会」は金で買えないし、僕は「オーディオという趣味をより良く楽しんでくれる人を最大限増やしたい」、だからこのような機会は出来るだけ共有したい。自分のレベルだけが上がって、まわりの人との差がついたところで嬉しくも何ともない。

みんなでゾロゾロと地下のリスニングルームに入ると、JBL4355は肩すかしのようにクラシックを奏でていた。僕は「ふむふむ、気合いが入ってるぞこれは、後が楽しみだ」と思った。そう、気合いが入っていると言えば、僕たちが訪れる数日前クレルのパワーアンプが故障したそうだ。通常の修理では当日に間に合わないので、磯部さんはアクシスに持ち込んで修理をしてもらったとか、もちろん仕事は休まなければならない。おかげ様で男7人が大いに楽しめました。

具体的な音への感想は同行した皆さんのレポートの通りなので繰り返さないが、この日の僕は二度目だったのですごく楽しんだ。3月の僕は半分ぐらい驚いていたのだが、今回は二度目なので驚きはだいぶ減り、リラックスして楽しんでいた。僕が思うに、磯部宅で一番良いのは「安心できる」ことだ。同行の中村さんが持ってきたマーカス・ミラーをかけてもらって「おっ!ボリューム大きすぎ?」と思ったのは最初の3秒間ぐらい。あとはずっと安心してきいていられる。クリップしないかどうかという不安、近隣への不安、スピーカーの真ん中にいる人しか楽しめないのではないかという気がね、そういうものから開放されて楽しめる。かつて、寺島靖国氏が小林悟朗宅の音を「ロシア製コンドームみたいな音」と評したとか(ひどいなあ)、それを真似て言うと、僕は磯部さんの音を「妊娠しない日みたいな解放感がある音」だと感じた。

また、声をかけてくださいね。厚木さんとも話していますが、ビジュアルも含めて磯部宅へは「金を払ってでも行きたい」と思っています。         

                                 山本耕司 



まづ感想の前に、今回の出会いは「オーディオとは何か?」「映像とは何か?」とかを根本的に考えさせる様な衝撃がありました。
そういう機会を与えてくれた山本さんに感謝したいと思います。

磯部さんの家は、申し訳ないがしばらく行きたくない。その理由はオーディオでは、音質が全く好みではないし映像は、逆に凄く良過ぎて、目の毒だからだ。

今回の磯部サウンドとの出会いは、一言で言えば非常に間が悪かったとしかいいようがない。当日は夕方食事を済ませて集合ということだったので駅の側のファミレスに車をとめて、食事をしようとしたところ駐車場は一杯、レストランは満席で中々ままならず、一方そこで忘年会をしようとしている予約グループもあり駐車場は大混乱、その忘年会幹事らしき人が非常にいただけない人物で食事も出来ないまま、空腹かついらいら状態で磯部さんに迎えにきていただくはめになった。私は空腹時は、非常に機嫌が悪くなる習性がある。

そんなこんなで磯部邸に到着。既に山本さんはじめ5人の来訪者が盛り上がっていた。その人たちが誰なのか、結局最後まで紹介も無いまま早速音楽を聴くことになる。ああそして最初の音楽が・・・・・・・・・・磯部さんの最も好むブラック・ミュージックでなく、クラシック音楽から始められた。(既にそういった本流のものは、鳴らされていたので客が増えたこともあってちょっとここらでチェンジ・オブ・ペース的な感じでかけてくれたのだと思う)イタリア弦楽四重奏団の演奏でハイドンの「ひばり」第一楽章出て来たサウンドは、私にとっては神経を逆撫でする様なものだった。音色の変化・味わいが非常に希薄で、エレキ・バイオリンのようにしか聴こえない。これってひょっとして今話題のbond? イタリアSQのフィリップス盤CDと知ってびっくり。続けて今度はウィーンのシュランメル音楽をかけてくれた。これは音色はとげとげしさが減ったものの、演奏があまり上等でなくげんなりする。この2曲で残念ながら私は「終わって」しまった。ペアで5万円のスピーカーでももうちょっとクラシックの室内楽を楽しめる音が出せるんじゃないかしら・・・・・・と

この感想は、昔作家の五味康祐さんが奈良の友人、南口重治さんの4350を初めて聴いた時の感想と似ている。(オーディオ巡礼)

その後お得意のブラック・ミュージックを聴かせていただいたり、原本さんが持参されたアース・ウィンド・アンド・ファイアー」などを聴く。確かにその音質はNYの極上のラウンジを思わせる物理的快感がある。でも映像で言えば色数が少なく中間色のグラディエーションが感じ取りにくい。「ドバッ!」と音が押し寄せてくるのだが、例えば「青」なら「青」一色のなかに色々グラディエーションがある・・・といった感じに聴こえた。

一方SONY G90という磯部さんが設計に関わった9インチ管による3管式プロジェクターの映像は素晴らしかった。液晶プロジェクターと我が家で使っている三菱の3管式プロジェクターの間には少なからぬ差があるが、我が家のプロジェクターと磯部さんのG90の間にも同じぐらいクオリティの差がある。一言で言えば「心に焼きつく映像である」あまり映像の良さをデモンストレーションするようなソフトを見なかったのにそう感じたほどだ。正直に言って映像を観ている間はホッとしたし色々と勉強になった。映像に集中すると意識的に耳を閉じることができた。

その後率直な感想も交えて話をしたところ、どうも磯部さんと私は音楽以外の嗜好も行動パターンも正反対のキャラクターらしいことがわかってきた。例えば二人で雪山にいったとしよう。早速スキーで汗を流すのが磯部さんなら久しぶりに見た雪の「白」がどんな色なのか?時刻によって同変化するのか観察して雪の中に立ち尽くすのが私だ。でも夕方に温泉に浸かったときの気持ちよさの度合いはそれほど変わらない。考えさせられたのはそれからで、もちろん磯部さんは、礒部さんの大好きな音楽を最も好ましいと思われる音質で鳴らしていらっしゃる。ザッツ・イソベ・ワールドである。私は大嫌いな音だがそれは磯部さんにとってはどうでもよいことに違いない。私も音質は嫌いだが磯部さんが好む音楽が嫌いになったりはしない。でも音質が好ましくないので、演奏家が放つ音楽が私には届かない。私と演奏家の間に磯部さんとJBL4355が立ちはだかっている感じである。それが、とてもいらいらさせられるのだ。

これから書くのは家に帰って考えた一般論なのだが・・・・・・
例えば映像では、16対9のアスペクトの画面を4対3で観ているひとはまずいない。(逆はいる、ワイド・テレビの横拡大画面は私たちの仕事を愚弄する最低の機能だと思う)赤が緑に見えるほど位相がまわっていたり、台形や菱形の画面にして喜んでいる人もまずいないだろう。最近HTPCとやらでとんでもない映像を見ることはあるが最低限の約束事は、ある程度守られていると思う。(逆に世界が有限であるということもいえるかもしれないか)磯部さんは、まさにその約束事の守護神であり、その約束事の中でも自由を見いだせる人に違いない。

それに比べてオーディオの世界は非常に自由で無限だ。録音・再生にも同じように約束事はあるが、でもそれは、具体的なものはあまりなく個人の感性に大きくゆだねられている。といってどこまでがMUSTでどこまでがFREEなのか?その境界は何か?考えれば考えるほどわからなくなる。

磯部サウンドは私にとって、ある種自分が許容できる境界線を超えたところに存在する。

   12月17日    小林悟朗

☆僕たち5人は5時過ぎに合流して食事を終え、多分6時20分ぐらいには磯部邸に到着していました。しかし、先着組はクール&ザ・ギャングのDVDとウタダヒカルのDVDを見てただけです。 だから >> クラシック音楽から始められた。(既にそういった本流のものは、鳴らされていたので客が増えたこともあってちょっとここらでチェンジ・オブ・ペース的な感じでかけてくれたのだと思う)という事ではなかった。先に盛り上がっていたのは確かかも知れないけど、磯部さんは原本さんと悟朗さんの到着を待っていたし、多分5人が同時に到着していたとしても、室内楽のCDから始めたかったのだと思う。それを僕が「トライシクル」を見つけて、これききたいと言い、トライシクル→クラシックだったんだけどなあ。 (山本)                                  


 磯部様

先日は夜遅くまでありがとうございました。私はオーディオについては全くの素人ですが、以前からHPやお話で伺っていた磯部さんのところに「一緒に連れていってあげる」と山本さんに言われて、磯部さんはどんなふうにお話しになる方なのか?、実際に見る紫の部屋はどうなのか?、自分のからだにその音はどれくらいズシズシ響くのか・・・と、一週間前くらいから妙に楽しみにしておりました。

高台の磯部邸はクリスマスのイルミネーションで美しく飾られており、その日はあえて「紫」をはずし、白いコートと赤いマフラーを着ていったのですが、「クリスマスっぽいですね」という磯部さんのスマイルにまず一発、そして玄関先では、わざわざ赤いギンガムのスリッパを奥から出して下さる気配りに、すっかり緊張の糸をゆるめられ、すっかりリラックスした状態で磯部さんの作る映像と音の世界に身を投じることができたようです。(さすがナンパ師の山本さんにナンパ師と言われるだけのことはある、と納得。)

聞かせていただいた音楽&映像で、私が一番好きだったのは、一番はじめの「クール&ギャング」のライブDVD。コンサートでは、周りが立たないと一緒に立って踊れないような私が、神妙に音を聞いている他の皆さんを横目に「何で踊らないの〜?」とじれったくなるくらい、気持よく体の中に音が入ってくるようでした。大音量なのに、うるさい感じは全くなくて、背中や肩の固まったコリにぱりぱりささってほぐれるような、爽快で気持のよい感じ。後ろにマジックミラーの部屋があったら、きっと私ひとりで踊りまくっていました。

磯部さんが”ジャケ買い”をされるという黒人中心の女性ボーカルは、二つのスピーカーの間に、肉感的な女性の顔が大きく映し出されるように聞こえ、唇の動きが気になって仕方がありませんでした。山本さんのスタジオで聞く女性ボーカルは、ポップスでもオペラでも全身が見えるのに、再生する方によって違うのがとても新鮮。一方で、先日の来日コンサートで肉声を聞いて以来、またはまっているビョークのホモジェニックのCDを持っていったので、お願いしてかけていただいたら、ちっとも良くなくて、「ストイックすぎてきっと磯部さん好みじゃなかったんだ」と反省。カエターノの声は良かったから、アイルランドやヨーロッパよりも南米&北米の熱っぽさがいいのでしょうか?

ファミレスでの食事からご一緒した西田さん、初代ラーメン王の中村さん、漫画家の葛原兄さんとお会いできたのはもちろん、磯部さんの4355に傾けられる熱意や魅力的なお人柄、小林さんの一貫した趣味と知識、時折ゆったりと専門的なコメントをされる原本さんの上品で素敵なお話ぶり、全員を知る山本さんの人脈、いろんな方が一同に会して、とてもいい空気が流れている空間で、たくさん養分をすわせていただきました。

いつか自分の家を手に入れたら、私もかっこいい映像と音を楽しめるようになりたい。

                                則島 香代子 2001.12.17


私のような若輩者が口にするのはおこがましいのですが、「磯部さんという方は、きっとものすごく充実した人生を送っておられるのだろう」というのが、最初に音と絵が出た瞬間から、お宅を辞させていただくまで常に考えさせられていたことでした。
まずお宅の前に車を停め、美しいイルミネーションに彩られた外壁から、玄関へのアプローチ、そして宅内へ、目に入るすべてのエクステリア、インテリアに明確な主張が感じられ、それだけで、すでにもう参っていたのかもしれません。
半地下になっているリスニングルームへと招き入れられ、自己紹介もそこそこに早速クール&ザ・ギャングのライブ…それはまさにライブの再現であり、現実にはありえない高品質なライブ空間が出現していました。「生を超える再生」がこういう方法で実現されるとは!!一般的に「生を超え」たいと思ったときに、最後の壁となるのが「音量」の問題だと思っていたのですが、磯部さんの場合は最初から「音量・音圧」は最低条件であり、これを「聴かせる・感じさせる」ためにクオリティを上げていく必要があった(それもとてつもなく)のではないか、という感想を持ちました。
他にもいろいろとオーディオマニア的観点からの感想を述べることも不可能ではないのでしょうが、それは後から考えたことで、現場では磯部さんの作り上げた「ライブ空間」にただ浸りきり、その空間を感じることで五感のすべてを使い切ってしまっていたように思います。そして、麻痺しかけている頭の片隅で私は、冒頭に述べたような「磯部さんという方の人生」について考えていました。それは今体験しているこの空間は、磯部さんが「欲しい」と思い、そして妥協することなく実現させた空間であるという事を実感したからに他なりません。
そして、その実現のためには、仕事も家庭も犠牲にするどころか、さぞや充実しているのだろうと、リスニングルームを含む「磯部邸」を体験することによって、感じられたのです。
今回磯部さんが作り上げた「幸せな空間」を体験することが出来、その幸せの一部をお裾分けいただいたことは、本当に幸福なことでした。
最後になりますが、このような機会を作っていただきました磯部様、私に声をおかけいただきました山本様をはじめ、貴重な体験を共有させていただいた小林様、原本様、則島様、葛原さん、中村さん、本当に楽しく、有意義なお時間をありがとうございました。

                                西田智彦 2001.12.19


 磯部様

先日はスゴイ体験をさせて頂きありがとうございました。いやあ、たまげました。激震でした。顎ちょっとはずれかけました。ある意味、あの一晩で僕のオーディオ観が変わっちゃうよーな衝撃でした。

とにかくいろんな意味で圧倒的だったんですが、特にヤられたのが、一発目に聴かせてもらったKOOL&THE GANGのライブDVDでした。これがもうとんでもなく格好良かった!聴いてるうちに手がじっとり汗ばみ、気分がどんどんハイになっていき立ち上がって最前列、スクリーン前まで走っていって飛び跳ね暴れたい衝動にかられ(笑)聴いてそんな気分になったのは初めてです(あたりまえか)。

僕が音楽であんな高揚感を感じる事といえば他では…そう、ライブの時です。ライブハウスなどの小ぶりな会場でブラック系の格好良い生をかぶりつきで見た時のテンションが非日常的にハイになる感じ。まさにアレと同質の感覚でした。脳内からいろんなものが出まくって体がじっとしてられなくなるよーなナチュラルハイ感覚。そういえば聴いてる途中で急に「あれ?この部屋ライブハウスの匂いがする」と感じるというわけのわからない経験もしました(笑)そんな匂いするわけないし、第一ライブハウスの匂いって何だ?と今となっては思うんですが、もしかすると臭覚が聴覚&視覚に引っ張られたのかもしれません。

で、そんなKOOL&THE GANGを聴いてるときに感じた様々な事は、僕が今までオーディオに求めようと考えた事が無いものでした。クラシックやジャズはともかく、僕が主食にしているソウル/ファンク/R&Bなどの場合はライブとオーディオは完全に別モノと考えていました。その手のライブは音が悪いことも多いし、あのハイになってキレちゃう感覚はライブ特有のものと思ってましたし。ところが、磯部邸のKOOL&THE GANGからはライブでしか味わえないと思いこんでいた興奮と同質のものを感じました。立ち上がりたくなるような。しかも僕がライブではほとんど重視していない音質までめちゃめちゃ凄い(笑)本当に衝撃的でした。

というわけで、一発目のKOOL&THE GANGで完全ににイッちゃいましたんでその後はもう思考ははたらかず、ナチュラルハイ状態でひたすら楽しませてもらいました。途中からブラック系に関しては、もっと音大きくてもいいなオレ(笑)とか思いながら。

とにかく最高に刺激的でファンキーでグルーヴィな魂の夜でした。
磯部さん、山本さん、その他の参加者のみなさま、ありがとうございました。

                      葛原兄 2001.12.19


 灼熱の響宴〜磯部サウンドと遭遇して            

山本さんのサイトで磯部さんのページを拝見して以来、磯部さんのワン・アンド・オンリーともいうべきオーディオのスタイルに、私は、衝撃と憧れと、ある種の共感をずっと抱いてまいりました。そして、磯部サウンドを体験された皆様がお書きになった感想文を読ませていただくにつれ、日に日に磯部サウンドへのイメージは膨らむばかりでした。そんな最中の去る11月3日には、衝撃的な「磯部さんと山本さんの原本宅来訪事件!」が起き、私の音をお二人が聴いてくださったのですが、磯部さんは「ぜんぜん違和感がない」、山本さんは、「やっぱり二人は仲間だ!」とおっしゃるものですから、想像上の磯部サウンドのイメージと自分自身の音が、いつしかオーヴァーラップするようにもなっていたのです。

2001年12月15日は、その憧れの磯部サウンドを遂に体験させていただくことが叶った忘れ得ぬ日となりました。小林悟朗さんのクルマに同乗させていただき磯部さんのお宅に到着、地下室のリスニングルームへと続く長い階段を降りていき、紫色にペイントされた堅牢な防音ドアに迎えられました。おお……この「禁断の扉」を開けば、いよいよ夢の磯部サウンドと遭遇できるのだ……と思いますと、私はもう、それだけでワクワクしてしまいます。
磯部さんは、手始めに「トライシクル」をかけてくださいましたが、私はその時点で、磯部サウンドが自分の音と似ている……と思ったこと自体が「非常に甘かった」ことに気付かされます。その後もクラシックの室内楽を間に入れながらも、ブラック系の打ち込みサウンドを次々と聴かせてくださいましたが、強大なエネルギーと炸裂するパワーが怒濤のように押し寄せる磯部サウンドは、再生音圧レベルこそ、私とそれほど大差はないのですが、私の音よりはるかに「強い音」に感じられました。それはもちろんJBLのコンプレッションドライバーとマッキントッシュのダイレクトラジエターの音の差でもありましょう。しかし、それ以上に磯部さんの音と私の音の本質的なバランスの違いにも一因があるような気がしてなりません。磯部さんの音は、私の音よりも低音の量感が少なく、しかも4kHz〜10kHz付近のレベルが私とは比較にならないほど高いように思われるのです。その強靭な中高域〜高域が両サイドのコンクリートの壁に反射して、ほとんど減衰することなくリスニングポジションに到達するために、あれだけのエネルギーを感じさせるのではないかと想像いたします。情けないことですが、途中で用もないのに化粧室をお借りして呼吸を整えなければならなかったほど、私は、磯部サウンドの凄まじい音のエネルギーに圧倒されてしまいました。

もちろん、磯部サウンドは、音圧だけでねじ伏せるような音ではけっしてありません。ボリュウムを絞ったときも音が痩せることはなく、音楽の勢いと瑞々しい演奏の息吹が感じ取れます。むしろ磯部サウンドの小音量再生時の音の佇まいの良さは、パワーを上げていかれたときの圧倒的破壊力に勝るとも劣らない魅力だと感じました。

その後、磯部さんのもうひとつの本領でいらっしゃる映像も観せていただきましたが、映像とサウンドのサイズとイメージがピッタリ一致した唯一無二の世界で、どのソフトも心ゆくまで満喫させていただくことができました。特に、ディスコサウンドで一世を風靡したCHICの1996年の武道館LIVEのDVDは、観る者を実際のライヴ以上の興奮の渦に巻き込む力があり、掛け値なしでライヴを観にいくよりはるかにエキサイティングな音と映像の灼熱の響宴を観たように思います。

さて、あまりにも楽しい時間が流れておりましたせいか、すっかり夜の更けるのも忘れてしまいました。この滅法楽しく、なおかつ刺激的な機会を作ってくださいました山本さん、夜遅くまで和やかにお相手をしてくださいました磯部さんに、あらためて心から感謝申し上げます。そして、このひとときをご一緒してくださいました皆様、本当にありがとうございました。また、機会がありましたら、ぜひ、お声をかけてくださいね。

   
                              原本薫子 2001.12.20


 2001年12月15日の磯部邸訪問        山本耕司

さて、今回は何を書こうか?
現在僕の頭の中に渦巻いている極めて面白く興味深い内容を、ノーギャラで書くのは、ちょっとくやしい気さえする(こんな難しい事をまとめるには、皆さんが読む事に費やす時間の1000倍かかる)のだが、日頃このHPを見てくれている人へのクリスマスプレゼントって感じで書き始めている。

1) あの夜のハイライトは、何と言っても小林悟朗さんの「この音はキライだ、話が出来るくらいに音量を下げてもやっぱり嫌いな音だ。こんなに嫌いな音も珍しい」という発言だろう。最初は、居合わせた3人と、言われた磯部さんも驚いた。でも、面と向かって言ってるわけで(「いい音ですねえ」なんて言って、陰で「実はここがダメ」なんて事もよくあるから)、これは非常に正々堂々とした発言だった。原本さんなんて、途中からはあの声とあの口調で「おお、正反対のお二人ですね。これはおもしろい、もっとやって」みたいな発言をしていたぐらいだから、険悪になって地下AVルーム殺傷事件寸前なんてことはない。僕なりに考えて、興味深いいくつかの問題を含んでいるので、明らかに出来ることはすべて明らかにしておいた方が良いと考えている。本人同士がこれを展開するのはよろしくない。それにしても、あちらやこちらで論争を巻き起こす人ですなあ。

懸命に出している音に対し「この音はキライだ」と言われれば、言われた方は「むかつく」し、傷つく。僕なら「じゃあ帰っていいよ」と言うかも知れない。それは当然だ。そして、あの状況では言われた側の磯部さんは反論がしにくい(強く反論すれば本当にケンカになる)ので、僕は「そうかなあ、同じ4355を使っている柳澤さんの音は、本来4355では出なそうな微妙な音やサウンドステージも追求しているから、僕から見ればちょっと辛くなる部分も含んでいて、山本個人の好き嫌いで言えば磯部さんの音の方が好ましい」などと、あの場に柳澤さんがいたら口には出せないような事を言った。まあ、それはともかく、キライだと発言した小林悟朗さんがまるで傷つかないのかと言うと、これまた充分に傷ついている。人様の音を「独断と偏見で言いたい放題ぶった切りにして、あちこちに書きまくる人」とは違うのである。

2)磯部邸訪問の翌日、この話をダイナの厚木さんに電話した。この2人の音を知っている人はあまり存在せず、僕以外だと厚木さん(あとは半分当事者の原本さんがいるけど)しかいないのだ。彼は「それは面白い。ひたすら音を整えようとする小林悟朗さんと、ひたすら解き放とうとする磯部さんだから、相容れないものがあって当然かも知れない」と言った。

>でも映像で言えば色数が少なく中間色のグラディエーションが感じ取りにくい。「ドバッ!」と音が押し寄せてくるのだが、例え>ば「青」なら「青」一色のなかに色々グラディエーションがある・・・といった感じに聴こえた。

考えてみれば、磯部サウンドは麻雀で言えば「青一色」=リューイーソみたいな音で、「發」+「赤なしのソウズ」ばっかり集めてるようなところがあるわけだ。いさぎよいと言えばこの上なく潔い、上がれば役満だ。余談だが、山口孝さんやダイナの厚木さんの音は「国士無双」だろうか? 小林悟朗さんの音はもっと整った感じだから、麻雀の役だと何だろうなあ。僕の場合は「流し満貫」かな。

3)僕は原本さんのページの中で、磯部さんと原本さんの音は同一線上にあるが、磯部さんの音はインディ500専用マシンみたいな面があると書いた。別の表現をすると「遊園地のジェットコースターを楽しむような感覚で磯部サウンドに接している」と言えよう。比較的理解しやすいスリルと快楽、そこへ向かう期待感、それに加えて「妊娠しない安心感」もある。ISBランドのジェットコースターときたら、落差は日本一、あるいは世界一だから、快感と感じる人にはこの上ない快感で、中には失禁してしまう人もいる。しかし、絶叫、歓声、むやみやたらな興奮、そういうものを好まない人もいる。乗り物として考えた場合、揺れは激しく(わざとそうしている)乗り心地も良くはない。また、同じところをグルグル回っているから景色の変化は一周分だけだ。僕は2001年の3月に初めて磯部サウンドを体験し、あの時はとにかく驚いた。その次に行った7月は、心の準備が出来ていたので充分楽しんだ。そして、その次は9月に櫻井蘭子さんの取材を終えてから、金城さんと一緒にまたきかせてもらい、この時は「一周したかも知れないな」と思った。今回は磯部さんがかけてくれたソフトも違っていたし、僕も自分のLDを持参したし(ばらの騎士とタンホイザー)、小林悟朗さんが持ってきた二枚のDVDも素晴らしかったので(D・グルーシンのウエストサイドストーリーとカエターノ・ヴェローゾのライブ)すごく楽しめた。良いソフトがあればさらにもう一周楽しめる。

4)磯部さんという人は「長島茂雄」みたいなところがあるといつも思う。野球選手としても監督としても、その他の行動も、何かとエピソードが多い。巨人軍を好きではないが長島は好き、という人がいるように、僕はJBLを欲しいと思わないが磯部サウンドは好きだ。JBL4355のサイズから割り出してリスニングルームを設計し、4355の横幅に合わせたスクリーンサイズ、そこを基準にしたプロジェクターの設置、二台あるクルマのナンバーは両方とも4355、電話番号だって4355にしちゃうかも知れない。愛すべきキャラクターである。磯部さんと悟朗さん、2人とも極めて優秀であることに変わりはないが、天才タイプの磯部さんと秀才タイプの悟朗さんかな。

5) 磯部さんの室内楽
僕が自分のKEF105を鳴らしていて、色々やった結果「我ながらブリブリ鳴る」ようになったなあと思い、ついJBLとかが好きな人にきかせると「よく頑張ったけどマダマダだね、こんなもんじゃないよ」なんて言われてガッカリする事がある。磯部さんの4355による室内楽演奏をどう受け止めるかは、このKEF105の例と似ている。日頃JBLをきいている人ならば「おお、よくぞここまで調整したものだ、お見事」と思うかも知れない。僕もそんな感じで磯部さんの室内楽再生を受け止めてきた。もっとひどい音は沢山あるが、下を見るのはキリがないからやめよう。小林悟朗さんはJBLだからとか、4355だからというエクスキューズ抜きの絶対的な基準で「これじゃエレキバイオリンで、選曲もさらに考慮すべき」と言っている。

昨日、磯部さんと一緒に柳澤和男宅を訪問した。 証拠はこれだ この時の音には恐れ入った。過去、数回きかせてもらっているが、最も完成度が高く、先日このページに書いた >同じ4355を使っている柳澤さんの音は、本来4355では出なそうな微妙な音やサウンドステージも追求しているから、僕から見ればちょっと辛くなる部分も含んでいて という部分は撤回せざるを得ない。柳澤さんの4355は書ききれないぐらいあれこれあって「すでにJBLではなくなっている」とも言えるので単純な比較は出来ないのだが、ここは心を鬼にして「磯部さんの室内楽は100点満点の45点」と言おう。これを70点ぐらいにもっていければ、ブラックミュージックはさらにさらに良く鳴ることだろう。

6)でかい唇
通常、オーディオの世界で「ボーカルの口が大きい」と言うのは否定的な意味を持つ。同じ日一緒に行った則島さんは「山本さんのスタジオでは全身が見えるが、磯部さんの音は顔がクローズアップされ、唇の動きが気になった」と書いている。だから悪いと感じているわけでもなく、彼女にはその違いが面白かったのだろう。僕も似たような印象をもっているが、則島さん同様、だから悪いとは思っていない。磯部さんは唇だろうがおっぱいだろうが、見たいものがドッカンと出てくれば本望、大成功というところを目指しているわけだからね。とにかく、磯部サウンドが強烈にデフォルメされている事に間違いはなく、好かれ嫌われは激しいかも知れない。

ところが、ここに映像が加わるとデフォルメされた感じが薄れ、とてつもない臨場感が出現する。僕の「これは金を払ってでも体験したい」気持に変わりはない。僕自身は映像をやる気がまったくなく、この映像つきの状態を音だけで出したいと思っている。

7) 最低限の約束事は、ある程度守られていると思う。(逆に世界が有限であるということもいえるかもしれないか)磯部さんは、まさにその約束事の守護神であり、その約束事の中でも自由を見いだせる人に違いない。

小林悟朗さんの感想文の中で一番理解が難しく、しかし極めて重要な意味をもっているフレーズはこの部分だ。これがどういう意味なのかは皆さん自身でちょっと考えて下さい。

8)詳しくは柳澤さんのページで展開することになるが、JBL好き同志の会話はなかなか面白い。やはり必要なのは同等かそれ以上の「いっちゃってるお友達」で、その人たちのことを僕は極悪人とよんでいる。

なかなかの展開になった12/15の磯部宅訪問だった。僕はこの事に対して書こうと思えばあと3倍や5倍ぐらい書けるのだが、それはやめておこうと思う。この事はこれで終わりだけど、僕も含めたみんなにとって、すごく良い2001年だったなあと思うことになりそうだ。


 報告いたします                            厚木繁伸

わけあって、10日間の間に磯部さんのリスニングルームに2回お邪魔し、久しぶりに磯部ワールドを堪能してきた。いつものテーマ曲で聴く相変わらずなファットな低音とサウンドの密度感にはただただ呆れるばかりだ。磯部さんは多分間違いがなければ25年位JBLと付き合っているのかも知れない、そして、私とは約20年間もお付き合いさせて頂いている。自分も色々苦しんではきたが、磯部さんの道のりも激しいもので、その時々にJBL 4345や4344や4355 のサウンドを聴いてその苦難の過程を垣間見てきたのであります。それはそれは、、、、、とても言葉では書ききれません。

しかし、2回目に伺ったときのサウンドは明に違う、違うというよりも別物というような鳴り方をいきなりした。いつも聴き慣れている「トニー・ブラクストン/シークレッ」のファットな低音が生き物のような動きで迫り、彼女の声は間違いなく空間から何のストレスもなく現れてくるのだ。私は少しドキドキした。そして次にかけてくれた「モホガニー/モニファ」でノックアウトされるようなインパクトをJBL4355から感じ、とうとうここまで来てしまったのですかと、心のなかでつぶやいてしまいましたよ。

もう4355しかいない。バークレイもLNP2もクレルも本当に一つとなり、一丸となって4355をドライブしているのだ。そのサウンドは微塵のおごりもなく優しく静かでパワフルな力強さを感じ、ブラックミュージックに全身を包まれるような音、あれだけ離れて聴いているのに近くで聴いているような感じを受ける。たった3年間でしかもあの広い空間で。!!(私はといいますと、近くで聴いて近くに感じないサウンドを意識しています。)

自分には自分の音楽があり、磯部さんには磯部さんの音楽があり、特に磯部さんが好きな音楽はこのような機器で、しかも自宅であれほどの音量ではほとんど聴かれていないと思います。しかし、磯部さんはこの道25年の極道であります、クラシックだジャズだといっても、いささかも動じる気配はありません。動じるどころかブラックパワーで総てを許してしまいます。磯部さんが動じる時はサウンドに色気や艶(紫色?)がない時。帰り際、圧倒されながらも私の「少し色気が足りないかも」の一言に、磯部さんも「少し優等生的かな」とうなずいてくれました。20年も付き合っていれば少しは磯部さんの気持がわかります。でもいくら良く鳴っていてもその人にしか分からない不満というもが必ずやあるものですよね。

このように20年近くJBLは私たちを飽きさせるどころかさらに深遠なる世界を私たちの前にあらわそうとしています。その世界とは深海のように深く、宇宙のように広いかも知れません。しかし、あまり求めすぎ、総てが分かってしまうと、オーディオ熱は冷めてしまうかもしれません。これを磯部さん流に言いますと、総ての人類が裸で生活していたらつまらないだろうな〜てなことですかね。
磯部さん、次回は今のままのサウンドで色気ムンムンのトニーちゃんを聴かせて下さい。私、楽しみに待っています。  2002.10.23


磯部邸訪問の感想     岡崎俊哉

先日、ようやく磯部邸を訪問することが出来た。磯部さんの音はどうもこのペー
ジを読む限り我が家の音とは非常に異なっている、むしろ正反対の方向でオーディ
オと音楽に対峙されているのではないかと感じていた。そういうわけで、磯部ワー
ルドとはどんな世界であるのか興味津々で訪問させていただいた。

長い階段をおりて磯部さんのリスニングルームに入ると、そこはテーマカラーの
紫色が効果的に配色された非日常的空間が存在した。早速音を聴かせていただく、
来た、がつんと来た、音が塊で体に来た。もちろん、両耳の鼓膜で聴いているの
だがそれだけではない、直接脳細胞が揺さぶられ、刺激されている感じとでもいっ
たらわかってもらえるだろうか。でも、その塊は表面がとげとげしくない、体に
当たっても妙に心地がよいのである。そうか、これが磯部サウンドかと納得した。
確かに磯部さんのサウンドは一つの方向性に収斂されており、決して多機能な道
具という感じではない。だが、それだからこそある種の潔さがあり、それが例え
ば弦楽器の音という磯部さんのエロさとは関係ないような音色でも説得力を持た
せてしまう。今回はDACをクレルとワイスの2種類で聴きくらべさせていただ
いたが、どちらもその音質傾向の差をはっきりと提示していた。バランスが良く
ニュートラルな魅力があるのは確かにワイスの方であったが、磯部システムで聴
いたクレルはマッチングの良さがあり、音の説得力で勝っていた。また、絵との
マッチングでもクレルは磯部さんの絵に負けない音を出していたと思う。

また、私は絵のことはよくわからないが、磯部さんの所で見せていただいた16
0インチ、4:3で見る音楽ソフトは、ピュアオーディオとは異なる視点でで音
楽を鑑賞する楽しみを味合わせてくれた。デスティニーチャイルドのNo No
 Noは耳元で囁かれているような感触とSexyな映像でノックアウトされて
しまった。また、アンドリュー・ロイド・ウエッバーのロイヤル アルバート 
ホール コンサートも力強い映像と音声でまるでコンサートに行ったかのような
感動を味合わせてくれた。磯部さんの音はエロいが映像はピュアで力強い、その
組み合わせが絶妙で、純粋な興奮を喚起させるのだろう。磯部ワールドは絵と音
があってこそ完結するのかもしれない。

というわけで、磯部邸訪問は私にとって非常に楽しい時間であった。磯部さん、
どうもありがとうございました。今度は我が家にも遊びに来てください。エロく
ない音でおもてなしする予定です。




磯部邸訪問記

その1「これがJBLの音」  富田徹

磯部氏はJBL使いということで前々から訪問したいと思っていた。そう思い始めてから1年経ってしまっていた。年月の過ぎるスピードは加速してきている。ついこの間、磯部氏のサウンドについて論争があったばかりと思っていたが、もうこんなに時は経っていたのだ。

ぼくは今回の訪問について他にない興味を抱いていた。磯部氏を知っている人なら誰もが彼の非凡な才能に気づいているはずである。会話を交わす時間は少なくてもそれだけで解るものがあるが、その意味で磯部氏は普通の人が持っていないオーラのようなものを発しているからだ。それは主にオーディオに対してであり、例えば自分の使っている機器に対する愛情、音楽を聴くスタイル、そういったものが会話の中から明確に示される。今までに多くのオーディオファイルと会ってきたが、ここまでユニークで愛情に満ち、そして情熱を持って取り組んでいる人を知らない。彼のオーディオサウンドに求めるものが、ぼくとは全く異なっているだけにその音は逆にとても興味深く思えた。

磯部邸の近くの駅に到着し連絡を取ると、4355ナンバーのベンツで磯部氏が迎えにきてくれた。サンクスの前だったが、そのまま彼は道のど真ん中に車を止め、サンクスにビールを買うために入っていった。ぼくはこんな道の真中に車を止めていいのかなーなんて思ったりしたが、そんなところからしてぼくとは器が違う。

部屋に通されるとすでに極悪人が二人いて、何やら映像の鑑賞をしていた。それにしても目の前にそびえたつスクリーンのなんと巨大なことか。その巨大なスクリーンには太目の女性歌手が映っていて、それがぼくの好きな歌手だと知ってショックを受けた。ジャケットに写っているあの可憐で美しい少女はどこに行ってしまったんだ、といったところだ。スクリーンが大きいから余計そう思えた。そのショックから立ち直ると、今度は映像付きの音楽はもういいから早く純粋なオーディオを聴きたい、と思いはじめた。サウンドスクリーン越しに響いてくるJBLのサウンドは大変素晴らしく、文句のつけようがない。スクリーンの大きさにも負けないそのサウンドは完成されていて、こうなるとひたすら鑑賞するだけの話。だが、ぼくの今回の訪問の目的は磯部氏のエロいサウンドを聴くのが目的であったから、早くオーディオにしようよと心の中でわめいていたのである。

その声なき言葉が通じたのか、磯部氏はスクリーンを上げ音楽だけを鳴らした。音楽が鳴り出してぼくは「おやっ」と思った。それがモーツァルトで、しかもぼくが普段良く聴く弦楽四重奏曲だったからだ。これは磯部氏らしくない選曲だと思ったが、聴いているうちにそれが大変ロマンティックな演奏だということに気づいた。ちっともモーツァルトらしくない演奏が、暖かいアコースティックな響きでもって広い部屋に響いていた。JBLからこんなにもしなやかなで美しい弦合奏が聴けるとは・・・。

この音と同じ響きを以前にも聴いたことがある。それは柳澤氏がまだJBLの同じ4355を使っていた頃のことで、コニサーのプリを使っていたときにだけ聴けたあの響きだ。JBLからあのような音が出ることにさえ驚いたのだが、それに似た細やかで暖かく肌触りの良いサウンドが、まったく機器の構成が異なるにも関わらずここでも響いている。「これがJBLの音か」そう思わずにはいられなかった。それは今までぼくがJBLのスピーカーからは出せないであろうと思っていた「ディテール」を持つ音だった。

その2「好きなサウンドはどちら」

この時鳴らされたモーツァルトのCDは、夕食中(ピザをみんなで食べた)のBGMとして選曲されたに過ぎないであろう事は予想できる。磯部氏がぼくに本気で聴かせようとする曲が別にあることも分かっていた。でも磯部氏は心のどこかで、JBLでもクラシックは鳴るんだということをさり気無く示したかったのではなかろうか。さらに、ぼくがクラシック音楽を好きだという情報が磯部氏の頭にあり、それも作用したかもしれない。いずれにしろいきなりドカーンとくるのではなく、静かな曲から始まったのは意外な展開であり、それによって最初の内に冷静な聴覚でもってJBL4355の持つポテンシャルを聴き取ることが出来たのは幸いだった。

どう考えたってこの後はドカーンとくる。そうなると分析的な判断はお預けになり音楽を楽しんでしまうことになるのは明白。モーツァルトの音楽を聴きながら小林吾郎氏によるモーツァルトとハイドンの話を聴くなんて、これはまさに極上の前菜であった。そして広いリスニングルーム、特に高い天井高がうらやましく、そんな居心地の良い空間で食べるピザは、ちょっとしょっぱかったが美味かった。次第にぼくの耳も十分に空間に慣れてきて、試聴モードに変わりつつあった。食事も終わりいよいよ本格的な試聴の開始である。

曲名は聞いたが忘れた。女性ボーカルの曲だった。その一曲を最初はクレルのDACで聴き、次にワイスのMEDEAというスイス製のDACで聴いた。クレルは見事なまでにピラミッドバランスで低域は少しファット。それに対しMEDEAはF特バランスがフラットな印象。あっさりとした高解像度な音で、低域の音階も良く聴き取れる優等生のサウンドだった。女性歌手のイメージは、クレルが色っぽく迫るのに対し、MEDEAは一歩退いた知的な女性をイメージさせる。「どちらが好みか」ときかれたので返答に困った。一般的なオーディオファイルがそれぞれの音に対し、サウンドクオリティに関心を持てばMEDEAとなるだろうし、クオリティよりも音の肌触りや色気をとればクレルということになるだろう。ぼくは少し迷いながらもMEDEAと答えた。

本当はクレルと言いたかった。ぼく自身知的な女性よりも色っぽい女性の方が好きだからだ。でも一つだけ気になる点がありそれは主に音場の再現性に関してで、クレルは歌手の音像が低くイメージされるのに対しMEDEAでは等身大の高さできこえる。左右の広がり感もMEDEAは素晴らしく、クレルではややモノラル的にきこえてしまうのだ。やはりこの音場の再現性は欠かせない。ぼくにとってパースペクティブやステレオ感の問題は無視出来ないファクターである。もしこれらを必要としないソースであったなら、おそらくクレルと答えていただろう。

比較試聴はこれだけではなかった。dcsパーセルで96KにアップサンプリングしてMEDEAに入れた音を聴いてみたり、デジタルケーブルをカルダスや安田ラボ特注ケーブルにしてみたりした。面白いのは、それぞれのセッティングでコロコロ音場の出来方が変わる点である。ケーブルで音は変わらないと考える人もいるようだが、これを聴けば明らか。この変わり様は誰でも分かる。それにしてもJBLは敏感なスピーカーだとつくづく思った。

その3「LNP−2Lフルヴォリューム」

さてここまではウォーミングアップだったのだろう、そろそろドカーンときそうな気配を感じた。磯部氏はぼくの好みを確認した上で、一気に畳み掛けるつもりだなと思った。顔にもそれがありありと表れている。例のオーラも発しているではないか。ぼくはだんだんワクワクしてきた。

ぼくが今までに「でかい音だ」と思ったのは、八王子に住むオリジナルアポジーを鳴らすH氏で、この時は脳みそが気絶しそうだった。次はステレオサウンドでおなじみの菅野氏で、これも凄まじかった。脳みそのねじが何本か吹き飛んだぐらいだ。最近では柳澤氏が替えたばかりのスピーカーT2に思いっきヴォリュームをぶち込んだ時で、この時は体がソファーごと揺れた。

実はぼくは大音量大好き人間なのだ。我が家ではマンション住まいなため、まわりに「ごめんなさい!」とばかりにでかい音を出す時があるが、かの人々はそんなレベルではない。環境もそれを可能にしているがとても太刀打ちできない音量である。さて磯部氏はどうだったか・・・。

ついにきた。かなりの大音量。腹部に音圧がかかる。この音圧はライブを聴きに行ったときに味わえる心地よさ。それにしても不思議だ。これだけの音が、このライブな空間のどこに吸われているのか分からないが、とにかく飽和しないのだ。だから音の一つひとつが明瞭に聴き取れる。音と音の間には静けさすら感じる。1曲終わってぼくは磯部氏に「大音量でも全然平気ですね。」と言った。そしてさらに「もっとでかい音でもこの音なら平気ですよ。」と言うと、磯部氏は照れ笑いをしながら「富田さん、今のフルヴォリュームなんですよ。ほら・・・」そう言わ
れてLNP−2Lのヴォリュームを見ると、ヴォリュームのノブが右側いっぱいに回りきっていた。そんな馬鹿な、JBL4355の能率はぼくが使っているような低能率のスピーカーとは違うはずで正直言ってこれには驚いた。

フルボリュームで平然としているところが磯部氏のグレートなところ。このライブな空間でここまで音量を上げられるようになるには、セッティングに相当苦労されたことと思う。だがリスニングルームを見渡しても吸音材らしきものはほんの僅かしかない。QRDの吸音拡散パネルが両サイドの1次反射部分に一枚ずつ置かれているだけという実にシンプルなルームチューンである。正確には他にも少しだけあるようだが、ぼく自身も吸音アイテムは出来る限り使わない、というかルームチューンはインテリアで行ないたいと考えているのでまったく置いていない。吸音アイテムを使わなくても音量が入れられるというのが面白いと考えているからで、その意味で磯部氏のアプローチは潔く、ぼくは好感を持ったのだ。それにしてもあれだけの音圧で唸ることもなく響き渡るのは、マジックとしか思えなかった。

その4「磯部氏の言うところのエロい音とは」

音圧はあるけれども、ぼくにはうるさくきこえない。タイトな低音が気持ちよく脳に直に音が届いている感覚である。この濁りのないクリアーな大音量サウンドは、DACがMEDEAだからだろうかと思いながら聴いていた。一曲終わったところでクレルのDACも聴いてほしいという話が出た。ぼくはその時、先ほどの変化量からいってこの大音量ではかなり混濁した音になるのではと予想した。ところが予想とは全く異なるサウンドが鳴り出したため、またまた驚いてしまったのである。

それを一言で表すなら「エロい音」ということになる。とにかく低域がホット。しかも凄みがある。予想した鈍い低域とは全く違い、これぞ身体を中心からノラせてしまう気持良い音だったのだ。これに比べるとMEDEAはどこかストイックでノレない部分を感じる。クレルがアメ車に美しい女性を乗せハイウェイをクルージングする感覚だとすると、MEDEAは女性のことよりも高性能スポーツカーで峠を攻めている感覚とでも言おうか。どちらがエロいかは言うまでもないことだ。たまに峠を攻めるなら面白いだろうが、疲れもたまる。が、美しい女性を横に大排気量の車でぶっ飛ばすというのは毎日でもやりたい。

磯部氏が言うところのエロい音が僕には素直に理解できた。最初はエロい音は存在するのかと思っていたが、確かに存在した。それもクレルのDACで鳴らした時にだけ現れる。それは表面的な現象ではなく非常に抽象的な感覚で、なにがどうだからエロいのだとうまく説明できるものではない。ぼくはつくづくオーディオは面白いと思った。これはやはり人の生き方にかかわる道具であると思った。

磯部氏は迷っていた。当然だろう。僕だってこの二つはどちらも捨てがたいと思ったぐらいだ。でも解決方法は簡単である。両方使えば良い。ただ金額的な問題もあるだろうし僕は控えめにしか言わなかった。先に帰った柳澤氏は、一通り聴いた後、帰る間際に一言「クレルのDACは売らない様に」と言って帰ったそうだ。クオリティをどんな時でも最優先する柳澤氏がそう言って帰ったところをみると、柳澤さんもこのエロい音の魅力を感じていたに違いない。このあと磯部氏がどのような判断を下したかは聞いていない。だが磯部氏が日頃から主張していた「おれはエロい音が出したい」というのは確かに聴き取った。もしクレルを売った後だったら、ぼくは磯部氏のエロい音を聴くことが出来なかったのである。

                        おわり


2002年12月14日

磯部さんのご招待を受けて、一年ぶりに磯部宅を訪問した

今回の同行者は富田さんと、去年も参加の則島香代子さん、そして原本さんだったが、原本さんは風邪のため不参加だったので、僕を含めた三人が、GOLDMUND EIDOS+JOBを得たJBL4355のサウンドを初めてきかせてもらう事となった

すごく良くなっているという噂をきていたので、駅からの坂道も楽しく僕たち三人は12月限定の美しいイルミネーションに彩られた磯部邸の前に立った

今夜の話題はこれ

でも、トランスポートとDDコンバーターのパーセルにどのようなケーブルが使われているか、などという事にはほとんど関心がわかない。大きく違う目標を異なったアプローチで目指しているのだから、細かいことを気にしても意味がない

紫音様

先日はお招きありがとうございました。
お話をうかがっていた通り、エイドスに変わった紫音さんの音は以前にまして凄くなっていました。一番驚いたことは音場空間の広さです。前回はスピーカーから試聴ポイントに向かって一直線というイメージでしたが、今回は前後左右上下あらゆる方向に音が飛んでいくイメージでした。かといって音像が希薄になるのではなく、前よりもさらに音像が小さく絞り込まれていたように思います。ですからボーカルの頭の大きさは、ほぼ実寸大に感じられました。そこのところは紫音さんが意識的にそうなるようチューニングされたとのこと。

苦労されたようですが、そのチューニングの手腕はお見事というほかはありません。次に驚いたのは低域の質です。鳴り止みの制動が増した感じでだぶつきがなく、いわゆるハイスピードといった言葉で表される質の低音に変わっていました。僕はてっきり紫音さんは量感を求めておられるのだとばかり思っていましたので、なおさらビックリした次第です。結局、MEDEAは手放されクレルのDACになっていましたが、実は後で確認するまでてっきりMEDEAだと思っていたのです。あのクオリティの高い音はMEDEAだと思うのは当然ですよね。特に低域のキレはクレルでは出ないと思っていましたので勘違いしました。ただ、MEDEAにしてはやけに色気があったのでもしやと思い確認したらクレルだったわけです。
それにしてもあの低音は凄かった。4コのウーファーの鳴りがあそこまでピターっと揃った音を聴いたのは初めてです。前回はほんの僅かズレを感じていましたのでなおさら強い印象を受けました。ここまでのクオリティアップはエイドス効果によるものとおっしゃっていましたが、実際この音を聴いてしまうとエイドスにいかれたのは当然のように思います。なぜトランスポートでここまで音のクオリティが上がってしまうのかと不思議に思いますね。さらにエイドスは音圧にも強いらしく、紫音さんの強烈なフルボリューム攻撃にもビクともしないという感じでした。普通あれだけの音圧がトランスポートにかかれば、その影響が出るものですが全く大丈夫でしたね。トランスポートに影響が出る前に人間の方が壊れるっていうぐらい強そうでした。最後に「淫靡な感じがないのが残念」とおっしゃっていましたが、紫音さんも欲深な方だと思いましたよ。あのような素晴らしい環境で、あんなに素晴らしい音でおもいっきり音楽が楽しめるのですから、少しぐらい得られないモノがないといけません。羨ましすぎます。でもそうこう言っているうちに淫靡な感じも出してしまうのでしょうね。そうなったらぜひまた呼んでください。

   富田 徹 より

一年ぶりの訪問の前に、去年の12月のことを思い出してみた。あれは楽しくも辛い体験で、そこに居合わせた人にとっては今も似たような気持が残っていることだろう。そして一年が経ち、どうなったのか、とても興味があった。結論から書くと、随分な変化に僕はちょっと無口だった。無関心無感動だから黙っていたわけではなく、このように大きな変化は一体何によってもたらされたのか。そこで鳴っている更なる進化をとげた状態を楽しむと同時に、オーディオ的な興味として、新しく導入されたCDトランスポートによる変化がいかほどのもので、その寸前にどこまで下準備がされていたのかを知りたいと思っていた。

まいったなあ、富田さんの原稿こないかなあなんて思いながらノタノタと書いていたら「ハイスピード」って言葉を富田さんに先に使われてしまったぜ。

もちろんジェットコースターのように楽しい音であることに変わりはない。しかし、去年の、エネルギーで圧倒する、相撲で言えば「突き押しのみ」のようなラフな感じではなくなっている。身体全体が揺さぶられるような低音であることに変わりもない。でも、圧倒されて息も出来ないような感じではなく、冷静な部分が加わっていた。これは正にハイスピードの恩恵だろう。GOLDMUNDのハイスピードというのはこの事だ。考えてみて欲しい、GOLDMUNDにクレルのDAC、マークレビンソンのやや古いプリにクレルのパワーアンプだ。混血は優秀だ。僕はかつて自分が愛用してきたアンプやDACの音色を思い出していた。そう、GOLDMUNDの音ってそういう音なんだ、それはまるで異なる種に混じってもGOLDMUNDであり続け、GOLDMUNDを主張する。僕は長い間ずっとこの音を愛していたのだ。

TONI BRAXTONも今までで一番良かった。よく制動のきいた低音だし唇も小さくなっている。でも、僕はブラック・ミュージックを毎日きいているわけじゃないから、これらのソフトだとどこがどう変わったのかがよくわからない。そこで、去年もきいた「トライシクル」をかけてもらうことにした。トライシクルは楽しいソフトだけど、基本的には「良い意味で脳天気な音楽」で、僕もよくきいている。上に記したGOLDMUNDの感じはトライシクルをかけてもらう事により、漠然とした印象から確信へと変化した。全体的には脳天気だけど、プラスαの陰影がついている。これは良い。

最後に富田さんが「クラシックをききたい」と言った。磯部宅には本当にクラシックのCDがないらしく、あれこれ探してもらった結果「菅野沖彦編集ステレオサウンドCD」が見つかった。この中からマーラーの5番をかけてもらったのだが、金管の輝きはもちろん、音の広がりも弦楽器も満足すべきものだった。悟朗さんはこれでも不満なのかなあと思ったが、これは本人にきいてもらって感想を頂戴するしかない。よろしくね。

後日我問美人姉 「紫音的音響 汝陥淫性的絶頂 否?」

        「わたしはないけど、そういう女性もいるかも」

                                      山本耕司

 磯部さま〜二回目の訪問についての感想〜

二回目のお招きありがとうございます。十年十ヶ月住んだ要町から新居への引越しとなる夜に、この日のご招待が重なりました。自分にとって記念すべき日に、魅力的な磯部さん宅におじゃまできるなんて、この日が来るのが本当に楽しみでした(お世辞ではありませんよ)。はじめて、磯部さんのお宅に伺ったのがちょうど一年前のクリスマスの頃でしたが、外のイルミネーションは記憶そのままにキラキラしていて、磯部さんの親しげなスマイルと紫色のお部屋も去年のまま。当然、スピーカーから聞こえる音(体で感じる音)も去年と同じと想像していた私の予想は、見事に裏切られました。

確か、二曲目の松任谷由実あたりから、変化を感じていたように思います。去年「気持ちいい!」と喜んでいた振動はそのまま全身に響いてくるのに、音の響きと言葉の意味が予想以上の緻密さで心に突き刺さってきて、なぜか分からないけど、涙腺がゆるゆるになっていました。長年住み慣れた部屋を離れるにあたって、心が感傷的になっているからなのかなぁ、と思っていましたが、それは音が扇情的だからでも感傷的に過ぎるからでもなく、むしろ迫力と理性で説得されるような感じで、スピーカーの向こうには明らかに去年とは違うタイプの女の人が歌っていました。その変化は、次の曲、そしてDestiny Child(?)のDVDで決定的になりました。あれだけ、セクシーな肢体の女性が5人(4人?)がかりで画面いっぱいに迫ってくるというのに、「知性」が強化され「肉体」の激しさに拮抗しているというのか、自分が男だったら「言葉で押し倒されてみたいような」魅力的な女性が攻撃的に立ち向かってくるのです。攻撃的とはいいましたが、音の緻密さはすばらしく、ときに優美で、特に高音部分では吸い込まれるような微妙なグラデーションを感じました。


前回の感想に「色っぽい女の人の唇がアップで迫ってくる」というコメントをし、そのことはオーディオを趣味とする方にとって「口が大きい」という否定的意味にも取られかねないことを後で知ったのですが、磯部さんはその言葉に対抗して、方針転換に挑まれたようでした。そして、到達する姿に磯部さんの強い精神力を見たような気がします。


私にとっては、オーディオは自分で挑むものではなく、もっぱら鑑賞させていただく対象ですが、今回の磯部さんの変化に、自分の生き方、仕事にも応用できるような刺激を受けました。「どうですか?」と感想を聞かれ、「肉感的な魅力はそのままなのにすごい知性が加わった」と感想を言ったら、「そうでしょう」とニッコリ微笑み、「これで淫靡(インビ)な感じがあったら最高なんですけど」とさりげなくおっしゃいましたね。実際にそんな女の人がいたら、同性でもまいっちゃいます。後学のため(笑)、是非その折は鑑賞させていただけるとありがたいです。今回は貴重な体験をさせていただきありがとうございました。

                     2002年12月                則島 香代子


風邪で本物の熱を出してしまい、やむなく欠席させていただいた「熱」のはらもとで
す。富田さん、山本さん、則島さんの感想文をとても羨ましく読ませていただきまし
た。知的でアグレッシヴに変身を遂げられた磯部サウンドを体験させていただくチャ
ンスを逃してしまい、残念でなりません。このうえ、さらに淫靡な感じが加わりまし
たあかつきには、またお声をかけてくださいね!


2003.3.7 すごいことが起きた 

僕はオーディオを趣味とする人間として、この瞬間に立ち会えたことに感謝する

ユーリスミではない、JBL4355だ。YMOの「ソリッドステート・サヴァイヴァー」では広い空間を奔放に音が飛び交い、ライディーンの馬のひずめは笑いがとまらなかった。すごいよ磯部さん、僕たちは本当に驚き、楽しみ、そして色々な事を考えされられました。この約二年間の変化そして進化に立ち会ったことは、僕のオーディオ人生にものすごく大きな、そしてかけがえのない何かを与えてくれました。この場にいた3人は多分同じ事を感じ、そして「よし、負けずにやりつづけよう」という決意を新たにしたはずです。

磯部和彦 さま

先日はありがとうございました。昨年12月に、せっかくお招きいただきながら風邪をひいて欠席してしまい、これであと1年は磯部サウンドを聴かせていただく機会は巡ってこないものと残念がっておりましたら、それを山本さんが察してくださったのでしょうか、「厚木さんと一緒に磯部邸に行きますが、原本さんも行く?」というメールをくださいまして、幸運にも、今回みなさまと同席させていただくことが叶いました。思いがけないチャンスを作ってくださった山本さん、本当にありがとうございました。

1年3ヶ月ぶりに訪れる磯部邸のリスニングルームには、JBL4355の両サイドにジャディスのユーリスミがおさまり、やや控え目な音量ではありましたが、どこか妖しげな雰囲気をただよわせてBlack Musicを奏でておりました。大胆な曲線を活かしたプロポーションも人目を惹かずにはおきません。おお、この官能的な美女が今夜の主役なのでしょうか……。しかし、それは単なるプロローグに過ぎなかったのです。

当夜、磯部邸にはメトロノームテクノロジーのCDトランスポート、KALISTAと、DACのC2Aシグネチュアが納品され、その試聴が主たる目的でした。厚木さんがKALISTAとC2Aシグネチュア、それぞれの電源部を磯部さんの紫色のラックにセットされますと、それらの機器は、そこに置かれるために生まれてきたかのようにその場に溶け込んでしまい、溜め息が出るほど美しく幻想的な光景を醸し出してくれました。それにしばし魅了されて陶然となっている間にも、厚木さんは手際よくケーブルをつないで電源を入れられ、KALISTAにCDをセット、しばらくディスクを回しておきウォームアップをする間に、磯部さんは、現用(だった)ゴールドムンドのエイドス38にCDをセットされ、クレルのDACとの組合せでJBL4355を鳴らされたのです。

その最初の曲、磯部さんのテーマ曲、トニー・ブラクストンのあの曲が鳴り響いた瞬間、さすがはJBL、ハイリゾリューション!と思わず心のなかで叫んでしまいました。1年3ヶ月前に聴かせていただいた磯部さんの音は、もっとワイルドな印象でしたが、その面影はどこにもありません。音像は引き締まり、広いリスニングルームの空間ぜんたいにパースペクティヴが拡がっていきます。そして何より素晴らしいのは、低域の解像度が格段に上がったことです。量感とパワーがありながらも、非常に抜けのよい爽快な低音が体中を突き抜けていきます。YMOの懐かしいアルバム、「ソリッド・ステート・サヴァイヴァー」の「テクノポリス」や「ライディーン」のビートを刻むバスドラムとエレキベースの痛快で気持ちのよいこと! 
LNP2のボリュウムの位置はマキシマム、つまりフルボリュウム!!  なのですが、音量が大きすぎて辛く感じることも、もはやありません。それどころか、もっと、どこまでも音量を上げたくなるくらいです。

CDトランスポートをエイドスからメトロノームのKALISTAに替えますと、音の重心が下がって、厚味も増し、ニュアンスがさらに豊かになります。DACもクレルからメトロノームのC2Aシグネチュアに替えますと、表情はいよいよ多彩になり、陰影が深まり、温度感も上がって濃厚でヴィヴィッドな表現になるんですね。このようなハイエンド機においてはなかなか得難い、音楽的愉悦感が前面にでてきます。その状態で、マーカス・ミラーや磯部さんお気に入りのブラックミュージック、そしてこちらのリクエストでドナ・サマーとカエターノ・ヴェローゾを聴かせていただきましたが、大口径のダブルウーファーを擁する超大型システムがひとつになって躍動する快感に、私たちはただひたすら身を任せきっておりました。カエターノ・ヴェローゾの「Pecado」のバックのオーケストラも、とてもしなやかで魅惑的です。1年3ヶ月前に聴かせていただいたときに、私は感想文に「強靭な中高域〜高域が両サイドのコンクリートの壁に反射して、ほとんど減衰することなくリスニングポジションに到達するために、あれだけのエネルギーを感じさせるのではないか……」と書かせていただきましたが、その壁面からの一次反射による影響も、いまではまったく感じとれません。見渡せば、コンクリート打ち放しの壁面は以前とかわらない佇まいです。唯一、かわったことはジャディスのユーリスミがそこに加わったことですが、その要素も含めて磯部さんは、この美しい佇まいを保たれたまま、音をこれほどまで変化させてしまわれたのですね。そのためになさった所作の数々は想像させていただくに難くありませんが、そのおそるべきチューニングの手腕には、ただただ脱帽するしかありません。

この日、磯部さんは、演奏中、ずっと祈るようにLNP2のボリュウムに手を添えられたまま、身じろぎひとつされませんでした。そのお姿は、音の求道者そのものでしたが、あの張りつめた空気のなかで、磯部さんのお気持が伝わって、あの素晴らしいサウンドが奏でられたにちがいありません。ひとつの道を信じて一途に精進してこられた磯部さんに、私は遠く及びませんが、たくさんの糧をいただいて帰ることができました。ありがとうございました。またいつか聴かせてください。

                          原本薫子 2003.3.13

CDの新譜を自宅で聴く時はこれから起こる未知との遭遇で胸が高鳴るが、今回磯部さんの所にメトロノームのセットを貸し出すと決まった時も,どのようなサウンドステージが展開するかを想像して同じように胸が高鳴った。当日は山本さん・原本さんも乱入。原本さんが来ているのに気付いた磯部さんが「原本さんに聴いてもらいたかったんだ。」と嬉しそうに話しているのがとても印象的で、これからの試聴会がとても良いものになりそうな予感がした。

まずは、機器をセットしてランニング。その間に現状のサウンドをみんなで確認すると共に、新しく仲間に加わったジャディスのユーリスミーを聴く。サウンドが鳴り出した瞬間から部屋の空気感が一変するのが判る、オーディオ的評価から一番離れた所に存在する音とでも言ったらいいのか、言葉で表現するのがとても困難な音、でもすごくいい気持ちにさせてくれる音。しかもこのサウンドがとても2A3シングルの真空管アンプ(3W)で鳴らされているとは思えないようなスケール感が出るのだ。クレルKMA−200mk2 4台で鳴らすJBL4355も、うかうかしていたら磯部さんに追放されそうな予感を感じているのではないだろうか。

そんな予感を感じてかメトロノームが繋がれた4355は圧倒的なサウンドパフォーマンスを私たちの前に現したのだ。いつものテーマ曲の「トニーブラックストン」・「モニファ」がいままでのJBLでは再現できなかった豊かさと柔らかさを圧倒的なスケール感と表現力(解像度)で目の前に展開するのだ。特に「モニファ」での低音域の表現力といったらまるで生き物ようで、ベースサウンドが圧倒的密度でゆっくりと私達の方に広がってくると、一瞬にして4355のほうに引いていくのだ。また、楽器の音色が豊かでその個々の個性を大音量でも埋もれること無く描き切る。このサウンドを聴いた時は、めったに人の音で驚かない私も「悔しい」と心の中で呟いたのを告白してしまおう。どうしてこのように鳴るのか不思議だ・・・・。しかし、この後に聴いたYMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァ」には呆気にとたれた。まるでマルチチャンネルを再生しいるかのようにサウンドが後ろに回り込んで来るではないか、そしてサウンドクォリティは、もしもここに彼ら3人(坂本・細野・高橋)がいて聴いたら「俺達のソフトに、こんな凄いサウンドが入っていたのか?」と驚くのではないかと感じるほどに圧倒的かつ楽しいものだ。

磯部さんは終始、CDをセットしてLNP−2LのVRを決める時にラックの前でうずくまり、まるで祈るように音量決め聴いている。このような姿は、多分皆さんが普段の磯部さんのイメージや雰囲気などからは想像し難い一面では無いかと思います。今回実は、サウンド以上に感動してしまった瞬間なのです。やはり最後は祈りか・・・。

メトロノームも偉かったが、そのサウンドに敏感に反応して素晴らしいサウンドを描き出した JBL 4355 はもっと偉かった。私は「いったいお前達に限界はあるのか」と、磯部さんの 4355 ・自分の パラゴンに心の中で問いかけたが、帰ってきた答えは「私たちに限界など無い。限界が在るとすれば使っているあなた達にあるのだと。・・・」ひとつの限界を打ち破った磯部さんに次なる壁が待っているはずだ。いったい幾つの壁が在るのだろう、そしてその壁の先にはいったいどんなサウンドが待っているのだろう、50になっても60になっても追い求めていたものだと思った。

磯部さん勉強させて頂きありがとうございました。

             2003年3月14日   厚木 繁伸

        

追伸 本当に偉かったのは磯部さんということで二重丸に花丸をつけさせていただきます。よくぞ4355のバッフルに付いている

   不良達を一つに纏めることが出来ましたね。昨日正式なセッティングをさせて頂きラックを眺めると、「美しい」と磯部さん

   から言葉が漏れるほどにとてもいい感じです。また、無理を言って「クール・アンド・ザ・ギャング」・「YMO]のライブを

   見せて頂き、クレルのDACとは違う世界を確認させていただきました。クレルには「これで文句あるか!!」的な狂気をを感じ

   圧倒されますが、メトロノームは「一緒に歌おうぜ!!」と語りかけてくようなビートが迫ってくるのです。またもや3時間

   大音量で堪能させていただきましたが、疲労感ゼロ。私も早く花丸が欲しいな〜〜。

   言葉では言い表すことの出来ない世界が磯部さんの中に潜んでいる。

             2003年3月16日   厚木 繁伸

メトロノーム カリスタは去年のインターナショナルオーディオショウでもっとも心に強く残った製品だった。そして僕は、富田さんが導入し、磯部さんも導入したGOLDMUND EIDOSとカリスタを自分のシステムの中で試聴してみたいと願っていた。残念ながら試聴機が無く、EIDOSの試聴は叶わなかったが、カリスタは4日間僕のスタジオで十分きかせてもらった。僕が感じたカリスタの印象や、一緒に試聴したその他の高級トランスポートの印象は本屋に並んでいるオーディオベーシック誌を読んでいただくとして、磯部邸でのカリスタはどんな表現をしてくれるのか、僕はこの夜を本当に楽しみに待っていた。

僕はメトロノームのDACを持ってあの階段を下る。地下のリスニングルームではユーリスミが鳴っていた。どさくさにまぎれて書いてしまうとユーリスミはまだこれからって感じの音だと思う。悪くはないけど、どこかまだよそよそしい感じがする。オーディオはそこのところが楽しいって面もあるから、「当分楽しめますねこれは」と言っておきましょう。最近、自分自身でこのページをあけてトップの「ああ、気持いい」の下の写真を見る度に「なんかさみしいな」と感じる。それぐらいユーリスミはこの空間になじみ、すでに自分の居場所を確保しているようだった。

カリスタはダイナの5555で通電されていたそうだから安心だ。僕が試聴したときは最初の数時間スカスカの音で、本領を発揮したのは一晩通電した後だった。とにかくカリスタをセットして、CDをまわしておき、EIDOSで音をきく。原本さんはあの時以来だったから、その変化というか完成度の高さに驚いている。僕はこの時のYMOをきいて「高橋ユキヒロのドラムって、まるでリズムボックスのようなんだ」と懐かしく思っていた。YMOについてはあれこれ書きたくなるけど、一言で言えばテクノのという一見単調で無機的な音楽の割にYMOは色々な面で複雑な二面性をもっている、そしてYMOという現象そのものが僕たちの世代(と言ってもその幅は広く35才〜50才すぎくらい?)を、とても複雑な気持にさせる何かがあることは事実だろう。

まずカリスタをクレルのDACに接続して試聴する。すごく良い。二日酔い後遺症の磯部さんはボリュームに指をかけながらプリアンプの横にうずくまり、祈るようにきいている。あまりに好ましい変化に僕は途中でニヤニヤしてしまった。やっぱり磯部さんにはカリスタしかない。高橋ユキヒロのドラムでさえもほんの少しタメが感じられる、良い意味での曖昧さみたいなものが絶妙なのだ。

普通のお宅だと、ホコリがたまりそうで心配なカリスタだけど、磯部さんならきっと愛車にワックスをかけるのを楽しむように、あるいは美しい女性を愛撫するように接するに違いない。先日比較試聴した4種類の高級CDトランスポート(オラクル TL-0 P-70 カリスタ)の中で最も使いやすいと感じたのがカリスタだった。CDが乗せやすいし、傾斜したパネルと視認性の高いボタン類だ。これは実際に使ってみないとわからない。 

DACをメトロノームのものにすると、さらに変化が出た。色彩感が強く、優しく強く伸びやかである。まあ、これから色々な人が磯部邸を訪れて沢山の感想をもらえるだろうから、僕の感想はここまでにしよう。この状態であと一年もしたらどうなるのか、ユーリスミが育つのか、またの訪問を楽しみにしています。  2003.3.21(やまもと)


当日は京浜急行で人身事故があって、磯部さんをお待たせしてしまいましたが、何とか到着。階段を降りて磯部さんのトレードカラーである紫色の防音ドアを開けると、スクリーン脇にはJADISのユーリスミが優雅なたたずまいを見せていました。これが、余りにも周辺の情景にとけ込んでいるので、「新規導入」という違和感がなく、以前からそこに来るべき物だったような気がしました。

更に輪をかけて違和感がない、といえば、Metronomeのカリスタです。これはもう、Barclayの生まれ変わりというか、磯部さんのために作られたようなトランスポートというか、世界中を探してもこの主張の強いデザインのトランスポートがこれ以上映える空間というのが想像できない程のハマりっぷりです。

「まずはユーリスミから聴いてください。」と磯部さんが白手袋をはめて、おもむろにカリスタにCDを乗せます。ユーリスミだけに、ジャズの女性ボーカルでもかかるのかな?と思っていたら、流れてきたのはいきなりというか当然というか、バリバリのブラック・ミュージックでした。

「デザインは音を表す」といいますが、ユーリスミというと、いかにも艶めかしい音を想像してしまいます。実際、女性ヴォーカルの柔らかく、優しい肌合いは正に外見から受ける印象通りでした。が、この日聴くことの出来た、スケールが大きく、重心がグッと沈み込んだ、粘っこい低音はその外見からは想像できないものでした。思わず、「ユーリスミからこんな低音が出るんですか?」と磯部さんに訪ねると、「そうでしょう?私も最初は驚きました。」と答えてくれました。

「では、我等が4355で同じ曲をかけてみましょうか。」ということで、試聴・・・ 凄い!ひたすら凄い!磯部さんの広いリスニングルームの空気をしっかりグリップして体に浴びせかけてくるような低音、叩きつけるような衝撃とその後の静寂感とのコントラストによって生まれる絶妙なリズムのタメ、完璧にコントロールされた4発のウーファーと2発のミッドバスのみが描き出せる音世界に私は一瞬で引き込まれてしまいました。磯部さんの「やっぱり、役者が違いますね。」という言葉にもただただ頷くばかり。

その後、強烈なファースト・インパクトからやや落ち着きを取り戻し、色々なCDを聴かせていただきながら、「新生磯部サウンド」の様々な魅力に触れる事が出来ました。まず、驚いたのは、各帯域の音のスピード感がピタッと揃っていること、そして定位が凄く良いことでした。

磯部さんがビーンバッグチェアをJBLの正面3m位の所に置いて、「今からマーカス・ミラーをかけますから、ここで聴いてみて下さい。」といわれました。その時は「え?こんな近くで聴くの?音像がバラバラになってしまうんじゃ・・・」と一瞬いぶかしく思ったものでしたが、3曲目"BOOMERANG"の冒頭のベースが出た瞬間にぶったまげました。後方に立てかけてある関口の拡散パネルの殆ど一点からマーカスのベースが弾け出てくるのです。その他のパーカッションやヴォーカルの音もバッフルに張り付く感じが殆ど無く、その音離れの良さは唖然とするほどでした。

磯部さんに「どうですか?」と問われたので、私は「驚きました。まるで巨大な超高性能のフルレンジを聴いているみたいでした。」と感想を述べました。すると磯部さんは、「こういう鳴り方になったのはカリスタが入ってからなんです。今まで私もユニットのスピード感を揃えるのは、ユニットとアンプの問題だと思っていた。ですが、カリスタと出会って入り口の重要性を再認識しました。」と言われました。それにしても、只でさえ「バラバラになりやすい」といわれるJBLモニターの音をここまでまとめ上げる磯部さんの手腕と執念には脱帽するほかありません。

また、以前の空気を切り裂くような中高域の鋭さはやや抑え気味になり、全帯域にわたり解像度やしなやかさが増し、音の表情の変化が手に取るようにわかるようになりました。個人的には、以前のアクセル全開でコーナーに突っ込んでくるようなヤバさやスリルを感じさせてくれる音も魅力的ですが、今回聴かせていただいた音は、破綻のない安心感と共に、明らかに次元の違う凄みを持っていました。例えばMonifahの"Mo'hogany"での低域の打ち込みや、YMOの"Technopolis"でのエレキ・ドラムやシンセサイザーのような、一見単調で無機的な電子音が、瞬間瞬間に表情を変え、非常に有機的な躍動感を持って鳴る、そのドキドキするような感覚は今まで経験したことが無いものでした。

この日は、Double Woofers'の若手ホープである杉山さん、磯部さんのご友人である鏑木さんや須藤さんといったJBLファンの方々が集い、熱いJBL談義が交わされました。いくつか例を挙げると、
「4355はダブルウーファーが注目されがちだが、その真価は実はミッドバスにある。」
「4343のようなウーファーが床面に近いモデルは、20cmくらいは床から持ち上げたい。」
「アッテネーターは中高域を上げ気味にする人が多いが、実際はミッドバスを上げ気味にしてバランスを取らなくてはならない。」
「単体で売っていた時代のユニットは(375とか075)マルチで使っても良いが、4355の時代のシステムはネットワーク込みのオリジナルの状態で使わなければ、JBLらしいフィーリングは出ない。」
「4355と4350を比較すると、4355の方が電子楽器や打ち込みの再生にはアドヴァンテージがある。」
等々です。

その中で、「JBLを調整するときに適したソフトは?」という話になり、私は磯部さんに「磯部さんご自身が調整に使うソフトは何ですか?」という質問をしました。すると、磯部さんからは間髪を入れずに「トニ・ブラクストン。」という答えが返ってきました。私は重ねて「他には何か?」と問いかけましたが、磯部さんはきっぱりと「それだけです。私にとってはこの一枚だけで全て判断出来るのです。」と答えられました。

帰り際にそのToni Braxtonの"Secrets"から5曲程立て続けに聴かせていただきました。今まで、このCDは磯部さんの所はもとより、山本さんのスタジオやその他の場所でも何回か聴いたのですが、この日聴いた音はそのどれとも違っていました。何が違うかといえば、低音等はさておき、トニのヴォーカルに込められた感情の表現がまるで違う。20Hzまで入っているかという圧倒的な低音や強烈な打ち込み音に埋もれることなく、トニのヴォーカルがある時はしっかりと存在を主張し、ある時は切々と訴えかけ、聴く者のハートをしっかり掴んで離さない。そんな求心力の強さを感じました。

その間、磯部さんは目を閉じ、軽くリズムを取りながら、4355と、そしてあるいはそこに現れているトニの姿と対話をしているかのように一つ一つの音の感触を確かめながら聴き入っておられました。やがて、音が「キマった」ことを確信されたのか、目を開けて「いや、気持ちよくて眠ってしまいますね。」と言われました。私も、6曲目の"How Could An Angel Break My Heart"がケニーGのメロウなサックスで幕を閉じようとする頃には、そのサウンドと、磯部さんが作って下さったラムコークのお陰ですっかり夢見心地になっておりました。何よりも心地よく、何よりも強く、そして何よりも優しい、7年もの間一つのソフトと対話を続けて来た磯部さんだけが出せるであろうサウンドが、そこにはありました。

今回は、これまたアンラッキーな事に、エイドスが不調で画にノイズが走り、磯部さんの本来の画は見ることが出来ませんでしたが(でも充分パワフルで綺麗な画でしたが。)、現時点で到達された「新生磯部サウンド」の高みを見せていただく事が出来て、大変励みになりました。勿論、私の敬愛する山口組系厚木組組長のお言葉を借りるなら「オーディオ極道に上がり無し」との事ですので、磯部さんがユーリスミ、カリスタという新たな仲間を手に入れ、4355やトニとの対話を続けて行かれることで、どのような深遠な世界に到達されるのか、私には想像することすら出来ません。

筆を置くに当たって、このような大変楽しい席にお招きいただいたホストの磯部さんに感謝いたします。色々楽しく、為になる話を聞かせていただいた杉山さん、鏑木さんほかご同席いただいた皆様にも感謝いたします。そして、何よりも、今回も素敵なサウンドを聴かせてくれた、4355を始めとする磯部さんのソウル・ブラザー&シスター達に感謝とリスペクトの気持ちを捧げたいと思います。有り難うございました。そして、これからもよろしくお願いします。

2003.3.25  中村 匠一



  楽しいオーディオにはまった人々の欲深な記録