人間歩かなくなったら終わりだぜ
散歩と買い物と健康、そしてトシをとること

これだけ自転車に乗ってるし週に一度は水泳もやっているから運動は充分かと思ったら、そうでもないらしい。99年の夏は二年ぶりに腰痛で悩んだ。あれこれ対策を考えてみたが、僕の場合、暖めることと前後屈運動と歩行のようだ。2000年は水泳+自転車+歩行のトライアスロンでいこうと思う。

そこで、通勤以外の移動はなるべく歩くことにした。ただ歩くだけでは退屈なので、カメラを一個買って、スナップをしながら散歩を楽しむ事に決めた。春から再び使っている旧キヤノンF1は素晴らしい性能のカメラだが、とにかく重い。標準レンズ付きで1.4kgもあるので、首から下げて秋葉原をまわってスタジオに戻ると肩がこる。そういうわけで、散歩を楽しみながら「安くて意外性があって小型軽量なカメラ」を探して歩くことにした。 1999.11.27

小型軽量なカメラが欲しくなった僕は、俗に「パンケーキレンズ」と呼ばれる薄型のレンズが気になり始めた。これは、古くからあるテッサータイプの40〜45mmレンズで、明るさはf2.8ぐらいだ。要するに「コンテッサ」に付いているレンズの現代版で、現行だとCONTAXのテッサー45mmf2.8がある。かつてはNikonのGN45mmとか、PENTAXのもあったが、今は作っていない。良いレンズだが、性能抜群なんて事はないので、さほど売れず製造中止になるのだが、とにかく小型軽量なので中古市場では根強い人気がある。

散歩のお供に持ち歩くカメラを探すために散歩をする事にして、僕は秋葉原の「カメラのにっしん」へ行った。この店はスタジオから歩いて10分ぐらいにあるから、秋葉原でゆっくりCDを見て、オーディオショップに寄って、「にっしん」でカメラを見て「ハナマサ」に寄って肉でも買ってくれば軽く30分を越す散歩になる。「にっしん」に行き、CONTAXの中古を見たが、この時点で僕はCONTAXというカメラの特徴を全く理解しておらず、「さすがにけっこうな値段だ」と思った。そして名前だけ知っていた「Aria」がフルマニュアルの好ましいカメラで、定価約9万もする事を知った。キヤノンには「Aria」のようなボディが存在しない、「CONTAX ST」みたいなのもないし「S2」もない。これは散歩用ではないのだが、僕はEOS-1なみに高級で、適当に軽くてEOS100ぐらい静かなカメラなら欲しい(マニュアルフォーカスでいい)。だが、キヤノンはそういう趣味的な路線のカメラは作っておらず、反対にCONTAXはそういう趣味的な要素の強いカメラばかり作っているようだ。次の日ヨドバシカメラに行って「Aria」の実物を触ってみた。悪くないのだが、正面から見たときにやけに肩が張っているデザインが「Aria」という優雅な名前と合わないと思った。初代「RTS」はすごく良いデザインなのになあ。

僕は仕事先の「視覚デザイン研究所」社員「ケン・中畑」が、リコーの安い一眼レフ+無茶苦茶安いパンケーキレンズを買った事を思い出し、見せてもらった。このセットは新品でも29800円ぐらい、プラスチック多用でウソみたいに軽く「CONTAXよりこっちの方がチープでいいし、KマウントでPENTAXのボディも使える」と思ったが、このレンズも今は製造中止らしく、中古を探すしかないようだった。リコー氏の同僚「メタトロン君」の机を見ると、テッサー45mmが装着されたCONTAX RTSがあるではないか。聞けば、やはり彼もテッサーが使いたくてこのセットを買ったとか、「でもイマイチピントが甘い気がする」との事だった。僕はこのところあちこちで兄弟になってるから、出来ればCONTAX兄弟は避けたかった。

それでリコーの中古を探しに、また「にっしん」への散歩をした。でもリコーの中古は無くて、代わりに興味深い物を発見した。僕は知らなかったのだが、KONICAからも似たようなレンズが出ていた。これは40mmf1.8で、やはり新品はもう無く、中古が約2万円だった。ついでに書くとNikonのGN45mmは中古なのに5万近い値段がついている。Nikonユーザーは多いからそんな事になってしまうのだろう。KONICAなら最終型のボディFT-1に40mmを装着しても45000円ぐらいで買えそうだ。その時僕はお散歩用カメラの予算を上限で4万だと決めた。それからもう一つ、バカ安なカメラを発見した。KONICAのAcom-1+50mmがなんと16000円で、ちょっと触らせてもらうと「1/8sec以下のシャッター速は無い」という割り切ったボディで、大変好感が持てる。ついでだから書きますが、僕の年間平均シャッター速度は1/100secぐらいだ。絞りは年間平均でf16〜22ぐらいだろうと思う。1/8000と1/4000secは一度も使った事がなく、1/1000secも年に一回ぐらいしか使わない。 1999年11月29日

神保町にある(株)視覚デザイン研究所が出している美術関係の書籍は僕が全部撮影をしている。湯島のstudioK'sから神保町まではいつも自転車で行くのだが、それをやめて歩く事にした。この日、東京医科歯科大の構内を抜けてお茶の水駅を越えてあたりで携帯電話が鳴り、「撮影時間が変更になった」という連絡を受けた。二時間ほどヒマになったので「Disk Union」に入ると、一枚100円でLPを売っていた。ほとんど知らないレコードばかりだったが、100円なのでジャケットで買うことにした。CDレンタルより安い値段でLPが買えるのなら、それも良い。20枚買って一枚でも当たれば楽しい。この日はこの7枚を買った。知らないLPばかりだとちょっと不安なので、ロッド・スチュアートとカーリー・サイモンも入れておいた。今年はアナログを再開して随分苦労したおかげで(面白かったけど)今はLPも充分楽しめる。 1999年11月30日

Studio K'sの近くにあるカメラ店は「にっしん」の他に「カメラのきむら」がある。「カメラのきむら」と言えば、かつては3年保証の老舗だが、現在は中古カメラの委託販売も充実している。ここも神田駅の先だから歩くには悪くない距離だ。腰の痛みを我慢しながら歩いて行ってみるとKONICAのFC-1+40mmが4万円ぐらいで出ていた。「おお!」と思いながら、「にっしん」で見たAcom-1にも魅力を感じつつ、横を見ると、古いコンパクトカメラが並んでいる。ミノルタのハイマチックとか、ヤシカのエレクトロ35、オリンパスの35DCとかが数千円〜15000円ぐらいなので、「これもいいな」と思いながら「にっしん」へ向かった。

神田駅の近くを歩いていると、眼鏡屋があった。このところ近くが見えにくくなって困っていた僕は眼鏡屋に入り「遠近両用のレンズはいくらぐらいするのか」とたずねた。眼鏡のレンズを替えて「RZ6×7の絞りを見るときに眼鏡を外さなくて済むのならこちらを優先するべきだ」と判断して、僕は25200円の眼鏡用レンズを買う事にした。レンズが届くのに一週間ほどかかるそうだ。境目のない遠近両用メガネはどんな具合だろう。手の指の爪は切りやすくなるのかなあ、、、。トシをとると色んな目にあう。メガネのレンズを注文してしまったので、お散歩用カメラの予算は25200円減だ。となると、やっぱりAcom-1かコンパクトカメラ路線しかない。

「にっしん」まで歩いて、二階を見て回ったがこれといった物はない。それで一階でコンパクトカメラを見た。「にっしん」にいる髭のおじさんに「なんか良く撮れるコンパクトカメラってある?」ってきいたら、いくつか候補をあげてくれた中に「キヤノン オートボーイ2」というのがあった。値段は3000円で、オートボーイシリーズの中では「2」が一番評判が良いそうだ。そう言えば、かつて何人かの友人に「キヤノン オートボーイ2」を買わせて、みんな「良い」と言っていたっけ。プレフォーカスをするにはセルフタイマーを使うやつだ。何台かあるうちクオーツデート付きを選び、使ってみる事にした。楽しみ楽しみ。これは最高に「安くて意外性があって小型軽量なカメラ」だ。カメラを買ってこういう嬉しい気分になるのはGR1を買ったとき以来だ。持ち歩けるカメラはやっぱり楽しい。よーしこれで最低週に2本ぐらい撮ってやろう。1999年12月6日

はじめての遠近両用眼鏡の具合は、良いところもいっぱいあるが慣れないせいか非常に疲れる。眼鏡屋さんから受け取ってかけ始めた頃はたまたま仕事が忙しく、しかも少々風邪気味だったせいか頭痛がした。体調のせいなのか眼鏡のせいなのかよくわからない。すごく楽になったのも事実だ。手の指の爪もちゃんと切れるし、RZ67の絞りもちゃんと見える。元の眼鏡があれば新しい眼鏡の有り難さがより良くわかるのだが、フレームはそのままでレンズだけ入れ替えたのでその比較は出来ない。まあもう少しかけてみよう。眼鏡屋さんは「階段を降りるときに気を付けて下さいね」と言っていた。つまり下を見るときにちゃんとピントが合わないよって事だ。僕の場合、階段は大丈夫だったが、掃除機をかける時に違和感をおぼえた。

知り合いのお宅にNikonの旧FMとGN45mmがあったのを思い出した。電話してみたら「主人が亡くなってもう20年近く経つし、カメラも使ってないから処分したい」との事だった。亡くなったご主人というのは「新海昭二」という音楽家で、写真もよく撮った。1960〜70年代に沢山のヌード写真を撮っていて、僕はアマチュア時代に「日本カメラ」で彼の写真を見た記憶がある。だが、直接会う機会が持てないうちに他界してしまい、後で後悔した。僕が今、積極的にいろんなお宅を訪問しているのはこの様な経験からかも知れない。新海宅では、残された機材の中からもう使えない機材とまだ価値がある物との整理をした。そして写真集をもらいカメラを預かってきた。篠山紀信のヌードとか、加賀まりこの写真集(立木義浩撮影、右から二番目)など1970年代のかおりがするものも多く不思議な気分になった。それと、未使用のフィルムのパッケージがすごく懐かしかった。

NikonのFMにGN45mmを付けてフィルムを一本撮ってみた。このレンズは唯一キヤノンとピントリングの回転方向(どっちにまわすと無限遠になるか)が同じなのだが、スプリットイメージの動き方が逆なので調子が狂う。そんなわけで、FM+20mm+24mm+45mm+105mmマクロは僕に「一山10万円」という値をつけられ、良くわかっている友人たちが速攻で買っていった。

 

1999年12月10日

一ケ月半ぶりに水泳に行った。いつも行ってる近所のプールが改装中で泳げなかったのだ。この一年半ほど最低週に一回、大体1500mぐらいを1時間で泳いでいる。スタジオの近くにある某国立大学の地下プールなのだが、ここまで行くのも自転車はやめて歩く事にした。往復で15〜20分ぐらだから歩いていって、1時間泳いでまた歩いて帰るのは悪くない距離だ。この日はバタフライの練習をやったので非常に疲れた。1999年12月14日

遠近両用眼鏡にしてそろそろ二週間なので、かなり慣れてきた。一番の違和感はレンズの中心で見ればかなりよく見えるのだがレンズの周辺部で見るとぼやけることで、それは頭ではわかっているのだが、体は周辺で見たときによく見えない事に反応するらしく、けっこう疲れた。おかげさまで体の方も慣れてきたらしく大分いい具合になってきた。

SISの小島さんが、ミノルタのスキャナを譲ってくれると言うので、スタジオから千駄木のSISまで歩いていくことにした。もちろんオートボーイ2を持って行く。途中で東大の中も覗きながら歩く。なんだかわからない古い物が沢山あるので東大は被写体の宝庫だ。この日は沢山の人が出て銀杏の葉をクマデで掃いていた。郁文館高校のあたりを歩いていると向こうから老夫婦が寄り添って歩いて来た。僕は写真を撮りたかったのだが、いきなりカメラを向けてシャッターを切るのは失礼かなとためらった。今度から老夫婦の写真も撮ろうかなと思う。ああいう風に長年一緒に暮らしてきた人たちの事を僕は尊敬してしまう。

新しくきたミノルタのスキャナは一応ブロニー判もスキャン出来るので、その点が便利だ。最近PowerMac7600/132にG3カードを入れたので、ミノルタのスキャナはこちらに接続した。もう1台のMac、MT300の方にはNikonのLS2000が接続されているので両方同時にスキャンも出来る。暗室には二台の引伸機があって用途に応じて使い分けているし、Macには二台のフィルムスキャナがつながった。これはなかなか贅沢な事だ。新しく来たスキャナは動作中に「プヨプヨ」というか「キュッキュッ」という音がして不思議な気分になる。そしてこのスキャナは速くて気持よい。ミノルタのスキャナしか使ったことがない人がLS2000を使ったら、あまりに時間がかかるので怒るかも知れない。キヤノンサロンの西田さんはLS2000を使ったがあまりの遅さに腹を立てて、すぐさまポラスキャンに戻ってしまったっけ。  1999年12月21日

散歩をしてる人にはX'masプレゼントがあるのかな

撮影したポジを届けに共同通信社へ行った。行きは地下鉄で「溜池山王」まで行ったが、帰りは新橋-銀座を散歩する事にした。「大庭商会」とか「新橋カメラ」に寄って、中古カメラやレンズを見ながら歩く。新橋のガード下に「柳沢製麺所」と書いたプラスチックの箱が積んであり「おッ!!」と思い、オートボーイ2で写真を撮った。博品館の前を通り、4丁目の角を曲がり阪急のGAPとエディ・バウアを見るが何も買わない。それから、富士フォトサロンに寄って、ギャラリー使用の申込書をもらった。カメラメーカーやフィルムメーカーが持っているギャラリーは、定期的に審査を行っていて、審査に通れば会場費やDM代はかからない。その辺は美術系のギャラリーとは考え方や成り立ちがちょっと違う。

フォトサロンと同じフロアには中古LPを扱っている「ハンター」があるので、寄ってみた。6年ほど前一旦アナログをやめた時、150枚ほどLPを売ってしまった。そのほとんどは今となってはどうでもいいのだが、中に10枚ほど「とっておけば良かった」と思う物がある。それで、例えばTBMの「ミスティ」とか「ブロー・アップ」はLPの復刻版を買い戻した。この辺はXRCDも出てるから良いとして、同じ山本剛でも「The in crowd」という六本木ミスティでのクリスマスのライブになると、一部しかCD化されていない。あのリラックスした雰囲気の「The in crowd」を、もう一度今のシステムできいてみたいなあ、と思いながら中古レコードを見ると、カシオペアの「Eyes of the mind」を見つけた。これも、一曲だけききたい曲があって探していたレコードだ。なんと300円なので僕は心の中で「ヤッホー」と叫んだ。まさか「The in crowd」は無いよねと思いながら床に置いてある段ボールの中をみると、「The in crowd」があり800円という値段が付いていた。両方で税込み1150円というクリスマスプレゼントだ。ああ、嬉しい。これも散歩のおかげだ。

スタジオに戻り早速かけてみると、二枚ともほとんど新品同様でノイズもなく、最高の音質だった。こういうのを岡崎さんや富田さんにきかせると「山本さんとこはやっぱりアナログが勝っている、CDの音はイマイチだ」って言われそうなので、彼らにきいてもらいたいような、隠しておきたいような、非常に複雑な気分。あとは妹尾隆一郎=ウィーピングハープ・セノオの二枚目のLP「ブギー・タイム」」とか今田勝の「アンダルシアの風」が買い戻せればなあと思っている。この二枚のLPは「渡辺香津美が自らのジャンル以外の雰囲気でギターを弾いている点」が共通する。 1999年12月27日

スタジオ近くの国立大学地下プールへ2000年の初泳ぎに行った。キック、スカーリングなどを混ぜ、約1時間半で2000m泳いだ(この距離は偶然で2000年に引っかけたわけじゃない)。途中足をつりそうになってちょっと辛かったが、なんとか泳げた。正月中運動不足だったので、毎日ストレッチングと腹筋はやっていたのだが、水泳も10日空くときつくなる。通勤用自転車のハンドル高を上げてライディングポジションを変更したのが良かったのか、このところ少し腰の痛みは和らいできた。腰さえ痛くなければもっと歩いて、時々はスロージョグぐらいやって暮らせるんだけどなあ。そうすれば初夏にはビギナー向けの「トライアスロンごっこ」ぐらい出場出来るのだがともくろんでいる。 2000年1月5日

このところ水泳をやりたくなっているので、連休の中日は千駄ヶ谷にある東京都体育館のプールへ行った。夏はけっこう混んでいたけど、今は冬だし、昼頃だったのでとても空いていて快適に泳げた。1400m泳いだ後、食事をしながら散歩した。原宿方面へ歩き、SAZABYで安くて感じの良いコーヒーカップを買う。あまり大きな期待はせず、向かいのギャラリーに入って驚いた。何と、面識のある陶芸家の作品が沢山あった。梶川智志さんと小沼寛さんで、僕は彼らの作品を何点も持っている。そこで僕は「斎藤志磨」という若い女性作家が作った片口を買った。すごく薄くて危うくて、ちょっととぼけているところを気に入った。そのうち撮影か何かに使えそうだ。それから市ヶ谷駅まで歩き、電車でスタジオへ帰った。 2000年1月10日

水泳は「10分間で500m泳げるようになりたい」という、低いレベルの目標に届かない。今のところ425mぐらいなので今年中に450mは越えると思うのだが、500mはどうかなというところだ。25mプールの往復を1分間で泳ぐ事を10回続けられれば500mになる。今は1分間に42.5mしか泳げないから425mで、1分間にもう7.5mづつ多く泳げれば達成できるわけだ。まあ、若くはないのでそう簡単には上達しないけど頑張ろう。このところ散歩がきいているのか腰痛はなおりつつある。おかげで自転車の平均速度も上がった。 2000年1月13日

カメラの「にっしん」まで散歩したら、マミヤの6×6 C330sに105mmのレンズ付きが58.000円で売られていた。ボディはほとんど新品だからメチャ安だ。僕は1台持っているから、見送っても良いのだが、とにかく安いので誰か買わないかなと思って何人かの友人に連絡をした。二日後にやっと一人「買いたい」と言うので電話をすると「もう売れた」という返事だった。やっぱりねえ、分かる人は分かるんだよなあ、あの安さは。

お茶の水のオーディオユニオンに小鉄徹工房のリマスター盤「バーバラ・リー」(LP)があったが、次でいいやと思って次に見たら無くなっていた。仕方がないのでヤマギワまで歩いて行き5fのソフト売場をみると売っていた。これは逃さず買った。オリジナル盤は数万円するからなあ。

散歩をし始めたのは11月の末の事だから、そろそろ二ヶ月が過ぎようとしている。一般的に腰痛解消のために歩く場合、効果が出るのは三ヶ月と言われている。三ヶ月ぐらいで腰の筋肉が出来るらしい。あと一月、暖かくなったらもっと楽になるといいなあと思いながら、よく歩いている。 2000年2月9日

先週は義母が亡くなったので、葬儀その他で時間をとられたが、なんとか2回泳いだ。このところ少しづつだがクロールがよく進むようになってきている。という事は同じ距離を泳いでも疲労が少ないわけで、東京体育館に行っても以前は片道50mで休んでいたが、今は100mが当たり前になった。週に3回ぐらい泳いだらもっと上達するのかなと思っている。なにしろ下手なのでまだまだ上達の可能性がある。散歩はコンスタントにやっていて、相変わらず「にっしん」へ行ったり秋葉原やお茶の水をうろついている。 20002月21日

火曜日の夜は「読売新聞社水泳部」の面々と一緒に泳いでいるのだが、このところメニューの内容はグッと濃くなってきていて、二ヶ月前では考えられない状態だ。昨夜は一時間ちょっとで2.000mのメニューだった。途中にはバタフライもバックもブレストも入っている。練習が終わってから、垂直飛びを測り、濡れている場所で裸足だったから64cmだった。20代はたしか75cmぐらいだったんだけどなあ。今、100mを走ったら何秒で走れるのだろう。一度やってみたいものだ。 2000年3月1日

二年前の桜の季節、自転車で走ると目がかゆくなった。軽い花粉症らしいと思った。今年はどうも軽くはない花粉症になったらしい。3月に入ったら急に鼻炎になったし、自転車で走ると涙が出て、目がシバシバする。ああ、憂鬱だなあ。腰痛が治ってきたと思ったら、今度は花粉症かよ。でもめげずに今夜は1700m泳ぎ、バナナブレッドを作り、生まれて初めてオレンジマーマレードを作っている。 2000年3月7日

ダイナミックオーディオの厚木さんが「使わずに持っているCONTAXを処分したい」と言うので。安く譲ってもらい、モノクロプリントをやってる人にそのまま譲った。超美品のCONTAX ST+50mm1.4+85mm1.4+135mm2.8だった。買った人たちは大喜びだった。厚木さんも「これで、欲しかったレコードを買う」そうで、良かった良かった。ご不要の高級カメラやきかなくなったLPを処分したい方は、僕にお知らせ下さい。

花粉症には甜茶(てんちゃ)が良いそうで、台所をみたら一箱あったので、飲んでみている。しかし、甘いなあ、要するにステビアなんですね、これは。その甜茶をくれた人は3月末にまたベトナムに行くそうなので、「よーし、おみやげは大量の甜茶だね」と言ってくれた。これで花粉症が治まるといいなあ。さすがに自転車で走る時はマスクをしているが、歩く時はマスクをしなくても何とかなるみたいだ。 2000年3月14日

今週はなんだかおかしい。精神が不健康なのか、やたらと物を食べたくなる。酒やタバコをたしなむ人なら、そっちにいくんだろうが、僕は両方ともやめてしまったので、不安定な精神の時は、ごく稀にだが「全身これ食欲」となる事がある。何故、不安定になるのかと言うと、「あまりに自由に、やりたいことをやりすぎている」事によるものだと思う。贅沢な話だと思わないで欲しい。例えばこのHomePageは僕がやりたくて自由に企画を立ててやっているものだが、もうほとんど仕事みたいな状態になっているし、だけどそれで儲かるわけじゃないから仕事ではなく、やるのもやめるのも自由だが、やめれば元も子もないし、やり続けるのはもちろん楽しい、でも、でも、かといって「僕も疲れる」わけです。写真を撮るのも焼くのも、料理も、オーディオも、皿まわしも、Macも、HomePageもみんな、遊びみたいな仕事みたいな状態で、行き詰まってしまったのかも知れない。日曜も祭日もなく毎日、毎日StudioK'sに自転車をこいでやってきて、好きな事をやっているから毎日が休日みたいなもんなんだけど、気がついたら僕には休日が無くなっていた。こういう時は「一週間ほど愛人の家にしけこむ」とか出来ればいいんだろうなあ。 2000年3月17日

先週はプリアンプを試聴していて、結局6年間愛用してきたプリアンプを買い替える事にした。この半年間「今の音の限界を規定してるのはプリアンプだろう」と思っていたのだが、やはりそうだった。「良い音で音楽をきく」というのは、僕にとって大変重要な問題で、僕の出している音は=作品だから、ここに不満があると、心も身体も正常には機能しなくなる。でも、今はこの問題が解決して、毎日音楽に感動しているので、10日ほど前の不安定な状態は消えた。 2000年3月28日

今週から国立競技場の中にあるプールで、三ヶ月間、週に二日づつ水泳を習う事にした。もちろん仕事もしてるから、全部は行けないと思うけど、暇な時は週に3回泳げるわけで、どう変化するか楽しみだ。昨夜はその第一回目の講習に行ってきた。水泳ってのはとても難しくて、この2年間、上手な人に教えてもらったり、「TARZAN」を読んでみたりしてきた。昨夜は「なるほど、そういう事だったのか」って思うポイントがいくつかあった。頭で理解したからと言って、すぐに実技とは結びつかないのだが、イメージを持つっていうのは大切な事なので、水泳も少し希望が持てるような気がした。 2000年4月4日

水泳教室では毎回「なるほど」と思うことがある。25mプールを横に使って、約12.5m(身長+手の長さを引くと残りは9mぐらい)の中で教えてもうらうのだが、悪いところはバッチリ出て、色々教えてもらえる。一番多いのは「力の入りすぎに注意」なんだが、これは僕が皿まわしを教える時に常に言ってるわけです。「皿をまわそうとするな、力を抜け」ってのは皿まわしの基本なので、僕は水泳教室の先生方に皿まわしを教えてあげたくなった。僕の皿まわしは芸を競う「エンターティメント(芸能)系」ではなく、まわす皿の数を競う「体育会系皿まわし」だ。 2000年4月11日

一年半ぶりに、寝込むような風邪をひいた。「ちょっとゾクゾクするなあ」と思ったのが一週間前の日曜日。くしゃみ鼻水ナシ、喉はまったく痛くならず、咳も出なかった。症状は1)頭痛と2)発熱によるだるさ、のみという、いままで未体験の風邪だった。そして、ダラダラと具合が悪く、だが、ほとんど毎日寝ていたいぐらいの辛い風邪だった。水、金、土と撮影が入っていて、それだけは何とかこなしたが、本当にきつかった。もちろん水泳など出来ず、音楽さえもきく気がしなかった。良かった事は、水泳を3回休んだので肩の慢性的疲労が無くなったこと、それだけだ。まあ、あんまりバカみたいに力を入れて泳いだりするなという、天の声なのかも知れない。 2000年5月1日

ここ一年ほど、真空保温ナベを買おうか、圧力鍋を買おうかと迷っていた。三ノ輪にある安売り店「オリンピック」のチラシに「真空保温ナベ9800円」というのがあり、湯島のスタジオから三ノ輪まで散歩しつつ買いに行った。途中、下谷=車坂の珈琲店「ウエスタン」の前を通ると、営業していたので寄った。一杯のコーヒーをアートにしたような、そんな味。味というよりコーヒーの結晶体のような、人生の重さを感じさせられるような、そういうコーヒーだ。僕は若い頃からこの店を知っていて、JBLもMacintoshもトーレンスのプレーヤーも、この店で初めてお目にかかった(JAZZ喫茶というわけではない)。久しぶりに会ったマスターご夫妻も元気そうでなによりだった。 2000年5月8日

水泳教室ではクロールだけでなく背泳、平泳ぎ、バタフライの4泳法を習っている。水泳教室は4月〜6月で、更新すれば更に3カ月通うことになる。僕としては6月までに1)背泳がまともに泳げるようになって、2)平泳ぎがもう少し速くなれて、3)バタフライで50m泳げるようになる(今は37mほどで力尽きる)というのが目標だ。それが実現すればクロールももう少し進歩するだろう。 2000年5月13日

最近は少し体調が良い。オーディオの具合が良くて、忙しすぎない程度に仕事がきていると体調は確実に良くなる。もう二週間も秋葉原に行ってないので、今日は秋葉原を散歩してこよう。最近、欲しいカメラが無い。古いカメラへの関心が急に薄れたし、新しいカメラも欲しい物がない。良いことなのか悪いことなのかよくわからない。 2000年5月26日

それにしても水泳は難しい。少しづつ上達はしているようだが、手の事を考えれば脚がおろそかになり、息つぎに意識を向ければ手も脚もおろそかになるといった具合だ。色んな動きを無意識で出来るようになるには、とにかく繰り返し繰り返しやっていくしかない、だからおそろしく時間がかかり、それだけに楽しい。この度10分で泳げる距離は440mになった。1分で44mを10分間続けられるようになったわけで、これが45mなら450mだし50mなら500mになる。50mづつのタイムで考えると50mを1分ピッタリで10分間泳ぎ続ければ500mになるが、今は多分1分7秒ぐらいなので440mにとどまっている。400〜420mぐらいまでは、水に慣れる事と腕力で何とかなったが、このあたりからはより抵抗の少ない姿勢と、手足のコンビネーションなどが重要になってきているようだ。10分間泳は定期的に行っているので、次回は450mを越えていると嬉しい。 2000年6月2日

欲しいカメラがなくなったので、最近は中古LPを探して散歩をしている。お茶の水界隈には中古のレコード屋がたくさんあって、店Aで1000円のLPが、すぐ近所の店Bでは300円だったりしするので、なかなか楽しめる。1950年から60年70年あたりに録音された古いLP(演奏は古い方が良い場合も多い)でも、驚くほど高音質のものがあったりして、そういうのを手に入れると嬉しくなる。そういうわけで、アナログを再開して一年を越えると、買ったりもらったりして200枚ほどのLPが集まってきた。僕はこれらを2台のレコードプレーヤー+3本のアーム+4個のカートリッジ+3台のフォノイコライザできいている。 2000年6月10日

秋葉原に「リバティ」という中古CD屋がある。そこの3FがLPを始めたので行ってみた。驚くことに、ほとんどのLPが380円だった。1時間ほど見て僕は3000円足らずで7枚のLPを手に入れた。スタジオに持ち帰ってきいてみると、どれも盤面の状態は良く。これまた当分楽しめそうだ。中古CDは有名演奏家のものだと安くても1000円ぐらいはするから、300円とか400円だとレンタル代って感じで気軽に買えるのが嬉しい。実は今回買った7枚の中に「アクア・スケープ」(アコースティック・クラブ)というものがあって、僕はCDを持っている。あまり知られてはいないけど、とても音の良いCDで、オーディオに興味がある人が来た時にはよくかけているものだが、これのアナログ盤があったので買った。なんと280円だった。これだったら4000円でも欲しくなる代物だ。事実この日の夜、ソニーでスピーカーを設計してる佐藤さんにきかせたら驚いていた。やはり最後は足で稼がないとダメだなと思う。 2000年6月22日

今夜で国立競技場の水泳教室は三ヶ月をむかえ、7月からは別のクラスに移行する。この水泳教室のおかげで色々な疑問が解決した。頭で理解した事を実際に体で出来るかどうかはともかく、正しい目標や行うべき課題が明確になった。今夜は最後なので100mの個人メドレーをやる。今のところ2分10秒が僕の目標タイムです。水泳教室の先生が7/1の皿まわし講習会に参加してくれるそうなので、「はい、力を抜きましょうね」と言えそうだ。でも、滅茶苦茶上手だったらどうしよう。 2000年6月29日

水泳教室の先生は皿まわしがとても上手で、「力を抜こう」は二回くらいしか言えなかった。残念。皿まわし講習会は初めての試みだったが、沢山の人が来てくれて、みんな楽しそうに皿をまわして帰った。ちょっとやる気を出して8枚に挑戦してみようかなあ。僕が8枚の皿をまわす事に成功すれば、それは現時点で日本タイ記録で、それをコンスタントに出来れば(例えばTVに出ても失敗せずまわせれば)本当に日本のトップなんだが、僕は「遅〜い水泳がもう少し速くなる方が嬉しい」と考えている。

かつてバドミントンをやっていた頃に比べると、このところ腕が細くなった。ずっと自転車に乗ってるので、腿は細くならないが、膝から下も細くなった。水泳教室は少し上のクラスに入ることになり、月木はここで1500mぐらいづつ泳ぐ事になりそうだ。今の課題は背泳で、背泳さえもう少し上手くなればなあ。まあ、あと3カ月あれば、そのあたりも少し変化することだろう。それに比べるとオーディオや写真は、何十年もやってきてる。 2000年7月7日

風邪が治らない。もう、一週間以上も風邪が治らない。これには参った。寝込むほどではないが、ずっとおかしい。何故こんな事になったのかというと、多分yahooオークションの顛末を見るのが面白くて、夜な夜な見ていたからに違いない。僕はこのオークションでハローキティのカメラを500円で買った。このカメラでうまく写真が撮れるようなら「趣味のカメラのページ」に掲載予定です。 2000年7月11日

このところyahooオークションにはまってしまい、1)キティちゃんのカメラ2)コーヒーのサイホン3)FR64Sというアームがついたアナログプレーヤー4)FUJINONの引伸ばし用レンズなどを購入したが、あまり歩いていない。キティカメラは何とf8固定シャッター速1/125秒固定というカメラで、ISO100だと晴れか(一段オーバーだけど)曇りの屋外でしか撮れないカメラだった。あとは、でかいストロボに連動させて撮ろうかと思っている。オークションへの出品もしていて、いくつか不要品を処分出来そうなので嬉しい。 2000年7月26日

僕の身長は177.5cmで、体重は72.5kgあたりを中心に、最高74.5kgぐらい最低は67.5kgkgまで落とした事がある。毎日体重計に乗っていて、75kgにせまると気をつけるので、76kgになった事はない。この10年間で二度ほどダイエットをした事があって、67.5kgになった事が二回ある。平均体重の72.5kgから67.5kgに落とすには4カ月ぐらいかかり、それが元の72.5kgに戻るのは半年以上かかる。体重を管理するのは快感でもあるのだが、意外に難しいのが70.5kgぐらいを維持する事だ。20年ぐらいその調子だったのだが、最近体重が平均71kgになった。単に年をとったのか、年間3500kmの自転車通勤+週3回約5000mの水泳の結果か、それとも夏だからか、よくわからない。秋になってもこのままなのかも知れない。 2000年7月29日

それにしても先日、自転車のハンドルがいきなりもげたのには驚いた。あれは運が悪ければあの世行きだった。こうして、こんな事を書けるのは本当にラッキーだった。おかげさまでStudioK'sも3周年をむかえ、今日から三日間はパーティをやっている。ビール100リットル用意して待っているのだが、お客さんは沢山くるかな。 2000年8月18日

結局今年の夏は暑かったのか涼しかったのか? よくわからないのだが、激しい夏だったことと、夏が年々辛く苦しくなっている事は事実のようだ。秋になり、冷房を使わずに済むと音楽もききやすくなり楽しい季節だ。水泳は少し上達して、10分間泳は今のところ460mまできた。今年中に475mには到達しそうだが500mはわからない。

StudioK'sも4年目に入った。いつでも好きな写真が撮れて、暗室でプリントをして、思い切り音楽がきけて、友達と遊ぶ事が出来る場所が欲しかったのだが、三年かかってやっとそうなりつつある。あともう少し儲かれば言う事なしだが、これだけ好きな事をやっているんだし、潰れずに4年目をむかえられた事に感謝することにしよう。 2000年9月12日

チノパンを買おうと思って数寄屋橋阪急のGAPに行った。でも、なんだか気が進まなかったので買わずに、上野のヨドバシカメラまで歩いた。銀座から日本橋-秋葉原を経由して上野に行ったわけだが、それぞれの場所に集まる人の雰囲気がかなり違うのがおもしろい。一番ヘンなのは秋葉原で、ここは男のグループや二人連れがやたらと多い。

上野のABABにUNIQLOがあるので「そういえばUNIQLOはチノパンが2000円だった」と思って買いに行った。どうしてこんなに安いんだろう。それから、ヨドバシカメラで注文してあった全紙のイーゼルを買い、同行者はベッサRのボディと35mmのレンズを買った。僕はこれにロシア製レンズを付けて写真を撮ってみたいと思う。今度レンズだけでも買ってみようか。 2000年9月15日

シドニーオリンピックも終わり、今はパラリンピックをやっている。僕は1993年から三年間、車イスマラソンの写真を撮り、96年に写真展「鉄腕たち」をひらいた(ホームに戻って作品のページをご覧下さい)。彼らはずっと、レースの結果が新聞の社会面に掲載されるのが不満だと言っていた。「自分たちはスポーツをやっているのだから、スポーツ欄で取り上げて欲しい」と言っていたのだが、長野の冬季五輪以来やっと障害者のスポーツがスポーツとして認知されたようで、僕もとても嬉しい。 2000年10月24日

シドニーパラリンピックの最終種目であるマラソンは、畑中和さんが銀メダルだった。男子は室塚さん(前回のアトランタでは銀メダル)の7位が最高だったようで、こちらは残念でした。帰ってきたら「残念だったね」って電話でもしようかな。僕としては室塚さんにアマンダのディスクホィールを使ってみてもらいたいと、ずっと思っているのだが、スポンサーの問題とかもあるから実現していない。多分下りのスピードが少し上がると思う。

左の写真はたしか、95年に大分で撮影した。僕はこの時、スタート前の畑中さんを見てすごく「いい感じだ」と思った。


実はこの夏けっこうひどい腰痛になった。なるべく歩くようにしていたから、春から初夏は大丈夫だったのだが、夏からはまたひどくなった。それで、自転車通勤と電車通勤を隔日にして、来るときは秋葉原か御徒町から歩き、帰りは田端-尾久間を歩く事にした。そして、毎日脚の付け根のストレッチングを行う事にした。

自転車通勤をしていると、着る物が同じになる。例えば"Y's"とかヨージ・ヤマモトのパンツはダボダボしていて、必要以上に股上が深いデザインなので、これらを着用して自転車に乗るのは苦痛だ。そして靴も自転車をこぐのに不向きな物は履かなくなる。オートバイに乗ってる女性の髪がいつもボサボサしてるようなものだ。ところが電車通勤をしてみると、着る物が自由だ。「自転車には不向きなため、買っただけでタンスに入っている服でも着てあげようか」と思っている。 2000年11月9日

この二週間ほどはよく歩き、マッサージ師のおねえさんに教そわったストレッチングをやり続け、少し良くなってきた。だけどまだまだだ。この春から夏は自転車で通い週に三回泳いでいたからなあ、まさに「スポーツは体に悪い」ってやつだ。その上夜中まで音楽をきく毎日だったのも良くなかったと反省して、やっぱりベッサRでも買って歩き回ろうかと思い直している。

とにかく徹底的に歩く事にした。腰は要だから、こんな調子じゃオーディオもおぼつかない(オーディオ機器は重いのがあるからね)。自転車通勤の割合を半分以下に減らし、自宅のある尾久-田端と秋葉原-スタジオ間を歩き、帰りも同じように歩く事にした。腰はまだ痛いけど体調は良くなった。今年の前半はよく風邪をひいたし、通勤の方法を変えてそのあたりも解消できたらと思っている。 2000年11月27日

そろそろ簡単な仕事になら使えるデジカメを買いたいと思う。でも、撮影したデータをMacに読み込んだり、プリントする環境を整備しなければ、快適なデジカメ生活は出来ない。それで、まずプリンタを新調したのだが、これがUSB接続しか出来ず、僕のマシンはUSB以前の物なのでPCIバスにUSBカードを差して対応する事にしたのだが、どうもうまく動かない。iMacならオーケーだが、7600とMT300はダメだ。ついでにカードリーダーも買ったのだが、こちらはiMacもその他の二台もダメときた。あまり、秋葉原は散歩したくないんだよなあ。この問題を解決するのにはけっこうかかりそうだし、当分デジカメは買うなって事かな。 2000年12月11日

やっとプリンタが動いた。なんでだかわからないけど動いた。だが、カードリーダーはまだダメだ。僕が持っているたった一枚のコンパクトフラッシュの方がおかしいんだろうか? よくわからない。でもとにかく、プリンタが動くようになったので良かった。これで仕事にバッチリ使える。そして、あと二年ほど7600/132+G3カードとMT300を使い続けられたら、思い残す事なく買い替えられそうだ。7600は96年に買ったんだから、もう4年を過ぎて5年目に入ったのだが、まる6年使ったら充分でしょう。

約一月半、自転車通勤は週に一回ぐらいにして、ずっと歩き続けた。靴は見る見る減り、腰痛はかなり解消しつつある。やはりここまで徹底しなければダメみたいだ。だけど、自転車通勤もまったくゼロにしてしまうとせっかくついた自転車の筋肉(脚ではなく、腕の内側の)もなくなってしまうので、深夜だと寒いが最低週に一回は自転車も乗ることにしようと思っている。

オリンパスのデジカメを買って、それについてきたスマートメディアだとカードリーダーは正しく機能する。そしてさらに新しく買ってきてSundeiskのコンパクトフラッシュもオーケーだった。これでデジカメ路線はバッチリだし、Macもあと二年は使えそうだ。

松濤美術館で細江英公展を見た。正直言って若い頃は彼の作品に特別な興味を持てなかった、と言うか、理解できなかった。だが、ある時期から僕は細江英公の写真をすごいと思ようになった。僕の「茶の間にアート」と同じぐらいすごい。 2000年12月25日

僕が20世紀から21世紀になる瞬間に何をしていたかというと、スタジオで音楽をきいていた。ちょっと前に手に入れたパワーアンプがすごくうまく鳴るようになり、とても気持よく「ばらの騎士」のハイライト盤をきいていた。あの美しく官能的な幕切れの三重唱をきいている時、ちょうど12時になった。StudioK'sを作って3年5カ月、毎日、まるで恋人のところへ通うようにスタジオにやってきた。家にいる時は「早くスタジオに行きたい」と思い、帰るときは「帰りたくない」と思う。写真もオーディオも、交友関係も、そしてこのHPも、みんなこのスタジオがあればこそだ。

さあ、帰って寝よう。2001年もきっと楽しい事が待っている。   2001年1月1日 午前0時15分

去年の11月からずっと歩き続けているせいか、今年の冬は今のところ風邪をひかない。そして、電車が動いている時間に帰宅するようになったので、睡眠不足も少し解消された。その結果体重は元通りの72.5kgになった。そして、最近はデジカメで写真(仕事も趣味も)を撮っている。デジカメはすごく良いので驚く。

1月は二週連続でカラー写真のグループ展を開いたので、非常に大変だった。でも、色々楽しい事も沢山あって、やって良かったと思う。よく歩いているおかげで、雪が降っても、少々疲れても風邪はひかない。10日間ギャラリー状態だったので、早く元に戻して音楽をききたい。       2001年1月30日

昨日、スタジオにオーディオ誌の取材がきた。有名なオーディオ評論家である菅野沖彦氏が僕の音をききにきたのだが、普段取材する側の僕は、取材される事に慣れておらず、けっこう緊張した。音の方は普段からあれこれやりまくっているから今更何をやってもそう良くなるわけではない。だから、一番大変だったのは掃除と片づけかな。僕が取材に行く相手も、こうやって片づけたり緊張したりなんだろうなと想像して、これは良い体験をさせてもらったと思っている。この取材のために新しいオーディオ機器を買ったりはしなかったが、せめて心地よく音楽がきけるようにと、椅子を買う事にした。「シネマチェア」というなかなか高価な椅子だが、これぐらいは良いかなと思っている。 2001年2月5日

この冬は今のところ風邪をひいていない。去年は冬だけじゃなくて春も夏も風邪をひいた。自転車で通っていて夜遅くまでスタジオで音楽をきいていたのがいけなかったらしい。11月からは電車が動いている内に家に帰っているから、遅くとも夜中の1時には家に帰り着く。スタジオでオーディオをいじったりカメラをいじったり、Macで画像の実験をやってるとアッと言う間に時間が過ぎる。でも、この冬は田端まで歩いてきて、帰りも田端から歩いているので、風邪をひかない。そして体重も変わらない。これは良いことだと思う。 2001年2月20日

StudioK'sHPへの総アクセス数が一週間で6000件を越えた。二年前は一カ月で1000件ぐらいだったから、ものすごい増加だ。お金持ちってのは、こういう具合に増収するんだろう。二年前は年収1000万だったけど、今は週給6000万なんてなったら最高だ。金と人間関係、難しい問題だ。金はあるが友達がいないって人も存在するだろうし、僕みたいに友人は沢山いるけど食うのがやっとという者もいる。最低線、生活ができるのであればやっぱり人間関係が豊富な方が楽しそうかな。 2001年2月23日

このところ中国茶にはまっている。キッカケは去年の秋に台湾のお土産としてソニーの佐藤さんが金萱高山茶をくれたことだ。これをしばらく飲んでからさらにあれこれ飲むと、だんだん中国茶の楽しみがわかってきた。僕は酒を飲まないので、お茶は極めて重要な楽しみだ。コーヒー、紅茶、緑茶、みんなおいしいけど、中国茶は不思議に官能的でたまらない。こんな風だから、そのうち中国茶のページも作る事になるかも知れない。

SISの小島さんとサンシャインで開催されているIPPFに行ってきた。プロ向けの写真フェアだが、デジタル関連の物が多く、その割には興味をひく物は少なかった。会場で偶然耳の聞こえない写真家二人に会い、何年かぶりに手話で話をした。「久しぶりだね、まだ写真の仕事はやってるの?」「湯島に仕事場を作ったんだよ」「子供は大きくなった?」「うん、もう上は大学生だよ」「フーン、うちは4月から高校なんだ」というような会話だった。お互い元気に頑張ろうねと話して別れた。今から27年前の僕は手話の事で頭がいっぱいだった。今このHPを更新してるように、毎日自分の手話を磨いて、何とか東京都の手話通訳者になってテレビに出たりもしていたのだが、結果的には才能の無さを感じ、10年ほどかけて徐々に写真の仕事に転向したのだった。 2001年3月8日

StudioK'sHPへの週間総アクセス数は二月の末に一度8000件を越え、その後は7000件台が続き、先週再び8000件を越えた。この分だと今年中には本当に10.000件を越えるのかも知れない。特にオーディオ関係のページへのアクセスが多く、毎日見ている人も相当数存在するらしい。そんな方たちからは「タダなのは申し訳ないから、有料のページでもかまわない」なんて言ってもらえるのだが、僕としては、どうしたものかと検討中だ。僕が好きでやっている事だから、金を払わなければアクセス出来ないというのはどうかと思う。yahooオークションの「本人確認」の関係で、ジャパンネット銀行に加入する人が増えそうで、僕も口座を開いた。これを利用すると振込手数料は50円ぐらい(携帯のiモードからなら10円)で送金できる。それならば、ソフトウエアのシェアウエア的なHPにしても良いかなと考え始めている。見るのは無料、5年間毎日アクセスしても無料だけど、「ああ、おもしろかった」とか「このHPのおかげで得をしたとか、無駄をしないで済んだ」という人が、「がんばってね」という気持の表現として好きな金額を振り込むという、大道芸人にチップを入れる(投げ銭)みたいなシステムにするのはどうかなと思っている。僕としては、あくまで楽しんだ人が後払いというものにしたい。 2001年4月19日

中野のフジヤカメラに中古のレンズを探しに行った。電話で問い合わせると「まあまあの物」がありそうな感じだったのだが、現物を見るとまるで気に入らず、ヨドバシで新品を購入する事にした。フジヤカメラもヨドバシカメラもお客が多くて熱気むんむんだった。あらためて、写真やカメラは人気があるんだなあと感じた。僕の中では同じかそれ以上に面白い対象なんだが、オーディオもいつか再びこんな風になるんだろうか? 2001年5月7日

昨年末にデジカメを買って、仕事や趣味に使っているのだが、最近不思議な心境の変化が起きた。一言で書くと「4×5を使いたくなった」のだ。蛇腹がついていて黒い布をかぶって撮影するカメラと書けばわかってもらえるかも知れない。そのココロは何か?  デジカメでも仕事が出来るようになったので、1)銀塩写真に対する見方に変化が起きた。8×10→4×5→6×7(ブロニー)→35mmというヒエラルキーの最後にデジカメが加わったことにより、クルンと一回転して大型カメラに戻ってしまった。2)この調子だと、もしかすると10年後はフィルムを使わなくなるのかも知れない。3)ちょっと前までは印刷と言えばポジフィルムからだったねえ、今じゃ現像所も都内に数えるくらいしかなくなった、なんて事もあり得るので、今の内にポジを楽しもう。4)ならば、4×5。という理由かな。4×5で撮影して、それをスキャンしてもらいMacで必要な調整を施して再びポジ出力、なんて事をやっている。 2001年5月12日

もしかすると長い間の腰痛から開放されるのかも知れない。一月半ほど前に、体が傾くほどひどい状態になってしまい、大井町の河野鍼灸院(03-3768-1644 要予約)というところへ行った。なかなかすごい先生で、ここで鍼を打ってもらうと非常に具合が良くなった。もっと早くわかっていればなあ。6月はロケでアッと言う間に終わってしまったが、この怒濤の一ヶ月を無事乗り切れたのは河野先生のお陰だ。 2001年7月4日

今年は暑い。こんなに暑いのは94年以来だ。あんまり暑いとやる気がしなくなるし、どうしても冷たいものを多く摂るようになり、その上エアコンのせいで体調も悪くなる。本当はエアコンを使わず窓をあけて過ごしたいのだが、近所にインド料理屋ができたので、窓を開けるとカレーの臭いが押し寄せてくるので、風向きによっては窓を開けるのも辛い。7月からこんな調子じゃ8月が思いやられる。できるだけHotなお茶を飲み、よく寝てやり過ごすしかない。そしてなるべく歩こうと思ってウォーキング用の靴を一足新調した。 2001年7月19日

近頃欲しいカメラがない。オーディオを除くとカメラ以外の物でもあまり欲しい物がない。洋服なんてどうでも良くなってるし、MacはG4CUBEで満足だし、クルマは今乗ってるアコードで充分過ぎるし、酒は飲まないし、うまい物をたらふく食べたいという気もしない。これってちょっと危険なのかも知れない。 2001年9月13日

あまり物欲がなくなるのは危険なので、yahooオークションに出ていたB&Oの電話機を買った。留守電なし、コードレスでもなしという物だが、オーディオ好きの人たちに愛用者が多く、僕もずっと欲しかった物だ

使ってみると確かに良い音で、非常にリアルに声が聞きとれる。なにしろ電話をかけた時に受話器から聞こえる相手の呼出音からして違うので驚く

官能に響く物は手放す事ができない

B&0の電話を使い始めて一月、かかってきた時もかける時もこの電話を手にしている自分に気がついた。当たり前だけど、コードレス電話って無線機なのだ。この差はインスタントラーメンと極上のラーメンぐらいの違いがあるので、非常時以外はちゃんとしたラーメンを食べたい。

最近オークションの支払いをジャパンネット銀行から振り込んでいるので、ますます歩かなくなっているので、これは良くないと思って、なるべく外出するよう心がけている。だけど湯島のスタジオから散歩するわけだから、やっぱり1)秋葉原2)駿河台ってあたりになる。このところLPもあまり買わなくなったので、ディスクユニオンへもあまり行かないし、やはり秋葉原のオーディオショップって事になる。秋葉原のオーディオショップで一番居心地が良いのは「サウンド・クリエイト」(通商サンクリ)で、時々遊びに行くと面白い物がある。「身の回りに置いてあって、日々使うような物(例えば電話とか家電製品)とかは、最低10年、出来れば30年ぐらい、不満も飽きもなしに使える物が欲しい」と思い始めている。で、サウンドクリエイトだが、ここにDYSONの掃除機があって「あまり使っていない」と言う。それで、僕はDYSONの掃除機を「もし、気に入ったら譲ってもらう」事を条件に貸してもらってきた。

試しにDYSONを使ってみると、ものすごくスムーズな面とけっこうイライラする面とが感じられる

排気はきわめてきれいだし、透明な部分にゴミが溜まるのだが、ゴミが見えることは全然イヤな感じがしないどころか、掃除中はゴミがくるくる回って楽しい

ヘッドが重たいので、小回りはまるでダメだし、方向転換をする場合は掃除機を中心に人間が動かないとならない(後輪操舵状態かな)、そして、太目のスピーカーケーブル一本を乗り越える事が出来ない

取っ手を外すと、普通の掃除機みたいにもなるのだが、この場合の吸引力はものすごく弱くて少々不満を感じた

ただ、このように置いてある状態は非常にコンパクトで邪魔にならず、大変好ましい。こんな色なのに少しも違和感がないのはデザインの妙というかセンスと言うか、この掃除機を一週間ほど使ってから国産の掃除機を見に行ったが、やはり僕は国産の掃除機を買う気はしなかった

そんなわけで、結局一般的なカタチをしたタイプのDYSONを買った。僕のスタジオにはカーペットも絨毯もないので、ヘッドに回転式ブラシは不要だ。この上のHEPAフィルター付きの機種もあるのだが、そちらは黄色い部分が蛍光グリーンで、僕にはこのグレーと黄色が美しく見えたので、こちらにした。この色でHEPAフィルター付きのタイプがあれば、僕はそれを買った事だろう。差額でフィルターを売って欲しいぐらいだ。操作に多少の重さは感じる(モーターヘッド付きの物はさらに重い)のだが、トータルでの使い心地は良い。なにより排気がきれいなのが最大の美点で、性能には満足している。掃除が楽しくなると言っても過言ではない。

最悪なのは本体のアチコチに貼ってある「ゴミパックが不要」とか「ゴミが溜まってもパワーが落ちない」などと書いてあるシールで、半分はデザインが良いから買ってるのに、そのデザインが台無しだ。それに、掃除機に5万も6万も出す人間はそれぐらいの事は調べて買ってるわけだから、このシールは店頭のデモ用だけにした方が良い。で、シールを剥がす事になるのだが、非常に剥がし難いシールで綺麗に剥がすのに約3時間かかった。DYSON(株)の自己満足のためにこんな思いをさせられるのは非常に不愉快で、もし、自宅の掃除機の買い換えには、このシール剥がしを想像しただけでイヤになり、「他の会社の掃除機にしようか」とさえ思う。 2001.10.29 

冬の間は自転車を休んで電車で通勤する事にしている。全面的に電車にしてしまうと、春になってから困るので週に一二度は自転車で来て、残りは電車という割合だ。6月から7月にかけて河野鍼灸院で鍼を打ってもらったおかげで、腰痛はかなり良くなり、歩くのが楽しい。水泳も週に一度はやるようにして、特に速くはならないが、クロールはプルやキックも含めて1.000mぐらい、平泳ぎ100m、背泳100m、バタフライ50mぐらいは最低泳ぐようにしている。 2001.12.13

去年(2001年)は物を沢山買ったので、今年はなるべく現状のまま過ごそうと思っている。出来るだけ物を増やさず、不要な物は処分して暮らすのが今年の課題だ。着る物はすり切れるまで着て捨てる、音楽のソフトも不要な物は処分する、カメラは今持っている物を使う。デジカメはもう一世代後の物をねらう事にしよう。 2002.1.18

つづきはこちらです 歩くページの2


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