山本サウンドはこんな風だ

 僕以外の方たちの音に関しては、僕がコメントをしているのですが、
 自分の音の評価を自分で書くのは難しいので、感じた事を書いて下さい
 
 良いところ、イマイチなところ、
 自分のシステムと違うところ(実際の音、またはアプローチのし方など)
 もっとこうなれば良いのにと思うこと、
 僕の態度や性癖(すごく傲慢とか、おせっかいとか、こういう事はキライらしいとか)
 なんでも、かまいません。


1999年9月17日  9/13にききに来た高野昌樹さんがくれた感想

■良いと感じたところ
・柔らかく甘い音、特にギター、フルートが良い。
甘い音といっても砂糖や果実の甘さというより、木の根をかじった時に感じるような、深く沈潜するような静かな甘さ。心地よい。
・ピアノソロの音像のでき方が、まさに今ここで音楽が生み出されているという感じの実体感がある。
ピアノの音は近くで聴いても、例えばフルートやヴァイオリンなどに比べて、どこから音が出るのかわからない茫とした出方をするが、それがかなり、良い意味でシミュレートされていた。
奏者の息使いや演奏ノイズよりも、まずはじめにピアノ全体で音楽を形作っていることに気付かされる。良いピアノ再生のひとつの行き方であると感じた。
・部屋の妙な響きをほとんど感じない。
普通、特定周波数で響きが乗って鬱陶しく感じることが多いが、それを感じない。ビョークなどの打ち込み系や60年前後のジャズなど直接音の多く入った録音では、聴取距離が長いこともあり、もちろん余計な部屋の響きが乗ってくるが、リーナ・ニーバーグ/クロースなどの音場情報がよく入った録音ではそれほど聴こえ方に違和感を感じなかった。このことは部屋の響きの素性が良いことを示しているのではないだろうか。

■気になったところ
・分解能が足りない。
細かい音がよく聴き取れない。もっと明晰に描写して欲しい。
・音色の数が少ない。
クラシックのあるジャンル、穏やかで優しい感じの音楽などにはしっくりするが、激しい音楽では、ソースが豹変するのに再生系が追従できない感じが認められる。
・音が遅い。
レコードでは音の立ち上がりのスピードがやや改善された。CDでも同等以上は欲しい。音の断ち下がりのスピードももっと欲しい。
・低域が出ていない。
欲を言えばもう少し低い方まで出ると、音楽に大きさが加わってくると思う。
・ボーカルの口が大きい
前述のリーナ・ニーバーグの口がもっと小さくなって欲しい。
スピーカー間隔が広いのである程度仕方ないと思うが。

■アプローチの違い
オーディオに興味のない人を私の家に連れてきて聴かせると、
「わぁー..どんな音が入ってるかとても良くわかる..」
という反応が返ってきますが、山本さんのは「わぁっ素敵な音楽!」と、なりそうです。
この差は恐らく良い悪いではなくて、音楽再生のあり方によるものと考えます。
多分私は、よい音楽を聴きたいというよりも、奏者が何をやっているのか知りたいのだと思います。


1999年 9月17日 ききにきてくれた小林悟朗さんからいただいた感想

小林です。
山本さんちの音は一口で言って、とても心地よかった。写真家であるからなのかどうか・・・フォトジェニックな音のたたずまいに惹かれました。また、山本さんはあたかもフォーカス・リングを扱う様にヴォリューム・コントロールをする。
「それほどたくさんのCDを聴いて来たわけでもないようだし、音楽の専門家でもないのに、こういうバランスのよい、すべての機械がストレスなく力を発揮して全体をまとめあげる手腕はたいしたものだと感心しました」あまり素朴にそう申し上げたら山本さんはちょっと「ムッ・・と」していたようでした。何事においても感覚を磨くということはその人の手にかかるすべてのものに影響をおよぼすのでしょうね。

「無人島に持って行きたい10枚のCD」にあげられているエミール・ギレリスのベートーベンの作品109のホ長調のピアノ・ソナタを聴かせていただきました。
これは、私も愛聴やまないディスクです。先にも書いた事ですが、とても美しいピアノのたたずまいでした。こうした空間表現は、広い部屋にスピーカーが前後左右に大きくゆとりをもって配置するというセッティングが物を言っている様でした。そこで、名演奏を聴かせていただいると周波数特性が・・・・ダイナミック・レンジが・・・・などということは一切思い浮かびませんでした。とても素直に音楽にひたれる・・・・・・これが山本さんのシステムの最も素晴らしいところでしょう。

ただ、オーディオ・マニア的な観点でみれば拍子抜けするいくらい、まともな音なので少なからぬ金額を投資して、これでいいのだろうか?というようなジレンマがおこるのかもしれませんね。傍から客観的に眺めているとグライコだったり、ゴールド・ムントのアンプだったりそれぞれ良い味をだしてると思いましたけど・・・。
だから、STUDIETTOという、とびきり可愛いアナログのプレーヤーで聴かせていただいた音は、CDに比べてオーディオ的に優れているとは私は全然思わなかったけれど色調がドラマティックになって、より個性的な音になりますね。
そうやって山本さんの中でバランスをとりながらオーディオを楽しんでおられるのだなー・・と思いました。

中央線が事故で遅れたりしてとってもおなかがすいていましたが長時間、音楽を聴き、お話を楽しみましたのでそれだけでも、とっても素敵な音だったと言えるのではないでしょうか(笑)


1999年9月21日

ここ2年間僕の音をきいてきてくれてる富田徹さんからのメールです。高野さんも僕がダメな点も書いてねって頼んだからあえて書いてくれてる(実際、分解能足らないし、、、)わけですから、これからコメントをくれる人もあまり気にしないで好きに書いて下さい。と、老婆心ながらコメントしちゃいました。(山本)

どうも、トミタです。

高野さんのインプレッションはかなり正確だと思いますが、ぼくと違うところは、趣味のオーディオである以上、分解能はあまり評価の基準にはならないという点です。実際のコンサートにおいても座席によって様々に音響が変化しますが、最前列が好きな人もいれば、2階席の好きな人もいるわけです。それはオーディオの鳴らし方にも似たような好みがあるわけで、その意味においてオーディオは自由自在なんです。それを一方的に分解能が足りないというのは自分の好みを押し付けているだけに思います。とはいえ、彼の分析能力は水準が高いことに間違いはないでしょう。
ちなみにぼくの聴き方は、オーナーがどのような音でオーディオを鳴らそうとしているのかを理解し、その世界に自分も浸ってみる聴き方です。オーナーが「いいでしょう」と感じた部分を同じように聴き取れたらと・・・そういう姿勢で聴いています。そこにオーナーと同じ感動を味わえるかもしれません。オーナー自身が何を聴き取ろうとしているのか分からないようなオーディオは、ぼく自身も聴きたくはないし、興味もありません。たんにクオリティが高いだけのオーディオはいやというほど聴いてきましたし、クオリティだけならベーシックセオリーをはずさなければ出てきます。
ぼくが山本さんの鳴らすオーディオが好きな理由は、オーディオにおける音の良さではありません。「音楽を楽しんで聴ける」この一言につきます。きっとぼくが楽しんで聴ける部分と山本さんが「いいなぁー」と自分自身の音に思っている点にあまり大きなずれはないと思います。とくに例のプレーヤーが鳴らす音はね・・・。
   トミタ


1999年10月15日 永江英雄さんがくれたコメントです。

昨日はどうもありがとうございました。(山本さんは)サウンドステージは出て当たり前のように表現されてましたが私はそれに一番驚きました。いろいろなお宅をお邪魔させてもらってますが一番良く出ているという印象です。以前クオードを使っている方の音を聴いた事が有りますが音場感は素晴らしいもののどうもミニチュア的で実体感不足のような気がしていました。


1999年10月21日 岡崎さんがくれたメールです

19日の夜は突然押し掛け、夜遅くまで音楽を聴かせていただきありがとうございました。感想を送らせていただきます。

新しい山本サウンドは前回に比較して激変していたので驚きました。前回聴かせていただいた時は、中高域は音が立っていて素晴らしかったのですが、いかんせん低域の量感が少なく、またソフトな感じの低域であったため、高域ばかりが目立つややハイ上がりな音と感じました。それが今回は、低域の支えがしっかりとあるため、中高域の良さが引き立っていました。また、スーパーウーファー追加により音に気配感のようなものが付加されて素晴らしかったです。KEFからこのような音が出るとは思いも寄りませんでした。(実は、そろそろKEFのスピーカーも限界かなと思っていたのです。)さて、あえていちゃもんをつけさせていただくとすれば、山本サウンドにないものは凄味ではないかと思います。音楽の凄さ、演奏家の気迫みたいなものを表現するのにややものたりないのでは、と思っています。

山本さん、僕が×をつけたプリアンプとCDトランスポート、そろそろ変えたらいかがですか?


山本さんの音      2000.2.5  トミタより

オーディオにとって最大の楽しみは、よい音楽を奏でてくれる優秀な機器を所有することにあると思われている。音楽を聴くだけの趣味ならコンサートに行けば良いのだし、家でも聴きたいと思うのなら適当な装置をアッセンブルすれば良い。だが自分にとって最高と思われる音響再生装置を得たいと思うなら、それは悟りを得ようとする修行僧のようなものだ。つまり最高の種類の音響再生というものは合理的なものではないということだ。
たとえば音響装置を合理的なものと考えうるなら、可測的なものでなければならず、そうなれば数的な諸法則に還元しうるものであるから、理想的な音響は調節と数理にしたがって導き出すことが出来るはずである。だがそうならないことをオーディオファイルはいやというほど思い知らされている。僕がよくオーディオをきかせてもらう山本氏の音はそういった意味で大変興味深い。最近の動向を見てもいかにオーディオが数的な比例には属さないかを表しているからだ。
ここ数ヶ月僕は氏に対し失礼とも思われる発言を繰り返していた。それは主にCDに対してで(アナログに関しては素晴らしいとしか言っていない)僕にはアナログに比べ、どうも納得のいかない側面を感じていたのである。ところが、ある日から俄然CDの音が良くなった。以前感じていた違和感がまったくないのだ。僕は山本氏に「何をどうしたんです」と問い詰めたが「いや、機器は何も変わっていなし、何もしていない。ただ鳴らすCDと音量加減が前は良くなかっただけじゃない。」としか答えない。
そんなはずはない。僕もオーディオ暦が長くなり、本質的にその装置が持つ音楽性なりクオリティを、CDの録音クオリティや音量によって聴き間違うようなことは決してない。実は、ここがオーディオの数的な比例に属さない部分である。
この数ヶ月、パワーアンプの出力をアップさせたとか、CDトランスポートの読み取り精度を上げたとかの機種変更に伴う具体的な数値によるチューニングはなされていないのは確かだ。だが、数字に現れない何かが変わっている。それをエージングと読むのは素人だ。山本氏は何もしていないと言い張ってはいるが、密かに修行僧的な行意を自分の装置に対し行っていたに違いあるまい。ごく最近聴いたその音は、とても素晴らしい極上のサウンドで、CDとアナログとの差異はもはやなかった。逆にあれほど素晴らしく、もう手の加えようがないと思われたアナログサウンドに新たなチューニングの可能性を感じてしまったほどだ。
山本氏は相変わらず僕に何もやってないよと平気な顔をしてうそをつく。「あれっ、なんか上に乗っけているスーパーツイーターの角度が変わっているんじゃない。」と僕が指摘すると「そうかねー」ととぼけ「そういやぁースピーカーの間隔を、富田さんのところで聴いた後広げたなー」などと少しずつネタを明かし始めた。じつはスピーカーをスパイクで受けたり、接点復活材を使ったり、その他諸々「やっていない」という割には結構やっていたのだ。
このような地道な行為の中で重要なことは、音の変化に対しての直感的な判断力に他ならない。ここがまさに修行僧のごときで非合理的なことこの上ない。まったく持っていまだにこの点に関しては僕自身修行が足りないと思っている部分だ。この際ハッキリ言わしてもらおう。お金にものを言わせいくら高級な装置を購入しても、ただつなげただけの装置には、聴くものを感動させる力はない。たとえ音楽ソースが素晴らしくても、そこには音の断片と、無感動な音圧しかない。たとえ粗末な装置であってもオーナーによる直感的判断力でセットされたものには機械を超えた何かが宿る。
現在の山本氏のサウンドは、人に音楽を聴く喜びを与える力を宿し始めたようだ。思うに山本氏自身の直感的判断力のターニングポイントとなったのは柳沢邸のJBLを聴いた後からであろう。そこから何かが変わり始め、道に迷いつつもここまで来た。
今聞こえてくる音はKEFの音でもなく、パワーアンプのゴールドムンドの音でもない。素晴らしい音楽がただ聴く者を無心にしてくれる。僕はここまできて初めて山本氏の理想の音というものを見た気がした。だからこの文を書く気になった。しかも、面白いことに本人も述べているように、今の山本氏の音は僕のところで鳴っている音と大変近いということだ。装置はまったく異なるというのにここまで印象が似るというのも妙な話である。
結局、僕にとってオーディオの本当の楽しみとは、機器の値段や性能に左右されず、自分の気に入った機器を使いこなすことで自分の理想と思われる音を出すことにある。僕の装置も理想に近づきはじめ、奇しくも山本氏の音も理想的な音を奏ではじめた。でも、二人のうちどちらかの音がいつ奈落の底に落ちていっても不思議はない。それもまたオーディオである。
山本さんへ
 這い上がっていく楽しみもありますから、一度奈落の底へ落ちられてみてはいかがですか。
ターニングポイントは柳澤和男さんの音をきかせてもらった時より少し後で、柳澤さんが僕の音をききにきてくれた時だと思っています。あの時「97年から99年秋までの2年間かけてやってきた事を一度整理しよう」と思ったのは確かです。もう一つやった事を思い出しました。1月の末に左右のスピーカーを入れ替えてみました、理由はわかりませんが予想以上に音が変化しました。(山本)

2000.2.7 ダイナミックオーディオの厚木さんからいただいたコメント
本当に良く鳴っている。KEFのMODEL105が!!
山本さんの気持がKEFに通じたのか、私はたぶんそうだと思う。CD、LPといろいろ聴かせていただいたが、CDにおけるストレスのない伸びのある音と響き、スピーカーがかなり前に有るにもかかわらず低音が良く出ている。実際KEFの105がリスニングルームの空気を実に楽しく響かせているのがしみじみ伝わってくる。
山本さんも自信があるのか色々なジャンルのソフトを聴かせてくれた。その中で特に印象に残ったのがLPでショパンのノクターンをルビーシュタインで聴いた時だ。ピアノのスケール感、タッチのニュアンス、そしてそれ以上にルビーシュタインを通してショパンの精神がその音から私の心に入り込んで来た事だ!! 半年前に聴いた時はスピーカー周辺の空気しか動いてないようなサウンドであったのに。山本さんはどんな努力をして今の音を手に入れたのだろう。そして、この音に今後どのような年輪を積み重ねてゆくのだろう。
最後に、オーディオ少数派として一言。
山本さんの音は私流に言わせていただければ 「ハウスジャワカレーの甘口」といったところでしょうか。
もう少し辛口になるとジャズのビートが重くなったりして、、、、、、、。
又、1ランク上がった時は呼んで下さい。

激辛好みの厚木さんに甘口と評されるという事は、普通の人の評価では "ちょっと甘口" 程度だと思うのですが、確かに「中高域は今のままで、低域がもう少し締まる」のが理想です。量感に不満はないので、次の課題は質感でしょうね。それが達成できて、厚木さんから "ちょっと甘口" という評価をいただけて、普通の人からは "時には中辛" ぐらいになるのが最終目標だと思っています。それにしても、バーモントカレーの甘口じゃなくて良かった。(山本)                


2000.2.25にききに来てくれた、SONYの佐藤和浩さんからの感想です

佐藤です。昨日は夜遅くまでお邪魔しまして失礼いたしました。大変共感する部分が多く楽しかったです。

さて、私が山本さんのシステムを聴いてみたいとメールをしたのは、どうしてもシ ステムの組み合わせが理解できなかったためです。まずCDからしてCECにゴールドムン ドですしパルティータにゴールドムンドですし、それにKEFがあってISODAでつながっている。私の頭は混乱し、こりゃ一度聴いてみないことにははじまらないなと思い、思い切っ てメールを出して聴かせていただいたわけです。その方が今後も楽しくHPを見られるかなとも思いました。

で、音はどう感じたかということなのですが、大変失礼な言い方ですが ”真っ当じゃない”というのが本当の本音です。私も仕事柄たくさんのユーザー宅を訪問するのですが、 がっかりしたりビックリしたりすることがほとんどで、いつもへこんでしまうのですが、昨日は何曲か聴かせていただいた後安心して、そしてリラックスしてお話しさせていただくことが出来ました。

感心した点は、大きな部屋を大きく使えているということがすばらしい。スピ ーカーの音離れが良く、空間全体から音がする。きちんと部屋の空気がコントロールされていて、と くにデプスの表現は素晴らしいと思いました。スピーカーの間隔を広げた分だけ、距離をとって聴いてい らっしゃるのでセンターが薄くならずにスケール感のある音場が気持ちよかったです。
次にはアナログの音がすごく良かった。あいにくゴールドムンドは修理中で聴けず 残念でしたがガラードも素晴らしくよかったです。ゴールドムンドが直ったらぜひ、ご一報くださ い。

これは僕の流儀とは違うのですが、山本さんの音には、使っていらっしゃる機器の 固有のクセがあまり感じられない。僕の場合は、チェロのプリアンプが大好きなので、チェロらし く鳴らしたいと常々思っているのですが、山本さんの場合は完全に山本サウンドになっているのが 感心したり、また不思議に思ったりしました。きっとご自身のなかにきちんとしたバランス感覚ができていらっしゃるのだと思います。

聴かせていただいた音は、山本さんが話してくださった求めている音と一致してい ますし、特に指摘するような点はあまりないのですが、あえていくつか注文を付けるとすると、や はり部屋(特にスピーカー後方)の響きをコントロールしたい。話し声はふつうに通るのですが、す こし響きがこもりがちで、そのためか少し音場の見通しが悪く感じました。僕としてはもう少しフォー カスを良くしたいところです。あと縦方向(床と天井の間)に定在波がのっているらしく、曲によって 音像が縦方向に伸びてまとまりがなくなってしまう。後、低域が遅いのも気になりました。ただし、 以上のことはCDを聴いているときに感じたことでアナログ再生に関しては、ほとんど感じませんでした。

ではアナログの音は問題が無いかというと、今度はアナログではリボンとメインス ピーカーのつながり(これは周波数特性的なことではなく音色的な意味でなのです)がいまいちに感じま した。お使いになっているUコンのΣは私のきらいなコンデンサーですので、一度なにか別なものをトライ してみてください。秋葉原デパート2階の”カイジンムセン”には私の好きなASCやMITのマルチキ ャップも売っています。まあいっそスーパートゥイター自体を変えられたら、とも思いますが、そのうち私の 担当したSS−TW100も一度聴いてみていただきたいと思います。

お話の中で、次はプリアンプとおっしゃっていましたが、アナログとCDの差を聴 いてしまいますとつぎはCDではないの、っと感じました。SACDはどうもとおっしゃっていました が、一度良い条件で聴いてみてください。SCD-1は僕は大変すばらしいな、と思っています。お時間が あれば会社の方にでも遊びに来てください。

いろいろ失礼な表現もあったかとは思いますが、夜遅くまで(終電1本前でした) たのしい時間が過ごせたことは、僕にとって大変貴重な体験になりました。5時間近くも音楽を聴いたり、お 話をしたりできたということだけでも私が山本さんの鳴らす音と人柄に大変共感する部分が多かったというこ とだと思います。
もしよろしければ今後ともおつきあいください。また、ぜひ我が家の音も聴いてみて ください。

岡崎さんにこの感想を読まれるとやばいなあ(山本)


ここまではプリアンプがオーディオカレント パルティータC1だった

2000年3月からプリアンプがパスラボの×2になり、さらに細かなセッティング変更を続け、そして時間があるときはずっとLPをかけ続けた。この半年の変化は非常に大きく、それ以前の音しかきいていない人が現在の音をきいたらとても驚くに違いない。その違いとは単にクオリティがどうのとか、サウンドステージがどうのという問題ではないようだ。とにかく自分自身が楽しめる状態になった。自分で自分の音の事を書くのは難しいので、細かいことは抜きにするが、「音楽をきいていられれば幸せだし、オーディオは楽しくてやめられない」とますます実感している。2000.8.15(山本)



我が家はSPとCDプレーヤーを入れ替えたばかりで、思うような音が出ず「所詮オーディオなんかこの位で十分かな」と思いかけていたのですが、そんな考えは吹き飛ばされました。正直なところKEFがあんなに見事に鳴るとは思っていませんでした。聞かせていただいたソフトはピアノ協奏曲を除いてまさにリアルサイズの演奏の場を目の前に再現してくれました。月並みな表現ですが、音像定位が正確で(特に左右の広がり)、全帯域の均一な質感、音の密度が見事にコントロールされています。特筆すべきは中低域の充実していることで、ヨーヨー・マのチェロの素晴らしさといったら......。今まであんなに素晴らしいチェロをオーディオで聞いたことがありません。録音の古いソフトまで生き生きと鳴るのにも驚きました。あのスピーカーをあそこまで鳴らしきっている人は世界中でただ一人だと思いますよ。

 私のシステムを紹介します。

CD PLAYER  WADIA   6i
PRE/DA     ACCUPHASE DC330
POWER AMP   VICTOR ME1000
SPEAKER     WILSON SYSTEM5


アキュフェーズのデジタルプリは将来SACDやDVDオーディオを導入するのに適当な装置かなと思い音も聞かずに購入したのでが、WADIAとパワーアンプの間に入れてもCDの音はあまり良くなりませんでした。(残留ノイズは減った。とほほ)DCSのDDコンバーターか、まともなプリを入れるのではどちらが効果的だろうか。家には5才になる男児がいて装置をさわらせています。(自分で電源を入れて好きなCDをかけることができます。)だから装置はなるべく複雑にしたくありません。最近そんなことばかり考えていたのですが、山本サウンドを聞いてしばらく今のままで音を詰めていこうという気になりました。CDがもっとまともになるようになったらSACDですね。そのころにはきっとSACDも、DVDも再生できるオールインワンプレーヤーが出ますよね。 それでは拙文にて失礼します。

           菅沼準一
   追伸       岡崎さんの音が聞きたい…


 山本様

こんにちは、佐藤です。昨日は、どうもありがとうございました。昨夜の感想です。

設計段階から聴いてきたSCD−1と普段デモで使っているソフトがいったいどう鳴 るのか?たいへん期待し、また緊張もして聴かせていただいた訳ですが(事前にUP されている内容も見ていましたし)、まさに期待通り、曲によっては期待以上という よりは想像上以上に良く鳴っていました。僕が美辞麗句で飾り立てるよりは、メールを出して山本さんのスタジオで聴いてもらうほか説明のしようがないのですが、最後 に聴かせていただいたヨーヨー・マのコダーイは、僕が普段鳴らしている音とも違い力みなく、かつ迫真の演奏であったと思いました。僕が鳴らすともっとHi−Fi的になってしまうのです。

帰りの地下鉄の中でいろいろ考えたのですが、どうもその違いは”演奏時間”による のではないかと思い至りました。僕はデモでは1曲あたり3分程度で、大づかみに曲 の特徴を理解できるようにと、心がけています。ですからすべてに於いてメリハリを 強めることになってしまうのかな?と・・・・・。それに対して山本さんはご自身 が、(長時間にわたって)気持ちよく聴けるように調整しているのですから、自ずとそういった差が出てくるのでしょう。今後は僕のデモも少し変わってくるかもしれま せん。

という感じです。正直に言って、トライシクルはいまいちでしたが(それほどM先生邸は衝撃的でした)、ヨーヨー・マには心底びっくりしました。それは今後のデモに 大きな影響が出るほどに・・・・・。


山本様 

昨日、一昨日とおつきあいいただきありがとうございました。
最新の山本サウンドの感想を送らせていただきます。

ひとを感動させることができる音とはなんなのか、ということを最新の山本サウンドを聴きながらずっと考えていました。それは多分、音色や音場感、情報量、解像度、スピード感といった要素ではない、もっと求心力のあるもの、言葉ではうまく表現できないけれど確実に存在するものの力なのでしょう。

マランツ8Bを迎え入れた山本さんの音は確かに以前とは全然違っていました。音場感、情報量、解像度、スピード感といった要素で言えば、現在の音は以前の音と比較すると劣ってしまうのかもしれません。しかし、そのかわりに8Bは山本さんのシステムに新たな力を吹き込みました。40年前に設計されたアンプにこんな力があるとは!

こんなふうに感想を書くと、いや、だからオーディオ機器は40年も前から進歩していないんだ、という論調が出てきそうですが、少なくとも山本サウンドではそれはあてはまらない、CDという現代のメディアをパスラボのプリアンプやKEFのスピーカーで聴くシステムで8Bが実によくはまり、美しい音を奏でるということだと思います。

山本さん、スケベ根性ありありの中庸はやめて、堂々とした中庸に変更したらいかがですか。

岡崎さんどうもです。先日、オーディオベーシック編集長の金城さんにもきいてもらい、彼は「以前より暖かい感じですごく良い」と言ってくれたのですが、僕は「確かにそうなんだけど、物足りないの部分もあって、それを解決するためにはあれをこうして、ついでにああしてみて、それがダメなら、こちらをいじってみようと思っている」と話したら、彼は半ば呆れた顔をしてました。やっぱりスケベ根性はあるんですよねえ。マランツの8Bは二年前じゃダメ、一年前でもダメ、今だからうまいことはまったようです。(山本) 2000.12.1


山本耕司さま

土曜日は、夜遅くまでおじゃまして楽しませていただきまいした。ありがとうございます。

ベテランのオーディオファイルの方に音を聴かせてもらうというのは、初めての体験でした。目が点になりました。コレがオーディオというモノか!と思いました。

左右のスピーカーのまんなかに、ぽつんとヴォーカルが現れる生々しさ。音の広がり、前後の奥行き。静寂からギターがガギューンと立ち上がる衝撃、気持ち悪いほどリアルなヴァイオリン。そしてきらめく打楽器の高音。レコードのパチパチとかスーッというトレース音がまったく聞こえない不思議。『レザボア・ドッグス』の会話も超リアルでしたね。

オーディオ的な面白さと音楽を聴く楽しさを、両方味わうことができた夜でした。そしてなによりびっくりしたのは、超高額な電源ケーブルやらインシュレーターといった、ドーピング無しでこれだけの音を出しているところです。山本さんの音は、すくすくと育った健康優良児(今では言わなくなりましたが)の音なのかなあと思いました。それぞれの機器の持っている能力を自然に引き出してやれば、こういう音になるのでしょうか。

もちろんそのためには時間をかけて頭をつかって、あらゆる手間と手練手管を駆使して日々探求されているのだと思います。

ほんと、勉強になりました。いい目標を与えていただいたと思っています。これからも、いろいろ教えてください。よろしくお願いします

これは2001年2月10日、マガジンハウスで「GINZA」の編集をしているという稲葉さんの感想です。


山本様、種子島様

楽しいひとときを有り難うございました。
わたしにとっての自分が出したい音、出そうとしている音(意識的にも、無意識的にも)と違う方向でかつレベルの高い音をきけたことはたいへん刺激になりました。同じOTLでかなり音が違うのも興味深い点ですが、40KD6と6C33Cの違いは、前者は音がよくほぐれて色彩感がある音、伸び伸びとしていて、それが組み合わせる装置によっっては(振動系の重いウーファーなど)やや緩みに通じる音、(でもスタジオでは瑞々しい中高域とバランスのとれた開放感のある中低域が魅力的な音でした)
、後者が筋肉質で力感のある音、この力強さは魅力ですが高域に雲がかかった様な感じがするのが残念でした。でもこれはエージング不足のせいかもしれません。

そしてこの2つのメインアンプを通して聴けた山本さんの音は、山本さん御自身がおそらくそうだと思うのですが、色々な意味でバランスのとれた音と感じました。それは決してネガティブな意味ではなく、繊細さを持っているのに神経質に細くならない?
ゆったりとしているのにずぼらにならないといった高度な制御感覚を感じました。昔(30年くらい前)渡辺貞夫が自分の尊敬するミュージシャンにマイルス・デイビスを挙げて、マイルスの音楽は不完全なところがあるから完全なんだ、とスイングジャーナルのインタビューで応えていたのが記憶に残っていますが、もしかすると山本さんも、きちんと取ったたバランスをフッターマンによってちょっとくずしたい、アンバランスな美を持つものをどこか系の中に取り入れる事で逆に感覚のバランスがとれる、と感じておられるのではという気がしました。そう言う意味では、優れたバランス感覚を持ちつつ、破滅的なものにも惹かれる(勝手な形容ごめんなさい・・)という山本さんの音はフッターマン込みで作られているのではないでしょうか。(やっぱりフッターマンも聴いてみたかったなあ・・)

急な訪問にも関わらず有り難うございました。
今度お時間のあるときに拙宅にもおいでください。

奥田

山本 耕司 様

先程はありがとうございました。今日は本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。まだ、聴かせていただいたサウンドの名残が、耳元と頭の中に漂っています。心地よい響きです。

今日はOTLアンプをいろいろ聴き比べられるという、貴重な機会でしたが、私はOTLが目当てというよりも、むしろ山本サウンドを体感したいとの想いで、参加させていただきました。SISの大野さんにHPを教えていただいたのですが、山本さんをはじめ、富田氏、岡崎氏、柳澤氏のStudio K's カルテッドの皆さん(すみません、個人的には勝手にこのように呼んでいます)には、HPやステレオサウンドの記事等を拝見するにつれ、非常に親近感をもっており、いつか機会があればと常々考えていました。
親近感を感じている理由はいくつかあるのですが、皆さんが使用されているスピーカーに好印象があること、オーディオファイルの中でもAYREのアンプを使用している人は数多くはないと思いますが、そのAYREを使った経験のある方やAYREを評価するコメントなども散見され、自身の感性(=サウンドデザインの方向性)と少なからず重なる部分もあるのではと感じていたこと、さらに、それにも増して、大野さんの言葉を借りれば、「良い音の追求と、音楽的な心地良さが矛盾せず共存するようなバランス」感覚を皆さんがお持ちなのではと想像していたからです。

で、実際そのサウンドを聴かせていただいた後にも、そのような高度なバランス感覚の妙(=サウンドデザインのセンスの良さ)が印象に残りました。残念ながら、フッターマンをかませた、きわどさのある山本サウンドを聴くことは叶いませんでしたが、複数のOTLアンプの比較試聴の中から山本サウンドの片鱗を伺い知ることができました。THIELやANDRA、AYREの佇まいやそれらが創出するサウンドに心のフォーカスが合う私は、テンションやスピード感を欲し、冷徹にならないギリギリの線でクールな色気を醸し出したいと考えていますが、山本サウンドからは人肌の温もりのような、私のサウンドからすれば幾分温度感がある色気・艶を感じました。また、その温度感を有する色気・艶があるからこそ、響きの豊かさがあり、音色の幅とともに音楽の陰影感を表現し得ているとも感じました。OTL以前に、チューブアンプの体験も少ない私ですが、温度感の差こそあれ、今日聴かせていただいたサウンドは全く違和感のないバランスで、特に、リビングストンテイラーの口笛の濡れ具合や、ルービンシュタインのピアノソロのアクースティックな感じが印象的でした。山本さんが書かれた「オーディオベーシック18号」大野宅の取材記事に、オーディオ機器をファッションのブランドに例えた文章がありましたが、そのブランドの色に染まってしまう危険性と上手く着こなすセンスと能力の重要性についてのご指摘、大変共感しながら拝見させていただきました。私は大野さんやStudio K's カルテッドの皆さん程の域には到底達してませんので、「ブランド志向を超越した」オーディオライフを築くまでには至っておりませんが、私なりに、ブランド品を使いつつも、常にドレスダウンできる勇気とセンスを持ちたいと考えております。

今日は快く迎えていただきましてありがとうございました。そして、機会がありましたら、ぜひ私のサウンドも聴いて下さい。今後ともよろしくお願い致します(仕事場がご近所でもありますし・・・)。

      o.yasuda

オーディオの世界でも「二兎を追うものは一兎をも得ず」という諺が生きているとこれまで信じてきました。なんでも良く鳴るのは理想だけれど、現実は総花的な音作りになってしまう例をいろいろ見てきました。
でも初めて聞いた山本サウンドは、かなりの部分でその反証になりうると感じました。KEFというスピーカーの体験がそれほどあるわけではないのですが、少なくともあんなに芯のある表現では無かった気がします。OTLが良くマッチしたこと、SACD等の素晴らしいソースがあったことを差し引いても、あの切れ味とコク、そして、柔軟な表現力の両立の理由を、音を聞きいている間ずっと考えておりました。


ヨーロッパ系のスピーカー(一括りにする乱暴をお許しください)を筆頭に最近のメーカー製のスピーカーは位相管理が行き届いていて、空間の表現力に優れますから、その意味でまず山本さんの音はステレオイメージの再現性は文句なく良いと思いました。特に気になる帯域や残響も感じませんし、それでいて強引にコントロールした感じもなく、良い表現が浮かびませんが、自然でのびやかな香りがあります。

しかし、反論はあるかもしれませんが、JAZZファンである小生はエネルギー感、前へ前へとせり出してくる自己主張ある音を最も評価します。その観点で聞いても十分ノレル音だと感じました。山本さんも当日の様子を書かれておられますが「BLUES QUEST」!いやあ参りました!一同唖然という山本さんの表現があの場の雰囲気を表現するのにピッタリで、山本サウンドに一同ひれ伏した瞬間でした。JAZZはおろか電気楽器でも音楽のツボをはずしていないのは素晴らしいことです。

勝手な憶測で申し訳ないのですが、一言で言うと山本さんがこれほどバーサタイルな音を獲得できたのは、やはり鳴らし込みの妙だ、と小生は自分を納得させることにしました。最初うまく鳴らなかったKEFを随分努力を重ねられ、多くの時間を共に過ごされ、手なずけてこられたのでしょう。山本さんの手で最良の方法で熟成されたKEFは今一番良い瞬間を迎えているのではないでしょうか。機器を頻繁に取り替えるのがオーディオと錯覚をしがちですが、本来の音を表出するまで努力すべきことを教えられた様に思いました。

他の機器のことを書かず、スピーカーのことばかり書いたのは、KEFに対し先入観を捨てずに相対した自分が情けなかったからです。おもわず、「拙宅のJAZZ専用のJBLを聞いてください」という言葉をかみ殺しました。一兎を追った割にはモノになっていないことが、山本さんのシステムを聞いて相対的に解ってしまったのです。

 でも、あまりストイックにならずにオーディオを楽しんで行きたいものです。
 どうか、これからもお付き合い頂きたくお願いいたします。

                                    種子島 弘

2001年3月25日にSDサウンド製OTLアンプを試聴に立ち会った皆さんの感想です。


山本耕司様
昨日は、突然お邪魔し、美味しいスパゲティも御馳走になり
有り難うございました。
山本サウンドもHPにあるとおり日々刻々と変化しているようで
前回伺ったときとは、だいぶ変わっているように思いました。

基本的には、岡崎さん的なオーディオ的な面白さ
富田さん的な空間の拡がり・・・・など
いろいろな人の良さを、上手く取り入れて
進化しているように思いました。
やはりいろいろな所に出かけて行って
いろいろな音で音楽を聴く経験が大事なんでしょうね。

とても明晰な音で、音楽の形や表現がよく伝わってくるのですが
一方で、最初に聴かせて頂いた時にあったぬくぬくした感じ、
特に低音域のもやもやした曖昧な感じの中にも
何か切り捨てられてしまった音楽の滋養のようなものが
あったようにも思います。
ですから、良く言えばオーディオ的な魅力に満ちた音で
悪く言うと、電気の匂いのする音 という要素が大きくなっているように思います。

特にカエターノ・ヴェローゾの新しいアルバムは
とても良かったです。私がこれまで気がつかなかった
このCDの鳴らし方のヒントを頂戴した感じです。
早速今朝聴いてきました。
そういう意味でとっても勉強になりました。
有り難うございました。

    2001年8月16日   小林悟朗

二年前のあの頃の僕はもう僕ではないのです。悟朗さん、悟朗さんもそうでしょう? 僕も、もうこれ以上オーディオ的な方向にはしなくていいなと思っていて、先日佐藤さんちできかせてもらった「良い意味での軽さや、香りのようなもの」を表現出来たらなあと思っています。 (山本)


 2001年11月、バイアンプ(SDサウンド製真空管OTL モノラルアンプ-低音 ステレオアンプ-中高音)にした結果
僕の音は確実に新しいステージへ突入した


中村です。先日(14日)は夜分遅くまでおもてなしいただき、有り難うございました。バイアンプを駆使した新生山本サウンドの体験、厚木さんとの音楽談義など、自分にとっては、とても楽しく、有意義な時間を過ごすことが出来ました。

新生山本サウンドを聴いて感じたことは、まず、低域の充実感が違うということです。例えばウッドベースが弾かれた瞬間の「ボンッ」と弾むような低域と、周囲の空気を震わせるような「ズーン」という重低音を両立させるのはなかなか難しいことだと思うのですが、この日の山本さんのサウンドでは、それが見事にバランスしていたと思いました。

さらに中高域の切れ味やヌケも向上し、ギタリストの運指や、ヴァイオリニストの息遣いなどの演奏ノイズが実に生々しく、克明に聞き取ることが出来ました。また、それが音楽の流れをいささかも損なうことなく、ごく自然に音楽に同化しているあたりに「山本さんらしさ」を感じました。これからさらに山本さんが課題として挙げられていた、パルシブな高域が入ったときの対応能力がアンプ強化によって備われば、もう完璧かなという感じがしました。

そして今回何よりも印象に残ったのは、サウンド全体のスケールが広く、深くなり、一音一音の実在感が際だつようになったということです。この日かけていただいたどの音楽でも、出だしの音からグッとこちらの心臓を掴まれ、その世界に引きずり込まれるような訴求力を備えるようになり、まさに目の前で演奏されているような気配がひしひしと伝わってくるような感覚に襲われました。

特に、LPで聴かせていただいた、マニタス・デ・プラタによる「レバンテス」での何かに憑かれたとしか思えない神技や、厚木さん持参のイダ・ヘンデルによるヴィターリの「シャコンヌ」でのただならぬ集中力に裏打ちされた凄絶な演奏は聴いていて思わず胸が熱くなるほどの興奮と感動を覚えました。これらの演奏の場に実際に居合わせた人達がどれだけ心を動かされたのかは、もはやオーディオという機械を通した音で推測するしかないのですが、この日自分が受けた感動はその人達が享受した感動に限りなく近い物なのではないか・・・そんな考えが頭をよぎり、改めてオーディオの素晴らしさを再認識させられた次第です。

私は常日頃、自分が目標とする音は山本さんの音だと公言しているのですが(マジです)、今回は何かとてつもなく高い目標を突きつけられた感があり、ちょっと途方にくれてしまっています。が、厚木さんもにこやかな顔で言われていたように「目標というのは高ければ高いほど良いんです」ということなので、これを励みにマターリと頑張っていければなあと思っています。

ともあれ、山本さん、厚木さん、今日もまた素晴らしい音楽を有り難うございました。重ねて御礼申し上げます。 2001.11.15

山本様

10月22日、せっかく聴かせて頂きながら返事が遅くなってすいませんでした。
しかし、山本さんの音を初めて聴かせて頂いた2年半前、それから半年事に4回ほど聴くチャンスがあったのではありますが、聴くたびに漫画の主人公のごとくパーワーアップしているのには驚きを隠せません。しかも、ただ力任せというのではなく、繊細で山本流サウンドステージがしっかり守られている。山本さんもこの2年間の間に多種多様なリスナーの方々が目指すサウンドを聴いてこられたわけですが、これは誰でも出来る事ではなく、又本当に貴重な経験だと思うと共に、山本さんは聴くだけに留まらず、しっかりと本当に美味しいとこだけを感じ取り自分のシステムに取り込んでいる。(簡単には出来ません)しかも、時には謙虚にも自分はまだまだシステムを使いこなしていない何てことを、ある方の音を聴いて(2001年9月9日)思ってしまうなど、本当に良い人だな〜と思います。

11月14日、またしても山本サウンドを聴いた。たった1ヶ月もしないうちに又良くなっている。しかも、今回の変化は尋常ではない変わり方だ。特に最近のマルチ録音系のソフトなどKEF105から此処まで出せるのかと言うくらい音の情報量が溢れ、シンプルな曲(パットメセニー&チャリーヘンデンのデュオ)では静寂の中に音像が浮かぶ(そこに在るだな)。厚木的にはもう脱帽です。!!
山本さん、持てる物を使い切るとこまでとうとうきたのではないですか。山本さんは「いやまだまだ」かもしれないけど。
ここで一言だけ。地球の裏側に住んでいる住人としましてはここらで鳴り方などにこだわってみてもいいのではないかと思った次第であります。私が「鳴り方とはナンダ」という話をすると何時間あっても終わらないのでここで幕かな。
山本さん!オーディオという舞台は完成したとして、後はソフトという役者の演技力を極限まで引き出すなんて如何なもんでしょうか。(お互いに)
まだまだ努力の足りない厚木の戯言でした。


2001.11.30-12.1に、シカゴからきたTATUYAさんの感想です

本当に得難い経験をさせていただき、感謝申し上げております。
本日、お願いを聞きいれて頂きました岡崎さんのお宅を訪問させていただきましたので、今回経験できた音やお宅に関し、感想文をご提出申し上げます。すべての今回の日本での出来事は、山本さんの計らいによって、経験できたことであり、大変ありがたく思っております。

1.Studio‐K
初日、どきどきしながら、ちょっと道の分かりにくかったStudio‐Kをお尋ねしました。2Fのドアの前まで行くと、音楽が鳴っていて、数度ベルを鳴らしましたが、応答がなく、鍵が開いていたのを幸いに勝手に上がりこませていただきました。初めてお会いしたのに初めてでないような不思議な対面でしたが、何故か見慣れている機器たちが当然のようにそこにいて、これもまた不思議でした。

最初に聴かせていただいたStudiettoの音を聴いた時に優しい音ですね、と申し上げましたが、最初の印象は、比較的おとなしい、聴きやすい音というものでした。これは、比較的小さな音量とリスニング・ポイントがスピーカーから比較的遠いということにも拠っているのではないかと感じます。しかし、この印象は、山本さんのサウンドの真骨頂ではなく、比較的小音量に聴こえた音が実はそうではないといったことは後々判明しました。

その後、CDを聴かせていただき、次いで反則技のダイレクトカットのLPをベンツマイクロで聴かせていただきましたが、随分音の表情が変わる。山本さんは、これを中庸という言葉で表現されたと私は解釈しましたが、中庸というとともすると平凡というように聞えますが、山本さんのシステムはそうではなく、ある許容範囲の中で、ぎりぎりなところで、様々なソースに対応していることが、分かってきました。これは、突き抜けたところがないというのとは全く異なり、アンプとの兼ね合いや、ソースとの兼ね合いの中で、非常に次元の高いところで、かなりきわどく音を作られており、一見、聴き易い穏やかな音の裏に、ある種の緊張感や危うさが見え隠れするような音なのだと思います。

初日7時間に及んで聴かせていただいたソースの中でもっとも印象に残ったのは、変則の弦楽四重奏(ロッシーニの弦楽ソナタ)と川崎さんも聴かれたというシューベルトの歌曲(G・ヤノヴィッツ=ソプラノ)でした。上記に述べた感想の他に私が感じた山本さんの音の特長は、シュールなぐらいリアルというものだったのですが、とりわけこの2曲は、まるでうそのようにそこに人がいて、音楽を奏でていました。音場は左右のスピーカーを結んだ線の少し向こうに側に広がって、リスニングポジションからの距離とあいまって、ちょっと遠い感じなのですが、音像の大きさ、音量とリスニングポイントからの視覚的な距離感(もちろん見えていませんが…)が、本当に正確にマッチしていて、あの距離では、あの大きさの音が、あの広がりをもって、聴こえるはずであろうという音がしていました。これは、おそらく実は大変なことで、これほど正確な距離感をもった音は今まで聴いたことがありませんでした(注:下記に記す山本さんの音の特長と私が感じる距離感は、本当に距離があるという意味の距離感:ニアフィールドとは逆の意と、ここで書いている正確な距離感の2つの意味合いを持っています。)。

さて、翌日ですが、最初に秋長さん、その後、原本さんも加えて、3人による試聴でしたが、お二人の感想や、お話しも大変興味深くて、秋長さんには同じ背景を持った仲間的なぴったりした感じと、どう見てもまさかハ‐べスをブリティッシュの粒よりの機器で鳴らしているオーディオ好き、しかもアナログも小粋に…とは見えない今時の普通の可愛い女の子(失礼!)という感じを持ちました。原本さんも秋長さんと同様にまさかマッキンのフルシステムを鳴らしているとは、誰も思うまいという方でしたが、やはり、原本さんのページを見て私が思わず山本さんにe‐mailを送ってしまった、あのお部屋の感じどおりの素敵な大人の女性という印象でした。と同時に、試聴の合間に述べられる感想の言葉にオーディオへの造詣の深さと経験の裏付けを感じ、またオーディオと音楽への思い入れやお好きなんだということも感じました。

さて、試聴ですが、我々は3人で聴いたので、並んで、聴くこと避け、でかい私は後ろの真中のポジションを陣取りましたが、むしろその方がよいソースもありました。Kenwood、Microのアーム+Ortofonによるジャズは、まるで紫煙のくゆんだジャズクラブの壁際の席で、壁にもたれて、聴いているかのような感じで、音はシブくてほの甘い素敵な音がしました。このOrtofonを皮切りに3種類のアナログの比較試聴をさせていただきましたが、どれも個性があり、いい。Kenwoodのアーム+Benz Microの太くてちょっと強い音はSNがよくてスタジオで聴いているような錯覚を覚え、ZYXは、Studiettoとあいまって、音が立体的で、空間にきれいに音が現れていました。私の好みという意味ではZYXでしたが、あのソースでのOrtofonの味わいはもう格別で、もう一度聴きたいと言う音であり、またBenz Microもストレートで、安定感があり、すばらしい音であり、どれも捨てがたい、山本さん、なんてうらやましい…という感じでした。

その後、富田さんのお宅にお伺いし、秋長さん、原本さんを最寄駅までお送りし、その帰りに再度Studio‐Kに寄せていただいたことは、大変によかったと思います。聴かせていただいた、ベートーベンの最後期のピアノ・ソナタによって、山本さんの音の真骨頂を体験できたと思うからです。山本さんの音、現代的なサウンドステージを持ち、すばらしいフォーカスと距離感を持つ非常に独創的な音(すごく他にない音だと思います)は、一つにはこのソナタ群を聴くためにあるのだという気がしました。このソフトには、山本さんの音における2つの意味での距離感が必要だし、フォーカスと深みが必要なのだと思います。このソナタに宿る人智を超えたかのような精神的な世界を表現し、それに深く思いを寄せるための一つの表現が、山本さんの音なのだろうと思います。

結局、初日7時間、2日目第1ステージ5時間、第2ステージ2時間と、聴かせて頂き、山本さんの音がだんだんと自分なりに分かっていったと思います。まだ、実は分かっていないのだろうとも思いますし、山本さんは、もっと異なることを自分の音に対し思っておられるとも思い、恐縮なのですが、私なりに感じたことを書かせていただきました。本当に長時間ありがとうございました。このオーディオという趣味が広く世の中の理解を得て、多くの人が楽しめるものになること、またStudio-KのHPどう展開していき、どんな人の出会いを生み出すのか、本当に楽しみであり、今後の山本さんの活動に期待を寄せております。


山本耕司 様

先日はお招きにあずかりまして、本当にありがとうございました。思えば山本さんのサイトを拝見するようになって、早くも三年余り。最初はもっぱら傍観者であったのですが、やがて小林悟朗さんのお計らいで、非常にレベルの高い極悪人の方々……柳沢和男さん、岡崎俊哉さん、富田徹さんの音を聴かせていただく機会にあずかりまして、私のオーディオライフに新たにエポックメイキングな1ページが加わりました。その後も山本さんのオーディオライフの変遷はサイト上でつぶさに拝見してまいりましたが、なぜか、山本さんの音を聴かせていただく機会には恵まれませんでした。それにもかかわらず、これも小林悟朗さんの一言が事の発端となったわけですが(笑)、事態が急展開をし、山本さんが、かのナンパ師こと、磯部和彦さんとご一緒に拙宅に音を聴きにいらっしゃるという、予想だにしなかったことになり、その結果、山本さんのサイトにまさかの自分のページまでが、できあがってしまったわけでした。そのへんの経緯は山本さんが私のページに詳しくお書きになっていらっしゃいますのでここでは省略しますが、そのような変遷を経まして、ようやくといいましょうか、遅すぎたといってもよいのですが、このほどやっと念願の山本サウンドを体験させていただくことが叶いました。

前置きが長くなってしまいましたが、山本サウンドを初めて体験した私は、あまりにも違和感がなかったために、最初は少し拍子抜けしてしまいました。サイトを拝見したり、あるいはお会いしてうかがったお話から想像した山本さんの音は、もっと一癖も二癖もある音ではないかと思っていたのです。そして、そういう音を期待してお邪魔をしたきらいも若干あったような気もいたします。しかし、この日、スタジオK'sの空間は、おおらかで優しく、安心して身を委ねられる豊かで朗々とした響きで一杯に満たされました。どのソースからも、音楽の情感、切なさが凄くよく伝わってきて、オーディオ的インプレッションよりも、音楽を聴いたという実感のほうが強く持てる音だったように思います。もちろん、ただただ、優しくおおらかなばかりでなく、ここぞというところでは、仰け反るような凄味のある音も出す。優しさのなかにも、ちょっぴり毒を含んだ棘のある音もききとれるところなどが、山本サウンドのたまらない魅力です。

山本さんは、「このソースはちょっと厳しいんだけど……」とおっしゃったカラヤンの「ばらの騎士」を、私の強引なお願いをききいれてくださり、聴かせてくれました。そして、この「ばらの騎士」は、山本サウンドの記憶の一部として私の心に末長く刻み込まれることになるかと思います。過日、私は、山本さんと磯部さん、そして何日か後に小林悟朗さんにこのソースの最後の三重唱の部分を聴いていただきました。その後、山本さんと小林悟朗さんから、このソースの再生に関してきわめて興味深いインプレッションをいただいたのです。
とりわけ、小林悟朗さんは「このディスクは再生至難と思われる程様々な要素、音色の数、陰影やダイナミックレンジに富んだ録音なので、私は色々なところで 欲を出してしまうわけですが、全体のまとめ方、あきらめねばならぬことなど 色々教わることが多かったです。」とお書きになっていらっしゃるのですが、それを読ませていただいて以来、私はすっかり考え込んでおりました。正直な話、私はこのソースの再生をさほど困難と思ったこともなく、また、どこかを妥協して鳴らしているという意識すらなかったものですから、深く恥じ入る思いに打ちのめされました。そして、この小林悟朗さんの感想をきっかけに、それまで自分なりに鳴らして、あまり疑いもしなかったこのソースの再生のありかたについてを、真剣に考えるようになり、果てしない迷路のなかを模索しようとしていたのです。

そんな折りに、聴かせていただいた山本さんの「ばらの騎士」は、まさしく狼狽するほどのショックをあたえてくれました。深い森のようなオーケストラのなかにくっきりと浮かび上がる三人の声の瑞々しい音色、陰影と多彩な質感を鮮やかに描き分け、しかも山本さんがおっしゃるように、「ソプラノとメゾがジェット機みたいになる」ことなどけっしてなく、三者三様の心の葛藤、その激しさが天空にまで突き抜ける極限の表現に、ただひたすら聴き惚れるばかりでした。そして、このときに、小林悟朗さんがお書きになったことの意味が、ようやく理解できたような気がいたします。

さいごに山本さんは3系統のアナログ再生システムを聴かせてくださいましたが、高いレベルで3つに独自の個性を発揮させていらっしゃり、それぞれにまったく違う魅力がききとれて、非常に印象深い音でした。3つの再生系が山本さんにとって、どれもかけがえのない存在であることが窺われました。綾戸智絵の「テネシーワルツ」を3つで聴き較べさせていただいたのですが、どれも魅力的で、3系統あることの必然性が伝わってまいりました。個人的にはベンツマイクロで聴かせていただきました、澄んで、しかも熱くエネルギッシュな音がもっとも気に入りましたが、オルトフォンの自然な質感、ZYXの繊細でやや現代的な表現も非常に魅力的でした。さらにいろいろなディスクを聴かせていただきたい気持ちがつのるばかりでしたが……また、機会がありましたら、聴かせていただけますことを楽しみにしております。本当に、とても楽しいひとときを過ごさせていただき、ありがとうございました。
末筆になりましたが、TATUYAさん、秋長さんにもくれぐれもよろしくお伝えください。

    2001年12月
                      原本薫子


山本様

1月18日の金曜日は、午後9時半から翌朝の5時半までお邪魔するという暴挙をお許し頂きありがとうございました。私は時差で昼夜の感覚がなかったのですが、山本さんには徹夜を強いてしまいました。ほの暗いスタジオで、一滴のお酒も飲まず、一晩中お皿(CD、LP、そしてお丼の蓋)を回すか音楽やオーディオの話をするという「高級な時間」を日本で過ごすことが出来ました。短い時間でしたが、SISの大野さんにもお会いできて良かったです。

2度目の山本サウンド体験だったのですが、昨年4月の「スレンダーな美女」は肉感的で妖艶な熟女に変貌していました。バイアンプの威力なのか、音の力感、深み、浸透力は圧倒的で、これは私の大好きな路線です。真夜中でしたので、構成が小さいヴァイオリンソナタや弦楽四重奏を中心に聴かせて頂いたのですが、ほの暗い室内に解き放たれる甘美な響きに埋もれて、時の経つのを忘れてしまいました。そう、とても「甘美」な音になったと思うのです。

出張最後の日でしたので、それから24時間経たないうちに自分の音を聴けました。同じ方向を向いていると思うんですが、出ている音はやっぱり相当に違うんですよね。Tatsuyaさんが山本さんに「川崎さんはもっと大音量ですよ」とおっしゃったと言うので、同じ曲を同じ音量で聴かせて頂いたのですが、物理的音量はほぼ同じくらいと感じました。ですから、Tatsuyaさんの印象は、彼の感覚的なことのようです。確かに、山本さんの音は、グっとくる迫真の表現を保持しつつも、ライブな部屋の間接音を相当にたっぷりと取り込んでいて、ややリスナーから離れて展開する、という鳴り方です。一方、私の場合、それに比較すると、「ニアフィールド」であり、アイドロンの怒涛の直接音を全身で受け止める、という感じになります。部屋もデッドです。空間表現を重視する同士でも、直接音と間接音の比率は物凄く違うわけです。しかし、そう思いながらも、今回、山本さんの音を聴いて一番強く感じたのは、音の捉え方、感じ方、追い込み方、方向性が似ているということです。きっと山本さんは私の音もすっと受け止めて下さるだろう、と思います(大阪の新居ではどんな音になるかわからないのですが…)。

さて、山本さんが今はまっているiTunesも体験しましたが、これは確かに「メインシステムにない何か」を持っています。スピーカーポッドの角度や距離を変えると音が面白いようにアヴァロン系、JBL系、タンノイ系に変化するのです(大げさ!)。とはいえ、メインシステムがあれだけの水準にあるからこそ、音的には余裕をかましておられるのでしょう。しかし、かなりの水準で音楽が手軽に楽しめることは画期的で、我々皿回し一座は、ますます絶滅の運命を辿っているのだと実感させられました。

東京、または大阪で再会する日を楽しみにしております。お仲間の皆様にもよろしくお伝え下さい。 川崎




「山本サウンドの限界」 誤解を招きそうな題だなあ(ヤマモト) 

今回で、山本サウンドを体験するのは、最初のあの激しい日から数えて4回目である。

最初がちょうど1年前なので、それほど、音には変化がないようにも思われるのだが、聞くたびに音が変わっている。しかし物事には必ず限界がある、そろそろKEFも本当の限界だろうと山本さんも言っていたので今回はそれほど変化はないと思っていた。自分の所だって絶えず音をよくしようと努力していても、その場でぐるぐる回っていてなかなか上に上れない螺旋階段なのだから。

だが、山本さんの所は、いつも聞くたびに新しい発見や感動がある。今回は6人全員、目が点になりノックアウトされてしまった。

私以外は、ほぼはじめて聞くのだから当たり前だが、私自身は今回はさほど驚かないですむだろうと思っていた。(いや、スピーカーを入れ替えてそこそこ聞けるようになったので、自分の所の方が良いところもあるかもなどというスケベ心も少しあった)

最初にかけてもらったリアルグループはいつもかけていただいているのだが、前回聞いたときも全体のエネルギー感が増した感じだったのが、またそれを上回った感じで、久しぶりに聞くからかなとも思ったが、徐々に前回とは明らかに違うと確信した。

それがもっとも衝撃的だったのは、ジャズのアナログのモノラルをかけたときだった。今まで聞いたことのないエネルギー感あふれるジャズがKEFから繰り出されたので、正直言ってショックだった、「これはJBL的な音に近い前へ前へ押し出してくる圧倒的なエネルギーのある音なのにそこにあるのはKEFだよなー」今まで山本さんの所にはなかったSPUのモノである、あれほどSPUは好きじゃないと言っていながらこんな音を出されたのでは、いつも使っている側としてはたまったものではない。

今回はこの後もアンプを替えて聞いたりもしたが、やっぱりこの瞬間が本日の一番であった。

最初に聞いたときから、KEFもそろそろ限界ですねなどと山本さん自身も周りの麻薬密売人の方々も言っていたので、毎回それほど大きな変化はないだろうと予想してききにいくのです。しかし、聞きに行くたびに「限界だ」「限界だ」と言っていながらどんどん進化させ、ついにはJBLにまでしてしまっている。

どれだけ、こき使えば気が済むのかとKEFは思っているし、KEFから言わせればスピーカー冥利に尽きるのかもしれない。

今回聞いて「限界」とはいったい何なのだろうと考えた、KEFには必ず限界があるはずだが、それ以上に使う側の限界があるのだと思う。山本さんが「限界」だと思わない限りKEFの限界は来ないのかもしれない。またさらに高まった限界を聞かしてください。

PS:私自身スピーカーを入れ変えたことに吹っ切れたように思います。選択は間違っていなかったと思えるような限界に少しずつ進んでいきたいと思います。

                       吉成邦市  2002.3.21

山本さんの音を聴かせていただく大きな楽しみの一つに、来る度に違う表情を見ることが出来る、ということがあります。まるでマジシャンがシルクハットからトランプや鳩を出すように、山本さんは様々な仕掛けでKEFから色々な音を取り出して見せてくれるのです。

この日の山本さんの仕掛けはモノラルカートリッジとコニサーでした。自分がモノラルのカートリッジで昔のレコードを聴くようになったのはつい最近の事ですが、モノラル再生の「美味しさ」みたいなものは少しづつ感じられるようになってきました。だから、これだけアナログ再生にこだわっている山本さんがモノラルに力を入れたらどんなに凄い音を出すのだろうと想像はしていました。

だが、この日実際に聴いた山本さんの音はそんな自分の想像をはるかに超える物でした。とにかくそのスピード感、音の分厚さが凄い。部屋が震えるほどのベース、火花が飛び散るようなシンバル、突き刺さってくるようなホーン。自分がもう少し体重が軽ければ、音に押されて仰向けにひっくり返ってしまったかもしれません。KEFがこんなJBLのようなサウンドを出すなど後にも先にも聴いたことがありません。それはまるで「ジャズ喫茶K's」に来たようなエキサイティングな体験でした。

コニサーは山本さんの愛機であるSTUDIETTO+クライオZYXとの組み合わせで聴かせていただきました。まず、比較対象としてKP9010+PhaseTech P-1+Aleph Onoで女性ヴォーカルとヴァイオリンを聴きました。このカートリッジは自分も興味を持っているのですが、とても明快で、張りのある音がします。それでいて、彫りが深く、音楽の表情を色濃く出してくれる、いわば「正当派アナログサウンド」です。

しばし余韻に浸った後、コニサーの音を聴きました。ヴァイオリンが鳴った瞬間、自分は何か異様な感覚に襲われました。上手く説明する事が出来ないのですが、さっきまで明確に提示されていた「一つの音」の中に、様々な要素が交じって複雑に絡み合って聞こえてくる感じがありました。

この感じについて、私は、山本さんに「1つの音の中に含まれている様々なニュアンスを引き出しているような感じがする」と感想を述べ、山本さんは「いや、1つの音に何かくっついて来ている感じがする。」と答えてくれました。確かに、どちらの音が正確かと問われれば、もしかしたらAleph Onoの方なのかもしれません。が、このコニサーの音にはそんな事はどうでも良くなってしまうような麻薬的な魅力があります。

ちょっといかがわしいようなところもあるのですが、とにかく、べらぼうに美しい。通常のバランス感覚とは逸脱したところに有りながら、ギリギリのところでバランスをとっているような「アブなさ」を感じさせる音です。私みたいな未熟者がこういう音にハマると、もうそっちの世界に連れて行かれて、二度と戻って来られないような気がするのですが、そこは百戦錬磨の山本さんのこと。このコニサーの強烈な個性をどのように山本さんの世界に取り込んで行かれるのか、観客の私としてもわくわくしてきます。

山本さん、今日も遅くまでおもてなしいただき、有り難う御座います。ひとしきり音を聴いた後、お茶を飲みながらの会話で、山本さんが(冗談でしょうが)「音を聴かせる飲み屋でも開いてみるかな」なんて言っていたけれども、もし、そんな店が出来たら、飲めない私ではありますが、是非ボトルキープをお願いしたいと思います(笑)。

それでは また

    2002年3月22日 中村 匠一

山本さんの音については、吉成君や森君などから いろいろと話を聞かされていましたのである程度の先入観(・・・勝手な推測)をもって今回に望みました。
・・・ところが
SoundSticks=パソコンでの演奏(結構効くジャブ・・・!?)
   そしてメインシステムでの演奏(強烈なuppercut!!!!)
いきなり1Rにして、あえなく ダウン寸前です。負けじと頑張りましたが、我が家につく頃には頭の中が飽和状態で完全にパンチドランカーと化していました。

骨太で力強く、かつ明瞭
特に弦のアンサンブルで、複数のバイオリン演奏が重なる瞬間など、演奏家の動き、おのおののバイオリンの弦の響きが手に取るように感じられます。厳しい音ですが、柔らかく心を和ませてくれます。
そして、驚きのエネルギー感・・・・
演奏メディア・装置の変化に即座に反応する応答性の良さ・・・
数え上げたらきりがありません。
ただただ驚き、自身のスキルの無さを痛感したところです。

我が家の4343・・・見通しが悪く蜘蛛の巣が張ったような状況です。これからどうしてくれよう・・・・途方もないハードルが立ちはだかっています・・・。

これはオーディオベーシック誌の最新号にも出てくる福島の蕪木さんの感想。




 
山本耕司 さま

先日は、素晴らしい音楽を沢山聴かせていただきまして、本当にありがとうございました。わずか数時間で、「80日間世界一周」どころか、何年分もの感動を味わわせていただいたような、とても不思議な気分です。幸運にも、復活した"Studio K's名物スケルトンKENWOOD"体験者第一号にもさせていただくこともできまして、この上なく光栄に思います。

まず最初は、メインシステムを聴かせていただく前に、れいのSoundSticks初体験です。すでにHPでお馴染みの、Macの両脇にSoundSticksがセットされた山本さんのデスクの前に座らせていただき、綾戸智絵のNHKホールのLIVEから"Stormy Monday"が鳴り出したときには、おおおおっ、これは!!!と思いました。机の下に置かれたオブジェのようなウーファーが、外観からは想像もつかないほど「低音らしい」低音を再生してくれますし、キーボードの両サイドより少し手前に置かれた中高域用のコラムは、それが鳴っていることすら感じさせません。目の前にはサウンドステージがさりげなくふわっと拡がり、全身が音につつまれるような感じです。これにはちょっとびっくりさせられました。綾戸智絵のLIVEは、大型システムで下手に鳴らすとビッグバンドに一体感が出にくく、音が薄くなってしまうことがあるのですが、山本さんのSoundSticksは、それをとてもバランス良く聴かせてくれますね。よく、大掛かりなシステムを「フルレンジ1発」のように鳴らすことが理想といわれますが、これからは「山本さんのSoundSticksのように」といいかえることにいたしましょう(笑)。

さて、いよいよ本番のメインシステムです。
山本さんの音を聴かせていただくのは昨年の冬以来、約5ヶ月ぶりですが、その間に山本サウンドは一段とパワーアップされ、よりテンションの高い、研ぎ澄まされた世界へと到達されていました。厚く密度感があり、それでいて澄んで透明なサウンドが、いまなお耳の奥に残っていて離れません。最初にかけていただいたカエターノ・ヴェローゾのCDは、再生がとても難しいソースです。私もカエターノのディスクは何枚か持っておりますが、非常に多面的な要素を持つこのアーティストの真髄を、あますところなく再現することは不可能です。それを山本さんは、あたかもご自身の歌のように、妖しい官能と、凛とした知性の両面を、なんなく表現されてしまいます。ジャクス・モレレンバウム夫妻と坂本龍一のコラボレーションアルバムも、カエターノの作品に共通するフレイヴァーが濃厚に漂ってきて、とても魅力的なサウンドでした。ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」では、Studio K'sの空気は21世紀の南米から19世紀のイタリアのオペラ劇場の空間へと一変し、赤道も時空も一気に飛び超えてしまいました。KEFの105の後方には広大なサウンドステージが拡がり、ひとりひとりの歌手の声の質感、それぞれの楽器の音色が実に多彩に、鮮やかに鳴らし分けられ、活き活きと闊達に軽妙洒脱な歌劇が展開されていきます。スリリングで、ユーモラスで、山本さんがおっしゃる「ロッシーニのオペラは赤塚不二夫の世界」というニュアンスが随所から伝わってきて、楽しさ満点! なるほどロッシーニって赤塚不二夫なんだなあ、と納得しながら聴かせていただきました。R・シュトラウスの「ばらの騎士」は、前回聴かせていただいたときよりも気張りのないサウンドで、幕切れの3重唱も、ただひたすら激情を吐露するというよりは、マルシャリンもオクタヴィアンもゾフィーも、それぞれに「訳あり」で、その「訳あり」の3人の複雑な心の綾が織りなす曰わくありげな雰囲気までが醸し出されていました。私は、山本さんの音を聴かせていただく度に、このオペラに対する理解度が深まるような気がします。この世に、これほどまでに美しい音楽があるのだろうか……と思ってしまったR・シュトラウスの「四つの最後の歌」と、エミール・ギレリスのベートーヴェンの最後期のピアノソナタは、この日聴かせていただいたなかでは、もっとも感動した音楽です。死の直前に録音されたギレリスの渾身の演奏は、張りつめた緊張感と深い静けさに支配され、鬼気迫るものが伝わってきます。極限の精神状態におかれたときに、救いを求めるならば、このような演奏にすがるかもしれない、と思いながら聴かせていただきました。

さて、復活した「Studio K's名物」スケルトンKENWOODですが、最初に聴かせていただいたSPUのモノーラルカートリッジによるシェリー・マンは、モノーラルとは思えないほど奥行き感が出ることに、まず驚きました。レンジはそれほど広くありませんが、可聴帯域内は密度感があり、それでいてクリアーで、どこにも混濁感がありません。なにより音がヴィヴィッドで、録音の古さをまったく感じさせないのです。低音は床を揺らし、シンバルやハイハットはリスニングポジションまで飛んできます。ステレオカートリッジでモノーラルのLPを再生したり、CDに復刻されたモノーラルのソースを聴いても、このような音は、まず、体験できません。シュタルケルの演奏するコダーイのチェロソナタも滅法素晴らしく、フィッシャー・ディスカウの「冬の旅」の、暖かく澄んだトーンで歌われる詩情豊かな歌唱は、この音楽を心ゆくまで鑑賞するために、それ以上の物理特性をまったく必要と感じさせません。私は普段、モノーラルのソースをほとんど聴きませんが、実はモノーラルの時代に、多くの名録音家が存在し、彼らによって沢山のすぐれた作品が残されていることに思い至りますと、当時は再生が困難だった音がそれらのプログラムソースに刻み込まれている可能性も大いにありうることでしょう。そうした音を山本さんが、ここに甦らせてくださったという感じがいたします。次に聴かせてくださったのは、同じスケルトンKENWOODの純正アームに取り付けられたベンツマイクロL0.4で、ハリー・ベラフォンテのカーネギーホールのライヴです。このレコードは1959年の録音ですから、先に聴かせていただいた3枚のモノーラル盤と録音時期に大差はないかもしれません。にもかかわらず、さすがに現代カートリッジのポテンシャルが存分に感じられるサウンドで、とにかくワイドレンジできわめて情報量が豊か。モノーラルも良いのですが、私には、こちらも大変魅力あふれる音でした。

さいごに聴かせていただいたのは、ゴールドムンドのStudiettoとZYXとコニサー2.0の組合せです。アルヒーフの弦の音は、ともすると高域が上擦ったりしがちなのですが、この組合せでは、きわめてナチュラルに、大変きめ細かい音で再現されます。こういって差し支えなければ、本物の弦楽器以上に心地よい響きといえるかもしれません。目の前でヴァイオリンを演奏すれば、耳障りな音も少しは出しますが、その耳を刺激する音を丹念に取り除き、弦楽器のおいしい響きだけを濃縮して抽出したサウンドが、コニサー2.0とZYXの音などと言ったら少し言い過ぎでしょうか……。とても不思議なサウンドで、溺れるように、次から次へと弦楽器のソースばかりを聴きたくなってしまうような、そうとう危うい世界ですね(笑)。かといって、特定の楽器しかうまく鳴らないわけではもちろんありません。ボブ・ディランも、きちんとバランス良く鳴らされてしまうところは、脱帽するしかありません。

当たり前のことですが、山本さんはオーディオも音楽も大好きで、しかもいろいろなジャンルの音楽がお好きでいらっしゃるので、何台もの入力機器を駆使されて、そうしたソースに対応させていらっしゃることが、山本さんのお好きな音楽をずっと聴かせていただいて、わかりました。そして、その山本さんの要求にここまで応えてくれるKEFの105の潜在能力は、本当に凄い!と思います。

そろそろ 山本サウンドの旅も終わりに近づきました。 沢山の素晴らしい音楽を素晴らしい音で聴かせていただきまして、良い音楽会を聴いた後のような、心地よい疲労感をおぼえました。 とても贅沢な時間をいただき、本当に、ありがとうございました。また、聴かせてください。今回の山本サウンドを糧に、私ももっと精進したいと思います。

    2002年5月
                        原本薫子


山本様

本日は大変お世話になりました。
パンとっても美味しかったです(^^♪
西田さんともども、今後の展開を楽しみにしています。

本日の山本さんの音なのですが、4月に聴いて以来なので非常に
楽しみにしておりました。そしてその結果も期待を裏切らないどころか、
期待以上で本当にビックリさせられました。

特にアナログで聴いた「ザ・ダイアローグ」には、白旗降参です(T_T)。
「これがハイスピードだ!!」といわんばかりの、切れにタメ。
僕が持参した「アンセム(ワールド・カップ・テーマ曲)」では、空間が歪むような
重低音を炸裂させたかと思うと、繊細なチェンバロの音色を、
ため息もつかせんばかりの美しさで再現する。
もう言葉では表現出来ません。出るのはため息ばかり...
特にパルシブなソースへの追従性は、素晴らしかったと思います。

以前は180kmマックスの車で、限界ぎりぎりまで飛ばしていたような危うさも
あったと見受けられるのですが、今回は同じ180kmでも排気量が上がったような
余裕も随所で見受けられました。上手く表現出来ないのですが、車で言うと
馬力が上がったというのではなく、トルクが違うんですよね。

いやー、本当に良い経験させていただきました。
又参加したいと思っていますので、これからも宜しくお願いいたします。

                   2002.10.14  篠原 友


 2002年最後の山本サウンド

2002年も残り少なくなったある寒い日の午後だった。今年最後の山本サウンドを体験させていただく幸運に恵まれた私は、聖橋に吹きつける寒風のなか、足取りも軽くStudio K`sへと赴いた。

山本さんの音を聴かせていただくのは、昨年12月以来4回目のことだ。その間に山本さんのシステムには、私からみれば、かなり大幅な変化が起こっていた。システムをバイアンプドライブにされたのが、初めて聴かせていただいた昨年末のことだったが、それ以降も、コニサーのフォノイコライザーアンプを入れられ、プリアンプがパスラボからクレルに替わり、トゥイーターにネットワークが導入され、パワーアンプが改良型となって、バイアンプドライブをふたたびシングルにもどされてしまったのだが、それを補う形でサーロジックのサブウーファーが加わった夏頃から、山本サウンドの表現の幅は、これまでになく拡がっていることを感じさせられたのだった。そして、サブウーファー導入時に聴かせていただいて約三ヶ月が経過した今回も、数時間にわたり、山本さんのお好きなソースを素晴らしい音で堪能させていただいたが、いまもそのときのサウンドが頭の中で鳴り止まぬままに、この感想文を書かせていただいている。

山本さんは、いつものように、CD、そしてLPを新旧さまざまなカートリッジでかけてくださったが、入力機器が替わる度に、KEFの105が別人のような表情で音楽を奏でる変幻自在ぶりは今回も健在だ。複数の入力機器を1台のスピーカーで聴きくらべることは拙宅でもめずらしくはない。しかし、その変化の幅は山本サウンドに比較すれば、微々たるもので、楽器の演奏にたとえれば、私の場合は、ピアノでも、スタンウェイで演奏するかベーゼンドルファーを使うかヤマハにするかといった程度の違いである(もちろん、それは少なからぬ違いではある)。しかし、山本サウンドの変貌ぶりはといえば、喩えていえば、あるときは指揮者であり、またあるときはピアノも弾き、チェロも演奏し、ときにはボサノヴァのギターを奏でながら歌も唄うといったマルチプレーヤーさながらで、何度体験しても、この変身ぶりにはアッと驚かされる。そして、その変化を楽しませていただくことも山本サウンドを聴かせていただく大きな楽しみのひとつなのだが、今回は、その変貌ぶりがいままでにもまして顕著に感じられたのだ。

そうしたなかで、とりわけ素晴らしかったのがゴールドムンドのStudietto+ZYX+コニサーの組合せで聴かせていただいたカエターノ・ヴェローゾの「粋な男」のLPと、アルフレッド・ブレンデルのシューベルトのピアノソナタのCDだった。このふたつの感動的な演奏は、いつまでも記憶に残ってけっして忘れることはないだろう。

カエターノのディスクは、とりわけ優秀録音ではないし、オーディオ的に再生がむずかしいソフトでもない。それでも、この人の複雑で多面的な要素をもつ音楽をありのままに再現しようとすれば、とても一筋縄ではいかないのだ。自分のシステムで鳴らすカエターノは、ただひたすらスウィートで切なく官能的で、癒し系といっても良いほど心地よいカエターノでしかない。それでも、そのようなカエターノを私は好んでいて、あえてそれを変えようとも思っていなかった。 しかし、この歌い手の経歴や歌詞の内容を知れば、それだけではいけない、何かが足りないことを思い知らされる。でも、その足りない何かとは何なのだろう? それを確認させていただくのは、いつも山本さんのシステムで聴かせていただくカエターノだった。
山本さんの鳴らされるカエターノは、CDもLPも、カエターノの研ぎ澄まされた感性が鋭く伝わってくるきわめてリアリスティックな演奏だ。自宅で聴くカエターノとはあまりにも違い、ああ、カエターノにはこういう一面もあったのだ、といつも驚かされてしまう。山本さんのカエターノは、自分が鳴らすカエターノのまったく裏側の世界、辛口の部分、厳しさ、太陽の当たらない影の部分までをも描き出してしまう。それは私にとっては辛口にすぎたり、厳しすぎたりして、いささか受け入れがたいカエターノであったことも、また事実だった。ところが、今回、Studietto+ZYX+コニサーで聴かせていただいたカエターノには、そのような厳しさ、辛口にすぎるところがあまり感じられない。それどころか、自分のシステムで聴いている以上に甘く切なく心地よいカエターノがKEFの105からフッとあらわれでたのである。それは実に甘美な光景で、私はそのサウンドにしばし魅了されていた。しかし、魅了されながらも、じっと聴き入るにつれ、そのサウンドの深層にはカエターノの音楽の影の部分、辛口の部分も克明に描き出されていて、この歌い手の真実の姿が目の当たりにされていることを知らされるのだった。それは何にも増して強い衝撃だった。

山本さんの音はオーディオ的に聴かせていただいても、文句なく素晴らしい。パースペクティヴの再現性や音像の提示のされ方が実に魅力的で、それを体験させていただくだけでも十分に楽しめる。しかし、山本サウンドの真髄は、それだけではない。むしろ、そのようなオーディオサウンドを超えた次元で音楽と同化できる、きわめて希な完成度を保ったシステムでもあり、プログラムソースへの対応力、音楽表現のダイナミックレンジの大きさにこそ、山本サウンドの真骨頂があるのではないか。ようするに、指揮者としてもピアニストとしてもチェリストとしても歌い手としても一流であり、余技に等しいものがないということ。だからこそ、カエターノ・ヴェローゾもアンドラーシュ・シフもアルフレッド・ブレンデルも、モノーラルのカートリッジで聴かせていただいたエーリッヒ・クライバーの「ばらの騎士」も、それぞれの音楽のエッセンスをあますところなく表現し、鳴らしきってしまうのだ。今回、山本さんの音を聴かせていただき、良い音を鳴らすためにはオーディオを知ることも必要だが、それ以上に音楽への理解を深めていかなければならない、という、ごく当たり前のことを、あらためて痛感させられた。山本さん、本当にありがとうございました。そして2003年も、また、よろしくお願いいたします。

          2003年年頭に   原本薫子


山本様

昨晩は良い音と良いお話をたくさんきかせていただきまして、まことにありがとう
ございました。とても居心地よく、リラックスしてしまい、帰るのが遅くなってし
まいまして申し訳なかったです。

帰途、「それぞれのAnalogDiscやCDに記録されている信号を、過不足なく再現する
と山本さんのサウンドになるのではないか」と思いいたりました。
"Thriller"と"Livro"と"The Times They Are A-Changin'"では、サウンドプロダク
ションが違うわけで、それぞれのサウンドプロダクションを味わうということは
オーディオの楽しみのひとつだと考えますが、「不足」の場合はもちろん、「過」
の場合もそのディスク本来のサウンドプロダクションとは違ってくることになると
思います。「過」については、そのレコードを再生する人の個性の露呈というよう
にも言えるでしょうから、その方向に突き進むのもオーディオの楽しみのひとつで
すよね。
僕自身なじみのある上記のタイトルを聴かせていただき、それぞれに豪華/緻密/広
大なキャンバス、定位/奥行/声・楽器の存在感、素朴/密度/勢い、というような言
葉を想起したのですが、サウンドプロダクション毎それらを的確に描き分けるシス
テムを得るために、「足りないものは足し、行き過ぎたところを抑える」という姿
勢を貫き、ここまで長い時間をかけてこつこつとサウンドを磨かれてこられたので
はないかと拝察します。

"Livro"は愛聴盤でもあるのですが、3次元のサウンドステージに色のついた絵筆を
そっと落としていき、その3次元絵画を完成させるような1曲目の様子に、深く感動
いたしました。このシステムでJamesTaylor全作品を一日中聴き続けられたらどんな
にか幸せかと思います。

品川方面にいらっしゃることがありましたら、我々のオフィスにもぜひお立ちより
ください。SACDディスクもだんだんと充実してきておりますので、音楽的な部分で
も新しい発見をしていただけるかもしれません。

    市瀬和紀



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