今使っているカメラなどのページ


もはや写真はデジタルの時代になっている、携帯電話についているカメラからのプリントがサービスサイズで十分鑑賞にたえるとなれば、もはやフィルム付きカメラ(写るんです)の出番はなくなるだろう。2003年8月にキヤノンが発表したEOS Kissデジタルは、かつてのAE-1以上の意味を持つかも知れない。

手焼きのプリントはともかく、安いカラープリントの仕上がりにはずっと不満を感じていた。

これに比べるとデジタルカメラで撮影し、プリンタで出力した方がはるかに美しい(と、書いて語弊があれば、自分のイメージ通りの)プリントを得ることが出来ると思う。

ところが、モノクロームは銀塩にまるでかなわない。現時点で最高峰1100万画素のカメラで撮影したものを、あれこれ雑誌などで記事を紹介するほどのテクニックを使ってプリンタ出力したものを見たが、僕は不満だ。「冗談じゃない、笑わせるなよ」と言いたいぐらいだ。でもカラーはデジタルの方が良い。だから、いまのところ僕の結論は、カラーはデジタル、モノクロームは銀塩で、まだ暗室をつぶすには至らない。 2003.9

2004年1月僕はやっとのことでEOS-1Dsを手に入れた。まったく、欲しいと思ってからこんなにあーでもないこーでもないと悩んだり、買うのに躊躇したカメラも珍しい。デジタルカメラは最初にEPSONのを買って、それからオリンパスの3030、そしてE-10、キヤノンEOS-10D、その次が1Dsだった。E-10からは十分仕事に使ってきたが、EOS-10Dまでは銀塩を捨てる気にはなれなかった。届いた1Dsを仕事に数回使った結果、僕は持っているほとんどの銀塩カメラを処分する決心をした。

 

 


キヤノンF1+FD50mmf1.4

 

僕のF1は初期型で1976年のモントリオールオリンピックの記念モデルだ。今から20数年前にボディだけで10万円のカメラだから、当時の僕には分不相応の高級機だった。僕はこのカメラで露出を学び、F1を「心のささえ」にプロカメラマンのスタートをきった。

中身の堅牢さはもちろんの事、巻き上げのスムーズさとシャッターを切ったときの感触はF1ならではのものだ。M型ライカとは正反対の「パチャーン」っていう感じの軽く金属的な(でも、安っぽくはない)シャッター音も独特で気に入っている。

T−90が発売され、それを買う1986年まで、僕はF1で仕事をした。そしてEOSの時代になり、2台のT−90も途中で手に入れたF1nも手放したが、最初に買ったF1だけはf1.4の標準レンズと共に残すことにした。

今年(1999年)になってから、このF1をオーバーホールに出し、モノクロームのフィルムを入れて趣味の写真を撮っている。動いてる被写体に遭遇した時など「今のはEOS-1だったら5枚は切れたなあ」なんて思うのだが、趣味だからファインダーを覗いただけで終わってもよしとする事にしている。コンテッサだと露出に不安があるのだが(古いから、だいたいオーバーになる)、F1ならポジを撮っても心配はない。F1の中央部部分測光は正確だし、視野率100%じゃないにしても一眼レフだから「本気になったときにはちゃんと応えてくれる」ところも良い。

StudioK'sの暗室でモノクロプリントをやっているグループが二つになった。98年からやってる方が「カーニバル」で、99年5月にスタートしたグループは「パラダイス」と呼んでいる。彼らとの写真展にはF1+50mmで僕の日常を撮った写真を出している。上の作品もそのために撮ったものだ。

マミヤ C330s

このカメラに替わるものがない

  

 

もう随分前に、「使うならあげる」と言って、知り合いがマミヤC3+80mmf2.8と55mmf4.5をくれた。僕はこのセットをとても好きになって、よく女性のポートレートを撮るのに使った。この古い80mmレンズは、「ソフトフォーカスほどわざとらしくなく、しかしソフトで、ちゃんと描写もする」ところが好きで愛用している。だが、ある時C3のボディは巻き上げが故障し、修理に出したが直らなかった。それならいっそのこと最新型を買おうと思い、C330sのボディだけ購入し、レンズはそのまま使っている。

長く続いたマミヤの二眼レフは徐々に進化し、最終型のC330sになると、C3に比べて1)非常に軽く、2)セルフコッキングで、3)ファインダーが明るくて見やすく、4)近接撮影時の露出補正目盛やパララックス補正装置もあり、C3での不満は一挙に解決した。しかも新品が約6万円と安かったので、随分お買い得なカメラだと思った。

初めての中判カメラを買う人が何を買うのが良いのかはとても難しい。使用目的が仕事でしかも機動性も、となればペンタックス67(II)。そして1台でポジとネガを撮り分けたりポラも撮りたければ、マミヤのRZ(RB)67。お金がある人ならハッセルブラッドって選択もある。フジやマミヤのレンジファインダー機もあるし、機動性に富む(最近ではオートフォーカス機も選べる)セミ判一眼レフも悪くない。

今、中古カメラ店で探すとC330sは標準レンズ付きで8万円〜9万円ほどで売られているようだ。古い二眼レフだとローライやミノルタのオートコードもあり、それぞれ良いが、マミヤの二眼レフはレンズ交換が出来る点が最大の特徴だ。最近、僕の友人が二人C330を手に入れた。僕は彼らに「いつもいつも使ってるわけじゃないから、55mmのレンズを使いたい時は貸してあげる」と約束した。こういうのって良いと思う。ライカも、例えば「安原一式」や「ヘキサーRF」を買って、レンズは各々最低1本づつ色んなのを買ってみんなで貸しっこをしたらいいと思っている。

 


 LOMOって知ってる? 
LOMO(ロモ)というロシア製のカメラが密かな人気を呼んでいる日本ではフィルム2本とLOMOによる写真集がセットになっていて22.000円で買うことが出来る。35mmのコンパクトカメラで、レンズは32mmf2.8、ピントは目測、自動露出だが補正装置なし、プラスチック多用、初期不良の可能性大という、いい加減で可愛いカメラだ。何人かの友人が持っているので借りてみるとなかなか楽しい写真が撮れて驚く。ハッキリ言ってレンズの周辺光量不足なのだが、四隅が暗くなって面白い(そうね、スーパーアンギュロンの47mmぐらいかな)。それと妙に濃い発色のレンズで、ここらへんが愛される理由なのだろう。オーディオ同様、国産カメラはおしなべてまっとうだから無味無臭タイプが多くてつまらない。

    

左の写真は銀座の「ギャラリィK」で撮ってもらった。この時は蛍光灯もつけていてすごくフラットな照明だったのだが、まるでスポットライトを当てたように撮れている。

 三脚コーナー

なんでこんなに三脚が必要なのかと言われそうだけど、三脚は沢山必要なのです

アマチュアの皆さんは「軽くて沢山伸びて、値段が安い」物を求める人が多いけど、僕に言わせると「そういうのが一番ダメな三脚」という事になる。沢山持っている一番の理由は「低くした時の使いやすさ」に尽きる。三脚って高くはなるけど、低くはなりにくいのです

雲台もあれこれ使ったが、ここ数年はマンフロットのギア式を使っている。僕は自由雲台が好きじゃなくて、3way派です

一番最近手に入れたのは左から三番目、ジッツオのカーボン(雲台付きで約1.6kg)

デジタルカメラで仕事をすることにしたので、4×5のカメラを処分し、それに伴い大きな三脚はもうない。

ジッツオ社のある種類の三脚に対して僕はいつも不満を覚える。それは上の写真で言うと左から三番目と四番目のタイプで、とにかく脚の開く角度が少ないので不安定だと思う。それで、改造を施すことになる。ローアングルにする時に引き出す金具を少し削って脚の開く角度を広げるわけだ。今回買ったカーボンの三脚も脚が開かないので早速改造をした。

 


ライカを買うならM3しかないのだが、、、

僕にとってのライカはM3だ。それしかない。50mmで100%の明るくて見やすいファインダー、M3の巻き上げの感触、「コトリ」っていうシャッター音、僕の心は時々グラグラする。

ライカは20世紀の文化遺産だ。それを現在は10数万かせいぜい20数万で手に入れられるのだから「何て安いのだろう、タダみたいだ、1台買って手元に置いておくのもわるくないぜ」と思ってしまう。

いつだったかオーディオの雑誌「ステレオサウンド」に、ずっとライカを買わずにきた「一関ベイシーの菅原氏」がついにライカを買い、まわりの人たちが彼に使わないライカをプレゼントする話が載っていた。

僕がもっとトシをとって、知り合いのもっとトシをとった人が「もう充分使って楽しんだから山本さんにあげるよ」と言ってM3をくれたら喜んで使おうと思う。そして僕がもっとトシをとったら、僕より少し若くて「ちゃんと喜んでくれる人」にプレゼントしたい。そういう風に人の手から手へ渡っていって、人は死を繰り返し文化が残る。美術骨董品の類が1000年以上も愛でられ、人類が生存し得る限り存在し続けていくのと同様にライカも存在していくのだろう。

だから、僕はやっぱりライカを買わないのだろうな、きっと。


  ホームへ

 Studio K's 山本耕司